空母『白鳳』を旗艦とした栗田艦隊は東南アジア各地で歓迎を受けつつ、イギリス本土に向けて航行を続けていた。
独立準備政府からすれば、新鋭艦で固められた盟主国(それも大恩ある国)の艦隊を歓迎しない訳にはいかない。
片や日本側としても、日本帝国の武威を示すことで勢力圏の引き締めを図っていたため、各国の一般市民にも見えるように
艦隊を寄港させていた。このため各地では世界最強となった日本海軍の艦隊を一目でも見ようと多くの見物人が押し寄せた。
「あれが『ハクホウ』か」
「大きいな。世界一の巨艦というのは本当のようだ」
「我々があれだけの船を建造できるのに何年かかると思う?」
「日本と同じように発展しても70年は掛かるだろう」
港近辺の市民に見えるように停泊した空母『白鳳』は特に注目を浴びた。
日本海軍は、軍機に触れない程度の情報を公開し、パンフレットを配るなどの配慮を行っていた。さらに現地の子供に親しみを
もってもらうため、可愛らしい着ぐるみ(防災キャンペーンで没になったマスコットキャラ案を流用)まで現地に送っていた。
「海軍はチンドン屋ではない!」
そのように怒る人間もいたが、現地の人間の理解を得なくては今後の活動に支障がでるということで反対意見は退けられた。
(……俺、何のために海軍に入ったんだろうな)
中の人のボヤキが外に聞こえるわけが無く、子供達は着ぐるみの回りで遊び、大人たちも穏やかな気分で日本艦隊を見物した。
勿論、そこから見ているのは一般市民だけでなく諸外国の諜報員達もいた。彼らは日本艦隊の状況を調査しつつ、上陸した将兵に
巧みに接近し、他愛も無い会話から情報を引き出そうと動いていた。
様々な策謀が渦巻く中、艦隊司令である栗田中将は寄港先で、独立準備政府の高官達と会談を持つなど大忙しの日々を送った。その
中で栗田は東南アジア諸国にまず最も必要なのは海上保安庁のような組織であることを痛感した。
(……海軍以前の問題だな)
栗田は長官室の机でぼやくように呟くと息をはいた。
「海賊が蔓延るようになったら、洒落にならないからな。東南アジア諸国で連合軍を作れるのは当面先か」
軍、特に海軍は技術者の集団でもあり、ノウハウの蓄積は必要不可欠だった。
日本が必要な技術とノウハウを提供したとしても、現地人がそれを十分に習得し使いこなせるようになるには、かなりの時間が
かかる。その間は日本が安全保障面の面倒を見る必要があった。
しかし原潜の配備や駆逐艦の大型化、兵器の電子化がさらに進むことから、更なるコスト増加は目に見えていた。現在の試算では
日本が保有できる正規空母は4隻が限界ではないか、と言われていた。逆に言うと下手をすればもっと少なくなることもあり得るのだ。
「守るべき範囲に対して、貼り付けられる戦力が少なすぎる」
嶋田、山本を含めた日本海軍高官達は揃って渋い顔だった。
「……イギリスが裏切りさえしなければ、な」
栗田はそうぼやく。
「イギリスの裏切りさえ無ければ、日本海軍はイギリス海軍を当てにでき、日英という二大海軍国家主導による新たな国際秩序を
構築できたのに」と思うと栗田は改めて苦い顔となった。
まぁ彼がいうイギリスの裏切りが無ければ、衝号作戦そのものが発動されず、国際秩序が全く異なるものになっていただろうが、
大日本帝国の秘中の秘である『衝号作戦』の存在そのものを知らされていない男のぼやきとしては至極当然のものと言えた。
「それにしても欧州各国の目前で疾風を飛ばせ、か。ドイツを牽制するのが狙いだろうが……」
日本の実力を誇示することで、ドイツを威嚇するのは理解できるが、日本の力を過大評価した東南アジア諸国が騒がないかが
栗田にとって不安だった。
(鮮やかに勝ちすぎたからな)
日米戦争において、日本はまるで魔法のように鮮やかな完全勝利を飾り、戦後には列強筆頭の地位に上り詰めた。
満州と上海では米中連合軍を完膚なきまでに叩き伏せた。兵力で劣るはずの日本陸軍は満州で米中連合軍を文字通り撃滅。
上海の戦いでも、在中米軍が築いた防御陣地を瞬く間に突破した。日本海軍はフィリピン沖で航空機のみで戦艦4隻を基幹とした
アジア艦隊を壊滅させ、ハワイ沖海戦では主力艦を喪失することなくアメリカ太平洋艦隊主力をほぼ壊滅させた。
さらに優れた科学力を持っていた筈の白人達でさえ開発できなかった新型爆弾で、メキシコの都市一つを一瞬で焼き払ったのだ。
それがどれほどの衝撃と興奮を有色人種に与えたかは筆舌しがたいものがある。
これに加え、先日の『緑の革命』の開始宣言である。産業革命に次ぐ、新たな革命を日本が引き起こしつつある……多くの人が
そう思うのも無理は無かった。
(まるで夢のようか。会合のお歴々は『夢』から覚めたと思っているが、他国からすれば今こそまるで『夢』の世界なのだろう。
白人にとっては『悪夢』だが)
常に白人の後塵を拝していた有色人種が、白人が自慢していた科学力で白人、それも欧州列強を圧倒しつつある。夢見ることもできなかった現実が
多くの人を興奮させ、熱狂、或いは恐怖させるのは当然だった。
「……まぁ良い。兎にも角にも、今の仕事をこなして、目指すはGF長官だ」
海軍軍人になったからには、やはり目指すは海軍大臣・軍令部総長・連合艦隊司令長官という三職だろう。
当然、競争倍率も高いが、栗田としても一度は憧れのGF長官の椅子に座りたいとも思っていた。夢幻会派の近藤大将の後は
小沢中将の就任が有力視されているが、その後なら小沢(37期)の後輩である栗田(38期)が狙える可能性はあった。
「中々負担が大きい仕事だが、ここが踏ん張り時だ。ハワイ沖海戦での突撃だけで終るのは嫌だしな」
南雲が聞いたら「第一次遣欧艦隊司令官以外に出番(武勲)に恵まれなかった俺に謝れ!」と激怒することを呟く栗田だった。
提督たちの憂鬱外伝 戦後編13
欧州を襲った寒波も3月に入ると、漸く終わりを告げようとしていた。
各国が大寒波の後始末に追われ、一部の人間が頭を抱えている頃、ポーランド事変の当事者であるドイツ第三帝国は
その後始末に取り掛かっていた。
しかしその後始末の内容に、多くの人間(特に日本人)は閉口する。
「ドイツ人は文明人だと思っていたのですがね」
閣議の席で吉田がそう皮肉るほど、ポーランド事変は凄惨な結果に終った。
旧ポーランドの主要都市に対して行われた無差別攻撃(化学兵器含む)を含むドイツ軍の攻撃によって、ポーランド領内で発生
した主だった反乱は鎮圧された。当然、それによって算定が不可能なほど夥しい数の命が失われた。医療活動が全く行われなかった
こと、元々衛生状態が悪かったこと、大寒波と疫病の流行もそれを後押しした。
残った人々も四散し、生き残る術を求めてリトアニアに逃れた人々は、ポーランドに恨みを抱いている多くのリトアニア人に
よって手荒い歓迎を受けることになった。特にリトアニア人から志願した者達で構成された武装親衛隊は、ドイツ軍以上に武装難民
と化したポーランド人を攻撃した。そこには躊躇の欠片もなかった。
日本側はポーランド人の虐殺に対して、懸念を伝えたがリトアニア政府は「武装難民への対応である」として表向きは黙殺した。
ただし裏では捕らえたポーランド人の一部を非公式に様々な名目で日本側に引き渡して、日本側にも配慮する姿勢を見せていた。
「ドイツも怖いが、日本との関係もある程度は築いておきたい。これが彼らの本音だろう」
吉田はそう分析し、東欧の諜報活動を指揮する杉原千畝やスイス公使の加瀬俊一へ情報収集の強化を命じていた。
だがリトアニアのそんな配慮があったとしても、ポーランド人の死者数の増加が止まることはなかった。
「これから増えるであろう凍死者、病死者、餓死者、それにドイツが進めるポーランド人のウクライナへの追放政策も考慮すると、
北米に移送できるポーランド人は最大で300万人、最悪の場合は200万人に満たないかと」
「「「………」」」
「どこぞの奴隷制民主主義国家並の反乱鎮圧だな」……それが報告を聞いた夢幻会の人間達の感想だった。
ただし、殺した人間においてはヒトラー、そして赤い魔王スターリンさえ足元にも及ばない者達……衝号作戦関係者は「俺達は
ヒトラーよりも2桁以上、大勢の人間を殺しているがね」とも心の内で呟いた。
(まぁポーランド人の場合、周辺国に恨まれすぎたからな……いや、我々もこれを他山の石とするべきか? しかしこちらの
隣国の朝鮮、中国、ソ連は日本が弱ればすぐに牙を剥く連中だからな)
嶋田は現実逃避気味にそうぼやいた後、すぐに気分を切り換える。
「しかし、その人数もドイツが引き渡しに応じた場合では?」
この嶋田の指摘に田中は頷く。
「はい。仮にドイツが徹底的にポーランド人潰しに掛かれば……脱出できるのは4桁が精々です。それにポーランドに残って
いるのは動けないか、死兵と化した者達が多く、ドイツが方針を転換したとしても北米へ脱出させられる見込みは非常に少ないかと」
「「「……」」」
何人かは頭痛を覚えたのか、こめかみを指で押さえている。嶋田もこめかみを抑えたくなる衝動に駆られつつ、口を開く。
「まず問題はポーランド自治領構想をどうするか、でしょう。正直、余り人がいないと盾にはなりません。疾風を彼らの目と鼻の先で
飛ばして威圧すれば、連中も少しは頭を冷やすでしょうが」
そこで辻が冷や水を浴びせる。
「ここまで来るとポーランド軍の監視も強める必要があるのでは? 暴発されたら面倒です」
「「「……」」」
現地のポーランド軍では動揺が広がっているとの報告をここにいる面々は聞いていた。仮に、怒りに駆られた一部の軍人が暴発すれば
北米で騒乱が起こりかねない。
「陸海軍情報部、それに情報局が協力して監視する必要はあるでしょう。万が一の鎮圧作戦も立案したほうが良いと思われます」
田中の意見に異論はなかった。ここで杉山は嶋田に尋ねる。
「彼らの穴埋めは、オーストラリア軍、ニュージーランド軍を?」
「いえ、カリフォルニア政府は自由ポーランド軍が抜けた穴は自分で埋めると言っています。引き換えに援助を要請していますが……」
「現状でオーストラリア軍を使うよりはマシ、か」
近衛は杉山の台詞に同意するように頷くと、話題をポーランド自治領に戻す。
「規模は縮小され、盾としては不満があるが……『ショーケース』としてなら、最悪200万人以下の人数の自治領でも十分。
精々、ポーランド人にはナチスドイツの蛮行を語ってもらいましょう。ドイツが暴力に狂った国家であると喧伝すれば勢力圏の引き締めの
助けにもなる」
殺されたポーランド人に対して、多少の哀れみと同情はあった。しかしそれさえ最大限、利用することが彼らの仕事だった。
近衛の意見に反対する人間はいない。山本も多少渋い顔だったが、異論は口に出さない。近衛の政策が有効であると判っていたからだ。
たとえ虐殺の犠牲者を見世物にするという眉を顰める行為であったとしても、必要な行為であるなら実行するのを躊躇ってはならない。
「しかしそれでもドイツが意固地になったら?」
「その時は、ドイツ勢力圏への工作の材料とします。反逆すれば皆殺し。確かに抑止力にはなるでしょう。ですが同時に恐怖による統治は
反動も大きい……火種には十分です」
「枢軸各国の不信感も煽れるだろう。それにドイツ本国にも、ナチスの蛮行を危惧する者がいる。ナチス、いやヒトラーが健在な内は
容易に動けないだろうが……ヒトラー以後なら、可能性はある」
辻と近衛は転んでもただで起きるツモリはなかった。
「しかし戦略は見直しが必要となる。北アメリカの情勢は決してよいとは言えない」
山本の台詞を聞いた面々、特に軍人達は嫌な顔をした。彼らの脳裏にはきな臭くなっている北米の地図が頭に浮かんだのだ。
欧州枢軸、特にドイツはイタリアの協力を得つつ穀倉地帯の確保を目指して、カンザス方面に進出していた。
旧カンザス州、旧ミズーリ州を中心とした地域に傀儡政権を樹立し、旧ノースダコダ、旧サウスダコダ地域への工作活動も活発だった。
この進出を可能にしたのはミシシッピ川だ。この巨大な河を利用して欧州枢軸は北米内陸にその版図を拡大しようとしていた。
当然、面白くないのはイギリスだったが、防疫という大義名分を振りかざすドイツを制止することは出来なかった。
様々な駆け引きの結果、ミシシッピ川を『防疫』の名目で利用するためにニューオーリンズは欧州列強共同の租界と化している。
一方でテキサス共和国はドイツ軍から購入した兵器を使って周辺地域への威嚇を強めていた。すでにテキサス共和国は旧オクラホマ州と
旧ニューメキシコ州の多くを併合し、その食指は『コロラド民主共和国』にさえ伸びつつあった。
対する日本は緩衝国家として建国した峡州共和国、旧ユタを中心として建国されたモルモン教を国教としたディザレット聖法国(中立)、
旧アイタボを2つに分割して併合したワシントン共和国、オレゴン共和国、そして英国寄りのモンタナ共和国を防壁としようと考えていた。
これで日本と欧州枢軸の関係が悪くなければ、西海岸の工業地帯を後背地として、封鎖線の構築がより容易となるのだが、現実は
そうではなかった。
故にポーランド自治領は東の防壁の一部として利用しようと考えていたのだが、その計画はポーランド事変とドイツの対応で頓挫しつつ
あった。むしろポーランド軍の暴発も考慮しなければならない状態だった。
「カナダとの協力も積極的に進めるべきだ。幸い豪州ほど反日感情はないため、協力関係も結びやすい」
山本はそう言い、嶋田も同意する。彼らはカナダの復興を助け、同時にカナダ軍増強に力を貸すことで北米での負担軽減を
図っていた。仮にカナダ海軍が軽空母を保有できるようになれば、大西洋での軍事バランスは大きく変化するのだ。
「ドイツを北米で牽制するにはカナダの復興、いえ発展が必要不可欠、と?」
古賀の問いかけに、近衛と辻は頷く。
「カリフォルニア共和国だけでは、力不足と言える。かと言ってカリフォルニア共和国があまり強大化する政策も好ましくない。
ワシントンとオレゴンについても同じだがね」
近衛は西海岸の三ヶ国を敵視することもしなかったが、過度に信用することもなかった。
最有力国のカリフォルニアに梃入れしたために、再び旧アメリカが統一されたら面倒なことになる。そのことも考慮して日本は
カリフォルニアへ支援をする一方で、モルモン教を国教とするディザレット聖法国の建国を認め、さらにワシントン、オレゴンの2ヶ国による
アイタボ併合を容認して2ヶ国の梃入れも同時に行い、旧アメリカ領が統一されないよう楔を打ち込んでいる。
アメリカ合衆国の復活、それこそが夢幻会の最も恐れるシナリオなのだから。
「カナダへの梃入れはよいとしても、北米大陸の覇権をカナダが握る危険は?」
杉山の返しに対して、山本と近衛は首を横に振る。
「カナダの潜在力は確かに侮れないでしょう。しかしあの国が力を蓄えるにはまだ時間が掛かります。ならば手はあります」
「カナダの大国化は北米安定化のためには容認せざるを得ない。ポーランド軍の問題もある以上、頼りになる友邦は一つでも多く必要だ。
陸軍としてもインドがある以上、北米への深入りは避けたいのでは?」
「ふむ」
日米戦争、メキシコの暴走を防げなかった記憶があるためか、杉山は渋い顔のままだった。だがカナダと予め話を通して利害を
一致させることが出来れば、多少カナダが強大になっても問題はないと考え直す。
(北米大陸の番人の一つとして機能してくれれば、多少のリスクは容認できるか。それに大西洋大津波のことがあればそうそう簡単に
戦争しようとは思わないだろう。あと西海岸三ヶ国、そしてディザレットなどが力を持てば、カナダも軽挙には及ばないだろう)
そう判断すると、杉山は山本や近衛の意見に同意した。
「確かに……しかし中々、物事はこちらの思う通りには進まないものだ」
夢幻会はポーランド人自治領を東方の盾(それも日本に忠実な)として組み込み、ワシントン、オレゴンの安全を確立した
上で、これらの地域で緑の革命を達成して食糧供給地とすることを望んでいた。食糧事情が安定すれば、北米、そして東南アジアの
治安も大きく改善されることになり、各国の整備も加速して早期に軍にも余裕が生まれる……それも夢幻会の目論見の一つだった。
だがその目論見は水泡に帰そうとしている。ヒトラーはやり方は乱暴だったが、日本の目論みの一つを確実に潰したと言っても
良かった。杉山は戦後になっても降り積もる厄介ごとの数々も思い出してぼやく。
「全く、この世は儘ならない」
「それは判りきっていたことでは?」
この辻の突っ込みに、杉山を含めて夢幻会の最高幹部達は苦笑するしかなかった。
最初から自分達の戦略が成功していれば、日本は列強筆頭ではなく次席か第三位に過ぎず、米英どちらかと組んで海洋国家連合の一員と
なっていただろう。そうなっていさえすれば、日本はここまで手を広げずに済んだのだ。
(何もかも上手くいっていれば、我らはあのような大罪を犯さずに済んだのだ)
衝号作戦。あの忌々しい名前を思い出すたびに、嶋田は苦いものを感じていた。
そんな嶋田の内心を知ってか知らずか、辻はカナダとの関係が如何に重要か説いた。
「幸いカナダ復興のために、日本企業の参入が打診されています。カナダには有望な天然資源(ウラン含む)が多数あります。
これらの開発に一枚噛むことができれば大きな利益になるでしょう。何しろ、我々が開発できる範囲は限られていますので」
グローバル経済とは程遠い世界であることを、前世持ちの面々はよく理解していた。
会合に出席した面々は、さらに突っ込んだ議論をした後、カナダに対する方針を決した。
「後は、栗田艦隊が英本土で、疾風を飛ばすのを待つのみ……ですかな?」
近衛の問いかけに、嶋田は頷く。
「ドイツ側も富嶽迎撃のため噴進機(情報によればMe262に相当する機体)の開発も進めているでしょうが……」
「それらの前に疾風が飛ぶ。面白い出し物になるでしょうな」
「ポーランド事変に対する返礼です。折角、先方から有難い贈り物を頂いたのです。返礼しなければ失礼です」
「確かに礼儀は重要ですな。聞けば、ドイツも大寒波で手酷い被害にあったとか」
「寒さの余り、体力が落ち、頭の働きも鈍っているかもしれません。疾風が飛べば、目が覚めて多少は頭も回るでしょう」
杉山は「頭が回るどころか、オーバーヒート(発狂)するのでは?」と内心で思ったが敢えて突っ込まない。航空行政に
通じたこの男は、振り回されるであろうドイツの関係者に対して、心の内でそっと黙祷を捧げた。
(化けて出るなら、あいつらの枕元に頼む)
内心でそう呟くと、お猪口に日本酒を注いだ。
嶋田がこの呟きを聞けば「あなたも疾風の開発については同罪だろうが!」と突っ込むこと間違いないのだが、内心の呟きは外に
聞こえないので問題はない。
しかしあっさり同僚を生贄に出来る辺り、人情など紙風船のようなものというのがよく判る。
栗田艦隊がイギリス本土に到着する前に行われたイギリスの総選挙では、モズリー率いるBUF(イギリスファシスト連合)が
多数の議席を獲得した。既存政党への不信によって労働党と保守党、特に保守党は議席を大きく減らし、それを埋めるようにBUFが
英国議会で議席を得た。
だがモズリーの顔は優れない。党本部で彼は選挙結果を見て、苦々しく呟いた。
「思っていたより、しぶとかったな」
彼が言うとおり、既存政党、特に労働党は議席を減らしたものの、無視し得ない議席数を保有しており、BUFにとって面白くない
状態だった。イギリスの労働階級には、軍拡(再建)路線の保守党や栄光ある大英帝国復活を謳うBUFより、困窮する弱者の救済を
全面に出して主張する労働党を支持する人間が少なくなかった。大寒波で生活が脅かされたのも生活第一を掲げる労働党への支持を
維持したのだ。
またBUFがファシスト党と言うことから、BUFが露骨な親独政策、ドイツ追従政策を採るのではないかと危惧した人間も少なくなかった。
もしもイギリスがそのような舵取りをすれば、オーストラリア、ニュージーランド、カナダなどはますます本国と距離をとり、大英帝国が
復活するどころかイギリス連邦そのものが瓦解しかねない……一部の人間はそれを心配していた。
加えてイギリス上院もモズリーの言いなりとは言いがたい状況だった。円卓を中心にした勢力はモズリーが何とか維持されている日英関係
を破綻させる行為をしないかどうか精神を尖らせている。
「……嶋田総理と早期に会談を行い、誤解をとく必要があるな」
モズリーは首相就任後に行動で示すことで、自分達がイギリスを愛する者であり、ナチの走狗などではないことを世界に判らせる必要がある
と考えた。同時に下手に日本の神経を逆撫でする行為は、政治的リスクが高くなるのではないかと判断した。
(借りた金で日本の行動を縛ろうとしても、身内から何を言われるか判ったものではないな)
こうしてモズリーの戦略は(不本意ながら)修正されることになる。
今後を考えていたモズリーは、日本の選挙のことを秘書に尋ねた。
「日本の選挙は?」
「政友会が優勢です。しかし憲政会もしぶとく残っています」
「どうせ夢幻会が動いているのだろう。日本人は公正な選挙をやっているつもりだろうが……八百長試合だと知ったらどう思うかな?」
秘書は口に出さない。
しかしそこには民主主義への懐疑があった。そして民主主義へ懐疑を覚えているのは、彼らだけではなかった。
アメリカは国民が信頼し、信奉してきた民主主義の暴走によって滅びた。片や世界の敵と言われながらも、ソ連は生き残った。
本来なら崩壊してもおかしくないほどの打撃を受けているにも関わらず、生き長らえたのは、共産党による独裁体制があったから
こそだった。そしてドイツでさえ津波の後の混乱を無事に切り抜けたのはナチスによる強権支配があってこそだった。
(国家の危機において、民主主義というのは果たして適当な体制なのだろうか?)
そんな疑いが出てくるのは当然の流れであった。
そしてそれは日本でも同様だった。選挙において、夢幻会が押す政友会は勝利を収めつつあった。しかし国民の間では『非常時』において
は政治家(文民)よりも軍人、或いは軍務経験者が政府と軍を強力に統制するのが最も良いのではないかという考えが広まっていたのだ。
「平時には今の体制でも良いのだろう。だが、非常時においては文官に委ねるのは不安だ」
戦争とその後の相次ぐ天災に的確に対応し、日本の安全を守り続けてきた政府の首班が武官である嶋田であったことが、より説得力を
持たせていた。
夢幻会の情報を知っている者達は、日本が軍部による独裁ではなく、もう一つの『議会』によって統治されていることを理解していた。
故に夢幻会が公的機関となれば、夢幻会内部の文官と協力することで武官の影響力がこれ以上増大するのを防げるのではないかと考え
夢幻会の公的機関化に賛同する動きが広まっていた。
総研と枢密院の強化は確かに問題もあるが、逆に文官が軍への影響力を得られる好機と捉える人間も少なくなかったのだ。
「危険はある。だが同時に我々が軍に干渉できる場でもある。物事をなすには多少の危険は付き物だよ」
内務省出身の政治家はそう評した。
一方で多くの政治家達は嶋田の後を継ぐ人間を巡って頭を抱えていた。嶋田が叩き出したとされる成果、そして陛下から全権委任を
受ける程の厚い信頼を考慮すると下手な人間を総理に出来ないのだ。総理大臣の席に色気を出す者も少なくないが、まともな思考力を持った
人間は偉大な前任者と真っ先に比較される『次』の総理になることに躊躇する者も増えていた。嶋田の成果も、夢幻会のバックアップがあって
こそだが、逆に言えば夢幻会のバックアップが無い場合、どうしても前任者に対して見劣りする可能性が大となる。
「嶋田元帥の後を継いだ文官がもし大きな失敗をしようものなら、議会への信用が大幅に低下してしまう」
「そしてその次に夢幻会の支援を受けた武官が総理として大きな成果を挙げれば、少なくとも衆議院は不要とさえ言われかねない」
「仮に夢幻会の支援を頼んでも、夢幻会内部の軍人達が果たして頷くかどうか……ただでさえ軍人達は鼻息が荒い」
料亭や議員会館、高級クラブなど様々な場所での話し合いの結果、嶋田の次は彼の前任者である近衛文麿に再登板してもらい、その後、また別の
文官を総理に据えるのが良いのではないかという機運が高まっていた。陸海軍以外の各省庁の官僚達にも同様の意見が広まっている。
夢幻会最高幹部である近衛を担ぎ、夢幻会の力も利用して文官の信頼性を回復させた後、さらに別の文官に引き継げば問題はなくなると
いうのが文官達の発想だった。火中の栗を拾う真似を避けたとも言うが……。
夢幻会側にも切り札である吉田茂を登板させるのは、近衛が中継ぎをした後がよいとの声があった。
「やれやれ、我々も信用されていないな」
自分を担ごうとする男達と自宅で話し合った後、近衛はそう呟いた。
だが何はともあれ、切り札の吉田茂をあっさり潰される訳にもいかないのも事実だった。故に近衛の総理再就任は考慮するに値する手
ではあった。嶋田内閣、第二次近衛内閣で外相として吉田に得点を稼いでもらい、万全のお膳立てをした後に首相に推薦する……手堅い方法だった。
しかしそんな雰囲気に苛立つ者たちもいた。
「……連中は自分の力で、何とかしようと言う気概すら無いようだ」
帝都内の小寺。そこで同志達から報告を聞いた村中少将は、腸が煮えくり返る思いだった。
「夢幻会は使い物になる官僚の一部を政治家に転身させることで、議会政治の立て直しを図っているとのことですが」
「その芽が出るのは時間がかかるな」
「しかし既存の政治家よりは遥かに使えるだろう。それに……転身した人間の中には我々の同士もいるのだろう?」
「ええ」
当初は、夢幻会を鳴り物入りで公表して議会政治を潰そうと考えていた彼らだったが、イギリスが円卓を構築し、ドイツが奴隷制度を
復活させるという暴挙に及んだことで今は鳴りを潜めることにしたのだ。
それは日本が混乱することで賢人政治に舵を切ったイギリスや、有色人種を劣等種と見做して民族浄化を行い、同じ白人であるスラブ系すら
奴隷にするドイツに付け入る隙を与えるほうが拙いと考えた結果だった。
「業腹だが、こうも世界情勢が緊迫している以上は止むを得ないだろう。だが国民を惑わす一部のブンヤ、政治屋共について監視は怠るな。
下手をすれば連中は日本を地獄に引きずり込むぞ」
飄々とした態度で、同志達にそういうと村中は寺を後にする。
(ブンヤは、自分達の報道がどのような結果を齎すか全く考えていない。いや判っていても、その後は政府の仕事と思っているのか。どちらに
せよ愚かなことだ。報道や表現の自由だと? それも国が滅べばどうなるか判っているのか……)
ポーランド事変の真相が完全に明らかになれば、ドイツに対する反発は凄まじいものになる。
部数を伸ばすだけに、マスコミが戦争を煽るような真似をすれば日本は国難を招き入れない。戦前、ハースト系の新聞がどれほど
戦争を煽っていたか、そしてその結果を知っている村中の危惧は決して的外れなものではなかった。
同時に、戦争を煽りながらも、戦後はあっさりと転向して英雄面をしているハーストを、村中は毛嫌いしている。
(あんな人間を賞賛するだと? 民主主義というのは本当に救いがたいな)
そんな感情は決して表には出さないし、それでハーストを潰そうとは思わない。日本の利益になるのなら売国奴だろうが何だろうが
利用するのは当然だった。だがそれでもハーストという男のあり方は、彼にとって容認できる限界を超えていた。
「あの男も、あれを賞賛する連中も、頭の中にどんな虫が湧いているのだ?」
小声で掃き捨てると、疾風の早期公開について思い出す。
(確か、日本に移転を決定した企業を叩いていたブンヤの中にはハースト系新聞もあったな。どれだけの大魚を逃したか、思い知れるが良い)
村中は少し意地の悪い笑みを浮かべる。
「久しぶりに楽しみが出来たな」
こうして多くの人々に期待された疾風を載せた空母白鳳を旗艦とした栗田艦隊は、ついに英本土に到着した。
3月末にイギリス、スカパフローに入港した栗田艦隊は、冷え切った日英関係を吹き飛ばすために用意された歓迎レセプションを受けた。
第一次世界大戦では外様扱い、先の大戦でもここまで大歓迎は受けなかった分、イギリス側がどれだけ日英関係に気を払っているかが窺い知れる。
ただ一度裏切られたと思っている多くの日本海軍将兵からすれば「白々しいことこの上ない」というのが感想だった。
「けっ、何が大歓迎だ。肝心な時に裏切って、後ろから撃とうとしたくせに」
「火事場泥棒の蝙蝠野郎が」
「誰が好き好んで、ここに来るか」
かつてBOBで同僚を多数失った搭乗員達は、甲板の上からまるで汚物でも見るような態度をとっていた。
駆逐艦の乗組員も似たような反応だった。何しろ日本海軍は地中海戦線でイタリア軍、ドイツ軍と激戦を繰り広げた。その結果、日本海軍は阿賀野型
巡洋艦の前期生産型の過半を喪失し、駆逐艦も多数失った。日本海軍は地中海での戦いにおいて対米戦争よりも、多くの被害を出したのだ。
駆逐艦『冬月』の艦上では、かつて地中海で乗艦を撃沈され仲間を多く失った将兵達が苦い顔をしていた。海軍省としてはあまり問題が起こらないよう
に人員と艦を選抜していたのだが、さすがに人間の感情まで制御できない。そもそも今の日本海軍の屋台骨を支えているのは、対枢軸、対米戦争を
生き抜いた将兵達なのだ。
こんな状況ゆえに、嶋田もイギリス支援を積極的に打ち出しにくいのだ。権力があるから何でも出来るわけではない。
そしてそんな艦隊の空気を察している栗田中将は、軽くため息をついた。
「遺恨は消えず、か」
白鳳の自室でそう嘆息する。だが、そんな栗田を慰める男がいた。
「海軍は、地中海と大西洋の両方で多くの血を流しました。仕方ないでしょう」
彼の名前は陸軍大将・前田利為。旧加賀藩前田家本家16代目当主であり、侯爵に列せられる帝国華族であった。
史実では昭和17年に亡くなった前田大将だったが、この世界ではそんなことはなく東条大将とも良好な関係を維持していた。前田大将は
東条を『変わり者』と評しつつも、『先が見える男』とも見ていた。
そしてこの前田大将は、東南アジア各国の軍関係者との会合、カリブ海大演習の際に開かれる各国の軍高官達との交流会に参加するべく
栗田艦隊に同行していたのだ。侯爵という爵位を持ち、300年もの長い歴史(日本では新しい方だが)を持つ前田家の当主を務める前田大将は、
交渉の場において大きな力となると期待されていた。
「陸軍のほうはどうでしょうか?」
「イギリスに腹を立てている者もいますが、流した血の量が違うので海軍ほどではないので……」
「……」
歓迎レセプションを受けた後でも、栗田艦隊に所属する日本海軍将兵の態度は硬いままだった。
対英不信というのは、そうそう簡単に直るものではなかったのだ。一部の剛毅な人間は溜まりに溜まった航海手当てで遊ぼうとする者もいるが、数は
多くない。
「白人全てを敵視するようなことはないのが救いです。ロシアからの亡命者、それに北欧諸国のおかげでしょう」
栗田の台詞を聞いた前田は同意するように頷いた。
革命によってロシアからアナスタシア皇女と共に海外に脱出したロシア人貴族は少なくなかった。
亡命者の多くはアメリカや欧州にさらに住処を移したが、アナスタシア皇女と共に日本に残った人間も大勢いた。彼らとの交流の結果、日本には
多くのロシア文化が流れ込んだ。ロシア正教の教会さえ多数建設されている(当然、対ソ連の情報活動にロシア正教は協力していた)。
このため白人というのは、日本人にとってそれなりに身近な隣人であった。
ちなみに当時、極東の辺境と言われた日本に残った者達こそ、欧米に移民したロシア系市民から勝ち組と見做されていた。日本に持ち込んだ
財産を利用して財を成した者も多く、そうでない者でも欧米に渡った人間よりはマシな生活を送っている者が多い。
「旧ロシア人貴族のツテを使って接触を図ってくる者もいます。うまくすれば辻蔵相の持つ窓口以外にも、有力な交渉の窓口が設けられるでしょう」
穏やかな口調でそう言う前田大将だったが、その裏では多くの駆け引きにも携わっていた。
前田家は戦国時代から明治維新まで多数の激動を生き抜いてきた家であり、彼はその当主であり、その地位に相応しい能力も持っていた。吉田茂も
軍人であるはずの彼の交渉能力を買っていた。
「……宜しくお願いします」
「ははは。任せてください」
そう笑いながら、前田大将は出て行った。それを見送った後、栗田は見えないところで繰り返されるであろう陰謀劇を想像して、少しゲンナリした
顔をした。前田大将には外務省や情報局の職員も同行して、各地で色々と動いているとの情報は栗田の耳にも届いていたのだ。
「陰謀の本場か……『霧の街』では一体、どんな話が進んでいることやら」
そう呟いた後、気にしても仕方の無いことを考えていては通常の業務に支障が出ると栗田は思い直した。
「……まぁ良い。とりあえず大きな問題を起すことなく、疾風を飛ばせれば良い」
そして西暦1945年、昭和20年4月1日。この日は多くの人間にとって忘れられない日となった。
「疾風が量産されれば、日本海軍に敵はないな」
フィリピン沖、ハワイ沖海戦でエースとなった武藤金義飛曹長は、自身が乗る四式艦上戦闘機一一型『疾風』の操縦席でそう確信した。
2年前に登場したばかりの烈風改さえ比較にならないほどの加速を自分の体で味わいつつ、この男は模擬空戦の相手である英空軍の
スピットファイアを翻弄している。辺りを見渡せば、武藤機と同じように僚機の疾風がスピットファイアを圧倒していた。
推力3200kgという時代を先取りした倉崎が誇る軸流圧縮式噴進発動機「誉」。そしてノースロップ技術陣によって
適用されたエリアルールにより、音速付近での抗力増大を抑えられるめりはりがある機体の組み合わせは、恐るべき威力を発揮している。
(ドイツ人が爆撃機で毒ガスを撒こうとしても、この疾風なら敵の護衛機を振り切って爆撃機を真っ先に叩き落すのも容易だ)
武藤がそう思ったとき、後ろ上方から迫ってくる敵影に気付く。その機動からそれなりの腕利きであることを武藤は悟った。
しかし余裕は崩れない。
「また来たか」
2機のスピットファイアを見た武藤は軽く笑って機体を加速させる。慌てて追いすがろうとする2機。しかし彼らの努力を
嘲笑うような光景が現出する。
「さて、イギリス人。これでも着いてこれるか?」
推力3200kgの誉エンジンが5t以上ある機体を一気に加速させる。 1100km/hもの最大速度を叩き出す誉エンジン
が齎す加速はレシプロ機では考えられないものだった。高度差を利用して速度を得たはずのスピットファイアが瞬く間に振り切られる。
スピットファイアのパイロット達は「まだ速く飛べるのか!?」と驚愕し、動揺しているのが武藤にも判った。
「零戦(烈風)とは違うんだよ! 零戦とは!」
強力なGによってシートに体を押さえつけられているにも関わらず、武藤は高らかに笑った。
辺りを見渡せば、英軍のスピットファイアは常識をはるかに超える速度で飛び回る『疾風』に手も足も出ない。
グリフォンエンジンを搭載した機体でさえ、赤子の手を捻るようにあしらわれるのだ。悪夢としか思えない光景だった。
『何て化物を作り出したんだ、日本人は!』
その台詞は、搭乗員達だけでなく、その光景を見ていた者達すべての感想だった。
イギリス海軍大将であるトーマス・フィリップスは、目の前の光景が信じられなかった。
(あれが噂の新型機だというのか……いや、しかしあれは、あれでは……)
白鳳の露天艦橋から見えるのは、大空を切り裂くように飛ぶ四式戦闘機『疾風』の群れであった。
レシプロ機とは異なる異形の、それでいて優美さを感じさせる機体が轟音と共に、既存の戦闘機では全く考えられない程のスピードで
空を駆けていく。その光景にフィリップス以外の将校も見惚れていた。空軍将校に至っては「あのような機体がBOBの時にあれば……」と
悔しがった。そんな彼らを現実に戻す声が、彼らの鼓膜に飛び込む。
「どうですか。我が軍の最新鋭戦闘機・四式戦闘機『疾風』は?」
フィリップスを含む英軍人達を招待した栗田中将の問いかけに、フィリップスは素直に賞賛の言葉を送る。
「素晴らしい、この一言以外に言うべき言葉はありません」
「イギリス軍の方々からそのような高い評価を頂けるとは」
「光栄です」と続けた栗田だったが、イギリス側からすれば嫌味にも聞こえた。
イギリス海軍の艦上戦闘機は日本海軍から輸入した烈風であった。スピットファイアもあるが、大西洋という海で戦う際には
航続距離が長く、さらに爆装も可能な烈風が望ましかった。当然、イギリス海軍には国産機を使うべしという声もあったのだが
スピットファイアなどの国産機は空軍再建のために、最優先で空軍に回されていた。よってプライドの高い軍人の中には日本製を使う
のは急場しのぎと自分に言い聞かせていた。
だが今回見せられた疾風は純国産機の非力さを否が応でも思い知らせるものであり、イギリス人のプライドはズタズタだった。それでも
それを表に出さないのは、彼らなりの矜持がなせる業だった。
「疾風の前には、ドイツ軍の戦闘機など止まった的も同然です。尤も疾風が最優先で叩くべき機体は……枢軸軍の爆撃機になるでしょうが」
「なるほど」
イギリス側、特にフィリップス大将は納得した顔になる。
確かに日本側は解毒剤を有しているが、それでもドイツ軍が化学兵器を使用すれば被害は免れない。被害を更に抑えるためには、化学兵器の
投射手段の一つである航空機を叩くのが適当だった。
「それで日本はこの優れた戦闘機をどうされるおつもりで?」
「我が国は『友邦』を見捨てません。政府の決断によっては欧州方面へ派遣されることになると思います」
『友邦』という単語に、数人のイギリス軍将校の顔が少しだけ引きつる。
「そ、それにしてもこのような戦闘機があるとは商談の際に聞きませんでしたが?」
「型落ちした戦闘機を高値で売りつけるじゃないのか?」と思う人間がでるのは当然だった。しかし栗田は軽く流す。
「四式戦闘機は『対米戦争における決戦兵器』との扱いで、我が国の技術の粋を集めた機体とも言えます。そうそう国外に出せるものではありません」
「それでは北欧諸国にも供給しないと?」
「かの国々にどのような兵器を輸出するかは政府同士が決めることですので。ただ『友邦』には相応の配慮がなされるかと」
「「「………」」」
辻は「友好的なお得意様にはそれなりのサービスを提供しますよ?」とその筋に流していた。フィリップスは裏切りの代償が如何に高くついたか、
そして自分達が如何に胡坐をかいて新技術開発を怠っていたかを思い知った。
(我が国の戦闘機開発計画は根底からひっくり返ることになるぞ……)
イギリス空軍省や各メーカーが頭を抱えるのが目に見えるようだった。富嶽を迎撃する手段さえ構築途中なのに、疾風という化物まで現れたのだ。
ドイツ人が受ける衝撃よりはマシとは言え、どれだけの技術者と将校がノイローゼになるか判ったものではない。
「そ、それにしても日本側のカードの多さには脱帽です。まさかこのような隠し玉まで用意していたとは」
「用意する手札は多いほうがよいので。ただ本格的なお話は前田大将達とされたほうが宜しいかと思います」
この話し合い(腹の探りあい)の後、疾風は一般市民の前を悠然と飛んだ。
日英軍が、いや世界各国がこれまで開発してきたどんな戦闘機よりも、力強く、そして早く飛ぶ異形の戦闘機……その姿は多くの人に強い印象と衝撃を
与えることになる。
あとがき
提督たちの憂鬱外伝戦後編13をお送りしました。
疾風のお披露目をメインで書こうと思っていたのに、何故か他のシーンがメインになりました(苦笑)。
模擬空戦で武藤さんが出たのは……舞台がイギリスだったからでしょうか。某魔女のネタ的に(爆)。
次回で各国の反応を出す予定です。
肥満元帥は、果たして耐えられるのか。さらに日本の海洋航空戦力がさらに強化されたことを知った電探元帥も……
尤も電探元帥の場合は、今回耐え切っても次にカリブ海大演習がありますが(汗)。
それでは拙作にも関わらず最後まで読んでくださりありがとございました。
提督たちの憂鬱外伝戦後編14でお会いしましょう。