チャーチルの死、この史実に無いイベントによって発生した英独の停戦交渉は、列強の介入もあり難航していた。

 ドイツとしては、来るべき対ソ戦争を行うためにもイギリスとの停戦は必要不可欠であったが、イギリスによってこれまで辛酸を舐めさせ

られたイタリアやヴィシーフランスが、強硬な意見を主張したのだ。

 これを見たイギリスは一転して強硬な姿勢に転じる。名誉を尊ぶイギリス紳士たちは敗戦など絶対に認めようとしなかったのだ。世界帝国として

のプライドもこれを後押しした。勿論、紳士は感情だけで態度を変えない。彼らはドイツがイギリスと対等な和平、彼らにとって名誉ある停戦を

行いたいと思っていることを突き止めていた。故に彼らは「これ以上、仏伊西が口を挟むなら交渉決裂だ」とのサインを送ったのだ。

 これに慌てたのはドイツだった。彼らにとって重要なのは、対ソ戦争であり、イギリスとの戦争長期化は二正面作戦に繋がりかねない危険なもの

だった。ヒトラーは同盟国を脅し、宥め、賺して黙らせるしかなかった。しかしイギリスはそれさえ利用して枢軸を徹底的に分断して、己に有利に

なるように誘導する。


「まさに腹黒紳士の本領発揮ですね。彼らは戦場で失ったものを外交で取り戻そうとしている」


 夢幻会の会合の席で、一連の報告を聞いた辻はそういって嘆息した。他の出席者もイギリスの粘り強さに驚きを禁じえなかった。


「これくらい、我が国の外務省も働いてくれれば、言うことは無いんですけどね」

「皮肉を言っている場合じゃないでしょう。それで我が国の取り分はどの程度になります?」


 辻の皮肉を遮り、嶋田は最新の情報を求めた。

 この質問を受けて、白洲の代わりに夢幻会に出席していた外務次官が、やや緊張した表情で答える。


「では、報告します。イギリス当局との接触で、イギリスは現状の勢力圏を固定したままの停戦を望むようです。ただイギリスは我が国の支援に

 報いるためとして、カナリア諸島から幾つかの島をこちらに譲渡すると」

「全ては無理だったか」

「はい。イギリスもさすがに全島を日本に渡すわけにはいかないようです」


 外務次官は、夢幻会の幹部達が何を言うのか戦々恐々であった。夢幻会の真の姿を知らない彼にとって、日本を影から支配する夢幻会は恐怖と

畏怖の対象でもあった。何しろこの組織には軍上層部、政財界の重鎮、さらに畏れ多くも多数の皇族が属している。一部では天皇陛下でさえ

彼らの決定には異を唱えられないと言われている。彼らがその気になれば自分のような高級官僚であってもあっさり消すことができるのだ。


(交渉団は何をやっているんだ?! 白洲は夢幻会派だったはず。ここは奴に責任を押し付ければ!! いや下手に奴を貶せば自分が……)


 気の毒になるほど顔を真っ青にしている外務次官に気付いたのか、嶋田が気遣うように言う。


「我々は別に責任追及をしているわけではありませんよ。ただ現状を知りたいだけです。正しい判断を下すために」

「は、はい! 勿論、私にお答えできることであれば何でも!!」


 この様子を見た嶋田は、ひっそりとため息をついた。


(どうみても緊張している、いや怯えてるよ……俺達ってやっぱり、周りからはかなりヤバイ存在と思われているみたいだな)


 こう怯えられるのは、むしろスターリンのような極悪人の仕事だろうと嶋田は思ったが、すぐに自分達が他ならぬ悪人であることを思い出すと

憂鬱な表情で深い、深いため息をついた。


(全く、日米関係は良くないし、日英関係も悪化するし、良い事が無いな……ここは、やはりソ連を使うしかないのか?

 しかし、それにしても居直り強盗のソ連と関係を改善する必要がでてくるとは思わなかったな)


 内心でそう呟き、嶋田が憂鬱そうにため息をついた頃、スターリンはクレムリンの執務室でくしゃみをした。


「……風邪でも引いたのか?」


 そう呟きながら、スターリンは手元の書類を見る。そこには、英独の停戦交渉の状況、そして日米、日中の分断工作の状況が記されていた。


「アメリカはこちらの思惑通り日本と対立する道を選んだ。これで日米が潰しあうことは確実だ。やっと我々はドイツとの対決に力を入れられる」


 スターリンは英独の停戦交渉を妨害していたが、最終的に英独は停戦に同意するだろうと思っていた。そして英独が停戦した場合、次にドイツは

ソ連に攻め込んでくると考えていた史実ではドイツは二正面作戦は避けるであろうという自身の判断に固執した彼であったが。この世界では

英独が停戦に向かっていたために、正確な判断を下すことが出来たのだ。

 そしてドイツが攻め込んでくることが確実と読んだ彼は、独ソ国境で陣地を構築すると同時に、軍の増強を急いだ。しかしソ連は日本と半ば敵対して

いたので、極東の守りも疎かにできなかった。故にスターリンは日中や日米の関係を悪化させて、日本の目を南方に向けようとしたのだ。

そしてその狙いは当たり、日本と米国、日本と中国の関係は悪化しつつあった。


「全く、あの毛沢東という田舎者が、余計なことをしなければもう少し早く日米を潰し合わせることができたものを」


 スターリンは中国でゲリラ戦を行い、米国にも被害を与えている毛沢東を全く評価していなかった。彼にとって、毛沢東はモスクワの指示から逸脱した

行動を取る厄介者、外交のがの字も知らない田舎者でしかなかった。尤も彼にとって厄介者は、毛沢東だけではなかった。

 スターリンは対ドイツ戦に備えて増強している赤軍についても目を光らせていた。大粛清で弱体化した軍組織を再建するためにスターリンは優秀な

若手将校を次々に軍の要職に抜擢していた。これによって軍は活気を取り戻しつつあったが、それは同時に軍が共産党に反乱を起こす可能性が

高まっていることを意味していた。スターリンはその臆病さゆえに、軍への監視を強化することを目論んでいた。


「べリヤに命じて、軍の動きを監視せねばならないな」


 そう呟くスターリン。しかし彼は、このとき、腹心であるべリヤに想像を絶する変化が起きていることを知る由も無かった。









         提督たちの憂鬱  第20話









 1942年2月14日、この日、スイスで行われていたイギリスを盟主とした連合国とドイツを盟主とした枢軸国の停戦交渉が合意に至った。

 イギリスの驚異的な粘り強さによって、この停戦は実質的に現状の承認を行うものとなった。この結果、ドイツはポーランドの併合、独仏の

新国境、オランダやベルギーなどに立てた親独政権をイギリスに承認させることしか出来なかった。片やイギリスは現状を承認するだけで、再戦

に備えるための準備期間を得ることが出来た。ジブラルタルを失ったことは大きな痛手であったが、彼らはいずれ必ず取り戻すつもりであった。

 そして日本は現在占領しているカナリア諸島のうち、テネリフェ島、ラ・パルマ島、ラ・ゴメラ島、エル・イエロ島の4島を獲得することに

成功した。ヒトラーは日本人に領土を割譲することに反対であったが、イギリスは頑として譲らなかった。イギリスとしては日本軍をイギリスの

勢力圏から退去させるには、ある程度、餌が要ると考えていた。故に日本を宥めるためにも、この条件を譲ることは出来なかった。

 4島を受け取った日本は表向き、取り分が少ないことに不満を漏らしたが、衝号計画を知る人間達はこの結果に満足していた。


「これで衝号計画が可能になります」


 辻の台詞を聞いた会合の出席者の大半が頷く。

 しかしその表情は硬いものだった。何故なら衝号計画を行うということは、日本が孤立し、米国にタイマン勝負を挑む状況に追い詰められている

ことを意味するものなのだ。加えて衝号計画が成功すれば、米国の継戦能力を奪うことはできるだろうが、想像を絶する犠牲者が出る。

 その惨劇の引き金を引くのは、さすがの彼らも躊躇した。


「せめて東部沿岸を核攻撃するための拠点として使えませんか?」


 東条はそういって計画変更を提案するものの、辻や嶋田は全く聞き入れない。


「ニューヨークを核で吹き飛ばしたとしても、あの国は簡単には屈服しませんよ。かなりの打撃にはなるでしょうが、いずれは復讐戦を挑んでくる

 でしょう。これを防ぐには米国が立ち直れないほど核を撃ち込む必要がありますが、我が国の力では、今の段階で核兵器を大量生産するのは

 無理です。これらの状況を考慮すれば、衝号計画は、比較的合理的であると思いますが」


 日本がいくらチートをしたとしても、辻の言うように核兵器を量産するのは難しかった。


「日本の仕業とばれたら、世界から袋叩きなのでは」

「米国を撃破すれば、他の国で文句を言える国はありませんよ。独ソも潰し合わせておけば、アジアに目を向ける余裕が無くなりますし」


 夢幻会はすでに冷戦構造を構築する戦略を放棄していた。各勢力が群雄割拠していたほうが、まだ生き残る可能性が高いと判断したのだ。

 しかしそれは同時に長期戦略を練ることができず、行き当たりばったり、もとい臨機応変の国家戦略を構築せざるを得ないことを意味していた。


「ソ連は国境警備を強化しています。恐らくドイツがソ連領に侵攻したとしても、苦戦を余儀なくされるでしょう。

 片や、ソ連は正面装備は充実していても、後方組織はお寒い限り。国境を越えて進撃をするのは些か厳しい。

 しかし両者とも、国家の存亡を掛けた戦いになる。互いに妥協は許されない。恐らく壮絶な潰しあいが起こるでしょう。その彼らに我々を止める

 方法はありませんよ」

「しかし貿易に支障がでるでしょうに。戦後は米国とまともな貿易ができるかも怪しくなる。そうなれば我が国の経済は破綻するのでは?」


 東条は皮肉を籠めて言った。これを聞いた辻は、首を横に振って答える。


「かといってそのまま戦えば我が国のほうが先に破綻します」


 嶋田は同意するようにすかさず頷く。そして海軍を預かる立場から、率直に己の見解を述べる。


「海軍はあの無限の生産力に支えられた米軍の攻勢を捌ききれる自信はありません。これまで米軍を誘い込み打撃を与えることを考えてきましたが

 中国やメキシコで見せた米軍の戦意と継戦能力から判断すると、長期戦となり、最終的に押し切られると考えています」

「だから衝号計画は必要だと?」

「衝号計画どころか、米海軍を撃滅した上で米本土攻撃を行うくらいしなければ、米国が屈服することは無いでしょう」

「馬鹿な、米国を屈服させられるような大規模な戦略爆撃を行う力は無い。史実でどれだけ英米が戦略爆撃に労力を投入したか判っているのか?」

「西海岸のどこかに核攻撃を加えれば良いでしょう。衝号計画によって米国の東部州が壊滅した状態で、さらに西海岸が焼け野原にされる危険性が

 あるとなれば、彼らも折れるのは間違いありません。アメリカを屈服させれば、中南米の市場を開放することも不可能ではないでしょう。

 アメリカとの貿易に支障はでるかもしれませんが、中南米をこちら側に引き込むことができれば損失をある程度は補填できます」


 嶋田は中華に深入りするより海に面した地域同士で経済圏を構築しようと主張した。彼は中華に深入りしても大陸での争いに巻き込まれ、悪戯に

国力を浪費するだけと考えていたのだ。だがその裏では海軍の権益を確保、いや拡充しようという目論みがあった。


(太平洋を支配するとなれば、その支配を維持するために大規模な軍縮は出来なくなる。むしろ長大なシーレーンを保護するために軍拡を認めさせる

 ことだって不可能ではない)


 しかしその目論見を辻は見抜いていた。辻は東南アジア諸国が独立した場合、彼らに海軍を整備させ日本海軍の下請けをさせようと考えていた。

そうすることで、海軍軍備の増強を最低限に抑えるつもりだった。

 だがこれらの目論見を達成するには、米国の日本封じ込め政策を打破するしかない。


(とりあえず、目の前の仕事から一つ一つ片付けることが必要だな……まぁ対米戦争となれば主役は軍人達だが)


 辻は自分のような策略家に代わり武人たちが活躍する時代が来ていることを感じた。彼は「給料に見合った仕事をしてもらうか」と口の中で呟くと

再び会議に加わった。


「衝号計画を進めるのは重要ですが、中国軍が参戦した場合の備えも必要です。軍はどのような対応をする気ですか?」


 独英がお互いに矛を収めたことで一時的に平穏が訪れた欧州に対して、極東では日中、日米の対立が高まっていった。

 日本は対米、対中戦争の勃発を考慮し、様々な手を打った。史実で置き去りにされた民間人の悲劇を知る夢幻会は、この世界ではそんなことがない

ように民間人を脱出させるための準備を整えていた。しかし南満州鉄道職員や遼河油田の関係者は簡単に脱出できない。彼らを守るためには軍の

奮戦が必要だった。


「旅順要塞にアメリカに怪しまれないように少しずつ兵力を送り込んでいます。完全に孤立したとしても半年は維持できます」


 この永田の言葉に東条が続く。


「電探や監視哨、それに航空基地の整備は終了しています。重機の持ち込みも順調で、仮に爆撃を受けても短期間で滑走路は復旧できます。

 たとえ米中連合軍が数に物を言わせて攻勢に出ても、制空権を維持して見せましょう」


 他の出席者が彼らの台詞に安堵する中、辻は「あれだけ予算をつぎ込んだんだから、この程度やってもらわないと困るよ」と内心でぼやいた。

 しかしさすがにそれを表に出すことはなかった。彼もそれなりに空気を読める男だった。


「無作法な客人への歓迎の準備は?」

「無作法で招待した覚えも無い客ですが、和の精神で、心からのお持て成しをしてやります。茶漬けの代わりに子供だましの罠を用意していますので

 彼らも退屈はしないでしょう」


 陸軍の将校は不気味な笑みを浮かべた。彼らは日本資産が強奪されるのを完全に防ぐのは無理であるとわかっていた。

 それゆえに、中国軍の強欲さを逆手にとって強力な、そして頭に来るであろう大量の置き土産を用意していた。

 勿論、日本は防戦に専念するつもりもなく、極東に展開する米軍を緒戦で一気に撃滅するつもりだった。何しろ日本のシーレーンの目と鼻の先に

敵の艦隊と策源地があったら洒落にならない。


「こちらから打って出る場合、または反撃に出る場合は、陸海軍が協力して、青島や上海、マニラの海軍基地を叩く必要があります。陸軍としては

 輸送船団の護衛や上陸支援のために海軍に空母や戦艦を出してもらいたい」


 東条の意見に嶋田はすかさず頷いた。

 こうして基地航空隊だけでなく、戦艦中心の第1艦隊と6隻の空母を中心に編成された第3艦隊、史実の第1航空艦隊に相当する艦隊を南方作戦に

投入すること、加えて南方での作戦では海軍部隊は陸軍の要請に出来る限り従うことが決定された。

 しかしこの決定に一番反発したのは海軍の一部の軍人達であった。戦艦や空母を陸軍のために危険に晒すことに反発を覚える者、夢幻会の

やり方に不満を持つ者などがこぞって反対を唱えたのだ。

 山本は夢幻会の戦略に反対し史実どおり真珠湾奇襲攻撃を提案した。彼は太平洋艦隊を早期に撃滅すれば早期講和が成ると主張したのだ。

嶋田にとって頭が痛いことに、この動きに米内を中心とした海軍の非主流派が加わった。彼らは中国大陸での戦いならイザ知らず、フィリピンなどの

南方での戦いは海軍が主導権を握るべきだと主張して止まなかった。


「連中、陸軍との共同作戦を重視する主流派を敵視しているようで、頭が痛いですよ」


 会合の席で、嶋田はぼやいた。


「連中はアメリカとの戦争を海軍だけでやりたがっている。自分達の領分に他人、というか陸軍が口を出すのが余程気に食わないようです」

「海軍は日露戦争前まで陸軍の風下に立たされてきた経験がありますから、今更、陸軍の指揮下に入るのは嫌なんでしょう」


 東条はそういって嘆息する。永田は海軍の現状に眉をひそめながら、海軍を蔑ろにする気は無いことを告げる。


「陸軍は海軍を風下に立たせる気はありません。ただ戦闘になれば指揮系統をはっきりさせて置かないと拙いことになります」

「それでもイザとなると、陸軍の指揮を受けるのが嫌な人間がいるのです。海軍にも永田さんのように、カリスマと能力を兼ね備えた優秀な軍政家が

 いればもっと話は違ったのでしょうが……」

「あの男に手を焼いていると?」

「ええ。夢幻会派と非夢幻会派、主流派と反主流派による争いでは、我々が勝ちました。ですがそれゆえに彼らは追い詰められているのでしょう。

 それに米内さんは私が先に海軍大臣になったことに相当不満を持っているようですし」

「……米内は切らなければならない、と」

「はい。それにロシアなどに駐在した5年半の間、色々とハニートラップに引っかかった可能性も捨てきれません。あの異常なほどの女好きをみれば

 あの男がハニートラップに引っかからなかったと考えるほうが不自然です」


 米内の女好きは有名であった。史実では2.26事件の日には新橋の芸者の部屋から出勤しているという記録すらある。

 嶋田もまさかとは思っていたが、やはり実際の人物を見ていると考えを変えざるを得なかった。


「対米戦争もいつ起こるかわからない。ここは不安定要素は徹底的に排除したほうが良いかも知れませんよ?」


 陸軍は永田や東条の手腕によって無能だったり、精神主義だったりした指揮官は一掃されつつある。彼らは自分達を見習い、海軍も大掃除を

するべきではないかと提案した。嶋田は考え込むように暫く口を閉ざし、そして決断を下す。


「かも知れません……やれやれ、苦労を買うばかりか、恨みまで買うことになるとは。全く平穏な人生はどこにいったのやら」


 こうして夢幻会派主導の下、海軍は大規模な人事異動を実施した。

 米内を中心とした反主流派の多くは、次々に予備役に放り込まれ、或いは連携できないようにバラバラに分けて、地方に左遷されていった。

 この動きに反発してクーデターを起こそうとする人物もいたが、海軍情報部や憲兵、情報局の暗躍によって悉く阻止され、逆にその黒幕達が

血祭りに挙げられる。

 スターリン並とまではいかないが、この大粛清、後の嶋田人事と呼ばれる人事によって海軍は夢幻会派が完全な主導権を得ることになった。






 夢幻会は、アメリカと中国と同時に戦争を行うという最悪の事態に備える傍らで、米中分断工作をより推進した。

 彼らはこれまで中華民国軍が如何に民衆に対して残酷なことを行ったか、あるいは外国人の排斥を行ったかをマスコミを使って声高に喧伝した。


「中華民国を悪役に仕立て上げるんだ。あの国は正義が大好きだから、何かしら楔を打ち込める」


 そう言って辻はマスコミ工作を行った。しかしそれでも状況をひっくり返すことは不可能とも思っていた。何しろ米国からみれば中国は

現地を統治するための代理人なのだ。しかしいざ戦争となったとき、その代理人が役に立たない無能であると示すことが出来れば彼らの関係を

壊すことも出来る。


「史実でも大陸打通作戦でボロ負けした中国は愛想をつかされた。似たようなことが起こっても不思議じゃない」


 辻はそう言って情報機関関係者に発破を掛けた。その一方で日本はソ連政府と接触を図った。

 日英安全保障条約をすでに当てにできない以上、ソ連との関係を改善することは必要だった。勿論、これまで散々にソ連に痛手を与えてきた

手前、外務省は簡単にことが進むとは彼らも思っていなかった。

 しかしその予想は大きく外れた。ソ連はドイツとの戦争に備えて、極東での安全を確保したがっていた。それゆえにフィンランドで圧倒的な

強さを見せた日本と関係を改善するのは利益になる。それ故にソ連は冬戦争の一件を棚に上げて、日本との関係改善を望んだ。


「ドイツが余程怖いのか、ソ連は不可侵条約の締結について積極的です」


 会合の席で齎された報告で出席者からは安堵の息が漏れる。


「米中ソの三大国相手に全方位戦をすることだけは免れそうですね(同盟についてはやはり無理か)」


 嶋田は安堵しつつも、この程度が限界かもしれないと感じた。何しろ、こちらにはソ連共産党の不倶戴天の敵であるロマノフ王朝の血を継いだ

者がいるのだ。嶋田がそう思い直した時、ソ連に関する別の報告が彼を驚愕させた。


「それと興味深い情報があります。ソ連のプロパガンダで、何故か日本の漫画風の絵が使われ始めたそうです」

「……ソ連で?」

「NKVDのベリヤが積極的に推進したそうです」

「連中が日本の漫画に触れる機会なんて……まさか、冬戦争の時にばら撒いた漫画のせい?」

「そのとおりかと」

「で、ベリヤがオタと化したと?」

「史実のようなリア充ではなさそうです。収集した情報から判断すると、彼は史実と比べて女性に対して紳士な人物になったと」

「「「………」」」


 『綺麗なベリヤ』というフレーズが脳裏に浮かんだ出席者は、思わず頭を抱えた。

 嶋田は頭を抱え、力なく呟いた。


「世界が萌えオタで溢れていたら、平和だったかも知れませんね」


 そう言う嶋田に近衛が突っ込む。


「だとしたら、今度はオタク達の間で戦争が始まるよ。属性間の対立で。まぁ私はどちらかといえば萌えより燃えが良いが」


 特撮オタクであり、巨大ロボットに燃えを感じるのが近衛だった。尤も嶋田からすればどっちも変わらなかったが。


「萌えオタ同士の争い……ははは、史上稀に見る大戦争になりそうですね」


 ある意味、打ちのめされた嶋田は投げやりに言うと、さっさと話題を元に戻した。


「まぁベリヤがオタだろうが、スターリンが髭爺だろうが日ソ関係が改善するのは良いことです。これで独ソ戦が始まれば、不可侵条約を締結

 するのも楽になります」


 日ソが不可侵条約締結に向けて交渉する中、1942年4月、ドイツは密かに準備を進めていたソ連侵攻作戦・バルバロッサを発動した。

 史実ではソ連軍を蹴散らして、ソ連本土にあっさり侵攻したドイツ軍であったが、この世界は予期せぬ苦戦を強いられていた。

 スターリンが予め、ドイツ軍によるソ連攻撃を予期していたために、ソ連軍は十分な陣地を構築していたのだ。これによってドイツ軍は

各地でソ連軍による頑強な抵抗を受けることになり、その進撃は非常に低調なものとなった。

 これに加えてソ連軍はフィンランドでの屈辱的な敗北から、様々な兵器を開発して前線に送り出して、ドイツ軍を大いに苦しめた。

九六式戦闘機に打ち勝つために開発されたI−180と九七式中戦車に対抗するために開発されたT−39は、ドイツ軍に甚大な損害を

与えていた。特にKV−1をベースにして作られたT−39中戦車はドイツ軍戦車部隊に多大な損害を与え、ドイツ陸軍上層部に衝撃を

与えることになる。

 しかし史実より遥かに善戦しているからと言って、ソ連軍も決して楽観できる状況ではなかった。彼らは各地で精強なドイツ軍の攻撃を

受けて少なからざる消耗を強いられていたのだ。さらに日本軍の工作のせいで、極東軍は腑抜けになって使い物になる部隊が少なくなっていた。

このためスターリンは各地から対ドイツ戦争のために兵力を抽出しなければならなかった。

 このソ連軍とドイツ軍の死闘に関する情報は予め構築された情報網によって収集、分析されて夢幻会に即座に齎された。夢幻会はここを好機と

捉えて、一気に不可侵条約締結をソ連に迫った。

 スターリンはこれ以上、不可侵条約の内容で日本と協議を重ねるのは意味が無いとして、日本側に配慮した形で不可侵条約の締結を決断した。

 これによって日本は北方の安全に加えて福建共和国の承認を勝ち取った。しかし日ソ不可侵条約が締結されたのを見たアメリカ政府は日本が

いよいよ南進するつもりになったと判断した。

 日米の関係が次第に険悪になる中、1942年5月25日、その日、数発の銃声が満州の大地で響き渡った。

 それは後の世で第二次満州事変と呼ばれる争いの幕開けを告げるものであった。












 あとがき

 最後まで読んでいただき、ありがとう御座いました。提督たちの憂鬱第20話をお送りしました。

 20話も掛かりましたが、ようやく日米対決が実現しそうです。本当に……長かった。

 海軍は大掃除をされて反主流派は一掃されました。米内さんはここで退場です。

 綺麗なベリヤが表に出るかどうかは未定です。でももしもベリヤが出たら日ソのオタク同盟ができそうです(爆)。

 それと投稿掲示板にあったT−39のアイデアを使わせて頂きました。ありがとうございました。

 さて、いよいよ事態は風雲急を告げ、日米関係は崖を転げ落ちるように悪化していくでしょう。

 提督たちの憂鬱第21話でお会いしましょう。




 兵器スペック

T−39中戦車 

車体長:6.88m 全幅:3.24m 全高:2.67m 全備重量:39t
エンジン:V−2−KS 4ストロークV型12気筒液冷ディーゼル 600馬力
最高速度:時速43km 航続距離:250km 乗員:5名
装甲厚:18〜75mm
サスペンション:トーションバー方式
武装:39口径76.2mm戦車砲「F−32」
    7.62mm機銃×1