上海、それは極東地域有数の大都市であると同時に米軍の中国進出の橋頭堡の一つであった。

 それゆえにこの上海には、多数の米軍部隊が配備されていた。表向きの名目は、現地のアメリカ人を野蛮な蛮族から守るため。

しかし実際には、その蛮族を相手にするには過剰と言えるほどの戦力が置かれていた。蛮族を潰すためなら、大型爆撃機など置く

必要は無い。複葉機でも十分なのだ。そのことを指摘されてもアメリカはこの土地に大兵力を置き続けた。

 アメリカが上海に配備した部隊の矛先、それは日本であった。アメリカは、対日戦争に備えて中国大陸沿岸に拠点を設けたのだ。

そしてそのことを日本政府は正しく理解していた。それゆえに彼らは、この上海に居座る米軍の速やかな排除を決断したのだ。

 現地に居る米軍は3個師団。これに対して日本軍は陸軍でもより選りの精鋭からなる2個軍7個師団を投入した。

 杭州湾への上陸の第一陣に参加したのは第5師団、第18師団、近衛第2師団を中核とした第25軍であった。強襲上陸作戦の

訓練をこなし、さらにカナリア諸島で実戦経験を積んだ将兵を擁する第25軍は、海軍の十分な支援のもと、悠々と上陸を果たした。

 上陸作戦を統括する神州丸に設置されている総司令部では、上陸作戦が当初の計画よりも順調に推移していることを聞いて東条は

胸を撫で下ろしていた。

 何しろ上陸作戦はリスクがつき物だ。もしも米軍が万全の準備で応戦してきたら、作戦が失敗していた可能性があるのだ。


「作戦の第一関門は突破できたな」


 東条はそう呟くと、上陸部隊の第二陣とした待機させていた第11軍を上陸させるように命令を下した。

 第11軍は第3師団、第6師団、第34師団、さらに戦車第2師団から構成される強力な部隊であった。東条は、第25軍と

第11軍の2個軍をもって上海の米軍を文字通り押し潰すつもりだった。


「史実米軍のように通信機能が整った司令部から指揮を取り、物量万歳のヤンキーを、物量で押し潰す……皮肉だな」


 神州丸の通信機能は大幅に拡充されており、上陸戦全体の指揮を取ることが可能であった。それは東条が、自分の愚痴を言う

ために推し進めた通信システムの整備がなせる業であった。これだけの大部隊を自在に操ることが出来るシステムを東条が作った

ことを知る幕僚達は、作戦成功の一件もあってか、東条に尊敬の視線を向けていた。

 しかし本人としては痛し痒しであった。


(言えない、今更言えない。日本陸軍の無線通信の充実が、2○hもどきを作るためだったなんて)


 東条は内心で、冷や汗を流す。


(まぁTVアニメを見たいからって言って、TVの開発とか急がせた連中だって居るんだ。それに比べたらまだマシさ)


 しかしそんな連中の暴走が、日本の電子技術の底上げを実現しているのを考慮すると、どっちがマシかなどと考えることは

無理であった。勿論、冷静に考えれば東条でもそう考えるだろうが、今はそこまで冷静に考えられるような余力はなかった。


「上海の米軍は?」


 東条の問いかけに、参謀長が答える。


「まだ出てきてはいません。ですが中華民国陸軍は福建方面に気をとられて動きが鈍いとの情報が入っています」

「福建の第3軍や第13軍に気をとられたか」

「はい。ですが、1個師団規模の部隊が米軍に合流しつつあるとの情報が入っています」

「それは本当か?」

「情報局や海援隊からの情報です。信頼度は高いと思われます」


 東条は眉をひそめた。


「確かに4個師団を相手にするとなると、骨が折れそうだ。支那の連中も、米軍が一緒となると張り切る可能性が高い。

 海軍に支援を頼むか……」


 東条は海軍へ支援を要請すると、次に満州の状況を尋ねた。


「あちらはどうなっている?」

「北支那方面軍、関東軍は錦州に展開していた中国軍を撃破し、遼河油田を確保しました。

 また朝鮮半島から北上した第4軍、第5軍は中朝国境を突破し北上中です。錦州の第6軍と共に遼陽の攻略を行います」

「今のところは順調だな。中華民国軍の残存兵力は?」

「満州に残された兵力は20個師団程度と推測されます。ですが、これまでの戦闘での消耗のために再編する必要がある部隊も

 あるので、実際に出てくるのは多くても15個師団、下を見るなら10個師団かと。

 米軍は根拠地であった青島で陸軍航空隊が壊滅していますし、各地の部隊も開戦初頭の攻撃で大打撃を与えていますので

 大した脅威にはならないと思われます。恐らく1個師団が関の山かと」

「北京への睨みは?」

「第12軍が睨みを効かせています。青島壊滅に伴い、海軍の第2艦隊も黄海に入り、支援を行っています」

「ふむ。北京の連中、今頃震え上がっているだろうな」


 東条はニヤリと笑うと、幕僚達に顔を向けて自信満々に言った。


「これから我々は中華民国陸軍、そして在中米軍との決戦を行う。その結果、多くの血が流れるだろう。

 支那は遥か昔、我々に様々な恩恵を与えてくださった恩師だ。そのことを考えると多少気が引ける。

 だがその恩師に、教え子がどのような成長を遂げたか、それを見せるのも、教え子の役目だ」


 この言葉に幕僚達は苦笑した。何しろ日本が近代において師と仰いだのは欧米列強なのだから。


「諸君、中華を、世界の中心を気取る連中に、近代の戦争がどのようなものか、それを教育してやろう」








             提督たちの憂鬱  第24話











 日本軍が杭州湾に上陸したとの情報を聞いた米中連合軍では動揺が走っていた。


「杭州湾に日本軍が上陸してきたというのは本当なのか?」


 上海に置かれた米軍司令部では、スティルウェルが情報が真実かどうか部下達に問い質していた。

 スティルウェルからすれば、幾ら米軍が混乱していたとは言え、短時間の間に日本軍がこうも迅速に杭州に橋頭堡を築き

あげたことが到底信じられなかったのだ。


「誤報ではないのか?」

「いえ、どうやら真実のようです。杭州湾には日本海軍の大艦隊が展開し、10個師団程度の大部隊が上陸しつつあると」

「10個師団だと……」


 本当は7個師団だが、それでも彼にとっては何の慰めにもならない。


「中華民国軍は?」

「福建方面や旅順方面での日本軍の攻勢を放置できないとして、上海への増援は難しいと」

「連中め、我々を見殺しにするつもりか?!」


 日本陸軍は各地で攻勢に出ていた。上海だけではなく満州でも北支方面軍が十分な航空支援の下、大規模な攻勢に出ており

各地で米中軍を撃破して回っていた。このため中華民国軍も迂闊に上海に増援を出すわけにはいかなかった。


「手持ちの部隊でまともに動かせるのは、第23師団、第1海兵師団、それに中華民国軍の第12師団のみ。これでは……」


 彼の手元には4個師団の兵力がある。しかしかといってその全てを日本軍迎撃のために向かわせることはできなかった。

 制海権を失った今、日本軍がいきなり上海に侵攻するということも想定しなければならない。全力で迎撃に向かった隙に、上海を

占領されたら堪らない。1個師団は上海に残す必要がある。よって彼は自身が率いる第25師団を手元に置こうと考えていた。


「上海の防衛を中華民国軍に任せ、全力で上陸中の敵軍を叩くというのは?」

「あの連中に、我が国の民間人を任せると?」


 中華民国軍の顧問として軍の練成に当たっていたスティルウェルは、中華民国軍の内情を良く知っていた。中華民国軍で使えそう

な部隊はソ連や日本の関東軍と対峙するために優先的に満州に回されていた。さらに共産党や旧国民党の残党を掃討するために内陸部

にも兵力を置かなければならなかった。加えて福建共和国に備えるために兵力を国境沿いに置く必要があった。そのために、上海防衛

のために回されている部隊は少なく、その質も期待できるものではなかった。

 スティルウェルは開戦直前に、中華民国軍が日本人が避難して空き家になった租借地に乱入していった光景を思い出した。


「奪え、殺せ、燃やせ!!」

「金目のものは奪いつくせ! 男は殺せ! 女は犯した後に売り飛ばせ!!」

「偉大な中華に逆らう日本鬼子に天誅を!!」


 金と女と殺戮を求めて乱入した中華民国軍兵士たちであったが、彼らは日本軍が残した凶悪な置き土産の犠牲となった。

 女を求めて部屋に乱入した兵士は、いきなり跳ね上がった床によって天井に叩き付けられ、落ちた途端に壁が移動してきて

外にたたき出される。


「な、何が?!」


 勿論、それだけで終わりではなかった。彼らが背後で鳴り響く轟音に気付いて、振り返ると巨大な鉄球が自分達に向かって

転がってきているのが見えた。


「「「うそ〜〜〜!!」」」


 慌てて逃げ出すも、逃げ切れるはずがなく、哀れにも不届きな兵士達は鉄球の下敷きとなった。

 金目のものを狙っていた者は、高値で売れそうな絵画を見つけるや否や、即座に取り外そうとする。


「くっくっく、高く売れそうな絵だ………しかし何で傾いているんだ?」


 そう呟いた瞬間、彼は部屋ごと吹き飛ばされた。


「日本鬼子はどこだ!!?」


 侵入した建物の部屋を片っ端から探して日本人を探していた者は、ワイヤーに足を引っ掛ける。


「何だ、この子供だましの罠は?」


 そう呟いた瞬間、横から爆風と700個もの小型の鉄球が襲い掛かり、彼の体をズタズタに引き裂いた。

爆音と悲鳴が日本の租界のあちこちで響き渡った。それは中華民国軍の兵士がいかに命令を無視していたかを示していた。

 中華民国軍は日本租界に設置されていたトラップによって少なからざる消耗を強いられた。さらにその無法な行いを

みたアメリカ人や諸外国の人間達は、中華民国軍に対して深い不信感を抱くようになった。

 スティルウェルは簡単に命令を無視して動いた挙句、いとも簡単に罠にかかり大損害を被る中華民国軍を見て、彼らが

本当に米国の同盟国に相応しい存在なのかどうか疑念を持った。そして開戦後、疑念は確信に変わっていた。


「それにこちらの戦闘機では奴らに歯が立たない。制空権がないと日本空軍に一方的に叩かれる」


 航空隊関係者は、この言葉を聞いて気まずそうな顔をした。

 いくら英国本土航空戦で日本の航空機が活躍したからといっても、ここまで猛威を振るうとは彼らは考えても見なかったのだ。


「しかし、このままでは日本軍によって後方を遮断されます。そうなれば、我々は孤立無援になります」

「それに福建から北上中の日本軍部隊が合流すれば、敵はこちらの3倍以上になります。ここは多少の犠牲を覚悟しても打って出る

 べきです」


 幕僚達の反論を受けて、スティルウェルは沈黙した。

 それに追い討ちをかけるように、第1海兵師団師団長のヴァンデグリフト少将が攻勢に出るように主張する。


「確かに航空隊は大きな痛手を受けています。しかし、まだ我々は戦えます」

「………」

「確かに現状は苦しいかも知れません。ですが太平洋艦隊やアジア艦隊は健在です。ここで粘れば本国からの支援も期待できます。

 陸軍が尻込みされるようなら、我々だけでも戦います。海兵隊は守りよりも攻撃に適していますから」


 この時点ではアメリカ東海岸が、いやアメリカ合衆国政府そのものが津波によって壊滅的打撃を被ったことを彼らは知らなかった。

あまりに短時間のうちに東海岸、政治・経済・軍事中枢が壊滅したので正確な情報が発信されなかったのだ。何せアメリカ国内でも

津波によって被害を受けたという情報に半信半疑になっている者もいる程だ。本国から遠く離れた場所に居る彼らが東海岸の状況を

正確に把握できるわけがなかった。

 さらに日本と戦端を開いてから、極東アジア全域で戦闘が拡大し情報が錯綜していたことも大きかった。


「………」


 部下達の意見、そして自分達の置かれている状況から、スティルウェルは自身が取るべき道を考える。

 目をつぶり、腕を組み、熟考した末、彼は決断を下した。


「全軍を挙げて杭州湾の日本軍に決戦を挑む」


 この言葉に全員が頷くが、その直後、スティルウェルはこの場にいる人間が予想だにしないことを言った。


「ただし上海は放棄する。我々は杭州湾の日本軍を撃破した後、南京に後退する」

「上海を放棄するのですか?!」

「我々がいかに奮戦しようとも、アジア艦隊や太平洋艦隊の支援が受けるまで、上海は維持できないだろう。

 今のところ制海権、制空権はともに日本軍が握っているのだ。下手に上海に居座り続ければ、この都市が火の海になる。

 そうなれば、多くの民間人が犠牲となる。そのような事態は避けなければならない」

「では、上海に無防備都市宣言を?」

「止むを得ないだろう」


 こうして米中連合軍は、その総力を挙げて杭州湾に展開する日本軍に戦いを挑むことになる。







 上海で日米双方が決戦を目論んでいる頃、満州では中華民国が自軍から選び抜いた精鋭12個師団を奉天に集結させていた。

開戦と同時に日本の先制攻撃で米中連合軍は少なくない打撃を受けていたが満州から撤退する気はなかった。

 彼らは在中米軍の航空隊の支援の下で、日本陸軍の撃滅と旅順基地の攻略を目論んでいた。当初は日本の租借地や遼河油田の

ある盤錦市の攻略も目論んでいたのだが、開戦初頭の日本軍の奇襲攻撃で各地の部隊が少なからざる損害を被り、その実行は

難しくなっていた。さらに日本の租界や施設周辺には米国の租界があった。

 もしも中華民国軍の兵士が米国の租界で揉め事を起こせば厄介なことになる。よって中華民国軍はある決断を下した。


「美国人に戦禍が及べば、両国の関係に罅が入る。租界については美国軍に任せる」


 旅順攻略軍司令官に任じられた張景恵大将はそう言って攻撃目標を軍事施設に絞ったのだ。ただ理由はそれだけではなかった。

日本軍航空隊の実力を知った中国軍首脳部は日本軍の飛行場がある旅順を速やかに攻略しなければならないと判断していた。

それは軍事的脅威を速やかに取り除くことだけが目的ではなかった。彼らは米軍の航空機を圧倒する日本軍機の鹵獲を目論んでいた。

整備方法などについては日本軍捕虜を虐待してでも聞き出すつもりだった。もしも自分達で扱えないようなら日本人をこき使って

運用するつもりだった。


「あの機体があれば奴らに頭を下げなくても済む。くそ、日本鬼子に負けるような弱い機体を回したくせに偉そうに」

「関東軍さえ撃滅すれば、油田などすぐにでも占領できる。油田さえあれば、自前の軍備も強化できる」


 中華民国軍の航空隊関係者はアメリカ人の教官や顧問を忌々しげに見ながら、そう呟いていた。

 一方で米軍関係者は不安を隠しきれなかった。


「切り札である列車砲がない今、旅順要塞攻略は難しいぞ」

「最新鋭のP−38でも歯が立たないとは……ジャップの実力を甘く見すぎていたか」

「この分だと、M2中戦車でもどこまで役に立つか……」


 満州に派遣されていたアメリカ陸軍第1騎兵師団では、今後の戦況について悲観的な意見が飛び交っていた。

何しろ味方の飛行機は開戦初頭に日本軍の隼や飛燕によって一方的に駆逐され、基地は猛烈な爆撃を受けた。

これによって旅順要塞攻略の切り札として満州に持ち込まれた列車砲リトル・ボーイはその大半がスクラップとなった。

さらに戦車、トラックなど多数の車両も被害を受けており、第1騎兵師団の戦闘力は大きく低下していた。だがこのまま

留まっていても日本軍の空爆によって戦闘力を失ってしまうのは明白だった。

 この絶望的とも言える戦況の中、第1騎兵師団師団長のジョージ・パットンは中国軍と共に進撃することを決断した。

 
「怖気づいて立ちすくめば、より多くの死者が出る。この際、多少の危険を冒しても進撃するべきだ!!」


 そう言ってパットンは幕僚達を鼓舞した。しかし同時に内心では、ソ連軍を圧倒した日本軍との戦いに胸を躍らせていた。


(日露戦争、そして先の冬戦争でコミーどもを蹴散らした連中だ。激しい戦いになるだろうが、最後に勝つのはこの俺だ)


 パットンは残存航空戦力を結集させて制空権を短時間でも維持し、その間に中国軍と連携して日本軍を撃破する気だった。

彼自身が率いる第1騎兵師団はその機動力にものを言わせて遊撃戦を行うつもりであった。

 旅順自体を攻略するのは難しいかも知れないが、日本陸軍を遼東半島に押し込めれば、北京に安全に後退することも

不可能ではなくなる。彼らは自身と租界にいる民間人の安全を確保するために決戦を挑むつもりだった。

   しかし彼らの動きは関東軍司令部、そして支那派遣軍司令部に察知されていた。







 旅順に置かれた関東軍司令部では、関東軍司令官梅津美治郎大将が中華民国軍が南下中との報告を受けていた。


「偵察機の報告によれば、10個師団以上の支那軍と米軍1個戦車師団が南下中とのことです」

「想定どおりだな………」


 梅津大将はそう呟くと、若干顔を顰めつつ、軍人にも関わらず軍服ではなくビジネススーツを着て、さらにその上にコート

を羽織り、さらに頭に帽子を被った一人の男に視線を向けた。


「………君の仕事の内容は判っている。格好に今更突っ込むつもりも無い。しかし珍妙なお土産はどうにかならないかね?

 あと司令部にいきなり現れるのも自重してもらいたいのだが」


 梅津はそう言いつつも、あまり効果は無いだろうなと思っていた。


「ははは、お気に召しませんでしたか。それでは、今度は東南アジアの奥地で手に入れた……」

「いらん。さっさと本題に入りたまえ、村中大佐」


 その男の名前は村中孝次。史実では皇道派に属し、永田鉄山の暗殺の遠因を作ったうえに2.26事件を引き起こした人物だ。

彼自身は逆行者ではなかったのだが、辻や近衛、真崎、さらに陸軍のMMJシンパと幾度にも及ぶ『話し合い』の末、総研の

進める政策に心酔(?)するようになり、夢幻会派の人間として情報機関に勤めるようになっていた。


「では報告します。ソ連極東軍は米中軍に加担する気配はありません。これで我が軍は二正面作戦は避けられるでしょう。

 それと工作員を通じて日本陸軍は大陸及び比島侵攻に力を注ぎ、シベリアへ侵攻する計画はないとの情報をあちらに流した

 のでソ連軍では安心してシベリア鉄道を使って軍需物資や兵員を西に運び出しています。連中の戦力は最低限になるかと」


 この言葉を聞いて梅津は胸を撫で下ろした。


(ソ連の介入はこれでない。これで仮に奉天を落せなくても、支那軍を日干しにすることは出来る)


 梅津は、軍主流派、つまり夢幻会派のように中華民国軍に圧勝できるとは思っていなかった。

 負けるとは思っては居ないが、中華民国軍の牙城である奉天を制圧するのは骨とも考えていた。そのため、彼は独自に奉天を

孤立させて少しずつ敵軍を壊死させていくことを考えていた。

 しかし村中はそんな梅津の胸中を見抜いたのか、冷や水を浴びせる。


「ですが、あまり戦いが長引きすぎればソ連が、米中に恩を着せるために何かしら支援をする可能性もあります。

 大軍を満州に長期間展開させつづけるのも兵站への負担が大きすぎます。政府は短期での勝利を望んでいるようですが」


 梅津は渋い顔で反論する。


「関東軍も第27師団と第5戦車師団、第16混成旅団を第6軍の支援に回す。これだけあれば負けることはない」

「圧勝もないと?」

「……今までどおり総研や参謀本部が机上で練った作戦通りに戦争がうまくいけば苦労はしない。保険は必要だ」


 無謀と思われた開戦と同時にアメリカ東海岸が津波で壊滅し、東アジア各地に展開していた米中軍への奇襲は大成功を収めた。

まるで八百万の神々が日本に、総研の計画通りに勝利を齎そうとしていると言わんばかりの展開だ。これを受け幕僚達の中では

威勢のいい人間が増えている。しかしながら梅津はそんな雰囲気に呑まれることなく、少しでも日本が有利に戦えるように

策を練っていた。


「確かに閣下の仰るとおりでしょう。では私は連中の後ろで小火騒ぎを起こして引っ掻き回しておくとしましょう」


 そう言って村中は司令部を後にした。


「さて、忙しくなるな」


 村中は中華民国内部に燻る不満を煽り立てて、中華民国を内部から突き崩すつもりだった。

 旧国民党の残党勢力や、共産党、米国の進出によって大打撃を受けた犯罪組織……使える駒はいくらでもあった。

さらに米国は津波で大損害を受けている。今はまだ小康状態だが、いずれは経済の崩壊が全土に波及して戦争どころでは

なくなる。そしてその混乱を日本がさらに煽り立てれば……日露戦争のロシアのようにアメリカは内部から崩れる。

アメリカが居なくなれば、張学良の中華民国など問題にならない。東アジアは日本の独壇場だ。


「しかし、さすがは総研、いや夢幻会だ。ここまで見事に窮地を好機に変えるとは……それゆえに勿体無い」


 村中は総研、そして夢幻会の能力は高く評価していたが、今のあり方については不満を抱いていた。


「何故、自由民主主義に拘るのだ。議会政治など衆愚政治の尤もたるものだろうに」


 村中は東北の農村出身の兵士達から農村が如何に貧困に喘いでいたかを聞き、その貧困を放置した政府に憤りを感じていた。

 貧しい農村は貧困に喘ぎ、次男、三男は高等教育を受けられないため低賃金の労働に従事するか軍隊に志願するしかなく、

娘は売りに出されることもしばしばあった。小作農は地主に搾取されて生かさず殺さずの暮らしを余儀なくされ、集団で地主に

抗議しようものなら容赦なく弾圧された。

 夢幻会による経済成長戦略によって日本は史実より豊かになっていたが、貧困の撲滅は中々困難であった。

 しかしそんな状況は1930年代になって漸く終わりを見せた。政府機関を掌握した夢幻会が世界中から毟り取った金を国内に

投資したためだ。

 夢幻会はこれまで貧困に喘いできた農村にも富が回るように様々な政策を実施した。故郷を救われた農村出身の将校からすれば

政策の担い手であった総研、そしてその背後の組織・夢幻会は救世主だった。

 一方で数々の政策に反対して、既得権益を貪り、貧困を強いた人間達を彼らは憎悪していた。それゆえに彼らは総研や夢幻会

が影響力を持つ今の体制を米国と中国によって破壊されることを恐れた。もし総研や夢幻会が無くなれば、またあの辛く貧しい

時代に逆戻りさせられるかもしれない、そう考えたからだ。彼らは故郷の親しい人たちの命と生活を守るために持てる限りの力

をこの戦いに注いでいた。

 そんな中、村中など一部の将校はこの戦争を切っ掛けにして、国の足を引っ張る無能な政治家やマスメディアを粛正しつつ

夢幻会そのものを表に出し、より効率的な国家体制の構築を図るべきではないのか、とも考えるようになっていた。


「物事の正否は考える頭脳の数では無く頭脳の質によって決まるのだ。民主主義よりも賢者の政治、賢人政治こそが優れた政治

 ではないのか? 実際、我が国はその政治のおかげで列強でも指折りの地位を得たはずだ」


 夢幻会は自由民主主義を標榜しているものの、実際にやっていることは傍目から見れば賢人政治そのものだった。
 
そしてその大半が成功を収め、国民を豊かにしている様を見ると、わざわざ手間をかけて民主主義の手順を踏む必要があるのか

どうかが彼には判らなかった。

 もしも夢幻会の重鎮がその疑問を聞いたら笑いながら答えるだろう。「独裁国家だとオタ文化が広められないし、コミケみたい

な大規模なイベントを自由に開くことができなくなる。豊かな文化は自由の中で生まれるものだ」と。


「まぁ良い。この戦争で日本が勝利を収めれば夢幻会を中心にした今の体制は磐石となる。今は目の前のことに全力を尽くそう」





 中国大陸で決戦の機運が高まるのとは反対に、フィリピンでは日本軍の海上封鎖と定期的な空爆が続くだけであった。

アメリカ極東軍司令部では、マッカーサーがアジア艦隊司令長官ハート大将と今後に取るべき道について話し合っていた。


「正直に言って、ジャップの航空兵力は戦前の予想を遥かに上回るものだ。我々では全く歯が立たない。

 台湾に反撃を加えようにも、爆撃機の大半は開戦初頭に大半が破壊されてしまった。アジア艦隊で台湾を攻撃できないか?」


 マッカーサーの言葉にハート大将は首を横に振った。


「現在、フィリピン周辺は日本海軍によって封鎖されています。台湾へ向かうとなれば、まず日本艦隊と戦うことになります。

 太平洋艦隊や中国大陸沿岸の部隊が健在だったなら、台湾攻撃も可能だったのですが、現状では、奴らの主力とぶつかること

 になります。はっきり申し上げますと勝算は低いでしょう」

「太平洋艦隊の支援はないと?」

「大西洋の大波によって東海岸はかなりの損害を被っているようで、キンメル提督は独断で真珠湾の艦隊の一部を本国に回航する

 ことを決定したようです」

「………やはり政府中枢が壊滅したということか」

「はい。海軍作戦本部などワシントンDCの政府機関を含め、東海岸の主だった基地、政府機関との音信が途絶しています。

 太平洋艦隊司令部の未確認情報によればワシントン、ニューヨークなどの東海岸主要都市が根こそぎ消滅したとのことです。

 話半分としても我が国の金融中枢は暫くは機能停止、大西洋艦隊の艦艇と建造中の新型艦は軒並みスクラップでしょう」


 フィリピンも日本軍の攻撃によって混乱していたものの、中国大陸ほどの混乱はなかった。このため彼らはハワイの太平洋艦隊

司令部と連絡を取り合い、本国の様子をある程度は把握していたのだ。

 尤も本国の様子がある程度伝わるに連れて、幕僚達の間に不安が広まった。

 何しろ本国がそれだけの災害に見舞われたということは自分達の肉親も被害を受けている可能性があるのだ。不安を感じるのは

当然の成り行きだった。さらに言えば本国がそんな災害に見舞われたということは自分達を支援する余裕が全く無くなったという

ことになる。いくら日本人を見下している軍人でも、本国からの補給なしに戦えると考える軍人はいない。


「本国の状況については緘口令を出して、口止めしています。ですがいずれは……」


 ハートはそこまで言って口をつぐんだ。


(短期決戦を挑んでも勝算はなく、持久戦をとっていれば本国の様子が知られて軍の士気が崩壊してしまう……どうする?)


 マッカーサーは手詰まりの状況に黙り込んだ。

 だがさらにマッカーサーにとって頭が痛いのは、この状況が続けばいずれはフィリピン経済が破綻しかねないところ

だった。アメリカはフィリピンを植民地にしていたが、史実の日本のように植民地に工業基盤を築いたりはしなかった。

 このためフィリピンの経済を維持するには貿易が不可欠。しかし日本軍の空爆と海上封鎖が長引けば、貿易が途絶え

フィリピン経済は破綻し、内部から崩壊する可能性が高かった。

 フィリピンに多くの利権を持っているマッカーサーからすればそんな事態は到底容認できるものではない。


(最悪の場合は英領シンガポールか、オーストラリアに逃げ込むしか道は無いか。

 しかしそんなことをすれば私の名誉は地に落ちる。一戦も戦わずに引き上げることなどできるわけが無い)


 プライドが高く、虚栄心が強いマッカーサーからすれば一戦も戦うことなく敵から逃げ出すことなどできはしなかった。

もしもそんなことをすれば「臆病者」「卑怯者」のレッテルを貼られる。それはアメリカ人にとって尤も忌むべき物だ。


(こうなれば政府が速やかに再建されて、対日講和を早期に行うことを願うしかないかも知れん。いや、ここは私自らが

 動くか……待て、私が自ら行けば敵前逃亡となるやも知れん。ここは腹心を本土に)


 マッカーサーが黙り込む傍らで、ハート大将は如何にしてアジア艦隊の戦力を保持するか悩んでいた。


(東海岸が大打撃を受けた以上、暫く軍備増強は考えられない。現状ではリスクの高い作戦を行って主力艦を喪失する

 ような真似は避けなくては……)


 彼はアメリカが対日戦争を行う余裕がないことを認識しており、いずれ講和を余儀なくされると考えていた。

 そして講和した後に日米の軍事バランスをある程度保つためには戦艦を保持しておかなければならないとも考えていた。

 この時代、戦艦こそ戦略兵器であり、その数は外交の場において重要なファクターとなっていた。ハートは自国が暫くの

間は戦艦を建造する余裕などないことを理解し、いかにして戦艦を温存するかに心を砕いていた。


(最悪の場合は、残った燃料を掻き集めて真珠湾に脱出するしかないな)


 もしもこのとき、彼らが残存する空海軍の戦力を全てすり潰す覚悟で、台湾へ攻撃を仕掛けていたら、いや何かしら

行動を起こしていれば、上海での戦いはもっと違ったものになったかも知れない。

 しかし開戦初頭に見せ付けられた日本軍の圧倒的な攻撃力と自軍の消耗が彼らを躊躇わせ、さらに建国以来初の大災害が

本国を襲ったことが彼らの思考力を低下させてしまった。

 こうしてアメリカ軍は自分達が置かれている状況を正確に掴めず、連携が取れないままで大陸での決戦に挑むことになる。













 あとがき

 皆様、お久しぶりです。提督たちの憂鬱第24話をお送りしました。

拙作の上に、更新するのが非常に遅かったにも関わらず、最後まで読んでくださりありがとうございました。

私生活が色々とゴタゴタしまして、書くのが遅れました。申し訳ございません。

前回で決戦と言っておきながら、戦闘シーンがありません。戦闘は次回に持ち越しになりました。

いえ、色々と書いていたら、戦う場面まで書けなくなりまして……次回こそは満州・上海決戦になると思います。

アジア艦隊との決戦はもうちょっと後になるかと。

それでは提督たちの憂鬱第25話でまたお会いしましょう。