戦後秩序が決められたサンタモニカ会談から8ヶ月近くが経ち、当初は熱狂していた日本国内も平穏を取り戻しつつあった。
時間の問題に加えて、世界各地で吹き荒れる異常気象が日本人に冷や水を浴びせていたのだ。日本国内でも冷夏によって国内農家は
大きな打撃を受けていた。日本政府が前もって食糧を輸入して備蓄に励んでいたこと、困窮する農家への補償の準備をしていたことも
あって大きな騒ぎにはならなかったものの、日本人を冷静にするには十分だった。
「鳥取地震に続けて、この異常気象……神風とばかりは喜んでいられないな」
「非常時に対する備えは必要だな」
大西洋大津波を『神波』と称していた者達も南北アメリカ、アフリカの被害、そしてこの異常気象によって手を叩いて喜んではいられなかった。
尤も神波を煽っていた者の中には、すぐに日本政府や経団連などが進めていた防災キャンペーンに乗り換える者さえ居た。
「備えあれば憂い無し!」
「国を挙げた防災計画こそ、国家百年の計に適う!」
「アメリカの愚を繰り返さないように手を打たなければならない!」
影に日向に仕向けたとはいえ、一部の評論家やマスコミ、そして政治家の掌返しに嶋田たちも苦笑いを隠せなかった。
だがそれを苦笑いで済ませられない男も存在していた。
「……全く、困ったものだ」
真新しいビジネスビルの一室で、トレンチコートを着た男は表向き飄々とした表情で呟いていた。だがその心の奥底では自身の言動や行動に
責任を持とうとしない者たちへの侮蔑で満ちていた。
男……村中少将がいるのは国際都市『天津』。ここで村中は大陸での諜報戦の指揮に当っていた。
「自分達がどれだけ恵まれているかも理解せず、悪戯に政府に不満をぶつけるしか能が無い連中は始末に終えないな」
海外で活動しているからこそ、村中は日本が如何に恵まれているかをその身で理解していた。
「世界の過半は困窮していることを理解しているのか? どれだけの人間が日本を羨望していることか」
北アメリカ東部の窮状振りは調査団の報告によって明らかになりつつある。その被害は筆舌し難いものであり、人類史上例を見ない物と言えた。
だが被害を受けたのは北米だけではなく、南米、アフリカ、欧州と広範囲に及ぶ。
欧州各国は沿岸部を中心に大きな打撃を受けた上、第二次世界大恐慌やその後の異常気象、泥沼だった東部戦線が彼らの窮状に拍車を掛けていた。
そして困窮したからこそ、彼らは奴隷制度を築いて口減らしを行い、北米で旧アメリカの遺産の略奪に精を出しているのだ。
だがそれでも、欧州の混乱と疲弊は続いていた。働き手を失った家庭は少なくなく、彼らは貧困に喘いでいる。大西洋沿岸の工業地帯と漁業は津波で、農業は
異常気象で大打撃を受けていた。食糧を輸入して糊口を凌いでいるが、この影響はボディーブローのように効いて来る。
中国では中央政府の統制が失われた結果、果てしない戦国時代に突入していた。これにソ連向けの奴隷貿易が加わったため社会の荒廃に拍車が掛かっている。
この荒廃によって喰うに困った者、奴隷として売り飛ばされることを恐れた者はここ天津や上海などに集まっていた。高層ビルから見渡せば、郊外には
大量のバラックが並んでいるのが見える。
そして難民達の中には日本、或いは福建共和国への密入国を企む人間が少なくないのが問題だった。豊かな日本、或いは日本勢力圏に潜り込もうとする
面々に日本側は頭を悩ませている。
それに加えて朝鮮からの密入国も問題だった。
裏切り者のレッテルを貼られた朝鮮では誕生した軍事政権の下、強権的支配が行われており反対派は容赦のない粛清を受けていた。また日本から支援を
受けているとは言え、飢餓が無くなった訳でもない。故に日本への密航を狙う人間はあとを絶えない。
だが皮肉なことに、そんな中朝よりもマシなのがかつて『世界の敵』と言われたメキシコだった。かの国は南米各国から冷たい視線を向けられた上に
国家主権すら制限され、列強による搾取さえ受けていた。だがそれでも北米安定化のために手心が加えられており、安価な賃金で扱き使われているとは言え、
最低限の暮らしは出来るように雇用も増えていた。
そして北米情勢を安定化させるため、そしてメキシコ人を懐柔することも兼ねて列強の間で新たな国境線を構築する話し合いが進められている。
「中朝よりも、マシな扱いを受ける『世界の敵』……何とも言えないな」
嶋田は会合でそう苦笑した。
片や日本は、列強ほど大きな被害を受けていなかった。それどころか複数の要因によって好景気を維持することに成功していた。まず
ソ連がロシア民族の存亡を掛けて工業化が推進したことによって日本企業は膨大な利益を甘受できた。ドイツとの約束もあって一定の制限が
あるとは言え、中古の工業設備でもソ連には高値で売れた。おかげで日本国内の設備の更新に弾みが付いている。さらにソ連は日本企業に特別な計らいを
しており、それが日本企業に進出を後押ししていた。
「(経済的な)シベリア出兵と言ったところでしょうか。尤もこの場合、シベリアの土に還るのは日本兵ではありませんがね」
某大蔵大臣が苦笑する程の状況だった。
このシベリア開発特需に加え、東南アジア特需、そして大西洋大津波によって引き起こされた輸送船舶の不足を補うために発生した世界的な
新造船需要拡大が日本の景気を下支えしていた。
円の価値の上昇もあって競争は不利になったものの、日本が入り込む隙もあった。また日本も勢力圏拡大で船舶需要が高まっていたことも造船
業界に活況を齎す要因となっている。
さらに世界各国が貧困や食糧不足に喘ぐ傍らで、日本国内においては日本政府の迅速な対応により国民が飢えるような事態は回避されていた。このため国民の間で
不満や社会不安は高まっていない。むしろ日本は『飽食の国』などと言われ必要以上に他国の嫉妬を買わないように苦慮しており、国際協力のためとして
余剰食糧や医薬品を『良心価格』で輸出するなどの措置さえ行っている程だ(余剰食糧を得るために漁業への梃入れも行われている)。
要するに日本政府は、いや夢幻会はうまくやっているのだ。にもかかわらず一部のマスコミや政治家が足を引っ張っている……そう感じているからこそ
村中の危機感は否応にも高まっていた。
「だがこうも混乱している状況では、夢幻会を華々しく登場させるのも難しいかも知れん」
さすがの村中も、激変する世界の中で政治的空白を一時的にでも作ることには躊躇した。
加えてつい先日、自分の元を訪れた知人・尾崎との会話が彼に迷いを生じさせていた。
「……帝国の混乱は、列強に付け入る隙を作るだけ、か」
尾崎は夢幻会の情報漏えいについてカマを掛けたのだ。勿論、村中は尾崎に悟られるようなヘマはしなかった。だが尾崎からの情報でイギリスが
賢人機関を独自に立ち上げ、日本を猛追する気配を見せていることを知った村中は、当初の計画を実行するのに躊躇いを覚えるようになった。
村中は賢人政治を高く評価するが故に、他国が賢人政治で日本を追い上げる中で日本の歩みを僅かでも止めるのは拙いのではないかと考えるようになったのだ。
「……今は馬鹿共が静かに自滅するように手を打つべきかも知れん」
提督たちの憂鬱 戦後編3
日本帝国が激変する世界情勢に翻弄されている頃、夢幻会によって行われた歴史改変で最も割を食ったと言える旧アメリカやメキシコでは
情勢安定化のために日本、ドイツが中心となって新たな取り決めがされようとしていた。
メキシコの隣国・グアテマラの首都『グアテマラシティ』に集まったカリフォルニア共和国、テキサス共和国、日本、ドイツなどの関係国、
そしてオブザーバー扱いのメキシコの代表者は、ある合意に達した。
「峡谷暫定自治区のヒラ川以南をメキシコに返還する」
それはメキシコがかつて奪われた領土が還ってくるという信じがたいニュースであった。
世界の敵扱いされて白眼視されているメキシコ人達はその信じられないニュースに喜んだ。だがそれは当然のことだがメキシコのためではなく、
全てはメキシコ以外の国のためであった。
時は1943年に遡る。
加墨戦争、或いは継続戦争などと言われる戦いで、旧アリゾナ、旧ニューメキシコ周辺は荒廃した。アリゾナは戦場になった上に暴徒化した
難民によって大打撃を受けた。その後、アリゾナは一旦はカリフォルニアの支援で復興を進めていた。しかし元々、アリゾナ、ニューメキシコは
人口密度が希薄であり、社会資本も乏しかった。このため独り立ちは困難であり、逆に周辺にとって不安定要素になるとの判断が下った。
よって一旦、アリゾナ、ニューメキシコは『峡谷暫定自治区』として再編成され、周辺国による復興支援が開始された。
だがその復興支援もつかの間だった。欧州が露骨に有色人種を奴隷化するなどの政策を取って日本の不信を煽り、テキサスが内政問題から
カリフォルニアを敵視し始めたために復興は頓挫寸前となったのだ。
しかし自治区の復興が遅れれば、ますます周辺が不安定となり、アメリカ風邪封じ込めに支障が出かねない。このため周辺国は新たな枠組みを
構築することを当事者抜きで図っていた。そして今回の合意に達した。
『峡谷暫定自治区のヒラ川以南をメキシコに返還する』、『旧アリゾナ州の西北端(グランドキャニオンを除いた区域)をカリフォルニア共和国に
割譲する』、『リオ・グランデ川以東の旧ニューメキシコ州をコロラドとテキサス共和国に割譲する』、『残りのコロラド川、ヒラ川、リオ・グランデ川に
囲まれた区域とグランドキャニオンが新生・峡谷洲共和国として独立する』……この4つが最終的に決定されたのだ。
表向きは、世界の敵扱いされたにも関わらず領土問題で一定の成果を得られたメキシコが得をしたように見えなくともないが、実際には
メキシコは旧アメリカ勢力と隔離されたも同然だった。
カリフォルニアとテキサスは、メキシコ合衆国が北進する理由となった『メキシコ系旧合衆国市民』を迫害から守るためというお題目を
掲げてヒラ川南側に強制移住させた。そしてその厄介者達を土地ごとまとめてメキシコに返すことで、自国内部のメキシコ人を誰にも文句をつけられることなく
排除したのだ。
「メヒ公がいなくなってせいせいしたよ」
それが旧アメリカ諸勢力の本音だった。特にカリフォルニアの白人は「メキシコがアホなことをした所為で、ジャップに頭が上がらなくなった」と
メキシコ人を恨んでいた。よって忌々しいメキシコ系の人間が『殆ど』消えたことはメキシコを暴走させた戦犯たちが処刑されたとのニュースを
聞いた時のように拍手喝采する程、喜ばしい出来事だった。
さらにメキシコが再び血迷って北進してきたときに備えて、新たな防壁『峡谷洲共和国』を樹立できたのだ。それに加え、今回の合意によって
メキシコ人が二度と領土問題で文句を言えないようにした。それでいて、メキシコには表向きは大恩を売りつけた。北米の諸勢力にとっては
一石二鳥どころか三鳥とも言える合意だった。
「これで南は気にしなくて済む。軍を東に向けられるし、国内も安定するだろう」
大統領首席補佐官であるハーストは執務室で安堵した。
カリフォルニア共和国は東から密入国を図る旧東部出身者に悩まされ、ドイツを盟主と仰ぎ、白人至上主義を掲げるテキサスとは対立していた。
それでいて南部にはカリフォルニアの領土に未練たらたらのメキシコまでいたのだ。三正面作戦など冗談ではなかった。
だが今回の一件で少なくとも南の問題は解決。東部でも新たな国境を定めたことで一定の安定を得ることになるのだ。喜ばない訳が無い。
「東部からの難民対策をしっかりしなければな」
アメリカ東部からの難民の大半は滅菌のために殺されるか、封鎖線の内部に叩き出されるか、運が良くても収容所送りだった。幾ら日本からの支援
があると言ってもそれなりに手間になるのは間違いない。その点、ドイツはさらにシビアだった。
ドイツは火炎放射器を装備した装輪装甲車であるSd.Kfz.238生物化学防護装甲車まで持ち込み、滅菌を行っている。
この車両は夢幻会の人間からは「『汚物は消毒だ〜!』を地で行く車両だな」と突っ込まれるような品物だったが、死体の後始末も同時にできるということで
テキサスでは活躍している。
何はともあれ、今後の展開に思いを馳せるハースト。だが、彼の部下は浮かない顔だった。
「しかし、黄色人種である日本人に頭を垂れるという行いに不満を持つ人間は少なくないようです。不安定要素になるのでは?」
その部下も心の底では納得していない様子だった。
この時代の白人にとっては、人種差別はある意味で当たり前だった。その彼らにとって自分達より格下のはずの有色人種の東洋の帝国を、それも自分達が
国際社会に連れ出した後進国を事実上の宗主国とすることに不満が出るのは当然の帰結だった。
「仕方ないだろう。ナチスの軍靴を舐めるわけにもいかんし、裏切り上等のイギリスも頼れん。民主主義を、いやアメリカの精神を守るには必要なことだ」
「……」
同じ白人であるナチスドイツやイギリスは約束破り、裏切りに定評があった。ハーストの言うとおり、例え肌の色が違っても必ず約束(契約・条約)を
守ってくれる日本人のほうが仕事はやり易い。
「確かに不満はあるだろう。だが東アジア開発特需で、我々の自動車工場も活況だ。景気がよくなれば多少の不満は問題なくなる。テキサスのカウボーイ
気取りの田舎者達が我々を敵視するのは国内がうまくいっていないからだろう?」
ナチスドイツの傀儡であるテキサス国家社会主義党は、カリフォルニアを『日本の傀儡国家』、『白人の裏切り者』と罵っている。
しかしそれは、テキサス経済がうまく回っていないためだった。テキサス政府は供給される大量の武器を使って周辺の各州を征圧し、強圧的な支配を
強いているものの、反発も強く統治コストが高い。そのため国内の不和から目をそらすために平和と(かつてと比べるべくも無いが)繁栄を謳歌している
西海岸諸国を敵視しているのだ。
「それに、私もカリフォルニアが何時までも日本の後追いでよいとは思っていない。いつかは追いつき、再び追い越さなければならない。東洋
の諺だが、今は『臥薪嘗胆』の時だろう」
そう言ってハーストは部下を納得させると退出させる。そして一人きりになるとハーストは吐き捨てた。
「ふん。愚にも付かないプライドのために餓死しろとでも言うのか? 愚か者共が」
彼にとって白人のプライドなど、一ドルの価値も無いものだった。プライドを利用して金儲けが出来るなら、白人至上主義でも何でも気取ってみせるが、
害悪にしかならないならそんなプライドなど屑籠行き……それがハーストという男だった。
「折角、自動車工場が稼動して儲けが出ているのだ。何が何でも日本との関係は良好に保たなければ」
アメリカ風邪という最悪の産物を作り出したアメリカ人は毛嫌いされているが、日本という後見人を得たカリフォルニア人は太平洋で、そして
南米でも商売が出来るのだ。そのメリットは何物にも変えがたいものだった。
「さてホーネットはイギリスにレンタルするが、残るエンタープライズ、ワスプ、ワシントンとノースカロライナはどうするか」
金食い虫の戦艦や空母は、今のところカリフォルニア共和国には不要だった。旧式戦艦はさっさと解体したが、艦齢が比較的若い艦はまだ残っている。
しかし解体するのも金が掛かるし、されど売り飛ばせる国もない。ドイツあたりは手を挙げるだろうが、日本が良い顔をしないのは判っていた。
(後はオーストラリア、か)
黄色い帝国に怯えるオーストラリアは独自の軍事力整備を目論んでいた。このためカリフォルニアが持て余している戦艦と空母は垂涎の的であった。
つい先日には、密かにレンタルを要請されていた。
だがオーストラリアは白豪主義であり、反日が強い国だった。そんな国が空母を持つとなると後が面倒になる。
「さてさて……」
机の中にしまっていた日本語の辞書(何故か漫画風の表紙)を取り出して、ページをめくりつつもハーストは思案にふけった。
一方、日本でも今回の合意を受けて多くの人間が安堵していた。
「これで安心してインド問題に目を向けられる」
会合の席で、近衛は一安心したとばかりに胸を撫で下ろした。
「インドと北アメリカの二正面作戦となると厳しいですからね」
辻の言葉に軍人達は一様に頷いた。北米で睨みあいをしながらインドでも戦うなど、無理もいいところだった。
「まぁ、北米で全面戦争となったら、それこそ人類滅亡を覚悟しなければならないだろう。北米防疫線が崩壊する」
この杉山の意見に、誰もが苦い顔をする。
現在のアメリカ風邪封鎖ラインの最前線は西がミシシッピ川、南がテネシー川となっている(北は勿論、カナダ)。
アメリカは東部から中部にかけて疫病で汚染されていると言っても良い状況であり、ここで下手な武力衝突はリスクが大きいと言える。だが日英独の
利害がぶつかっているのも事実であり予断を許さない状況とも言えた。
「何はともあれ、北米、いえ米墨国境が安定化できれば第1航空戦隊(大鳳、紅鳳)を引かせることが出来ます。前線の負担も軽くなるでしょう」
嶋田の言うように、現在、日本海軍は北米に睨みを利かせるために空母大鳳と紅鳳をメキシコ近海に遊弋させていた。定期的に富嶽もメキシコの
空を飛んでいる。他にも欧州連合艦隊が大西洋側からメキシコを威圧していた。
世界最大の航空母艦を筆頭に列強の艦隊が近海に遊弋し、原爆専用の超重爆が自分達の上空を飛んでいるという事実は、メキシコ人に巨大なプレッシャーを与えていた。
それはメキシコが『世界の敵』であったことを明確に告げるものだからだ。だがそれも今回の措置で終ることになる。
「白鳳も来年初頭には戦力化できます。インド戦への準備は整いつつあります」
アメリカ崩壊後に建造が再開された大鳳型2号艦『白鳳』はすでに完成して、慣熟訓練を開始していた。
さらにジェット戦闘機『疾風』も生産・配備が進められている。問題点の洗い出しも急ピッチで進んでおり、戦闘に際しても十分な能力を
発揮できると航空本部は見込んでいた。廉価版である超烈風の開発も順調に進んでおり、早ければ五式、遅くとも六式として配備される予定だった。
「しかし全体の戦力は少ないだろう?」
「ええ。正規空母は4隻あっても、うち1隻は訓練中。矢面に立たせられるのは今のところ3隻だけですから」
海軍は戦後の軍縮の一環として、新型機の運用に即さないとして赤城型を退役させ、飛龍と蒼龍は練習空母としていた。
戦艦は長門型2隻、伊吹型2隻を除いて悉く退役を余儀なくされる始末。国民から慕われている長門型2隻も欧州の海軍の状況を見てから練習戦艦(場合によっては
退役)になる予定だった。
よって現在、帝国海軍は空母9隻(正規空母4隻、軽空母5隻)、戦艦4隻、超重巡(巡戦に相当)2隻にまで縮小されていた。海軍軍人から言えば非情な対応だったが、
予算も人も削られる以上は仕方ない措置でもあった。
「しかし海軍には不満を唱える人間が少なくないようですが」
「そこは押さえますよ、辻さん。次の軍備を整える必要もありますからね……まぁ原潜を配備するようになったら、国を傾けないために更に削ることになるでしょうが」
嶋田が首相を続けているのは、そういった不満分子を押さえるためでもあった。
軍部の発言力は対米戦争勝利によって著しく強化されている。下手な政治家が首相になると、最悪の場合は軍部が優位に立ちかねない。辻が首相になると
言う手もあるが、それをすると周辺との摩擦が強くなりすぎるとして見送られていた。よって同じ身内であり、救国の宰相であり、軍政家として評価が高い嶋田が
首相を続け、同じく軍政家であり、中国での戦いを通じて陸軍と良好な関係を持った山本が海軍大臣としてサポートする形になっているのだ。
「何はともあれ、これ以上の面倒ごとは御免被りたいです」
だがそこで情報局の田中がさらに不吉な報告を告げた。
「その面倒ですが、次は北で起こりそうです」
「は?」
「カナダ、ケベック州周辺では復興の遅れによって治安が悪化しています。イギリスは梃入れしているようですが、梃子摺っているようです」
「……フランス系住民とイギリス系住民の対立は?」
「それもあります。最悪の場合は枢軸の介入を招く可能性があります」
新たな問題を聞いて、誰もが閉口した。
「一応、イギリスには釘を刺しておきましょう。我々もあそこまでフォローできませんし」
「滅菌作戦に支障が出ても困る。ドイツとフランスにもあまり事を荒立てないように伝えておこう。ただ最悪の場合への備えも必要だろう」
辻と近衛の意見によってその話題はとりあえず打ち切られ、人手不足に話の軸が移った。
「ただ金もそうですが、やはり人手が不足するのは痛いですね」
急速に拡大した勢力圏を防衛するためには、人が足らないというのは事実だった。各省庁の試算によれば、国土の維持、労働力不足を補うためにも
最低でも今の人口の2倍は必要になるのだ。逆に言えば、今は日本人の頭数が到底足らない状況とも言える。
そんな状況で軍がいつまでも人手を取るわけにはいかない。
「1億6000万人以上の人口を得るために生めよ増やせよ、が必要でしょう」
辻の意見に誰もが頷いた。
「2億人近くの人口を持つ『日本人による太平洋帝国』。全く、戦前では冗談にしか聞こえませんね」
嶋田の台詞に、史実を知る面々が同意した。
「だが今はまず人が足らない。師団の人員も数年内に削減する必要があるかも知れん」
乾いた笑みを浮かべるのは陸軍大臣の永田だった。
陸軍は25個師団体制になっていたが、それでもギリギリな状況だった。電撃戦が得意なドイツに対抗するためとして、陸軍は火力の
増強を図っていた。そして遣米軍は対ドイツを考慮して、陸軍で最も火力を強化している。だがそれはただドイツ陸軍と戦うため
だけではなかった。人員削減によって生じる戦力の低下を、火力の向上で補おうという目論みもあった。
「景気が良い事は良い事なんですが、ね」
その言葉に軍関係者は特に渋い顔をした。
「働けば働くほど、豊かになれる」
このご時勢、日本人の誰もがそう思って、必死に働いていた。何しろ外需だけではなく、新領土開発でも内需が喚起され、仕事は幾らでもあった。
ソ連から流れ込む黄金、旧アメリカから列強と共同で接収した黄金、さらに瞬く間に買い手が付く国債などで景気を喚起する原資は十分だった。
逆にこれだけ民需が活発になっているためか、軍から少しでも人材を引き抜きたいというのが経済界の主張だった。兵士達は優秀な労働者であると
同時に消費者でもあるのだ。経団連からの圧力は強まる一方だった。
「まぁ優秀な人材が民間にも多数居るのが救いでしょう」
辻の言うとおり、この日本では軍需に多くの人を取られていたが、夢幻会が進めていた教育の振興によって得られた多くの高度な人材が日本の産業を支えた。
また品質改善や合理化が進められると同時に青田買いも活発になった。
「ただ大蔵省としては25個師団でも十分に重荷ですが」
「……まだ削れと? 国防に責任が持てんぞ」
杉山は不機嫌な顔になる。嶋田も同様だった。だが辻は大蔵省の立場から主張する。
「空母、超戦艦、核兵器に原潜開発。さらにジェット機の配備とただでさえ金食い虫が多いのです。人も物も金も、軍にだけ費やすのは無理ですよ。
今はインド問題もあって何とか目を瞑れますが、『恒久的』に現状の定員で25個師団は難しいかと」
「「「……」」」
嶋田はため息をついた。幸せが逃げるような気もしたが、ため息の一つでもつかないとやっていられないというのが彼の本音だった。
「世間では列強最強と誇っていますが、実情はこんなものなんですよね。全く貧乏暇無しと言いますが……」
「最強と言っても、そこまで隔絶している訳ではありませんよ。日本がドイツを超えたあたりで、他の列強が戦災と天災で沈んだ所為で相対的に最強の座に
なっただけとも言えますし」
「……」
実に身も蓋も無かった。さらに天災(大西洋大津波)を引き起こして他国を沈めたのは彼ら自身でもあるので、反駁できない。
(米帝が味方だったら、もっと楽だったのに)
そう思わずには居られない軍人達。そんな軍人達と辻を仲裁するように近衛が割ってはいる。
「まぁ今は我慢の時。多少の痛手も止むを得ないだろう。衛星国が育てば、負担も分散させられる。それまでは……」
これを受けてまずは収まる軍人達。
世間では持て囃されているのに、会合では如何にも景気の悪そうな顔をする軍人達とは対称的に、民間からの報告は活況に満ちている。
「自動車の生産も順調です。東南アジアの開発特需に加え、北米、中国を筆頭に治安の悪い地域向けに輸出する車両の開発も進んでいます」
「家電の開発も進んでおり、来年には新商品が出せる予定です」
倉崎と三菱からの報告に近衛や辻、阿部など文官達は満足げに頷いた。
実際、彼らの報告どおりカリフォルニアから収奪した旧アメリカの技術や技術、そして未来知識によって家電の開発も急ピッチで進められている。車の大市場で
あったアメリカが消滅した影響は大きいものの、各車メーカーは北米、中国などの治安が悪い地域向けの車の開発を進めていた。
製造業は活況だった。ただし円高によって繊維産業などは大きな打撃を受けていた。これらの産業は自国勢力圏であり、忠実な衛星国でもある福建共和国に
進出して生き残りを図っている。
(偶には、軍にとっても景気のよいニュースを聞きたいものだ)
嶋田は他国の軍人が聞いたら嫉妬の余り血涙を流しそうなボヤキを呟きながら、議題を進めていった。
欧州、北米では共に何とか復興しようとする動きが見られた。しかしそんな動きが全く見られない地があった。
それは中華民国……かつて『眠れる獅子』と呼ばれ、日清戦争前にはある種の畏怖をもたれていた大国の末裔は、その眼を最後まで
開くことなく四分五裂に引き裂かれ、無惨に瓦解していた。
対日戦争の敗北、盟友であり後ろ盾であったアメリカ合衆国の消滅、そして上海での蛮行は中華民国政府の威信と信用を
完膚なきまでに失墜させた。さらに中華王朝を支える中央政府の軍事力が消滅したことによって、国内の不満分子の胎動を押さえる
ことさえできなくなり……西暦1945年を迎える前には完全な、そして熾烈な内戦状態に突入していたのだ。
近代兵器を用いて同族同士で殺しあう凄惨な戦いが各地で繰り広げられたが、その原因の一つとして挙げられたのが43年から
44年にかけて起こった飢饉だった。
「うちの畑は全滅だ」
「山もダメだ。まともに山菜が育っていない」
各地の農村は立て続けの飢饉によって食糧不足に陥り、農民達は自身の不幸を嘆いて天を仰いだ。
農村からの食糧供給が断たれれば、都市部が影響を受けるのは当然の流れであった。さらに日本は第二次下関条約を盾に中国から
賠償金代わりに大量の食糧を供給させていた。これによって食糧価格は跳ね上がるのは当然の流れであり、それが何を齎すかは火を
見るより明らかだった。
「無能な政府を打倒せよ!」
相次ぐ反政府暴動、そして中央政府の軍事力の低下による各方面軍の離反が結びつけば、あとは内戦一直線だった。
政府は食糧を買い叩いていく日本へ怒りを転化させようとしたが、焼け石に水であり、そればかりか政府が日本に負けたから
こうなったとの論調が高まった。
「日本の傀儡政権を打倒せよ!」
反日が、反政府に変わったためにもはや北京政府には打つべき手はなかった。
彼らは首都周辺と華北こそ支配していたものの、他の地域の支配権を失った。こうして中華王朝末期同様の壮絶な内戦状態に
突入した。
群雄割拠する軍閥、食べるために匪賊となって各地で略奪行為に手を染める元農民。三国志の時代から変わらぬ光景が20世紀の
世界において出現することになる。
「某エロゲーのように美少女の萌え武将が現れるなら、多少は目の保養にはなるのですが」
日本領となった東遼寧防衛の任務に当っていた牟田口は、会議に出席するために訪れた関東軍司令部、正確に言えば司令室でそう嘆息した。
自分の机で仕事をしていた関東軍司令官・東条はそれを見て苦笑する。
「ああ、あのゲームのとこか」
「ええ。まぁ幻想なのはわかっていますが」
「まぁ気持ちは判る。あの惨状を見る限りはね」
大陸各地の惨状は日本人の想像を絶していた。
一握りの穀物を巡って、骨肉の争いが起こる。親はわが子を僅かな食べ物と引き換えに売り飛ばし、力なき婦女子は容赦なく食い物にされる。
日本人、特に平成世界の感性を持つ人間達からすれば正視に耐えない状況があちこちで繰り広げられている。
「某巨大掲示板に居たころには、中国は分裂するとあったが……あちらでも分裂するとこうなったのかも知れないな」
「あちらは曲がりなりにも核保有国で、13億人の人口を持っていました。それていて在中の日本人、日本企業も多かった。
混乱すれば、こちらの比ではないでしょう」
「だとすれば、我々は幸運だったかも知れないな。何しろ日中が戦うために、邦人は軒並み安全に脱出できたのだから」
東条の台詞に、牟田口は頷く。
「これが長く続けば、中国は弱体化し無力化できます。それは望ましいことです」
最前線に立つ彼としては中国の内部分裂は好ましいものだった。統一された中国など脅威でしかないのだ。だが統一
されていなくても、油断は出来ない。一部の現地人が上海のような暴挙をしないとは限らない。追い詰められた人間は時として常人の想像を絶する
行いに出ることがある。
「うむ」
東条はこれに頷く。彼らは内地の一部の人間のように中国人を侮っていない。
大陸の住人はモラルや団結力について問題があるが、その粘り強さ、執念深さなどは評価に値するのだ。故にここで手綱を弱めるつもりはなかった。
2人が改めて認識を一致させた時、一つの報告が飛び込む。
「ほう、中国共産党が壊滅したと」
史実では幾多の幸運もあって、中国共産党がこの大地を支配したのだが、この世界ではその可能性は万が一にも存在しなかった。何せ中国
共産党はソビエト連邦と共産主義の失墜によって掌を返した蒋介石によって重慶から叩き出されていた。その上、農村部は中国共産党を名乗る
匪賊によって襲撃されていたことから、中国共産党を助ける者はいなかった。
そしてボロボロになった共産党では左の方々お得意の内ゲバが発生。そしてその混乱を突かれて周辺の軍閥に攻撃されて共産党は壊滅したのだ。
「毛沢東は行方不明。主だった幹部は戦死……」
「これでレッドチャイナが誕生する可能性は0になりましたね」
「ふむ。だがメキシコのように史実では無名の人物が中国を統一する危険がある」
「はい。何が何でもそれは防ぐ必要があります。我が国の安寧のためにも」
隣接する大陸勢力の伸張は、日本にとって大きな脅威となる。
大陸の内側だけで我慢するならまだ良いのだが、彼らが海洋に進出するようなことがあれば利害の対立が発生する。日本が強い内は押さえられる
だろうが日本が衰退すれば間違いなく力で奪いに来る。
「国家百年の計のためにも、中国人には内側だけを向いていてもらいたいものだ」
だがその頃、『萌えによる世界革命』を目指す尾崎は村中が『馬鹿共』と切って捨てた類の人間達に怨嗟の声を挙げていた。
(あの馬鹿共が!)
北京の某高級料理店。そこで華僑の有力者達との会食をしていた尾崎は、ポーカーフェースを保つのに必死だった。
「……私から近衛公に働きかけろ、と?」
「近衛公は嶋田首相とも懇意の仲と聞きます。日中の新たな友好のために、なにとぞ」
有力者の近くには某党の衆議院議員と外務官僚が座っており、しきりに頷いていた。
彼らは上手い話に吊られて北京に赴いた結果、華僑側に丸め込まれていたのだ。
「行き違いがあったが、日中は隣国。友好的に付き合うに越したことは無いだろう」
尾崎は思わず「殴り倒してやろうか」とさえ思ったが、その考えを顔に出さず話を続ける。
「……ですが、近衛公が私の話を聞いてくださるとは限りません」
「日本でも指折りの大陸通である貴方が助言すれば、近衛公も耳を傾けざるを得ないのでは?」
この言葉に他の有力者も頷く。
「有色人種を劣等人種と見下す白人達に対抗するためには、アジアの人間が一致団結しなければならないでしょう」
「日本と中国は元々は友好国、戦略的互恵関係を築くのは不可能ではありますまい」
「上海事変など不幸な行き違いこそありましたが、それを乗り越えてこそ真の利益が得られるというもの」
「それにアメリカ軍とアメリカ人は、大陸で散々に狼藉を働いていました。上海での中国人の行動は、これまでの鬱憤が爆発してのことでしょう」
辻が聞けば鼻で笑うようなことを言ってのける面々。その顔の皮の厚さには尾崎も感心せざるを得ない。
(辻さんとこいつらの顔の皮の厚さを比べてみたいものだ)
しかし有色人種=劣等人種を教義とするナチスが世界の三分の一を支配している状況を考えるとアジア連合というのは魅力的に感じないことは無い。
だがそれはあくまでも、足を引っ張る国や裏切りを働く国を除いての話だ。
(恩を仇でしか返さない貴様が信用される訳がないだろうが。貴様らのような連中には文明の恩恵である『萌え』も『燃え』も不要だ)
そんなことを思いつつも、尾崎は最終的に大量のお土産を断った後、「話はしてみる」とだけ告げてその場を後にすることになる。
あとがき
提督たちの憂鬱外伝 戦後編3をお送りしました。
改訂前ではあまり描写していなかった北米情勢、そして中華情勢が中心になりました。
あとは村中さんの行動が尾崎さんの行動で変わるかも知れません。尤も最終的な結末まで変わるかは判りませんが(爆)。
中国共産党は今回で退場となりました(苦笑)。
それでは戦後編4でお会いしましょう。
それと今回採用させて頂いた兵器のスペックです。
Sd.Kfz.238生物化学防護装甲車
全長:6.7m
全幅:2.3m
全高:3.2m
重量:12.5t
乗員:6名
エンジン:タトラ103V型12気筒空冷ディーゼルエンジン210馬力
最高速度:時速76km 航続距離:100km
装甲:5.5〜20mm
武装:火炎放射器×1、7.92mm機関銃MG42×1、Sマイン発射器×2