英独が手打ちを考えている。この情報は連合各国を、特に亡命政府となっている国々を驚愕させ狼狽させた。

 何しろ連合国の盟主であるイギリスがドイツと手打ちをするということは、イギリスは大陸反攻を諦めて、ドイツによる

欧州支配を容認することを意味していたからだ。

 自由オランダ、自由ポーランド、自由フランスはイギリス政府を責め立て、或いは懇願して方針転換を要請したものの

イギリスの意思は固かった。


「我が国に、ドイツと戦うだけの力はもう無いのです。それだけあの津波の被害は大きい」


 大西洋津波のことを言い出されては、各国もそれ以上強く出れなかった。あのような大災害を予測しろというほうが

無茶だった。これだけ追い詰められた状況でも、完全に切り捨てられないだけマシと言える。


「米国はあの有様。日本はあまりに遠すぎる」


 一部の国ではソ連と組もうとする動きもあったが、ソ連自体が亡命政府への支援どころではないし防戦に手一杯という有様だった。

この時点で亡命政府は祖国をドイツの支配から解放することが不可能と悟り、関係者は敗北感と閉塞感の底に突き落とされた。

 しかし状況は急速に変化した。太平洋と中国大陸に展開していたアメリカ軍は短期間のうちに日本軍によって壊滅させられ

アメリカ合衆国は国家そのものが崩壊した。

 さらにイギリスと枢軸国は共同で旧アメリカ合衆国領に侵攻しようとしている。ここに至り彼らは勝ち組につくべく動き出した。

自由オランダは艦隊の派遣を、他の亡命政府、連合国は少数ながら陸軍の派兵を表明。他の中立国も同様だった。勝ち馬に乗ると

いう言葉がぴったり当てはまる行動であった。


「まるでオリンピックですな」


 閣議の席での永田陸軍大臣の言葉に誰もが苦笑する。それほどまで北米への派兵を表明する国は多かった。

 参戦を表明した国々のリストを読み終えた嶋田は、疲れをほぐすように目頭を揉むと悠然とした態度で口を開く。


「まぁ我が国の勝利が確定した今、当然の行動でしょう。問題は彼らを纏められるか、ですよ」


 これに永田、杉山、重光、辻は即座に頷いた。

 旧アメリカ合衆国に関する分割について話し合いはしているイギリスや枢軸国と違って、これらの国々は勝ち組に乗るために慌てて

参戦したに過ぎない。意思疎通が十分できているとは言えないのだ。彼らは早急に各国と協議することを決定した。


「特に中華民国の動きには注意が必要でしょう」


 重光の言うように、第二次下関条約で日本に屈服した中華民国はこれまでの態度を転換して、反米親日の姿勢を見せていた。

そしてアメリカの事実上の崩壊を受けての旧アメリカ合衆国領内への派兵表明。何を考えているのかが丸判りだった。


「戦勝国だ、などと言い出しかねないな」

「あの無恥厚顔の連中ならあり得るでしょう。ついでに何かしらの恩賞を求めてくることも考えられます」


 中国を良く知る陸軍の軍政、軍令の頂点に立つ永田と杉山の意見に、閣僚の多くが不快な顔をする。嶋田も若干ながら顔を

顰めるもすぐに表情を正して毅然と言った。


「その場合は無視すれば良いでしょう。大した血も流さずに利益だけ得ようなど虫が良すぎる」


 嶋田の意見は極めて常識的なものであった。


「あと北米への派兵も断りましょう。彼らが参戦すると余計にややこしいことになりかねない」


 閣僚からの反対意見はなかった。実際、上海の悲劇をアメリカで拡大生産されたら目も当てられないのだ。


「あと、韓国も参戦を熱望しているようですが」

「却下。彼らはそれができる状況ではないでしょうに」


 にべも無かった。韓国は安定しているとは言えない状況だった。

 裏切りに加担していた人間達は次々に親日派に鞍替え。自分達の罪を軽くし、さらに他者を蹴落とすべく活発に動いていた。

これによって反日派は表向き消滅。抗日ゲリラも主だった組織は壊滅した。そこまでだったら日本政府にとっても問題なかったのだが

ことはそれで終らなかった。

 残った者たちは今度は、互いに反日派のレッテルを貼って政争を続けた。そしてその後遺症はまだ響いていた。おかげで日本が梃入れ

のために動く必要があった。


(全く、アメリカに勝ったからと言って浮かれていられる場合じゃないな)


 嶋田は内心でそう嘆息する。

 何しろ問題は山積みであり、休む暇も無かった。おまけに今後は地震に加えて、衝号作戦の影響による異常気象が予想されているのだ。


(犠牲者が出過ぎないようにレスキュー隊や海保、軍の準備も怠らないようにしないと。あとは食糧の増産と流通の統制か。面倒なこと

 は近衛さんが手助けしてくれるけど、こっちも動かないと拙いだろうな)


 食糧があってもそれが十分に国民に行き渡らなければ意味が無い。食糧の偏在は国民の不満をあおり、革命に繋がりかねない。

夢幻会は今後、食糧危機が起こりえると考えて統制を取ろうとしているものの、それがあっさり実現できるとは嶋田は思えなかった。


(何しろ対米戦争はほぼ終っているしな。統制を解除しろと騒ぐ議員は確実に出てくる。連中への対処でまた時間が取られそうだ)


 今のところは資源や食糧の輸入が順調であること、生産力に余裕があるために国民生活は戦前よりも若干窮屈になっているものの、国民

生活は困窮しているわけではない。配給制が必要になっていたが、それでも他の国よりは十分にマシな生活を送っている。かと言って

それを長々と続けるのは宜しくないし、投票者の受けも悪い。世論に敏感な議員たちの反発は十分に予想できた。


(現在の世界経済の混乱や、昨今の異常気象を理由にするしかないか……やれやれ楽はできそうに無い)


 あれもやらないと、これもやらないとと考えている嶋田だったが、その思考は早足で入ってきた田中によって中断される。


「総理、面倒なことが起こりました」


 田中の第一声に嶋田は少し顔を顰めた。ただでさえ面倒ごとが山積みの状況で、新たなトラブルなど御免被るというのが実情だった。

 しかし耳を塞いで聞かないわけにもいかない。実際には耳を塞いで「あー聞こえない」と言いたかったが……。


「報告を」


 もう何が来ても驚かないぞ、と思いつつ嶋田は尋ねた。だが残念なことに、田中から返ってきた答えは彼の予想を上回っていた。


「自由フランス軍のド・ゴール将軍が死亡しました」

「「「………」」」


 誰もが一瞬、声を詰まらせた。その中で嶋田は片手で額を抑えて深いため息を付く。


(そう来たか……)











              提督たちの憂鬱  第51話










 嶋田は不屈の精神で何とか冷静さを取り戻すと、いち早く口を開いた。


「詳細は?」

「こちらに」


 田中は部下に報告書を配らせる。それを読み進めていくうちに嶋田は眉をひそませた。


「前線視察中に狙撃……」

「はい。独立派のゲリラによる暗殺という説が濃厚ですが」

「彼らの仕業と断言するのも時期尚早、と?」

「はい。何しろド・ゴール将軍を殺したがっているのは彼らだけではありません」


 この意見に辻は「そうでしょうね」と呟いた。


「彼を目障りに思う枢軸国、彼を見限った自由フランス軍の誰か。動機も能力もある候補は他にもいる……」


 イギリスとドイツの間で停戦協定が結ばれても尚、自由フランス政府は、正確に言えばド・ゴールは本土奪還を諦めていなかった。

 祖国奪還を図る彼はドイツ打倒のためにアメリカやソ連に接触するなど外交面で努力していた。だがその試みも衝号作戦で発生した

巨大津波とアメリカの崩壊によって無残な結果となった。そしてそんな状況下で起こった英独の手打ちと北米侵攻。これによって本土の

奪還は絶望的な状況となった。

 他の亡命政府のように曲りなりにも本土で自分達を支持する者がいるなら、まだ踏みとどまることもできただろう。だが欧州のフランス

本国では自由フランス政府への支持は低かった。


「騙まし討ちをしたライミーと黄色い猿に尻尾を振っている連中を支持できるか!」


 少なくないフランス国民がそう言っていた。フランス海軍の誇りであった戦艦ダンケルクを北欧で騙まし討ちにし、残った有力艦を

カナリア沖で日本海軍に撃滅されたフランス人からすれば当然であった。おかげで自由フランス政府の支持は低かった。

 勿論、フランス人にとってドイツに降るというのは面白くない選択肢であったが、それ以上にイギリスへの敵意が大きかった。

日本軍は曲がりなりにも正面から戦いを仕掛けてきたが、イギリス軍は騙まし討ちをしてきたのだ。この差は大きかった。

 そんな状態で亡命政府や隷下の将兵が士気を保ち続けるのは難しかった。


「もう、将軍には付いていけない」


 そんな声が軍内部で出てくるのは当然の動きだった。それに加えイギリスも自由フランスの分裂を、可能ならば空中分解を望んでいた。

 ドイツとの本格的手打ちと考えているイギリスにとってもはや自由フランスは邪魔者でしかなかった。露骨に切り捨てることはしないが

彼らが勝手(自国が多少裏で介入するにせよ)に分解するのは自由だった。


「どちらにせよ、これで自由フランス政府の瓦解は時間の問題になったということでしょう」


 この辻の意見に誰もが頷いた。

 問題が多かったとはいえ、脆弱だった自由フランス政府を纏めていたのは他ならぬド・ゴールだったのだ。


「彼らに貸し付けた資金が返ってこないことになるのは些か面白くありません。それに自由フランスがこのままヴィシーフランスに吸収される

 ようなことになれば、彼らに供与したものが全て枢軸に流れてしまいます」

「確かに。しかし仏印には華南連邦軍が展開。他の地域もヴィシーフランスとの関係も考慮すれば下手な差し押さえは」

「座して自由フランスがヴィシーフランスに吸収されるのを見るのは下策です」

「(勢力圏がまた広がるのか。維持が大変だぞ)ふむ……」


 嶋田は素早く外務大臣である重光に視線を送る。


「仏印を今の時点で押さえるのは無理でしょうが、他のものなら交渉次第で何とかなる可能性はあります」


 力強くいう重光。これには外務省の焦りを示していた。何しろ英国の裏切りを防ぐことが出来ず、米中との関係も改善すること

が出来なかったのだ。そしてその八方塞の状況を打破したのは軍と情報局だった。

 『このままでは外務省の、いや外交の存在意義が疑われかねない』……そんな焦燥感が外務省関係者にはあった。


「……それでいこう。ただし現地の日本企業、邦人を混乱から守るための出兵も準備しておこう」


 日本が権益を得ているニューカレドニアはコバルト、ニッケルの産地だった。ここを押さえて置きたいというのは当然だった。

こうしてアメリカの解体と並行して自由フランスの解体も進められていくことになる。


(それにしても、ルーズベルト、チャーチルに続いて、ド・ゴールも退場か。史実で連合国側だった有力国の指導者で残っているのは

 ソ連の独裁者スターリンのみ。その彼も独ソ戦の状況次第では表舞台から退場することになる)


 米英ソ仏。史実の第二次世界大戦の戦勝国であった国々の指導者が消えていく様は、嶋田に歴史が大きく変わったことを改めて認識

させた。


(そして戦勝国の指導者として、自分やヒトラー、ムッソリーニの名前が歴史が刻まれるか……シュールすぎて笑えないな)


 後の歴史の教科書に刻まれる内容を考えて嶋田は乾いた笑みを浮かべそうになる。何せ史実を知る人間からすればトンでもないブラック

ジョークと言えた。

しかしさらに笑えない事態が、日本国内で進行していたことを彼は知る由も無かった。


「やはり夢幻会上層部は津波の発生を知っていた可能性が高いと?」

「はい。夢幻会内部では表向きは偶然、予期せぬ事態との説明があったようですが、今の政府が打っている手を考えると何かしらの

 情報を掴んでいた可能性が高いかと」

「鍵はカナリア諸島にあったということかも知れません。政府は、いえ『会合』はあの離れ小島に拘っていましたし」

「もしかすると日米関係の悪化も、実は計算どおりだったのかも知れないな」

「どちらにせよ、途方も無い話だ」


 帝都某所にある寺院。そこの薄暗い部屋の中で7人の男達が、一般人は知るはずが無い夢幻会の行動について話し合っていた。


「どちらにせよ、彼らの指導によって対米戦争に短期間で完全勝利することができた。これは間違いない」


 飄々とした姿で言うのは相変わらずコートを纏った村中大佐だった。


「この結果、現体制の影響力は拡大した。守旧派の財閥も事実上、夢幻会の軍門に下ったと言っても良いだろう」


 この言葉に誰もが満足げに頷いた。ここに居る男達は誰もが自身や親族を夢幻会の政策によって救われていた。

 ある者は経済成長の恩恵によって家族と共に貧困から救われた。ある者は奨励金によって学歴を得てエリートへの道を得た。ある者は

医療技術の発展で兄妹の命を救われた。彼らが自分達を救ってくれた夢幻会に好意的になるのは当然だった。

 村中は全員の反応を見て頷くが、すぐに険しい顔をする。


「だが夢幻会は秘密結社であるが故に、民衆は誰も彼らの功績を知らない。これは危険なことだ」


 この台詞を聞いた全員は渋い顔をしつつも同意する。


「確かに。部数のことしか頭に無いブンヤ、選挙の票と金しか頭に無い政治家が国民を扇動しようとしている。連中は他人が作った

 功績を利用するか、横から掠め取ることしか頭に無い」

「このままでは、自分達の力を過信した国民と政治家に引っ張られて国を衰退させかねない」

「それどころかアメリカが滅んだように、帝国も滅ぶかも知れない。あの大国さえ滅ぶのだ。我が国はそうならないとは限らない」


 彼らからすれば、今の日本帝国は危険な状態だった。

 嶋田内閣という強大な戦時内閣が存在しているからこそ、統制が取れているが、その統制が少しでも緩めばどんな方向にいくか

判ったものではないと彼らには見えていた。

 実際、日本国内では強硬的な意見が増えていたので彼らの危惧は決して間違いではなかった。だが彼らの場合、強硬論を唱える

人間達より理論的に情勢を分析できたが、彼らが独自に練る対応策には夢幻会上層部から見て色々と問題があった。


「やはり、夢幻会に登場してもらうしかない。惰弱な政治家を排除し、強固な国家指導部を構築することこそ、国家が生き残るために

 国家繁栄のために必要なことだ」


 彼らはすぐに付和雷同する民衆が政治的な意思決定に加わるのを危険視し、陛下の下、一部の優秀な人間の主導で政治を動かすべきだと

考えていたのだ。史実日本の記憶を持つ者からすれば「天皇親政かよ」とか「何という皇道派の思想」と突っ込まれそうな思想だったが、

彼らからすれば当然の思想だった。何しろこの世界では民主主義国家は大半が滅ぶか衰退(ドイツはナチスの天下)。共産主義国家である

ソ連も国力を消耗しきっている。一方で夢幻会を擁する日本は一人勝ちなのだ。


「夢幻会上層部を動かすためにも、軍、特に海軍への工作を急ぎたい」

「海軍の?」

「海軍では夢幻会派以外の勢力が復帰するということだ。これはある意味、好機でもある」

「どういうことです?」


 この問いかけに海軍の人間が答える。


「現在、海軍では夢幻会派以外の派閥の復帰が考えられているそうだ。嶋田総理が近いうちに総長か大臣の席を別の人間に

 譲るのではないかとも噂されている。有力候補として山本大将の名前が挙がっている」

「何故そのようなことを?」

「海軍内部の軋轢を回避するためだろう。上は今の体制を戦時のための臨時のものとして考えている節がある」

「ここは一気に反対派を一掃するときなのでは?」


 夢幻会主導で戦争に勝った以上、夢幻会派が海軍を牛耳るのは当然、彼らはそう考えていた。


「夢幻会派以外の将兵を全て海軍からたたき出していたら組織が維持できない。夢幻会は手綱さえ握れれば十分だと考えて

 いるようだ。まぁソ連赤軍の醜態を考えるとその考えは否定はできないだろう」


 ソ連赤軍の例を出されると誰も否定はできなかった。開戦前に行われた粛清だけでも海軍将校はかなり減った。ソ連の醜態を考えると

これ以上無闇に育成に時間が掛かる将校を減らすのは好ましくない。兵士がいても将校がいなければ戦争は出来ないのだ(逆もまた然り)。


「ただ夢幻会に属していない将校には、秘密結社が国家を牛耳るのを好ましく思わない者もいるだろう。故に利用できる」


 この村中の言葉に何人かが彼の真意に気付く。


「つまり『秘密結社である夢幻会を表に出すことで、彼らの力に枷をつけられる』と囁くと?」

「そう。夢幻会を公的機関にする。これによって夢幻会を合法的に抑えることができる……そう思わせれば良い。

 軍人達を通じて夢幻会の存在を政治家が知れば、こぞって賛同するだろう。夢幻会が公的機関になったあとの栄華を夢見てな」


 不敵な笑みを浮かべて村中は言い放つ。尤も内心は心穏やかではなかった。

 対中戦争で諜報活動に当たっていただけに、村中は今の政治家に対する失望がより深くなっていた。大陸の実情を知らず、知ろうとも

しない者たち。正しい情報があってもそれを活かそうともしない者たち。村中にとって彼らは害悪でしかないし、彼らを信任して当選させ

た投票者はもっと愚かだった。


(人ゆえに失敗はあるだろう。だが何故これまでの失敗から学ばない? 何故、軍や情報機関のいうことに耳を傾けない?)


 賢者は歴史から学び、愚者は体験から学ぶ。しかし一部の政治家はその愚者以下だった。そして愚者以下の者の威勢のいい言葉に国民は

踊らされる。この状況は早急に打開しなければならない……彼がそう思うのも無理は無かった。


「夢幻会そのものを排斥するのは難しいのがわかっている者であるなら、なおさら我々の策に乗るだろう。

 そして会合の方々も引きずり出される状況よりかは、何かしらの形で夢幻会を表に出すことを選ぶことになる。我々の狙い通りに」


 かくして日本国内では陰に隠れようとする夢幻会と彼らを引きずり出そうとする(最終的な目標は違うが)一派による暗闘が始まる。












 1943年4月5日。欧州連合軍は遂に旧アメリカ合衆国南部へ侵攻を開始した。

 無政府状態になっている地域の保証占領と国際社会からの支援を掲げた彼らは、キューバを拠点としてカリブ海を押さえて

フロリダ州を支配下に置いた。津波の惨劇から逃れた州民もいたが、彼らには、もはや抵抗する力も意思もなかった。


「とりあえずは順調、といったところか」


 イギリス艦隊司令官のジョン・トーヴィー元帥は、艦隊旗艦であるKGVの艦橋で報告を聞いて内心で安堵した。

 7個師団を派遣しているからと言って、実質は寄せ集めに過ぎず指揮系統には問題があった。さらに兵站の問題もある。

 事前の工作や情報収集によって短期間で制圧できると判断されていたが、やはり不安なものは不安であった。だがそのことを

彼は表に出すわけにはいかなかった。何しろ彼は元帥であり艦隊司令官であった。部下を動揺させるわけにはいかない。


「……あとは飛行場の整備だな」


 英軍はアークロイヤルとイラストリアスの2隻の空母をこの作戦に投入していた。アークロイヤルはイラストリアスよりも

搭載機は多い。しかし2隻あわせても展開可能な機体は100機弱。MACシップを加えれば、もっと数は増えるものの

早期の飛行場建設は必要だった。


「ドイツ人はFw190を持ち込んでいる。あれが飛べればこちらも楽になる」

「こちらもグリフォン搭載型があればよかったのですが」


 幕僚達が渋い顔をする。期待のグリフォンエンジン搭載型のスピットファイアは存在したものの生産数はお寒い限りだった。

何しろようやく配備開始だと考えていた矢先にあの巨大津波が起こったのだ。本土の混乱、通商路の途絶で生産は停止。何とか

生産は少しずつ再開されたが、通常のマリーンエンジン搭載機でさえ足りないので本土防空部隊への配備が優先された。まして

空母艦載機として搭載できる物は皆無だった。

 おかげでイギリス海軍の艦上戦闘機はハリケーンが主力だった。おまけにアメリカから高オクタンの燃料が手に入らないため

に性能も微妙だった。今回の作戦のためにスピットファイアを改造したタイプが少数ながら配備されているものの、やはり燃料の

問題で性能はBOBの時よりも低下している。


「……とりあえず1番ホールは制した。最終ホールまでこの調子で行きたいものだな」


 イギリス人らしいジョークを言うトーヴィー。だが実際に全てはこれからであった。

 フロリダを確保した欧州連合軍はただちに旧テキサス州へ侵攻する準備を急いだ。尤も大西洋岸の港は壊滅していたこと、欧州側本国の

事情も悪いために補給は不十分だった。このため大半の歩兵の移動は自動車ではなく……自転車が中心だった。

 これを知った夢幻会の人間は「ヨーロッパ版銀輪部隊で半島北進って……何のジョーク?」とか「マレー電撃戦かよ」とか色々と突っ込み

を入れたが、欧州にとって不幸なことに、これしか手は無かったのだ。

 枢軸国盟主であるドイツはヒトラーのお気に入りであり精鋭の第1SS装甲師団を投入していたものの、補給の不備は如何ともしがたいと

いうのが実情だった。強力な機甲師団でも燃料が無ければ張子の虎。彼らは幸運にも残っている製油施設やガソリンスタンドから燃料を徴発

して進撃するが量は十分とは言えない。勿論、第1SS装甲師団師団長のヨーゼフ・ディートリッヒ親衛隊大将はこの補給状態に苛立った。


「ここの補給を考えると東部戦線は天国だな」


 もともと親衛隊は補給で優遇されていただけ、この落差は大きかった。さらに言えばドイツアメリカ軍団の総指揮を取っているのが

兵站に無頓着なロンメルだったというのも問題だった。旧アメリカ軍や地元の抵抗がないのがせめてもの救いであったと言える。


「イギリス人の工作に感謝といったところか」


 イギリスによる反連邦感情の助長を筆頭にした事前の工作による影響は大きい。少なくともこれまでは東部戦線で後方を撹乱する

ようなゲリラ攻撃はほぼ皆無なのだ。欧州軍は危ない橋を渡りつつも、無人の荒野を進むかのように進撃していった。

 この欧州軍の四苦八苦の侵攻を好機と見る者もいた。そう、アメリカ合衆国にこれまで散々に痛めつけられたメキシコだ。

親米派政府が打倒された後に樹立されたメキシコ政府の強硬派は声高にアメリカへの侵攻を主張した。


「アメリカに奪われた領土を取り返す絶好の機会だ!」


 テキサスやカリフォルニアは元々はメキシコの領土だった。それを取り戻すというのはメキシコ国民の士気を高めるのに十分だ。

 加えてメキシコも津波と米崩壊の余波によって経済的に大打撃を受けており、国民の不満も溜まっていた。旧領奪還というのは国民の

不満のはけ口には丁度良かった。

 そして首都メキシコシティではカリフォルニアへの侵攻が考えられるようになっていた。日本軍も東進しつつあるが、彼らは未だに

ハワイにまで届いていない。口では煩いものの、邪魔は入らないと判断したのだ。また日本が西海岸に手を伸ばす前に既成事実を築いて

おけば日本も強く出ないと踏んでいた。

 かくしてメキシコ軍は米軍から鹵獲した兵器を手にして、西海岸へ侵攻する準備を進めた。勿論、メキシコ軍が不穏な動きを見せている

ことを察知したカリフォルニア軍は防戦する態勢を整えていった。

 カリフォルニア軍には旧連邦軍から得た新兵器が多数ある。何しろ旧連邦政府は西海岸で日本軍と戦うことを考えていたのだ。おかげで

装備面ではメキシコ軍に勝っていた。

 しかし一方的に勝利できるとは限らない。仮にメキシコとの戦いで消耗すれば他の州に弱みを見せることになる。さらにカリフォルニア

の生命線であるフーバーダムの防衛にも支障が出る可能性さえあった。

 そんな中、サンフランシスコの空港に一人の男が輸送機から降り立った。それはかつて米国陸軍参謀総長として辣腕を振るい、対日講和の

ための根回しを続けていた旧米陸軍大将アイゼンハワーだった。


「西海岸にまで来ることになるとはな……」


 連邦政府の崩壊は連邦軍の崩壊と同義だった。州軍、そして市民の暴動鎮圧を命令された連邦軍の前線部隊が次々に離反。これを受けて

アイゼンハワーは命令に従う者を連れて臨時首都シカゴを脱出した。

 彼は最初、ガーナーと共にテキサスに赴いたのだが、経済の混乱、それに高まる反連邦感情から居場所はなかった。テキサス軍は旧連邦の

要職であったアイゼンハワーを受け入れなかったのだ。地元の保守的な人間から構成されるテキサス軍は、黄色い猿に負けた不甲斐無い連邦軍

の参謀総長の言うことを聞くつもりは無かった。

 だがそこで絶望に浸るアイゼンハワーではなく、自分の能力が求められる場所を探した。さらに自分の命令に最後まで従ってくれた将兵への

義理もあった。

 アイゼンハワーは八方手を尽くして自分達が受け入れられ、能力が発揮できる場所を探した。その結果、彼らは西海岸に、カリフォルニアに

目をつけたのだ。そして彼らにとって幸いなことにカリフォルニアは軍事的に苦境にあった。

 アイゼンハワー来訪を聞いた財界は、早速アイゼンハワーを陸軍副司令官に任命して現場の指揮を任せるようにカリフォルニア政府に働き

かけた。


「東部での指揮を見る限り、アイゼンハワーは有能だ。纏まりに欠けたカリフォルニア軍をうまく使えるだろう」

「メキシコ軍が相手なら負けることはあるまい」

「多少若いのが傷だが……贅沢は言っていられる状況ではない」


 東部での活躍でアイゼンハワーの優秀さを知る財界の人間達は、カリフォルニア防衛のためにアイゼンハワーを使うことを決めた。

自分達の財産を守るためにアイゼンハワーが忠誠を誓う連邦政府を解体しようとしたにも関わらず、アイゼンハワーをあっさり登用する

様は滑稽だったが当人達は真面目であった。

 こうしてメキシコとカリフォルニアは双方共に譲歩することなく対立を深めていくことになる。そしてその様子は日本政府の知るところ

になる。


「フラグが立ちましたね」


 首相官邸で嶋田と一緒に報告を受けた辻はそういって肩をすくめる仕草をする。嶋田は目頭を揉むと苦悶の顔で呟く。


「メキシコが止まらないとなると……ハワイを制圧して、速やかに西海岸への橋頭堡を築く必要がある。南北アメリカに睨みを効かせる

 ために戦後にはハワイを恒久的な軍事拠点にしないといけない。ますますハワイに核は落せなくなりましたよ」

「原爆無しでも制圧はできるでしょう。今の状況なら」

「メキシコの様子を喧伝することで、現地の将兵の更なる動揺を誘う計画が提案されています。これを使ってさらに旧米軍を切り崩せば

 自壊に追い込めるでしょう。作戦開始時期を少し前倒ししても問題なくなります。担当者の怨嗟の声が聞こえてきそうですが」

「怨嗟の声どころか……怒鳴り込んできません?」


 さすがの辻も冷や汗をかく。「デスマーチってレベルじゃねーぞ」という心の声が聞こえてきそうだった。


「道理が通るようなら、こんなことにはなっていませんよ」

「……今、嶋田さんの背後に、無理な受注を受けた後は現場に投げる某IT企業のハゲ頭の社長が見えましたよ」


 辻はそう言った後、話を本題に戻す。


「しかし睨みを利かせるとしても武力による裏づけが要ります。メキシコを叩きのめすのは、労力が掛かりすぎるのでは?」

「艦隊と基地航空隊を展開させれば、さすがにメキシコも止まるでしょう。もしもメキシコ政府が頑固なら……」


 そこで言葉を切る嶋田。しかし辻は判っていた。彼が何を言うとしているかを。


「『史実で日本に核を投下したアメリカ人を救うために核を使う』と? 何とも皮肉ですね。目標は?」

「……主要都市のどれかに。その時が富嶽のデビュー戦になるでしょう。まぁ会合の席で合意が得られれば、ですが」


 そう言った後、嶋田は口を閉じた。


(原爆投下を決めたトルーマンも、こんな風に悩んだんだろうか……ふっ。いや今更悩んでも仕方ない、か)


 そんなことを考えている頃、秘書官が入ってきて客人の来訪を告げる。


「来ましたか。それでは、私はこれで」


 辻がそう言って出て行く。そしてその後、一人の海軍大将が入ってきた。


「久しぶりだな」

「そうだな」


 嶋田繁太郎と山本五十六。航空主兵論者であり、互いに優れた軍政家でありながら戦闘機不要論、そして派閥争いで

袂を分ったとされる両者の話し合いが始まる。










 あとがき

 提督たちの憂鬱第51話をお送りしました。

 拙作ですが最後まで読んでくださりありがとうございました。山本さん登場と言いつつも、最後に登場と言う形に

 なりました。両者の話は52話に持ち越しです。

 さていよいよカリフォルニアとメキシコはきな臭くなります。鹵獲した米軍兵器を装備したメキシコ軍の登場に

なるでしょう。尤も両者が戦ったとしたら……日米戦に比べて地味な戦いになりそうですけど(爆)。

 それでは提督たちの憂鬱第52話でお会いしましょう。