高須中将からパイ大将率いる殿部隊を撃滅したとの報告を聞いた小沢中将は、ハワイに逃げるハルゼー中将率いる残存部隊へ
追撃を行うことなく作戦を終了し撤退することを決断した。
蜂一号作戦の目的である米航空戦力の撃滅は完了している。さらに太平洋艦隊主力を事実上撃滅した。これほどの
戦果を挙げた以上、この海域に留まり続ける理由はないと小沢中将は判断したのだ。だが一部の司令官、参謀は異を唱える。
「追撃にでるべきです。後方の足摺型補給艦や洲崎型補給艦を呼び寄せ最低限の補給を済ませればまだ戦えます!」
「被害は少なくないですが、まだ戦えます。ここは積極的に打って出て戦果を拡大するべきです!」
敢闘精神溢れる人間達はそういって小沢に翻意を求めるが、小沢は頑として首を縦に振らなかった。
「ハワイに近づきすぎる。それに艦隊の消耗も無視できない。ここは一旦引くべきだ。追撃は潜水艦隊に任せる」
高須中将の指揮の下、夜戦を戦った水上打撃部隊の喪失艦(自沈含む)は駆逐艦4隻。これに加え戦艦長門、扶桑、重巡古鷹
那智、軽巡三隈、駆逐艦3隻が中破、戦艦鞍馬、重巡妙高、軽巡最上、駆逐艦2隻が小破している。
特に長門は集中砲火を受けたせいで、非装甲区画がかなりやられていた。もしも米海軍にあと1、2隻無傷の16インチ砲
搭載戦艦がいたら大破に追い込まれていただろう。軽巡三隈は不運なことに艦橋に命中弾を受けて艦橋で指揮を取っていた
艦長以下多数の将校が死傷していた。これらの損害に加え艦隊将兵は2日間の戦いで消耗しており、連戦は危険だと小沢は判断した。
だがその艦隊将兵の消耗以上に小沢が危惧しているのが米潜水艦の動きだった。幸い、大事には至らなかったが、米潜水艦の
出没が相次いでおり、あまりこの海域に留まり続けるのは危険だとも考えていたのだ。
(貴重な空母を潜水艦の雷撃で失ったら目も当てられない)
この攻撃があくまでも露払いであることを知る小沢としては、本命であるハワイ作戦の前に機動部隊が消耗するような真似は
避けたかった。本格的にハワイを潰すとなれば、1機でも多くの航空機を持ってこなければならない。そのために航空機のプラット
ホームである空母が減るような事態は避けなければならないと小沢は判断した。
(米軍の航空戦力は始末できた。残存部隊もその規模は高が知れている。次に万全の態勢で攻勢に出れば一気に揉み潰せるだろう)
かくして第1艦隊と第3艦隊の両艦隊は反転し、日本本土への帰路に着いた。
大勝利を挙げたためか、将兵達の顔色は良い。特に戦艦6隻を仕留めた夜戦に参加していた艦艇の将兵達は鼻高々だ。
「アメリカ太平洋艦隊なんざ、大したことはなかったな。まぁかなり打たれ強かったけど、それだけだ」
「俺達は厳しい訓練と上官の扱きに耐えてきたんだ。贅沢になれたアメリカなんて敵じゃないのさ」
「いや、今回の戦いでは電探が大活躍したらしいぞ。見張り員よりも遥かに遠くにいる敵を発見できたらしい。見張り員の知り合い
が嘆いていたよ。これじゃあ、俺達はお役御免だって」
「ご愁傷様だな」
「でも、お偉いさんも凄いよな。俺、電探なんて眉唾物と思っていたのに、まさかあんなに役に立つなんて」
「伊達に高い給料貰って威張っているわけじゃないってことだろうよ」
食堂で、通路で、艦内の様々な場所で将兵達は自分達の健闘を称えあった。
「でも、今回の戦いでアメリカの戦艦は殆ど沈んじまったな。あとは大西洋艦隊や逃げ延びた連中だけだろう?
これじゃあ、俺達の出番はもう無いかも」
「それどころか、戦争そのものが終わりじゃないのか? いくらアメリカでも東海岸が瓦礫の山。大陸の陸軍と太平洋艦隊が
消滅だと、手を挙げるしかないだろうし」
「ま、どちらにせよ日本が負ける可能性はなくなったな。もう米国は日本に手出しできないし」
そんな日本艦隊とは逆に太平洋艦隊残存部隊は葬式もかくやという状態だった。
「パイは戦死し、殿部隊は全滅か」
戦艦ノースカロライナの艦橋でハルゼーは天を仰いだ。
半ば予想していた結果とは言っても、ハルゼーにとってはショックであった。開戦以降、辛酸苦難を共にした同僚が
逝ったという報告を聞いて軽く受け流すほど、ハルゼーは淡白ではなかった。
(……すまん。今の合衆国ではお前の仇は取れそうに無い)
このハワイ沖海戦はハルゼーは嫌と言うほど自軍と日本海軍の実力差を実感させられた。津波が無ければ埋めることが
できたかも知れないが、現状では到底埋めることが出来ない差であった。今の彼に出来るのは将来の合衆国海軍再建のために
1隻でも多くの軍艦と1人でも多くの海軍将兵を生還させることだけだった。
闘将ハルゼーですら意気消沈するほどなのだから、他の将兵の士気は最悪を通り越していた。
「パイ提督は戦死されたらしい。殿の部隊は文字通り全滅だそうだ」
「でも追撃が来ないって事はそれなりに被害を与えたってことだろう?」
「だけどジャップの空母は無傷だ。それにミッドウェーの航空隊だって居る。連中が傘にかけてハワイに攻め込んできたら
今度こそ終わりだ」
生き残った艦のあちこちでは、米海軍将兵の誰もが暗い顔をしていた。何しろ昼間の航空戦では完封負け。さらに逆襲を
受けて第7任務部隊は壊滅。夜戦ではパイ大将の戦艦部隊が全滅。一つとして明るい話題が無かったのだ。さらに言えば希望さえ
なかった。
「糞、何でジャップの飛行機はあんなに強いんだ。戦前、お偉方は日本の飛行機なんて紙と竹で出来ているなんて言っていたのに」
「文字通り騙されたのさ。海軍のお偉いさんは、本当のことを言って俺たちが尻込みするのを嫌がったんだ」
「だから、本当のことを教えず戦場に送り出したのか? クソッタレが!」
「そのお偉方は軒並み海の底だろうよ」
「でも、これからどうなるんだ? 戦艦は残り5隻。空母は3隻。飛行機は歯が立たず、潜水艦にもやられ放題。これだと……」
「「「………」」」
誰もが祖国の将来に暗雲が漂うのを否定できなかった。
暗い雰囲気に包まれた満身創痍の太平洋艦隊残存部隊は、日本海軍潜水艦の執拗な追撃を受けながら真珠湾に逃げ帰った。
提督たちの憂鬱 第43話
ハワイ沖海戦の結果が大本営、政府に伝えられると関係者は喝采を挙げた。
またアラスカ侵攻を目論んでいた夢幻会関係者は、僅かな損害で太平洋艦隊主力とハワイ基地航空隊を撃滅できたことに安堵した。
「これでアラスカ侵攻は予定通りに進められるな」
軍令部に篭って状況の推移を見守っていた嶋田は、アラスカ侵攻の第一関門を突破できたと感じた。
「それにしても、ここまで大戦果を挙げるとは思わなかったな」
嶋田の言葉に、軍令部の会議室にいた面々は頷いた。
全員がせいぜいハワイ基地航空隊の殲滅、可能であれば米空母部隊の撃滅が関の山と思っていたのだ。それゆえに太平洋艦隊の
主力の大半を海に沈めたという結果に驚きを隠せなかった。
「ここまで一方的な勝利は歴史上でも稀だ」
嶋田は再度、書類を手にとって報告を読んだ。
米軍の戦艦6隻、重巡洋艦2隻、軽巡洋艦3隻、駆逐艦16隻を撃沈するために被った被害が駆逐艦4隻喪失、戦艦3隻、重巡3隻
軽巡2隻、駆逐艦5隻が中小破というのは砲撃戦の戦果としてはずば抜けていると言ってよい。
航空戦を含めればこの戦いで日本海軍は米軍空母2隻、戦艦9隻、重巡洋艦8隻、軽巡洋艦6隻、駆逐艦27隻を撃沈し、航空機
340機を撃墜していた。普通の国なら降伏すら考慮しなければならないほどの被害を米国に与えたと言える。
「最終的には水上艦艇同士の砲撃戦に持ち込み、太平洋艦隊戦艦部隊を撃滅しました。これが大きいかと」
戦艦派の古賀は、水上部隊が多大な戦果を挙げたとあって鼻高々だった。
これまで空母、基地航空隊、潜水艦ばかりが活躍していたので戦艦派や水雷派は鬱憤を貯めていたが、この戦いで一気に鬱憤は
晴らされた。
(確かに残敵掃討に近いものだったかも知れない。だが水上艦艇もまだまだ役に立つことは明らかに出来た)
戦後の大和型戦艦建造についても弾みが付くと思った古賀は気分が良かった。しかし航空主兵論者はそんな古賀の様子を見て
冷ややかな反応を示した。
(第3艦隊がもう1セットあれば、戦艦、いや水上艦艇の出番など無かっただろうよ)
(ミッドウェー航空隊が天候に恵まれていれば、太平洋艦隊の戦艦の大半を航空攻撃で沈められたものを!)
(浮かれるのは判るが第3艦隊の護衛部隊も夜戦に参加したことを忘れるなよ。というか、砲戦したせいで、第3艦隊も当分は
動けないんだぞ? 取りあえずハワイ作戦のために第3艦隊の艦艇の修理を最優先にさせてもらわないと)
(艦隊決戦なぞして、俺の心の嫁の『長門』を傷つけやがって。淑女は深窓で大事にするものだろうが)
航空主兵論者の内心を察したのか、古賀たち戦艦派や水雷派はムッとした顔を見せる。そして作戦を立案した神が堂々と
言い放つ。
「確かに現代の戦争は航空機が要となりましょう。ですが航空優勢を確保したからと言って戦争に勝てるものではありません」
「どういうことだ?」
「そのままの意味ですよ。それとも、さらなる説明が必要ですかな?」
「「「!?」」」
航空派と戦艦派・水雷派の視線が激しくぶつかる。これを見た嶋田はため息をつきそうになるのを必死に我慢する。
(いくら史上稀に見る勝利を挙げたと言っても、仲間内で喧嘩するような真似をするなよ。油断しすぎだ)
嶋田はわざとらしく咳をした後に、断固たる口調で言う。
「何はともあれ、この大勝利によって太平洋の制海権は我々が握ることになった。
しかし、手綱を緩めてはならない。あの国が如何に強大であるかは諸君も知っているだろう。我々の油断や怠慢の対価は陛下の
赤子の血によって贖うことになる。そのようなことは絶対に許されるものではないのだ」
「「「………」」」
「我々帝国海軍の存在意義を忘れてはならない。我々は帝国を守る盾であり、帝国に仇なす存在を打ち滅ぼす剣なのだ。
そのことを肝に銘じて欲しい」
山本五十六のようなカリスマこそ無かったが、軍政家として辣腕を振るい、帝国を切り盛りする男の言葉を誰も否定できなかった。
実際にアメリカはしぶとく、その息の根を完全に止めるまでは絶対に油断できない相手だった。逆襲を受けては堪らない。
それに航空派も心のどこかでは判っていた。他の兵科との協力が必要であることは。また夢幻会に所属する将官たちには、逆行者
同士で必要以上に仲違いをしたくないという思いもあった。かくして剣呑な空気は消えていった。
「この勝利に慢心することなく、戦訓を研究して次の戦いに活かすこと。そして次の作戦の準備。それが今の我々の責務だ」
嶋田はそう言って大勝利に酔いしれる軍人達を引き締めた。
この嶋田の活もあってか、軍人達はそれぞれの派閥や立場を超えた議論を始める。
(これで良い。海軍の分裂という事態だけは何とか阻止しなければならないし、慢心したまま戦争をするわけにもいかない)
嶋田は事の流れに満足する。だが同時に今後のことを思い浮かべて憂鬱な気分になった。
(津波がなければアメリカは徹底抗戦の構えを崩さなかっただろう。だが今回は違う。太平洋艦隊が潰滅したとなればガーナー政権の
威信は失墜するだろう。その場合、対日和平派が台頭するだろうが……連中がどんな条件を提示するかが問題になる)
嶋田は誰もが戦術面での議論をする中、次の夢幻会の会合に備えて戦略面で打つべき手を考えた。
1943年1月22日、世界を驚愕させる日本海軍の捷報が発表された。
「1月19日から20日の2日に渡り、ハワイ沖で日米海軍の間で大海戦が起こった。日本海軍は迎撃に来た米軍航空隊を
撃滅。その後、米太平洋艦隊主力を捉えて、これを攻撃し壊滅させた」
大本営発表として大々的に発表されたニュースに、日本国民の誰もが沸き立った。
この間、中華民国が事実上の降伏を申し出てきたというニュースを聞き、今度は太平洋艦隊を壊滅させたというニュースを聞いた
国民は誰もが対米戦争勝利の時は近いと考えた。そして興奮した市民達は誰彼と無く街に繰り出して国旗を振って行進した。
「号外、号外! 連合艦隊は敵将パイ提督を討ち取ったよ!! おまけに味方で沈んだ戦艦はゼロだ!!」
街頭のTVに映るアナウンサーの上擦った声を聞いた人々は、大見出しの踊る新聞をわれ先に奪い合った。
そこには米国ご自慢の戦艦9隻(4隻が新型戦艦)、大型空母2隻、そして重巡8隻を撃沈したことが記されていた。さらに
空母1隻と戦艦1隻に打撃を浴びせ、この2隻は暫くドックから出て来れないだろうとも説明されていた。これだけの戦果に対して
味方の被害は駆逐艦4隻のみ。損害を受けた艦は少なくないが、修理は可能であるとも報じられた。
またこの2日間の戦いは『ハワイ沖海戦』と呼称されることになった。
「ハワイ沖海戦は日本海海戦の再現、いやそれ以上の大勝利だ!!」
アジア艦隊を撃滅した以上の大戦果に誰もが戦勝気分に浸る。
「開戦以降、連戦連勝。このままいけば米国を降伏させられるかも知れないな」
「戦争なんて早く終って欲しいものだよ。ドイツと戦ってきた期間も考えると、戦争はもう3年以上している。負担も大きい」
「いや、ここは攻め時だ。これだけ大戦果を挙げているんだ。もう少し粘ればアメリカから金か領土かを搾り取れるだろう」
「それもそうだな。でも、今のアメリカだと領土の割譲が関の山じゃないのか?」
「かもな。でも大陸の利権は全て奪えるだろう。それにフィリピンもだ。商売できる範囲が一気に広まる」
明るい戦後を思い浮かべた人々は、高揚した気分でそれぞれの職場、学校に向かった。
国会、特に衆議院ではこの大勝利を受けて好戦派の勢力が一気に台頭した。彼らは政府にさらなる攻勢に出ることを主張した。
「太平洋艦隊が壊滅した今こそが、攻勢に出る絶好の機会であることは明白。帝国陸海軍の総力を挙げて攻勢に出て太平洋を
帝国の海とするべきです!」
「フィリピン、ハワイを早期に制圧すれば、勝ったも同然。ここは多少の危険に目を瞑ってでも侵攻するべきです!」
「大陸内陸に侵攻して、中華民国に城下の盟を強いるべきです! こんなところで矛を収めては英霊に顔向けできません!」
国会の席で好戦派議員の意見を聞いていた嶋田は内心で「威勢の良い政治家の相手は疲れる」と嘆息した。
(言われんでも攻勢にはでるさ。しかしフィリピンやハワイに侵攻するつもりはない。あと、そこのお前、大陸で攻勢に出たら
太平洋が手薄になるだろうが、そんなことも判らないのか?)
太平洋艦隊を軽微な損害で壊滅させたと聞いたときには嶋田も晴れ晴れとした気分になったが、その気分は現在、急降下中
だった。そんな嶋田の内心を知る由も無い議長は、嶋田に答弁を求める。嶋田は内心でため息をつくと強い口調でしゃべり始める。
「政府としては、戦争終結のためにさらなる攻勢を行う準備を進めています。ですが具体的にどこに侵攻するのかは軍事上の
機密であるため申し上げられません。ただし中華民国との講和については現状のまま進めます。大陸深くに侵攻した状態で
太平洋で攻勢にでるのは危険すぎるからです」
嶋田たちにとって第一の敵は米国に他ならない。米国さえ始末できれば中華民国などどうにでも出来ると考えていた。
この嶋田の答弁に対して質問がぶつけられる。
「ですが陸軍をさらに強化すれば、大陸内陸への侵攻は可能では?」
「臣民への負担が大きくなりすぎます。陛下も、そのことを憂慮されておられます」
陛下の御心にそって方針を決めているから黙っていろ、と遠まわしに言う嶋田。尤も内心では自嘲していたが。
(アラスカ侵攻、そして米本土攻撃が本格化すればさらに負担が増える可能性が高い。陛下の御心に背いているのは我々の方だな)
そんな嶋田の内心を知る由も無い好戦派の議員は、国民を思いやる陛下の御心を前に出されて沈黙した。
「加えて、我が軍が現在支配している沿岸地域は、内陸からの難民流入で治安悪化が懸念されています。
難民に混じって匪賊、共産勢力、中華民国軍の敗存兵が我が軍の支配領域に入り込んでいます。内陸に進出すれば
これらに対処するための労力も級数的に増えていくのは明白。現状で大陸への深入りは百害あって一利なしと言えます」
「………」
大陸利権を欲する一部の議員は陸軍の不満分子を焚き付けて方針転換を迫ろうと目論んだが、予め夢幻会が手回ししていたことも
あってそういった工作は悉く不発に終ることになる。
しかし全ての好戦派議員がそんな馬鹿ではない。彼らは彼らなりに祖国を思うからこそ攻勢に出ることを主張していたのだ。
(手緩い。そんなことだから列強に舐められ、裏切られるのだ。帝国の武威を示し、独自の勢力圏を確保することが必要だ)
何しろこれまで日本は大陸進出の野心を可能な限り抑え、列強との協調を第一としてきた。極東の憲兵として多くの血と
金を費やした。平身低頭(日本人主観)の姿勢で米国の大陸進出に協力し、血を流してまで英国に対独戦に協力した。
それにも関わらず米国は中国と共謀して日本を潰しにかかり、英国は自分達を見捨てた。各地の亡命政府だってどう
転んだか判ったものではない……そんな目にあわされては政治家だって列強を信用できなくなるのは当然だった。
そんな中、明らかになる帝国軍の圧倒的強さ。ソ連軍を、ドイツ軍を筆頭とした枢軸軍を、そして米中連合軍を次々に圧倒
する様を見た議員たちが何を考えるようになったか、それは言うまでも無い。議員たちは協調外交を切り捨て、軍事力によって
覇権を握ることを重視し始めていたのだ。
しかし軍の責任者たる嶋田は、英国のやり方に腹を立て不信感も抱くものの、無闇に軍事力を行使するのは拙いと判断していた。
(財界人といい、政治家といい、軍事力を過信しすぎだぞ。軍は万能薬じゃない。副作用を伴う劇薬だ。気軽に使う物じゃない)
嶋田は蓄積した疲れを表に出ないようにしつつ、議員たちを説得する。
「中国大陸沿岸、そして太平洋での戦いで我が国の軍事力が如何に強大かは、諸外国も認識しています。今後は我が国の
意見や要求も多少は通りやすくなるでしょう。ですがむやみに拡張主義に転じては、警戒と敵の団結を生むだけです」
軍の主戦派軍人でありながら、好戦的な政治家を宥める姿はある意味滑稽だった。
だがそんな嶋田に日米和平推進派の議員が質問をぶつける。
「ですが臣民の負担を減らすのであれば、一刻も早い和平が必要となるでしょう。政府はその点をどうお考えなのですか?」
「対中戦争は早期に終結させる所存であります。対米戦争については、先ほどの答弁で述べたとおり、さらなる攻勢にでる
準備を進めています」
「しかし現在、米国は海軍、陸軍共に大幅に弱体化し、本国も大西洋津波で被災して崩壊寸前と聞きます。和平を切り出して
も良いのでは?」
「確かに米国は弱体化していますが、ここで矛を収めるのは時期早々だと判断しています。ここで矛を収めれば、米国は自国の
再建に注力し、いずれは帝国へ復讐戦を挑んでくる可能性が高いと判断しています。これは総研も同様です。
仮に先の大戦のように講和の際に米国の軍事力を制限したとしてもいずれは復活するでしょう。それはドイツの例を見ても
明らかです」
「ではどうやって対米戦争を終らせるおつもりなのですか?」
「軍機につき、この場では申し上げられません。ですが政府並びに軍は対米戦争をどのように終らせるかについて考えがあります」
「………」
嶋田はいくつかの答弁の末、対中講和の実現、そして対米戦争の継続を承認させた。対米、対中戦争を優勢のうちに進めていることや
国内経済が巧みに統制され国民生活が困窮せずに済んでいること、さらに夢幻会の支援もあり、嶋田政権は議会運営を比較的スムーズに
進められた。尤も今回のように意見の異なる議員たちを納得させるために議会を開き、答弁を行う必要はあるが……。
村中大佐などは議会が足を引っ張っていると憤慨し、強硬路線をとるべきではないかと周囲に漏らしていたが、夢幻会上層部は
下手に強硬路線を取る気はなかった。
その気になれば強行突破でもできなくは無いのだが、強権を乱発するのは宜しくない。何しろ、あまり無理な政権運営を続ければ
不満が募って不満分子の暴発を呼びかねない。夢幻会の意に沿って動く議員で宥めるのも限界がある。
(理詰めで説得しつつ、裏では経団連や裏組織を動かして飴と鞭で切り崩しを図る必要があるな。ああ、面倒だ。時間も掛かるし。
面倒なことは近衛さんに丸投げしよう。俺は軍人であって本職の政治家じゃない。でもそもそもこの仕事自体、軍人のじゃないよな)
「どうしてこうなった?」とぼやきつつ、嶋田は国会を後にする。彼にはまだまだやるべきことが多かった。
大勝利したにも関わらず、一向に減る気配が無い厄介ごとに嶋田が頭を悩めている頃、臨時首都シカゴの臨時大統領府では
ガーナーの怒声が鳴り響いていた。
「ジャップの駆逐艦4隻沈めるのに、9隻もの戦艦が必要なのかね、合衆国海軍は?! お笑い種だな!!」
ガーナーの詰問の前に、キンメルは何も言い返すことが出来ない。米海軍の庭先で、さらにハワイ基地航空隊の援護もあった状態で
戦いを挑んで完敗したのだ。言い訳などできる訳が無かった。
「おまけに報告だと、ジャップはハワイの航空戦力を撃滅するためだけに来たそうじゃないか。太平洋艦隊はまんまとジャップの
姦計に引っ掛かり、航空戦力を撃滅され、挙句に無謀な突進を行って袋叩きにあうとは、太平洋艦隊司令部の軍人は無能ぞろいか!」
このガーナーの言葉に、キンメルは反論する。
「ですがあの時点では日本艦隊の目的は不明でした。持ちうる全戦力を叩きつけるというのは戦術上間違いではありません。
突進についても理由があります。あの時点で日本艦隊を逃がせば」
「言い訳は良い! 大事なのは結果だ!! 太平洋艦隊とハワイ基地航空隊は壊滅したのだ。現状は変わらん!!」
「………」
「ふん。これまで莫大な金をつぎ込んで建造した戦艦がまるで役立たずだったとはな。空母艦載機どころか、少数の基地航空隊にさえ
やられるようでは、戦争にすらならん!! 全く日本人は飛行機を次の戦争の主役とみて軍備を整備していたというのに、我が国の
軍人は役にも立たない骨董品の戦艦の建造に血眼になっていたとはな。白人の名折れにも程がある」
ガーナーはそのあとも暫く怒鳴り上げたあと、漸く落ち着いた態度を見せる。
「……太平洋艦隊とハワイ基地航空隊が壊滅した以上、真珠湾の防衛は放棄せざるを得ない。違うかね?」
「はい。現状では真珠湾の防衛は不可能です」
「これ以上、戦争を継続するとなれば次は西海岸での本土決戦、そうなりかねないな」
ガーナーの言葉にキンメルは驚愕した。
「た、対日戦争をまだ続けられるおつもりですか?」
「……可能であれば、このあたりで名誉ある和平、いや停戦条約を結ぶ必要があると思っている。このままでは連邦が崩壊する」
「停戦ですか? 和平ではなく」
「合衆国がこうも負けたままで和平を結んでよいと思っているのかね? 停戦なら戦争は再開できる。尤もその時の大統領は
私ではないのは確実だろうが」
自嘲するガーナー。強硬派のはずのガーナーも太平洋艦隊が壊滅したとあっては、戦争継続を唱えることはできなかった。
(財界の連中は、遠からず私を切り捨てに掛かるだろうな……もはや短期決戦で勝利するのは不可能なのだから。私は偉大な
大統領にはなれなかった、と言うわけか)
ガーナーは自身の失脚があり得ると考えるようになっていた。だがそんな考えをおくびにも出さず、ガーナーは話を続ける。
「尤も問題は日本が和平なり、停戦を呑むか、だな。勢いに乗る連中が簡単に矛を収めるか、それが問題になる。
日本が調子に乗っているのなら、これ以上戦い続ければ日本経済ももたないと連中に思わせるために、戦う必要もあるだろう」
この言葉はキンメルの耳に痛かった。太平洋艦隊がこうも一方的大敗を喫したとあっては、日本が生半可な和平を呑むとは
考えられない。いくらデューイが和平を進めると言っても莫大な賠償金やハワイなどの領土の割譲などを言い出せば他の州から
猛反対を受けることになる。そうなれば和平など不可能になる。
キンメルは祖国の将来に暗雲が漂うのを強く感じた。だがそんなキンメルを嘲笑するかのようにガーナーが言う。
「心配するのは早いぞ。キンメル提督。君には議会の公聴会に出てもらうからな。今回の大敗の責任についてしっかり
議員たちの前で釈明してもらおう」
哀れにもキンメル提督は怒声渦巻く議会に引きずり出され、急遽各州から選ばれた議員たちから徹底した質問攻め、そして責任の
追求を受けることになる。
公聴会に連れて行かれるキンメルの後姿を見送ったガーナーはすぐに次に打つ手を考える。
(太平洋艦隊が壊滅した以上、大西洋艦隊と分ける必要はない。合衆国艦隊として統合するのが良いだろう。将官も足らないからな。
一度に集約したほうが効率が良いだろう。海軍作戦部長の後釜は、大西洋艦隊司令長官のゴームリーとしよう。合衆国艦隊司令長官には
ハルゼーを当てる。よし、これでいこう。あとは財界だな。連中がどうでるか、だ)
一方でガーナーは太平洋艦隊壊滅の情報を一挙に公開するのは危険と判断し、小出しに情報を出していくことにした。さすがに全てを
隠し通すことはできない。だが小出しに情報を出していけばショックと混乱を和らげることができると判断したのだ。
ガーナーはその情報操作をハーストに頼む傍ら、財界がどんな手を打とうと考えているのか探るように依頼した。
「頼むぞ、ハースト」
「お任せください。大統領閣下」
財界の動きを探るように依頼されたハーストは、内心で眼前の哀れなピエロを嘲笑う。
(無能な老害が。すでにお前は見捨てられている。まぁそれまではせいぜい大統領の肩書きを誇っているがいい)
ガーナーを小ばかにしつつハーストは情報操作を開始する。彼は被害を小出しにしつつ、劣勢な米海軍が如何に奮戦したかを強調した。
優勢な日本海軍に対して雄雄しく戦い散っていった米軍将兵を英雄のようにすることで、士気の低下や政府への批判を回避しようと
目論んだのだ。だがその情報操作をする当人は、それも長くは続かないだろうと思っていたが。
(逃げ支度を急がなければならないな……)
東部の様子は日に日に悪化していた。生活必需品の不足は当たり前。医薬品さえも無く、多くの病人は死ぬのを待つだけの状況。
連邦軍、州軍は必死に救助活動を進めていたが、瓦礫の山と汚水によって遅々として進まない。さらに支援物資を送ろうとしても
インフラが壊滅したせいで必要な物資を、物資を必要としている場所に送れない始末だ。さらに言えば物資の絶対量も不足している。
絶望に駆られた人々は犯罪に走り、治安は悪化。これがさらに救助活動、復興活動の妨げとなり、さらに犯罪に走る人間を増やすと
いう悪循環に陥っている。この国が銃社会であったことも事態の悪化に拍車をかけていた。
生き残った人々を恐怖のどん底に落として入れているのは伝染病だ。スペイン風邪という名前に習って『アメリカ風邪』と呼ばれる
ようになったこの病気は各地で猛威を振るっていた。この病に倒れた人々が余りに多いため、遺体を処理することもできなくなっていた。
(いたるところに積み重なる遺体の山。これがさらなる伝染病の元になる。どうしようもないな)
津波の被害を受けていない州はアメリカ風邪を始め、各種の病気の侵入を防ぐためとして、東部との交通を制限するところもある。
さらに連邦経済の破綻に伴い、生き残った州では独自の経済圏構築を図る動きが活発化しつつある。このままでは連邦そのものが崩壊
するのも遠い将来の話ではない。
(最後の希望であった太平洋艦隊は壊滅。これで連邦政府の威信の失墜は確定。あとはどこの州が動くかだな。動きに乗り遅れない
ようにしなければ)
財界は西部州に脱出を急いでいた。しかし現状では脱出する前に連邦そのものが崩壊する可能性が出てきた。今回の敗北はそれほど
までに大きな意味を持っていたのだ。
(時間を稼ぐ必要があるかも知れないな。まぁあの大統領閣下には最後の最後までピエロでいてもらうか)
アメリカ合衆国にとって好ましくない陰謀を進めているのは、彼らだけではなかった。
北米大陸から遠く離れた位置にあるブリテン島、大英帝国の帝都ロンドンでもアメリカ解体に向けての動きが加速していた。
「アメリカ海軍が壊滅した以上、躊躇う必要はない。工作を推し進めろ」
ハリファックスは情報部にそう指示した。また首相官邸に主な閣僚、軍人を集めて今後のことを話し合った。
「海軍の再建状況は?」
ハリファックスの問いに新たに海軍軍令部長となったアンドリュー・カニンガムが答える。
「万全とは言い切れません。ですが戦艦KGV、巡戦レナウン、空母はアークロイヤル、イラストリアスの2隻、巡洋艦4隻
駆逐艦16隻が投入可能です。それ以上、艦を出すと枢軸国への睨みが利かなくなります」
イギリス海軍は四苦八苦しながら、何とか戦力を回復させていたが、万全とは言いがたいのが実情だった。故に彼らは北米に
派遣する艦隊を質で強化することにした。そのために宝石より貴重なKGV級戦艦と正規空母2隻を捻出したのだ。
「投入できる空母は2隻のみか」
「はい。さらに我が軍の攻撃機は日本軍機と違って複葉機のソードフィッシュです。日本軍ほどの攻撃力は期待できません」
この言葉にハリファックスは内心でため息を付いた。
(我が国の海軍は、日本海軍の師匠だったにも関わらず、今では日本海軍の後塵を拝することになっている。全くどうして
こうなったのだ? いや海軍だけではない。軍全体に言えることか)
弱体化していたとは言え、米海軍アジア艦隊、太平洋艦隊を相手に立て続けに大勝利を収めた日本海軍と今の英国海軍の
凋落振りを比較してハリファックスは憂鬱な気分になる。
「……最悪の場合、アメリカの残存艦隊は、日本海軍に引き受けてもらうしかないだろうな。陸軍は?」
陸軍参謀総長アランブルックは渋い顔で答える。
「陸軍は痛手から立ち直っておりません。捕虜交換で兵士こそ取り戻しましたが重火器は不足しています。
小銃でさえ満足に配備できておらず、米本土へ大部隊を派遣するのは危険すぎます」
「だとすれば、やはりドイツ、イタリアの手を借りる必要があるな。カニンガム卿、そちらはどうだ?」
「今のところ、ドイツよりもイタリアの方が乗り気です」
「ふん、威勢だけはいいな。しかしアフリカでの体たらくを見る限り、イタリア軍はさして期待できないな。海軍も地中海の
外でどれだけ動けるか」
「ですが居ないよりは良いでしょう。我々単独ではアメリカ分割はできません。それに彼らにも米国民の恨みを向けさせないと
いけません」
「わかった。さらに折衝は続けてくれ。我々が立ち直るには新たな利権が必要なのだから」
「判りました」
「それと日本への接触を開始してくれ。我々も対米戦争に協力する準備を進めていると、な」
アメリカ海軍の壊滅を見たイギリスは本格的にアメリカを見限り、アメリカ分割を推し進めることになる。
この動きに経済的に困窮しつつあるドイツ、イタリア、ヴィシーフランスが同調。それぞれの国は自国が生き残るために
新興国にして超大国であったアメリカへ食指を伸ばすようになる。
あとがき
提督たちの憂鬱第43話をお送りしました。
太平洋艦隊壊滅後の日米英の反応、動きでした。次回は夢幻会の会合、対米戦略の話になると思います。
お久しぶりに辻〜んの出番です。あと対中講和についても色々と話を入れたいなと思っています。
それと独ソについても少しは話に入れようかと思っています。ヒトラーは自国海軍の体たらく振りと
日本海軍を比較してどう思うことやら(笑)。
四式戦車のコンペの結果はもうしばらくお待ちください。良作そろいで決めかねていますので……。
暫くは地味な話が続くと思いますが、今後とも拙作、提督たちの憂鬱を宜しくお願いします。
それでは提督たちの憂鬱第44話でお会いしましょう。
今回出てきた兵器のスペック
<足摺>型補給艦
排水量:9580トン(公) 全長:137.8m 全幅:17m
最高速度:25ノット 航続距離:9000海里(17ノット時)
主機:オールギヤードタービン2基2軸(52000hp)
武装:12.7cm単装砲2門、20mm連装機関砲4基8門
搭載機:なし
<洲崎>型補給艦
排水量:6500トン(公) 全長:112m 全幅:15.6m
最高速度:18ノット 航続距離:10000海里(15ノット時)
主機:ディーゼル機関2基2軸(10000hp)
武装:12.7cm単装砲2門、20mm連装機関砲2基4門
搭載機:なし