日本海軍がアジア艦隊撃滅の準備を進める傍らで、日本陸軍は満州で攻勢に出ていた。

 関東軍と支那派遣軍北支那方面軍は共同で奉天へ進撃した。張学良の出身母体である奉天軍閥の

根拠地であったために激しい抵抗が予想されたが、連戦連敗によって第一線の陸軍部隊は事実上壊滅

していたため、日本軍が進撃すると中華民国軍は無様に潰走していった。


「ここまで脆いとは……」


 首相官邸の閣議で報告を聞いた嶋田は、敵軍のあまりの脆さに驚きを隠せなかった。しかしこのままなら

楽に奉天を占領できると思い楽観的な気分となった。だが永田陸軍大臣や杉山参謀総長は渋い顔だった。


「……何か問題が?」

「連中は便衣兵や匪賊となって現地の治安を悪化させている。曲がりなりにも正規軍の装備をもって

 隠れたので、掃討は些か面倒なことになる」


 杉山の言葉に嶋田は苦い顔をして話を続けた。


「まぁ我が軍を狙う者は少ない。それよりも問題なのは一般市民への略奪行為をする輩が後を絶たないと

 いうことだろう。中支方面でも似たような状況が起こっている。正直言って現地の治安は悪化する一方だ」


 杉山に続いて永田が中国政府の動静を伝えた。


「現地の特務機関からの報告では中華民国政府は初戦の大敗と、頼みの綱の米国が津波で崩壊寸前に陥った

 ことでその求心力を失いつつあるそうだ。共産軍や旧国民党残党の蜂起も相次いでいる」

「共産軍や旧国民党軍が、現政府に協力する可能性は?」

「ないでしょうな。特に張学良は共産軍に恨まれている。それに彼は第一次満州事変でソ連の面子に泥を

 塗っている。ここで中国共産党が張学良に協力しようものなら、ソ連が支援を打ち切る可能性もありうる」

「だとすれば、中国は予定通り沿岸部と満州を制圧し、残りは放置しておけばいいと」


 これを聞いた辻が頷く。


「確かにそれが最も効率が良い方法でしょう」


 尤もらしく聞こえるが、実際には軍事予算を悪戯に増やしたくないのが本音であることは誰の目にも明らか

だった。嶋田は辻がまた辛辣なことを言うのではないかとハラハラしたが、辻はそれ以上のことは言わなかった。


(……さすがに、国家の命運を掛けた戦争である以上、普段のように金を出し惜しみするつもりはないか。

 それにこの戦争は何としても短期間で決着をつけなければならないからな。まぁそれなら、もっと軍事予算を

 増額して欲しいもんだ)


 戦時と言うことで普段からは考えられない位、軍事予算は増額されていた。戦時国債を発行し、増税を課して

予算を確保していた。これまで史実知識をもとに世界中から毟り取った富を活用し、日本は戦争を遂行しようと

していたのだ。勿論、史実以上に資金に余裕があるからと言って楽観できるものではない。戦争に勝ったものの

国が破産したら洒落にならない。

 しかし最近になって嶋田は、より短期間で決着をつけなければならないと感じるようになっていた。


(カナリア諸島が怪しいことが判れば、我々への疑惑が持ち上がるだろう。まぁ核爆弾で火山を噴火させた

 なんて真実には中々たどり着けないだろうが、日本が何らかの事情を知っていたのではないか位は思われる

 だろう……何しろ、これまで史実の情報をもとにやりたい放題してきたからな)


 対米戦争を勝利するために実施された衝号作戦。大西洋沿岸諸国に壊滅的打撃を被らせたこの作戦の

真実を知られないようにするために、日本は、いや、夢幻会は可能な限りの隠蔽工作を実施していた。

 だがいつまで真実を隠蔽できるかは判らない。何しろあまりに被害が大きすぎた。世界各地で行われて

いる戦争がひと段落すれば、間違いなく津波の原因を探る動きが出てくるだろう。

 日本が怪しいとなれば列強は、間違いなく調査を開始するだろう。それを見越して様々な隠蔽工作は実施して

いるが永遠に真実を隠蔽できるかは判らない。


(真実が明らかになった時に復讐されるのを避けるためにアメリカを完全に滅ぼし、ICBM、SLBMを整備

 する。だが力ずくで押さえ込んでも、反発は避けられん。海外で日本人を狙ったテロや犯罪が頻発するのは

 間違いない。そして日本の国力が衰えれば欧州諸国に復讐戦を挑まれるだろう。どちらにせよ茨の道だ)


 嶋田は日本の行く末を思うと暗然たる気持ちになった。勿論、彼は何とか少しでもよい未来を得るために

体と精神をすり減らす覚悟だが、それが報われるとは限らない。世の中は努力が必ず報われるようには出来て

いないのだ。


(いずれにせよ対米戦争を早期に決着させなければ……)


 この未曽有の大災害の中、ただ大した被害を受けていない唯一の列強・日本が、大災害で苦しむ米国相手に

戦い続けるというのは、見た目的に好ましくない。下手をすれば大災害に苦しむ列強に付け込んで勢力拡大を

目論んでいるように思われる可能性が高くなる。対米戦争は短期で速やかに決着させ、災害に苦しむ各国への

支援を行わなければならない。焼け石に水かも知れないが、多少なりとも対日感情を好転させる必要がある。


(それにしても、対米戦争をする破目になるとは思わなかった。これが歴史の修正力という奴か?)


 日米関係は悪くは無かった。一応、日米によって満州は共同経営されており、資本提携も行われていた。

しかし第二次満州事変、経済摩擦、チャーチルの死と日英同盟の空洞化に伴う国際的孤立、米国の対日強硬姿勢、

そしてフィリピン沖での輸送船沈没事件が、これまでの関係をぶち壊して日米を戦争に導いた。


(……これまでの経緯を見る限り日米戦争を避けるために打った手が悉く裏目に出ている気がする。

 満州経営で米国と組んだら、それが原因で摩擦が発生。日英同盟もチャーチルの死亡であっさり空文化。

 大陸への深入りを避け反日感情を煽らないように注意しても、今度は向こうが米中同盟を組んで日本を挟撃。

 ………今回の衝号作戦、また何か我々が想定していないトンでもない事態を引き起こしそうな気がする)


 嫌な予感が嶋田の脳裏によぎる。冷や汗が額に浮かぶのを感じた嶋田は慌てて嫌な予感を振り払う。


「今は、目の前のアジア艦隊撃滅に力を入れよう。他のことは、起こってから対処しよう」


 しかし彼の予感は、不幸なことに見事に的中することになる。








            提督たちの憂鬱  第29話







 1942年8月16日に大西洋で発生した巨大津波によって大西洋沿岸諸国は壊滅的な打撃を被った。

巨大津波の直撃を受けたアメリカ側の被害は言うまでもないが、余波(と言っても高さは5m超え)の津波が

押し寄せた欧州諸国の被害も決して軽微なものではなかった。

 ポルトガルは国家そのものが崩壊し、イギリス、旧フランス北部、スペインは沿岸部に甚大な被害を受けていた。

 枢軸の盟主であるドイツは幸運なことに比較的被害が少なくて済んだものの、対ソ連戦争で忙しいために同盟国を

支援する余力など無かった。それどころか、この巨大津波によって大西洋航路が暫く使えなくなった上、これまで

ドイツに資源を輸出していた南米諸国が甚大な被害を受けたために、戦争継続に必要な物資の確保が危ぶまれはじ

める始末だった。そんな中、ヒトラーはバグーを含むソ連南部の資源地帯の攻略を目的としたブラウ作戦の発動を

決定した。


「何としてもバグーを攻略するのだ!!」


 ヒトラーは総統大本営『ヴォルフスシャンツェ』の戦況会議室で、閣僚達に吼えた。

 しかし誰もが短期間でバグーを攻略できるとは思っていなかった。いつもは調子の良いことを言うゲーリングも

この時ばかりは安請け合いが出来なかった。


(((総統閣下、それは難しいかと……)))


 何しろヒトラー自慢の陸空軍は、ソ連と戦争を始めて以降、苦戦の連続であった。ポーランドを突破するだけ

でもドイツ軍は甚大な損害を被っていた。

 何しろソ連軍は日本陸軍の九七式中戦車を打倒するために次々に強力な戦車を開発していた。本来なら満州などの

極東の地で使われるべき戦車群は、独ソ戦の開始によってドイツ軍にぶつけられたのだ。ソ連軍にしてみれば幸運と

言うべきものであったが、実際には日本の、いや夢幻会の目論見どおりであった。

 一方、ドイツは強大化したソ連軍によって苦戦を強いられて不幸としか言いようが無かった。冬戦争の教訓をもとに

ある程度は機甲師団を強化していたものの、スターリンの厳命によって大幅に強化されたソ連陸軍を圧倒するほどの力

は無かった。

 ドイツ陸軍は冬戦争の教訓をもとに開発したY号戦車ティーガーTでソ連陸軍戦車隊の猛攻を凌ぎつつ、慌てて新型

戦車の開発を推し進めていた。しかし急いで開発していると言っても戦場に登場するまでには、かなりの時間が必要で

あり、当面はソ連戦車に対して非力な従来戦車とティーガーTで凌ぐしかなかった。

 しかしこのティーガーTはかなりの難物であった。88mm高射砲流用の88mmkwkを搭載し、ドイツでは初めて

の傾斜装甲を持つなど強力な戦車であったが、足回りに大きな問題を抱えていた。特にトランスミッションが頻繁に破損

するなどの問題があり現場からは不満が噴出していた。

 それでもソ連陸軍戦車隊の猛攻を凌ぐためには必要なので、各地で重宝されていたものの、対ソ連戦争に勝利するため

の切り札にはなり得なかった。

 さらにソ連空軍も予想以上に奮戦していた。日本の九六式戦闘機によって一方的に叩き潰されたために、スターリンは

強力な新型戦闘機の開発も進め、さらに航空戦力の強化も図っていた。このため史実以上にソ連空軍は強化されており

ドイツ空軍はバトル・オブ・ブリテン並みに消耗を余儀なくされた。

 軍事生産大臣であるシュペーアは独ソ戦で発生した損害を補填するために、過労死寸前になるまで働いたが、それとて

限界があった。さらに戦前に夢幻会が暗躍したせいでドイツの国力は史実よりも低下していた。西方戦役では勢いで何とか

押し切ったものの、その際に受けた損害も馬鹿にできるものではなく、その回復は容易なものではなかった。

 そんな中、外相のリッペントロップがヒトラーに提案した。


「閣下、この際、同盟国にさらなる兵力の派遣を要請するべきかと。特にイタリアは余力があります」


 しかしヒトラーは懐疑的だった。西方戦役であれだけ無様な真似を晒したイタリアが役に立つとは思わなかったからだ。

しかも独英停戦の際には大した役に立っていないにも関わらず自分達の権益を主張する始末。このためヒトラーの中では

イタリアに対する評価は急降下していた。


「ですが現状では兵力が足りないのも事実です。それに加えてこの大災害のせいで、イタリアも資源の輸入がロクに

 できない状況になっています。バグーの油を回すといえば兵を出さざるを得ないでしょう」

「むぅ……」


 枢軸国は慢性的な石油不足であった。ルーマニアの油田だけでは到底、需要を満たせない。人造石油などを使って

穴埋めはしているが、決して満足できる量を確保できないのが現状だった。さらにこの津波によって石油を輸出して

くれる国が消滅してしまった。あとは中東か蘭印から買うしかないが、英国や自由オランダ政府の統治下にあるために

買い付けることは困難だった。中東の油田を奪おうにも、対ソ連戦で手一杯のドイツにその余力は無い。


「この大災害で、イギリスも身動きは取れません。多少、地中海から兵力を引き抜いても影響はないかと」

「ふむ……仕方あるまい」


 こうしてドイツは自分達の生存圏を確保するために対ソ戦争に注力することになる。しかしそれは同盟国であった

スペインや、ドイツに併合されたフランス北部地方の復興支援を後回しにすることに他ならなかった。

 対ソ戦についての話がひと段落すると、彼らはこの大西洋沿岸を襲った大災害に関する話題に移った。と言っても

無い袖は振れないため、雀の涙程度しか支援できない現状を確認した後、この大災害の原因が話題の中心となった。

 いくら対ソ戦で忙しくドイツの被害が少ないとはいえ、人類史に残るほどの大災害の原因を放置する真似はしない。

ドイツも可能な限りの科学者を動員して原因の解明に当たっていた。そしてその結果が今報告された。


「怪しいのはカナリア諸島か」


 ヒトラーは『カナリア諸島』という言葉を聞いて露骨に顔を顰めた。何しろあの忌々しい日本人が白人から奪って

いった領土なのだ。人種差別主義者のヒトラーにとっては忌むべき地名でしかない。

 そして同時にヒトラーの脳裏にある考えが浮かぶ。


(ラ・パルマ島の噴火と同時に起こった大災害。火山噴火とあの巨大な津波には関係がある……そう考えるのが普通。

 しかし、噴火と津波、日本の対米宣戦布告が重なるとは、偶然としてはあまりに出来すぎている。

 だとしたら、あの黄色い猿が噴火する時期とそれによって何が発生するのかを知っていたと? 馬鹿な……)


 暫く熟考した後、ヒトラーは尋ねる。


「……日本の調査はどうなっている?」


 ヒトラーは黄色い猿であるはずの日本人が、僅か70年たらずで列強に追いつき追い越そうとする様は

彼の理解の範疇を超えるものであった。彼にとって日本人など物真似が上手いだけの劣等民族に過ぎない

はずなのだ。故に彼は日本人が、列強に知られていない『何か』を独占して今の隆盛を得ていると判断して

いたのだ。

 ドイツは当初、総合戦略研究所について調査していたが、優秀なシンクタンクという答えしか得られなかった。

さらなる調査を行っていたが、せいぜい総研の設立を政財軍の要人の集団が後押しした程度しか判明しなかった。

だがこれに満足するヒトラーではなかった。故に彼は調査を続けさせていたのだが、大戦勃発や対ソ戦の開始、

さらに巨大津波の発生によってその調査は暫く滞っていた。


「奴らが優秀なシンクタンクであるという報告はもう良い。

 知りたいのは、何故奴らがこうも高い確率で成功し続けられるかだ。連中が隠している『何か』を探るのだ」


 ナチスドイツが日本の力の根源を暴こうと画策する中、イギリスはドイツより一歩先んじて、ついに夢幻会の

存在を突き止めることに成功した。









 大英帝国帝都ロンドンの首相官邸では、時の宰相であるエドワード・ハリファックスは、イギリス諜報部から

齎されたレポートを読んで唸り声を挙げていた。


「信じられんほどの規模の組織だな、この夢幻会と言われる組織は」


 日本の信じられないほどの成長振りを疑っていたのはヒトラーやロングだけではなかった。列強に連なる国は

どこも大なり小なり疑っており、調査は行われていた。特にイギリスは津波以降、日本に再接近するため、日本の

どの組織と接触すれば最も効率が良いかを探っていたのだ。


「信じがたいですが、事実です。ですがこれほど多岐の分野にコネクションを持ち、才能溢れる人材に恵まれて

 いる組織なら、これまでの成果も納得できます」


 担当者の言葉に、ハリファックスも頷かざるを得ない。


「明治維新、日清戦争、日露戦争、第一次世界大戦、世界恐慌。これらの動きに彼らは全て関わっている。さらに

 政治、経済、軍事、科学、芸術……あらゆる分野に干渉して、日本の力を引き上げてきた。加えて人材も豊富。

 現在、日本で活躍している軍人、政治家、科学者、企業家、芸術家の多くがこの組織に所属するか、彼らから

 支援を受けているか……途方も無い話だ。しかもこれだけ多くの分野の人間が70年近く協力し合って

 国を支えてきた。全く羨ましいことだ。日本人というのはこうまで団結力が強いのか?」

「人によるかと。また夢幻会という組織は基本的に複数の組織が、利害調整をするための組織でもあるので長く

 続いているのではないでしょうか」

「政財軍あらゆる場所に根を張る談合組織か。しかし基本的には国益重視だろう。全くもって羨ましいものだ」


 イギリスは現在、壮絶な派閥争い、責任の擦り付け合いの真っ只中だった。

 ドイツ相手に実質的に敗北したため、戦争を推し進めていたチャーチルや時の軍高官への怒りの声が挙がった。

 これによって多くの軍人や官僚が失脚した。モントゴメリー、ダウニング、パウンド等の史実で活躍した面々も

軍から叩き出されたり、閑職に回されるなど悲惨なことになった。

 しかしこの巨大津波によってイギリスは大打撃を被り、擦り寄ったはずのアメリカが英国を切り捨てる動きを

見せ始めたので、今度は極端な親米政策を取ったハリファックス政権の責任を追及する動きが出始めたのだ。


(どいつもこいつも責任を擦り付けることしか眼中に無い。連中は今の我が国がどれだけ危機的状態かを

 理解していない! このままでは我が国はドイツに潰されるか、内部から自壊しかねないのだ!!)


 津波によって多くの都市が壊滅。さらに本国の弱体化に伴いインドなどの植民地では反乱が勃発。

トドメにこの津波によってニューヨークが消滅したことで第二次世界恐慌が発生。現在、大恐慌の真っ只中だ。

 企業の倒産と失業者の増加は鰻上り。さらにシーレーンの破壊によって資源の輸入さえ覚束なくなっている

と言う有様であり、今の状態が長引けば冗談抜きで共産革命が起きかねない。

 もしもそんな事態が起きれば独ソが動くのは間違いない。下手をすればスペイン内戦の再現になる。


(歴史にもしもはないが、日本が提案したように、ドイツに先制攻撃を仕掛けていたほうが良かったかも知れん)


 冬戦争で、バトル・オブ・ブリテンで、カナリア沖で発揮された日本軍の戦闘力から、1939年の時点で

日本の助言に沿っていれば戦争はここまで拡大しなかったのではないかと言う意見も出始めていた。

 チャンバレンの宥和政策に協力し、チャーチル亡き後、英独停戦交渉を主張するなど対独宥和派とされる

ハリファックスであったが、仮に先の大戦のように長引くことなくドイツを潰せることが判っていたら、かの

国に戦いを仕掛けることを躊躇しなかっただろう。


「しかし13年前の世界恐慌と同じように、今度の恐慌もあれだけ適切に対応できるとは……どうやってあそこ

 まで先を見通すことができるのだ?」

「不明です。日本でも夢幻会の恐るべき先見性については話題になっているようですが誰も知らないようです。

 空海立体攻撃を策定した嶋田提督、財務官僚としては右に出る者がいない辻氏、政界の纏め役である近衛公爵

 など先進的な政策を行う優秀な人材には事欠かず、組織間での意見交換も活発なので、そのためかと。

 噂では、魔術師が未来を占っているなどというものもありますが……」

「ふむ……高い分析能力を持ち、優秀な人材を豊富に揃え、省庁間の垣根を越えて協力し合えるか。

 羨ましい限りだ。確かにそれだけのことが出来れば、あれほどのことが成せるのも当然か」


 そう言うと、ハリファックスは担当者を下がらせた。担当者が下がると、津波発生後に改めて外相に任命された

アンソニー・イーデンが入ってきた。二人は最低限の挨拶をすると、すぐに本題に入る。


「日本は対米戦争をやめるつもりはないか?」

「はい。彼らはアメリカが弱った隙に、できるだけ戦果を拡大したいのでしょう。何しろ千載一遇のチャンスです」

「確かに。私でもフィリピンと中国大陸から米軍と中華民国をたたき出すまでは矛を収めたくない戦況だな」

「ですが、我が国としてはあまり日本が勢力を広げすぎるのも拙いでしょう」

「東アジアで強大な地域覇権国家が出現するからな。しかしそれを阻止する手立ても無い。下手に米国に肩入れ

 すればすぐさまシンガポールとオーストラリア、そしてインドが危機に陥る」


 インドは大英帝国の要。それが失われるようなことがあれば、大英帝国は欧州の片隅に浮かぶ島国に転落する。

故に彼らも下手に日本に手が出せない。何しろ彼らは一度日本を切り捨てているのだ。ここで敵対する素振り

を見せようものなら何が起こるかは想像に難くない。


「オーストラリアには、必要以上に米国に接近しないように釘を刺しておこう。

 日本が牙を剥く口実を与えないようにしなければならない。あと、日本への働きかけを急いでくれ」

「日本は我が国を裏切り者と呼んでいます。簡単には……」

「判っている。だが、この大災害から立ち直るには日本の助力が必要なのだ。それに日本だって米国との

 決戦後に講和の仲介役をしてくれる国を欲するはずだ。うまくすれば不可能ではないだろう。

 どうしても難しいなら、我が国が持っている特許や技術、それに中華の利権の開放などを餌にしても

 良い。金儲けを第一とする彼らならある程度は食いついてくる筈だ」


 ハリファックスは様々な餌を用意して日本の関心を買うつもりだった。勿論、好き好んで日本に餌を

与えたくはない。だが、もはや日本の助力なしには英国は帝国を維持できない状況にまで追い詰められていた。

米国と手を組むという戦略もあったが、津波の被害を受けて国家機能が半ば麻痺し、さらに先日発足した臨時

政府は困窮する英国から金と海外利権を毟り取ろうとする動きがあったため、パートナーにできなかった。

 もしも米海軍が日本に圧勝すれば、米国に尻尾を振らざるを得ないだろうが、米海軍の圧勝はないと

英国は読んでいた。何しろ米東部は壊滅し、軍政・軍令共に機能不全を起こしている。前線は満足な補給もなく

兵士の士気もガタガタの状態。これで万全の状態の日本海軍連合艦隊と戦って圧勝できるとは到底考えられない。

 良くても辛勝、下手をすれば日本海海戦並に一方的な大敗を喫する可能性さえあった。


(それにしてもこうも状況が変わるとは……まさかと思うが、日本、いや夢幻会はこれさえ見越していたのか?

 だとしたら日本との接近を果たせた暁には総合戦略研究所、いや夢幻会に直接、色々と教えを請わなければ

 ならないだろうな……やれやれ、世界帝国であった大英帝国が東洋の島国に教えを請わなければならないとは)


 半分本気で、そう思うハリファックスだった。







 津波によって大なり小なり被害を受けた英独と違い、ソ連は津波による被害はほぼ皆無であった。

それ故にスターリンは、これを機に体制の立て直しと欧州の共産化を目論んだ。


「この好機を逃してはならん!!」


 津波によって沿岸部が大打撃を受け、さらに第二次世界恐慌によって欧州経済は大きな痛手を被っている。

スターリンは欧州が混乱している今こそが欧州赤化の好機であると捉えたのだ。共産革命を煽る一方、正面の独軍を

叩き潰すために軍備の充実を図るのも忘れない。

 ヒトラーが対ソ戦争に総力を投じるのと同様に、スターリンも対独戦争に総力を投じようとしていた。

スターリンは対独戦争を大祖国戦争と名づけ、国民の士気向上を図ると同時に、必要な軍需物資の生産を最優先させ

ていた。これによりドイツ軍を苦しめるT−39中戦車とその改良型、さらに冬戦争の戦訓を基にして空冷エンジン

を搭載したIl−2シュトルモヴィク地上攻撃機が開発されて量産されつつあった。特にシュトルモヴィクは空冷に

切り換えたことで被弾に強くなり、さらに稼働率も向上しており、ドイツ軍にとっては非常に厄介な存在になった。

 だが、引き換えに民需生産は大幅に低下。また農業生産も働き手を戦争に取られたことで、低下していた。


「状況はかなり悪化しているな」


 スターリンは報告書を見て不機嫌そうに言った。クレムリンの会議室のメンバーは、スターリンがいつ癇癪を

起こすのかと冷や汗を流したが、意外とスターリンは冷静だった。


「同志ベリヤ、ヒトラーの奴は、モスクワを攻略するのを諦めたか?」

「はい。連中は現在、南方軍の増強を図っています。北方軍、中央軍には目だって増援は送られていません」

「ふむ。だとすると連中の狙いはバグーやその周辺の資源地帯か。奴らもかなり苦しいようだな」


 スターリンはドイツの狙いを見抜く。


「同志ジュコーフ、バグーは必ず守り抜かなければならん。連合国からの支援が期待できない以上、ここを失えば

 我が国の継戦能力は大幅に低下する。シベリアからも可能な限り兵力を引き抜き、増援に当てる。

 幸い日本はアメリカとの戦争に掛かりっきりだ。シベリアを手薄にしても問題は無いだろう」


 ジュコーフはすかさず頷いた。それを見たスターリンは満足げに頷くと、次の議題に移った。

 そして全ての議題を終えると、出席者は次々に退席していった。スターリンとベリヤを除いて。


「……同志ベリヤ、日本の調査はどうなっている?」


 スターリンの側近にして、NKVD議長であるラヴレンチー・パーヴロヴィチ・ベリヤはすかさず

NKVDが纏め上げたレポートをスターリンに差し出した。

 スターリンは差し出されたレポートを読むと、露骨に顔を顰めた。


「とんでもない組織だな、この夢幻会という組織は。アメリカが総研の背後を探っていた理由が判る」

「はい。ですが、これで日本の真の中枢が判明しました。この組織へ食い込めば日本の様々な情報を

 入手しやすくなるかと。幸い、我がほうのシンパがこの組織の重鎮の近衛公と仲が良いようなので

 そちらから情報を入手できるかと」

「そうか。彼らに何か動きがあったらすぐに報告してくれ」


 スターリンは日本を『油断も隙も無い強敵』と判断していた。

 何せ日本の妨害工作で重工業化が半ば頓挫。冬戦争ではご自慢の戦車部隊を良い様に蹴散らされた。

バトル・オブ・ブリテンやカナリア沖では、日本の航空戦力の強大さを見せ付けられた。

 スターリンは自軍がいかに弱体であるかに気付き、慌てて赤軍の強化を図ったものの、一朝一夕で

済むものではなかった。同時に赤軍の一歩も二歩も先にいる日本軍がどれだけ強大な存在であるかを

理解したのだ。


(彼らの先見性は、トハチェフスキーを上回るかも知れん……奴を粛清したのは間違いだったか)


 スターリンはかつて赤いナポレオンと呼ばれた赤軍屈指の名将トハチェフスキーを粛清した。彼の

軍事面での才能はスターリンが恐れずには居られないほど抜きん出ていたのだ。

 しかしトハチェフスキーに勝るとも劣らない先見性と、強大な政治力を持つ存在が日本に、ロマノフ

の忘れ形見がいる国にいる。それだけでもスターリンにとっては恐怖であった。


「アメリカは東部が壊滅しており、立ち直るのに半世紀は掛かるだろう。混乱している内にアメリカを

 赤化できれば東西から日本を挟撃できるが……その前にドイツを始末しなければならない。

 この落とし前はつけなければならん」


 ソ連は独ソ戦で少なからざる損害を被っていた。唯でさえ無茶な軍拡を行っていたせいで、ソ連経済は

ボロボロの状態だった。何としてもドイツから賠償金(物納でも可)を毟り取る必要がある。

 独ソ戦を早期に切り上げて満州に攻め込むというプランも考えられないことはないが、それをするには

ヒトラーに大幅な譲歩をする必要がある。さらに日本軍の実力を考慮すれば、満州制圧には多大な犠牲を

覚悟する必要がある。さらに日本と殴り合っている最中に、ヒトラーが再び襲い掛かってくる可能性が無い

とは言い切れない。

 故にスターリンは最初にナチスドイツを打倒するしか道は無かった。


「中国共産党には、日本軍へのテロ攻撃は避けるように伝えなければならんな。今、下手な口実を与えれば

 極東が危機に陥る」


 唯でさえソ連政府の人気は芳しくない。ここでロマノフの血を引く者達がソ連政府打倒を掲げて侵攻して

くればどんな事態が発生するか考えたくも無い。


「何から何まで日本に有利になるように動いている。いや、奴らがそのように仕向けていたというのか?」


 スターリンは忌々しそうに呟くが、ベリヤは何も言わない。ここで何かを言ってスターリンの機嫌を

損ねれば自分が粛清されることは判っていたからだ。尤も内心では早く悪態をついていた。


(報告が終わったから、さっさと戻りたいんだけどな……早めに仕事を切り上げて、趣味の写真撮影を

 したいんだよ)


 最近、無闇に女性に手を出さなくなったベリヤは、写真撮影に力を入れていた。尤も被写体が問題だったが。


(ふふふ。今日はモスクワで見つけた、あの美少女にメイド服を着せる日。ああ、楽しみだ)


 彼の趣味は美少女や美女にコスプレをして写真撮影をすることになっていた。勿論、定番はメイド服だ。

ちなみにベリヤが撮影した写真は、裏で取引され、高値で売れるときもあった。

 尤も趣味ばかりにかまけては居られない。何しろ現在、国の命運をかけた大戦争の最中なのだ。


(まぁ問題は対独戦争だな。ロマノフの血筋がいる国だが、それなりの対価を用意すれば、物資は用意して

 くれるだろう。ふむ、まぁこれ以上日本を強くしかねない政策はやりたくないが、背に腹は変えられんか)


 大西洋で発生した巨大津波によって多大な被害を被りつつも、各国は協力することなく自身の国益のみを

追求した。そしてこのことが、後に各国の命運を大きく左右することになる。









 あとがき

 お久しぶりです。提督たちの憂鬱第29話をお送りしました。

 今回はインターバル的な話になりました。次回以降、アジア艦隊との決戦になると思います。

 いよいよ夢幻会の存在が知られるようになりました。日本人陰謀論が出てきたら間違いなく名前が

 乗るでしょう。夢幻会についての情報収集はとりあえず英ソがリードといったところです。

 でも自分達を苦しめた組織が、あんな変態の集まりだってことが知ったらどうなることやら(笑)。

 それとベリヤさんが変態という名の紳士になりました。社会主義者はメイドスキーという言葉も

 ありますので、問題ないと思います(汗)。

 展開によっては富○フラッシュならぬベリヤフラッシュの使い手になるかも知れません(爆)。

 それでは拙作にも関わらず最後まで読んでくださり、ありがとうございました。

 提督たちの憂鬱第30話でお会いしましょう。



 ※追記(7月26日改訂内容)

 『世の中は善意が必ず報われ、悪意が裁かれる』を『世の中は努力が〜』に修正しました。




 それと今回、採用させていただいた兵器のスペックです。

Il−2シュトルモヴィク地上攻撃機
全長:11.6m 
全高:4.2m 
全幅:14.6m
最高速度:398km 
航続距離:900km 
実用上昇限度:5千m
自重:4640kg 
乗員:2名
エンジン:シュベツォフASh82空冷エンジン1850馬力
武装:23mm機関砲×2、7.62mm機銃×2、12.7mm機銃×1(後部銃座)
   爆弾800kg、もしくは無誘導ロケット弾×4




Y号戦車ティーガーT
全長 8.23m 車体長6.1m 全幅3.55m  全高2.91m
重量 44.5t  乗員 5名
エンジン HL174液冷ガソリン450HP 
懸架装置 トーションバーサスペンション 
転輪配置 オーバーラップ式(挟み込み式)
速度 39km/h  行動距離 180km
56口径88mm戦車砲KwK36×1
7.92mm機関銃MG34×2
装甲
砲塔    前面100mm/20度 側面60mm/21度 後面60mm/0度
車体上部 前面100mm/45度 側面60mm/20度 後面60mm/8度
車体下部 前面100mm/45度 側面40mm/ 0度 後面60mm/8度