カナリア沖で日英同盟軍が大勝利を挙げたことで、これまで萎えていた英国の戦意は大いに盛り上がった。

 また地中海では、インド洋経由で運び込まれる日本製兵器を使ったイギリス軍がしぶとく踏みとどまり、イタリアのエジプト侵攻を頓挫

させてしまった。イギリス海軍は東アジアやインド洋から引き抜いた艦隊を集結させ、イタリア海軍に少なからざる損害を与えていた。

 イタリアは弱体化したはずのイギリス軍に叩きのめされ、その醜態を世界中に晒した。これによって枢軸はドイツ以外は恐れるに足らない

と思う人間すら出てきた。そしてヒトラー自身も、味方と思っていた国々が実際にはあまり役に立たないのではないかと思うようになる。

 しかしこのまま何もしなければ枢軸は空中分解しかねない。


「ヴィシーフランスとスペインは、カナリア沖の敗北が尾を引いて篭り気味。イタリアは北アフリカと地中海の連戦連敗で動揺が広がっている。

 後に控える対ソ戦を勝ち抜くためにも、イギリスに対して大打撃を、そう奴らが手を挙げざるを得ないほどの大打撃を与える必要がある」


 総統府で開かれた会議で、ヒトラーはイギリスに対して大規模な攻勢に出る必要があることを主張した。


「英国との戦争が長引けば長引くほど、我が国の負担は増すばかりだ。そこで、我が国の総力を結集して英本土へ侵攻し、一気に英国との

 戦争に決着を付ける。ヴィシー・フランス海軍の艦艇はまだ残っている。戦力は十分だろう」


 この言葉に軍関係者、特に海軍のレーダー元帥は顔面蒼白となった。


「海軍はノルウェー防衛だけで手一杯です。イギリス本土侵攻を行うだけの戦力はありません」

「空軍が制空権を握れば可能ではないのか? 忌々しいことだが、極東の猿は航空戦力を使って制空権を握りスペイン・フランス連合艦隊を相手に

 完全勝利を得たと言うではないか。猿どもと同じことができないと? 何のための海軍だ。何のためのビスマルクなのだ!

 海軍で役に立っているのはUボートだけではないか!!」


 カナリア沖海戦では、日本は意図的に航空機による戦艦撃沈を避けていた。このために3隻の戦艦は、最後の水上砲戦まで辛うじて沈まなかった。

3隻の戦艦はあくまで日本の戦艦によってトドメを刺された形となった。実際には半殺しの状態で、戦闘能力の大半を失っていたのだが、日本の

隠蔽工作と巧みな宣伝もあり、各国海軍関係者の間では航行中の戦艦を航空機で簡単に沈められないと受け取られた。

 また日本が情報の隠匿を図ったこと、被害を過大に公表したことで、日本海軍航空隊の真の実力が露見することはなかった。それでも制空権の

有無が艦隊決戦において重要なファクターになることは完全に証明されていた。故にヒトラーは制空権さえ握れば、戦力で劣るドイツ海軍でも十分に

戦えるのではないかと言ったのだ。しかしドイツ海軍の実力を知るレーダーは、慎重な姿勢を崩せなかった。それはさらにヒトラーを苛立たせる。

尤もヒトラーの表情を見て、レーダーは内心、腸が煮えくり返る思いであった。


(海軍の準備が整っていない状態で戦争を始めたお前が悪いんだろうが。おまけにビスマルクの設計にも色々と文句をつけたせいで、ビスマルクが

 とんでもない戦艦になったんじゃないか。これで戦える訳が無いだろうが)


 そんなレーダーを無視して、ヒトラーはゲーリングに話を振る。


「海軍は全く役に立たん。空軍はどうだ?」


 ヒトラーの視線の先には、肥満体の国家元帥が居た。


「イギリス空軍など簡単に撃滅してご覧に入れます。イギリス海軍が出てきても、我がほうの急降下爆撃機に手も足も出せないでしょう」


 あっさり安請け合いをするゲーリングに、周りには苦い顔をする。特に実際に輸送船団を護衛しなければならないレーダーは苦虫を

ダース単位で噛み潰したような顔をした。


「ですが制空権をとっただけでは、ドーバー海峡を渡ることは難しいと思われます。英本土侵攻となれば、我々は陸軍を上陸させ、絶え間なく

 補給のための船団を送り続けなければなりません。我が国にそのような船団を組むような船はありません」


 レーダーはヒトラーに翻意を促した。何しろこのままでは気まぐれな総統によって本当に英本土侵攻作戦が命令されかねないのだ。

 レーダーの態度を見て、思わず癇癪を爆発させそうになるヒトラー。それを見てゲーリングが助け舟を出す。


「イギリスを屈服させる手段は他にもあります」

「それは何だ?」

「イギリス本土の生産力を爆撃で破壊してしまうのです。近代戦は兵器の消耗戦です。前線を支える生産力が潰されれば、イギリスも降伏を

 呑まざるを得なくなるでしょう」


 この言葉にヒトラーは納得したかのように頷いた。


「確かにそのほうが良いかもしれん。海軍で唯一使えるUボート部隊とフランスから接収した潜水艦を合わせれば、より効率的にイギリス

 を締め上げることができるだろう。いや、ジブラルタルが陥落した今、イタリア海軍も参加させることも出来る。うむ、いける」


 ヒトラーは一呼吸置いて命令を下す。


「空海軍の総力を結集し、イギリスの継戦能力を粉砕せよ!」


 かくしてバトル・オブ・ブリテンの幕は開ける。







               提督たちの憂鬱  第18話 






 ドイツがバトル・オブ・ブリテンに向けて準備を進めている頃、日本ではフィンランドでの戦いや、カナリア沖での戦いで得られた

戦訓を基にして新たな戦術と新兵器の開発が急ピッチで進められた。

 海軍ではカナリア沖海戦から航空戦力の重要性が再認識され、その強化に当たることが即座に決定された。加えて空母同士での戦いに

備えて空母の護衛に当たる水雷戦隊の増強を行うことに重点を置かれた。


「海軍としては、基地航空隊と空母の護衛に当たる艦艇の整備を進めていくことを大蔵省に提案したいと思う」


 海軍省の一室で開かれた会議で、嶋田は疲れた顔で出席者の面々にそう告げ、細かい内容を記した書類を配った。そこには軽巡洋艦、駆逐艦

潜水艦の整備に重点を置く補充計画の原案が記されていた。

 それは怒鳴り込む水雷派を宥め、不満を漏らす戦艦派を賺し、増長しかねない航空派を脅して各部署を嶋田が纏めて作ったものであった。

これに辻たちとの交渉が加わったためか、心労が重なり、嶋田は痩せていた。

 久しぶりに日本に帰ってきた南雲は、暫く見ない間に心労で少し痩せた嶋田を見て驚いた。


(ああ、辻さんたちの相手に疲れたんですね、可哀そうに……)


 嶋田の気苦労を思い浮かべると、南雲は思わず涙が出そうになった。そして少しでも嶋田を励ますことを決めた。


「お疲れ様です。あとフィンランドのお土産です。これでも食べて元気を出してください」


 そう言いつつ、南雲はフィンランド土産を取り出す。チョコ菓子やライ麦パンなどを見て、嶋田は笑みを浮かべる。


「中々美味しそうですね。早速頂いても良いですか?」
 
「勿論です」


 嶋田は早速チョコを食べて一息ついた。尤も嶋田が食べ終わるまで待っていられるほど時間が余っているわけでもないので、嶋田は

チョコ菓子を食べながら会議を始める。


「それにしても、重巡洋艦は大幅に削減されたようですね」


 南雲の言葉に、嶋田は肩をすくめた。水雷屋が怒鳴り込んできた原因はそこだったからだ。


「現状ではドイツ海軍が敵ですので、重巡洋艦の必要性が大きく低下しているんです。作ることは作りますが、ね」

「新型軽巡洋艦の整備を進めたほうがマシ、と?」

「需要の問題、それと8インチ砲の限界の問題です。アメリカ海軍と戦うならまだ予算はつきますが、ドイツ海軍相手と

 なると中々予算がつきません。それに誘導兵器開発もあります。予算が有限な以上は、削れるところは削られなければ

 ならないんですよ」

「対艦誘導弾ですか。話は聞きましたが、対艦ミサイル開発はまだ時間が掛かるのでは?」

「その繋ぎとして誘導魚雷、特にウェーキ追尾式魚雷を当てます。すでにある程度ものになっているようなので、実戦配備には時間は

 掛からないでしょう(水雷屋の提案に乗るのは、あまり気が乗らないが)」


 夢幻会派を中心とした海軍主流派が噴進兵器開発を推進するのを見て、海軍の非主流派は、冒険が過ぎるとして既存の魚雷の改良を進める

ことを提案したのだ。議論の結果、アクティブ型の音響センサーを積んだ誘導魚雷の早期開発は可能とされ、開発を推進することになった。

 史実では水雷屋に見向きもされなかったが、夢幻会の技術先行、理論先行の兵器開発に懸念を示した人々によって、この誘導魚雷はこの世界で

日の目を見たのだ。


「誘導魚雷を搭載した水雷戦隊による飽和攻撃、これなら米軍にも出血を強いることはできるでしょう。加えて、水雷戦隊の増強をすることで

 空母の周辺に貼り付けることが出来る駆逐艦も増えます。これで空母を敵機の攻撃から守りやすくなるでしょう。あと戦艦の対空用の主砲弾の

 開発が完了すれば、鬼に金棒となるでしょう」


 この言葉に出席者たちが頷いた。国力で劣る日本からすれば1隻でも空母を失うことは、大きな打撃だった。だが空母だけが無事でも意味が無い。

空母の価値は、空母に載せる艦載機があってこそなのだ。彼らは如何にして艦載機の消耗を抑えて戦うかに頭を悩める。


「今回、艦爆で敵駆逐艦を潰したが、米国が相手のときは戦闘機に載せたロケットで叩いたほうがいいな」

「だな。艦隊陣形に穴を開けて、その隙に艦爆が敵の防空艦を叩き、さらに雷撃機を突入させて空母を叩く。これで良いだろう」

「ダメコンに優れた米空母を爆撃のみで沈めることはできないからな」


 アメリカ海軍の空母のタフネス振りを知る軍人達は、思わずため息をついた。


「米空母を無力化するには、せめて魚雷、爆弾共に2発以上を命中させる必要があるだろう」

「カナリア沖での戦いで撃墜されたのは8機と少なかったが、被弾したものは少なくない。敵艦に肉迫しなければならない攻撃は危険が大きい」

「両洋艦隊計画が遂行されたら、雷撃を仕掛けること自体が自殺行為になりそうです。CAPによる迎撃、つづけてVT信管付きの両用砲による猛打。

 それを突破すれば40mm、20mm機関砲によるシャワー。一回の出撃で未帰還が50%になりますよ」

「接近することはまず無理になるな。だとすればミサイルしかないが、試作品を今年中に作らないと拙い。技術者に発破を掛けないと」

「しかし単発機に載せられる対艦誘導弾は当分は出来ない……ふむ、CAPの誘導を妨害するというのはどうだ? 多少は被害を減らせると思うが」

「電子戦機を投入すると? しかしかなりの大型機になりそうですね。大鳳型以上の大型空母か、基地航空隊でないと運用できませんね」

「しかしそれがあればCAPの脅威は減らすことが出来る。ECMで敵のレーダーを妨害できれば、攻撃はより容易になる」


 一連の流れを聞いていた嶋田は深いため息をついた。


「つまり、電子戦機開発を推進するために、辻と交渉しなければならないと?」

「「「……お願いします」」」


 こうして、再び嶋田の苦闘が始まる。

 嶋田のHPを生贄にして日本海軍が新たな軍備を整えようとしている頃、日本陸軍でも冬戦争での教訓を基にして戦備を整えていた。

 陸軍省の一室では、東条や永田などを中心とした夢幻会派の人間が集い、今後の軍備の整備の方針について話し合っていた。


「やっと九二式軽戦車の後継が出来たな」


 東条がほっとしたように言った。何しろ九二式軽戦車は傑作とはいえ、もう採用されてから8年近くの時が過ぎているのだ。いい加減新しい

軽戦車が欲しくもなる。尤も主砲は新規開発したものではなく野砲から転用したものであり、費用節約の努力があちこちに見られる戦車だった。


「一式軽戦車、九七式中戦車改、これに九七式自走砲などが揃えば、かなりの戦力になる。ソ連軍ともある程度は戦えるだろう」


 この言葉に第一次遣欧軍司令官であった杉山が苦笑した。


「引き換えに遣欧軍の装備を粗方売りさばくことになったがね。まったく手ぶらで日本に帰ってくることになるとは思わなかったよ」

「ははは、まぁ辻のすることですから」

「全く」


 遣欧軍は、自らの装備の大半をイギリスに売り払っていた。辻から言わせれば「商品を欲しがっているところに物を売っただけ」なのだが

金こそ全てと言わんばかりの態度は、彼らを呆れさせていた。


「昭五銃の後継の突撃銃も何とか試作品が出来た。このままいけば二式突撃銃として採用できる」


 このほかにも陸軍は有線誘導システムを搭載したミサイルの開発を進めていた。こちらも近いうちに試作品が出来る予定であった。

一連の開発がひと段落すれば、陸軍の戦闘能力は大幅に向上すると考えられていた。しかし今の日本の情勢は楽観できるものではなかった。


「大陸では中華民国軍と在中米軍が勢力を増しつつある。加えて朝鮮半島でも反日勢力が増してきていると聞く。

 考えたくは無いが、状況次第では米中連合軍を相手にしなければならないかもしれん」


 永田の言葉に全員が頷く。何しろ米中連合軍の存在は、決して無視できるものではない。仮に彼らがその気になって襲い掛かれば関東軍に

大打撃を与えることが出来るだろう。そうなればすでにことは限定戦争で終わらない。日中間で全面戦争となる。そして日中戦争が泥沼化

すれば日米戦争への道が開かれることになる。満州で実際に米中と相対している陸軍の危機感は相当なものであった。


「我々は確かに戦争回避を望んでいるが、米国がこちらの意思を無視する場合に備えて、南方への進出を準備する必要があるだろう」


 それは陸軍が日米戦争に備えて、密かに準備を進めることを意味していた。







 日本が密かにアメリカとの戦争への備えを始めているのを露知らず、イギリスは日米双方を欧州への戦争に引きずり込むことに力を注いだ。

 チェンバレンの後任として首相に就任したチャーチルは、アメリカから旧式駆逐艦50隻を供与してもらい、日本の遣欧軍から買い取った装備を

早速、陸軍に配備して陸軍再建を図った。尤もチャーチルは満足しておらず、これでも足りないとして、アメリカや日本に対して支援を要請した。

 アメリカはイギリスの窮状に付け込んで、イギリスに成り代わって世界経済の覇権を手に入れようと目論んだ。


「煩いイギリスを叩き潰すチャンスだ」


 ロングはそう言ってイギリスに追加の支援を行うと同時に戦後の経済上の覇権を奪い取ろうと画策した。彼は基軸通貨であったポンドを追い落とし

アメリカドルを基軸通貨の座につけようとしていたのだ。

 一方、日本政府は準同盟国であるイギリスを支援するためとして、軍需物資の売却を進めた。加えて植民地の警備やインド洋での航路防衛など

を買って出た。日本は海援隊を積極的にインド洋に展開させて、航路防衛に当たると同時に、各地で人脈の開発に力を入れた。


「ここまで列強が疲弊すれば、いずれ植民地の独立は不可避となる。ここで独立派とのコネクションを構築しておく必要がある」


 辻はそういって、各地で植民地の独立運動のリーダーとの人脈を開発することに力を注いだ。

 ただしその傍らで列強を完全に敵に回すつもりはないことをアピールしなければならなかった。日本は仏印とタイとの戦争が拡大するや否や

即座に和平の斡旋を行った。タイ軍が活躍しすぎれば、今度はイギリスを刺激しかねなかった。タイが無力であるからこそ、フランスとイギリスは

この国を緩衝地帯と出来たのだ。もしもタイが日本の支援で強大化すれば、イギリスの対日政策に悪影響を与える。

 同じ黄色人種だからといって、日本はタイと肩を並べて米英に喧嘩を売るつもりはなかった。日本はタイと仏印の紛争をドローに持ち込むと、次に

自由フランス軍を前面に立てて、仏印に進駐した。抵抗を試みる者もいたが、熱戦教によってその大半が事前に処理され表に出ることは無かった。


「連合国であるフランスを支援するための進駐ですので」


 日本は領土的野心が無いことを全面に押し出して、列強からの懸念を払拭することに力を入れた。史実で国際的な影響を軽視して仏印に進駐した

挙句に、アメリカから全面禁輸措置を受けたことを彼らは忘れていなかった。

 日本が仏印に進駐したことはアメリカを刺激したものの、最終的にイギリスの取り成しによって事なきを得た。

 合法的に仏印への進駐を果たし、ニューカレドニアの利権を手に入れたことで辻の機嫌は非常によくなった。


「G号計画も順調。あとは衝号計画のために、現地に調査部隊を送り込まないと」


 しかし彼らにとって気にかかることもあった。そうイギリス本土への攻撃をドイツが準備していること、さらに仏伊海軍がドイツ海軍と協力して

大西洋で通商破壊に取り掛かるとの報告が情報局から齎されたのだ。

 近衛や辻はドイツとイギリスが一時的にとはいえ、停戦する可能性を考慮しておいたほうがいいかも知れないと考えた。加えて、イギリスが

予想以上にヘマをしていたために、イギリスが想定していた以上の劣勢な状態で停戦するかも知れないとも考えた。


「アホのジョンブルが。そういうヘマは、史実でやってくれれば良かったものを」


 夢幻会の会合の席で、辻が悪態をつく。この悪態に、嶋田たちもぎょっとした。


「つ、辻さん?」

「嶋田さん、最悪の事態を想定して、腹を括ったほうがよさそうですよ」






 1941年6月、遂にドイツ軍はイギリス本土への攻撃を開始した。それはこれまでに無い大規模なものであり、ドイツ軍が遂に英本土へ

その牙を剥いたことを示すものであった。

 イギリス空軍はドイツ軍の目がジブラルタルに向いていた間に何とか量産したスピットファイアやハリケーン、加えて日本から購入した電探さえ

用いて構築したレーダー網を使って迎え撃った。これに自由フランス軍や自由ポーランド軍、そして日本の遣欧軍の第12航空艦隊の第3航空隊が

加勢した。


「敵に恐怖心を与えるのが、今回の作戦の目的だ。敵の根拠地を叩くのはまだ先だが、それまでに敵を萎縮させることが一番重要なのだ。

 我々はそのために全力出撃する」


 迫り来る圧倒的な数のドイツ軍機に怖気づく者もいる中、第3航空隊司令官に大抜擢された小園安名はそういって全力出撃を主張した。

 若造がと苦虫を潰すような顔をする幕僚も居る中、史実での彼の功績を知る遣欧軍上層部は悩んだ挙句、出撃を許可した。また補給や現地での

部品の調達についても彼の裁量を認めた。

 自由な裁量を認められた小園は、ただちに手持ちの部隊を全力出撃させた。第3航空隊の編隊はイギリス軍と協議した上で飛行隊ごとに担当空域を

決めてドイツ軍機を待ち構えた。日本海軍の猛禽たちが待ち構えることを知らずに、その空域に侵入したドイツ軍機は哀れな獲物に過ぎなかった。

 彼らが最初に相対したのはゲーリングが自信をもって投入したMe−110。これは長距離侵攻のための航続力と速度性能を両立させる双発戦闘機

であった。これに対して日本が持ち出したのは九六式戦闘機二二型と言われる機体だった。

 二二型は発動機を1750馬力の金星エンジンに換装したことで最高速度が580キロに向上させ、武装も20mm機関銃を2門、12.7mm機関銃

を2門に強化した機体だ。これが電探の誘導に従って襲い掛かってくるのだ。ドイツ軍としては堪ったものではなかった。

 Me−110は双発機としてはコンパクトな機体ではあったが、やはり単発機として比べると機体が大きく高翼面荷重であったことや、加速性能に

欠いていたためにあっさり九六式に後ろを取られて撃墜された。しかも逃げようにも九六式のほうが30キロも最高速度が速いので逃げられないのだ。

 こうして第3航空隊は初戦からドイツ空軍を痛撃した。日本戦闘機によって手痛い損害を受けたことを知ったヒトラーは第3航空隊の撃滅を指示。

これによって第3航空隊はイギリス南部上空で、ドイツ空軍と激しい空戦を繰り広げることになる。

 九六式戦闘機と九七式偵察機によって編成された日本海軍第12航空艦隊第3航空隊は、イギリス空軍に次いでドイツ空軍に大打撃を与えた。

九六式の欧州の機体と比べて異常なほど長い航続距離は、長時間の戦闘を可能としていたので、各地で重宝された。

 日本海軍の九六式戦闘機が使えると知ったイギリスは早速輸出を打診した。日本は即答でOKを出して、九六式戦闘機の輸出を大々的に開始する。

 ただ、変態の国であるイギリスは日本から普通に輸出された物で満足せず、自分の国が持つマリーンエンジンに改装したものさえ作っていった。

 英国製マリーンエンジンを搭載した機体は九六式戦闘機三三型とされ、イギリス軍のみならず各国の亡命パイロット達によって使用された。最初は

日本製の航空機ということで抵抗感があったが、実際にドイツのBf109Dを相手に優勢に戦えるとなると次第に九六式への支持が増えていった。

 そのためか、日本からは首無し戦闘機が大量に輸出されることになり、「史実の三式戦のときも、こんな感じだったんですかね」と辻に言わせる

ほどの光景が各地で繰り広げられることになる。

 日本軍機にお株を奪われてばかりでは、大英帝国空軍の名折れとして、迎撃司令部のダウディング大将は各地の空軍戦闘機隊へ発破を掛ける。

勿論、生産が終えたばかりのスピットファイアやハリケーン、さらに訓練を終えたパイロットを次々に前線に送り届けて、前線の部隊を支えた。

 しかしながらドイツ軍はイギリス空軍の撃滅を果たすべく苛烈な攻撃を続けた。この結果、イギリス軍は次第に追い詰められていった。


「サリー方面から緊急電! 戦闘部隊の損耗率60%、迎撃効率が著しく低下しています!」

「ホーキンジ方面から入電、ドイツ軍との戦闘によって戦闘機隊が壊滅しました!!」

「リム統括所がドイツ軍爆撃機による爆撃を受けています!」


 ミドルセックス州、スタンモアに建つベントリー修道院に置かれた迎撃指揮司令室には、各地から次々に凶報が齎される。

 それはダウディング大将が築き上げてきた迎撃システムが崩壊しようとしていることを示すものであった。ダウディングは自身が心血を注いで

築き上げてきたものが無残に破られていく様を見て、足元が崩れるような喪失感を味わっていた。

 そんな彼に、副官がさらなる凶報を告げる。
 

「第11戦闘集団の損害は112機に達しています。加えてレーダー群にも爆撃が行われ、遠距離レーダー群は壊滅したとのことです」


 この報告を聞いて、ダウディングは暫く何も言えなかった。


「……再建に要する時間は?」

「2日です。日本軍が空母から戦闘機を降ろして、防空に協力してくれるようなので、復旧作業が邪魔されるようなことは無いかと」

「そうか。全く、日本人達には、頭が上がらないな」


 そんなことをダウディングが言っている頃、イギリス軍の苦戦振りを見ていた古賀はこれからどうするかについて頭を痛めた。


「ドイツが史実より優秀なのか、それともイギリスが史実より無能なのか、それとも両方か……。前者だけならドイツ本土を強襲できるんだが

 ドイツ海軍の戦いぶりを見る限り、そういう訳でも無さそうだ」


 彼が指揮する第7艦隊は、現在、北大西洋で輸送船団の護衛に当たっていた。枢軸軍による通商破壊は史実に勝るとも劣らないものであり

イギリスに多大な出血を強いていた。水上艦による通商破壊は史実より低調であったが、潜水艦による攻撃は熾烈であった。このため空母の

対潜能力を買われ、第7艦隊はあちこちに引っ張り出されていた。陸攻も対潜哨戒に借り出される始末であり、遣欧軍は身動きが取れなかった。

 遣欧軍司令部としては事態を打開するためにドイツ本土に奇襲攻撃でも仕掛けることが考えられていたのだが、あまりにリスクが高すぎる

として採用されなかった。しかし、そうかといってこのままでは第3航空隊がすり潰されてしまうのではないかという懸念が持たれ、今後どう

するかが問題となっていた。


「比較的リスクが低いジブラルタル攻撃を具申するか」


 ジブラルタル奪還こそ無謀であるが、ジブラルタルに展開している枢軸軍艦隊や港湾施設に打撃を与えて、枢軸軍による通商破壊に歯止めを

掛け、加えてドイツ空軍をイギリス本土から引き離せないか考えるようになった。

 だがジブラルタルを攻撃するためには陸に揚げた戦闘機を空母に戻す必要がある。もしも彼らを空母に戻せば、イギリス軍はさらに苦境に立つ。


「この手詰まり状態を何とかするには、増援が必要だな」


 夢幻会も、この手詰まりの状態に頭を痛めていた。

 1ヶ月を超える消耗戦は日本軍にも少なからざる損害を与えていた。イギリス本土上空での戦いなので、搭乗員は撃墜された際に脱出しても捕虜に

なる危険はないし、無傷ならすぐに戦線に復帰できたが、肝心の戦闘機が無ければ何もできない。

 九六式二二型がいかに高性能と言っても、相手が圧倒的な数をもって攻めてきたら、さすがに楽勝というわけにはいかない。撃墜されなくとも損傷

すれば修理する必要があるし、無傷だとしても部品の消耗で整備が必要になる。

 連日連夜の出撃で第12航空艦隊の物資の備蓄状況は危険な水域に達していた。しかし自分達が苦しいときは敵もまた苦しい、夢幻会はそう考えた。

それは史実より脆弱なドイツの生産力ではいつまでもこの消耗戦を続けることは出来ない、このままいけば向こうが先に根を上げるだろうとの分析が

基になっていた。尤も、今を何とか耐えるという判断がされる傍らで、烈風など新鋭機を回す必要があるという意見も出始めた。


「遣欧軍将兵を無駄死にさせてはならない!」


 現場を知る人間の声に押された結果、技術の流出を警戒していた人間達も最終的に状況を打破するために、烈風や飛燕などの新型機を欧州に送ること

そして、これらの機体のイギリスへの輸出することに同意した。


「ここまでドイツが粘る以上、仕方ないでしょう。もはや出し惜しみは不可能、そういうことです」


 嶋田はそういって、慎重派を黙らせて増援を出すことを決定した。


「それにしても、何故、ドイツはここまで粘る? 彼らも限界が近いはずなのに……」


 このとき、彼らはまだ知らなかったが、ドイツが史実以上に粘り強かったのは、他ならぬ日本のせいだった。

 カナリア沖で痛撃され、さらにBOBでも痛い目にあっている。先の大戦を含めればこれで三度目だ。ここで引き下がれば恥の上塗りであった。

 日本軍の獅子奮迅の働きは確かにドイツ軍を驚愕させ、恐怖させた。しかしそれが故にドイツは日本軍がより大規模な援軍を送りつける前に

イギリスを屈服させようとしたのだ。

 加えて、日本によって国内経済を荒されたドイツとしては、長期戦は避けなければならない。故に彼らは簡単には引くことが出来なかった。

 様々な事情により力の出し惜しみをする日本と、後が無い故に死に物狂いになって戦うドイツ……勝利の女神が後者に微笑むのは当然の摂理で

あった。

 日本の動きは後手後手に回り、ドイツ軍の粘り強い攻撃によってイギリス空軍は壊滅状態に陥り、イギリスはブリテン島南部の制空権を失う

ことになった。

 8月に入るとドイツ空軍による爆撃はすでに、軍事関連施設のみならず、ロンドンを筆頭とした大都市にも及んでいた。多くの民間人が住んで

いた家を空襲で失い、路上生活を余儀なくされた。生活を奪われた彼らは、侵略者であるドイツ軍を呪い、そして自分達を守れなかったイギリス

政府への不信と不満を募らせていった。


「酷いものだ」


 現場の視察に訪れたチャーチルはロンドン市民の悲惨な状態を見て嘆いた。

 しかし彼にできることと言えば被災者への支援を手厚くするように指示をすること、そしてイギリス空軍が一刻も早く再建できるように関係機関

に根回しする程度しかない。目の前の人々をすぐに救うことは出来ない。


(アメリカからより大規模な支援を引き出す必要があるな……だとすれば、これまで以上にあの植民地人に擦り寄る必要があるということか。

 大英帝国も堕ちたものだ)


 すでにイギリスだけではナチスドイツを打倒することはできない。BOBによってイギリスの財政は火の車であり、栄えある大英帝国は破産寸前の

状態だった。米国からの融資で何とか戦っているのが現状だった。チャーチルは祖国の衰退振りに苦笑いするしかなかった。

 しかしかといって米国の傀儡になるつもりもなかった。彼はタフな政治家だった。

 だが幾ら精神的にタフだからと言って、爆弾を防ぐことはできなかった。彼はロンドンを車で移動中にドイツ軍の空襲に巻き込まれ、運悪く

命を落とすことになる。

 そしてチャーチルが視察中に死亡したことで、イギリス政府の継戦意欲は急速に削がれていった。

 対ドイツ強硬派の中心人物であった彼の死は、イギリスの外交政策そのものを大きく転換させていくことになる。











 あとがき

 提督たちの憂鬱第18話をお送りしました。

 というわけでルーズベルトに続いて、チャーチルも退場しました。しかも日英同盟が続いたせいで(爆)。

 遣欧軍、それなりに頑張ったんですが、勝利の女神はより努力したほうに微笑みました。

 チャーチルの死によってイギリスの外交は大きく転換されていきます。それは恐らく、日本にとって好ましくないことになるでしょう。

 後世において、第二のターニングポイントと言われるかも(第一はルーズベルトの退場)。

 拙作ですが最後まで読んでいただき、ありがとうございました。


 最後に今回登場した九六式のスペックです。


九六式艦上戦闘機二二型
最高速度580km 航続距離2150km 上昇限度1万2千m
自重2910kg 乗員数1名
エンジン<金星五五型>空冷エンジン1750馬力
武装20mm機関銃×2、12.7mm機銃×2、爆弾250kg搭載可能


九六式戦闘機三三型
最高速度:550km 航続距離:2050km 上昇限度:8千m
自重:2910kg 乗員数:1名
エンジン:<マーリンXU>液冷エンジン1175馬力
武装:12.7mm機銃×4