ハワイ陥落の2日前、メキシコは遂に行動を開始した。
メキシコ軍による旧米領侵攻の拠点の一つとなったのはメキシコの最北の州であるハバ・カリフォルニア州。
旧アメリカ合衆国カリフォルニア州やアリゾナ州と国境を接していたこの州にはメキシコ陸軍3個師団からなる西部方面軍が集結していた。
高々3個師団ではあったが彼らはメキシコにとっては貴重な正規部隊であり、装備でも優遇された部隊であった。
史実ではコスト高やメキシコ革命の影響でメキシコ軍が装備することがなかった半自動小銃M1908、それに旧アメリカ軍が残した
M1ガーランドを多くの歩兵が装備している(補給の問題はあるが……)。
また旧アメリカ軍の正規師団より数は少ないもののブローニングM2、M1919などの重機関銃などの重火器や鹵獲したM2中戦車や
トラックなどの各種の車両も配備されている。
メキシコ軍全体を見ても、これだけの装備がされている部隊は殆ど無い。つまりこの3個師団は文字通り虎の子の部隊であり、メキシコ陸軍の
カリフォルニア軍に対する切り札だった。
だが彼らはこの3個師団で全てを決着させるつもりはなかった。本命は別のところ、ソラノ州カナネアに集結した2個師団から構成される
東部方面軍だった。
「アリゾナを制圧すればボールダーダムへの道も開ける。そしてボールダーダムを盾にカリフォルニアを脅すことも出来る」
メキシコ政府は東部方面軍を旧アリゾナ州、現アリゾナ共和国へ進撃させサザンパシフィック鉄道の奪取と首都フェニックス攻略を
行いアリゾナを掌握、それをもってネバタにあるボールダーダム(フーバーダム)を脅かしカリフォルニアへの発言力を得ようと考えていたのだ。
勿論、カリフォルニアがこの動きを座視するとは彼らも思っていない。故に西部方面軍は北上しアリゾナ・カリフォルニア間を封鎖、或いは
示威行動でカリフォルニア軍を牽制することになっている。
日本のテリトリーであるとされるカリフォルニアを直接犯すことなく、西海岸最大の勢力であるカリフォルニアへの影響力を得ようとする
この作戦は見方によっては合理的であったが、メキシコ人の中では消極的という意見も多かった。
彼らはこれまで受け続けた屈辱を倍返しするためにカリフォルニア、或いはテキサスの攻略を望んでいたからだ。しかしそういった目論みは
列強の動き、そして国内穏健派の動きによって封じ込まれた。
特に穏健派はカリフォルニア侵攻が自分達を国際的に孤立させ、途方も無い苦境に追いやりかねないと反対した。何しろ北上開始前には
すでに日本海軍の大艦隊がハワイに向かっているとの報告もあったし、大西洋ではイギリス艦隊が無言の圧力を加えていた。
「悪戯にカリフォルニアになだれ込めば、最終的に袋叩きにあう。話し合いで何とかするべきだ」
穏健派はそう主張した。だが大勢は覆せない。
アメリカ合衆国の崩壊に伴い、メキシコ経済は悪化の一途を辿っていたし、メキシコの大西洋岸も津波によって多大な被害を被り、その
悪影響が広がりつつあった。列強からのお零れでは到底カバーできない。
このまま手を拱いていれば、第二の革命さえおきかねない。それに加え、メキシコ人からすれば自分達がアメリカの理不尽な侵略によって
辛酸苦難を舐めている際に殆ど何もしなかった列強への反感もあった。
「何が正義だ。連中だって火事場泥棒だろう」
「この際、強いメキシコとなり、発言力を確保するべきだ。幸い、日本軍も大規模な陸上部隊はすぐには展開できない。今がチャンスだ」
メキシコ政府の某高官はそう嘯いた。
しかし穏健派の主張を全く無視することもなかった。彼らはフーバーダムを狙う作戦に変更すると同時にメキシコと人類文明をアメリカ風邪から
守るため、そして旧アメリカ各地で迫害される同胞を救出するためというお題目を掲げたのだ。
一見するとまともそうに見えなくともないメキシコの主張であったが、それを信用して座視するほどカリフォルニア政府はお人よしではない。
彼らはカリフォルニア共和国に組み込んだ旧ネバタ州にあるフーバーダムを守るために、ネバタに隣接するアリゾナに援軍を派遣しようとする。
「アリゾナをメキシコ人の手に渡してはならない!」
カリフォルニア政府の命令を受けたアイゼンハワー大将は、手持ちの部隊でも指折りの精鋭を集めてこれを迎え撃った。
「本土決戦のために編成された第5軍。まさかこの部隊を私が指揮して、日本ではなくメキシコと戦うことになるとは」
サンディエゴの司令部でアイゼンハワーは苦笑した。
アメリカ合衆国陸軍第5軍。それはガーナーが目論んだ本土決戦のために編成された精鋭部隊だった。旧アメリカ陸軍虎の子の機甲師団である第1機甲師団の
他に3個師団、そして本土決戦のために編成された第14航空軍(現第1航空軍)も編入されている。勿論、西海岸では最大の戦力であった。
しかしそのアメリカは本土決戦をすることなく崩壊。第5軍はカリフォルニア共和国軍に吸収され、カリフォルニア陸軍第2軍として再編されることに
なった(尤もこの際、1個師団が元州軍部隊と入れ替え)。そしてその第2軍の司令官にアイゼンハワーは任ぜられた。
「ハルゼー提督も可能な限り支援してくれる。ここでメキシコ軍に遅れをとるのは許されない。あの無法者を食い止めるのだ!」
アイゼンハワーはそう檄を飛ばした。
何しろ相手は三流のメキシコ軍。彼らにまで苦戦するようなことになれば、旧アメリカ兵弱しという印象を世界に与えることになる。
そうなれば北米で辛うじて残っている旧アメリカ合衆国各州は列強からさらに軽視される可能性が高かった。そしてそのことをアイゼンハワーは
よく理解していた。
(これ以上、アメリカ人が見下されるようなことがあってはならない)
有色人種の国である日本に無理難題を吹っかけて戦いを挑んだ末に……アメリカ合衆国は滅んだ。
真っ向から戦って滅んだのならまだ救いがあるだろう。だがこの国にトドメを刺したのは自国製の生物兵器が原因と考えられる疫病。喜劇以外の何物でもない。
いや自国を滅ぼすだけなら喜劇で済んだのかもしれない。だがいまやアメリカ風邪は世界を危険に晒している。そしてそんな状況下においてアメリカ人は
足の引っ張り合いをしていたのだ。申し開きしようがない。故にこのメキシコの参戦はある意味で好機だった。
「我々の双肩に、人類の未来が掛かっている。諸君の健闘に期待する!」
一方、カリフォルニア海軍となった旧太平洋艦隊残存艦艇が陸軍を支援するためにサンディエゴ沖に集まっていた。
辛うじて動かせた空母ホーネット、軽巡洋艦1隻、駆逐艦6隻からなる小艦隊だったが、それが今のカリフォルニア海軍の限界だった。
そしてその小艦隊を率いるのは、マーク・ミッチャー少将。史実では日本海軍を散々に苦しめた彼であったが、この世界では殆ど日本軍と戦う
ことなく終った。
そのミッチャー少将はホーネットの艦橋で複雑な表情で指揮を執っていた。
(日本海軍に一矢も報いることなく終わり、次の相手がメキシコ人とはな)
日本の潜水艦によって開戦初頭に大破の憂き目にあったホーネットは、日米戦争の趨勢を決した大海戦・ハワイ沖海戦にも参加できなかった。
そして漸く修理が終わり、実戦に出れるようになったときにはすでに祖国は滅んでいた。ミッチャーの生まれ故郷であるウィスコンシン州は
アメリカ風邪の猛威にさらされており、彼の親族も多くが消息不明という有様だった。
そんな中でも彼が指揮を執るのは、これ以外に生きる術がないからだ。この状況では再就職も期待できない。それにこれまで自分達に付き従って
くれた部下達を見捨てるわけにもいかなかった。
(まぁ相手が日本軍でなくてよかったとも言えるな。あんな外道戦法を部下に強要しなくて済むんだから)
旧アメリカ軍はハワイ沖での大敗から真っ向から日本軍に対抗することは不可能と判断していた。
そんな彼らが取った方策は、実に皮肉なことに史実日本と同様の特攻作戦だった。最初は航空機による体当たり程度だったが、小型ボートに
よる体当たりや人間魚雷(脱出はできる)さえ計画されるようになっていた。
だがそれはアメリカ合衆国の滅亡によって画餅となった。
(だが、あのような戦法を採っても、あの日本軍相手にどこまで戦えたことやら……何しろ、発艦さえ苦労する有様だからな)
何とか掻き集めたF4Fやドーントレスなど、日本軍にとっては馴染みの機体が甲板に並び、発進準備に入る。
だがそれらの機体を操るパイロット達は練度がお世辞にも高いとは言えない。むしろ素人が多い。空母艦載機を操れるパイロット達は軒並み
ハワイ沖で散っていた。残っていたパイロット達も津波の影響による混乱で訓練ができず、練度を向上するどころか、維持さえ出来なかった。
尤も練度を維持できなかったのはパイロットだけではない。艦を操る水兵たちも同様だ。そんな状況でも何とかアメリカ海軍、いやカリフォルニア
海軍が動けたのはハルゼーなどの将校の必死の努力の賜物であった。
だが今後は空母や戦艦、それどころか重巡洋艦でさえカリフォルニア軍が維持できる見込みは低い。将来的には軽巡洋艦以下の艦艇しか保有できなく
なる可能性が高かった。
「……考えても仕方ない。今はメキシコ軍を追い返すことに集中するとしよう」
こうしてメキシコ軍とカリフォルニア共和国軍の戦いの火蓋は切って落とされる。
提督たちの憂鬱 第54話
カリフォルニア軍のように纏まった航空戦力のないメキシコ軍は空襲を避けるために夜間に国境を越えた。
勿論、大規模な夜戦の経験などないメキシコ軍は昼間ほど自由に動くことができなかったがそれは防衛側も同様だった。
勢いに任せてアリゾナ・メキシコ国境の突破を図るメキシコ軍東部方面軍をアリゾナ軍だけで押し留めることなど出来るわけが無く
メキシコ軍部隊はアリゾナ領内に侵攻していった。加えて西部方面軍も北進し、カリフォルニアとマリゾナの境にあるユマ市を目指す。
だがアイゼンハワーは焦ることなく、ユマに先行して派遣した第6師団に防御に徹することを指示する。
「朝になれば上空支援が期待できる。それまでは無理はするな」
一方、メキシコ軍が国境を越えたとの報告を聞いたカリフォルニア政府は、ただちに協議に入った。
「メキシコは夜の闇を利用して国境を突破したようですな」
ハーストの言葉に要人達は渋い顔をする。
彼がいるのはかつてのカリフォルニア州の州都であり、いまやカリフォルニア共和国の首都となった都市サクラメントにある
政府庁舎の一室だ。そこにはカリフォルニア共和国の高官たちも一堂に集っていた。
「先制攻撃を掛けたかったな」
この意見にハーストは首を横に振る。
「大臣。下手に戦端を開けばサンディエゴなどの南部の諸都市が戦禍に晒されます。
それに我々はあくまで被害者であるほうが都合が良いのです。強欲で無法で無定見なメキシコ人に果敢に対抗するという図式は望ましいと思いませんか?」
「……確かに日本人がメキシコ人に同情するようなことがあったら、面倒だな」
カリフォルニア共和国は旧アメリカ合衆国の州の中でもいち早く日本に接触し、事実上降伏していた。
東部は津波で壊滅。連邦は崩壊。加えて東からは国内難民と感染者が押し寄せるという悪夢を前にしては、日本への降伏に声高に反対する人間は
いなかった。
東部からの難民への対応に慌てているうちに西から太平洋艦隊を壊滅させた日本艦隊が押し寄せれば、カリフォルニアは滅亡することに
なると、誰もが判断していたのだ。
尤も白人である自分達が有色人種である日本人に降るという事実は、カリフォルニア政府高官にとっては面白くないことであった。
「ジャップ、いや日本人の機嫌を伺わないといけないとは我々も落ちたものだ」
「連邦政府、いや暫定政府の無能振りが今の事態を招いたといえるな」
「暫定政府を設立した時点で停戦していれば何とかなったものを。ああ、そういえば誰かが戦争を煽っていたな」
ハーストへ皮肉をぶつける男達。ハーストはカリフォルニア経済を支配する者たちへの代理人であったが、その程度はしないと彼らの
気がすまなかった。
「おや、それではあの時点で講和すると? 日本が簡単に耳を傾けますかな?」
ハーストは涼しい顔で切り返す。
「それに対日政策で強硬路線を行ったのはロング政権です。そしてそれを支えたのは貴方方でしょうに」
「「「………」」」
開戦前、カリフォルニアは対日戦争での特需を見込んでいた。何しろ日本との戦争となれば主戦場は太平洋。そしてその兵站を支える
のは西海岸の諸州になるのは間違いないのだ。航空産業だけでなく、造船などの他の産業でも大量の発注が期待できる。地域の発展、そして
スポンサーの意向もあって彼らは対日戦争に賛同したのだ。
尤も対日戦争に賛同した本人達が真っ先に日本に降伏する羽目になるというのも皮肉であったが……。
「まぁ今は皮肉の言い合いをするほど暇ではありません。メキシコの件に集中しましょう」
ハーストはそう言って話題を戻す。
「第1航空軍と太平洋艦隊は夜明けと共に攻撃を開始します。加えて第2軍もユマに急行中です。機動力を生かして
彼らをアリゾナで包囲殲滅するのも不可能ではない。ようはボールダーダムさえ守れれば良いのです」
「彼らを捨て石の様に扱うのは不本意だが……仕方ないか」
アリゾナが戦場になるのは好ましくなかったが、カリフォルニアにはアリゾナにまで十分な兵を置く余裕は無かった。
よってアリゾナの戦場化が避けられない以上はそれを逆手にとって利益を得る方策を取らざるを得ない。
多少の犠牲はでるだろうが、最終的には利益を確保できると彼らは判断していた。
「夜が明ければ航空隊も出せる。手間取ってもハワイの日本艦隊が救援に来る。メキシコもそうなれば兵を引くだろう」
「しかしメキシコが粘る可能性は否定するべきではない」
「彼らが日本並みに手強いと?」
「それは無いだろう。だがイレギュラーの発生は考慮するべきだ。対日戦での失敗を繰り返すべきではない。
それに我が軍の士気や継戦能力の問題もある。旧連邦と違って、我々の力では装備は簡単に補充できない。一度失われればその補填には
かなりの時間が掛かる」
世知辛かった。津波の前までなら装備を潤沢に揃えることが出来、それこそ必要なら使い捨てにさえ出来た。だがもはや彼らにそのような
贅沢は許されない。
「無理に包囲殲滅するより、彼らを追い返すことに力を注ぐべきだ。我々は大怪我をするわけにはいかない。戦後のためにも」
この言葉に誰も反論できなかった。カリフォルニアには戦後、日本軍が駐留する予定だが、最低限の発言力を得るには相応の力が必要に
なるのだ。尤も財界からすればその『最低限』の力を維持する労力さえ、大きな負荷になると思って、日本への編入を望んでいたのだが……。
「まぁその当りの采配はアイゼンハワー大将に期待しましょう。彼ならそのことも理解して采配してくれるでしょう」
不遜な態度でそう言い放つハースト。落ちぶれたとはいえ、未だに大きな力を持つ旧米財界、そして日本とのパイプがその自信の元だった。
しかしそんな態度を快く思う人間が居るわけがない。それに落ちぶれても、彼らはアメリカ人であり白人。黄色の帝国に喜んで降ることを良しと
する者はいなかった。だがここで全てを拒否するほど彼らは馬鹿でも無能でもなかった。
(我々が日本と事を構えればメキシコの二の舞。それに太平洋戦争やアメリカ風邪の責任さえ追求されかねない)
連邦は崩壊した。しかしそれで全てが終ったわけではない。
財界がプライドも何もかも放り捨て売国と言われても仕方がない所業をしたものの、それが無ければ度重なる挑発を連邦政府によって繰り返され、
最後には近代では前例がないほど理不尽な内容が記された最後通告『ハル・ノート』を突きつけられた日本がここまで寛容な態度に出たかは彼らには
判断できなかった。彼らがもしも逆の立場なら、下手に和平など申し込まれても鼻で笑うだけだ。
(ハワイ沖で引き分けにでも持ち込めていれば……糞、猿は魔法でも使えるというのか)
日本との関係が冷え切っているイギリスに仲介は頼めないし、他の国も日本に強く言う力はない。下手をすれば東部からの難民と疫病、南部からは
復讐に燃えるメキシコという状況で日本軍による本土攻撃を迎え撃たなければならないという状況に陥ったかも知れない。
そのことを考えると財界の提案に日本が乗ったからこそ、比較的マシな状況を得られたとも言える。
(何はともあれ、今は忍耐のとき、か)
夜が明けた途端に、カリフォルニア陸軍航空隊は各地の飛行場から発進し、北進するメキシコ軍西部方面軍を襲った。
メキシコ軍もなけなしの戦闘機(大半が複葉機だが)で応戦するが、もともと化物じみた戦闘力を持つ日本軍との本土決戦のために整備
されていた航空隊と戦うのはメキシコ軍機には荷が重すぎた。
特に日本との本土決戦に備えて開発されてきたP−77『セイバー』は、期待どおりの成果を叩きだし、メキシコ軍機を軒並み叩き落した。
メキシコ軍にとっては貴重な単葉機であるF2A『バッファロー』もセイバーの前では単なる旧式機であり獲物に過ぎなかった。
「これが戦争に間に合っていれば……」
12.7mm機関砲によって穴だらけになって墜落していくバッファローを見て、カリフォルニア軍パイロットの中にはそう言って悔しがる者もいた。
一方でメキシコ軍は圧倒的と言っても良いカリフォルニア軍航空隊の実力に驚愕した。
「何故だ、何故、日本人に出来て、我々には出来ないんだ!?」
瞬く間にメキシコ軍機は叩き落され、上空ががら空きになったメキシコ軍に爆撃機が襲い掛かる。一方的に頭上から攻撃を浴びたメキシコ軍は
大きな打撃を受けた。
「味方の戦闘機は何をしている?!」
メキシコ軍の将兵はそう絶叫した。だが非情な事に、その問いに対する答えは爆弾の雨と弾丸の嵐だった。
B−17やB−25といった爆撃機群が、何時ものように爆弾を降らす一方で、30機ほどの、B−17の群れが低空でメキシコ軍の頭上に現れる。
「何だ? あの機体は?!」
メキシコ軍が初めて目にしたのはB−17−EU。それはかつて日本との戦争で苦境に立たされていた米陸軍が開発した機体だ。
この機体は日本軍によって占領されたミッドウェー島などの島々を奪還する際に、島に配備された日本軍機を滑走路上で叩くために20mmや12.7mm
機関砲を大量に搭載している。だがアメリカの崩壊、そして日本軍の進駐開始によってこの機体は日本軍と一戦も交えることなく終戦を迎えた。
何も無ければこのガンシップとも言うべき機体は、元アメリカ人と戦う程度の生涯を辿るはずだった。だがその生涯はメキシコ人によって捻じ曲げられ
『人類の敵』を相手にするという華々しい初陣を飾ることになる。
「この蛮族共が!」
鬱憤の溜まっていたB−17の搭乗員達はそう罵りつつ、12.7mm機関砲、20mm機関砲で地表をうろつくメキシコ人に鉄槌を下した。
大口径の機関砲など生身で直撃を受けたら一溜まりもない。かすっただけでもスプラッタな大惨事となる。対空車両があれば少しは抵抗
できたのだろうが、メキシコ軍にそんな装備はない。B−17の成すがまま、彼らは蹂躙される。
「くそ、何でアメリカの残り滓でしかないカリフォルニアに、あんな力が残っているんだ?!」
「上が一杯食わされただけだろう! 連中は手薬煉引いて待っていたんだ!」
「くそったれが!!」
兵士達は口々にカリフォルニア軍と自軍の上層部を罵るが、罵ったからと言って銃撃がなくなるはずがない。
メキシコ軍は増援を出そうとするが、太平洋岸のティファナがカリフォルニア艦隊から激しい攻撃を浴びており、太平洋側からの兵力を
拠出するのは困難だった。
日本軍からすればやられ役と言っても過言ではないF4Fやドーントレスであったが、メキシコ軍のような相手ならば十分に戦えるのだ。
むしろ日本軍のほうが異常(列強からすれば)とも言えるが……。
かくして手痛い打撃を受けたメキシコ軍だったが、幸い天候の悪化によってそれ以上の攻撃は無かった。彼らは天佑とばかりに士気を上げ
ユマを目指したが、そこにはカリフォルニア・アリゾナ連合軍が陣地を構築していた。
「何としても突破しろ!」
戦車を前面に出して突破を図るメキシコ軍。これに対してカリフォルニア軍第6師団はM3戦車を持ち出して応戦。旧米軍戦車同士の
戦車戦が起こる。だが結局は戦車運用で旧米軍の流れを汲むカリフォルニア軍に軍配が上がり、メキシコ軍の攻勢は頓挫する。
そしてそんな中、満を満たしてアイゼンハワー率いる第2軍本隊が駆けつける。
「撃て!!」
重砲群による砲撃の後、M4戦車や本土決戦に備えて開発されたM12ジャクソン駆逐戦車がメキシコ軍に迫った。
特にM12は、日本の戦車を長距離から撃破するために38.2口径155mmM1918M1加農砲を備えている。このためメキシコ軍が
切り札と考えたM2戦車などの鹵獲戦車群は遠距離から一方的に撃破された。
「M2とは違うんだよ! M2とは!!」
「タイプ97だって撃破してやるぜ!!」
メキシコ軍戦車(元米戦車)が次々に各坐していく様を見たカリフォルニア陸軍の戦車兵たちは士気を上げて次の獲物を探す。
片やメキシコ軍の戦車兵たちはこの様子にうろたえた。
「こ、この距離で? 一方的に?!」
「化物め!」
九七式や九七式改を撃破できる品物を受けて唯で済むわけが無かったのだ。かと言ってメキシコ軍も黙ってやられるつもりはない。彼らは必死の
形相で反撃した。加えて味方陣地に対して支援砲撃を要請する。だが第2軍やユマ市防衛部隊はメキシコ軍をさらに上回る火力で攻勢をかけて、メキシコ軍の
砲を次々に沈黙させていく。
これに加え、漸く天候が回復したおかげで出撃が可能になったカリフォルニア陸軍航空隊までが参戦。メキシコ軍西部方面軍は陸と空の猛攻で
風前の灯のような状態となった。だがメキシコ軍将兵は簡単には諦めない。
「ここで負ければ、メキシコは再びあの屈辱の日々を送ることになる!」
かつてロング政権が引き起こした米墨戦争。これによってメキシコ軍は完膚なきまでに叩き潰され、首都であったメキシコシティは
米軍の軍靴によって踏みにじられた。メキシコシティに翻った星条旗を見て涙しなかった軍人はいなかった。
石油資本を国有化しようとした人間達は悉くが失脚し、中には裁判にかけられ処刑される者さえいた。そしてメキシコはアメリカにとって
都合の良い人間によって構成される傀儡政権が置かれ、金持ちや財閥のための政治が行われることになった。小作農や貧困層による反抗は
徹底的に弾圧され、彼らは絶望のどん底に追い込まれた。
一方でアメリカ人や、アメリカ人に媚を売る人間達は我が世の春とばかりに繁栄し、我が物顔に歩き回った。それがもう一度繰り返される
ことなど認められるものではなかった。
ある者は地雷を、ある者は火炎瓶をもってカリフォルニア軍戦車に突撃する。
「撃て、近寄らせるな!!」
随伴していたカリフォルニア軍歩兵がガーランド銃でメキシコ兵を打ち倒すが、何人かは突破し戦車に取り付く。そして地雷を
抱えた者たちはその命と引き換えに何両かを道連れにしていく。
「くそ、野蛮人どもが梃子摺らせる!」
カリフォルニア軍兵士はメキシコ人の自殺攻撃に舌打ちしつつも、冷静に反撃していく。
伊達に日本軍との本土決戦のために集結した部隊ではないのだ。だが彼らも弾薬はかつての米軍ほど潤沢ではない。勿論、この一戦のために
可能な限り物資を集めてはいた。だが消耗すれば今後の補充は容易ではない。このため上の人間ほど、この頭痛を覚えていた。
「……物資の補充が見込めない戦というのは厳しいな」
第2軍司令部では兵站関係者が頭を抱えていた。
メキシコ軍を押し返してはいたが、メキシコ軍の必死の抵抗によって第2軍の物資の消耗も無視できるものではなかった。
第1航空軍のJ・C・ケニー中将もメキシコ軍を殲滅するためには補給が必要不可欠と打電していた。
勿論、彼らもそれは理解している。米軍はもともと補給を重視しているのだ。どこぞの皇軍のように精神論で何とかしろと積極的に言う者はいない。
だが現状では前線の要望に全て応えるのは無理だった。
「工場がもっと早めにこちらに移転していれば……」
「経済の混乱を考慮すれば大して変わらないさ」
「……」
西海岸には東部の混乱から逃れるために多数の軍需企業と工場が移転してきていた。だが連邦の破綻、それに伴う混乱によって移転してきた
企業群も操業が難しくなっていた。生産に必要な資源が無ければ工場など現代モダンに過ぎない。
「旧州軍からも補給の催促が来ているが……」
「問答無用で拒否といきたいが……外様である我々が無視することは出来ないだろうな」
「あのボーイスカウトのような連中に気を配らないといけないとは」
連邦崩壊後、旧連邦軍将兵の大半は匪賊のようになるか、それとも各州に拾われ、州軍に取り込まれるかのどちらかの道しかなかった。
アイゼンハワー大将と共に連邦のために尽くしてきた彼らであってもそれは変わらなかった。尤も東部は津波とアメリカ風邪の混乱によって崩壊し
つつあったので、結局は西海岸、厳密に言えばカリフォルニア州に身を寄せることになったのだ。
だがことはそれで終わりではない。彼らは所詮は外様であり、よそ者。いくら政府が処遇を約束しても、州軍の古株たちには相応の態度をとらない
といけない。つまり例え相手がどんなに自分達より劣っていても、相応の配慮を行い、頭を下げなければならないのだ。
「……やれやれ」
憂鬱そうなため息を漏らしつつも、彼らは必要な仕事に取り掛かる。
こうして様々な問題を抱えつつもカリフォルニア共和国軍第2軍はメキシコ軍を押し戻しつつあった。しかしアリゾナに侵攻したメキシコ軍東部方面軍
はアリゾナ共和国軍相手に善戦していた。
このアリゾナの混乱は周辺地域への波及していくことになる。
メキシコ軍北進。そしてそれに伴うアメリカの混乱拡大は日本政府に頭痛を覚えさせるには十分すぎた。
カリフォルニア陸軍がメキシコ軍を撃退しつつあるのは朗報であったが、カリフォルニア軍があまり消耗すれば戦後に問題が発生する。
まぁ強すぎても問題が起こるが、弱すぎれば日本の負担が増えるのだ。アリゾナの戦場化もアメリカ風邪の封じ込めに悪影響しか及ぼさない。
「あの馬鹿野郎共が! 何が人類文明と自国民の保護のためだ!!」
執務室で嶋田が大声でそう罵ったのだから、事の深刻さが伺える。ちなみに報告書を持ってきた秘書官は嶋田の怒りを前にして
速やかに退出していた。怒れる独裁者の前に自主的に立つ人間などいないのだ。
一しきり、罵り終わると嶋田はため息を漏らして椅子に腰掛ける。
「やれやれ、ですね」
辻も処置無しと首を横に振る。
「『核』の投下も現実味を帯びてきましたね」
「確定ではありませんよ。急行している第2艦隊と第3艦隊でメキシコを脅し、早期に兵を引くように要求します。それで応じないなら
空爆と艦砲射撃を。核の使用はそれでもダメな時に限ります。それに……ハワイの専用飛行場が出来ないと富嶽は使えない」
「ふむ……第2艦隊と第3艦隊が沿岸で暴れまわれば彼らも少しは頭を冷やすでしょう。そして東から欧州連合艦隊が来れば
何とかなるかも知れませんね。我々からすれば北米で長期の消耗戦というのは願い下げですが」
「それは軍も同じですよ。まぁそれより問題はメキシコを外交で止められなかったことですよ」
「錦の旗を無視、いや悪用する国があること。そしてその国を止める帝国軍。軍事力を妄信する輩には絶好の口実でしょうね」
「ええ。話をする前に、まずは一発殴るのが当たり前、なんて考えが主流になったら頭が痛い」
「某管理局の白い魔王みたいになる日本ですか……ネタとしては面白いですが」
「当事者としてはネタとしても笑えませんよ」
そう言って嶋田は肩を落とす。
「やれやれ。このままだと引退できるのは何時の日か」
「ははは。無理ですよ。一抜けは許しません。それに嶋田さんは宮様の後継者なんですから……」
「まさか、私に元帥になった上で海軍の面倒を見続けろ、と?」
顔が引きつる嶋田。家族と共に心穏やかに暮らす年金生活を夢見る男にとって、生涯現役など悪夢だった。
何しろ仕事は面倒で責任は重い物ばかり。おまけに部下も同僚も曲者ぞろい。胃と精神に打撃を受け続けるのは間違いない。
(体重は減る一方。最近は胃どころか、背中も痛いんだが……全くこんなハードワークは若い人間にやらせれば良いのに。いや普通の若者が
簡単に元帥になれるわけがないか。いや王侯貴族のボンボンとかなら……)
半ば現実逃避しつつある嶋田。しかし現実は非情であり、嶋田の逃避行はすぐに中断させられる。
「ええ。近衛公も同意されるでしょう。と言うわけで……頑張ってください。それと今後は諜報や情報についての勉強をしてもらおうかと……」
「『No』だ! 『いいえ』だ!!」
「残念ながら嶋田さんの答えは『YES』か『はい』しか無いんですよ」
「どっちにしても拒否権がないじゃないか! 俺の人権は無視か!?」
「諦めてください。権力者なんてそんなものです」
「そんな権力者がこの世にいるか!」
表向き、日本帝国の中枢とされる場所で、独裁者『嶋田』の叫びが響き渡る。
「はぁはぁ……まぁこの件は後で話し合うとして、『南方』と『大陸』は?」
「外務省の頑張りでニューカレドニアについてはこちらの取り分になるでしょうが、仏印については結構揉めてます。まぁ彼らも簡単には棄てたくはないのでしょう。
維持できるかどうかは兎に角」
「ふむ。確か現在、仏印を力で押さえているのは華南軍だったが……」
「ええ。ホーおじさん相手にかなり派手にやっているようです。いやはや人間というのはあそこまで残酷になれるものかと感心しますよ」
「我々がその台詞を吐く権利はないでしょうに……まぁどちらにせよ問題が山積みと」
「ええ。あと大陸ですが中華民国の分裂、歯止めが掛かりませんね」
「各地の軍閥が?」
「ええ。永田大臣からの報告があるでしょうが、地方軍で不審な動きがあると。ついでに国共合作をした蒋介石も動いています。尤も
中華が海に出ないように封じ込めることには成功しているので、多少の『やんちゃ』なら問題ないでしょうが」
海洋国家である日本帝国にとって脅威なのは近くの大陸勢力である中華とソ連だ。この二者を如何に大陸に封じ込め、分断するかが国家の
命運を左右する。統一された大陸など、近くの海洋国家からすれば脅威でしかない。
そして日本はこの戦争を通じて、大陸勢力の封じ込めに成功した。日中戦争で勝ち得た土地や、福建共和国などの友好国を持ってすれば中華が海に出る
ことを阻止できるのだ。
しかし大陸の監視を怠るわけにはいかない。
「……辻さん、軍縮は当初の目論見より進められないかも知れませんよ」
「軍事的プレゼンスの維持のため、ですか。全く、頼りになる同盟国が居ないというのは悲しいものです」
急速に拡大する帝国の勢力圏。これを守るためには相応の軍事力が必要だった。
「白鳳の建造再開の必要性は理解しています。引き換えに祥鳳型の建造キャンセルと旧式空母や改造空母の引退は必要ですが」
「それは仕方が無いが……超大鳳型は作れないにしても既存の祥鳳型の改装はしておきたい。祥鳳型はジェット機の母艦としては小型だが、
使えないことはない。それと」
「それと?」
「新型機の開発を」
この言葉に辻は眉を顰める。
「四式が配備される前に、もう新型機の開発でも?」
「まさか。私が言っているのは疾風とは別のコンセプト。安価で、小型で、扱いやすい新型機のことですよ。そんな機体があれば、そちらも嬉しいでしょう?」
この嶋田の台詞を聞いた辻は吹き出した。
「はっはっは。確かに。ですがまさかそんなことを、嶋田さんから言われるとは思ってみませんでした。そういう提案は大抵、私がするものですからね。
ええ。正直に言って疾風は高性能な分、値段も相応に高いし、運用も大変です。
その点、中小国でも気軽に使えて、かつ手軽なお値段で、輸出しても差し支えない機体があれば利益が見込めます」
「そして既存のレシプロ機の売却分とローの機体で得られた利益があれば疾風の後継機の開発にも弾みが付く。それに今後、戦闘機市場を倉崎が独占する
というのも拙いでしょう。ある程度は競合他社を入れないと」
「確かに、暫くは疾風とその改造機でやり繰りする予定ですからね。三菱は民間機でも食っていけそうですが……その点は配慮しないといけません。
尤も倉崎の機嫌もとる必要はありますが」
「判っています。ですが暑すぎる『戦争の夏』がもうそろそろ終る以上は手を打つ必要があるでしょう。幸い、山本という軍政家が
こちらにいます。彼がいれば仕事もやりやすい」
これに辻は同意するように頷く。だがすぐに悪戯小僧のように笑いつつ言い放つ。
「もう一度言っておきますが、身代わりが出来たと言って一抜けはなしですよ。最低でも後継者を育成しておかないと」
「この老骨にさらに鞭打てと。全く手厳しいことで」
嶋田はそう苦笑すると、表情を切り換える。
「……まぁこれ以上、辻さんと2人だけで話していても仕方ありません。臨時閣議に備えないと」
「ですね。全く余計なことをしてくれるものです」
こうして帝国の宰相と大蔵大臣は表の顔に戻り仕事を再開する。
あとがき
お久しぶりです。提督たちの憂鬱第54話をお送りしました。
すいません、日本軍とメキシコ軍の戦闘はありませんでした。日本海軍の活躍は次回以降になると思います。
と言っても相手は大した海軍力も空軍力もないメキシコですからね……弱いものいじめにしかならないか(苦笑)。
それにしても話が進まない(汗)。完結できるのは何時の日になることやら……。
拙作ですが最後まで読んでくださりありがとうございました。
提督たちの憂鬱第55話でお会いしましょう。
今回登場した兵器のスペックです。
ボーイング B−17−EU(intense Justice作戦仕様)
全長22.1m
全幅31.6m
全高5.8m
空虚重量27842kg
エンジン アリソンV−1710−89液冷V型12気筒 1425馬力×4
最大速度 506km/h
武装 ブローニングM2 12.7ミリ機関砲10門
20ミリ機関砲52ないし60門