1943年2月1日、珍しく晴れた北海道の空に向かって、一筋の白い航跡が伸びていった。

 その様子を地上で見ていた男達は、緊張した表情で固唾を呑んで結果を待つ。何しろ彼らは帝国の命運が掛かった新兵器の

開発を任されていたのだ。この兵器の開発の失敗、いや遅延が起きれば国家に多大な損害を齎すのだ。責任は重大だった。


「「「………」」」


 静まり返るテント。暫くして待ちに待った結果が発表される。


「実験は成功です!」

「「「やったぁああああ!!」」」


 防寒服を着込んだ男達は狂喜乱舞して、同僚と抱き合ったり、肩を叩き合ったりした。

 だがそんな中、一人の男が不気味な笑みを浮かべて静かにたたずんでいた。


(くっくっく。とうとうだ。とうとうロケット兵器が世界史に輝くときが来たんだ。いや単なる兵器としてだけじゃない。

 超大国アメリカにトドメをさせれば世界史そのものをひっくり返した技術として名が残る。そしてその兵器の開発に携わった

 俺は歴史に名が残る……ふふふ、前世で俺をオタクだの、変人だの散々に言われていた、この俺がだ)


 名誉に拘る男は、後世での自分の評価を妄想すると密かに悦に浸った。


(アメリカ人が大勢死ぬ? 知ったことか。全く転生組みには甘い奴が多くて困る。何で見ず知らずの外人に、それも日本人を

 いや黄色人種を黄色い猿と思っているような連中に情けをかける必要がある? あんな連中にかけるものがあったらご飯にでも

 ふりかけて食べたほうがマシだ。まぁ良い。さらにもっと高く、遠く、1グラムでも多くの荷物を運べるものを作らなければ。

 いずれは人を宇宙に、月に届けなければならないのだから。そして、それが達成できれば私の名誉は不動のものになる)


 大田正一大尉はすぐに気分を切り替えると、仕事に戻っていった。

 この実験成功の報告はただちに帝都東京の海軍軍令部に届けられた。


「そうか。実験は成功か」


 軍令部の総長室で、電話越しに報告を聞いた嶋田はほっと息を吐いて安堵した。受話器を置くと嶋田は目を瞑って天井を仰いだ。


「これで三式弾道弾は量産体制に移れる。戦争に決着を付ける算段が付いたな……」


 天候不順や、予想以上のトラブルによって予定より遅れたものの、この日ついに日本はアラスカから五大湖周辺地域を

攻撃することが出来る兵器を手に入れた。それは日本帝国がアメリカという大国の心臓部を狙い打つことができるように

なったことを意味した。


「富嶽の開発も順調。これで核兵器の投射手段も手に入る。あまり使いたくは無いが……」


 そこまで言うと、自嘲の笑みを浮かべて嶋田は首を横に振る。


「いや、もうすでに私は人類史上最悪の虐殺者。今更偽善ぶっても意味は無い。それに情によって判断を鈍らせる

 訳にもいかない」


 嶋田はすぐに通常の業務に戻った。前線で兵士が敵と戦うように、彼は日々押し寄せる大量の書類を相手に激闘を

繰り広げていた。会議、書類の決裁など地味な仕事ばかりだが、それがないと組織は動かない。将校には将校しか出来ない

仕事がある。だからこそ彼らは高給取りなのだ。

 その膨大な業務をこなす中、嶋田は新兵器のコストを思い浮かべてため息をついた。
 

(しかし三式弾道弾も富嶽もコストが高すぎる……こんな化物を大量にそろえた冷戦時の米国は本当、とんでもない

 化物だな。世界を敵に回しても勝てる国家なだけはある)


 原爆、そして新兵器の生産が進むにつれて、嶋田は自力でこれを成し遂げた米国が如何に化物であったかを改めて理解させ

られた。


(我々が史実の知識を使って新兵器を開発し配備すればするほど、米国がどれほど強大であったかがよく判る。

 だからこそ、ここでトドメを刺しておく必要がある。あのパワーが海外に向けられないように仕向けないと我が国は滅ぶ)


 無限大と言われても納得してしまう回復力が働いていない今こそが米国打倒のチャンスだった。勿論、事情を知る人間からすれば

卑怯者と誹られてもおかしくないが、圧倒的強者を相手にして正々堂々など愚者がすることだ。さらにこの強者が頭が切れる知恵者

であるのなら、正々堂々など単なる自己満足であり、自殺行為でしかない。

 勿論、米国を倒すために大西洋沿岸地域に壊滅的打撃を浴びせたのは外道の所業といわざるを得ないし、弁解の余地は無いが。


(アラスカ侵攻作戦『星一号』を絶対に成功させなければならない。大鳳が参加できるように訓練を急がせる必要があるな)


 衝号作戦を知る人間なら「俺達ってどう見ても連邦じゃなくてジ○ンだろうに」と突っ込みを入れる作戦名であったが

別にガ○ダムをネタにしたわけではない。現時点で準州とは言え、アメリカを構成する州の一つに侵攻するということで

『星一号』と命名されたのだ。

 尤もオタぞろいの夢幻会派将校の中には「ガンオタ連中が暗躍したせいじゃないのか?」と、今でも疑う人間がいたが。


(まぁそれ以前にハワイ作戦だな。ハワイを完全に無力化しておかないと、安心して前に進めない)


 連山改の断続的な夜間爆撃で真珠湾軍港はその機能を停止しつつあった。米軍も必死に応戦していたが、日本軍が

誘導爆弾を使用して高高度から爆撃するようになると、手も足も出せないようになっていた。

 米軍機は涙ぐましい努力で連山改がいる高度に上がってくるが、連山改の弾幕射撃によって追い散らされることが

大半だった。

 だがそれでも尚、ハワイは米軍の牙城であった。ここを叩いておかなければ星一号作戦において後方を脅かされる

可能性がある。いくら太平洋艦隊を壊滅させたとは言え、手を抜いてよい作戦ではない。


「勝って兜の緒を締めよ、だ。部下達を引き締めておく必要があるな」


 日本人が驕り高ぶるのは死亡フラグ、そう思った嶋田はもう一度、海軍全体の引き締めを図ることにした。


「ハワイ沖でいかに米軍が健闘したかを強調して、米軍兵士が侮りがたい実力と戦意を持っていることを認識させれば

 少しはマシになるだろう」


 嶋田は米軍の敢闘精神がいかに高いかを強調して言うことで、米軍が侮れない強敵であることを海軍全体に周知させ

ようと考えた。だが逆に言うと、表立って褒められるところが、そのくらいしかないということでもあった。


「……まぁ今の米軍を褒めようとしたら敢闘精神しか無いんだよな。圧倒的生産力は潰したし、優秀な将帥も多くが

 津波で水葬済み。米軍の組織そのものはガタガタ。兵器の質も隔絶している……気を緩めないほうがおかしいか。

 米軍がもっと激しく抵抗して被害が大きかったら、説得力を持たせることも出来たんだが……いや、それでは本末転倒だな」


 順調に勝ち進んでいるにも関わらず、尽きることの無い問題の数々を思い浮かべ、嶋田は深いため息をついた。










           提督たちの憂鬱    第46話








 ハワイ沖海戦で一方的な敗北を喫して以降、アメリカは新兵器開発を急ぐと同時に欧州列強への働きかけを活発化させた。

 これまでは対日戦への協力要請がメインであったが、ガーナーが方針転換して以降は、対日和平への仲介に重きが置か

れるようになった。

 だがすでにアメリカを見捨てていた欧州列強は、アメリカが望むような回答をすることはなかった。彼らはすでに日本と

共謀してアメリカを解体し、その遺産を漁ることしか興味がなかったのだ。

 勿論、そんな本音を悟らせるほど、欧州列強は無能ではない。欧州列強は言葉巧みにノラリクラリと明確な回答を避けつつ

時間を稼ぐことに終始した。


「アメリカの様子は?」


 閣議の席でハリファックスは、外相のイーデンに尋ねた。質問を受けたイーデンは即座に答える。


「アメリカは我が国だけでなく、ドイツ、イタリア、ソ連と様々な国に協力を打診しています。太平洋艦隊が壊滅したのが

 よほど痛かったのでしょう」

「アメリカも必死だな。何しろ惨敗した上、艦隊の大半を失ったからな」


 ハリファックスの言葉に、閣議の出席者達は一様に頷くが、そこには同情の表情は無い。

 アメリカは同じアングロサクソンの国とは言え、所詮は他国に過ぎなかった。まして自分達を振り切って独立して大きな

顔をしていたのだ。これでまだ利用価値があったのなら、甘い顔もしただろうが、現状ではそんな顔をする必要はない。


「しかしここまで必死ということは、アメリカはまだこちらの意図に気付いていないようだな」

「そのようです。米海軍は大西洋艦隊の大半を太平洋側に回航して日本海軍への備えとしています」


 海軍軍令部部長カニンガムは、米海軍の動向を報告した。


「現状なら、我々は大した妨害を受けることなくカリブ海周辺でも活動することが出来ます。絶好の好機と言えるでしょう」


 大西洋を横断して新大陸へ進出するとなると、補給が最大のネックとなる。米海軍が後方を遮断しようとしたなら

面倒なことになる。故に大西洋方面での米海軍の弱体化は望ましいことだった。


「ドイツ人たちは?」


 このハリファックスの問いに、外相のイーデンが答える。


「ドイツ人は先遣隊として2個師団を中核としたアメリカ派遣軍を編成しつつあります。これにイタリア、ヴィシーフランス

 などの枢軸国軍の混成軍が4個師団加わる予定です」

「そして我が国が参加させる1個師団で、第一陣は合計7個師団か。できればもっと送り込みたいが……」


 このハリファックスの言葉にカニンガムが反駁する。


「無茶を言っては困ります。現状でも輸送に必要な船舶の捻出に頭を痛めているのです」

「判っている。だからこそ、現地での『工作』を行わせているんだ」


 イギリスはアメリカ南部を混乱させつつ、津波による被害で無政府状態となっている地域を保護占領と言う形で

制圧するつもりだった。勿論、津波によって国そのものが消滅した地域もドサクサに占領する準備も進めていた。

 これが成功すれば大した抵抗を受けることなく、そして占領統治に大したコストをかけることなく、北米に橋頭堡を

確保できる。

 しかも独伊仏などの列強を巻き込むことで、これがイギリスの侵略ではなく、国際支援の一環であると言い繕って

世界帝国としての面子を守るつもりだった。尤も衝号作戦を知る夢幻会の人間からすれば火事場(?)泥棒以外の何物

でもなかったが。


「カナダが使えれば良かったんだが……」


 ハリファックスはそうぼやく。カナダが兵站基地として使えればもっと楽に動けたのだが、カナダ自身が被災している

上にアメリカ東部一帯は疫病が蔓延しつつあるので、北部から侵攻するのは危険すぎた。さらに占領したとしても津波で

被災した人間や疫病で苦しむ市民を抱え込むのだ。今の欧州列強にそれだけの負担を背負うだけの余力は無い。特に連邦の

一角を支えてきたカナダを支援しなければならないイギリスには、被災したアメリカ市民を養うなど悪夢でしかない。


「カナダへ支援を行いつつ、アメリカ領内に橋頭堡を築くというのはかなりの出費が必要です」


 財務担当者がこぞって不満をもらすものの、ハリファックスはこれを制した。


「アメリカを分割できれば十分に元は取れるだろう。先行投資と思えば良い」


 イギリスはアメリカ南部、そして内陸諸州を順次切り取ることを目論んでいた。これに加えて南米、特にパナマの権益も

虎視眈々と狙っている。強欲極まりないとはこのことだろう。


「その先行投資は膨大なものになります」

「確かに少なくない出費になるだろう。だが必要な出費を渋って何もしなければ……我が国は滅亡する可能性がある。

 我々には日本と戦う力は無いし、もう一度、ドイツと戦うような体力も残されていない」


 この言葉に誰もが黙り込んだ。対独戦争、対米戦争で日本軍が見せ付けた戦闘能力は彼らの想像を遥かに超えていた。

 そして対米戦争が日本の勝利で終れば、次に日本が敵視するのが英国とソ連になることは誰もが予想できた。何しろ

ソ連はロマノフの忘れ形見を抱える日本にとって不倶戴天の敵であり、イギリスは土壇場で裏切った卑怯者だ。

 対米戦争に振り向けていた戦力が、東南アジア、インドに向けられれば、大英帝国は終焉を迎えることになる。対独戦争と

津波の被害から立ち直っていないイギリスが日本軍の侵攻を食い止めることは不可能だ。

 勿論、これは最悪の事態を想定したものだが、最悪の事態を想定して行動するのは戦時下における政治家にとって当然のこと

だった。


「単に日本寄りの態度を示すだけでは、米独が接近し我が国は挟撃されただろう。軍事的に圧迫されるか、経済的に圧迫されて

 隷属を余儀なくされる。米国が生き残れば借金の取立てにあって経済的な植民地に転落するだろう。

 我が国が生き残るには日本、ドイツと組んでアメリカを解体し、アメリカが築いてきた富を手に入れるしかない」


 閣僚達、そして官僚たちは自国が如何に追い詰められているかを改めて認識してため息をついた。


「全く、どうしてこうなったのやら……」

「あの津波のせいだろう。アレが無ければここまで追い詰められなかった」

「ふん。原因は津波だけではないでしょう。東洋の侍を裏切って、ヤンキーの片棒を担いだのも大きいのでは?」


 軍人達は共に戦ってくれた同盟軍である日本軍を自国の都合で勝手に切り捨て、敗戦の責任を自分達に被せて多数の軍高官の

クビを飛ばした上、さらに無理難題を押し付ける現政権への不満を露にする。勿論、政治家達も黙ってはいない。


「だがあの時は、頼るべき相手が米国しかなかった。日本は遠すぎる」

「日本寄りの態度を示していれば、我々はアメリカの支援を受けることができず、ドイツの圧力に屈せざるを得なかった」


 政治家達は「あの時は仕方なかった」と主張し、自分達の非を認めない。これを見た軍人達は激昂する。


「ですが、日米の仲介を取るくらいはできたはずです! 日米戦争さえ無ければ、ここまで状況は酷くはならなかった!!」

「いや、仲介するポーズでもとっていれば、日本との関係はここまで冷え込まなかった!!」

「そうだ。外交努力を怠った政府の責任は追及されるべきだ!!」


 怒りの矛先は宰相であり、親米政策を取っていたハリファックスに向けられる。

 ハリファックスは気分を落ち着かせるように軽く息を吐いた後、口を開く。


「……諸君の怒りは理解できる。私も自分の失策を否定するつもりはない」

「「「………」」」

「ひと段落したら私も責任を取る。だがここは遺恨に目を瞑って政府に協力してもらえないだろうか。今は大英帝国が滅亡するか

 どうかの瀬戸際なのだ。国王陛下を、そして国民を守るために、もう一度力を貸して欲しい」


 ハリファックスはそう言った後、深く頭を下げる。

 暫しの沈黙の末、軍人達は不承不承といった様相で頷く。彼らもここで言い争っていても意味が無いこと位はわかっていた。

だが政府に振り回され続け、敗戦の責任まで追及され、さらに無理難題を押し付けられて不満を言わずにはいられなかった。

 この軍人達の不満を見てハリファックスは、これまでのやり方が限界に来ているのではないかと感じた。


(日本の夢幻会のように社会の至る所に構成員を持ち、組織間の利害を調整する組織が、我が国にも必要になるだろう)


 このハリファックスの考えがもとになり、戦後、イギリスには『円卓』と呼ばれる国王直属の機関が作られることになる。










 1943年2月4日。日本と中華民国の講和会議が下関で開かれた。

 中華民国側は日本側が提示した遼寧省遼河以東の領土、舟山群島の日本への譲渡、威海衛の租借、浙江省の福建共和国への

譲渡は丸呑みしたが、賠償金15億円の支払いについては抵抗した。

 中華民国にこれだけの多額の賠償金を支払う能力はないとして、中華民国側は新たな領土の割譲や対米戦争遂行に必要な

資源と労働力を格安、又は無償で提供することなども提示し、賠償金の減額を求めた。国民の生命、財産を売り渡すような

提案であったが、提供可能な資源の量、労働力を見ると日本側交渉団も心を動かされる。


「中国側からの提案は、検討の余地があると思われます」


 交渉団からの連絡を受けた外務大臣重光葵は、賠償金の減額も考慮するべきと閣議の席で主張した。


「資源は兎に角、労働力は要らないな……下手に我々が直接管理するようなことがあったら面倒になる」

「領土も今以上は要りませんね。防衛しなければならない範囲が広くなって後が大変です。

 どうしても払えないなら資源、それか文化財でも何でもいいので現物で支払って貰えばいいでしょう」


 元々、15億円も搾り取れると思っていない嶋田や辻は資源などと引き換えに賠償金の減額を行うことにあっさり同意する。


(もともと15億円という金額自体が吹っかけたものだからな〜)


 夢幻会は賠償金は10億円〜12億円程度と考えていた。このため最悪でも5億円は減額しても妥協できる範囲だった。


「だが減額する以上は、残りの賠償金はきっちり払ってもらう必要があります。それと資源の供給も期限を守ってもらわないと」


 この辻の意見に嶋田や永田などの軍人達は頷く。


「蔵相の言うとおりだ。賠償金の支払いが滞る場合は実力行使もあり得ることを条約で明記しておかなければならない」

「首相の言われるとおり。彼らに約束を守らせるには強制力が必要になる」


 軍人達の注文に、重光は当然ですなと言わんばかりに頷いた。


「条約にはその旨を明記させます」


 中華民国政府(奉天派)は、これまで行った反日行為の数々によって、日本政府内部の信用を完全に失っていた。

 さらに大陸での戦いで、中華民国が如何に信用できないかが明らかになっていたので、不信感は募るばかりだった。米国を

裏切ったように不利になったらすぐに自分達を裏切るのではないか、と政府内では囁かれている。

 口さがない夢幻会派将校の中には「連中と同盟するなら、イタリアと同盟したほうがまだ安心できる」とまで言い切る人間さえ

いるのだから、中華民国がどれほど信用されていないかが判る。

 ちなみに韓国も反日派や政府高官による裏切り行為があったせいで、その信用は地に落ちている。


「ですが、これで中華民国との戦いは終了。あとは米国を残すのみですな」


 閣僚の一人が明るい顔で言うと、他の閣僚達も笑みを浮かべて頷く。

 講和交渉の最中であるものの、中華民国には戦う力はもう残されておらず、脅威ではない。残った敵国は米国のみ。そしてその

米国は海軍力の大半を失っている。この調子でいけば対米戦争が日本の勝利で終わるのも近い、多くの閣僚がそう考えていた。


「総理、南方にも目を向けるべきなのでは?」


 仏印は華南連邦と自由フランス軍の支配下にあるものの、不安定であり、介入の口実は幾らでもあった。蘭印も自由オランダが

支配しているものの、日本がその気になれば何時でも進駐は可能だ。

 イギリスは津波の被害に加え、インドなどの植民地での反乱に悩まされている。アメリカは崩壊寸前。ソ連もドイツとの戦いに

必死であり、日本に攻め込む余裕は無い。日本がその気になれば東南アジアの植民地を切り取り放題だ。

 勿論、閣僚達も露骨に侵攻することは提言しないものの、これを好機として何らかの形で手を打つべきではないかと考えていた。

 だが、嶋田は簡単に首を縦に振らない。


「ハワイ作戦、そして星一号作戦のために軍は北太平洋に兵力を集中させなければならない。南方に手を出す余裕は無い。

 それにすでにタイ王国、各地の独立派への支援は行っている。これ以上は欧州列強と対立することになる」


 ようやく二正面作戦を終らせたにも関わらず、新たに戦線を拡大しかねない意見を言う閣僚達に嶋田は苛立ちを覚える。


「ですがアメリカがああなってしまった以上は、新たな市場や権益は必要です」

「ふむ。戦後のためか……」


 食い下がる閣僚を見て、嶋田は東南アジアへの進出について今一度、深く考える。


(アメリカ分割、そして南米諸国の取り込みなどやらなければならないことは山積み。ここで東南アジアにまで手を出すと

 言うのは厳しい。余裕があったとしても現状では露骨に手はだせないが……だが場合によっては)


 北米分割に力を注がなければならないこと、そして火事場泥棒扱いされるのは御免なので、夢幻会としては露骨な行動は

現在自重している。しかし何時かは手を出す必要が出てくるのは確実だった。

 嶋田が黙り込んだのを見て、蔵相である辻が口を開く。


「未来の市場は必要ですが、今の市場を失うわけにはいきません。下手に動けば東南アジア全域が混乱し、我が国の戦時経済に

 悪影響を及ぼすでしょう」

「ですが……」

「勿論、何もしないというわけではありません。効率的な方法があります」


 辻はニヤリと黒く笑う。嶋田は「いつものやつか」と思い平然としていたが、あまり慣れていない人間はあまりの不気味さ

と言い表しがたいプレッシャーを受けて腰が引けた。


(ああ、俺も最初はあんな感じだったんだな〜)


 嶋田が達観した顔で眺める傍ら、辻は己の策を披露する。


「蘭印、仏印の市場開放を進めさせると同時に、我が国の国策会社を使って現地の人間に教育を行うのです」

「教育? そんなことは……」

「我が国にとっては当然のことでしょう。ですが教育によって多数の技能が得られたら? 彼らが独自に事業を起こせるように

 なったらどうなります?」

「現地の購買能力が上がりますな。それに我が国への好感度も上がる」

「本国を失った亡命政府は植民地に縋るしかなく、植民地が豊かになることにケチはつけれないでしょう。彼らは得られる富に

 食いつく。その間に、彼ら独自の情報網を形成させます。そう、例えばラジオを使った」

「ま、まさか蔵相は現地に」

「ええ。独立派の個々人の地位を向上させると同時に情報網を構築させます。これによって広範囲の領域で独立派を組織化し

 現地人を扇動しやすくできます。ラジオで扇動された人々が蜂起すればさぞや面白いことになるでしょう。そしてその蜂起

 の際にインフラが、通信網が効果的に遮断されれば……派手なことになるでしょうな」

「し、しかしそんなことになったら日本企業も被害に」

「それこそ我が国が介入する絶好の口実になります。独立派が蜂起し、植民地政府が我が国の企業、国民を守れない、又は

 危害を加えるようなことがあれば軍を動かす口実になります」

「だが時間が掛かるのでは?」

「そのための海援隊ですよ。伊達に長い間、植民地で活動していたわけではありません」


 海援隊で最低限の教育を受けた人間に、さらに日本企業で教育を受けさせれば短期間で使える人材になる。彼らをコアとすれば

短期間で組織を形成するのも不可能ではない。


「そして現地で新たに富裕階級になった人間は我が国のシンパとなります。独立後も比較的付き合いやすいでしょう」

「……肥え太らせておいて、あとは丸かじりと」

「効率的じゃないですか」


 相変わらずえげつないことを考える辻に、出席者達の大半は冷や汗を流す。


「それに植民地警備のために使っていた海援隊は、いずれは解体しなければなりません。海援隊最後の大仕事と考えれば

 問題ありませんよ。どうですか、総理?」

「……ふむ。まぁ良いだろう」


 嶋田は辻の提案にあっさりGoサインを出す。

 だがこのとき嶋田は、辻のように回りくどい方法ではなく、武力で一気に資源地帯を制圧するという選択肢を思い浮かべていた。


(万が一に備えて食糧の備蓄、寒さに強い作物の植え付けなどの奨励、漁船建造への補助金交付、品種改良など出来る限りの

 政策を取っているが……最悪の場合は東南アジアへの武力進駐というのもあり得る)


 飢饉が長引き、国内体制が維持できない状況に陥りかねない場合は実力で他国を制圧するというのは選択肢の一つとして

あり得る。日本は日本人のために存在する国家であり、その為政者は最悪の場合、他国の人間を踏み台にしてでも日本人を生存させる

義務があるのだ。


(しかし、これは最後の手段だな)


 後日、嶋田は南方資源地帯を武力で制圧する計画の策定を極秘裏に命じることになる。

 このとき日英は誰もが米国がまだ戦える、まだ戦争は続くと考えて国家戦略を構築していた。津波と疫病によって瓦解寸前で

あるものの、まだ米国は戦える……誰もがそう思っていた。

 しかしそれが幻影でしかなかったことを、彼らはすぐに思い知ることになる。












 西暦1943年2月8日、アメリカ合衆国東部は歴史的大寒波に見舞われた。首都シカゴでも多くの雪が降り積もり交通機関

は次々に麻痺した。シカゴでさそれなのだから、他の地域、特に被災した地域がどれだけ悲惨だったかは言うまでも無い。

 この寒波に食糧不足、燃料不足が事態の悪化に拍車をかけた。暖を取るための燃料もなく、今日生きるだけの食料さえ口に

することができなくなった人々は、遂に立ち上がった。


「無能な政府を打倒しろ!!」

「食糧と水を!!」


 大量の銃器で武装した市民達は東部の各地で蜂起した。そしてその反乱は瞬く間に東部一帯に拡散していく。

 デューイが副大統領になったことで戦争が早く終わり、復興が始まると思っていた彼らは、一向に終る気配の無い戦争と

進まぬ復興に激怒した。そして革命が権利で保障されているアメリカ人は、その権利を行使することを決めたのだ。

 暴徒は各地で鎮圧のために出動した軍、警察と衝突した。各地で市街戦が繰り広げられる。


「何としても鎮圧しろ!」


 ガーナーは断固とした口調で鎮圧を命じた。だがすでに東部の反乱を鎮圧するだけで済む問題ではなくなっていた。

 際限なく流れ込んでくる国内難民に頭を痛めていた各州、特に中部の各州は独断で州境を封鎖。強硬に突破しようとする

東部からの難民を実力で排除し始めたのだ。

 この動きに焦ったのは政府だけではなかった。西部に避難していた財界も泡を食った。彼らはガーナーとハーストに命じて

事態の沈静化を急がせると同時に、各州に州境封鎖を解かせようと働きかけたが、どの州もそれを拒否した。


「州民の命と財産を守るのが我々の仕事だ!」


 各州の州政府高官は金を積まれても、脅されても屈することは無かった。

 州知事達の態度に激怒したガーナーは、各州に対して州境の封鎖を解くように命じ、連邦軍さえ派遣した。だがどの州も頑強に

拒否し、州境では州軍と連邦軍がにらみ合う事態となった。

 連邦政府と各州は話し合いの席を持ったが、そのどれもが平行線であった。各州は話し合いの席で次々に連邦政府への不満と

不信と露にする。


「州内で疫病が蔓延するような事態は避けなければならない。連邦政府主導の防疫体制が確立できない以上、仕方のない処置だ」

「東部からの難民による治安悪化は無視できるレベルではない。これ以上、新たな難民を受容れる余裕は無い」

「経済の破綻によって、我が州も苦しい。これ以上は受容れられない」

「我が州だって凍死者が出ているんだ。東部や難民に回す物資があるなら、州民の支援に回す」


 それは各州が連邦政府の命令より、自州の州民の生命と財産の保全を優先する道をとったことを意味した。

 アメリカ合衆国という巨大な連邦国家の終わりが始まろうとしていた。











 あとがき

 提督たちの憂鬱第46話をお送りしました。

 と言うわけでアメリカ終わりの始まりです。いや終わりの終わりか……いよいよ崩壊が始まります。

 巨大国家ゆえに一度崩れだしたら止まりません。地獄の大釜が開かれることになります。

 まぁ何事も思い通りにはいかないということです(邪笑)。

 それでは拙作にも関わらず最後まで読んでくださりありがとうございました。

 提督たちの憂鬱第47話でお会いしましょう。