アメリカ海軍がミッドウェーから撤退を始めたという情報は、すぐに日本海軍の知るところとなった。

 1943年1月に予定されているミッドウェー攻略作戦、MI作戦に向けて準備を進めていた日本海軍は

要衝であるミッドウェーを米海軍が放棄したことに驚きと戸惑いを隠せなかった。

 ミッドウェーでの決戦を企図していた海軍上層部の面々は、この事態に対応するために緊急会議を開いた。


「まさか、ミッドウェーを放棄してハワイに戦力を集中するとは……」


 軍令部の会議室で、嶋田は渋い顔をした。これを見た福留はすかさず次の決戦場を提示する。


「初期の作戦は放棄せざるを得ません。作戦課としては、次の決戦をパルミラ島と考えています」

「パルミラ島。ふむ、基地航空隊の足場とするつもりか?」

「その通りです。米軍がハワイに戦力を集中するのなら、こちらも基地航空隊をハワイ近辺に展開させる

 必要があります。それを考慮するとパルミラ島は絶好の位置にあると言えます」


 これを聞いた古賀が手を挙げて質問を投げかける。


「しかし、パルミラはミッドウェーよりもハワイに近い。大丈夫なのか?」

「しかしパルミラを攻略しなければ、ハワイ作戦に支障が出かねません。確かに危険かも知れませんが

 ミッドウェー島からの支援のみでハワイ作戦を敢行するよりかは、より確実かと」

「ふむ……」


 いくら技術力で米軍を圧倒しているとは言え、ハワイに集結している米海軍残存戦力を纏めて撃滅する

のは些か骨が折れる仕事であった。

 勿論、力任せに攻めてもハワイを潰すことは出来るだろう。しかしながら、その際に受けるであろう損害を

考慮すると割に合うかは微妙なところであった。

 ハワイ決戦で戦争に決着がつくのなら、連合艦隊が半壊してでも実施する価値はあるだろう。しかしながら

ハワイでの戦いはアラスカ侵攻作戦を安全に行うためのものでしかない。

 もしもハワイで大打撃を受けて回復に時間が掛かれば、アラスカ侵攻は来年以降にずれ込むことになる。また

それは戦争の長期化を意味する。


「それではミッドウェー攻略はどうする? 予定通り連合艦隊の総力を挙げるのか?」


 古賀の問いかけに福留は頷く。


「万が一、米軍が出てきたときに備えて連合艦隊の総力は挙げます。ただし米軍が出てこなかった場合、その

 ままパルミラ島の攻略に移ります。ここでも出てこない場合、パルミラ、ミッドウェーを突貫で整備

 した後に、真珠湾作戦を実施します」

「準備が整うのか? ミッドウェー作戦は来月だぞ。それに真珠湾作戦は来年春の予定だったはず」

「MI作戦を2ヶ月延期し、必要な準備を整えます。それだけの準備期間があれば後方支援も十分に整える

 ことが出来ます」

「つまり来年3月に決戦を行うことになる、と。しかし祥鳳型4号艦『海鳳』の訓練が間にあわないぞ」


 これを聞いた嶋田は強い口調で言う。


「間に合わせろ。何としてもだ。これ以上の作戦の遅延は許容できない」


 それは有無を言わさない命令であった。

 前線を任されている者からすれば、トンでもない注文であったが、上官である嶋田の命令に背くこと

は出来なかった。


「判りました。作戦までに間に合わせます」


 かくして海軍はMI作戦の遅延と内容の変更を決定した。

 しかしながら嶋田自身は、このままいけば大損害を被る可能性を否定できず、内心では禁じ手を使う

ことを考えていた。


(本来なら、公開実験に用いる予定の2発目の原爆。あれを使うか?)


 ハワイに集結するであろう米軍の航空機は300機は下らない。これに4隻の空母が加われば、どう見ても

600機を超える。これに対して、連合艦隊は艦載機で700機強。ミッドウェーとパルミラに配備できる

基地航空隊を含めれば900機を超える。しかしそれでも兵力差は3対2。現在は、航空機の質の面で日本が

圧倒しているので、実質的な兵力差はもっとあるだろうが、正面から戦えばどれだけ損失がでるか判った

ものではない。何しろ戦場となるのは、敵のホームベースであるハワイなのだ。

 被害を受けすぎてアラスカ侵攻の際に、航空機の傘が無いという最悪の事態が発生したら目も当てられない。


(しかし、先制核攻撃を行うとなれば、言い逃れは出来ない。

 衝号作戦がばれなかったとしても、日本は実戦で初めて核攻撃を行ったという十字架を背負うことになる。

 しかし一発の核でハワイを無力化できれば、犠牲は少なくて済む。やるべきなのか?)


 嶋田が焦るのは理由があった。


(来年のアラスカの夏は、今年以上に短くなるかも知れない。夏の間に足場を築かなければ、厳しいことになる)


 衝号作戦の決行によって引き起こされた異常気象は、世界各地、特に北半球で猛威を振るっていた。

 この異常気象によって、アラスカの夏が例年以上に短くなる可能性があった。勿論、推測でしかないのだが

例年通りに考えて戦争計画を立てて、本当に夏が短くなったら大変なことになるのは確実だった。


「……ハワイから何とか太平洋艦隊を引きずり出せないか?」


 突然、嶋田の口から出てきた意見に、出席者達は顔を曇らせた。


「それは難しいかと……米海軍は自身の劣勢を自覚しているようですし」

「だがハワイの基地航空隊と太平洋艦隊主力の両方を相手に戦うことになる。そうなれば被害は甚大なもの

 になる。戦術の常道は各個撃破だ」

「それは判っていますが……」

「正直に言って、現状では真珠湾への核攻撃を考慮しなければならない状況だと私は考えている」


 この言葉に出席者達、特に逆行者達は顔を引きつらせた。

 核攻撃というのは現代人にとっては取りたくない選択肢であったし、下手に核攻撃で太平洋艦隊を壊滅させ

てしまえば戦後に海軍の発言力が低下しかねない。仮にそうなれば核兵器が重視されてしまい、戦艦などの

砲戦艦艇が冷遇されることは間違いなかった。


「判りました。何とか米太平洋艦隊を真珠湾から引きずり出す作戦を練ってみます」


 古賀は辛うじてそう返した。













         提督たちの憂鬱  第37話













 日本海軍が総力を挙げて真珠湾作戦の準備を進めている頃、津波による被災、さらに火山噴火と

海流の乱れによって生じた異常気象によって北米東部では多くの人間が苦しめられていた。

 辛うじて生き残った人間には、食糧不足と疫病が襲い掛かり、生き地獄と言っても良い状況が

広がっている。辛うじて生き残った人々の中には、最初の津波で楽に死んでいった人間を羨む者

さえ出始める程だ。

 しかし多くの人間は、死を羨望することはなかった。彼らはアメリカ人らしく逞しく生きること

を選択した。同時に彼らは自分達を半ば見捨てて無意味な(被災者視点)戦争を続ける現政府への

不満と怒りを滾らせた。

 進まない救助活動と復興。終わることの無い災厄。神に見捨てられたと言われても誰もが信じてしまう

ほどアメリカ東部は困窮していた。故に彼らは無為無策の政府への苛立ちを隠せなかった。

 そして彼らは、日本軍によって米軍が一方的に敗退しているとの情報を聞いて、アメリカの舵取り

を今の政府に委ねることはできないと判断するようになった。


「このままでは、アメリカは滅ぶ!」

「そうだ!! 今の政府や軍に、アメリカの舵取りを委ねてはならない!!」

「こうなれば革命だ!!!」


 このように各地で反政府集会が開かれるようになり、政府打倒が叫ばれるようになる。

 しかしながら、このような不穏な動きは別に東部だけではなかった。津波の直撃を免れた地域でも

連邦政府への不満が高まりつつあったのだ。

 津波によってニューヨークなどの主要都市が纏めて消滅したために、アメリカ経済は大混乱という

言葉も生ぬるいほどの状況に陥っていたのだ。

 経済の循環を支える金融が麻痺しただけでも大事だと言うのに、アメリカ経済を支えていた大企業群

がバタバタ倒産したために、大企業と取引していた中小企業も連鎖倒産を起こした。

 さらに物流もマヒ状態に陥ったために、農家は都市部に農作物を売ることもできず、多くの作物が

倉庫で腐っていた。

 このようにして津波によって直接被害を受けなかった地域でも、次第に経済が麻痺し始めていた。


「このまま連邦に留まっていれば、困窮するだけだ」

「それに東海岸を再建しようとするなら、莫大な金が必要になるだろう。それを徴収されるかも知れない」

「冗談じゃない。東部のインテリ共のために出す金なんてあるものか!」

「こうなれば、連邦離脱も止むを得ないのでは?」

「しかし、今、祖国は日本と戦争中だ。そんなことをすれば日本に利するだけでは?」

「戦争と言っても連戦連敗じゃないか。在中米軍、アジア艦隊は壊滅。グアムとウェークは陥落。

 このままだと次はハワイだ。そしてハワイが陥落すれば、今度は西海岸だ」

「西からは日本軍。東からは疫病や飢えから逃れようと逃げ込んでくる東部住民。このまま連邦に

 留まっていれば州民の生活を守りきれない」


 各地の州の有力者達は、本気で連邦からの離脱を考えるようになっていた。

 米軍が日本軍相手に勝っていれば、ここまで事態は悪化しなかっただろう。しかし現状は米軍は

日本軍に連戦連敗を喫していた。これによって日本軍についての情報がかなり誇張された形で米国内に

流布するようになると、多くの人間が本土が戦場になるかも知れないと本気で考えるようになった。

 いくら経済力で成り上がってきたと言っても、所詮は黄色い猿と思っていた人間達は、圧倒的と言って

もよい日本軍の強さを見て、今度は日本軍の実力を過大評価するようになった。

 政治家でさえそうなのだから、一般市民の反応はさらにトンでもないものだった。


「日本軍の飛行機は、考えられないほど強力らしい。戦力差が1対10でないと戦えないって」

「しかも戦闘機はすべて時速が700キロを遥かに超えるらしい。さらに武装も強力。

 おかげでこちらの戦闘機はまるで紙飛行機みたいに撃ち落されるらしい」

「戦艦を一発で沈められる巨大な爆弾を抱えたまま、急降下爆撃してくるって?」

「戦車だって強力らしい。何でもこっちの戦車の砲弾がすべて弾かれたって。逆に日本軍の戦車は

 どんなに離れていても、こちらの戦車を一発で撃破するらしい」

「歩兵も鬼神のような強さを誇るらしい。海兵隊が手も足も出なかったって」


 市民達は、日本軍が如何に強力であるかを噂話で聞いて、恐れおののいた。そして日本軍に一方的に

撃破され、成す術を持たないように見える連邦政府や軍への不信を募らせるようになった。

 また同時に中国大陸での戦いで、中華民国軍の一部が裏切ったという情報を聞いた人間達によって

中華系住民に対する暴行や差別がエスカレートした。彼らは中華系住民を敵国人扱いして、徹底的に痛めつけた。

勿論、中華系住民も黙っておらず、常に差別される立場にあった他の有色人種たちと連携して応戦しようとする

が、誰もが裏切られることを恐れて、中華系と組むことはしなかった。

 しかしそうかといって、黒人を初めとした他の有色人種が安全だったかと言うとそうではなかった。彼らも

日に日にエスカレートしていく差別や暴行に悩まされ、自警団を創設せざるを得なくなった。

 しかしその動きは白人達をさらに刺激し、対立をさらに煽ることになる。

 政府と軍、連邦政府と州政府、白人と有色人種の対立により、アメリカはまさに崩壊の危機を迎えていた。

 この危機的状態をいち早く察知したのは、他ならぬ財界であった。

 彼らはデトロイトにあるビルの会議室に集まって対策を練ったが、有効な対策は打ち出せなかった。


「崩壊のスピードが速すぎる」

「内陸部の経済破綻が早い。このままでは、我々の残された財産まで失われる」

「それだけではない。海外に展開する部隊の維持さえ難しくなる。中南米諸国が統制できなくなれば

 海外の利権の多くを失うことになる」

「どうするのだ?」


 米財界の重鎮達は、自分達の予想以上に早く崩壊していくアメリカに、動揺を隠せなかった。

 疫病、食糧不足に加えて、異常気象が発生したことが、アメリカにトドメを刺そうとしていた。この

自然災害(実際には人災)を前にして、人間である彼らが取れる手など殆どなかったのである。


「食料不足が革命を招くのは、過去の歴史を見れば明らかだ。このままでは本当に赤化を招くぞ」

「連邦軍、いや州軍を出して鎮圧させるしかあるまい。あと東部諸州を封鎖しなければならない。

 これ以上、国内難民が内陸に移動すれば、本当に内戦状態になるぞ」

「しかしそんなことをすれば、難民と州軍の衝突を招く。危険すぎやしないか?」

「そんなことを言っていられる状況ではない。この際、東部州を見捨てる必要もあるだろう」


 東部を見捨てるということは、アメリカ合衆国を解体することに他ならない。

 しかし自身の財産を第一とする彼らのような富裕層にとって、自分達の邪魔になるようなら祖国さえ

排除の対象であった。


「……いっそのこと、この国を東西に分裂させますか。ボロボロの被災した東部地域を完全に

 見捨てて西側だけで新国家を形成すれば崩壊は食い止められます」

「海外に移転するよりも、西海岸に財産を移すほうが楽だ。一考の余地はあるな」

「確かに。それにこのたびの異常気象で世界中が被害を受けている中、西海岸諸州の被害は軽微。

 新国家の立地条件としては十分だ。経済を立て直せば、列強の地位を得ることも難しくない」


 自分達のためだけに、祖国を解体することを目論み始める男達。そんな中、一人の男が言い放った。


「しかしそうなると、我々は日英に接近する必要が出てきます」


 その発言に、注目が集まった。


「何が言いたい、ハースト?」


 その場にいた男達の一人が、ガーナーの側近として知られている新聞王・ハーストを問い詰めた。

 しかしハーストはこれに臆することなく返答する。


「新国家を樹立するにしても、諸外国の承認が必要になります。仮に諸外国が承認しなければ

 単なる反乱軍扱いにされかねません」

「そのために日英に接近すると?」

「そうです。特に日本は現在、合衆国と戦争中。よって合衆国が内紛を起こすとなれば、喜んで

 新国家を承認し、これを支援するでしょう」

「あの守銭奴の国から、金と物資をせしめるチャンスと?」

「そうです。それにイギリスとも接近すれば、合衆国を東西それに北から圧迫できます。幸い、英国の

 諜報機関が国内で動いているようなので、彼らを使えば英国と非公式ルートを構築できるかと」


 これを聞いた重鎮達は、顔を見合わせた後に一様に頷く。


「判った。ハースト、君に任せよう」

「ただし、失敗は許されん。判っているな?」

「勿論です。お任せください」


 アメリカ合衆国の解体を決定した彼らは、続けてどのように解体していくかについて話し合いを始める。


「西部諸州は経済問題で不満をためている。それに内陸の諸州は流れ込む国内難民に頭を痛めている。

 この問題を煽れば連邦から離脱するように仕向けるのは容易だ」

「その前に東部の財産を少しでも西部に避難させる必要がありますね」

「判っている。しかし問題は分離独立させる前に、全てが崩壊しかねないところだ。このままでは

 春を迎える前に内戦状態に陥りかねない。これをどうするかだ」


 これを聞いたハーストは、事も無げに言い放つ。


「ガス抜きをするしかないでしょう。国民が希望を見出せるような人物を副大統領に据えるのです」

「ほぉ? そのような人間に心当たりがあるのかね?」

「ええ。幸い、軍のほうが勝手に動いてくれているようなので、別の人間を据えるには問題ないでしょう」

「軍だと?」

「はい。FBIからも同様の報告が来ています。恐らく対日強硬派のガーナーを排して、和平を実現する

 ことを目論んでいるのでしょう。幸い、英国は日本に顔が利きますので」


 しかしこの報告を聞いた財界の重鎮達は、ガーナーが自分達が思っていたよりも無能であったと判断した。


「軍の統制さえまともにできないとは。老いたな、ガーナーも」

「全くだ。この体たらくなら、まだロングのほうがマシだっただろう」

「それを言っても仕方ないだろう。それよりも軍が推す人物の名前は?」

「ニューヨーク州知事のトーマス・デューイです。大統領候補にも挙げられるやり手の男です。

 ニューヨークの被災以降、精力的に救助と復興に力を入れてきた人物で、乏しい予算と物資の中、

 大規模暴動の発生を遅らせてきた実績があります。彼を副大統領にすれば崩壊のスピードを抑えられるかと」

「そして対日和平を考える穏健派でもある、か。確かに軍としては打ってつけの人物だな」

「だが就任した途端に日米講和を図るために、連邦政府内部を引っ掻き回すかも知れんぞ」

「交渉自体はやらせておけば良い。軍のガス抜きのためにもな。まぁどうせ纏まりはしないだろうが」

「その通り。講和と言っても、国内の意見が纏まらなければ無理だからな。

 内陸部の住人達は、黄色い猿に負けに等しい講和を言い出すなど承知せんだろう。良くて名誉ある撤退だ」

「そしてそれを今の日本が呑むはずが無い。戦争は終わらんよ」


 しかしハーストは水を差すかのように言う。


「講和についてはそれで潰せるかも知れませんが、問題もあります。

 彼は清廉潔白で知られる人物の上、彼が国内の復興を進める際には、富裕層からの支援を求めるでしょう。

 またはFRB発行紙幣に加えて財務省紙幣を発行するかも知れません」

「むむむ……確かに。その可能性は否定できん」


 アメリカ合衆国の紙幣であるドルは基本的に、FRBが発行している。しかしこのFRBは何と政府の組織

ではなく、ここに居る男達が影から支配している組織であった。

 故に政府が勝手に紙幣を印刷し発行するということは、彼らの既得権益を侵し、金融支配体制に打撃を与える

ことに他ならなかった。

 ちなみにリンカーン大統領、そして史実におけるケネディ大統領は政府紙幣の発行を試みたが両人ともに暗殺され

ており、この問題が如何に根深いものかを伺わせる。


「いや、この際、やらせておけばいい。どうせ合衆国は解体されて消滅する。政府紙幣を発行させることで

 破滅が先延ばしできるのなら、好きにさせれば良いだろう」

「しかし流通については細心の注意を払う必要がありますな。運用に失敗すればトンでもないインフレを

 招きます。そうなれば西部経済を完全に破壊しかねない」


 ここでハーストが確認するかのように尋ねる。


「それではトーマス・デューイを副大統領に就任させるということで、宜しいでしょうか?」

「良いだろう」

「それと、ハースト。ガーナーが暴走しないようにしておけ。追い詰められたガーナーがBC兵器に手を

 出したら目も当てられないからな」

「判りました。しかし万が一の場合は、如何しましょう?」

「ガーナーを切って、デューイを大統領につけるだけだ。勿論、君の身の安全が確保されるように

 手配するつもりだ。その点は安心してくれ」

「尤もデューイが使えないなら、時期を見計らって排除するだけだがな」

「合衆国のオーナーは我々なのだ。ホワイトハウスの住人など所詮は、間借り人に過ぎない。

 間借り人が、我々にとって毒にしかならないのなら、排除するのは当然の権利だ」


 傲慢とも言うべき考え方であったが、実際に彼らの力をもってすれば、合衆国大統領でさえ

排除することは不可能ではない。

 もともとアメリカ合衆国は、一握りの人間が国富の大半を支配していた。彼らはその莫大な富を

自在に扱い、自分達にとって都合の良いように政治を操ってきたのだ。彼らこそアメリカ合衆国の

真の支配者と言ってもよい存在だった。


「それでは、今後は今回決めた方針で動くということで宜しいかな?」

「問題ないでしょう」

「異論はありませんな」


 そう締めくくられた秘書らしき男が慌てて入ってきて、重鎮の一人に緊急の情報を耳打ちする。

 それを聞いた男は目を見開いた。


「何と、時期が悪い」

「どうなされました?」


 ハーストの問いかけに、男は渋い顔で答える。


「張学良が暗殺された。そして、その直後に中華民国政府は、日本政府に降伏を申し入れたそうだ」








 1942年12月18日、中華民国首都北京郊外で、張学良は自身が乗った列車ごと爆殺された。

 対日強硬派の首魁であった張学良が死んだことによって、中華民国の対日強硬派は一気に瓦解。

この直後に発足した臨時政権は大日本帝国に対して降伏を申し入れた。

 中華民国政府は、中立国経由で南満州全土の譲渡、賠償金の支払いなどを申し込んでいた。

 勿論、現在の戦況を考えればそれでは不十分であったが、交渉の余地はあるとして、日本政府は中華民国と

交渉を開始することを決定した。

 また中華民国の実質的な降伏と言う事態を受けて、夢幻会は会合を急遽開催した。


「ようやく、中華民国が降伏しましたね」


 辻は満足げな表情で頷く。何しろ大陸での戦線は拡大していないとは言え、消費される物資や資金は莫大

なものがあった。太平洋艦隊との決戦とアラスカ侵攻を控えている状況で二正面作戦を続けるのは好ましく

なかった。よって戦線が一つ消えることに、辻が安堵を覚えるのも無理は無かった。


「しかし何で、この時期に中華民国は降伏したのでしょう? アメリカ太平洋艦隊との決戦が終わってからの

 ほうが良かったのでは?」


 嶋田は、太平洋艦隊が健在な状況で中華民国が手を挙げる決定を下した理由が判らなかった。

 近衛は暫く考えた後に、嶋田の問いに答える。


「現在の戦況では日本側が圧倒的有利。太平洋艦隊と決着が付いて大勢が決してから降るよりは、日本に

 恩を売れると判断したのだろう。大陸戦線がなくなれば、我々は全力で太平洋艦隊との決戦に臨めるし

 アラスカ侵攻に回せる物資や船舶も多くなる」

「連中は、連合艦隊が米太平洋艦隊に勝てると踏んだと?」

「アジア艦隊を一方的に殲滅したのが効いたのでしょう。

 勝てなかったとしても、米国に失った艦艇を補充する術は殆ど無い。西海岸の造船所で少しは補充できる

 が、日本の補充能力には敵わない……それなら、ここで手を挙げてしまったほうが、よい条件を引き出せる

 と判断した……そう考えるのが妥当かと」

「何というか、相変わらず自己中心的な考え方ですね。連中の裏切りで米国はさらに首が絞まるというのに」

「国家というのはそんなものですよ。国家の存在意義とは、国民を養うことであり、それ以外は些事。

 尤も中華民国は国民を養うよりも自分達の体制を守ることだけに固執していますし、外交も些か常識から

 離れすぎているので、欧米列強からの怒りと不信を買うでしょうが」

(……どちらかと言えば、その怒りや不信を煽っているのは貴方達だと思いますがね)


 しかし国益に適う以上は、何も言えない嶋田であった。


「それで交渉はどうするつもりです?」

「勿論しますよ。まぁ領土の割譲については、必要最低限にするつもりです。狙いは金と資源ですよ」


 この辻の言葉に誰もが頷く。何しろ大陸に下手に土地を持てば大抵、碌な目に合わない。海洋国家が内陸に

入り込んでも、最終的にたたき出されるのは、これまでの歴史が証明している。


「しかし問題はそれで世論が納得するか、ですね。国会で議員達とやり取りすると思うと、頭が痛いですよ」


 嶋田は頭痛がするのを感じた。


「史実よりもマスコミの力を弱めているのがせめてもの救いですよ」


 史実の経験から、マスコミが大きな力を持つことが害悪にしかならないことを思い知っていた夢幻会は

マスコミの力を削ぐことにも力を入れていた。これによって大規模新聞社は存在しないようになった。

 それでも尚、世論操作には神経を使うのだから、史実の政府が如何に苦労したかは想像に難くない。


「それで、どうなさるおつもりです? 南満州の割譲や、賠償金だけで終わらせるつもりはないのでしょう?」


 嶋田の言葉に辻や近衛は当然とばかりに頷いた。


「くっくっく、勿論ですよ。日米の離反を散々に煽ってくれた彼らからは、相応のものを取り立てないと」

「これを利用して中国を完全に分断させる。これがうまくいけば帝国は半世紀は安全だ」

(容赦ないな〜)


 黒い笑みを浮かべる辻と近衛を見て嶋田は冷や汗を流した。

 そんな嶋田に伏見宮が手招きする。これを見た嶋田は何事かと思い、伏見宮の傍に寄る。


「どうされました?」

「例の新型戦艦の件、いつになったら話す?」

「……この場で話すのはどうかと思いますが。というか、宮様自身が仰られてはどうですか?」

「私のような高齢者に、辻の相手をしろというのかね? 私の寿命はそう長くは無いのだぞ」

「(嫌な仕事を押し付ける気満々か)……それでは、私からの提案が終わった後で」

「君からの提案?」

「ええ、真珠湾作戦について、ちょっと提案がありまして」


 このあと、会合では中華民国に対して遼寧省遼河以東の譲渡、賠償金の支払いの他に威海衛の租借や

舟山群島の日本への譲渡、浙江省の福建共和国への譲渡などを要求することが決定された。

 しかしながら米中陸軍相手に完全勝利を挙げた陸軍は、この提案が穏健すぎるのではないかと感じた。


「陸軍が挙げた戦果のわりには、控えめな要求のような気がするが」

「仕方ないじゃありませんか。青島やその周辺を割譲させようものなら、今後大陸の騒乱に巻き込まれる

 のは確実。上海は列強の権益が入り混じっているので、下手に奪っても後が面倒なだけです。

 山東省や江蘇省をとれば、反日感情が高まって収益が悪化。下手をしなくても史実の二の舞になります。

 第二の通州事件が起きたら目も当てられません」


 辻は論理的に、杉山の主張を却下した。陸軍は尚も不満そうだが、大陸全土を支配することなど

出来はしないので、最終的に辻の主張を受容れた。

 この後、話し合いがある程度落ち着いたのを見て、嶋田は真珠湾作戦について自分の意見を切り出した。


「皆様もご存知だと思いますが、米海軍は各地の基地の防衛を放棄して、真珠湾に戦力を集結させています」


 この言葉に出席者達は渋い顔をしながら頷く。

 だが一部の察しの良い人間達は、嶋田が何を言おうとしているかを理解して、驚愕の表情を浮かべる。


「真珠湾作戦を実施するに際して、原爆の使用を許可していただきたい」

「「「!!?」」」


 史上初の先制核攻撃。それを行おうという嶋田に出席者達は驚愕を隠せなかった。


「米海軍を打倒するために必要な戦力を海軍は保持していると思いますが?」


 辻はそう言って発言の撤回を求めるが、嶋田は首を横に振る。


「敵の大根拠地であるハワイに、米海軍の多くが集結しています。これらを撃破するにはかなりの労力と

 犠牲が必要になります。ハワイ作戦の後にアラスカ侵攻が控えてなければ、この犠牲も許容範囲に収まる

 ものでしょう。しかしながらアラスカ侵攻を迅速に、予定通り行うためには、より犠牲を抑える必要が

 あります」

「だから貴重な原爆を、戦術的に使用すると?」

「戦略のためです。短期決戦を行うためには夏の間にアラスカを押さえる必要がありますが、43年の夏は

 例年以上に短い可能性が高い。この短い夏の間でアラスカに迅速に侵攻するには、ハワイで梃子摺るわけ

 にはいかないのです」


 嶋田はそこで一旦、台詞を切った後、周囲の反応を見る。

 そして極端な反発がないのを確認すると、話を続けた。


「勿論、すぐに使うというわけではありません。海軍では太平洋艦隊をハワイから引き離して決戦を強いる

 作戦も作成中です。しかし万が一ということもあります。そのために切り札が必要なのです」


 このあと嶋田は、出てくる反対意見を悉く封じ込めた。

 かくして夢幻会は真珠湾作戦に際して、2発目の原子爆弾の使用を許可することになる。










 あとがき

 提督たちの憂鬱第37話改訂版をお送りしました。

 色々と思うところがあったので、内容も若干変更しました。

 おかげでアメリカ東西分裂フラグが立ちました。あと原爆使用がなくなるかも知れません。

 尤もイザというときになったら、核の使用は躊躇わないでしょう。

 それでは拙作にも関わらず付き合ってくださりありがとうございました。

 提督たちの憂鬱第38話でお会いしましょう。