1942年5月25日、満州の奉天にある中華民国軍陸軍基地に数発の銃弾が撃ち込まれた。これを受けた中華民国軍は直ちに厳戒態勢に
移るが、彼らの隙を突くかのように中華民国政府とアメリカ資本が共同で建設中の鉄道が何者かによって爆破される事件が発生する。
当初は誰もが共産ゲリラか匪賊の犯行と思っていたが、その考えは中華民国政府の発表によって覆された。
「これは日本軍による謀略である。我が国は自衛のために必要な措置を取る」
張学良はそう表明するや否や、満州の日本の租界を包囲するように軍を展開し始めた。
勿論、これに慌てたのは日本政府であった。何しろ全く身の覚えが無いことなのだ。
「言いがかりだ!!」
日本政府は中華民国政府に抗議を行うと同時に、何故、日本の謀略と判断したかを問うた。
この日本政府からの問い合わせに対して、中華民国政府は「事件現場で日本製兵器が多数遺棄されていたこと、そして現場に日本軍人が多数
目撃されていること」を理由に挙げた。中国大使の重徳光は会談を終えるや否や、慌てて大使館に戻り中華民国政府の見解を日本政府に伝えた。
この大使館からの報告に、政府は大騒ぎとなった。
「万が一もないと思うが、陸軍の特務機関か現場将校が暴走した、ということは無いのか?」
近衛は閣議の席で、陸軍大臣の永田を問い質した。これを聞いた永田は顔を紅潮させ、断固とした口調で否定する。
「陸軍にそのようなならず者はいません!」
永田の迫力に内心気圧されるが、近衛は永田が嘘をついていないことを確信した。
「君がそこまで言うのなら間違いないな。だとすると中華民国の調査ミスか、それとも意図的に我々を陥れようとしているかのどちらかになる。
後者だとすれば、強力な皮肉だな」
史実の満州事変、鬼才・石原莞爾によって起こされたあの事件は、鉄道の爆破が口実だった。
今、日中の立場を逆転させて、似たような事態が起こっているのだ。皮肉としか言いようが無い。
「我々は常に最悪の状況を想定して行動する必要がある。ここは彼らが日本へ本格的な攻撃にでることを目論んでいると仮定しよう。
軍の準備は整っているのだろう?」
「勿論です。関東軍の展開は終えています。ただし短期的には満州の租界から撤退せざるを得なくなるでしょう」
中華民国軍による無法な攻撃に備えるためとして、陸軍参謀本部は関東軍を租界防衛のために出動させていた。
ただし日本政府、いや夢幻会は中華民国軍が本気で各地の租界地に侵攻してきた場合、これを防ぎきることは不可能と判断した。そのため
民間人に避難を準備させた。
尤も日本は満州から完全に撤退する気はなかった。彼らは本土で反撃の準備を整えて、再び大陸に進撃するつもりだった。
「陸軍は大陸での反撃を行うために、支那派遣軍の編成に取り掛かりました。彼らならば必ずや中華民国軍を撃破してくれるでしょう」
支那派遣軍は、陸軍きっての精鋭部隊で編成されていた。装備も充実しており、九七式中戦車改や、一式軽戦車が配備された戦車第1師団も
参加している。勿論、その分だけ、物資も予算も馬鹿食いする存在でもあった。平時なら辻が色々と文句をつける存在だった。
しかしながら今は戦時と言っても良い状況なので、さすがの辻も予算に糸目は付けれなかった。彼は不満を抱えつつも、必要な予算を集めたのだ。
「指揮官は?」
「東条です。彼は空陸共同作戦に精通しています。この戦いで必ずや最大限の戦果を挙げてくれるでしょう」
「海軍はどうなっています?」
「第11航空艦隊を朝鮮半島に展開させます。また第1艦隊、第3艦隊を出し、マニラと上海の米軍を牽制します。
さらに遣支艦隊を編成し輸送船団の護衛、沿岸への攻撃にあてます」
こうして日本は対中戦争への準備を進めた。
だが彼らは決して話し合いによる解決を諦めたわけではなかった。対米戦争を招きかねない対中戦争など、やらないに越したことは無いのだ。
しかしアメリカのバックアップを得ていると思っている中華民国は強硬な姿勢を崩さなかった。彼らは日本の特務機関の活動の制限や関東軍の縮小
さらに今回の被害の賠償など日本が呑めるわけが無い提案を突きつけた。
この中華民国の姿勢に困った日本は、これまで大して期待をしていなかった国際連盟に、中華民国の行為を訴えた。
日本はここで中華民国の要求が通れば、中華民国での列強の利権も脅かされかねないと主張したのだ。日本はイギリスを自分達に同調させて連盟主導に
よる調査を行えば、自身の身の潔白を証明できると考えていた。
しかし中華民国はこれを2カ国間の問題として、第3国による介入を拒否した。加えて、国際連盟にオブザーバーとして参加しているアメリカも
この問題は日中間の問題と言って、調査団の派遣に慎重な姿勢を見せた。
「アメリカは、中国と一緒になって我々を嵌めるつもりか」
米国が日本を疎ましく思っているのは判っていた。故に一連の報告を受けた夢幻会は今回の事変は米中の共謀のものではないかと考え始めた。
「中国と全面戦争になれば対米戦は避けられない。やはりアメリカとは一戦交える運命なんでしょうか……」
対米戦争への備えを整えながら、必死に戦争回避の道を模索していた嶋田は深いため息をついた。
「それが歴史の必然という奴なのでしょう……すでに大蔵省は万が一の事態に備え戦時国債発行の準備を進めています」
辻の台詞に、軍人達は重苦しい顔で頷く。衝号計画が間に合わないとなると長期戦しかないのだ。
(このままだと米中を相手に戦わなければならないか。失敗すれば、未来の人間から愚か者と笑われるだろうな……)
史実の惨劇を回避しようとして、史実と似たような状況に陥ったことに、会合のメンバーは苦笑いを隠せなかった。
日本が対米戦争を覚悟する一方、アメリカのホワイトハウスではロングの激怒の声が挙がっていた。
「余計なことを!!」
ロングが見ていた書類には、この満州での銃撃事件が実は張学良による自作自演のものであったことが記されていた。
「しかしこのことがいち早く判っただけでもよかった。他国によって暴露されていたら大変だった」
アメリカは日本よりも大陸に深入りしていた上に、中華民国軍への肩入れも行っていたので、情報を集めやすかったのだ。
「如何しましょうか?」
「証拠の隠滅を図れ。これ以上、中華民国の無法さが暴露されたら、世論がどう動くか判らない」
アメリカは日本を嵌めるために連盟の調査団の派遣を拒んだわけではなかった。ことの真相が明らかになれば自分達に不利になることを
知っていたから、彼らは調査団を拒否したのだ。
ロングは日本を悪役に仕立てつつ、今回の件は最終的には外交交渉で事態を打開するつもりだった。何せ日本のプロパガンダによって中華民国
へのイメージは悪化している。彼らのために戦おうと主張しても受け入れられないだろう。
「仕方ない。日本を徹底的に悪役に仕立て上げろ。連中には泥を被ってもらう。ただ戦闘は拡大させるな。張学良に釘を刺しておけ」
そういってロングは中国を擁護することを決定した。しかし、彼は後に、このときの決断を大いに悔やむことになる。
提督たちの憂鬱 第21話
日本の訴えも空しく、国際連盟は中華民国の暴挙を咎めるようなことはしなかった。
それどころか日本への憎悪を滾らせているドイツを中心とした枢軸国は、中華民国の行動を正当な行為であると表明する始末だった。
中華民国のやり方を批判するのは、ソ連やトルコなど一部の国のみであった。
日本が孤立していることが明らかになって中華民国はさらに調子に乗った。彼らは租界を防衛する日本陸軍に対して執拗に挑発行為を行った。
関東軍将兵は史実に比べて大幅に強化された自制心を持ってこれに耐えた。しかし彼らの忍耐力がどれだけ維持できるかは判らなかった。
現地軍の怒りと比例するように、日本の世論も激昂した。
「中国に鉄槌を!!」
国会では、議員達が近衛内閣の弱腰を非難した。
「皇軍の実力があれば、中国軍など簡単に撃滅するころができるでしょう!」
「大陸の民間人を守るために、ここは断固とした措置を取るべきです!」
「このままでは皇国の威信を損ねます! 横暴な中国に鉄槌を下し、実力の差を思い知らせてやるのです!!」
威勢のいいことを言う議員達を、近衛内閣の面々や良識派の議員は苦々しく見ていた。
(威勢がいいだけで戦争に勝てたら苦労はしないのが判らないのか?)
戦争をする以上、勝つ必要がある。夢幻会は戦争に勝つためにあらゆる準備をしていた。今はその準備を行うために沈黙しているに過ぎない。
何せ夢幻会は戦争に勝つために、開発中の原子爆弾さえ投入するつもりだった。史実を知る人間からは狂気の沙汰と言われたが、今の日本には
手段をえり好みするような余裕は無かった。
しかしこれらの事項は大っぴらには言えないこと、そして万に一つもないだろうが、日中交渉がうまくいく可能性もあるので、近衛はあくまで
話し合いによる解決を目指しているといい続けたのだ。
「確かに皇軍の実力を持ってすれば中華民国軍を倒すのは可能です。しかしこのたびの戦い先の上海事変とは規模が違います。
事変ではなく、大規模な全面戦争となれば、貿易に支障がでるでしょう」
「ならば現地の関東軍だけで戦えばいい!」
この意見に永田が反論する。
「関東軍の兵力は3個師団、5個混成旅団、1個戦車師団、1個高射砲兵団、1個飛行集団です。満州、華北各地に展開する中華民国軍を相手にする
には兵力が足りません」
「兵力差は精神力があれば、何とか成る!」
「精神力があるだけでは戦えません!」
近衛内閣はやたらと威勢のいい議員たちを必死に押し留め、軍を統制しつつ、裏で密かに準備を進め続けた。
識者の中には、日本がこうして揉めている最中に中華民国軍が攻め込んでくるのではないか、と懸念する声が出たが中華民国軍は日本の租界を
封鎖するだけで中に一歩も踏み込んでこなかった。
「妙だな」
租界防衛のために出撃した陸軍第19師団の師団長・牟田口は、中華民国軍が一歩も日本側に侵入してこないことに違和感を覚えた。
租界の近辺では確かに日中軍による小競り合いが行われたが、未だに全面侵攻は行われなかった。
彼は司令部の机に置かれた戦略地図を見つつ、彼は参謀長に尋ねる。
「普段の連中なら我々を包囲している状況で、挑発行為をするだけでは済まない筈だが……」
「向こう側にも何かしら事情があるのではないでしょうか? どちらにせよ、こちらとしては有難いので良いのでは?」
参謀長の台詞に、牟田口は頷く。
「それもそうだな。で、民間人の避難状況は?」
「大方順調です。このままだと2日で避難は完了します」
「そうか……これで民間人の犠牲者は無くなるな」
「はい。置き土産も十分です。彼らには風雲た○し城並のアトラクションを楽しんでもらいます」
師団長と参謀長の言葉を聞いていた司令部のスタッフ達はニヤリと笑った。
現地軍が手薬煉を引いて中華民国軍を待ち構えている頃、日本国内では切り札となる原子爆弾の開発が進んでいた。
夢幻会は対米戦争勝利の鍵となるこの爆弾の開発を最優先として、様々な公共事業をカットして莫大な金をつぎ込んだのだ。その結果、日本初の
いや世界初の原子爆弾があと二ヶ月で完成するというところまで来ていた。これを受け、夢幻会は即座に会合を開いた。
「やっと世界初の原子爆弾が完成するのですね……ふふふ、全くこれにどれだけ金をつぎ込んだことか。10億を軽く超えていますからね」
辻はこれまでにつぎ込んだ莫大な金額を思い浮かべ、黒い笑みを浮かべる。
あまりにドス黒い笑みと波動に、他の出席者は腰が引けた。嶋田も内心、さっさと逃げたいと思ったが、敢えて勇気を出して話を進める。
「あとは核実験ですが、やはりカナリア諸島のどこかで行ったほうが良いでしょう。欧米列強、特にアメリカに対する示威行為にもなります。
うまく使えば外交交渉で、妥協点を見出せるかも知れません」
出席者たちは一様に頷く。
尤もカナリアで行うのは欧米に対する牽制だけではなく、日本への放射能汚染の影響を抑えるためでもあった。戦後生まれの人間にとって
核兵器と放射能汚染は切っても切り離せない問題だった。
「まぁ彼らが思ったよりも大人しくしているのが救いだな。何とか時間を稼いでアメリカを倒すための切り札を揃えなければ」
近衛の言葉に軍人を含めて出席者全員が頷いた。
日本が戦争回避のために色々と手を打っている頃、アメリカも同様にこれ以上の戦闘拡大を避ける努力を重ねていた。
中華民国首都・北京では、在中米国大使と在中米軍司令官が、張学良に彼らは合衆国がこれ以上の戦闘の拡大を望んでいないことを伝えた。
「何故です? 日本を満州から叩き出す絶好のチャンスではないですか」
張学良にとって、中華の大地に東夷の蛮人である日本がいることは耐え難いことであった。故に彼は策を弄して日本を追いやろうとした。
アメリカが内心では日本のことを苦々しく思っていることを知っている張学良は、アメリカが自分たちの行動を追認すると思っていたので
彼らの対応は想定の範囲外のことであった。
「今の段階で大規模な戦闘になれば、在中米国人にも多数の犠牲がでます。我々はそれを望んではいないのです」
在中米軍総司令官ジョセフ・スティルウェル中将の台詞を聞いた張学良は、皮肉を籠めて言い返した。
「ほぅ、つまり米国はチャンスがあれば、日本と開戦するおつもりだったと?」
「合衆国は常に平和を求めています。ただ、日本側が仕掛けてくれば話は別です。それに閣下、今回のようなことで開戦すると、後々で面倒な
ことになりますよ?」
彼はそう言うと、張学良に今回の一件についてアメリカが知っている情報を記した書類を渡した。
これを見た途端、張学良の顔が青くなった。
「こ、これは………」
「閣下、我々は貴方が中華民国のトップとして相応しいと思っています。故に………我々をあまり失望させないで頂きたい」
「………」
張学良は渋々とだが頷かざるを得なかった。しかし彼は同時に何としても日米を争わせることを決意する。彼にとって日本もアメリカも東夷に
過ぎない。今、アメリカに組しているのは、日本を潰すためでしかない。
(アメリカと共に戦い、遼東と台湾と海南島を奪い返す。そして日本を分割で占領して、あの工業力の何割かを手に入れてやる)
張学良の脳裏には、日本の西半分を制圧し、日本人の半数の奴隷のようにこき使って力を蓄えていく中華民国の姿があった。
(今に見ておれ、アメリカ人ども。中華を侮ったこと、必ず後悔させてくれる)
こうして中華民国と日本の全面戦争は一時的にとは言え回避され、第二次満州事変は幕を閉じた。
しかし中華民国軍は常に臨戦態勢を取ることになった上に、大陸における日本の経済活動は著しく制限されていった。さらにアメリカは極東の
安定を維持するためとして、アジア艦隊の増強を行うことを発表した。
太平洋艦隊のハワイへの移動、そしてアジア艦隊の増強。それらは日本への締め付けがより強化されることを意味していた。
中国大陸の利権を巡る日米の対立が激化するのを見て、イギリスなど連合国は、アメリカ側に立つようになっていった。
停戦したとは言え、未だにドイツとの緊張関係にある連合国にとって、日米を天秤に図るのは当然であった。そして彼らは、より多数の支援が
見込めるアメリカに擦り寄っていく。
チャーチルが生きていれば、ここまで連合国がアメリカに擦り寄ることはなかっただろう。しかし彼が死んだことで、イギリスはリーダーシップを
うまく取ることが出来なくなり、かつて自分達の植民地であったアメリカの機嫌を伺うほど卑屈になってしまった。
さらにソ連も、対ドイツ戦争で勝利を収めるためにはアメリカとの関係を崩すわけにはいかないとして、次第にアメリカ寄りの姿勢を見せていた。
何しろドイツ軍による攻勢は苛烈なものであった。ソ連軍は戦前から陣地を構築して地の利を得ていたが、ドイツ軍を押し返すことは出来ないでいる。
ここでドイツと米国が手を組めば、中立を守っているフィンランドが枢軸に加わる可能性が高くなる。仮にフィンランドが参戦すれば北欧から枢軸軍が
なだれ込むことになる。そんな事態は何とか避けたいスターリンは、アメリカ側に配慮せざるを得なかった。
一方、日本国内ではアメリカが中国を擁護する姿勢を鮮明に打ち出したことで反中機運に続けて、反米機運が高まっていた。おまけに自分達が支援した
はずのイギリスが、アメリカに尻尾を振っているのを見て、反英機運さえ出始めていた。そしてこれらの全てを抑える術を夢幻会は持っていなかった。
「やれやれ、世界はアメリカを中心に回っている、ということですか」
夢幻会の会合の席で、一連の報告を受けた辻はため息をついた。
「こちらが色々と策を練っても、圧倒的な国力にものを言わせてきたら、太刀打ちしようが無い」
そう言って、辻はアメリカ産のチョコを食べる。
「甘いものを思う存分食べて、車を思う存分に走らせて、自由な思想を思う存分に主張できる国、そんな相手を真っ向から敵にはしたくなかった」
日本が戦前から色々と練っていた戦略は、歴史の変動とアメリカの圧倒的なパワーによって事実上破綻した。
日本としてはあくまでも搦め手でアメリカと遣り合うつもりだったのに、いつの間にか、アメリカと真っ向勝負をせざるを得ない状況に追い
やられている。そして純然たる力で勝負を決めるのはアメリカの得意分野であった。
「『策士、策に溺れる』を地で行くことになるとは、ね」
嶋田もため息をつく。何しろアメリカは刻一刻と日本への締め付けを強化している。これまで、策を弄して何とかしようとしてきたが、遂に
それも限界を迎えていた。米国との対立は深まり、国内での反米機運が高まっている。内憂外患とはこのことだろう。
「海軍も反米、反英機運が高まって大変ですよ」
嶋田はそういってぼやいた。
軍内部では、遣欧軍まで派遣して助けたのに、あっさりアメリカに靡いたイギリスを裏切り者と見る人間が少なくない。一応、褒賞として
カナリア諸島の4島を手に入れたが、それらの真の価値を知らない人間からすれば、離れ小島にすぎなかった。
「国内では米中討つべしの機運が高まっている。今は何とか抑えているが、次何かあれば開戦は必至だ」
近衛の言葉に全員が同意した。何しろこの世界の日本はこれまで負け知らずで、日中戦争の泥沼も経験していない。加えて昨今の著しい経済成長で
国力は大幅に増強されている。これで威勢のいいことを言わない人間のほうが少ない。さらに核兵器のことを公表すれば、一部の人間はさらに驕って
強硬な姿勢をとることを主張するだろう。ここに至り、戦争をしないという選択肢は無くなったと言ってよかった。
「まぁ第二次満州事変でアメリカと中華民国の戦意が高いことは確認できました。そしてイザというときに日本を助けようとする国が無いことも。
こうなれば外道ですが衝号計画の実施に、異議を挟む人間も居ないでしょう」
嶋田の言葉に全員が頷いた。いくら良心が痛むとしても、自分達の命を賭してまで良心に従って行動する人間は、この中には居なかった。
「あとは何時、開戦し、計画を実行するかです。核実験が終わってからが良かったのですが、このままだとぶっつけ本番になりそうです」
これを聞いて近衛は爆弾発言をした。
「アメリカとの開戦が必至となれば、今の内閣では力不足だ。そこで、私は次の内閣総理大臣に、嶋田君を推したいと思うのだが」
「……はぁ?」
この言葉に嶋田の思考は一瞬、フリーズした。
「な、何を言っているんですか、近衛さん。貴方のほうがよっぽど政治家として相応しいじゃないですか」
「アメリカとの戦争となれば海軍が主役だ。主役を張る組織のトップが、総理大臣になるのは別に不思議ではないだろう」
この近衛の言葉に、伏見宮も頷いた。
「私は君に内閣総理大臣に加え、海軍大臣と軍令部総長も兼ねて貰おうと思っている。これなら首相が軍の作戦に大っぴらに関与できる」
「一人三役ってどこの独裁者です?! というかそれは史実の東条さんじゃないですか!」
「そうだ。君には最終的に独裁者になってもらう」
「対米戦争を遂行する独裁者………明らかな死亡フラグのような気がするんですが」
「大きくなりすぎた夢幻会の存在をうまくカモフラージュするには優秀な独裁者がいるのだよ。たとえ実質的には独裁者でなかったとしても」
さすがの嶋田もすぐに返事は出来なかった。何しろ対米戦争での指導者となり、対米戦争に負ければ間違いなく戦犯となる。
衝号計画が成功すれば、戦犯扱いは免れるかもしれないが、今度は大量虐殺者としての汚名を受けることになりかねない。
確かに勝てば、対米戦争勝利の立役者と称されるだろうが、全てを失うリスクは高い。ハイリスク・ローリターンの取引であった。
最初は断ろうと思った嶋田だったが、近衛や伏見宮の顔を見て、すぐにその言葉を引っ込ませる。
(これは要請ではなく、要求、いや命令に近いものか?)
この場で伏見宮が、嶋田に三役を任せることを表明したということは、すでに裏では調整が済んでいることを意味しており、拒否することは
出来ないことを彼は悟った。
(くっくそ。ここまで来て、最大の死亡フラグを立てることになろうとは!)
心の中で散々に悪態をつくが、もはや彼一人の意思ではどうしようもないことも彼は理解した。
彼が望む平穏を手に入れるには、これから起こるであろう対米戦争に勝ち抜き、日本に勝利と栄光を齎すしかなかった。
「……その役目、承りました」
こうして近衛内閣は総辞職し、対米戦争を指導するための嶋田内閣が組閣されることになる。
日本で嶋田内閣が発足し、アメリカとの戦争が現実味を帯びてくると、東シナ海でも日米の緊張は高まっていった。
日本側はフィリピンや上海に派遣されるアメリカの艦船について、これまで以上に情報収集を行い、状況の把握に努めた。アメリカ側も台湾や
海南島、さらに旅順の日本軍の戦力を把握するために、盛んに諜報員や偵察機を繰り出した。
そんな状況下で、アメリカの輸送船がフィリピン沖で原因不明の爆発を起こして沈没してしまった。しかもこの船は中華民国向けの軍需物資を
運んでいた。このためにアメリカのメディアはこぞって日本の陰謀と書き立てた。マスコミは日本軍が直接手を下しただの、日本が支援している
フィリピン独立派の仕業だと無責任な記事を書き、反日を煽った。
これに対して日本は身の潔白を主張するが、先の第二次満州事変で対日感情が悪化していたアメリカ国民は、日本の主張に耳を傾けなかった。
さらにアメリカ政府は、これを切っ掛けにして一気に日本に優位に立とうと考えて、日本にある要求を出した。その要求とは台湾、海南島、南洋諸島の
日本軍基地への査察、日本の通信・暗号情報の開示、さらに現政権の退陣という到底、日本側が受容れることができないものだった。
アメリカ側はこれらをあくまでも交渉のたたき台にすると言ったが、この条件を呑ませるために米国は通商条約を破棄したり、在米日本資産の凍結を
示唆した。このアメリカの対応を見た日本側は、これを最後通告と判断した。
「アメリカと戦い、彼らを打ち破るしか道はない」
首相となった嶋田はそう決断し、御前会議の席で天皇陛下に上奏した。
陛下は戦争に反対し、平和を望まれた。彼は幾度も嶋田にアメリカと和平、そして共存の道はないか、と尋ねられた。
「本当に道はないのか? アメリカ合衆国大統領に親書を出しても良い」
「無理でしょう。すでにアメリカは我々を露骨に敵視しています。ここで陛下がどんなに平和を望まれても、彼らは聴く耳を持たないでしょう」
「………」
暫しの沈黙の末、陛下は頷いて席を空けられた。これを見た嶋田は、御前会議に出席した面々を見回して言う。
「開戦だ」
こうして、日本側は対米戦争を決断した。陸海軍は対中戦争、対米戦争両方を遂行するための準備に追われ、関係部署は徹夜の日々を送った。
一方で夢幻会は衝号計画を実施するために、カナリア諸島、及び大西洋沿岸にいる部隊を急いで、日本本土に帰還させる措置を取った。
同時に計画を実行するために、完成したばかりの核爆弾をラ・パルマ島に運び込んだ。
計画を遂行させるために最低限の部隊は残したが、それらもイザというときには九五式飛行艇や輸送機に人員を乗せて脱出させるつもりだった。
「さて、いよいよ始まるぞ」
大本営の席で、嶋田は緊張した面持ちで言った。そんな中、辻は過度の緊張を解こうとジョークを言い放つ。
「さて青き清浄なる世界のために頑張りましょう」
「それは死亡フラグです」
嶋田の突っ込みに、辻はわざとらしく咳きをしてして言い直す。
「では勝利の栄光を君に」
「それもダメです。負けフラグじゃないですか」
さすがに他のメンバーからの視線も気になったのか、辻は襟を正して言い直した。
「……やっちまえ!」
「ここまで引っ張って、ハ○ヒネタですか……」
嶋田は頭を抱えるが、このやり取りを見ていた周りの人間の緊張は解けた。
(((まぁこの二人なら、どんな状況でも掛け合い漫才をしてくれるよ)))
こうして適度の緊張を維持した状態で、日本政府首脳部は運命の開戦を迎えることになる。
あとがき
最後まで読んでくださりありがとうございました。
提督たちの憂鬱第21話をお送りしました。
いよいよ日米開戦です。やっと開戦です。嶋田さんの仕事は増える一方です。過労死するかも。
さていよいよ次、衝号計画実行です。一部の人には結構、正体が判っているようですけど(笑)。
中国戦線は一旦、遼東まで後退した後、補給線が延びた中国軍に逆襲を掛けるか、それとも真っ向から
勝負を挑むかちょっと悩んでいます。どうしましょう?
それでは提督たちの憂鬱第22話でお会いしましょう。