これまで夢幻会、いや正確に言えば夢幻会に属したり、支援を受けていた企業群と対立していた

財閥群が夢幻会への参加を希望していると聞かされた夢幻会幹部達は、どうしたものかと顔を顰めた。

 夢幻会には日本最大の巨大財閥・三菱、新興企業でありながら世界有数の技術力を持つと称される

倉崎重工を中心に多数の財閥、企業が参加している。彼らはこれまで夢幻会による政策を積極的に支持

し協力することと引き換えに多大な恩恵を受け取ってきた。故に彼らは新たな参加希望者の動きに警戒

した。

 加えて夢幻会内部でも急激に参加者を増やすことは、反対意見も多く出た。何しろソ連に存在がばれた

ばかりの状態で、さらに参加者を増やせばどこに情報が漏れるか判ったものではない。

 会合の席でも機密保持の観点から、急速な参加者の拡大については慎重意見が多数出た。


「やはり、反対意見、慎重意見が多いですね」


 辻は予想通りと言わんばかりの反応を示した。


「それはそうでしょう」


 嶋田の突っ込みに多くの出席者が頷く。尤も嶋田にとっては外部の人間に内部事情を知られるのは

大恥であったので、反対意見や慎重な意見が多いことは幸いと言えた。

 しかしあまり他の財閥群を無碍にするのも拙いので、ある程度の是正措置は必要ではないかと考えた。


「夢幻会会合への参加は認められないが、間接的に参加させるというのはどうでしょう?」


 この嶋田の言葉に辻や近衛など一部の人間が、嶋田が言いたいことを察して頷いた。

 一部の人間の反応を見た嶋田は同意が得られるとして、未だに理解できていない面々に話を続ける。


「具体的には夢幻会の傘下の組織として経団連、日本経済団体連合会のような組織を作るのです。

 新参の企業は、その組織から間接的に情報や技術を受け取り、引き換えに夢幻会へ協力するのです。

 その働き次第によって、この会合への出席も許可する。どうです?」

「登竜門のような組織を作ると?」

「そうです。まぁ前世の経験から経団連によい感情を持っていない方もいらっしゃると思いますが、現状

 では有効な手段であると思います。彼らを追い詰めすぎるのも後々面倒でしょうし」


 この意見に反対意見を述べていた出席者達は、どうするべきか小声で話し合う。

 組織の硬直化を避けるためには新たな血を入れるべきだが、その血に毒が混じっていたら堪らない。故に

嶋田が唱えた間接的な参加を認めるという方針は魅力的であった。故に最終的に彼らは賛成に転じた。

 一番反対していた三菱や倉崎の関係者は渋い顔だが、渋々だが賛成した。

 彼らから言わせれば、夢幻会から得た利益を日本全体に還元しているとの自負があったので、利益を

独占していると言われるのは心外であった。彼らが本当に利益を独占しているのなら、夢幻会に属していない

企業の技術水準はもっと低いものになっていたからだ。

 だが現状でさえ、夢幻会派の財閥や企業と、非夢幻会派の財閥群とは仲が良いとは言えない。そんな状態で

彼らの申し出を拒めば、国家運営に多大な影響が出ると判断したのだ。勿論、経団連(仮)において

自分達が主導権を握ることが出来れば、文句を言われることなく彼らの風上に立てるという計算もあった。


「それでは宜しいですか?」


 嶋田の問いかけに出席者達は頷いた。


「「「異議なし」」」


 かくして経団連(仮)の創設が決定された。かくして日本経済は色々な問題を抱えつつもこの経団連(仮)を

中心とした体制に再構築されることになる。

 嶋田は何とか、事態を軟着陸させられそうだと思い、ほっとした。

 しかしながらそんな気分に浸れたのもつかの間であった。


「次の問題ですが、どうやら英国も夢幻会の存在を突き止めていたようです。

 しかも彼らはこちらの構成員についてもある程度掴んでいるようで、中堅以下の構成員や支援者達へ働きかけを

 強めているとの報告があがっています」


 内務省のドンにして、憲兵隊にも強い影響力を持つ阿部の発言に、嶋田は目を剥いた。

 この会合で議題に挙げるということは、すでにイギリスによる活動が無視できないレベルに達していることを

意味していたからだ。


「そ、それでどのようになっています?」


 嶋田の問いかけに、阿部は渋い顔で答える。


「買収されたりした人間は居ません。しかし理詰めで心を動かされた人間は少なくないようです。

 特に中堅以下では、我々が本気でアメリカを叩き潰すと考えている人間は多くない。そのため彼らは英国を

 利用すれば講和もそれなりに上手くいくのではないかと考えて、日英の再接近に価値があると思ったようです。

 何しろ勝利している今こそが講和のチャンスと思っている人間も少なくないですから」

「むぅ……あの国を完全に滅ぼすつもりであると知らなければ、確かに日英の再接近は価値があるように

 思うのも無理は無いか……」


 ここで辻が割り込む。


「納得するのは構いませんが、どうするかが問題ですよ。現状でアメリカを完全に滅亡に追いやるつもりだ

 なんて言ったら夢幻会派は気でも違ったかと思われるのがオチです。

 仮に説得することができても、今度は我々がどんな行動を取ろうとしているかが広まってしまいます。

 今後の戦略に悪影響がでるでしょう」


 この言葉に出席者達は渋い顔をする。アメリカを解体してしまうことは、ここにいる幹部達の間では

規定事項であったが、それが夢幻会全ての人間に周知されているわけではない。

 国家戦略を言いふらすわけにはいかないからだ。しかしそれが故に事情を知らない人間達は、理性に従って

来る日米講和に向けて、日英の再接近に同意したのだ。

 しかしそれは衝号作戦を立案した辻にとっては苛立たしいことであった。だがそれ以上に彼が腹を立てた

のは、現状で日米双方が納得できる講和が成り立つと思っている人間達の楽天的思考であった。


「日本軍が勝利し続けている限り、我々が望んだところで、簡単に講和ができるはずがないのに……」


 開戦以来の連戦連勝。それもほぼ完全勝利の連続。これによって有頂天となっている日本国民を納得させる

だけの講和となれば、相当に無茶な要求をアメリカに突きつけることになる。もしも温和な条件を提示したら

夢幻会派は日本国民から総スカンを受けることは確実なのだ。

 そしてアメリカが相当無茶な要求を呑むかと言えば、ほぼあり得ないと言える。ただでさえ危険な経済状況で

日本への莫大な賠償金の支払いと領土の割譲を呑んだのなら、連邦政府の威信は失墜しかねない。

 どちらにせよ、現状では日米はどちらかが倒れるまで戦うしかなかった。


「まぁガーナーの代わりに、実質的な降伏をアメリカの国民に納得させられる優秀な政治家が現れれば

 話は別でしょうが」


 この言葉を聞いて誰もが苦笑いした。有名どころの政治家や優秀な官僚が殆ど死亡、もしくは行方不明と

なったアメリカで、そんなことがなせる人物がそうそういるとは思わなかったからだ。尤も仮に居たとして

も、中央政府が弱体化している現状で、全ての州を従わせることが出来るかは疑問であった。


「我々にとっては、ガーナーのような人物が、臨時大統領になったのは僥倖だったな」


 近衛の言葉に誰もが同意した。

 しかし辻の意見を聞いて、嶋田は不吉な予感を覚えた。しかしそれを敢えて振りほどく。


「問題は、英国の動きです。今はそちらに集中するべきは?」

「そうですね。まぁ手っ取り早く、夢見がちな連中に、現実がどうなっているかを理解させて、現状での

 日米講和が内政、外交の両方から難しいと納得してもらいましょう。英国については、国民感情の問題を

 全面に出して暫く冷たくあしらっておきましょう。ただ、国民感情の問題が解決できれば再接近も不可能

 ではないと思わせておけば、あちらも強くは出れないでしょう」


 かくしてイギリスへの対応は決定した。












       提督たちの憂鬱  第35話










 イギリスは当面、冷たくあしらうことを決定した時点で会合は閉会し、出席者が次々に退席していった。

 そんな中、衝号作戦に関わった人間達は退席する振りをしてから、すばやく部屋に戻って来る。彼らには

まだ話し合わなければならないことがあったのだ。


「異常気象や食糧危機が発生する可能性は?」


 近衛の質問に中央情報局局長の田中が渋い顔で答える。


「危機的状況が訪れるのは間違いないかと。

 北米や西欧では、気温が低下しているとの報告を受けています。恐らく今年の冬は厳しいことになる

 でしょう。北半球の大西洋沿岸諸国は飢えと寒さによって、かなりの死者がでることが予想されます。

 また火山灰もありますが、海流がかき乱された影響もあり、気象は不安定になる可能性が高いです。

 加えて塩害による被害も酷く、来年以降の食糧生産に多大な支障がでることが予想されます」

「そうか……我が国への影響は?」

「火山灰の影響で気温の低下が見られます。今年の収穫こそ予想通りでしたが、来年以降については予想も

 つきません。ただ、大飢饉とまではいかないでしょう。それに食糧の備蓄も進めているので、餓死者がでる

 ようなことは起きないかと」


 この言葉に誰もが安堵した。

 国民を養うことができなくなった時、国家は滅亡する。史実のソ連のように。それが判っているだけに

餓死者を出さずに済みそうだという報告は吉報であった。


「しかし我が国は何とかなったとしても、他の国はそうはいかないのでは?」


 辻の言葉に田中が頷く。


「イギリスでは国内で不穏な動きが見られます。加えてアメリカは未だに経済の混乱が続いています。

 仮に今年の冬で大量に凍死、餓死者が出れば革命が起こる可能性が否定できません」

「アメリカで革命とは……どこの仮想戦記の世界の話だ、といいたいですが、あの国は国民に革命の権利を

 与えているから否定はできないか……」


 辻は納得するように頷くと、悪役のようにニヤリと笑う。


「まぁ革命騒ぎが起こったら、政府側、革命側双方を応援してアメリカを破壊し尽すというのも手ですね。

 いえ、むしろ積極的に革命を煽り、米国の国内情勢を不安定にするというのも手でしょう。

 ソ連のように共産政権が出来たら面倒ですが、事態をコントロールできれば米国を分断できます」

「相変わらず黒いですね」


 嶋田は思わず突っ込む。


(衝号作戦といい、これまでの数々の策謀と言い、こいつの前世は一体、どんな仕事をしていたんだ?)


 気になって仕方がないことであったが、あまり前世のことを聞くのも野暮かも知れなかったので、嶋田は

喉元まで来ていた台詞を何とか押し込んだ。


「まぁ黒いのは兎も角、良い作戦ではあるでしょう。我が国がアメリカを破壊し尽くした場合、かなりの恨みを

 買うことになりますから、買う恨みが減るのは良いことです。それに我が軍の犠牲や負担も減りますし」


 アラスカにまで兵を送るのは、いくら魔改造されて強化された日本の国力でも、かなりの負担であった。

 兵站への負担を考えると、アラスカ侵攻は攻勢限界点ギリギリであった。


(莫大な予算と資材が要るな。それに輸送船の護衛も必要だし……井上大将には苦労してもらうか)


 この時点で井上成美は海上護衛総隊の総司令官となっていた。アメリカの潜水艦は大きな動きはなかったが

それでもチマチマと攻撃してくるので、護衛に気が抜けるものではなかった。

 尤も大陸沿岸を押さえ、フィリピンの空海戦力を粗方撃滅したことで、犠牲は減っていたが。

 ちなみに南雲は海上護衛総隊と海上保安庁の連携を強化するためとして、海上保安庁に出向中だった。


「ですが海軍としては、どのような状況でもアメリカ海軍の撃滅を諦めるつもりはありません。太平洋を帝国の

 海とするには帝国海軍に比する存在が対岸にいてはならないのです」


 それはアメリカが何を言ってきても、アメリカ海軍を徹底的に撃滅するという宣言であった。

 人によっては無慈悲な宣言に聞こえるが、アメリカ海軍の本当の恐ろしさを知る嶋田からすれば、当然の

ことであったのだ。

 このあと、食糧危機に備えるために、オーストラリアから大量の食糧を購入することも決定された。

 オーストラリアは津波のあとに発生した世界大恐慌、それに大西洋航路の壊滅によって、輸出産業に大打撃を

被っており、比較的簡単に購入ができるだろうと誰もが判断した。

 勿論、食糧不足になって慌てて契約を破棄しようとしたときには、目を剥くような莫大な違約金をせしめる

つもりであった。ただし払えない場合も考えられるので、その場合は物納で払わせることも決定された。






 夢幻会が、現状での日米講和はあり得ないと結論付けている頃、アメリカでは講和に向けた動きが

進められつつあった。


「このまま政府の言うとおり戦争を続ければ、我が国は破滅だ」


 シカゴ大学に置かれた臨時海軍作戦本部の会議室で、キンメルは臆面もなく言い放った。

 本来なら糾弾されるべき言葉であったが、その場に居た誰もが頷く。その中には、ハワイ防衛に関する

協議を行うためとして、作戦本部に招かれていた陸軍臨時参謀総長のアイゼンハワー大将の姿もあった。


「キンメル提督の言うとおりだ。現状で我が国に戦争を継続する余裕は無い」


 主だった上官が根こそぎ行方不明か死亡してしまった故に、運よく難を逃れたアイゼンハワーは昇進し

て現在の地位につけられていた。しかし本人からすればとんでもない貧乏くじであった。

 海軍と同様に、軍政、軍令の2つが完全に破壊された上、東海岸全域に及ぶ被災地域の救援活動に

陸軍部隊は借り出されている。おかげで後方を司るアイゼンハワーは寝る間もないほど忙しかった。

 今は祖国を救うという崇高な目的によって、部隊を維持しているが、それとていつか限界が来る。

政府が言うように南米やハワイなどへ部隊を送る余裕はなかった。


「それに加え、市民の生活も日に日に困窮している。一刻も早く戦争を止めて、国内の復興に力を

 注がなければ大変なことになる」


 地獄のような被災地から寄せられる報告を見ているアイゼンハワーは現在の状況が危機的なものである

ことを良く認識していた。

 被災地では食糧も、水も、医薬品もない、いや下手をすれば安心して眠る場所さえない。僅かな食糧を

めぐり壮絶な殺し合いにまで発展するケースだってある。

 つい数ヶ月前までよき隣人、友人であった人間が突然、自分の家や臨時の住処に押し入って物品を強奪、

あるいは目の前で自分の家族に危害を加えるような陰惨な光景があちこちで広まっていた。

 それに加え、親を失った子供達は大人たちによって慰み者にされるか、道路で物乞いをするか、ゴミでも

漁るかのどれかしか生きる道はないという救いの無い状況まで起こっていた。

 この国にかつてあった神からの恩寵(ただし白人にとって)は、あの津波によって全てが押し流されていた。


「人心が荒廃し、モラルが崩壊すれば、本当にこの国は立て直すことができなくなる」


 陸軍の心ある人間達は、政府を打倒してでも戦争をやめるべきだと考えるようになっていた。

 さらに彼らを危惧させていたのは、多くの疫病の感染が拡大していたことだ。陸軍の防疫施設から流出したと

思われる疫病に対して、陸軍は満足な対処ができなかった。

 何しろ研究施設や、それについての記録をもっていたであろう陸軍省が消滅してしまったので、残された人間では

迅速な対応ができないのは当然だった。勿論、各地の医療機関とも連携して解決を図っていたが、事態をすぐに収集

できるものではなかった。

 このままでは、国際的な支援を、具体的に言えば日本に支援を要請しなければならなくなる……そんな状況だ。

 キンメルは被災地の最新の現状を聞いて、改めて何としても講和を成すべきだと考えるようになった。


「陸軍は、残された政財界の人間達に接触して、早期講和を訴えるつもりだ。彼らもこの国の崩壊は望むまい」

「しかし大統領は頑なですぞ」


 キンメルの言葉にアイゼンハワーは首を横に振る。


「いくら大統領が頑なでも、周りの人間が講和に賛成すれば文句は言えないだろう。もしもそれでも大統領が

 戦争の継続を選択するのなら、大統領の弾劾が行えるように手配するしかない」

「大統領の弾劾ですか……」

「不名誉ですが、いたし方ないでしょう。我が国に、もう手を選んでいられる余裕など無いのですから」

「しかしそうなった際には誰を次の大統領にされるおつもりですか?」

「陸軍としては、トーマス・E・デューイ氏を推したいと思っています。彼の手腕には定評があります」


 かくして米軍の心ある者達は動き出す。








 アジア艦隊壊滅に続けて、ウェークがあっさり陥落したことで、各国では日本が優位に戦況を

進めていると判断した。中には、日本の勝利は間近ではないかと考える者さえ出始めていた。

 その中の一人に、赤い帝国の皇帝スターリンの姿があった。


「ウェークが陥落したか。やはり米軍はもう日本の侵攻に対応するだけの余裕もないようだな」


 クレムリンの執務室で報告を受けたスターリンは、暫く考え込んだ後、傍に控えていたベリヤに話を振る。


「ベリヤ、対日工作はどうなっている?」

「夢幻会への工作ですが、なかなかうまくいきません。金や女で釣れるような連中は、我々が接触する

 直前に徹底的に粛清されたようでして」

「粛清だと?」

「はい。このせいで、金や女で釣ることができなくなりました。さらに夢幻会の人間は共産主義を嫌って

 いるようで」

「ふん。前時代的な、帝国主義者らしいが……そうも言っていられん。何としても夢幻会の情報を掴む

 ようにしろ。あと前首相の近衛に近い男がいただろう。あれはどうした?」

「色々と接触はできているようです。断片的にですが、情報もつかめるかも知れないとの報告があります」

「現状ではその男だけが頼りか……名前は?」

「尾崎です」

「そうか。同志尾崎には可能な限りの支援を行え」

「判りました」

「いずれにせよ、このままではアメリカの敗北は時間の問題だろう。重要なのはそのあとだ」


 この言葉にベリヤも頷く。


「日本が勝った後、北進してくるような事態は避けなければならない」


 ドイツ軍の大攻勢こそ退けたものの、ソ連軍の被害は甚大であった。

 畑から兵士が取れるとまで言われるソ連軍であったが、さすがに優秀な将校まで補充できない。

さらに武器の補充も一苦労であった。何しろ重工業化が半ば頓挫していたために、工場群から吐き出さ

れる軍需物資は赤軍の必要な量に届かなかった。

 怒り狂ったスターリンは担当者を何人も粛清したが、どうしようもなかった。中にはスターリンの目を

誤魔化すために嘘の報告書を送ってきた担当者もいたが、その人物はNKVDの調査によって嘘を暴かれて

銃殺刑に処された。


「現状で我が軍に二正面作戦を行う余裕は無い。日本にウラジオストックを奪われたら目も当てられん」


 世界でも最大の面積を誇る帝国を支配しながら、スターリンはその領土の一片たりとも失いたく

なかったのだ。まぁどこぞの何の価値もない辺境の土地ならば、涙を飲んで諦めるとしても、海への

出口であるウラジオストックを失うことは耐えられない。


「日本軍の航空戦力は信じがたいほどに強力な存在だと聞く。そんな連中が大挙して押し寄せれば

 極東軍では歯が立つまい」


 スターリンの命令で極東軍の大半は対独戦争につぎ込まれている。おかげで極東はがら空きだ。

 もしも日本が変な色気を出して侵攻してくれば、それらの地域は明け渡すしか方法はない。さらに

日本がアナスタシアを旗頭にして攻め込んできたら、不穏分子が一斉蜂起する危険だってある。

 それを考えると、スターリンは中々眠れなかった。そんなスターリンに対して、ベリヤがある

提案を行った。


「この際、日本に、我がソ連と付き合っていくほうが、より利益があると思わせるようにすると

 いうのはどうでしょう?」

「具体的には?」

「まずは大祖国戦争で、得たドイツ軍の物資、特に戦車や航空機などを日本に横流しさせます。

 それと引き換えに食糧などを得るのです。特に日本の果物であるミカンなどはビタミンが豊富で

 今の我々に必要なものかと」

「ドイツ軍の兵器を?」

「はい。情報収集の結果、日本陸軍も独ソ戦にはある程度、関心を持っているようです。ここで進化を

 遂げているドイツ軍の兵器の情報を現物付き流せば、食いつくかと」

「だが、それでは日本軍の戦車開発を助けることになるぞ」

「いえいえ、策はこれからです。これによってある程度、日本側とコネクションを作っておき、

 さらに北満州などの地域での経済交流を活発化させます。正直に言いまして、この大祖国戦争の

 影響で極東経済は大きな打撃を受けています。ここで、日本の経済力を利用して極東経済の浮揚と

 活性化を図ります。これによって我が国は対独戦争を遂行するための経済力を得ることができます」

「ふむ。しかしそれでは極東が日本に乗っ取られるのではないか?」

「経済的には、一時的に日本が台頭するでしょう。しかし、対独戦争を終わらせ、国家を再建できれば

 再び彼らをたたき出すことはできるはずです」

「果たして、彼らがそれに乗るか?」

「アメリカと戦争をしている以上、彼らは多くの資源を必要とするはずです。

 それらを輸出すればよろしいかと。不本意なことに我が国の貧弱な工業基盤では、採掘した資源を

 すべて利用できませんので、日本に譲ってやり、引き換えに物資を得るほうが得策かと」


 日本によって何度も痛い目に合わされてきたスターリンとしては、日本のメリットになるような

政策をするのは嫌だったが、個人的な感情で国家を運営するほど無能でもなかった。


「良いだろう。それでいこう」


 かくしてソ連は動き出す。


「それにしても、ここまで日本に振り回されることになるとはな」


 スターリンはそう言って窓の外を見る。

 動員可能兵力が1000万を超えるソ連、そして世界の半分の生産力を誇り、世界有数の海軍国家であった

アメリカ。この世界を二分する超大国になりえた2国をして手玉に取る国。それが日本であるとスターリンは

考えていた。


「あの津波によってアメリカ中枢が壊滅していなければ、うまく日本を弱体化させ、同時に対ソ支援を引き出せた

 ものを……あの国には何かがバックについているとでもいうのか。それとも夢幻会、あの組織が?」


 例年以上に冷え込み始める外の様子を見終わった後、再びスターリンは執務に戻った。

 しかし彼は知らない。津波と火山噴火による影響はまだこれからであったことを。









 あとがき

 提督たちの憂鬱第35話をお送りしました。

 普通なら、日本が講和に向けて準備、米国がそれを拒むという図式なんでしょうが

 この世界では見事に逆になりました(爆)。

 さらにいよいよ、津波と火山噴火の影響が出始めます。津波によって痛めつけられた

 大西洋沿岸諸国にさらなる悲劇が襲います。

 アメリカが決戦まで存在しているか大分、怪しくなってきました(笑)。

 それでは拙作にも関わらず最後まで読んでくださりありがとうございました。

 提督たちの憂鬱第36話でお会いしましょう。