西暦1943年5月3日。
 この日、大日本帝国政府は内外にメキシコ合衆国へ宣戦布告を行う事を発表した。

「アメリカ風邪は人類全てにとって脅威である。しかし、メキシコはその封じ込めに協力しないどころかその包囲網を 破り自国本位の行動を取って人類全てを危機に晒そうとしている。我々は何度も彼らに自重を求めたが、彼らはその 行動を改めようとしない。ここに至り帝国政府は『極めて遺憾』であるが、我が国と人類文明を守るためにメキシコに対して 宣戦を布告する」

 国民向けのテレビ放送で嶋田はメキシコを非難した上で、メキシコ政府へ宣戦布告を行ったことを公表した。
 アメリカとの戦争が実質的に終了したということでほっとしていた国民の中には「まだ戦争が長引くのか」と思う人間も いたが、アメリカ風邪という凶悪な疫病を防ぐためという名目を聞かされては反発する人間は少なかった。加えてメキシコ相手 の戦争ということで、悲壮感など全く無かった。
 街頭でテレビや号外の新聞を見た人々は新たな戦争がいつ終るかを気にした。

「メキシコか、余計なことを……まぁ所詮は三等国だしそう時間は掛からないだろう」
「そうだ。アメリカ軍さえ捻り潰した『世界最強』の帝国軍にかかればあっという間だろう」
「まぁ戦前にやられたことを思うと気持ちは判らないことはないが……もう少し空気を読んで欲しいな」

 日本国民は戦前にアメリカによってメキシコが虐げられていたことを知っていたので、メキシコに対して同情する者も いたが、アメリカ風邪が南米経由で世界に拡散する危険があるとなるとメキシコを庇うものは居ない。

「しかしアメリカに続いてメキシコと戦うか……ひょっとしてメキシコの権益も手に入るかも知れないな」
「カリフォルニア、アラスカ、さらにメキシコか。夢が広がるな」
「いまや日本は太平洋全てを支配していると言って良いからな。しかし、まさかアメリカと戦争をやってここまで 支配圏が大きくなるとは思っても見なかった。アメリカが潰れたのは痛いが、投資先には困らないぞ」

 証券取引所で投資家達は戦後の飛躍を夢見て楽しげに笑う。

「政府ではアラスカ、ハワイへの投資を考えているそうだ。それにカリフォルニアからも特許や資源の権益を得られる という話がある。儲け話に乗り遅れないようにしないと」
「帝国軍の圧勝振りから、諸外国から日本製兵器や工作機械、生産施設の売却を打診されたという噂もある。まだ儲けられそうだ。 全く、この戦争は日本製兵器、いや日本の工業製品の良い宣伝になったよ」
「あとは製薬会社だ。アメリカ風邪の対策で儲かりそうだからな」

 戦時下にあるにも関わらず日本経済は活発だった。勿論、ある程度の統制は行われているが、相次ぐ大戦果と急速な 勢力圏の膨張は日本人に明るい展望を抱かせるには十分すぎた。さらにこれまでの戦いが殆どワンサイドゲームであり アメリカと中国と言う二大国家との戦争にもかかわらず、戦死者が少ないことも市民を安心させていた。

「……もうちょっとで、おとうさんがかえってくるよね?」

 街中で歩いていた幼子が母親に尋ねると、母親はわが子を安心させるように笑いながら頷く。

「そうよ。だから、もう少し辛抱して待とうね」

 太平洋戦争で主だった戦闘は南満州、中国大陸沿岸、フィリピン、ハワイ沖でしか起こっていない。さらにこれらの 戦いでは完全勝利を収めていたこと、大陸内陸に進撃しなかったことで軍の戦死者は抑えられていた。 勿論、僅かな犠牲で米軍と中国軍を降した帝国軍の人気と評価は高まっていた。このため軍人達は我が世の春を謳歌 していた。
 しかし一般市民たちの明るさとは対称的に、帝国政府上層部は浮かない顔の人間が多かった。勿論、表では そんな表情は億尾にも出さないのだが、多くの人間は世間の目がないところではため息を漏らしていた。
 そして尤も憂鬱なのは、表向き日本帝国を勝利に導いたとされる男であった。

「やれやれ、一般市民が羨ましい……」

 公用車の中から外を見て嶋田はため息を漏らす。
 嶋田が車に乗っているのを知った市民は、万歳三唱をして嶋田の功績を称えていたが、そんな賞賛の声を聞いても嶋田の 心が晴れることは無い。何しろ彼の前には解決しなければならない問題が山積みなのだ。

(世界最強、世界に冠たる大日本帝国か……たちの悪いジョークだな)

 戦争には勝った。日米戦争は史上稀に見るパーフェクトゲームで終わり、第二次世界大戦、そして太平洋戦争を通じて日本海軍は 嘗ての日露戦争での栄光を遥かに超える栄光を手にし、『世界最強の海軍』の称号を得た。そして日本帝国の国威は戦前とは比べ物に ならないほどに高まった。新興の列強だったはずの日本帝国が今や押しも押されぬ列強筆頭の座についている。国民からすれば今後 忘れえぬ強烈な成功体験に他ならない。彼らが浮かれるのは当然であることは嶋田は理解している。だが感情は別だった。

(この繁栄と平和を守るため、我々は歴史に絶対残せない大罪を犯し、この度、『第三の火』をメキシコに落そうとしている。 そしてこれからも多くの人間を死地に追いやっていくことになる。我々はこの世界で死んだら間違いなく地獄行きだろう…… それなのに――)

 自身が少し弱気になっていると考えて、嶋田はそんな弱気と愚かな考えを振り払うべく軽く頭を振った。

(何を馬鹿なことを。たとえこの身が死後、決して光の届かぬ煉獄に落とされるとしても、『その程度』の代価で アメリカを、多少の小細工では絶対に勝てない国を敵に回して日本を守れるならば……安いものだ)

 嶋田は頭を切り換えて今後のことを考える。

(今は対メキシコ戦だ……負けることは無いだろうが、可能な限り戦力は集結させ短期間で終らせなければ。 それと後始末の準備も急がなければならない)

 太平洋戦争をほぼ無傷で乗り切った帝国海軍ご自慢の空母機動部隊の打撃力は『大鳳』、祥鳳型空母や烈風改の配備によって開戦前より さらに増していると言って良い。彼らが暴れればメキシコ軍など物の数ではない。だが暴れまわっても後始末がうまくいかなくては 意味が無い。

(後世においても我々の行動を批判するのは難しいだろう。故に全ての惨禍の責任をメキシコ人に被せつつも、核の威力とその 恐ろしさを、惨たらしさを世界に見せ付け、さらに今後必要となるデータを収集することが出来る)

 幸い(?)にもメキシコは事実上世界を敵にしていた。それも単なる戦争行為ではなく、人類文明を危機に晒すような行動をして いた。現段階で彼らに原爆を叩き込んだところで誰も非難することは出来ない。

(まぁあとは大西中将に任せよう。彼なら富嶽と原爆を『うまく』使えるだろう)

 そんな帝国宰相の想いを他所に、太平洋の向こう側、そして太平洋の要衝であるハワイに展開していた帝国軍は行動を開始していた。 そして日本の動きに連動するように欧州列強もまた動き出していた。
 欧州連合艦隊がメキシコ本土の大西洋岸に急行すると同時に、メキシコに潜伏させている諜報員達を使って情報収集を活発化させた。彼ら からすれば今の日本軍の実力を量る機会でもあったのだ。日本が新型爆弾『原子爆弾』使うとの情報もあったことがその動きをより促進させた。 何しろ欧州列強は原子力兵器の開発で日本に対して大きく遅れている。この遅れを取り戻すためには少しでも多くの情報が必要なのだ。

「それにしてもメキシコ人も馬鹿なことをしたものだ。自重していれば足場程度には使ってやったものを」

 総統府でヒトラーはメキシコ人の行動を見下して馬鹿にした。そしてそれを咎める者はいない。誰もがメキシコの行動を暴挙と考えていたのだ。

「所詮、有色人種は日本人を除いて『この程度』ということか」

 ヒトラーの言葉にヒムラーは追従する。

「優秀なアーリア人による統治、これこそが重要になりましょう。それとユダヤ人などの扱いですが」
「奴らは扱き使ってやれ。復興のためには使い捨てに出来る労働力が必要だ。それと旧アメリカの有望な技術者や科学者の回収を急げ。 日本人も動き出していると聞く。ここでも遅れは取れん」
「はい」

 繁栄に酔いしれる日本と違って欧州は戦災と津波によって依然として厳しい状況だった。故に枢軸国の盟主であるドイツは何らかの手を 打つ必要があった。このため欧州ではアメリカから可能な限りの富や技術を収奪すると同時に、奴隷制を復活させる動きさえある。
 人道や人権が重視されるようになった史実と違って、この世界は真逆の方向に向かって突っ走ろうとしていた。

「メキシコは短期間で片付くだろう。だがその後が問題だ。レーダー元帥、戦後のためにもドイツ海軍の活躍を期待するぞ」





             提督たちの憂鬱 第56話





 宣戦布告の直後、第2艦隊、第3艦隊は連合艦隊司令部の命令に従ってただちに行動を開始した。
 ハワイから遅れてやってきた補給部隊と合流した彼らに怖いものは無く、その圧倒的と言ってよい打撃力を発揮できるようになった。 そのため第2艦隊は予定通りエンセナーダを、第3艦隊はカリフォルニア領内に侵攻しようとしているメキシコ陸軍を攻撃するべく準備を急いでいた。

「ここで我々が失敗すれば皇国のみならず、世界が危機に陥る。全人類の命運はこの一戦に、我々の双肩に掛かっていると 言って良い。そのことを肝に銘じろ!」
「「「はっ!!!」」」

 空母大鳳の艦橋では第2艦隊司令官に任命された山口多聞中将は部下達に発破を掛けた。
 何しろメキシコの暴走を早期に止めなければ『人類滅亡』が現実になりかねず、万が一でも失敗は許されない。
 搭乗員や艦隊将兵もアメリカ風邪がいかに危険な疫病か十分に知らされており、山口中将の言うように自分達の双肩に文字通り地球人類の 命運が掛かっていることを理解し、士気を上げていた。

「折角、米軍から守り抜いた内地を疫病で荒らされて堪るか!」

 致死率が極めて高く、伝染性が高いとされる疫病が日本に侵入すれば大惨事になる。
 帝国政府はすでに十分な防疫体制を敷いていること、ワクチンこそないが抗生物質の投与は有効であり、国民に投与するための十分な量が あることを広報している。だがそれでも内地で感染拡大が起これば自分の身内が、知人が犠牲になるかも知れない……その思いが将兵の士気を 駆り立てた。
 この光景を見ていた空母『大鳳』の艦長である菊池朝三大佐は、かつての自身が経験した戦争とは全く異なる光景に、歴史が完全に変わった ことを実感した。

(まさか、この大鳳の初陣の相手がアメリカ海軍ではなくメキシコ軍とは……)

 かつて史実といわれた世界で日本海軍の期待の新鋭空母であった大鳳を預かっていた男としては或る意味で肩透かしであったが、それも 良かったと考えていた。少なくとも自艦が危険にさらされる可能性が低くなるのは良いことだった。

(アメリカは開戦半年で崩壊。大鳳は戦争に間に合わず。さしずめこの艦は史実米海軍の空母『ミッドウェー』に相当する役割を振られたということか。 歴史の神がいるとしたら皮肉な采配だな)

 夢幻会の中でも珍しい『過去の自分』へ逆行した男は、的確に必要な指揮を取りながら苦笑が表に出ないようにするのに苦労した。

(それにしても、まさか対米戦争で完全勝利できるとは思わなかった。冷静に見れば米国の自滅だが、それでも)

 史実の太平洋戦争の経験者であるが故、彼はアメリカ軍の恐ろしさを身に染みていた。圧倒的物量と技術力で押し寄せた米軍によって真っ向から日本軍が 叩き潰され、日本軍では手が届かぬ高空を飛ぶB−29により市街地を焼き払われ、港は機雷で封鎖される様を実際に見た男にとっては、あの恐るべき 国に曲がりなりにも勝利できたのは、まるで夢のような出来事なのだ。

「……切っ掛けは大西洋大津波、か」

 この菊池大佐の独り言は山口の耳に届いた。

「どうした、艦長?」
「いえ、何とも奇妙なことになったと思いまして」

 この言葉に山口も頷く。

「確かに、アメリカと戦端を開いたときには、こんなことになるとは思ってもみなかった」

 次々に発艦していく攻撃隊を見送りながら、山口は続けた。

「すべては、あの大西洋大津波からだろう。あの日以降、世界は変わった」
「……」

 彼の言うとおり世界はあの日以降変わった。これまで世界の中心であった大西洋地域は壊滅的打撃を受け、世界の中心は否応なしに太平洋に移ろうと している。世界最大の工業大国であり、世界一の金持ちであったアメリカの滅亡もそれに拍車を掛けている。その過程ですでに億に迫る数の人間が死に 追いやられている。だがその無数の不幸や悲劇さえ踏み台にして日本は飛躍しようとしていた。

「世間では、今神風と持て囃されているが……俺はそうは思わん。」
「実際には長官の仰るとおり災害でしょう。それも地球規模の」
「そうだ。海軍は合理主義だ。神風などに頼るような風潮があってはならない。それに……」

 暫しの間を置いて、彼はやや声を落として言い放った。

「本当に神仏が日本を想って神風を起こすのならば、もっと別の形になるはずだ。少なくとも皇国にとってあれほどの脅威となる疫病を残すような ことはしまい」
「……」
「……喋りすぎたな。今は目の前のことに集中しよう」
「はっ!」

 彼らが見送った180機もの第一次攻撃隊は、このあと猛然とエンセナーダに襲い掛かった。
 アメリカ合衆国によって占領され、傀儡政権が樹立された際に拡張された軍事施設は、旧アメリカ軍関係者にとっては災厄と同義語である 日本海軍空母艦載機による猛爆を受けたのだ。

「何だ? あの速度は?!」

 メキシコ軍将兵は初めて見る流星艦攻に圧倒された。
 彼らは何とか狙いを定めようとするが、旧式機揃いの自軍機はもとより、かつてメキシコの空を我が物顔に飛び回っていた米軍機さえ嘲笑う かのような速度、俊敏性のためにまともに照準がつけられない。加えて砲弾のタイマーのセットもうまくいかず、彼らは空しく無駄弾を 打ち上げるだけだった。
 機銃にかじりついて必死に抵抗するメキシコ軍兵士は近くに居た人間に怒鳴るように尋ねる。

「味方の戦闘機は何をしている?!」
「飛行場から発進したはずですが」

 そうこういう内に、メキシコ軍の虎の子の戦闘機P−26が戦場に飛び込む。

「日本機を追い払ってくれ!」

 しかしそんな希望は、嘲笑われるように砕かれた。攻撃を終えて身軽になった流星は、P−26の鈍重さを嘲笑うかのようにあっさりと P−26の背後に回りこみ、搭載している20mm機関砲でP−26を撃墜してしまう。

「嘘だろ……」

 彼らにとって信じられないことにP−26は攻撃機であるはずの流星によって逆に撃墜された。史実米海軍のスカイレーダーの設計思想に 加えて2200馬力を誇る栄エンジンを搭載し553キロもの最高速度を誇る流星からすれば別に不可能な所業ではないのだが、そんなことを 知る由もないメキシコ人達から見れば、これまでの自分達の常識を覆す光景を目の前にして叫ばずには居られない。

「な、何で、爆撃機が戦闘機より強いんだよ!」

 だがそんな彼らの疑問に答える者は居ない。むしろ現実はさらに過酷となっていく。
 そう、メキシコ軍の残存する戦闘機は駆けつけた烈風、そして烈風改によって悉く駆逐されたのだ。それはもはや戦闘と呼べるもの でさえなかった。メキシコ軍パイロット達に、あらゆる面で自軍機を凌駕する日本軍機の前に抵抗する術はなかったのだ。
 急降下しても、急旋回しても日本機を振り払うことはできず、20mm機関砲の攻撃の前に彼らの防御装甲は厚紙同然。メキシコ軍機は 黒煙を吐きながら地上に落下していった。幸運なパイロットの中には何とか攻撃の機会を得られた者もいたが、それとて絶望を深くするもの でしかなかった。12.7mmや7.62mmでは日本機の重厚な装甲を打ちぬくことは適わないのだ。

「……こ、これがアメリカ太平洋艦隊を全滅させた連中の実力なのか」

 歯噛みするメキシコ軍兵士。だが彼らが悔しがる余裕さえ、日本軍は与えない。
 完全に邪魔者がいなくなったことで、出番がなくなった戦闘機が地上への機銃掃射を始めたのだ。20mm機関砲の直撃を受ければ人体など 一溜まりもない。さらに一部の烈風や烈風改にはロケット弾さえ積まれていた。これらが地上にばら撒かれ、惨劇を拡大していく。

「熱い、熱い!」
「腕が、俺の腕が……!」

 火達磨に、あるいは血まみれになって転がりまわるメキシコ軍兵士達。
 次々にメキシコ軍の抵抗力が失われていくのと反比例するように、日本軍の攻撃はますます精度を増していく。基地施設に次々に爆弾が 降り注ぎ、片っ端から破壊されていく。コンクリートによって覆われた地下施設であっても1トン爆弾の集中投下を受けては堪らない。 弾薬庫が流星が投下した1トン爆弾の命中によって大爆発を起こし轟音と衝撃波を撒き散らし、周辺施設を巻き添えにして消し飛んでいった。

「まさか、単発の機体で1トン以上の大型爆弾を載せているのか?!」

 誰もが顔を引きつらせる。もしも自分達の前に飛び交う爆撃機(流星のこと)が、それだけの搭載量を持っていたとなると、その破壊力は 途方も無いものだ。彼らの脳裏にかつての米墨戦争での悪夢、米軍の重爆の群れに襲われた時の光景が浮かぶ。
 そして同時に、これほどの実力を持ちながら米墨戦争で平然と自分達を見捨てていた日本に対する不満が湧き上がる。

「クソッタレ、これだけの力があるなら……」

 そんな彼らの呟きなど知る由も無く、日本軍は散々に爆撃した後、悠然と去っていった。

「……」

 ただの一度の爆撃で半ば壊滅したエンセナーダ基地の司令官は、司令部で絶句していた。

「……増援は?」
「ダメです。西部方面軍は再編に時間が掛かりますし、首都からの増援も到着するには時間がかかります。それに飛行場は片っ端から破壊されました。 施設の被害も甚大でまともな運用は難しいかと」

 参謀の回答に司令官は怒りをぶつけるように、自分の拳を机にたたきつけた。
 たたきつけたショックで、戦域図の上に置かれていた駒が倒れたり、落ちたりしたが司令官は気にしなかった。何しろ、その駒 が示していた部隊そのものがこの世から消滅していたのだから……。

「民兵あがりの連中が馬鹿をしたせいでこの始末だ!」

 日本を激怒させた『カリフォルニア侵攻』は、民兵あがりの軍人達が独断先行で起こしたものだった。
 尤も当の本人達は先に発砲したのはカリフォルニア陸軍と主張していたのだが、無闇に戦線を拡大したという事実は変わらない。そして その行為が日本の面子を潰し、開戦の口実を作ったことも……。

「何が革命だ! 連中がやったことは状況を悪化させただけではないか!! 市民も『革命』と言う言葉に惑わされて――」
「し、司令」
「ふん。クビにするならしてみればいいのだ!」

 司令官からすれば、今のメキシコは『ド素人』が政権をとり、それを『革命』という言葉に惑わされた市民が支持しているという状況 だった。司令官は今回の一件から、信じがたいド素人に政権をとらせるとどんな災厄が起こるかを嫌と言うほど理解できた。

(確かにアメリカがやったことは許しがたい。だがかといって世界を敵にしてどうするのだ!)

 だが怒り狂ってばかりはいられない。彼は何とか体制を立て直すべく手を打とうとする。

「残存部隊を再編しろ。海軍は?」
「港に残っていた部隊は全滅です。水雷艇さえ残っていません。港湾施設の被害も甚大で、軍港としての機能は……」
「頼りになるのは陸軍だけか」

 実に救いが無い答えだった。

「消火作業と復旧を急げ。これ以上、被害が拡大するのは阻止するんだ!」

 だがそんな司令官の命令も空しく、間髪おかず第二次攻撃隊がエンセナーダに来襲し、無慈悲な爆撃を行う事になる。第一次攻撃隊に よって散々に叩かれたメキシコ軍に第二次攻撃隊に対応する術などなく、日本軍にとっては演習さながらのような展開になった。

「連中め、ここを更地にするつもりか!?」

 こうしてエンセナーダが叩かれているころ、カリフォルニアに侵攻しようとしていたメキシコ陸軍部隊も、第3艦隊から押し寄せた 攻撃隊によって執拗な攻撃にさらされ潰走。加えて彼らの侵攻拠点であったティフアナにも大打撃を受けた。
 第2艦隊からの報告、そして第3艦隊攻撃隊からの報告を赤城の艦橋で聞いた小沢中将は、半ば決着がついたことを確信した。

「第2艦隊がエンセナーダを砲撃で叩けば、ハバカリフォルニア州で残った拠点は、西部方面軍残存が立て篭もるメヒカリのみになります」

 草鹿少将の言葉に小沢中将は頷く。

「しかし想定よりも脆かったな。この程度で我が国に喧嘩を売るとは……」
「民兵あがりの軍人が政権の中枢に参加しているせいでしょう」

 草鹿はそう言いつつも、史実の日本の暴走振りを振り返ると「人のことは言えないよな〜」と内心で苦笑いした。

(エリート(笑)の集まりだったはずの日本陸海軍が仕出かしたことを考えると、メキシコのことを悪く言えない……)

 反面教師を知るが故に、夢幻会の人間、特に逆行者達の多くは今回のメキシコの暴走を一概に愚者の暴挙と笑えなかった。

「第2艦隊はこの後、予定通りエンセナーダへの艦砲射撃を行うとのことです。また欧州連合艦隊もベラクルスに進撃しています。 首都メキシコシティのメキシコ湾側の外港であるあの都市が攻撃されるとなれば彼らも頭を冷やすでしょう」




 ハバカリフォルニア州が大きな災厄に見舞われている頃、欧州連合艦隊も行動を起こしていた。
 英海軍の至宝ともいえる戦艦KGV、空母アークロイヤルを中心とした英艦隊に加え、ドイツ海軍の至宝であるポケット戦艦の リュッツォウ、アドミラル・シェーア、駆逐艦6隻からなる連合艦隊は日本海軍の猛爆によって混乱するメキシコにトドメを刺す かのごとく、メキシコ合衆国で有数の港湾都市であり、首都の間近にあるベラクルスに迫っていたのだ。

「漸く、我々ドイツ海軍の出番が来たのだな」

 ドイツ艦隊旗艦リュッツォウの艦橋では、艦隊司令官ギュンター・リュッチェンス中将が士気を上げていた。
 何しろこれまでドイツ海軍はUボート以外は殆ど出番がなかった。対ソ戦争が始まって以降は、予算でも、物資でも、人材でも 冷遇され冷や飯食いを囲ってきた。
 一時はヒトラーに「役に立たない水上艦艇など戦費の足しのために同盟国に売り払ってしまえ」とまで言われ、陸軍には「暇な海軍の 人材を東部に送りたい」と皮肉(半分本気)を言われ、空軍元帥には「水上艦艇は高価な実物大模型」と酷評された。反論しようにもまともな成果など 挙げていなかったために何も言い返せず、彼らはひたすら屈辱に耐える日々を送っていたのだ。
 故に漸く回ってきた晴れ舞台にドイツ海軍将兵の士気が上がるのも無理は無かった。英海軍との共同作戦ではあったものの、切っ先を 務めるのは彼らなのだ。
 加えてドイツ海軍は北米との連絡線を維持するため、そして枢軸国としての威信を確保するためにある程度の軍拡が政府内で計画され ている。一国で日本海軍に比肩する海軍を作るのは難しいが、同盟国と手を合わせれば十分に強力な海軍を作ることが出来る。ドイツは陸空軍に 力を入れざるを得ないが、それでも海軍にとってはこれまでよりは遥かにマシな環境になるのは間違いなかった。

「諸君、我々はこれからメキシコの首都の玄関口と言ってもいいベラクルスを叩く!
 かつて我々を苦しめたペスト。あの忌まわしき黒死病の封じ込めようとする動きを妨害する愚かなメキシコに鉄槌を下すのだ!」

 意気軒昂なドイツ海軍を他所に、英海軍は太平洋で繰り広げられる戦いに関する情報を知らされて、ため息を漏らしていた。

「合計12隻もの空母の猛攻でハバカリフォルニアに展開していたメキシコ軍は半ば壊滅。あとはメヒカリに立て篭もっている 西部方面軍残存部隊のみ、か」

 700機以上もの艦載機の集中運用がどれほどの破壊力を持っているかを思い知らされたトーヴィー元帥はため息を漏らす。

「艦載機の開発に出遅れたツケは大きかったな」

 元帥の言葉に誰も反論できなかった。
 何しろ英海軍の艦載機は戦闘機も攻撃機も日本海軍のものに比べて劣っている。特に雷撃機など英海軍は未だにソードフィッシュを 使っているのだ。日英にどれだけの差があるかなど一目瞭然だった。
 加えて空母の数や性能でも劣っている。翔鶴型でも驚きなのに今回新たに投入された大鳳型空母の報告を聞いて、元帥は自分の目と 耳に深刻な障害が発生したかと疑ったほどだ。尤も心のどこかでは『あの』日本人達なら、あのような超空母を建造してもおかしくない とも思ったが……。

「上は九六式や九七式のライセンス生産を目論んでいるようだが……枢軸相手に優勢を確保するにはゼロが必要だろう」

 かつての英海軍軍人なら決して言わなかった台詞だが、それを言わざるを得ないほど英国は苦境に立たされていた。何しろ回りは 敵だらけで味方は一国もない。国の信頼は失墜しているし、軍事力も経済力も弱体化している。そしてそれが回復する見込みは今の ところ殆ど無いのだ。数が揃えられない以上は質で補うしかないのだが、それとて短期間では困難。だとすれば他所からもってくる しか道は無い。

「しかし、閣下。日本がそれを許すとは……」

 参謀長の言葉に「判っている」と苦い顔で答える。

(政府が植民地人の甘言に乗ったせいでこの様だ。我々が『東洋の侍達は植民地人の海軍など問題にならないほど経験豊富で手強い』と 言っていたのに、だ。そしてその愚行の後は栄えある王立海軍にドイツ人と手を結んで火事場泥棒の片棒を担げとは……)

 憤懣やるかたなし、といった顔だったがすぐに冷静さを取り戻す。
 諸外国では英国人の信頼は落ちていたが、彼はあくまでも英国紳士なのだ。そして艦隊を統括する指揮官でもある。政府への怒りで 判断を誤るわけにはいかないし、何より今回の任務は世界の命運を分けるかもしれない重要な任務でもあることを理解していた。

「警戒を怠るな。メキシコ海軍に後れを取れば末代までの恥だぞ」

 かくして迫り来る英独艦隊に対して、メキシコ海軍はまともな手を打てなかった。
 彼らは少数の基地航空隊、沿岸に構築している砲台となけなしの6隻の駆逐艦や水雷艇等で最後の抵抗をするくらいしか道は無いのだ。
 そしてそんな脆弱な抵抗など英独艦隊の前には無意味だった。ドイツ海軍はこれまでの鬱憤を晴らすかのごとく、メキシコ艦隊を 蹴散らしていく。

「そんな骨董品で我々の進撃を止められるとでも思ったか!」

 制空権を握った後、ドイツ艦隊は瞬く間にメキシコ海軍の駆逐艦を撃滅していった。このベラクルス沖海戦と呼ばれる戦いでドイツ海軍は 完全勝利を収めることになる。尤もそれがメキシコ海軍という三流海軍相手では誇れるものかは微妙であったが……。
 何はともあれメキシコ有数の都市であるベラクルスは、その無防備な姿を晒すことになり、メキシコ政府は頭を抱えることになる。

「どうするのだ?!」
「知るか! そもそも陸軍が暴走するからこんなことになるんだ!」
「何だと?!」

 メキシコシティの政府庁舎では、どのような手を打つべきかではなく、今回の敗北の責任の擦り付け合いが起こっていた。 何しろハバカリフォルニア州は空襲で甚大な被害を被り、さらに大西洋では欧州艦隊がこちらに向かっているのだ。このままでは 国内に混乱が広がるだけでなく、国民からの支持を失い、政府は崩壊しかねない。故に誰もが焦っていたのだ。

「連中が我々を世界の敵というなら、それに相応しい行動を取ってやればいい」

 ダビット少将の言葉に誰もがぎょっとする。

「何を」
「連中が恐れるのはアメリカ風邪の拡大だ。それなら旧米国領内からアメリカ風邪の患者をこの地に連れてきて脅すのだ。 我々の言うことを聞かなければ、アメリカ風邪を南米にも広げると」
「馬鹿な! そんなことをすれば本当に」
「今でも世界の敵なのだ。何が変わるというのだ?」

 この言葉に何人かが絶句した。

「く、狂ってる」
「ならば、何か対案があるとでも? 刻一刻と日欧艦隊は迫っているのだ。時間は無い。早くしないとエンセナーダと ベラクルスが灰燼に帰す」
「「「………」」」

 沈黙する高官達。だがいくら彼らでも、この提言は容易に受け入れられない。
 受け入れたが最後、メキシコは全人類の敵として永遠にその名を歴史に刻まれることになる。そしてその名誉は永遠に 回復されることなく『悪役』として残されるだろう。

「君は我々にサタンになれというのか?」
「そうだ。列強が本気になれば使用されるのは日本の新型爆弾だけではない。BC兵器さえ使用し、メキシコ人を根絶やしにするかも知れん」
「軍はそれを防げるのか! ただでさえ日欧の艦隊に歯が立たないというのに」

 これらの反発の声をダビットは嘲笑う。

「なら連中に降伏すると? 降伏しても我々は汚名しか残らないし、米軍に占領された時代に逆戻りだ。ならばメキシコの名誉を 守るために最後の一兵まで戦うまでだ」

 喧々囂々となる会議。しかしそんな会議から1人の男が抜け出していた。

「拙い、このままでは愚か者共に付き合わされて、我々も破滅してしまう。これだから民兵出身者は」

 吐き捨てつつ廊下を進んでいくのは、メキシコマフィアをバックに持つ男だった。
 彼らマフィアはアメリカによって占領されていた時代を巧みに生き抜き、そしてアメリカ崩壊後は革命に協力して今の地位を得ていた。 しかしそれらは愛国心よりも自分達のためであった。逆に言えば今の政府が自分達に害をなすというのなら、今の政府を売ることさえ躊躇う ことはない。

「日本とコネを作っておいて正解だったな。いち早くこのことを知らせておけば、我々が被る被害は少なくて済む」

 かくしてメキシコ政府は内部から瓦解し始める。
 しかしその様子を未だに知らない日欧の艦隊は当初の予定通り、エンセナーダとベラクルスへの攻撃を開始する。
 空母、そして空母を護衛するための最低限の護衛艦を分離してエンセナーダに突入した第2艦隊は、エンセナーダに対して容赦なく 戦略艦砲射撃を浴びせた。
 今回が初の実戦である富士型超重巡洋艦であったが、相手が反撃能力の無い地上拠点ということで、安心して初戦に臨んでいた。 富士型の35.6cm砲が、伊吹型の41cm砲が次々に火を噴き、面白いようにエンセナーダに砲弾が吸い込まれていく。勿論、砲撃 しているのはこの4隻だけではない。重巡洋艦以下の艦艇も加わり、その砲を地上に向けている。
 これによって基地は月面のようにクレーターだらけとなった。そして市街地にも流れ弾が多数降り注ぎ、街は猛火に包まれた。

「逃げろ、早く逃げるんだ!」

 メキシコ軍人達は何とか市民を脱出させようとする。軍人の誘導を受けた市民は降り注ぐ砲弾の音に恐怖しながら必死に内陸へ逃げよう とする。何しろ、もはやそこにしか逃れる場所はない。かつては彼らのものだった海は、今や東洋の帝国の支配下にあるのだ。

「くそ、何て連中だ! ここは市街地だぞ!!」

 夕暮れの中、真っ赤に燃え上がるエンセナーダ。そこにかつて太平洋岸において重要な港湾都市であった面影は無い。
 そして同じような光景は大西洋側のベラクルスでも起こっていた。尤もこちらは投入される戦力が少ないせいか、エンセナーダほど ではなかったが、それでもKGVとポケット戦艦2隻の火力は馬鹿に出来るものではなかった。
 エンセナーダとベラクルスが猛火に包まれたという報告はメキシコ政府を激震させた。

「もはや一刻の猶予も無い!」

 ダビット少将は列強を脅迫することを声高に主張した。
 一方で降伏を唱える者も出始める。何しろどう贔屓目に見ても、もはやメキシコに勝ち目は無い。何とか頭を下げて許しを請おうと 言う者が出ても不思議ではないのだ。
 しかしそんな意見をダビットは一蹴する。

「列強とはいえ、このメキシコ全土を占領する余裕はあるまい! ましてメキシコ人を皆殺しにするなど」
「少将、彼らがその気になれば沿岸都市は軒並み破壊される! そうなれば国がもたない! 君は国を、メキシコ人を滅ぼすつもりか! アメリカ人たちのように、国を失ったらどんな惨めな目に合うかが判らんのか!!」
「そして再び屈辱に耐える日々を送れというのか!! 東部方面軍は健在だし、西部方面軍も再編すればまだ戦える!!」

 本土決戦さえ辞さず、というダビット以下の強硬派。これに反発する穏健派の争いは終る気配がない。
 だがそんな彼らの話し合いの中、日本軍はさらに次の手に出る。そう、ハバカリフォルニア州の州都であり、西部方面軍残存部隊が 展開するメヒカリ。この都市に原爆を搭載した富嶽を差し向けていたのだ。
 そして『富嶽』の操縦室では、『公式上』は世界初の核攻撃に向けて最終チェックが行われていた。

「目標上空に到着。敵影なし。風向き、風速は以下の通りです」
「安全装置の解除は?」
「完了しています」

 闇夜の中を飛ぶ『富嶽』をメキシコ軍は察知できなかった。いや察知できたとしても迎撃することは適わなかっただろう。 何しろこの機体は原爆を運用するために生み出されたのだ。そのためアメリカ軍の迎撃さえ振り切れるように作られている。 メキシコ軍が手出しが出来る相手ではない。
 他国から見れば超兵器とも思える性能を持つ『富嶽』の内部では原子爆弾を投下する準備はすべて完了していた。あとは 投下を待つだけだった。

「「「……」」」

 しばしの沈黙の後、命令が下される。

「……投下」

 落下していく原子爆弾。それは闇に吸い込まれるように消えていく。そして予定通り……『それ』はメヒカリの上空で この世のものとは思えぬ閃光を発して炸裂した。









 あとがき
提督たちの憂鬱第56話をお送りしました。
メキシコ軍はボコボコにされてしまいました。あとドイツ海軍水上打撃部隊が漸く表舞台に出てきました。
相手はメキシコ海軍でしたが……とりあえず完全勝利です(笑)。というかドイツ海軍の出番を書いたら話が進まなくなって しまいました。それにしてもイタリア海軍の出番が遂に無かった……。
さて遂にメヒカリに核が投下されました。各国の反応を含め、次回でメキシコ戦は終わりになります。太平洋での戦争もやっと終わりです。 次は戦後……どこまで話を続けてよいものやら(謎爆)。
拙作にもかかわらず最後まで読んでくださりありがとうございました。
提督たちの憂鬱第57話でお会いしましょう。