チャーチルがドイツ軍の空襲に巻き込まれ死亡したことによって、イギリスでは急速にドイツとの一時停戦を求める声が、政府の中だけでは
なく国民の中からも挙げられるようになった。
元々、イギリス国民の士気は高くは無かった。第一次世界大戦の記憶と1930年代の幻滅に支配されていたイギリスの民衆にとって、この
度の大戦は過去のトラウマ、戦争の惨禍とその後の停滞を想起させるものだった。
そんな彼らがフランスでの惨敗と大陸派遣軍壊滅、BOBの敗北を味わったのだ。「戦争はもう御免だ」という人間が出てくるのは自然な流れ
であった。チャーチルはその流れを何とか食い止めていたが、その彼が死んだことで、その流れは一気に加速していった。
この動きを見て、日本政府はイギリスが不利な状況下で、一時的な英独の停戦が行われる可能性が高いと判断した。
「まさかBOBでイギリスがここまで追い込まれるとは思わなかったですね」
夢幻会の会合、それも最高幹部の会合の席で、嶋田は疲れた表情で深いため息をついた。日ごろの疲れのせいか、目の下に隈ができている。
「しかしこうなると衝号計画、実行できるんですか? こちらが大西洋から締め出されれば計画遂行は困難になるのでは?」
嶋田の言葉を聞いた辻は顔を顰めつつ答える。
「イギリスとドイツの休戦がどんな内容になるか次第でしょう。ここでイギリスが降伏に近い条件で講和を望むのなら、計画の再構築が必要に
なるでしょうが、それはあり得ないでしょう」
「チャーチルが死んで、彼らに尚、ドイツと張り合う気概がありますかね?」
「確かに厭戦機運が高まっていますが、屈辱的な降伏はしないでしょう。イギリスは何より名誉を尊びます。その彼らが屈辱的な条件をあっさり
呑むかどうか。それに米国もイギリスが敗北して、大事な債権をお釈迦にされたら大変ですから、何かしら介入があるでしょう」
「つまり米国の存在が英独の対等な停戦を後押しすると?」
「引き換えにイギリスは、米国への依存を強くすることになるでしょう。何しろイギリスはこの戦争で、米国に借りを作りすぎた」
米国の対日強硬姿勢が保たれたまま、イギリスが半ば米国の傘下に入りする、それは日本にとって非常に拙いものであった。
「イギリスは米国の中国進出を認めるでしょう。むしろ彼らの動きを助長させるかも知れません。最悪の場合は我が国を切り捨てるでしょう。
我々はそのときに備え、今の支配地域を固定したままの停戦を実現する必要があります」
「最悪の事態に備えたはずの衝号計画、これが日の目を見る可能性が高くなってきたということですか。全く我らのいく道は茨の道ですね」
この言葉を聞いた辻は苦笑いした。
「茨の道? 我々がいくのはそのような上等な道ではなく修羅の道ですよ。いずれにせよ、死んだら地獄行きは確定でしょう」
これから祖国が歩むであろう道を思い浮かべているのか、さすがの辻も気弱であった。
普段、会議をリードする彼がそんな状態なので、会議は全く進まない。閉塞した状況を確認するだけの会議に出席者に嫌気が差し始める。
しかし嶋田は違った。というか過労のせいで逆境にあって逆にテンションが上がってしまったのだ。
「道が険しいなら飛び越えればいいのです! 翼があれば上等! 無いならロードローラで舗装。急がば制圧前進と言う言葉もあります!!」
疲れの余り、突き抜けてしまったのか、嶋田は普段は絶対言わないような台詞を言い放った。
周囲が驚く中、辻が突っ込みを入れる。
「……どこの閣下の台詞ですか」
「事実ですよ。衝号計画は実行可能でも、我々の冷戦構造構築を目指した戦略は破綻寸前です。こうなれば自力で自身の勢力圏を構築するしか
ありません! 米にも英にも頼れない。それなら自身の脚で立つしかないでしょう!!」
「しかし、それをどうやって行うかが問題ですよ?」
「英独が停戦するにしても、時間は掛かります。我々はその時間を可能な限り引き伸ばせば良い。衝号計画は別に宣戦布告してからやらないと
いけないというルールはありません! 時間を稼ぎ、その隙に衝号計画を実行すれば良いのです! 成功すれば列強は大打撃。失敗しても日本の
力を見せ付けることが出来ます! 今の時代、力が全て、圧倒的な力があれば米英が何を言おうとも、連中の動きを封殺することはできます!!
米英が身動きが取れない内に、米英を切り崩し、中国を再び内戦状態に追いやることが出来れば日本の安全は確保できます!!」
「さすがに、衝号計画を宣戦布告前にやるのはどうかと思いますが……それにあまり派手なことをすれば、さらに余計な警戒を生むのでは?」
「もうそんなことを言っていられる段階ではありません。どうせやるなら、日本と共存したほうが利益になる、いえ、不利益にならないことを
連中に心底思い知らせてやる段階です! 適切な軍事力の誇示が必要であることは、皆さんもお分かりでしょう!!」
辻よりもさらに強硬なことを言う嶋田に、周囲は戸惑う。
しかし彼のハイテンション振りと意見は、会議の嫌な雰囲気を打破した。
「いきなり計画を実行することは出来ないが、もう少しすれば核実験程度なら可能になる。ここで破壊力をある程度見せ付ければ、米国も迂闊に
日本と喧嘩をする気は無くなるのでは……」
「無用な警戒を招くだけなのでは? アメリカが本気になれば核兵器の軍拡競争になるぞ。ソ連の二の舞になる」
「イギリスをうまくこちら側に引き込めるのでは? 核兵器の威力は今のイギリスからすれば非常に魅力的だ」
出席者達は気を取り直して、嶋田主導の下、今後の戦略を練った。
その光景を見ていた伏見宮と近衛は、嶋田が自分が思った以上に他人を引っ張る能力があるのではないかと思った。
「近衛さん、彼、使えますよ」
「ふふふ。確かに、いざという時に他人を引っ張る能力はありそうですね。それに普段から色々と他人に気遣いする思慮もある。
ということは、次には?」
「ええ。そのときには彼を推挙したいと思っていますよ。商人ではなく武人が必要な時なら、恐らく周囲も納得するでしょう」
疲れてハイテンションになっていた嶋田は、二人からの熱い眼差しに気付くことは無かった。そしてそれを、彼は大いに悔やむことになる。
提督たちの憂鬱 第19話
英国本土航空戦での手痛い敗北と、対ドイツ強硬派の首魁であったチャーチルの死亡によって、ドイツに強硬な姿勢を見せていたイギリスは
その方針を転換し、ドイツと停戦を行うための交渉に入った。
日本政府はこの事態を想定していたのである程度冷静に対応したものの、莫大な金をイギリスに貸し付けていたアメリカは、もしもイギリスの
敗戦となれば、貸し付けた金が焦げ付くのではないかと気が気でなかった。
「イギリスも存外、頼りないな」
ホワイトハウスの会議で、一連の報告を聞いたロングはそう言い捨てた。
「債権が焦げ付くことを、財界は危惧している。ここでイギリスを支えなければ、債務不履行を宣言されかねん。何とかしなければならん」
この言葉を聞いて国務長官のハルが確認するかのように尋ねる。
「それではイギリスへさらなる支援を行うと?」
「仕方ないだろう。ここでイギリスに倒れられれば、我が国の経済も傾く。ようやく復活した我が国の経済を再びどん底に落すわけにもいかない。
だが、今回の一件でイギリスだけではドイツを食い止められないことも判った。このことを利用して、イギリスに押さえられた英連邦の市場を
開放するように要求する」
イギリス連邦を構成する各国の市場はイギリスによって支配されていた。アメリカ資本はライバル視され、これらの市場に中々参入できなかった。
ロングはさらなる支援をチラつかせる一方で、これまでイギリスが支配していた市場にアメリカが参入することを認めさせようと考えた。
「だがイギリスが一旦、矛を収める以上は、欧州への介入は暫くは出来ない。よって中国を中心とした東アジアへの進出を進める」
この言葉に閣僚達も頷いた。彼らアメリカ人にとって西進、いやフロンティア開発は国是であった。
「スターク作戦部長、太平洋艦隊をハワイに進出させたいと思うのだが、どう思うかね?」
太平洋艦隊の拠点はアメリカ西海岸・サンディエゴにあった。日本との関係が史実より落ち着いていたために、彼らはまだハワイへその拠点を
移していなかったのだ。この時期、ハワイは太平洋に浮かぶ島嶼のひとつに過ぎなかった。
しかしロングはここに来て、アメリカの東アジア進出を推し進めるために、小うるさい日本を牽制するために、ハワイの真珠湾に太平洋艦隊を
移動させることを考えたのだ。
「太平洋艦隊司令長官のリチャードソン大将は、ハワイに太平洋艦隊を移動させれば、戦争を招きかねないと主張し反対していますが」
「ふん、あの男は運用家としては優れているが、些か闘志にかけるようだな。まぁ良い。彼はあくまでも戦時体制を整える組織者に過ぎない。
イギリスではドイツを食い止められない以上、より戦闘的にならざるを得ないからな」
いずれ更迭しなければならない、そう断言したに等しいロングを見て、スタークはそっと首をすくめた。
「あとは日本とイギリスの間に楔を打ち込み、中国市場から連中を締め出して、日本を少しずつ孤立、弱体化させていかなければならない」
日本を欧州に引きずりこんで消耗させるというロングの狙いは、チャーチルの死によって事実上頓挫してしまった。ソ連の存在を強調されて
一旦は、日本への派兵要求を引っ込めたロングであったが、いずれは蒸し返す気でいたのだ。それが独英の停戦によってお釈迦になったのだ。
故に米国政府としては、東アジアで日本の膨張を抑えるために、少しずつ外堀を埋めていく戦略をとらざるを得なかった。
「しかし、満州から追い出されるとなれば、彼らが黙っているでしょうか?」
ハルは戦争が起こるのではないか、と懸念を示すが、ロングはその懸念を一笑に付した。
「武力で露骨に追い出すことはしないさ。ただ経済面で攻め立てるだけだ」
ロングは総研の情報や冬戦争、欧州での戦いの日本軍の活躍を聞いて日本軍が決して侮れる存在ではないと考えていた。
黄色人種に対する偏見こそあったものの、手強い蛮族であるという確信を抱いていたのだ。故に彼は徹底的に絡め手で攻めようとしていた。
しかしそれはロングが非戦を貫くことを意味しない。
「連中が血迷って手を出してきたら、徹底的に叩きのめしてやる」
もしも先制攻撃を仕掛けてくれば、日本を悪役に仕立てて、徹底的に叩き潰す……ロングはそのつもりだった。
このロングの方針に沿って米国は中国市場で、日本への締め付けを強めた。
南満州では、米資本は満鉄と並行して走る鉄道の整備を始め、南満州鉄道の経営を圧迫するようになった。米資本は意図的に南満州鉄道を赤字に
させることで日本側へ負担を掛け、鉄道の経営権を手放させようと目論んだのだのだ。
さらに中国の財閥を巧みに取り込み、日本を介さずに現地での商品の生産を図るなどして、少しずつ日本企業を排斥していく動きを見せ始める。
米財界とコネを築いていた陸軍はその動きを何とか制止しようとしたが、米国政府の暗躍によって大した成果を挙げることができなかった。
しかもこれらは表向き、中華民国政府が要望したことにされたので、日本国内では反中感情が高まっていった。夢幻会は反中感情を押さえ込みた
かったのだが、やはり完全に統制することはできず、対中強硬論が次第に台頭していく。
この日本での対中感情の悪化と連動するように、中国でも反日活動が活発化し、日中関係は次第に険悪になっていく。それは米国とソ連の思惑通り
の展開であった。特にソ連としては、極東での脅威である日中が争うことは極東地域の安全が確保されることを意味したので、日中の対立を強力に
煽りたてていく。
しかし中国での反日感情は次第に、朝鮮半島にも飛び火していき、米国にとっても予想しない事態を引き起こすことになる。
「朝鮮の反日派が、米国製兵器を所有している、と?」
夢幻会の会合の席、そこで情報局と陸軍から齎された情報に、出席者たちは顔を顰めた。
「南満州に居住している朝鮮系住人が横流ししたものと思われます。陸軍は、国境警備を強化することで武器の流入を阻止する所存です」
東条はそう言ったが、他の出席者たちの顔色はよくない。嶋田は頭痛を抑えつつ問題を指摘する。
「問題はそれが果たして朝鮮系住人だけで行われていたか、です。もし米国政府が背後に居るのなら、彼らは朝鮮半島の現政権の転覆を狙っている
ことになります。もしも朝鮮半島で親米反日政権が樹立されれば、日本版キューバ危機になりますよ」
「そんなことは判っています。陸軍には、海軍には無いコネクションがあります! 密輸程度なら防いで見せます!!」
「アメリカ合衆国大統領でも動かせると? 小手先程度の対応で彼らが諦めるとでも?」
「それは………」
「無理でしょう。それに、もしも彼らが本気で日本の裏庭を荒そうとしている場合、どうします? 普通なら戦争物ですよ」
「「「………」」」
米国との戦争、それは夢幻会にとって絶対に避けたいシナリオであった。何せ、日本が真正面からあの国に戦いを挑んで勝てる訳が無い。
引き分けに持ち込むことは不可能ではないかも知れない。だがそのために必要となる犠牲は膨大なものだった。
しかしこちらが戦争を嫌がっても、向こう側が挑んでくれば、戦うしかない……そんな考えが出席者達の脳裏をよぎり、場の空気を重くする。
実はこのとき、彼らが危惧していたような米国の関与はなかった。確かに米国は反日運動に手を貸してはいたが、現地政権を転覆させて
親米政権を作るところまでは考えていなかったのだ。しかしこれまでの米国の動きが、日本に、いや夢幻会に疑心暗鬼を引き起こしていた。
辻はそんな空気を振り払うかのように、自身の意見を述べる。
「仮に米国が背後にいたとしたら、何かしらの報復は必要になるでしょう。華南連邦と中華民国で内戦を引き起こすというのも手ですね。
中華での正統政府を自認している奉天の連中から見れば、華南連邦は邪魔な存在。イギリスが弱体化して連邦を援護する余力が無くなれば、
好機と見て南下する可能性は高いと言えます」
これを聞いた東条が、自分の意見を述べる。
「あとはソ連と中華民国をぶつけるという手が残っていますよ。独ソ戦が起こればソ連の目は、西へ向くでしょう。そのときに北満州奪還を
煽り立てて北満州で泥沼の戦いをさせれば良いでしょう」
「確かに。それと米国の世論を親日にするのも重要です。米国の女子供に人気のある商品、化粧品やボードゲームをもっと積極的に売るという
のも手ですね。あとは中国系移民の排斥を煽り立てて米中間に楔を打ち込むのも良いでしょう」
嶋田はまたセコイ手を、と思いつつ、非常に有効な手であることは同意せざるを得なかった。少なくとも日米で真っ向から勝負するよりかは
まだマシな選択であったからだ。しかしこれまでの経験から最悪の事態というのは、想定した事態の斜め上を行く形で起こるのは明白だった。
過去の経験、それも失敗の経験を否定するのは馬鹿のすることであった。そして嶋田は馬鹿ではなかった。
(だが万が一という事態もある。その場合はどうする?)
最悪の事態とも言うべき日米戦争、その時には海軍が矢面に立つことになる。
もしも両洋艦隊計画が完成した段階で闘うことになれば、間違いなく海軍は苦戦するだろう。いくら精強な艦隊であるとは言え、戦力差が1対3
となれば苦戦は免れない。さらに米国は、一旦敗北すれば、その原因を徹底的に追究して弱みを克服してくる。そうなれば次の戦いでは、さらに
苦戦する。夢幻会によるチートがあっても、最終的には工業力の差、そして組織力の差で押し切られるのは目に見えている。
(年功序列人事は簡単には変更できない。だとすれば色々と工夫する必要があるな……有能なら少将でも艦隊規模の部隊を指揮できるくらいしない
と拙い。いや小手先だけではなく戦略そのものを見直す必要があるかもしれない。待ち受けているだけでは座して死を待つだけだ。米国の政財界に
これ以上の戦争継続は自分達にトンでもない不利益を齎す、そう思わせないと戦争は終わらない)
このとき彼の脳裏に、摩天楼を、工場群を一瞬で焼き尽くす閃光が浮かぶ。
それは以前の彼ならば、決して浮かべることのない危険な考えだった。
だが、海軍大臣となった嶋田には海軍重鎮としての自覚と責任感が芽生えていた。そしてそれが彼を突き動かしていたのだ。
(日本が本気になれば、米本土の都市を焼き尽くすことも不可能ではないことを示せれば、彼らも動けなくなる。だとすると北方ルートで
攻めるのも手か。しかしそうなると米海軍の早期撃滅は必要になる。在中米軍を孤立させて誘い出すか……しかしソ連の協力がいるな。どうする?)
会合が終わったあと、嶋田は密かに辻や近衛に相談を持ちかけた。それは『日ソ同盟』が可能かどうかというものだった。
「陸軍が激怒しそうな提案ですね」
辻は驚いた顔をしたものの、提案としては興味深いとして、密かにソ連と接触することに同意した。
こうして日本は対米戦争に向けた備えを着々と推し進めていくことになる。
日本はアメリカの動きに四苦八苦しながら対応する傍ら、英独間の停戦交渉で、何とか日本の国益を確保しようと精力的に動き回った。
白洲の他に吉田茂も加わった外交団は、イギリスが降伏するような条件を呑むつもりは無いことを確認して安堵したものの、このままでは
日本の費やした労力が水泡に帰す可能性があることに危機感を募らせた。
何しろイギリスは現状の承認で休戦を結ぶことと引き換えに、日本軍を勢力圏から退去させることを考えているからだ。勿論、イギリスは
これまでどおり日本と友好関係を維持していきたいとは言っていたが、それをあっさり信じるほど彼らはお人よしではなかった。
情報局や外務省の必死の調査の結果、アメリカ側の人間がイギリス外交団と接触していることは掴んでいる。ここで日本が簡単に欧州から
手を引けば、一気にアメリカが入り込んでくる。そうなれば日英安全保障条約の価値は大きく下がってしまう。それはアメリカとの交渉が今より
不利になることを意味した。ゆえに彼らは悩んでいた。
そして同時に日本本国から受けた『可能な限りカナリア諸島を大西洋における日本の拠点として確保せよ』との指示に首をかしげていた。
「何故、本国はカナリアを欲するのだ?」
白洲はそういって本国の意図を図りかねていた。
夢幻会のメンバーのことを知っている彼からすれば、上の連中がこんな地球の反対側に領土を持ちたいと考えているとは思えなかった。
「カナリア諸島を、大西洋における出島として扱いたいのでは?」
吉田の言葉に、白洲は頷きつつも、違和感を拭えなかった。
しかし本国からの厳命である以上は、彼に従うしか道は無い。
(まぁ大西洋で自由に活動できる拠点が欲しいのだろう。何しろここは大市場である欧州や、資源地帯であるアフリカに近いからな。
貿易の拠点として欲しているのだろう)
彼はそういって自分に言い聞かせて、仕事に再び取り掛かった。
日本側が自分達の国益確保を図るのと同じように、ドイツ側も必死に自分達の国益を確保しようと動いていた。
何しろドイツ国内では問題が続発していた。まず、イギリスを停戦交渉のテーブルに引きずり出したとしてゲーリングの功績が称えられ、彼と
空軍の勢力が大きくなり陸海軍との軋轢をさらに深めていた。一方で経済面では無茶な戦争拡大のツケが出始めていた。彼らは戦争を行うために
ソ連から大量の資源を輸入していたが、その代金の支払いが次第に苦しくなってきたのだ。代金の換わりに軍艦を渡す有様だった。
だが欧州を支配するようになったドイツからすれば、資源と資金は幾らあっても足りない。故にヒトラーとしてはソ連相手に戦争を仕掛けて
ロシアの資源と労働力を確保しなければならなかった。
「東方に生存圏を確保してこそ、ドイツ民族は繁栄を得られるのだ!」
ヒトラーはそういって、イギリスとの停戦がなれば、速やかにソ連相手に戦争をするつもりだった。勿論、ソ連を征服した暁には、海軍と
空軍を増強して、今度こそイギリスの息の根を止めるつもりでいた。
その夢を実現するために、ヒトラーは寛大な条件で停戦に応じてやっても良いという態度であったが、それを他の枢軸国が認めなかった。
イタリアは地中海の覇権を欲してマルタやエジプトなどに色気を出し、スペインはジブラルタルの割譲とカナリア諸島の奪還を主張、
ヴィシーフランスは自由フランスの追放や自由フランスが支配しているアフリカやアジアの植民地の返還を望むなど、纏めてイギリスに
主張したら、停戦交渉が吹き飛ぶことは確実という有様だった。
ヒトラーは大して役にも立たなかった同盟国に、配慮などしたくは無かったが、度が過ぎれば同盟が崩壊してしまう。故にヒトラーは
各国との利害調整に追われた。
その様子を見ていて好機と感じたのが、イギリスと日本であった。イギリスは少しでも自国に有利な形で停戦を結ぶため、そして日本は
衝号計画の下準備を行うための時間を確保するべく、枢軸を内部から切り崩す外交工作に出た。これに加えて、イギリスに負けてもらっては
色々と困るアメリカが日英の動きに同調する。その一方で、独英が停戦してもらっては困るソ連は、ドイツが戦争を継続できるように必要な
資源を安価で輸出することを打診した。
こうして列強の様々な思惑によって横槍を入れられた英独の停戦交渉は、両者の予想を超えて長引くことになる。
あとがき
提督たちの憂鬱第19話をお送りしました。
やっと独英の停戦交渉は開始されましたが、日米ソなどの列強の思惑によって色々と横槍を入れられてしまい、長引きます。
多国間の戦争なので、利害関係が複雑なので……。
一方、日本と嶋田さんには着実に死亡フラグ(笑)が立っていきます。
このままだと米国とのタイマン勝負です……史実よりも不利な条件で。何という縛りプレイといったところでしょうか。
それでは拙作にも関わらず最後まで読んでくださり、ありがとうございました。
提督たちの憂鬱第20話でお会いしましょう。