1942年11月10日、日本海軍は開戦以降、潜水艦による封鎖に留めていたウェーク島へ

侵攻を開始した。史実で少数のF4Fによって苦杯を舐めさせられたことを知る日本海軍は、万が一の

太平洋艦隊の救援にも備えるために、第4艦隊に加え第3艦隊第3機動戦隊(空母2、軽空母1、戦艦2)を

攻略部隊に参加させるという念の入れようであった。

 些か大げさではないかという声もあったが、ミッドウェー作戦ことMI作戦の実施のために万全を期すため

として反対意見は悉く封じられた。

 首相官邸でウェーク攻略作戦の開始を告げられた嶋田は、閣僚達の前で静かに目を閉じて頷いた。


「本格的な攻勢、その序盤戦だ。何としても成功させなければならない」


 この言葉に閣僚達がこぞって頷く。

 フィリピン攻撃はあくまでも、日本のシーレーンを圧迫する存在を排除するために過ぎない。

 しかしウェーク攻略は違う。ウェークは米本土に至るまでの長い長い道、その第一歩なのだ。


「しかしウェーク程度の島なら、すぐに攻略できたのでは?」


 閣僚の一人がそう言うと、嶋田は内心でため息をつきながら答える。


「艦が足らなかった。それにウェークを占領した途端に、太平洋艦隊が出てくればやぶ蛇だったからな」


 日本は経済発展を優先するため、そして米英から警戒されないために、軍備拡張を出来る限り控え、かつ

軍縮条約を遵守してきた。この結果、軍艦、特に艦隊の手足として働く軽巡洋艦が不足気味だった。

 天龍型や夕張は真っ先に退役。球磨型以降の軽巡洋艦も退役、練習艦にされた艦が多く存在した。それでも

第二次世界大戦の勃発が判っていたため、現役復帰のための準備は万端であった。しかしかといって退役して

解体してしまった艦までは戻ってこない。このため大戦勃発直後は巡洋艦の整備が急務だった。

 対ドイツ戦を想定して、最上型や利根型とは異なる戦時急造艦・阿賀野型軽巡洋艦を多数建造していたが

これらはあくまでも対空、対潜戦闘を主眼としたもので、米巡洋艦とまともに殴りあえるものではなかった。

 これらの軽巡洋艦は現在は主力以外の艦隊(第5艦隊等)や遣支艦隊に配備されていた。よって数の面では

水上艦艇はそれなりにあるのだが、質の面ではまだまだ不十分だった。

 水上艦の整備が現在も精力的に進められているのも、その結果であった。


(一応、航空機で戦艦を撃沈できると判ったから、煩い連中も黙ったけど、今度は航空主兵論者が煩く

 なるだろうな……海軍は駆逐艦と空母と潜水艦で十分だなんて言ったら、海軍が割れるぞ)


 アジア艦隊を航空機だけで全滅に追い込んだことによって、航空主兵論者は水上艦艇の建造なんて中止し

空母の建造に注力すべきだといい始めている。嶋田は海軍内部の軋轢を納めるために、駆けずり回る必要が

あった。さらに陸軍との関係強化も必要だし、財界や政界とも綿密な連携が必要なのでその折衝も必要で

気が休まる暇が無かった。

 不機嫌そうに黙る嶋田を見たのか、発言した閣僚の一人は真っ青な顔になって慌てて自分の発言について

謝罪した。何しろ彼にとって目の前の人物は文字通り帝国の独裁者であったのだ。


「気にする必要はない」


 嶋田はその閣僚に向けて気にするな、と言わんばかりに手を振った。

 ちなみにそれを見ていた夢幻会派、特に会合に出席できる幹部達は内心でニヤニヤしていた。嶋田はその

ことをある程度察して、内心で苦笑いする。


(宮様にも協力を仰がないとな。ああ、頭が痛い。総理なんて、俺みたいな凡人がやるものじゃない)


 彼にとって頭痛の種はまだあった。そう、彼は仮にこれからの作戦が順調に推移した時、米本土に弾道弾を

打ち込んだ挙句に、あの『アメリカ』に降伏を要求する役割を持っているのだ。おまけにそれでも降伏しない

のなら容赦なく西海岸を核で焼き払う決断を下さなければならない。

 人類史上初の核攻撃、それを行った指導者として、彼の名前は人類が続く限り永遠に記録される……それを

考えれば憂鬱な気分になるのは避けられない。

 しかし憂鬱な気分に浸っていても何の解決にもならないことは嶋田もよく判っていた。


(どちらにせよ、そこまでしないとアメリカとの戦いを終わらせることは出来ない。太平洋艦隊を悉く沈めて

 ハワイを占領して、さらに西海岸だけ焼き払っても、アメリカは負けを認めないからな……全く、戦争という

 のは始めるのは簡単でも終わらせるのは難しい。しかしやり抜くしか道はないか)


 内心でそう呟くと、彼は思考を切り換えた。


「青島の様子は?」


 これに永田陸軍大臣が答える。


「緒戦の痛手から回復していません。加えて上海や満州での敗北で守備隊は意気消沈しているとのことです」


 ウェーク島攻略と並行して、日本軍は青島攻略作戦の準備も進めていた。その彼らにとって現地軍の弱体化は

朗報であった。


「ふむ。これで中国沿岸部は完全に我が国が制圧でき、シーレーンの安全も確保できる。これで当初の目的は

 達成される」


 この言葉に閣僚達が頷く。これを見た嶋田は立て続けに今後の方針を告げる。


「今後は主戦場を太平洋とし、大陸は抑えの戦力のみを残す方針とする。異論は?」


 夢幻会の調整で、すでに決定されている戦線不拡大であったが、公式の場で確認することも忘れてはならない

ものであった。

 何しろ大陸へ色気を出す者は少なくない。下手に手を出せば火傷をするのを理解できない輩は後を絶たなかった。


「ありません」


 永田が了承すると、他の閣僚達もこぞって頷いた。


(やれやれ、ウェークの次はミッドウェー、さらにその後は真珠湾。先は長い。尤もその前に韓国の裏切り者に

 落とし前をつけてやらないとな……全く、前途は多難だ)


 再び心の中でぼやく嶋田であったが、すぐに気分を切り換えて閣議を続けた。








           提督たちの憂鬱 第34話










 ウェーク攻略戦は角田覚治中将率いる第3機動戦隊から発進した第一次攻撃隊90機の猛爆から

始まった。

 一方のウェーク島には、潜水艦によって封殺されたことで航空機の稼働率が下がっていたものの

使える機体を掻き集めて迎撃に出た。

 しかしながら迎撃に出たF4Fは、まず出会い頭に烈風から空対空ロケット攻撃を見舞われる。

F4Fのパイロット達は慌てて避けようとするが、5機のF4Fがロケットの直撃を受けて撃墜されて

しまう。無誘導のロケット弾にしては中々の成果と言えた。

 しかしこの様子を見ていた烈風の搭乗員の一人は不満げな顔で呟く。


「近接信管を搭載したロケット弾ならもっと撃墜できたのに」


 彼の名は都井睦雄。夢幻会の一員にして、冬戦争でもエースとして活躍した戦闘機搭乗員だ。

ちなみに史実では八●墓村のモデルである津山事件で三〇人を殺した人であるが、この世界では現代人が

憑依したことによりすこぶる健康な好青年になっていた。


「さて、ぼうっとしていたら、翔鶴の連中に全部喰われちまうな」


 そう言うと彼は仲間の瑞鶴の戦闘機隊と共に、右上上方のF4Fの群れに突っ込んでいく。

 烈風が迫ってくる様子は、米軍機パイロット達も確認した。彼らは後ろに付かれないように烈風を

旋回して振り払おうとするが、烈風は持ち前の旋回性能でF4Fの軌道のさらに内側に食い込む。

 そうこうしている内に、F4Fの戦闘機隊の中でも未熟な者が乗る機体が旋回を途中で止めて

しまう。


「未熟だな!」


 都井はすぐさまそのF4Fを捉え、20mm弾を撃ち込んだ。米軍機は列強軍機の中では比較的

重防御を誇ったが、20mm機関銃4門による攻撃に耐えられるほどの防御力は持ち合わせておらず

黒煙をあげながら墜落していった。


「畜生、何だ、あの赤い角付きは?!」


 F4Fのパイロット達は赤いアンテナ支柱をつけた都井機を見て叫んだ。一際、俊敏な機動でF4Fを

追い詰める都井機は、彼らにとって死神に等しい存在だった。

 残ったF4Fは急降下で振り切ろうとするが、烈風の前では意味は無かった。烈風は悠々と追撃を

行う。F4Fはそれでも粘るが、速度でも急降下性能でも劣る彼らに事態を打開する術は無かった。

 かくしてウェーク島に展開していたF4Fワイルドキャットは、日本軍の第一次攻撃隊によって

駆逐され、ウェーク島上空の制空権は日本軍の手に落ちた。

 しかしそれはウェーク島守備隊にとって苦難の道の第一歩でしかなかった。

 制空権を奪った日本軍は、ウェーク島の米軍地上施設に容赦ない爆撃を加えた。流星から投下される

800キロ爆弾や500キロ爆弾が米軍の地上施設を片っ端からなぎ払っていく。

 勿論、ただやられる米軍ではない。彼らは残された高射砲から砲弾を必死に打ち上げて、1機でも多くの

日本軍機を撃墜しようとする。この米軍の必死の努力もあってか、3機ほどの流星が火を噴いて墜落する。

 しかし彼らの抵抗もそこまでだった。味方を撃墜されたことに怒る流星が、残された高射砲に向けて

急降下爆撃を敢行し、根こそぎ吹き飛ばした。


「なんて機動性だ! あれは本当にジャップの飛行機か?!」


 爆弾を抱えているにも関わらず、鮮やかな機動で自軍陣地を潰していく流星の姿に米軍将兵は驚きと

動揺を隠し切れない。彼らはフィリピンや中国の戦闘に関する詳細な情報を知らなかったのだ。

フィリピンや中国での戦いを経験したことがある人間がいれば、ある程度冷静に対処できたかも知れないが

その経験のある人間は軒並み戦死するか捕虜になっているかのどちらかだった。

 手っ取り早く言えば、米軍お得意の調査と研究、そして結果のフィードバックが出来ていなかったのだ。


「くそ、補給さえあれば、東海岸さえ壊滅していなければ!!」


 米軍の将校はそう言って歯噛みした。

 津波によって東海岸が壊滅して以降、ウェークはまともな補給を受けられなかった。東海岸が壊滅した

影響で合衆国本国が大混乱に陥ったせいで米軍の兵站はマヒ状態となった。さらに乏しい補給も日本潜水艦の

手によって遮断されており、必要な物資はウェークではなく、暗く冷たい海底に送り込まれていた。

 加えて東海岸主要都市が壊滅したという情報は、今日までに部隊全体に知れ渡り、士気を低下させていた。


「人の弱みに付け込みやがって、この卑怯者の猿が!!」


 兵士の一人が、やりたい放題する日本軍機に向けて罵倒する。

 しかし罵倒したからと言って攻撃がやむわけが無い。言葉だけで爆弾が食い止められるなら誰も苦労しない。

ウェーク島は日没まで執拗な日本軍機の爆撃を受け続けた。

 しかし夜の訪れは、守備隊にとって安息の時間の訪れではなかった。むしろ新たな災厄の訪れを告げる物で

あった。島嶼の攻略が意外に面倒なものであることを知る日本軍は、夜になっても攻撃の手を緩めなかったのだ。

 第3機動戦隊司令の角田中将は空母翔鶴、瑞鶴、瑞鳳に最低限の護衛を残してから、第4艦隊と共に

ウェーク島への艦砲射撃を実施した。


「撃ち方、始め!!」


 戦艦伊吹艦長の兄部大佐の命令を受け、戦艦伊吹はウェーク島に向けて轟音と共に41cm砲弾を放った。


「初弾命中!!」


 報告する見張り員の向こうに遠く火柱が上がる。

 距離は2万メートル足らず。この距離で、しかも動かない島なのだから、目標に命中して当然だった。

 艦橋にいる面々は当然とばかりに頷く。


「観測機からの報告は?」


 砲術長は険しい顔で部下に尋ねた。

 何しろ先日、航空機のみでアジア艦隊が全滅してしまったのだ。このままでは大砲屋の立場が無い。

幸い、軍令部総長兼海軍大臣の嶋田大将は航空主兵論者であるが、水上艦艇の重要性に理解を示して

重巡洋艦以上の大型艦艇の整備を現在も推し進めている。今は戦時ということで建造に手間取る大型戦艦の

建造こそ無かったが、戦後になれば伊吹型に続く戦艦の建造もあり得なくは無い。彼の所属する研究会は

戦艦の建造を推進していくつもりだった。

 だが戦艦の建造に説得力を持たせるためには、何らかの実績を築き上げる必要がある。

 故に彼は、日本海軍においては片手間仕事と受け取られがちな対地砲撃に全力を注いでいたのだ。


(明け方にくる巡洋艦の仕事が無くなるくらいに、やってやる!!)


 砲術長の執念を籠めた砲弾は、次々にウェーク島の残存施設に降り注ぎ、それらを木っ端微塵に

粉砕していった。6門しかないとは言え、50口径41cm砲の威力は絶大であった。

 伊吹の働き振りに刺激されたのか、僚艦の鞍馬もまた次々と目標に砲弾を命中させていく。

 この砲術長のやる気が功を奏したのか、明け方には、ウェークで目標になるものは消滅することになる。

 ウェーク島が日本軍の猛攻を受けているとの情報は、すぐさま真珠湾の太平洋艦隊司令部にもたらされた。

 ハルゼーは即座にパイ大将にウェーク救援を上申したが、にべも無く却下された。


「アジア艦隊に続けて、ウェーク島まで見捨てるというのか?!」


 司令官室で、ハルゼーはパイに詰め寄った。しかしながらパイの答えは変わらなかった。


「ウェーク島への空爆には、多数の艦載機が確認されている。アジア艦隊を叩き潰した日本海軍の空母部隊が

 攻略部隊に参加しているとなれば、ウェーク救援は危険すぎる」

「それなら太平洋艦隊の全力で出撃してジャップの横っ面を張り倒せばいい!」

「今から出撃しても間に合わんよ。ウェークの守備隊では、長くはもたないだろう」


 開戦以降、補給が滞り気味で、さらに士気も低下していたウェーク守備隊ではどこまで持ち堪えられるか

判ったものではない……パイはそう考えていた。


「ならば敵艦隊を蹴散らした後に、奪還すれば」


 ハルゼーの言葉を聞いたパイは即座に首を横に振った。


「再奪還できたとしても維持ができない。残念ながら、今の我々の力ではハワイを維持するだけでも手一杯

 なんだ。日本軍潜水艦に恐怖した船主達は護衛をつけろと騒いでいる。政府は南米にも艦を出せと命令して

 きている。大西洋艦隊は長く続いた救助活動で疲弊しきっている。我々にウェークのような遠く離れた島を

 助ける力はない。そして我々が消耗してしまえば、もう後が無いのだ」


 パイはそういって指で眉間の皺を解きほぐそうとするが、皺が解きほぐれることはなかった。

 キンメルの代わりに太平洋艦隊司令長官に就任したパイに与えられた仕事は、混乱する現場を纏め上げ

組織の崩壊を阻止すること、それだけであった。かつては太平洋艦隊司令長官という海軍の要職への渇望と羨望

があったが、今ではそんなものは消え果ていた。

 同時に、彼は政府が唱える対日反攻作戦まで太平洋艦隊を維持することが、自分の仕事と思っていた。


(そして、対日反攻作戦となれば、私の代わりに太平洋艦隊を指揮するのは……)


 パイは尚も不満そうなハルゼーを見つめて思う。


(どちらにせよ、貴君が行くのは茨の道だ。私はそんな道を歩まなくて良かったと思う)


 このあとウェーク島から複数の戦艦による艦砲射撃を受けているとの報告が齎され、太平洋艦隊司令部は

日本軍が本気でウェークを奪取するつもりであることを理解し、ウェーク島の放棄を決定した。

 ウェーク放棄が決定された翌日、日本軍第36軍第56歩兵団は大挙してウェーク島へ上陸を開始した。

空爆と艦砲射撃によってボロボロにされたウェーク守備隊に対抗する術はなく、その日のうちに降伏。

 ウェーク攻防戦はわずか2日で終結し、ウェークは日本軍の手に落ちた。






 ウェーク陥落の翌日の11月12日、日本軍は中華民国海軍最後の拠点である青島基地の攻略を開始した。

 遣支艦隊が全面的に支援する中、日本軍は精強で知られる第9師団と第12師団から構成される第3軍が

青島への侵攻を開始した。

 山東半島南岸の労山湾に上陸した両師団は、瞬く間に青島を囲む浮山、孤山等の線に達した。

 日本軍の進撃に対して、港内に在泊する砲艦が攻撃を試みようとするが、遣支艦隊から発進した航空機の

執拗な攻撃をうけ、攻撃を行う前に悉くが撃沈、または沈黙を余儀なくされた。

 青島の守備隊は陣地や砲台から必死に反撃を加えたが、逆に空爆と陸軍の九七式15cm加農砲の猛砲撃、

さらに海上の遣支艦隊からの砲撃を受けて砲台群は次々に沈黙していった。

 陣地も歩兵部隊の活躍によって次々に蹂躙されていき、青島の陥落は時間の問題になりつつあった。


「これで、大陸での戦いも終わりだな」


 青島での戦いの様子を聞いた遣支艦隊司令長官の山本は、旗艦足柄の艦橋でそう呟いた。

 これに遣支艦隊参謀長である大西少将が同意する。


「政府は大陸でこれ以上戦線を拡大しないつもりのようなので、これで幕でしょう。

 しかし大陸に封じ込めるにしても、どうやって連中を屈服させるつもりなんでしょう?」

「政府はアメリカさえ折れれば、支那も膝を折ると思っているのだろう。実際にアメリカが津波で

 壊滅的打撃を受けてから、中華民国の弱体化も甚だしいと聞く。これでアメリカが折れれば支那が

 屈すると考えるのは不自然なことではないからな」

「だとすると戦争が終わるのも、近いですね」

「そうだな。アジア艦隊は壊滅。太平洋艦隊も弱体化著しい。ここで太平洋艦隊を撃滅し、ハワイを

 占領できればアメリカも折れるだろう」


 そう言いつつも、山本は対米戦争での勝利という海軍軍人なら誰もが夢見る場面で、自分が表舞台に

立てないという事に忸怩たる思いを感じていた。


(源田の主張に乗って戦闘機不要論など唱えなければ良かったな)


 九六式戦闘機、烈風、隼、飛燕が大活躍する場面を見るたびに、自分達が唱えた戦闘機不要論が如何に

愚かなものであったか、そしてもしも戦闘機不要論がまかり通り、戦闘機の開発や搭乗員の確保が遅れていたら

どのようなことが起きていたのかを想像して山本は身震いした。

 そして総研や嶋田の先見性に改めて畏怖の念を抱いた。もし彼らが居なければ帝国の軍備は遥かに遅れたものに

なっていただろう……そのことを思うと、この時代に彼らのような存在が居たことは帝国にとって幸運だったとさえ

彼は思った。たとえ、彼らとの政争によって出世が遅れていたとしても、山本にとって帝国と皇室は何よりも優先

されるべきものだった。


(後悔しても仕方が無い。今は帝国海軍軍人として、自分が出来ることをやろう。上手く立ち回れば

 まだ先があるかも知れん。それに退役することになっても、十分な年金は貰えるだろう。悠々自適に暮らすのも

 悪くは無いさ)


 内心でそう呟くと、山本は艦隊の状況を尋ねる。


「搭乗員達は?」

「まだやれます。弾薬もまだ残っているので、あと1回は全力で出撃しても問題はないでしょう」

「そうか。では出撃準備を急がせてくれ。日没までにもう1回は青島を叩いておく」

「了解しました」


 大西は直ちに指揮下にある4隻の空母(大鷹、雲鷹、神鷹、海鷹)に、攻撃隊の発進準備を命じた。

 これを受けて艦隊外周に展開していた五十鈴と駆逐艦12隻が警戒態勢をとる。この様子を見ていた

山本はぼやくように言う。


「……出来れば旧式軽巡洋艦をすべて更新できればよかったのだが」


 日本海軍は最上型、利根型軽巡洋艦の整備を進めていたが、すべての軽巡洋艦を新型に切り換える

のは難しかった。さらに言えば欧州で苦境に立つ英国を支援するために阿賀野型軽巡洋艦が多数建造

されたために、艦隊型の軽巡洋艦の配備にも影響が出てしまったのだ。

 しかしそうかと言って阿賀野型軽巡洋艦が厄介者だったわけではない。彼らは相応の働きを示した。

 阿賀野型の前期生産型は、インド洋や地中海のイギリス軍向けへの補給船団の護衛のために奮戦し

その大半が戦没していた。だがそのおかげでイギリスの中東、地中海戦線は維持できたのだ。

 しかし後期生産型(改阿賀野型)は戦場に投入される前に英独停戦がなって、多数の艦が余ってしまう

という悲劇が起こった。この艦は28ノットという低速な艦であったので、用兵側も余った改阿賀野型の

扱いに困ってしまった。第2遣支艦隊には3隻もの改阿賀野型が配備され山本も頭を痛めたことがあった。

ちなみに改阿賀野型は、これまで軍縮条約で退役した艦の名前が当てられている。


「いや、無いものねだりだな。それに相手は死に体の連中だ。今の兵力でも十分だ」


 史実で連合艦隊司令長官にまで上り詰めた男は、旧式艦と小型の低速空母からなる艦隊を率いて今日も

奮戦する。すべては祖国のために。










 11月17日、日本軍の猛攻によって青島が陥落すると、日本国内には再び提灯行列が出来た。

何しろ開戦以降、日本軍は連戦連勝であり、完全勝利まであと一歩と誰もが思っていたからだ。

 しかしながら厄介な問題も噴出していた。


「何故、政府はフィリピンを攻略しない?」


 フィリピンの事情を知らず、地図だけしか見ない人間達はこぞってフィリピン攻略を主張した。

 彼らにとって目に見える戦果とは領土の獲得であったからだ。勿論、これまで夢幻会が必死に教育に

力を入れてきたために、一概に領土の拡張こそが戦果であると思う人間は減ってはいたが、絶対数では

無視できる数ではなかった。

 尤もこの問題については、夢幻会もある程度予期していたため、政府広報などを通じて、フィリピンが

無資源国であり、戦争中に攻略すればその維持のために多くの労力と資源を取られかねないことを国民に

説明した。

 政府広報ではフィリピンを攻略すれば、国民が食べる食糧や使用できる資源が減ると言って国民に

フィリピン攻略の無意味さを訴えた。

 これによって国民からのフィリピン攻略の要望はある程度抑えられたが、今度は別のところから

フィリピン攻略の要望が出てきた。


「現在の我が国の状況で、フィリピン攻略は困難です」


 帝国ホテルで開かれたパーティーで、嶋田は困った顔で某財閥の重鎮に返答した。


「フィリピンは無資源国の上に工業力も未熟です。我が国にそんな国を支えるだけの余力はありません」


 しかしそれで引き下がるような人物ではなかった。他の重鎮達と共に嶋田に詰め寄る。


「ですが、財界としては市場が欲しいのです。アメリカ経済がガタガタになり、中華民国が崩壊すれば

 需要は大幅に減ります。少しでも市場を広げてもらわなければ、会社が潰れてしまいます」

「そうです。それに何も今すぐに攻略して欲しいと言っているのではありません。日米講和が行われる直前

 でも構わないのです」

「そのとおりです。講和の前にフィリピンを攻略しておけば、割譲を主張しても通りやすくなります」


 熱心に言い募る財界の重鎮達。嶋田は彼らの危惧も判るが、これだけは譲れないと言って再度拒否した。


「オーストラリアや東南アジア、インドの市場は開放されつつあります。今後の英国との交渉次第では

 アフリカ市場にだって進出することもできるでしょう。それでは不足なのですか?」

「確かにそれだけの市場があれば一息つくこともできるでしょう」

「しかし自国勢力圏の安定した市場が欲しいのです。我々は長らく同盟を組み、信頼していたイギリスに

 さえ裏切られかけたのですぞ」

「中華民国は同じ黄色人種の国である我が国を陥れ、米国と共に挟撃しようとした。

 これらを考慮すれば、我が国の周りにいる国々がどれほど信用できない国であるか、お分かりでしょう」

「……我が国主導の一大経済圏を作れ、と?」

「端的に言えばそうです。それに口に出すのも憚れますが、我々は三菱や倉崎ほどの力はありません。

 彼らならば欧米が驚くような商品を適切な価格で卸せるでしょう。しかし我々はそうはいきません」

「良くても、列強の企業と同程度。もしも列強の気が変わって高い関税でもかけられたら目も当てられません」

「仮に安い人件費で輸出攻勢を仕掛けても、現地で不買運動をされたら大損なのです」

(下手に勢力圏を確保しても、そこで不買運動とかされたら、同じなのでは?)


 内心で突っ込む嶋田だったが、経営者達の苦労もわかるために、あまり強くは出れない。

 そもそも日米戦争になったこと自体、ある意味、夢幻会の失策の結果と言えなくともないので、自分達の

失敗によって苦労する人々に自助努力で何とかしろとは言えなかった。

 しかしここで下手に言質を取られるのも拙かった。何しろ、現在の危機的情勢下で日本が火事場泥棒を

目論んでいるなどという情報が飛び交えば、どんなことになるかは火を見るより明らかだった。


「彼らが我々を裏切ったのは、我々に力が無いと思われたからです。

 ですが今は違います。支那の軍事力は大幅に弱体化し、米海軍アジア艦隊は壊滅しています。

 この状態で、我々に楯突こうとする存在はいません。ですので、皆さんは安心して商売ができるでしょう」

「では、帝国政府がこれまで以上に後援してくれると?」

「勿論です。加工貿易国家である我が国にとって海外との貿易は必要不可欠。その貿易を維持するために

 我々は総力を挙げます。あと市場については、政府でも色々と戦略を練っているので、安心してください」


 これ以上の答えは引き出せないと判断した重鎮達は引き下がった。

 嶋田はほっとしたが、次の話題に仰天することになる。


「そういえば、総理。政府や軍の重鎮の方々は随分と倉崎をご贔屓されているようですな。

 それにこっそり食事会を開くこともお好きなようで。是非、我々も御呼ばれしたいものですな」


 それは自分達も夢幻会の会合に呼べというサインであった。

 嶋田の周りで聞き耳を立てていた三菱や倉崎など夢幻会に属する企業の関係者は顔色を変えた。


「……(あの変態が多い会合に呼べ、と?)」

「かの会議では、様々な情報が行き交うと聞きます。それもこの世界では誰もが知りえぬ

 貴重な情報もあると。我が国が発展し続けているのもそのおかげとも聞きますが」

「そしてその情報の一部を受け取っている倉崎、三菱、帝国総合商社などの企業群は多大な恩恵を

 受け取っているとも聞きます。些か不公平なのでは?」

「勿論、ただでとは言いません。我々も出来る限りのお礼はさせていただきます」


 さすがの嶋田も返答しかねた。

 だがここでにべも無く却下することは憚れたので、とりあえずは、とぼけた振りをしてその場を逃れた。

 しかしいずれ返答しなければならないことは確実であったので、今後の展開に頭を痛めた。


(ソ連に続き、財界で夢幻会に属していなかった派閥まで夢幻会に近づこうとしている。

 もう少し機密保持に気をつけるべきだったのかも知れないな。いや結成後70年も経っている

 んだから、気付かれて当然なのか? 

 どちらにせよ、どこの誰を新たなメンバーに加えるかで、色々と問題になりそうだな)


 しかし自分ひとりで考えられるものではないとして、次の会合の席で議題にかけることにした。

 彼はパーティーを終えると、公用車に乗ってすぐに首相官邸に向かった。パーティーが終わっても彼に

安息の時間はなく、次の仕事が待っていたのだ。

 車で移動している最中、彼はこれまでの日米戦争の様子を振り返る。


(一応、今までは順調だった。中国沿岸とフィリピンの空海戦力を撃滅し、制海権を確固たるものにした。

 中華民国陸軍も大打撃を受けているから、南満州が危険にさらされる恐れはなくなった。

 南満州が安全になれば、資源や食糧の輸入がより効率的に行える。

 イギリスやニューギニアからレアメタルを輸入できれば、大馬力のエンジンの生産も順調に進むだろう。

 工業用ダイヤも手に入れば、工作精度の維持も期待できる)


 節操も無くイギリスが擦り寄ってくる光景は滑稽であったが、利用できるものは何でも利用しなければ

ならなかった。技術が如何にすぐれていても資源がなければ意味がないのだ。


(あと起こるかも知れない食糧危機に備えてオーストラリアから事前に食糧を買い付けるというのも手だな。

 たとえ食糧危機が起きなくとも、アメリカが崩壊して食糧輸出が滞れば転売して金儲けができるし。

 オーストラリアが直前になって拒んだら莫大な違約金をふんだくることだって出来る。

 ……いかん、何か考え方が辻っぽくなっている。いやそれだけ余裕がある証拠か?)

 
 日本経済が何とか順調に回っているのに対して、アメリカ経済は金融中枢の消滅から立ち直っていない。

企業の倒産、流通の混乱はいまだに続いている。ここで一気に攻勢をかければ戦局は決定的なものになる。


(これなら何とか太平洋艦隊を撃滅できそうだ。まぁ大抵の物語ならそれでアメリカが降参して終戦。

 日本の勝利でめでだしめでたしで終わるんだろうが……終わらないんだよな、それでは)


 アメリカに復讐戦を断念させるためには、アメリカに壊滅的打撃を与えなければならない。

 そもそも第一次世界大戦の教訓からも、相手の軍事力や社会制度を中途半端に残すと性懲りもなく復活して

再び戦争になることは判っている。ここは一気に叩く必要があるだろう。逆に考えると、衝号作戦がなければ

アメリカも同じ態度で日本を叩き潰すまで戦争を続ける可能性が高かったと言える。


(問題は英国が米国が滅ぶのを指を加えて見ているか、だな。何らかの形で妨害してくれば厄介だ。

 あの狂信者が率いる独逸も、白人国家である米国が黄色い猿に滅ぼされそうになったら動くかも知れない。

 しかしそうなるとかなりの激戦になるな。三職兼務は難しくなる……大臣か総長の座のどちらかは誰かに

 任せたほうが良いかも知れないな)


 ようやく本格的な攻勢に出始めたものの、前途多難な日本の行き先を思い、嶋田はため息を漏らした。









 あとがき

 提督たちの憂鬱第34話をお送りしました。

 ウェーク、青島陥落です。これによっていよいよミッドウェー作戦への道が開けます。

 帝国経済界は英国の裏切りを切っ掛けに大東亜共栄圏の構築を模索しています。

 嶋田さんたちも、独自の道を模索していましたが、下手にそんなことを目論んでいます

 なんて言えないので、敢えて誤魔化しました。

 それでは拙作にも関わらず最後まで読んでくださりありがとうございました。

 提督たちの憂鬱第35話でお会いしましょう。



 今回、登場した兵器のスペックです。

阿賀野型軽巡洋艦
基準排水量=6,900t
全長=158m 全幅=17.8m
主機出力=オールギヤードタービン2基2軸・52,000HP
最大速力=28kt   航続距離=18kt/8,000海里
武装
50口径14cm砲       2連装4基(前後2基づつ背負い式配置)
40口径12.7cm高角砲  2連装4基(舷側配置)
40o機関砲      4連装6基(内2基は第2、3主砲塔背後に設置)
20mm機銃        2連装10基
艦載機-水上偵察機2機
舷側装甲-主装甲帯76mm 甲板装甲32mm
砲塔装甲-前楯25mm 側面25mm 天蓋25mm



改阿賀野型軽巡洋艦
基準排水量=7,100t
全長=158m 全幅=17.8m
主機出力=オールギヤードタービン2基2軸・52,000HP
最大速力=28kt   航続距離=18kt/8,000海里
武装
45口径12.7cm高角砲  2連装8基(砲塔・前後2基背負い式配置、砲架・舷側2基づつ)
40o機関砲       4連装4基
20mm機銃        2連装10基
艦載機-水上偵察機2機
舷側装甲-主装甲帯38mm 甲板装甲32mm
(直線軸上の高角砲は、後発の艦は砲架式となっている)





伊吹型高速戦艦
基準排水量:38,000t
船体規模:全長 237.8m 全幅 32.8m
機関構成:オールギヤードタービン4基4軸 出力136,000HP
最大速力:30kt
航続距離:18kt/10,000浬
武装
   50口径41cm砲 3連装2基(前部集中背負い式配置)
45口径12.7cm高角砲 連装10基(左右舷側各4基 後部背負い式2基)
40mm4連装機関砲 20基
装甲
垂直装甲:368ミリ(14.5インチ)VH装甲板(+バックプレート22ミリ) ※20度傾斜、下端部は152ミリ
水平装甲:弾薬庫・機関部→127ミリMNC装甲+20ミリDS特殊鋼板
     尚、最上甲板は25ミリ、上甲板16ミリ、下甲板16ミリ。全てCNC装甲板
航空艤装:水上偵察機&観測機 計6機運用可能(機数内訳は状況により変化)