アメリカ東部で発生した反乱は拡大の一途を辿り、もはや米東部は無政府状態と言っても良い状況となっていた。

 飢え、疫病、そして大寒波によって文明人としての最低限の生活どころか、生命の維持さえ困難な状況に追い込まれた

人間達に、もはや愛国心といったものは存在しなかった。むしろ現体制は打倒すべき敵だった。

 暴徒鎮圧のために出動してきた連邦軍と暴徒はあちこちで激しい市街戦を繰り広げる。尤もその連邦軍もすぐに軍の

統制を維持できなくなった。


「地元の人間に銃を向けられるか!」

「そもそも、反乱の原因は連邦政府にある!」


 東部出身者達、そして連邦政府の無為無策を理解している将兵たちは暴徒の鎮圧を命令する連邦政府への怒りと不満を

露にし、暴徒への発砲を躊躇うようになりサポタージュが起こった。加えて暴徒の中にアメリカ風邪に感染した者がいる

のを恐れた将兵は、遠巻きに発砲して暴徒達に近寄るのを嫌がった。このため鎮圧は遅々として進まなかった。

 陸軍航空隊が出動するときもあったが、悪天候や整備不良などで大きな成果を挙げることはできなかった。

 連邦政府が満足に暴徒を鎮圧できない様を見た各州は、ますます連邦政府の実力を疑問視した。そんな中、各州から

選ばれた臨時議員が太平洋艦隊が一方的に大敗したことを各州の州政府に伝えると、連邦政府、連邦軍の威信は完全に

失墜した。ある州知事は公の場で連邦政府と連邦軍を罵り、連邦から決別するととれる発言さえした。


「黄色い猿に大敗し、海軍力の大半を失った政府と心中するつもりはない」


 一般的に戦艦は国の象徴であり戦略兵器だ。確かに日本が大戦果を挙げたことで軍人達の間では航空主兵への転換が

進んでいるが、一般人の間では未だに戦艦こそ主力艦だった。それがハワイ沖で9隻も失われ、合衆国海軍が事実上壊滅

したという事実は、合衆国軍が日本軍に対して歯が立たないことを明確に示すものだった。

 この津波による被災直後からの政府の稚拙な対応に不満を持っていた各州から見れば、今回の大敗は連邦政府と軍の

無能によって引き起こされたものだった。各州は次々に連邦政府を見限り、生き残りのために独自の道を模索していく。

 そんな中、臨時首都であるシカゴでも反政府暴動が発生した。異常気象によってもともと都市機能が半ば麻痺して

いた状態で起こった大規模な暴動は、都市機能にトドメをさし、首都機能は完全に麻痺することになった。

 さらに暫定政府のお膝元であるイリノイ州の州政府も不穏な動きを見せており、このままでは政府閣僚の身の安全さえ

危うい状況だった。


「何故、何故こんなことに……」


 大統領執務室でガーナーは頭を抱えた。ただでさえ老齢だったガーナーは、さらに10歳は老け込んだような顔に

なっている。他の閣僚達も大半が似たような状態だった。漸く講和への道が開けると思っていたデューイは、自分達

の努力が間に合わなかったことを悟り、絶望した。


(折角、日本との講和交渉が本格的に進められると思った矢先に……)


 ハーストでさえ顔色がよくない。何しろアメリカ合衆国の崩壊があまりに早すぎたのだ。西部への脱出は完全に終って

いないし、西部独立の準備もまだ途中。この状況では西部はバラバラに独立することになり、日本に対する発言力がさらに

低下するのは確実だった。


(どうする? このままでは西部諸州は日本によっていいように支配され、我々の立場は大幅に弱まってしまう。

 さらに米軍の支配を脱却したメキシコが北進すれば面倒なことになる。いや、それよりも脱出を急がねば。このままでは

 この老人と運命を共にすることになる)


 売国奴が頭を抱えている頃、日本政府、より厳密に言えば夢幻会会合メンバーは予期せぬ急展開に戸惑っていた。


「予想以上にアメリカの崩壊が早いと言えます。このままでは北米大陸は三国志どころか戦国時代に突入する可能性が

 高いと思われます」


 都内の某料亭で開かれた夢幻会の会合の席で、田中局長がそう淡々と報告すると、あちこちでざわめきが起こる。

 何しろアメリカの予期せぬ崩壊によって、日本が考えてきた対米戦略が根底からひっくり返されることになるのだ。


「いきなり崩壊するか? まぁ確かに苦しいのは判るが」

「いや、2000万人もの死者を出し、東海岸主要都市を根こそぎ失っているんだ。当然だろう。むしろこれまでよく

 戦っていたというべきだ」

「しかし超大国の崩壊というのは呆気ないものだ。旧ソ連の崩壊のときもそうだが、大国というのは一度崩れると

 猛烈な速さで崩れていくな」


 史実の冷戦においてソ連を降し、世界で唯一の超大国となり、世界に覇を唱えたアメリカを知るが故に、彼らはどうも

アメリカ合衆国という国が自壊していくという現状に戸惑いを隠せなかった。

 彼らにとってアメリカとは不屈の闘志と計り知れないポテンシャルを持った化物だったのだ。しかし自分達の認識と現実

のギャップにいつまでも戸惑っているわけにはいかなかった。彼らは早急に対米戦略を練り直さなければならなかった。

 対米戦略を主導していた嶋田は、そのことをよく自覚していた。故に彼は自身の戦略の修正を提案する。


「……現状では星一号作戦を実行する意味はありませんので、作戦の中止が適当かと」


 星一号を強力に推し進めてきた嶋田だったが、現状では莫大な資源と人員をつぎ込んでまでアラスカに侵攻する価値を

見出せなかった。

 この意見に出席者全員が頷いた。そして杉山、辻、豊田はほっとした顔をする。極寒の大地に8個師団も送り出さずに

済んだこと、アラスカ攻略、米本土攻撃のために必要となる経費や資源が削減できたことに彼らは安堵したのだ。


「下手に米本土を攻撃して米国民の危機感を煽るより、内部から分裂させたほうが良いでしょう。彼らに真の敵は日本

 ではなく、連邦政府や近隣の州、又は東部の難民達と思わせることが出来れば、アメリカの自壊を促進できる」


 黒い笑みを浮かべて言う近衛。田中局長もこれに頷く。


「特にアメリカの田舎の多くは保守で排他的です。ここに難民が入り込めば衝突は必至でしょう。難民も生きるために

 戦わざるを得ない。どちらが生き残るかは判りませんが、さぞ凄惨な戦いになるでしょう。そして国民同士で争いが

 多発すれば相互不信と憎しみが蔓延り、国家の再統合はより困難になります。まぁそうなるように煽るのも我々の仕事

 ですが」


 死人に鞭打つような行為であったが、会合の出席者達は誰も咎めなかった。

 アメリカ合衆国の復活は絶対に阻止しなければならないことであり、そのためにあらゆる手段を打たなければならないのだ。

 話が落ち着いたと見た辻はわざとらしく咳をした後、星一号を中止するかどうか賛否を取った。結果は判りきっていたものの

夢幻会として決定を下すには会合メンバーの合意の表明が必要だった。


「それでは、満場一致で、星一号作戦は中止するということで、宜しいですね?」


 辻の問いかけに対してメンバーが一様に頷く。かくして帝国の命運をかけた大作戦は中止が決定された。












        提督たちの憂鬱 第47話











 対米戦略の変更が決定された後、会合メンバーはアメリカに最後のダメ押しをした異常気象と疫病の対策について議論を開始する。

 田中局長はまず異常気象について現在判っている情報を報告する。


「気温の低下と大寒波が世界各地で観測されています。欧州、北アメリカ大陸東部、ヨーロッパロシアで特に顕著です。

 帝国国内でも、北海道以北では寒波による被害が出ています。東北でも気温の低下が見られます。

 総研や在野の気象学者を動員して研究させていますが、これがどれほど続くかは正確には判りません」


 これを聞いた近衛が渋い顔で尋ねる。


「つまり何年も続く可能性があると?」

「はい。火山の噴火によって空中に舞い上がった灰だけが原因ではないと学者達は考えています。推測ですがあの巨大

 津波によって海流がかき乱されたことが影響しているかと」

「北大西洋海流か」

「その可能性は否定できません」

「だとしたら、拙い。万が一、北大西洋海流が停止するようなことがあれば欧州と北アメリカ東海岸は軒並み凍る」


 近衛の言葉に出席者の大半は顔が引きつる。辻は暫し目を瞑って考え込んだ後、口を開く。


「まぁさすがにそこまではいかないでしょう。ですが数年の間、欧州、北アメリカ東部は寒波によって多大な被害を

 受けると想定したほうが良いでしょう。この想定に従うなら、世界各地で食糧事情が逼迫すると考えられます。

 現在、帝国が行っている政策だけでは不足する可能性があるかも知れません」

「それと我々が南方へ進出すれば、欧州列強との全面戦争になる可能性が出てきたということだな。この状況では

 欧州列強は、特にイギリスは植民地を手放せない。蘭印なら手を出せなくともないが」


 近衛の台詞を聞いた辻は肩をすくめる仕草をして、ため息をつく。


「食糧事情が逼迫するとあってはイギリスはブロック経済を強固にするでしょうし、市場開放も難しくなる。

 まぁ軍事力を背景にして交渉を重ねればある程度は門戸を開くでしょうが、我々が望むほどにはならないでしょう。

 飢饉、そして疫病に対する備えもさらに必要になりそうですし、戦後のプランを大きく変更する必要がでてきましたね」


 辻の言葉に誰もが苦い顔となる。

 田中は話がひと段落するのを確認すると、続けてアメリカ風邪についての報告に入る。


「アメリカ風邪ですが、これは非常に凶悪な疫病のようです。致死率が高い上に、潜伏期間も長く、アメリカ各地で猛威を

 振るっています。症状としては高熱、頭痛、体のだるさを感じ、その後、肺炎などを引き起こして死亡しています」

「致死率は?」

「正確には判りません。ですが英からの情報提供と情報収集の結果、アメリカ東部での致死率は50%以上と情報局は推定

 しています」

「50%以上……」


 発症すれば50%、二人に一人が死ぬという報告に、メンバーの間でどよめきが広がる。


「これはあくまでも暫定的な値です。それに被災したアメリカ東部や防疫体制が整っていない地域の情報がもとに

 なっているので、値が下がる可能性もあります」


 杉山は顔を顰めたまま、田中に尋ねる。


「アメリカ政府は何らかの対応策をとっていないのか?」

「まともな対応策とは言えないものばかりです。現地も混乱しており、参考になるものはありません。

 ですが総研の研究の結果、インフルエンザというよりペスト、それも肺ペストに近い病気ではないかとの推測もあります。

 人から人だけでなく、ノミ等を媒介として感染が爆発的に広がったとなれば、これだけ広範囲に疫病が蔓延しているのも

 不思議ではありません」

「肺ペストなら初期治療で何とかなると思うが……まさか耐性菌か? それとも突然変異でも起きたか?」

「可能性はあります」


 杉山は眉を顰めてため息をつくが、すぐに表情を切り替える。


「どちらにせよ脅威となる。日本に上陸される前に水際防御を徹底しなければならない。防疫体制の大幅な強化が必要だ」

「ついでに死体でもいいので感染者を確保したいですね。病気の研究には必要不可欠ですから」


 辻の意見に何人かが頷く。だがこれを見ていた伏見宮はため息をつくと、手をかざす。


「全員、静かにしたまえ。話は途中だ」


 伏見宮の言葉を聞いて誰もが黙る。これを見た伏見宮は田中に続きを促す。


「それでは続けます。現在、疫病は北部は五大湖周辺、西はイノリイ、ケンタッキー、南はサウスカロライナにまで

 広がっています。各州が州境を封鎖し、感染が疑われる人間を射殺、或いは隔離していますが、それでも感染拡大が

 止まるかは判りません。ただ医療設備が比較的残っている中部諸州でなら進行が遅くなる可能性はあります」

「カナダは?」

「国境を封鎖しています。しかしカナダも津波の被害をうけたせいで混乱しているので、恐らく封鎖は完全ではないかと」

「下手をすればカナダでも感染拡大か。北米大陸が死の大地と化すぞ。いやそれどころか」


 最悪とも言ってよい未来図に、誰もが暗い表情をする。カナダ経由で欧州にまで感染が拡大すればユーラシア全土に

蔓延する可能性が高まる。そうなれば最悪、人類の半分以上が死亡することになる。人類文明存続の危機だった。

うまく北米だけに封じ込めたとしても人類史に残る大惨事になることは間違いない。


「詳しいことは今から配る書類に書いていますので、それを読んでください」


 出席者達は書類を必死に読み、どこか救いとなる情報がないかを探す。だがそこに彼らが探した希望はない。


「我々はパンドラの箱を開けたということか……」










 精神的に疲れ果てた出席者達は一度休憩を取るが、何とか気分を切り替えると、すぐに議論を再開する。自暴自棄になる

余裕も、絶望に浸る暇も彼らにはないのだ。日本だけでも生き残らせるべく彼らはもがき続ける。


「とりあえずオーストラリアからの食糧輸入については、急ぎましょう。イギリス本国の食糧事情が悪化したとなれば

 いつ中断されてもおかしくはありません。それと南方への進出も選択肢として取っておくべきかと」


 嶋田がすでに南方進駐を密かに検討させていることを告げると、どよめきが広がった。夢幻会でも比較的、穏健な人物と

目されていた嶋田が独自に東南アジア制圧を考えていたという事実は、出席者達の多くに大きな驚きを与えたのだ。

 辻も嶋田の強硬案に内心で若干驚きつつ、話を続ける。


「確かに嶋田さんの言うとおりでしょう。ですが戦争は最後の手段です。あくまでも『今』は交渉に重きを置きましょう。

 本国と後ろ盾である英を失っている自由オランダ政府、蘭印の総督府連中なら丸め込める可能性が高いのですから」


 自由オランダ政府、自由フランス政府と仰々しく言っても、現状では英の後ろ盾なしに諸外国とやりあう力は無い。

 加えて日本は対独戦争でオランダ政府に色々と貸しを作っている。アメリカ海軍を壊滅に追いやったという実績も加えれば

かなりの発言力を持っていると言える。さすがに植民地を手放すことは強制できないものの、食糧の輸出、又は現地での農業

生産に関して大幅な譲歩を引き出すことくらいはできる筈だ。


「あとは大陸からの食糧輸入ですね。これも進めておく必要があるでしょう」


 これを聞いて杉山が強硬な意見を出す。


「いっそのこと、講和条件で南満州全体の譲渡でも要求するというのは? 穀倉地帯としては有望だが」


 しかしその意見は、近衛によって却下される。


「いや南満州も異常気象に晒される可能性がある。賠償金減額と引き換えに食糧輸出を要求すればいい。今は資源と引き換えに

 減額することを交渉しているから、修正は効く」

「しかし名目は? 現状では、単に食糧が賠償金のかわりでは国民が納得しないのでは?」


 尚も食い下がる杉山。その彼の懸念に対して、辻が解決策を即座に提示する。


「表向き、食糧をソ連、欧州への輸出に回す予定ということにすれば良いのです。穀物が金になると言えば納得するでしょう」


 勿論、近衛、そして辻は食糧を徹底的に安く買い叩くつもりだった。

 仮に天候不順が早期に終ったとしても処分先に困ることは無い。アメリカという穀物生産国が消滅した穴は大きいのだ。

 辻はそんな自論を展開しつつ話を続ける。


「それに軍閥あがりの連中からすれば農村から食料を徴収するくらい、どうということはないでしょう」

「だが連中のことだ。凶作が続くようになれば足元を見てくるやも知れん」

「今回の戦争で、我々をあまく見ることがどれほどの災厄になるか、身に染みているはずです。それにこちらには核兵器もある。

 一発で大都市を消滅させる兵器を前にして、表立って歯向かう気力はないでしょう」

「ふむ……だがあまり穀物輸出を強要すると、大陸の飢餓を誘発させるのでは?」

「去年はまだ凶作ではありませんでした。食糧を輸出するだけの余力はあるでしょう。今年、凶作になってもまだ何とかなります」

「だが来年以降となると判らないと?」

「……そうです。大陸が温暖ならまだ何とかなりますが、大陸も冷夏となれば飢えが始まるでしょう。いくら我々が梃入れしたと

 しても、動乱が起こるのは間違いないかと」


 救いようの無い結論に誰もが苦い顔をする。しかし辻は涼しい顔で平然と冷徹なことを言う。


「まぁ動乱が起こるなら、それを使って間引きをするというのも手ですが」


 多くのメンバーが辻が何を言っているのか判らないという顔をするが、辻は気にもせずに話を続ける。


「中華民国はこの戦いで悪名が轟きすぎました。すぐに行き詰まり、国名と体制を変えることになるでしょう。その際、少なからず

 混乱が起こります。これを煽れば大陸の人口をうまく減らせるでしょう」

「内戦で儲けるのではなく、口減らしを煽ると?」

「まぁ短期的には赤字ですが、中期的に見れば黒字です。あの5億もの人間を半減、いえ、3分の1程度でも減らせれば、食糧の

 余剰が生まれますし、我々が受ける圧力も減ります」


 杉山は相変わらず外道な策を思いつく辻に戦慄した。


(衝号作戦で、あれだけの人間を殺しておいて、まだ殺し足りないのか、この男は?!)


 最悪、4000万人もの人間が死ぬとされていたが、現状ではそれを遥かに超える人間が死ぬ可能性が高かった。これに加えて

辻が言うような間引きを行えば、合計で2億人以上の人間を死に追いやることになる。

 約23億人もの地球人類のうち2億人。およそ10人に一人を死に追いやるとなると、さすがの杉山も慄然とせずには居られない。


(我々はスターリン、ヒトラー、毛沢東を超えたということか。悪い意味で……)


 他の出席者もあまりの外道振りに顔を顰める。しかし反対意見は出ない。確かに外道な計画ではあるが、有効であったからだ。


「しかし混乱状態になるとは言え、その際でも食糧を買いあされば恨みを買うぞ」

「代理人を用意すればいいのです。日本人を全面に出すと面倒ですので、商談には台湾の人間、揉め事には旧合衆国の人間を当てる

 のが良いでしょう。これまでの裏切りの数々で、中国人を恨んでいる彼らなら、どんな残酷な仕事でも良心の呵責に囚われること

 なくしてくれるでしょう」


 合衆国の崩壊によって北米は混乱状態になる。そして食い詰めた人間が多数生まれる。辻はそんな人間を中国大陸に放り込む

つもりだった。


「アメリカを滅亡に追い込んだ敵国とは言え、条約や契約を尊重する我々と、追い詰められたら平然と裏切る連中。どちらを信用

 できるかと聞けば……答えは明らか。かくして恨みを分散されます」


 アメリカの解体には欧州列強を共犯にすることで恨みを分散。中国の解体には元米国人を使うという節操のなさに嶋田たちは

顔を顰める。


「そうそう、うまくいくとでも?」


 嶋田の質問に対し、辻は首を縦に振る。


「いきますよ。商売上がったりの北米に居るよりは、まだ新天地にいるほうがマシでしょう。そしてその際、頼りになるのは

 東アジアの覇権国家である日本だけ。どんなに日本を嫌っていても、逆らうことはしないでしょう。現実的利益がある限り。

 あと問題は韓国ですね……正直、あそこに食糧支援なんてする余力は無いんですが、何もしないという手は取れません」

「韓国か。人口は増やしていないんだろう?」

「ええ。ですが一応、改革を行わせているので若干、人口は増えました。ですが生産効率も高いとは言えず、この状況で凶作が

 続くと間違いなく飢えが起こります。単に人口が減る程度なら良いのですが、革命が起きたり、難民が押し寄せたら面倒です。

 ……軍や政府を梃入れして徹底的に国民を統制するしかないですね」

「ははは、下手をしたら北○鮮みたいな国家が横に出来そうですね」

「むしろ軍事独裁政権下の韓国でしょう。まぁあれよりも締め付けも生活も厳しくなりそうですが」


 何はともあれ、方針は決した。


「大陸が飢餓で混乱するようであれば、間引きを行う。混乱しないようであれば穏便に国体を変えつつ、暫くは農業国として我が国の

 食糧供給地とするということにする。また食糧を確保するために欧州列強、特に蘭印での交渉を強化。不調に終る場合は戦争も辞さず

 という形で宜しいでしょうか?」


 最終的に嶋田がそう纏めるように言うと、全員が頷き同意する。

 続けて彼らはアメリカ風邪について議論に入る。


「アメリカ風邪については、我が国への侵入を防ぐために水際防御を徹底することで対応するしかない。狭い国土の我が国で

 こんな病気が入ってくればあっという間に感染が拡大して大変なことになる」


 杉山の言葉に誰もが頷く。杉山に続けて海軍と海上保安庁を統括する嶋田が口を開く。


「北米だけでなく、アジアでも注意は必要です。どこを経由して入ってくるか判ったものではありません。海上保安庁による

 海上警備も強化し、不法入国者が病気を持ち込むのを阻止します。港湾の防疫体制も強化するように手配します。

 経済面で打撃はありますが、経済界の連中には目を瞑ってもらいます」


 これに内務省のドンである阿部が続く。


「空港でも警戒が必要ですね。あと、国民に十分な情報を開示し、パニックになるのを回避しなければ。

 それとアホなマスコミの扇動、一部の企業や犯罪組織が私腹を肥やそうと悪巧みをするかも知れないので、締め付けの

 準備も進めなければ」

「あとは新薬開発です。医薬品については欧州列強も侮れない技術力を持っています。人類の脅威になりえるアメリカ風邪に

 対抗するためとして欧州列強と連携することができれば、技術面での恩恵に加え欧州列強とのパイプを構築できます」

「辻さん、貴方は本当に転んでも唯ではおきませんね」


 嶋田が呆れる顔をするが、辻は当然とばかりに胸を張る。


「これ以上の感染拡大は絶対に阻止しなければなりません。ただでさえアメリカが滅んでいるのです。これで欧州まで滅ぶ

 ようなことがあれば目も当てられません。あとはアメリカ西部各州の支援も必要です。現状でアメリカ風邪に対する有効

 な対策が無いとなれば州境を封鎖し、感染者を徹底的に隔離するしかありません。

 封鎖線の構築、いえ下手をすれば州境ぞい全てに陣地を構築する必要があります。場合によっては必要な物資や資金を

 融通しないといけないでしょう。最低でも財界の本拠地であるカリフォルニアは守らないといけませんから」


 この辻の意見を聞いた杉山は苦笑する。


「ベルリンの壁ならぬ、カリフォルニアの壁を作ることになるな……皮肉なことだ」

「むしろ万里の長城のような気がしますよ。我々の投資でやるとなると、むこうは建設業が盛んになりそうです。全く

 何で我が国の金で他国の景気対策までやらないといけないのやら」

「そして遥か未来に、マスコミやネットで金の無駄遣いと叩かれると?」


 珍しく冗談を言う杉山。これに苦笑しながら辻は答える。


「無責任に煽る程度しか出来ない一部の人間からの批判まで細かく気にしていて政治は出来ないでしょう。この時代の

 マスゴミだって似たようなものじゃないですか。外部の雑音を全て聞いていては仕事になりませんよ。まぁ傾聴に値

 する貴重な意見には耳を傾ける必要はありますが」


 そう言って辻は話題を戻す。


「アメリカ西部に強い影響力を持つためには、最低でもハワイをこちらの手に押さえておきたいところです。

 ハワイが他の勢力に取り込まれる前に攻略できないでしょうか?」


 出席者達の視線が嶋田に集中する。


「現状でハワイ諸島を占領したほうがメリットが多いでしょうな」


 近衛の言葉に出席者たちは同意する。事実、ハワイを占領し北米西海岸、そしてメキシコや南米太平洋岸に対する橋頭堡

とするほうが戦略的に重要だった。


「西海岸の3州、そしてパナマ運河も抑えたいところです。ハワイ攻略は早いほうが良いでしょう」


 辻の言葉に伏見宮と近衛は頷く。

 何しろ欧州列強が北米に乗り込むことが決まっている以上、時間との勝負になる。だが嶋田は渋い顔で言う。


「ですがアラスカ侵攻を取りやめたとしても、すぐにハワイ侵攻ができるというわけではありません。

 正直に言いまして3ヶ月、いえ2ヶ月は準備期間が欲しいところです。それに攻略にも労力と時間が掛かるでしょう」


 これを聞いた辻は、やや渋い顔をする。


「準備で2ヶ月ですか……厳しいですね」

「無茶言わないでください。これでも十分タイトなスケジュールですよ」


 星一号作戦のために物資は掻き集められていたが、全てを右から左に流すようにハワイ作戦に流用できるわけではない。

さらに詳細な作戦を練るためにも入念な偵察、情報収集や分析が必要であるし、船舶のスケジュールも組みなおす必要がある。

 海軍省や軍令部の関係部署が大騒ぎになることは間違いない。勿論、陸軍も大騒ぎになることは確実だったが。


「……また徹夜の日々になりそうだな」


 杉山の言葉に、軍関係者は顔を青くした。部下から恨み言を言われるだろうと思い、誰もがブルーな気分だった。

 一瞬、関係者の脳裏に「過労死」という不吉な三文字がよぎり、過労死の可能性が一番高い嶋田は頭を抱えて呟く。


「夢幻会所属の人間で初の戦死者は、過労が原因になるかも知れませんね」


 この台詞を聞いた辻は、すかさず反応する。


「なら今度、某メーカーが作っている新作の栄養ドリンクを持ってきましょうか? ついでに胃薬もセットで」

「……薬よりも、仕事とストレスの量を減らして欲しいものですね」

「給料のうちと思って諦めてください」

「即答ですか」

「当たり前です。ただでさえ今は戦時なんですから、トップのストレスが多いのは当然です」

「……私が受けるストレスの内、何割かは目の前の人物のせいだと思いますが」

「おや、どなたです? 私には心当たりが『全く』ないのですが」

「……ははは。さすが大蔵省のドン、冗談が上手いですね」

「いえいえ。総理ほどではありませんよ」

「「「はっはっは」」」


 乾いた笑みを浮かべる嶋田に、誰もが同情的な視線を送る。そして同時に誰もが思った。


(((こいつの立場でなくて、本当に良かった)))


 出席者達は嶋田に同情し、憐憫の感情を抱くが、代わってやろうとは誰も言わなかった。わざわざ火中の栗を拾おうと

する勇者はいないのだ。『君子危うきに近寄らず』。この諺を誰もが実践していたと言えよう。









 ハワイ攻略作戦の実施が決定されたことによって、日本海軍はその対米戦略を大幅に変更することになった。

 軍令部では喧々囂々の会議の末に、星一号の中止と真珠湾作戦の大幅な変更、ハワイ諸島攻略作戦の実施が決定された。

 真珠湾作戦は機動部隊による真珠湾空襲は中止するが、パルミラ、ジョンストンを攻略。この2つの島嶼に基地を建設し

ハワイ諸島の封鎖と軍事施設の爆撃を強化するという作戦に変更された。そして大本命であるハワイ攻略作戦は5月後半に

実施することが決定された。勿論、急な作戦変更と短いタイムリミットに関係部署は悲鳴を挙げることになる。

 ブラックIT企業にいた逆行者も「で、デスマーチ指揮者め」と嶋田のことを罵っていたのだから、どれだけ負担がかか

るかが判る。


「連合艦隊の屋台骨である第1艦隊、第2艦隊、第3艦隊を全てぶつけるか……文字通りの総力戦だな」


 その色々と恨まれている本人は、総長室で天井を仰いでいた。


「しかし戦う相手が精々、基地航空隊と小規模な艦隊。まぁ敵が少ないのは良い事だが……大鳳の初陣としては寂しい戦いに

 なるだろうな」


 期待の装甲空母・大鳳、そして富士型超甲巡2隻、祥鳳型5号艦の紅鳳を加えた連合艦隊の主力部隊を総動員することが

決められていた。これによって正規空母7隻、準正規空母2隻、軽空母6隻、戦艦12隻、超甲巡(巡戦)2隻を中核とした

大艦隊がハワイに殺到することになる。しかも3つの島から十分な航空支援を受けて、だ。

 既に壊滅状態と言っても良いアメリカ海軍からすれば災厄でしかない。さらに言えば今度迫ってくる日本軍は航空戦力を

さらに質の面で強化しているのだ。関係者が聞いたら卒倒しかねない。

 だがそれでも嶋田は梃子摺るかも知れないと思っていた。ハワイは太平洋のど真ん中にある島であり、さらに真珠湾は

要塞化された軍港でもある。ここを真っ向から落すとなるとかなりの犠牲が必要だった。


「軍港を無力化するだけなら楽だったんだが……」


 ぼやくもののどうしようもなかった。短期間でハワイを落とし、西海岸への橋頭堡を築くように言われているのだから

やるしかない。


「原子爆弾の起爆実験を世界中に公開して、脅しとして使ってやろうか?」


 夢幻会は核実験の準備も進めていた。マーシャル諸島で起爆実験を行う予定だ。嶋田としてはこれを公開実験とする

ことでハワイ攻略の際に脅しに使えないだろうかと思ったのだ。だがすぐに諦める。


「アメリカ軍が血迷って徹底抗戦を選んだら、本気で落さざるを得なくなるからやめて置こう」


 気が進まないものの、嶋田は通常戦力でハワイを攻め落とすことに専念することにした。


(いくら連邦が崩壊したとしても、無抵抗ということはないだろう。ふむ、封鎖だけでなく、謀略で米軍を内部から突き崩す

 ことができれば……)


 アメリカ経済は崩壊している。ここで通商破壊と断続的な爆撃でハワイ諸島を孤立させれば、島民の生活は破壊できる。

 物資不足、インフレが起これば住民達の不満は一気に高まることは間違いない。


(島の治安を崩壊させ、連中を内部から崩す。あと、占領と言う形ではなくハワイ王国を形式的に復活させるというのも手か。

 我が国と新国家がハワイの白人達の財産を保障するとしておけば内応に応じる人間がでるかも知れないな。

 あとは人種間対立、とくに白人と黒人の対立を煽って米軍内部も分断できれば……)


 嶋田は次の作戦会議において、自身の考えを打ち明けて議論することにした。


「一人でも多くの兵士を、元の生活に帰してやらなければならない。勝ちが見えた戦争で、無駄な犠牲は出せないからな」


 嶋田は何としても戦死者を減らそうと色々と策を巡らせる。第三者が聞けば一人でも兵士を生かして帰そうとする人情溢れる

提督の台詞に聞こえるが、実際には人情から来る判断というより、合理的判断によるものだった。

 この調子でいけば戦後世界において日本の勢力圏は大幅に増える。辻は軍縮を目論んでいるが、軍縮をしたとしても世界大戦

が始まる前よりも軍備、特に海軍の軍備は大きくする必要がある。そうでなければ日本の安全は守れない。だが民間もまた若い

労働力を大量に必要としている。

 つまり日本の国力を維持しつつ、安全を守るためには戦死者を減らす必要があったのだ。無駄にすり潰せる兵士などいない。


「負担を分担してくれる同盟国が近くにあれば……ってそんなのがあったら、この国はここまで苦労しないか」


 無いものねだりと判っていても、ぼやかずにはいられない嶋田であった。


「日米戦争とその後処理が終ったら、総理大臣の椅子も、軍令部総長の椅子も誰かに押し付けて引退してやる。こんな面倒な

 こと、いつまでもやっていられるか。とりあえずはパルミラ、ジョンストンを落したら海相に山本を据えよう。

 辻あたりが煩いかも知れないが、絶対に黙らせてやる」


 理想のリタイア生活を夢見ながら、嶋田は仕事に打ち込んだ。











 あとがき

 拙作にも関わらず最後まで読んでくださりありがとうございました。提督たちの憂鬱第47話をお送りしました。

 というわけで泥縄式にハワイ攻略作戦が決定されました。でもアメリカ海軍に戦える艦は……。

 ハワイ攻略戦は普通、仮想戦記ではある意味山場なのに、淡々と進められそうです(笑)。

 まぁあの要塞化した真珠湾を太平洋艦隊を激戦の末に撃破したあと攻略するよりかは、前線の将兵の負担は軽くて

 済むんでしょうが。

 さてアメリカはいよいよ崩壊。欧州も色々と動き出します。

 提督たちの憂鬱第48話でお会いしましょう。

 それにしても、何で偉い人の会議だけで話が進んでしまうのだろうか(笑)。