日本軍とフィンランド軍は、ソ連軍の兵站基地となっているレニングラードに爆撃を行うべく部隊の編成を行っていた。

 レニングラード空襲を務める部隊は2つに分けられる。

 主力を務めるのは日本軍の九五式陸攻36機、護衛の九六式戦闘機12機。この48機がレニングラード空襲を担う。

 彼らはヘルシンキ郊外の飛行場から発進。そのままフィンランド湾を横切って、海からレニングラードを攻撃する。

 そしてソ連空軍の注意を引き付ける囮を、日本軍の九六式戦闘機24機、フィンランド軍のサーブJ9戦闘機12機、それに

海に浮かぶ航空工廠と化している龍驤で組み立てられ、訓練が終わったばかりの九七式双発戦闘機8機の合計44機が担う。

 九七式双発戦闘機は史実のキ102を基にしている双発機であり、機首に20mm機関砲を4門搭載し、最高速度も580キロを誇る

高性能機だ。襲撃機としても使えるように武装が変更可能でありフィンランドで使えるとして分解して持ち込まれた。今回が初任務となる。

 九七式を含む囮部隊はカトレア地峡の沿岸に沿ってレニングラードを目指す。この過程で沿岸に設置されているソ連軍の監視哨によって

発見されればソ連空軍を引き付け、発見されなかったらレニングラードで合流し空爆に参加する予定だ。

 日本軍機80機、フィンランド軍12機、合計92機を動員した大作戦は着々と準備が進められた。

 しかし遣欧軍司令部内の一室では、南雲中将が今回の作戦について杉山に疑問を呈していた。


「遣欧軍の航空戦力の総動員……戦力の集中は大原則ですが、ここまでしますか? 余り犠牲が出ると後に差し支えるのでは?」


 人的損害を恐れる南雲としては、ここまでする必要があるのかどうかが今一納得できなかった。

 南雲はレニングラードに牽制程度の爆撃を行い、ソ連軍の戦力を後方に張り付かせておくほうが良いと思っていた。


(各種兵器のテストはできた。実戦経験も積めた。ソ連軍に多大なショックも与えた。これだけでも十分だろうに)


 勿論、すでに決定されたことなので、爆撃が中止されることはない。だがリスクの高さが南雲を躊躇させていた。

 しかしそんな南雲の内心を見透かしたように杉山は答える。


「攻撃の不徹底は真珠湾の二の舞を招く。ここで一気に殴ってやらないと。それに無意味な出血を避けるためにも、戦力は集中し最大限の戦果を

 挙げなければならない。下手な失敗をすれば、これまでに稼いだ得点が全て失われる」


 遣欧軍最高司令官である杉山は、各国の武官と出会う機会が多々あった。その中で日本軍の活躍が注目されていることを理解した。


「それに北欧の守りは史実以上に硬い。こちらがある程度消耗しても戦線は維持できる」


 マンネルハイム線は史実以上にトーチカが建設されており、その回復力は日本から持ち込まれた重機によって大幅に強化されていた。

加えて火力も早期に持ち込まれた多数の重砲によって大幅に向上している。


「サーブ社との共同開発も進んでいるんだろう?」

「………」


 龍驤に積み込まれたトランジスタ式電子計算機は、スウェーデンとのサーブ社との航空機の共同開発でその能力を存分に発揮していた。

ある程度時間を稼げれば、新型戦闘機の投入が可能になる。そうなれば独ソの圧力にも抵抗できる。


「………判りました」


 かくして、遣欧軍とフィンランド空軍の総力を結集したレニングラードは実施された。



 90機を越える航空機が参加する大作戦を完全に隠匿することは不可能であった。

 日本軍とフィンランド軍がレニングラードへの攻撃を目論んでいるとの情報は、フィンランド国内に潜むスパイを通じて、ソ連側に

漏れていた。


「周辺の航空隊を根こそぎ動員しろ!」

「レニングラードの軍需施設を破壊されるわけにはいかない。破壊されたら文字通り首が飛ぶぞ!」

「警戒を密にしろ。沿岸沿いに移動する航空機を見逃すな!」


 空襲の情報を掴んだソ連軍司令部は周辺の空軍基地と管轄の海軍航空隊に警戒態勢を取らせていた。

 レニングラードの軍需施設が破壊されればフィンランドとの戦争に差し支えが出る危険もある。ここは負けられない一戦であった。

 同時にソ連軍では、今こそ逆襲のチャンスという機運もあった。


「日本軍に一泡吹かせてやる」


 フィンランドとの開戦以降、日本軍によって散々に煮え湯を飲まされてきたソ連軍は、逆襲のときだと気炎を挙げた。

 実際、彼らはレニングラード防衛のために200機もの稼動可能な戦闘機を用意して日芬連合軍を迎え撃つ準備をしたのだ。

 そして、そんな警戒網の中に、囮部隊は飛び込むことになる。


「100機、いやそれ以上か……」


 囮部隊の指揮官である加藤は、スクランブルで出てきたソ連軍戦闘機の群れを見て、思わず操縦桿を握り締めた。

 フィンランド上空で戦ったときも、ここまで多数の敵機と出会ったことはない。


(囮である我々に釣られて出てきたのか? 攻撃隊が同じ規模の部隊に迎撃されていたら……)


 一瞬、最悪の事態が頭によぎるが、加藤は即座にそれを脳裏から追い出し、自身に課せられた任務を全うしようとした。


「こちら編隊長、正面から突っ込むぞ! ただし、格闘戦はするな。いいか、背後に付かれたら加速して振り切るんだ!!」


 九六式戦闘機の最高速度は562キロ。赤軍の主力戦闘機のI15やI16なら余裕で振り切れる。

 さらにこちらには、20mm機関砲4門を機首に備え付けた九七式双発戦闘機もある。火力を集中すれば正面から突破する

ことも不可能ではない。

 敵戦闘機の搭乗員達も、正面から突破されて相手に逃げられるとなれば、冷静さは保っていられないだろう。彼らが編隊を崩せば

そのときに付け込む隙が出来る。


「密集隊形で突っ込む。続け!」










           提督たちの憂鬱    第14話








 加藤は12.7mm機銃の最大射程で、一連射を放った。

 光の帯を曳いて飛ぶ曳光弾に驚いたのか、加藤たちの正面に立ちふさがっていた編隊で乱れが生じる。


(敵の編隊には新米が少なくない。これなら突破できる)


 ソ連軍の平均的な錬度はこちらには及ばない、そう判断した加藤は一気に正面から敵編隊を突破する。

 ソ連軍側も九六式戦闘機に機銃を撃つが、その大半が加藤たちの編隊の周囲を通過する程度で、直撃弾は殆ど無い。

 数は用意したが、その質は決して高くないことが見て取れる。


「連中、照準調整もまともに出来ないのか」


 最初に遭遇した編隊をあっさり突破し、この調子だと何とかなりそうだ……そう思った加藤は思わず笑みをこぼした。

 しかし次に見つけたソ連軍編隊は手強かった。彼らは速度、火力両面で劣る中でも決死に日本軍機に食い下がる。ベテラン搭乗員が

乗っているのか、彼らは指揮官機の動きを見て以心伝心で、間髪いれずに行動に同調する。


「こっちは中々やるな。だが……」


 加藤は自機から500メートルほど下方にいる敵機の背後にめがけて急降下した。降下時の速度は800キロ近くになり機体が振動する。

彼は歯を食いしばって必死にその振動に耐え、70mの必殺距離から12.7mm機銃弾を浴びせた。

 I16は至近距離からの直撃弾を受けて、あっという間に四散する。それは見事なまでの一撃離脱であった。


「よし、次だ!」


 ベテランであっても、九六式戦闘機との性能の差を完全にカバーすることは出来なかった。

 ソ連軍のベテランパイロット達は、必死に九六式を捉えて銃撃を加えるが、I16などに装備されている7.62mm機銃では九六式の

装甲を撃ち抜いて撃墜することは中々できなかった。さらに九六式は背後に付かれたのに気付くと高速を利用してすぐに離脱していった。

 加えてソ連軍機にはまともな無線機が搭載されておらず、僚機の間でまともな連携が出来なかった。これによって折角200機近い戦闘機を

上空に配備したにも関わらず、ソ連軍将校は6機〜9機程度しか把握できず、数の有利さを全くいかせなかった。

 10数分後、日芬軍航空隊はこの空域を離脱した。この戦闘で日芬軍は9機の戦闘機を失った。一方で、ソ連軍は60機もの戦闘機を撃墜され、

修理不能なものを含めれば、喪失は80機にも及んだ。かくしてソ連軍は再び惨敗を喫した。

 だがそれは、その後の惨劇の前触れでしかなかった。



 前線部隊が大苦戦しているとの報告を受けて、ソ連軍司令部は囮部隊に兵力を集中させた。

 ティモシェンコも、200機もの戦闘機を相手に対等(この時には詳細な損害の報告は無い)に戦える存在を無視できず、増援を認めた。

 ただし彼は敵の侵入を警戒して、高射砲連隊に警戒態勢を取らせた。

 ただし高射砲連隊は中高度からの敵機の侵入、言い換えれば爆撃機による都市部の無差別爆撃を想定した布陣を行っていた。故に彼らは

少数機によって構成された複数の編隊が、低高度から、そして複数の異なる方角から侵入することに全く対処できなかった。

 さらに予備の戦闘機部隊も、囮部隊に対処するために借り出されていたので、レニングラード上空は無防備状態だった。


「我、奇襲に成功せり!」


 司令部にそう打電して、攻撃隊はレニングラードの軍需施設に殺到した。

 高射砲連隊は慌てて攻撃を開始するものの、攻撃隊を止めることはできず、彼らはあっという間に目標の施設の上空に到達した。


「対空砲火も少ない。これなら思いっきり狙いを定められる」


 爆撃手は安堵しつつも、厳しい表情で射爆照準機を微調整する。

 何しろ日ごろから厳しい訓練を受けているのだ。ここで失敗したら、何のための訓練か判らない。それにここで陸攻が失敗したとなれば

戦闘機の搭乗員に馬鹿にされてしまう。戦闘機無用論が木っ端微塵にされ、伏見宮などの夢幻会派(表向きは条約派)が戦闘機重視を掲げて

いる今、何かしら功績を残さないと自分達の立場が危ない。

 彼らの執念が籠められた焼夷弾と陸用爆弾は、絶妙なタイミングで目標に投下され、次々に命中していった。

 レニングラードにあった軍需工場、それに弾薬補給廠、鉄道施設が爆撃を受け、深刻な損害を受けた。さらに手が空いた戦闘機部隊は

超低空で侵入し、高射砲陣地や軍飛行場に機銃掃射を行い、退避しそこなった爆撃機や、出撃できなかった戦闘機を片っ端から破壊した。


「何と言うことだ……」


 ティモシェンコは、被害の詳細が判るにつれて頭を抱えた。

 軍需工場は爆撃で大きく破壊された。本格的な復旧作業は春を待つ必要があり、さらに復旧には半年は必要。さらに戦闘機も80機を喪失し

飛行場では奇襲を受けて退避しそこなった爆撃機が30機以上鉄くずとなっていた。格納庫や整備施設もいいように攻撃され、被害は甚大だ。

 爆弾の他にも反戦ビラ(さらにエロ同人誌も)がばら撒かれていた。良識ある彼にとってこの上ない屈辱であった。

 しかし兵站拠点であるレニングラードの被害は少なくなく、直ちにフィンランドへ侵攻することは不可能となっていた。


「……冬季攻勢は被害状況を考慮して延期する」


 スターリンも怒り狂ったものの、計画していた大攻勢を延期せざるを得なかった。

 ただし空襲の責任を取らされて、空軍と海軍航空隊の数名の将官が、永遠の休暇を取らされることになる。








 日本政府はレニングラード空爆成功を受けて、ソ連に講和を呼びかけつつ、遣欧軍をフィンランドから引き上げる計画に着手した。

 フィンランドは粘っているが、ソ連が尚も粘れば、根負けするのはフィンランドのほうなのだ。遣欧軍を玉砕させるわけにはいかない。


「すでに遣欧軍の目的は達成されている。もうそろそろ兵を引き、次の派兵に備えるべきだろう」


 近衛は閣議の席で、そういって永田陸軍大臣と及川海軍大臣に遣欧軍の撤退を要請した。

 要請を受けて、軍は撤退に向けての準備を密かに進めた。同時にフィンランドで得られた数々の戦訓を基にして軍備の整備を図った。


「混戦になっても銃は役に立つ。五式銃の配備を急がないと」

「九五式噴進弾も量産しておかないと。我が国では九七式中戦車を大量に配備することはできないのだ」

「九七式は無理だとしても、九二式軽戦車の後を継ぐ車両は配備が必要になるのでは?」

「砲兵の強化が要るのでは? ソ連軍と勝負するのなら火力の充実は必要不可欠だ」

「いや、それよりも航空戦力の強化もだ。制空権がないとまともに戦えない。制空権さえ握ればある程度の不利は挽回できる」

「制空権も要るが、早期警戒網の整備も必要になるのでは? ソ連軍のように無様な奇襲を受けたら目も当てられない」


 フィンランドでの戦訓から陸軍は航空隊の整備、そして早期警戒網の整備を推進した。

 米国が満州や大陸沿岸に進出している以上、本土がいきなり戦場になることだってあり得るのだ。本土防空を受け持つ陸軍としては

かなり切実な問題であった。彼らは在中米軍や中国軍の存在を危惧して対応策を模索する嶋田を巻き込み、日本本土を守る警戒網を

構築していくことになる。

 戦車については暫くは九七式やその改良型でも十分に戦えると判断し、砲兵などの強化を優先することも決定した。ソ連軍の砲兵の充実

振りが陸軍を刺激したのだ。彼らはドイツから得た技術や雇った技術者を使ってロケット兵器の開発も進めることになる。

 一方、海軍では龍驤の報告から、航空機の消耗戦がどれだけ負担が大きいかを知って戦慄が走っていた。


「未熟なソ連空軍を相手にして尚、これだけの物資を消耗するとは……米軍を正面から相手にしたらどれだけ負担が掛かるんだ?」

「龍驤の廉価版を作る必要がありますね。でも、これだと今度は正面戦力が不足しそうな気が」

「電探による管制と誘導で補うしかないだろうな。敵味方識別装置の完成も急がせないと……また金が掛かるな、はぁ」


 海軍省内部の夢幻会派の会議では各部署の出席者からため息が漏れていた。


「大陸沿岸の封鎖のために機雷敷設艦も作ったほうがいいだろう。いや航空機からの投下のほうが良いかもしれないな」

「いや、欧州での戦争に備えるなら、護衛艦の整備も必要だ……戦艦の価値が暴落していくような気がする。本当に地味だな」

「地味って言わないでください。それに航空機と潜水艦、空と水中の戦いが決する戦争ですから仕方ないでしょう」

「砲術の人間としては寂しいものを感じるよ。伊吹型三番艦だってダミーだしな」


 夢幻会では比較的立場が弱い戦艦派・古賀はそういってため息を付いた。

 日本は米国の急速な海軍の増強に対応するためとして、伊吹型1隻の追加建造を発表。さらに基準排水量が4万トンを超える超弩級戦艦

の建造も計画中との情報も積極的に流していた。勿論、これらはダミー計画であり、政府に建造する気はさらさら無い。

 しかし戦艦派を明らかに冷遇するのも政治的に拙いので、空母部隊の護衛も考慮した超甲巡(実質は改金剛型)の建造が構想されていた。


「まぁ戦艦の話題は置いておきましょう。新型重爆、どうします? 倉崎が作った百式……量産します?」

「英国から毟り取った金で運用できるなら作っても良い。でも、日本海軍独力で運用できるのか?」

「……一応、出来るんじゃないか? 滑空魚雷とか、滑空爆弾とかの母機に使えるって山本さんも推しているし」


 戦闘機搭乗員を中心とした派閥に押され気味の山本たち陸攻派にとって、新型陸上攻撃機は必要不可欠であった。

 しかし新型重爆撃機・百式重爆連山は高性能の分だけ、値段も高い。維持費用も無視できるものではなく、こんなの作るんだったら

戦闘機を作って制空権を確保したほうがマシとの意見も少なくない。

 だが原爆運用機を開発するために、辻が珍しく予算を承認して開発・導入を進めたおかげで日の目を見たのだ。


「維持費用がもう少し安ければ問題ないでしょうが……部隊を大幅に増強しようとしたら、大蔵省に頭を下げることになりますよ」


 国家総力戦でもしない限り、軍は大蔵省に頭が上がらない。出席者は辻の顔を思い浮かべると頭痛を覚えた。


「嶋田さんに早く中央に復帰してもらおう。辻の相手はあの人に任せるに限る」


 かくして嶋田の中央復帰は早まることになる。生贄として。





 日本は来るべき戦争に備えて準備を進めるのと平行して、大陸への干渉、ただし武力ではなく謀略による干渉を推し進めた。

 彼らは満州での日米のバランスの均衡化と福建省や四川省、広東省などの切り離しを目論んだ。


「国民党崩壊と赤化、そのドサクサに紛れて干渉して緩衝地帯(特に満州)の分離が良かったんだけどね」


 夢幻会の会合の席で、阿部はそういって肩をすくめた。

 何しろここまで米国が出張るとなれば、共産党の躍進の可能性は低い。こうなれば、米国の野心を利用して大陸勢力を完膚なきまでに

バラバラにしてしまえ……彼らはそう判断した。


「国民党は怒り狂うだろうな」

「構わんさ。それより今は大陸をどう分けるか、だ。こちらの浸透工作、進んでいるんだろう?」

「はい。海援隊の活動で、現地富裕層には日本を支持する人間が少なくありません。中国人同士の不信感も煽られ団結力は弱まっています」

「国民党は失墜、共産党もテロリストの汚名を被り追われる身に。民族自決の名の下で新勢力を分離独立をさせる下地は整っているな」


 この言葉に情報局局長の田中は深く頷いた。


「問題は果たして列強が承認するかどうか、か」


 友好(?)関係を壊したくは無い辻達としては、列強が反発するような強硬手段に打って出るのは躊躇われた。


「下手をやると火の粉がこちらに降り注ぐ……本当に頭が痛いことばかりですよ。おかげで女子学生に萌える暇もない。

 一日一萌が私のモットーだというのに」


 この言葉に伏見宮などが頷くのを見て、何人かがダメだこりゃと頭を抱える。

 そんな雰囲気を無視して辻は話を続ける。


「まぁそれより問題は満州の張学良でしょうね。あの男は張作霖以上に米国に擦り寄って調子に乗っている」


 日本の憂慮など知る由も無く、張学良は米国の支援を受けて共産党狩りをすすめていた。

 父親の仇の上、共産勢力を潰せば潰すほど、米国財界から支持と支援を得られる……私人としても、公人としても旨みが大きかった。

 張学良は父親以上に、米国の支援に依存している。


「米国は満州に派兵する気満々のようです。連中、これで王手をかけたつもりなんでしょう」


 東条の言葉に出席者たちは「予想通りだな」という顔をした。辻は当然といった表情で言う。


「反張学良派への梃入れが必要ですね。あと共産党に頑張ってもらいましょう」

「共産党に何かしらの支援を行いますか?」

「共産党には尾崎さんのルートで色々と情報を与えて物資を略奪しやすくしておきましょう。

 ああ、ついでに『一部の』政治家が、大陸に進出したけど共産ゲリラに襲われて被害を受けている企業に泣き付かれて共産党と密約を

 結ぶというシナリオも良いですね」

「……辻さん、貴方、未来で一体どんな職業についてたんですか?」

「ははは、それは皆さんの想像にお任せしますよ」


 日本が裏で謀略を張り巡らせるのに対して、米国は力ずくで物事を推し進めようとしていた。

 米国は日本が租借している満州鉄道の付属地周辺の土地を次々に租借していった。満州鉄道は米国資本によって閉じ込められた形と

なり、満州における日本と米国のパワーバランスは、米国側に大きく傾いていく。

 ホワイトハウスで、満州情勢の報告を受けてロングは満足げに頷いた。


「ふふふ。あとは日本の権益を根こそぎ奪い取るだけだな」


 この言葉に国務長官のハルは眉をひそめる。


「あまりやり過ぎると、日本が暴発しかねません。多少、手加減は必要なのでは?」

「暴発か。まぁ確かに『今は』まだ困るな。太平洋艦隊の整備も十分じゃない」


 現在の日本海軍と米海軍の戦力差は3対5。楽に勝てるとは言い切れない戦力差であった。


「フィンランドの戦いを見る限り、日本軍は確かに強いのだろう。だがどんなに強くても、3倍から5倍の兵力で押せば勝てる」


 フィリピン、中国沿岸での基地建設、航空部隊の配備、そして艦隊の増強……これらが完了すれば日本など、あっという間に

叩き伏せることが出来る。ロングをはじめ、政府・軍高官は誰もがそう思っていた。


「問題は総研、ですね。彼らのことですから、我々が予想だにしない策を練っている可能性も否定できません」

「確かに彼らは優秀なんだろう。それは認める。だが、幾ら彼らが粘ったところで我々の戦略的優位は揺るぐまい。

 日本の持っている国力(外交での影響力含む)と、我々のそれでは隔絶の差があるのだから」


 最終的な勝利は自分達が勝ち取る……ロングの表情はその自信に満ち溢れていた。


「ふふふ。仮に戦争が起こって我が国の完全勝利で終わったら、ある程度、賞賛してやるさ。黄色い猿にしては良くやった、とね」


 そういって笑うと、ロングはマーシャル陸軍長官に命じる。


「在満米軍の準備を急がせろ。それと……日本本土空爆の作戦も準備するように」

「先制攻撃をするおつもりですか?」

「あくまでも保険だ。私とて、無意味な戦争はするつもりはない。だが政治家は常に『不測の事態』に備えなければならない」


 米国は、まだこの時点では日本と戦争をするつもりはなかった。しかし挑戦されれば受けて立つつもりでもいた。

 太平洋は日米の2カ国で分け合うほど広くは無い。太平洋を自国の庭とするためには日本を叩き潰す必要があるのだ。

 来るべき日に備えて、米国は着々と日本包囲網を構築していた。


「あと、マーシャル長官。メキシコの安定化はどうなっている?」

「はい。現地のゲリラの掃討はほぼ終わりました。ですが、一部の難民が米墨国境に向かう動きがあります」

「不法入国者か。全く、あの連中は手間ばかり取らせる」


 ロング政権は、米国のオイルメジャーに楯突いたメキシコの左派政権を木っ端微塵に粉砕し、傀儡政権を樹立した。

 しかしその過程で旧政権を支持した多くの支持者が、米軍の支援を受けた政府によって住んでいた土地を追われてしまったのだ。

 はっきり言えば米国の自業自得なのだが、そんなことは一切気にしないのが米国であった。


「メキシコは早く安定させるんだ。中南米は我々の裏庭。ここを管理できないようでは列強に舐められる」

「承知しました」





 日本は米国を出し抜くために策を張り巡らせる傍らで、フィンランドからの撤退を本格化していた。

 日本は英仏がフィンランド救援のために軍を派遣すると発表したことで、義勇軍の任務は果たされたとしてフィンランドから撤退する

ことを公表した。

 フィンランドは渋ったものの、英仏軍が来ること、それに日本軍も働き詰めで疲れている事、北欧に長期間にわたって軍を貼り付ける

ことは難しいことを言われると、日本に無理強いすることは出来なかった。


「貴方達には本当に感謝しています」


 マンネルハイムは杉山に謝礼の言葉を述べた。

 礼を言われた杉山は「いえいえ」と謙遜しつつ、内心では後ろめたいものを感じていた。


(ソ連軍にショックを与えて独ソ戦に備えさせるため、新兵器の実験のための派兵だったなんて言えないよな〜)


 今回の派遣の真の目的を知る人間達は誰もが乾いた笑みを浮かべていた。

 マンネルハイムは日本の真の目的を知らない。だが彼は日本がすでに何らかの目的を果たしたのではないかと察していた。


「杉山将軍、貴方達、日本軍軍人が最後まで付き合う必要はありません。これは我々の戦争なんです」

「……」

「我々は日本軍から本当に多くの援助を受けてきました。これ以上、貴方達に甘えるわけにはいきません」


 マンネルハイムの実直な人格を、杉山は好ましく思った。


「貴方と、貴方の祖国に安穏が訪れることを願っています」


 ソ連が本気になって総攻撃に出れば英仏の支援があっても持ち堪えられない……そう思っている杉山は、そう言わずにはいられなかった。

 尤も杉山の不安は、彼らにとって予期せぬ場所、日米の思惑が交差する満州で起こった出来事によって払拭されることになる。

 事の発端は張学良の命令によって中国共産党を追撃していた部隊が、ソ連が実質的に支配している満州北部に侵入したことだった。

 満州北部を走る東清鉄道は帝政時代に築かれたものであり、革命後はソ連が経営し、その警備もソ連軍が行っていた。そのため北満州は

依然としてソ連の支配下であった。そんな領域に、奉天軍が入ったのだ。何も起こらないわけが無かった。

 ソ連軍は警告したが、奉天軍の兵士や下級将校達も米軍の支援で装備が充実していたことから強気になり、中国共産党員とソ連軍を同時に

敵に回して戦闘を起こしてしまう。


「奉天軍から攻撃を受けた? すぐに反撃しろ!」


 極東軍総司令官ブリューヘル元帥は、直ちに反撃を指示した。

 元々、調子に乗り始めていた奉天軍に対してある程度警戒していた極東軍は直ちに反撃を開始した。

 それは後に第一次満州事変と言われる戦いの幕開けであった。


「奉天軍がソ連に喧嘩を売った?!」


 日米双方の当局者、この報告には仰天させられた。何しろ弱くなったとはいえ、ソ連極東軍の戦力は奉天軍を遥かに超越しているのだ。


「最悪の場合、戦争になるぞ! 軍の展開を急げ!!」


 慌てた当局者達は急いで対応しようとした。米国は在中米軍の、日本は関東軍の出動準備を命じた。

誰もが奉天軍の敗退とソ連の南満州侵攻を予想した。しかしそれらの予想は、奉天軍の善戦という予想外の事象によって覆された。

 日本軍の工作によって、兵士達が腑抜けになっていたこと、指揮官が大粛清によって不足していたこと、さらに装備が史実以上に劣悪であった

こと、そして何故か幸運の女神が戦場で奉天軍に幸運の安売りをしてくれたことが重なり、ソ連軍は苦戦を余儀なくされたのだ。

 この偶発的な戦闘での善戦に気を大きくした奉天軍は、米国から与えられた兵器を、まるで玩具を自慢する子供のように見せつけ、さらに日米の

介入さえ匂わせながら、中国共産党員の引渡しを要求した。

 普段のスターリンならば激怒して、奉天軍を徹底的に潰すように指示しただろう。しかしフィンランドとの戦いで、空でも陸でも手痛い損害を

受けていたことで、ソ連軍の実力に不信を持っていた彼は戦線を拡大させるような決断を下せなかった。


「……ここは一旦、引くべきだろう」

「いいのですか、同志スターリン」

「仕方ないだろう。モトロフ。このままでは米英仏、それに日本全てを敵に回すことになる。それは避けなければならない」


 内心の怒りを押し隠しつつ、スターリンは決定を下した。


「フィンランドとも停戦交渉を行う。多少の譲歩は止むを得まい」


 かくして北欧の戦いの幕は閉じる。予想外の役者の活躍によって。
















 あとがき

 提督たちの憂鬱第14話をお送りしました。

 多少駆け足だったような気がしますが、冬戦争、第一次満州事変終了です。

 次回は対ドイツ戦争に入りたいと思っています。あと冬戦争、第一次満州事変の後始末も……。

 拙作ですが最後まで読んで下さりありがとうございました。

 それでは提督たちの憂鬱第15話でお会いしましょう。




 あと、今回登場した九七式の細かいスペックです。



 九七式双発戦闘機
 フィンランドへ襲撃機、双発戦闘機として輸出された。史実のキ102を基にしている。
 下or上45度に斜め銃を装備できる。将来の電探装備も考慮して余裕を持たせている。

全長 11.45m 全幅 15.57m  金星エンジン1500馬力
最大速度 580q 航続距離2000km 乗員2名
武装 戦闘機 機首20mm機関砲4門、斜め上向きに20mm2門 
   襲撃機 機首20mm機関砲4門、斜め下向きに40mm機関砲1門