旧アメリカ合衆国カリフォルニア州と隣接し、かつての米墨戦争、そして加墨戦争で激戦となったハバカリフォルニア州の州都 である『メヒカリ』にはメキシコ陸軍西部方面軍の残存部隊が集結していた。
 尤もその多くはカリフォルニア共和国軍との戦いに敗れて、装備の多くを失っており、その戦力はお世辞にも高いとは言えないの だが、メキシコ陸軍有数の部隊であることは間違い。仮にメキシコで本土決戦となった場合、彼らはメキシコ軍の中核を担うことになっていた。 故にこの部隊が駐留していたメヒカリは原爆の投下目標として十分だった。
 そして現地時間で22時14分。このとき、メヒカリに住む者たちの頭上で、そして世界で初めて都市の真上で人工の太陽が輝いた。巨大な 閃光は闇夜の中でさらに増幅され、まるでこの世の終わりが訪れたかのような錯覚を見たものに与えることになる。
 そしてこの攻撃成功の報告は直ちに帝都の首相官邸に届けられることになる。

「……成功した、と?」

 嶋田は内心複雑だったが、それを億尾にも出さず淡々と聞き返す。

「はい。メヒカリの中心部は壊滅、いえ消滅しました。周辺地域にも多大な損害を与えたとのことです」

 明るい顔で報告する秘書。勿論、報告を受けた閣僚達の多くも同様に明るい。

「これでメキシコも止まるでしょう。メキシコ人もさすがにここまでやられれば大人しくならざるを得ない」
「帝国の力を見て、北米の不穏分子も大人しくなる」
「それにしてもさすが総研。原子力兵器がここまで有効と判断して開発を提言していたとは」
「いや軍の協力があってこそでしょう」

 彼らは街一つを簡単に消滅させる超兵器の威力に感嘆し、同時に国費を投じてその開発を推し進めてきた総研、そして軍の 先見性を褒め称えた。
 何しろ通常戦力、特に海軍力で日本に抗する国はない。これにさらに超重爆『富嶽』と街をただの一発で消し去る原子爆弾が加わるのだ。 鬼に金棒どころの話ではない。アメリカが滅び、欧州列強が黄昏を迎えているこのとき、大日本帝国は間違いなく世界の頂点に立っていた。 実際、その評価は日本人だけでない。海外でも日本の評価は急上昇している。円の価値、日本企業の株も軒並み上がっている。
 そしてその栄光の時に、自分達は内閣の一員としてこの場に居る。彼らにとってそれほど名誉なことは無い。
 そんな彼らの浮かれた光景に嶋田は内心で嘆息しつつ切り出す。

「メキシコに最後勧告を出す。これ以上、暴挙を続けるなら『メキシコシティ』を消滅させる、と」

 これに外務大臣の重光が立ち上がる。

「そ、総理、いくら何でも相手国の首都を消滅させるというのは」
「エンセナーダ、ベラクルス、そしてメヒカリを破壊されてもまだ止まらないのであれば、首都を潰すしかないだろう。尤もメキシコシティ に落すときには避難勧告は出す。私も無警告で一国の首都を消滅させるつもりはない」
「……はい」
「それと攻撃の成果を喧伝しろ。枢軸、連合、それに西海岸の連中にもだ。帝国と戦うことが何を齎すか、それを知らしめろ」

 加えて嶋田は富嶽の西海岸へのデモンストレーション飛行と、サンフランシスコ沖での第1〜3艦隊による大規模演習を行うことを 伝える。これは示威行為、砲艦外交に他ならないのだが、嶋田は一睨みで慎重意見を封殺する。山本五十六のように人を引き付ける生粋 のカリスマこそなかったが、対米戦争に事実上勝利したという実績が相応のカリスマを作っていた。

「武力の誇示と適度な行使。戦争を『抑止』するためには必要なことだよ」

 そして閣議は終った。
 閣僚達が次々に退席した後、残ったのは山本と夢幻会に属する者達だけとなる。そんな中、何人かが笑う声が室内に響く。

「くっくっく。嶋田さん、独裁者が板についてきましたね」

 辻の笑い声に嶋田は苦い顔をする。ちなみに永田や杉山も似たようなものだ。

「笑い事ではないですよ。全く。強硬派を自称し、強硬派をコントロールするのは大変ですよ。今回の核攻撃での成果が明らかになれば また煩い連中が出てくるでしょうし」
「でしょうね。日本こそが次の世界帝国と考える輩が増えるかも知れません。それに核兵器を万能と思われても厄介です」

 この言葉に杉山は頷く。

「核兵器のみに頼るのがいかに危険か、これを周知させる必要がある」
「それに陸軍の師団を必要以上に削られるわけにもいかない。何しろ広がった勢力圏を守るためには20個師団、いやそれ以上は必要だ」

 永田の苦い台詞に、嶋田は同意する。

「我々も似たようなものです。しかし、かといって核戦力の整備で手を抜くわけにもいかない」
「相変わらず綱渡り、ですな」
「そのとおり。全く列強筆頭、世界最強だのと言われているが、実際には状況は変わっていない。ですが何とかしていくしかないでしょう」

 戦前から日本を引っ張ってきた者達は一様に苦笑した。そして彼らは幾つかの事項について確認したあとすぐに解散する。いつまでもここに 留まれるほど彼らは暇ではない。

「それでは、これで」

 官邸を移動する中、山本は小声で嶋田に告げる。

「陸軍と関係を強化していることは知っていたが、あそこまで親しげに話すとは驚いたぞ」
「国難の際に、陸軍も海軍もないさ。それが判らぬほど彼らも石頭ではない。負けた国の元帥より、勝った国の大将のほうが良いに決まっている」
「……」
「それに何のために我々が文化祭や体育祭をしていると思っているんだ。この日のため、今回のような国難の際に陸海軍が連携できるように 横のつながりを持たせるためだぞ。尤も海軍内部ではそれを理解できなかった輩も多かったが」

 山本は夢幻会の先見性に改めて驚かされる。何しろ大抵の国では陸海軍が仲が悪いのは当たり前だった。勿論、日本だって仲良しという 訳ではない。しかしそれでも今次大戦における陸海軍のチームプレーは見事な物だった。

「……『お前達』がもっと前面に出れば、もっとうまくやれたのでは?」

 この問いに、嶋田は足を止めて山本と向き合う。

「『我々』がうまくやれたのは『影』だからだよ。下手に表に立てば動けないこともある(それにあの変人共の存在を表沙汰には……)」

 後半の台詞を飲み込みつつ、嶋田は続ける。

「それと山本、次の『会合』にお前にも出てもらいたい。」
「勿論、出席させてもらう。国政を語るにはあの場にいなければ話にならん」
「わかった。ではそのように手配するぞ」

 そう言うと嶋田は再び歩き出す。嶋田の後を追うように山本も歩くがその胸中では一つの考えが浮かんでいた。

(さて夢幻会。皇国を世界の頂点に押し上げた者達の素顔を見極めさせてもらうぞ)

 そんなシリアスな山本の考えとは逆に、嶋田は少し心が軽かった。

(ようやく会合出席者で常識人が増える。まぁ色々と問題もあるだろうが……何はともあれイロモノじゃない人間が増えるのは良い事だ。 私の負担も多少は減るかも知れない。まぁその分、貴様の負担は増えるかも知れないが……不幸は分かち合うものだからな。我慢してもらうぞ)




               提督たちの憂鬱 第57話




 西暦1943年5月3日。メキシコは日本帝国、大英帝国、ドイツ第三帝国という世界のメインプレイヤー達を全て敵に回して 文字通り袋叩きにあった。東西の2つの港湾都市は無惨に焼かれ、カリフォルニア侵攻のための拠点も徹底的に破壊された。
 これだけなら誰もが予想通りと思うだろう。しかしこの日の夜に行われた『世界初』の核攻撃は世界に途方も無い衝撃を与えることに なった。
 原子爆弾が炸裂した光を観測できたカリフォルニア共和国では、これまで日本人を見下し、内心で日本に降るのを面白くないと思っていた 者達でさえその考えを改めざるを得なくなっていた。

「ハワイから直接メヒカリを叩くことが出来る超重爆。そして原子爆弾。早めに日本と手打ちしておいて正解だったですな」

 政府庁舎の会議室でカリフォルニア共和国大統領首席補佐官という肩書きを得たハーストは得意げに言い放った。ちなみに彼の座る机の前には 夜明け後に偵察機が撮影してきたメヒカリの写真がおかれている。勿論、その写真には一面廃墟とかした街の様子が映し出されている。

「「「………」」」

 集まったカリフォルニア政府の高官達は苦い顔だが、それに同意せざるを得なかった。
 何しろメヒカリ、エンセナーダはメキシコ軍の行動に激怒した日本軍によって灰燼と帰していた。もしも日本との戦争が長引いていれば あの2つの都市と同様の光景が西海岸に出現していたのは間違いない。

(奴らは……一体、何者なんだ?)

 カリフォルニア政府の高官達はそう自問した。
 白人達からすれば有色人種など劣った存在に過ぎず、自分達によって統治されるべき存在だった。だが今や立場は逆転している。 日本人達はあらゆる事件、戦争を利用し、巧みに自身の踏み台にして一気に世界の頂点に躍り出た。旧アメリカ出身の白人層からすればそれは到底 信じられないことだった。だが信じられないからと言って事実から目を背けることも出来ない。加えて彼らはその日本人の庇護が無ければ、この激変した 世界で生き抜くことも難しいのだ。

(ハーストや資本家連中が言うように、うまく付き合っていくしかないということか。あのイエローデビルたちと)

 苦い顔をした男が重苦しい雰囲気の中で口を開く。

「……確かに、日本人と早めに手打ちをできたのは行幸だったな」

 この高官の意見に、大勢が頷く。彼らは認めたのだ。ハーストたちの行動が正しかったのだと。

「今回の一件から日本が、我々を本気で守る意思があることが判った。これも成果と言える」
「それに新たな後ろ盾である日本帝国が頼れる国であることがよく判った。これなら国家を迅速に再建することも出来る」
「日本との関係をいち早く強化することで、西海岸でのイニシアティブを握れるでしょう」

 しかし同時に鬱憤も堪っており、それは旧連邦政府に向けられた。

「しかし日本軍がこれほどの兵器の開発を進めていたとは、な。あれほどの超兵器が一朝一夕に出来たとも思えん。戦前から研究していた のは間違いない」
「あれほどの兵器を擁していた日本を敵に回して、よく勝算があると連邦政府は判断したな。どんな考えを持っていたのやら」
「むしろ責めるべきは情報機関の無能振りだろう。この前に見せてもらったレポートは酷いものだった。日本軍の航空機は大抵が 外国製のものの粗悪コピーで、英国での活躍も英国の支援があってこそという内容だったぞ」

 彼らは旧連邦政府の無能振りと怠惰振りを一しきり貶すと話題をメキシコ関連に移した。

「で、メキシコは?」

 ハーストは意地の悪い笑みを浮かべて答えた。

「混乱しています。何しろただでさえエンセナーダ、ベラクルスという2つの都市が潰されていたのですから。
 尤も彼らもすぐに真実を理解して恐慌状態になるでしょう。ハバカリフォルニアの州都が一撃で消滅。そこに居た西部方面軍も 壊滅とあっては彼らの国土防衛戦略は破綻します」
「……彼らは降伏すると?」
「普通なら手を挙げるでしょう」

 そう普通なら手を挙げる。降伏して許しを請うしか道は無い。

「ですが相手が狂人であるなら……違ってくるでしょう」
「つまりこれだけ手酷くやられても徹底抗戦すると? まさか、そんな」
「ですがそんなこともあり得る、と考えて行動するのがよいかと。とりあえずは国境沿いの警備の再建、それにアリゾナへの 支援を急ぎましょう。アリゾナの混乱がこれ以上大きくなるのは拙い」

 この意見に反対意見はなかった。メキシコの侵略を阻止できたとしてもアメリカ風邪で滅んだら目も当てられない。

「それと今回の日本軍の戦果について徹底的に喧伝しましょう。市民や周辺各国では日本軍に降ることを面白く思っていない者も 多い。今、日本と敵対することが如何に危険かを彼らに判ってもらわないと拙いでしょう」

 日本に事実上従属する政策は、一般市民にとっては面白くない。だがそんな感情に基づいて全てを反故にすればメキシコの悲劇を カリフォルニアの大地で拡大再生産することになりかねない。

(さてあとは日本政府や財界、そして夢幻会にどう取り入るか、だ。負けた以上は毟られるだろうが、カリフォルニアと西海岸安定 のために我々が必要だと理解させれば実入りも期待できる)

 彼は金の亡者だった。
 勿論、白人としてのプライドもあるが、プライドよりも金のほうが大事だった。プライドでは飯は食べられない。

(日米戦争にはなったが戦前、満州経営で築いたコネが全て失われたわけではない。それも利用できないかを提案しなければ)

 ハーストを含めた富裕層は、あらゆる手を使って生き延びるつもりだった。
 そのためには何でも利用するし、あらゆる物を売りつけるつもりだった。旧アメリカ人から見れば売国奴そのものなのだが 彼らの行動によってカリフォルニア共和国は数少ない『自由民主主義国家』として北米大陸に存続を許されることになり、ハースト達は 『建国の立役者』、『民主主義の守り手』などと賞賛されることになる。
 何はともあれ、カリフォルニア共和国は自分達の後ろ盾である大日本帝国の能力と意思を確認でき、それなりに明るい前途を夢見ていた。
 片やイギリス政府はメヒカリが文字通り消滅したのを見て、底知れぬ日本の力に改めて恐怖し、今後日本がどんな要求をしてくるかで頭を悩ませた。 何しろメキシコ問題で英国が果たした貢献など微々たるものなのだ。裏切りの代償とは到底言えたものではない。

「しかし『富嶽』の性能がまさかここまでとは」

 ハリファックスは顔を顰めた。これに空軍大臣であるアーチボルド・シンクレアが渋い顔で報告する。

「明らかになった情報から、富嶽の性能は既存の爆撃機とは一線を画しています。戦闘機より高速な爆撃機など信じられませんが 英空軍では『富嶽』を満足に迎撃することは難しいでしょう」
「……彼らがその気になれば、世界さえ手に入れられるということか」

 夢幻会の重鎮である辻との接触の結果、日本は世界の覇権など望んでいないことは判っていた。しかし日本がちょっとでもその気になれば 日本が世界の覇者となれる――彼らはそう判断した。

「メキシコの戦後処理への協力は勿論だが、日本が目をつける可能性が高い東南アジアの植民地から撤退し、独立させる必要があるかも知れん。 インドの権益で譲歩することも考慮する必要がある」

 ハリファックスはそう唸った。尤も植民地では反乱も起きており、イザとなったらインド以東についてはひも付きで順次独立させるのも 止むを得ないのではないかという声も出始めていた。

「世界に冠たる大英帝国も落ちたものだ。だが、このまま没落するつもりはないぞ」

 尤も彼らは東南アジアを捨てるのと引き換えに、アメリカやカリブ海、パナマの権益を手にしようと目論んでいた。そのためにはさっさと メキシコの問題を処理する必要があることを彼らは理解していた。

「メキシコは?」
「混乱しています。情報が拡散すればパニックになるでしょう。加えて日本はメキシコシティへの爆撃さえ予告するようです」
「……日本と共同歩調をとってメキシコへの圧力を強化しろ。必要なら艦隊を再度出しても構わん。何としてもメキシコを止めるのだ」
「はっ」
「それにしてもメキシコ人の愚かさには困ったものだ。まぁ日本の新兵器の能力や意思を確認するには役に立った。その点は彼らに感謝する べきだろう(何しろ、下手をしたら、あの原子爆弾を投下されていたのは我々だったかも知れないからな)」

 そう告げた後、ハリファックスは旧アメリカの様子を尋ねる。

「メキシコのカリフォルニア侵攻による混乱は?」
「アリゾナで混乱が続いていますが、テキサスは英日独の行動と勧告、そして原爆の威力を目の前にして軽挙を思いとどまったようです」
「そうか……あとはこれでメキシコを封じ込めれば再度、アメリカ分割に専念できるな」
「はい。アメリカ分割は進んでおり、我々はすでにフロリダとアラバマ、ミシシッピの南部、ルイジアナを押さえています。抵抗は微弱であり メキシコが片付き、第二陣を展開させることが出来れば旧アメリカ合衆国南部をこちらの支配下におけます」

 軍からの報告にハリファックスは満足げに頷く。
 欧州連合軍は各地で進撃を続けていた。現地での抵抗は少なかった。事前の英による工作に加え、旧州軍が機能不全を起こしているところが 少なくなく、流通網の麻痺に伴う食料品を含む各種物資の不足によって抵抗する力さえ残っていないという場所もあった。抵抗と言うより むしろ欧州軍の物資を狙うゴロツキ(旧連邦軍の成れの果てを含む)のほうが問題だった。

「アラバマ北東部は石炭、鉄鉱石など鉱物資源の宝庫です。ここを我が軍が押さえることができれば大きな収穫となるでしょう。 また旧ジョージア州では、こちらと接触しようとする動きもあります」
「ドイツは?」
「彼らはテキサス周辺の確保に夢中です。石油と食糧をどうしても確保したいのでしょう」

 ドイツの窮状はこの場の誰もが知っていた。故に誰もが納得した。

「しかしこれだけ拡大して、アメリカ風邪対策は十分なのかね?」
「感染が疑われる者や北部や東部から流れ込んだ旧アメリカ市民を隔離キャンプに放り込むか、勢力圏外に片っ端から追放しています。 特に悲惨なのは有色人種やユダヤ人です。ただ日本人や日系人は例外扱いで、勢力圏内で発見された彼らは保護されています」

 ドイツの統治は苛烈なものだった。人権など全く考慮されない。これに反感を持つ者もいるが、表に出して抗議すれば『人類文明の敵』という レッテルの下、処理される。21世紀を知る夢幻会の人間が見れば眉を顰めること間違いなしの光景だったが、今の過酷な状況がそれを 是としていた。

「ただしイタリアは比較的平和です。イタリア兵達は自分達が『世界を救う』という意識が強く献身的に動いていると。まぁこちらでも 有色人種は差別されていますが、ドイツほどではありません」
「その献身さが大戦の時に発揮されていたら、我々はさらに苦境に立たされていただろうな」

 ハリファックスはそう皮肉るが、それ以上は言わない。アメリカ南部が曲がりなりにも安定するのは良いことだからだ。

「我々も早期に体制を立て直し、日本に追いつかなければならん。まぁその思いが一番強いのは、ドイツの伍長だろうが」





 ハリファックスが言ったように、富嶽と原爆の組み合わせにドイツ首脳は頭を抱えていた。

「ゲーリング、何としてもあの富嶽を迎撃できる戦闘機を作るのだ! 早期に!!」

 ヒトラーはゲーリングにそう厳命する一方で、シュペーアに命じて原爆開発をスタートさせようとする。
 膨大な予算が必要になるという試算をシュペーアは見せたが、ヒトラーは中々意見を翻さない。

「ここで何もしなければ、我々は出遅れるだろう。それは何としても避けなければならん!」
「しかし試算にもあるように開発には予算が掛かりすぎます。それに現在、我が軍は東部戦線に加え、北米にも進出しています。 津波によって被害を受けた港湾都市の復興も必要です。これでさらに原子力兵器の開発は……」

 イギリスは津波の被害を受けていない植民地から搾り取ることで何とか息を吹き返すことも出来るが、ドイツにはそれは出来ない。 欧州は津波の直接の被害を受けており、さらに天候不順などで多大な影響を受けている。さらに言えば戦争が長々と続いているために 農業生産は落ち込み、民需さえ厳しい状況だ。占領地域(特に東欧やソ連領)から毟り取れるものは毟り取っているが、それでも まだ足りない。

「当面はBC兵器で対抗するしかない、と」
「はい。残念ながら……」

 総統府に居る面々は押し黙った。

「しかし富嶽の能力をもってすれば欧州大陸も安全とは言えん。おまけに奴らは弾道弾さえ開発している。奴らならアラスカから 欧州を叩くことが出来るものを、いや艦船から発射できるものを開発できても不思議ではない」

 ヒトラーの脳裏には超重爆『富嶽』から投下される原子爆弾、水上艦、或いは潜水艦から発射される弾道弾によって廃墟と なっていく欧州の姿が浮かぶ。

(さらに破壊された欧州を、日本人の武器を装備したスラブ人が蹂躙する。これが最悪のシナリオか……)

 ゲルマン民族がスラブ民族と黄色人種によって蹂躙されるという怖気が走る最悪のシナリオだった。 だが今後の展開によっては十分にあり得るシナリオだった。

「リッベントロップ、日本とソ連が組むことだけは避けなければならん」
「はい。幸いアメリカ風邪問題で、日本は我が国と連携する動きを見せています。そこから切り込んでいくのが良いかと」
「ふむ。それと日本とソ連の貿易を止めることが出来るか?」
「それは難しいかと。彼らの気質から貿易協定を簡単には破棄できないでしょうし、何よりソ連相手の貿易でぼろ儲けしています。 彼らが金蔓であるソ連との貿易を手放すとは……」

 ドイツ外務省も日本とソ連の貿易について察知していた。しかしそのレートを知るや、官僚達は思わずソ連に同情してしまった。 彼らは自分達(ドイツ)も悪辣であったが、日本人ほどではないと思っていた。

「金の亡者と言われるユダヤ人でさえ、日本人と比較すれば可愛いものだ」

 ナチスの幹部がそう呟いたのだから、日本人がどんな風に思われているかがよく判る。

「我々が東部でソ連軍と睨みあいをすればするほど、日本人はぼろ儲けして、さらに軍備を強化していくというわけか」

 忌々しい限りだった。しかしそうかと言ってドイツは簡単に東部戦線からひくことは出来ない。何かしら目に見える形で戦果を 挙げなければ撤退などできないのだ。

「何から何まで、連中のシナリオどおりと言うことか……当面は日本との衝突を可能な限り避けるしかない。それと東部戦線の 防御体制を整えるのだ」

 ヒトラーは東部戦線は必要以上に戦線を拡大せず防御に専念し、可能な限り自国の消耗を抑える道をとった。尤も亀のように ただ閉じこもるつもりもなかった。

「これまで空軍が軽視していた戦略爆撃。これでソ連の息の根を止める道を探れ。いくらソ連とは言え、燃料供給を断たれれば 国家は維持できまい」

 それはゲーリングが進めていた方針に真っ向から反するものだった。ゲーリングは慌てるが、ヒトラーは応じない。

「日本人に出来たことが、我々には出来ないとでも?」
「そ、それは……」
「それに戦後、日本と向き合う際には海軍を支援できるような体制が必要だ。今の空軍にそれが可能なのか?」

 ゲーリングは反論しようが無かった。勿論、これを見ていたレーダー達は内心で喝采を上げたのは言うまでも無い。

「それとリッベントロップ、イギリスと協調してメキシコへの圧力を強化しろ。北米での厄介ごとが増えるのは拙い。尤も奴らに これ以上我々に歯向かう力も気概もあるとは思えないが」

 ヒトラー以下ドイツ首脳陣が四苦八苦している頃、スターリンを筆頭にしたソ連首脳陣はSAN値がマイナスに突入しそうな勢いだった。
 何しろ富嶽の能力をもってすれば、モスクワに核を投下することさえ出来るのだ。そしてソ連軍にそれを防ぐ手立ては今のところない。 何しろ超高空を高速で飛ぶ富嶽を迎撃できるような戦闘機などソ連にはないのだ。夜間に侵入されたら発見さえ困難だった。

「……まさかここまでとは」

 クレムリンの会議室でスターリンがうめく。しかしそんな独裁者に更なる追い討ちが襲う。

「同志尾崎の情報によれば日本は弾道弾と呼ばれるロケット兵器の開発を推し進めています。いずれは原爆を搭載することも可能だそうです」
「「「……」」」

 もはやぐうの音もない。
 おまけにそういった兵器の開発には、かつてスターリンによって粛清されシベリア送りにされたソ連の技術者も関わっているというのだ。 スターリンの失政は明らかだった。

「迎撃機の開発、及び迎撃体制の構築を図るしかあるまい。それと同志尾崎に命じて原爆や富嶽の情報を手に入れるのだ」
「はい」

 尤も現状では情報を手に入れたとしても、原爆製造は困難だった。何しろソ連はもうボロボロなのだ。片っ端から若者は兵隊にとられ たせいで産業構造はボロボロ。おまけに食料不足や民需品の不足から国民の困窮に歯止めが掛からない。
 ドイツ軍の軍靴に踏みにじられなかった都市では、各地で食糧配給を待つ行列が出来ているが、その配給も遅れ気味という有様だった。

「日本からの物資供給を増やすことはできないのか?」
「日本側はこれ以上レートは譲歩できないと言っています」
「ぐっ」

 血管が浮き出るスターリンに、誰もが恐怖する。特に外務大臣であるモトロフは顔面蒼白だった。

「……ど、同志スターリン。実は労働力についてですが有望な入手先が」
「ほう?」
「実は韓国内部でのゴタゴタで多数の亡命希望者が出ていまして。また中華民国からは労働力の輸出が極秘裏に打診されています」

 韓国国内では政争や陰謀の結果、反日派のレッテルを貼られて処分される人間が後を絶えなかった。そしてその動きはメキシコに対する 日本の断固たる措置を見てますます強化されていく。おかげで国外に逃げなければならない人間は増える一方だった。
 一方の中国では賠償金の支払いや国軍の壊滅、敗戦に伴う中央政府の威信の失墜で統治能力は低下し、国内はガタガタになりつつあった。 故に彼らは日本へ武器輸出を打診する一方で少しでも外貨を手に入れるためにソ連に『人間』の輸出を打診したのだ。

「しかし露骨に中国人を輸入したとなれば現地の共産勢力が大きな打撃を受けるぞ」
「はい。彼らは少数民族や元アメリカ人、特にロングの政策によって現地に送り込まれていた黒人などの有色人種をこちらに送りたいと」
「ほう?」

 かつてアメリカ合衆国は中国に大手を振って進出していた。このとき、アメリカ政府は黒人などの有色人種も大量に送り込んでいた。アメリカが 健在な内はアメリカの威信を借りて大きな顔が出来たものの、在中米軍の壊滅、中華民国の降伏、そしてアメリカの滅亡によって全ての 後ろ盾を失っていた。
 そして有色人種にも関わらず、アメリカ人として振舞っていた彼らは有色人種の裏切り者扱いされて、白人よりも悲惨な目にあうことに なった。中国人たちは自分達の鬱憤を思う存分、彼らにぶつけていた。
 そしてこの度、中華民国政府は彼らに目をつけた。世界中から嫌われている旧アメリカ人。それも有色人種なら、どんな扱いをしても 文句は無いだろうと……。

「上海周辺の人間は旧アメリカ租界に集まっていますが、満州や内陸に居たもの達は確保できるとのことです」
「ふん。我々に挑んでおいて、自分達が苦しくなったら外国人を売り物にするか」

 かつて自分達に散々に喧嘩を売ってきた中華民国の変節をスターリンは嘲笑した。しかしこの話を無視できるほどソ連に余裕は無い。

「……まぁ良いだろう。ただし買い叩け。譲歩は絶対に許さん」
「わ、判りました」
「それとメキシコの馬鹿共の肩を持つような真似は絶対にするな、それを徹底させろ」

 このスターリンの命令に反対する者はいなかった。ソ連首脳陣でさえメキシコの愚かさには呆れ果て、メキシコの同類と思われること を嫌がっていたのだ。

「ただメキシコが馬鹿をやったおかげで僅かであるが時間は稼げる。少しでも軍を再建し、決戦に備えよ」

 スターリンは南方戦線での反撃を目論んでいた。せめて穀倉地帯であるウクライナは奪い返す必要があったからだ。ここが失われた ままだとソ連の食糧生産は大打撃を受ける。しかし防御に専念するドイツ軍にどこまで戦えるかは微妙だった。
 ソ連軍の軍需工場では多数の武器が製造されているが、その数は満足なものではないし、品質も低下している。日本製の工作機械が あっても限界がある。
 そのことを知っているベリヤは、日本に仲介を依頼してドイツと停戦するしかないのではないかと考えた。

(メキシコが馬鹿をやったおかげで、日本の力は誰の目にも明らかになった。日本を巻き込めばドイツとの停戦も可能だろう。さて あとは誰と組むか、だな。しかし、日本に行く機会ができたら是非、日本の女生徒の写真もとりたいものだ。あの国は国際色が豊かと 聞くからな……ふふふ夢が広がる)

 ソ連の変態紳士は今日も平常運転だった。
 このように世界中から呆れられ、変態紳士からさえ馬鹿にされているメキシコではメヒカリ消滅の報告に政府は恐慌状態だった。

「馬鹿な、ただの一発でメヒカリが?!」
「ひ、被害状況は?」

 メキシコシティでは電信が飛び交い、政府各所に動揺が広がっていた。
 しかし一番動揺したのは軍であった。本土防衛の一翼を担うはずの西部方面軍は街ごと壊滅したのだ。それはハーストが語ったように 彼らの戦略が破綻したのと同義だった。
 さらにただの一発で全てを破壊する兵器とその投射手段を日本が有しているという事実は、多くの将兵の抗戦意欲を打ち砕くのに 十分だった。そして彼らは恐れた。日本がその気になればメキシコと言う国そのものが消滅するのではないか、と。
 しかし今回の北米侵攻を主導した者達は頑迷だった。

「ここで降伏しても、メキシコは永遠に汚名を受けたままだ!」
「世界が我々のことを敵と見做し、あのような兵器を使うなら、我々も相応の手をとるべきだ!」

 勿論、少しでも現実が見える者達は降伏を主張する。

「このままでは国が無くなる!」
「そうだ。確かに厳しい状況になるだろう。だがこのままではメキシコ人は死に絶えてしまう。列強に頭を下げて許しを請うべきだ!」
「列強もメキシコを完全破壊すれば、アメリカ風邪の封じ込めに悪影響が出ることは判ってくれるはずだ!」

 メキシコ政府は2つの勢力の衝突で瞬く間にグダグダになった。
 そしてメキシコ政府が対外的に沈黙する中、メキシコ政府高官からリークされた『強硬派がアメリカ風邪拡散を目論んでいる』との 情報は日本帝国政府に激震を走らせることになる。







 あとがき
提督たちの憂鬱第57話をお送りしました。
すいません。メキシコ戦、終りませんでした。話が進まない……。
次回で決着です。
それにしてもハーストの行動を見ていると『売国無罪』という言葉が頭に浮かんでしまいました(笑)。
拙作ですが最後まで読んでくださりありがとうございました。
提督たちの憂鬱第58話でお会いしましょう。