第二次世界大戦のフラグイベントであるミュンヘン会談。この大イベントを前にして歴史は再び動こうとしていた。
「メキシコの石油国有化政策に米国は激怒しています。オイルメジャーや民主党南部州議員もメキシコ討つべしと」
「メキシコでは外貨貯金を行う富裕層が激増しています。一方、米国では軍需関連株が値上がりしています。
米政府はメキシコに警告を行いつつ、連邦軍をアメリカ・メキシコ国境沿いに集結させています。これは脅しの範疇ではないでしょう」
「メキシコ政府が国有化を撤回する可能性は?」
「メキシコ政府は国有化した際に、オイルメジャーに補償を行うので問題はないと主張して譲りません」
夢幻会の席では外務省と情報局から挙げられた報告に、全員が顔をしかめていた。
もはや、やりたい放題と言える米国の横暴さに、さすがの出席者たちも危機感を募らせていた。
「ということは米墨戦争再び、といったところですか」
嶋田は救いがたい結論に達して、深くため息をついた。
彼ら軍人から見れば、メキシコが米国相手に戦って勝てる可能性はゼロ。いやむしろ考えるだけ無駄であり、無意味な犠牲を部下に
強要するものでしかない。
「決着は半年も掛からないような気がしますが」
「嶋田さんの仰るとおり、半年ちょっとで片が付くでしょう。私としてはメキシコにある程度頑張ってもらいたいんですが」
この辻の言葉に嶋田は目をむく。
「まさかと思いますが、メキシコに支援をするとは言いませんよね? 私は米国に喧嘩を売りたくは無いですよ?」
「ははは、私だってするつもりはないですよ。メキシコに肩入れしたら、中国の米軍が色々と煩いですから」
ドイツ軍人達が自信を持っていたゼークトラインは米国の支援を受けた張作霖軍によって崩壊一歩手前の状態であった。
華北戦線でもついに黄河を渡られてしまい、戦火はいよいよ中原に及びつつあった。ドイツは取引相手である国民党を助けるべく義勇軍の
支援を検討していたが、スペイン内戦で苦戦する反乱軍を助けるために必要な兵力を捻出できず、その目論見も水泡と帰していた。
これらの結果、米軍は堂々と上海に居座り、張作霖軍の支援を続けていた。
「米国は匪賊対策と張作霖からの要請を盾にして、内陸進出を狙っています。ここで日本が米国と真っ向から対立すれば喜ぶのは蒋介石と
スターリンだけです。今は米国の思うようにさせるしかありません」
「……やれやれ、ですね」
「まぁいずれこのツケは払ってもらいます。ええ、しっかりと。戦後世界のように、ルール変えて借金踏み倒しなんて真似はさせませんよ」
ふふふ、と暗い笑みを浮かべる辻。
「おお、怖い怖い。さすが黒さに定評のある辻政信ですね」
「失礼ですね、私は清く正しいことに定評がある男ですよ? 黒さなんて二次元以外で売りにはなりませんよ」
(((お前が清く、正しいなら、辞書を書き換える必要があるよ!!)))
当人以外が心の中で突っ込みを入れた。そんなことは露知らず、いや、察していたのかもしれないが気にも留めずに、辻は話を続ける。
「とりあえずメキシコが蹂躙されることに備えて、在墨の日本資本と邦人の安全確保を急がせましょう」
この後にアメリカ合衆国政府はメキシコ政府による石油資源の国有化を撤回させるべく、武力介入を行うことを発表した。
モンロー主義者による反発も予想されていたが、中国内戦や軍事力増強によってある程度の景気回復を成し遂げ、かつ大陸に確固たる足場を
築くことに成功したロング政権に対して強く反発するものはいなかった。また相手が大して犠牲を出すことなしに勝てるであろう、メキシコで
あったことも、国民の支持を後押ししていた。
米国による武力介入を招いてしまったメキシコ政府は、徹底抗戦の構えを取りつつ、列強に対して支援を要請した。
しかしながらドイツの台頭と、その対応に忙しい列強諸国は、アメリカを怒らせてまでメキシコを手助けしようとはしなかった。
日本でさえ、メキシコに露骨に肩入れをすれば米国を怒らせてしまうと判断して、係わり合いを避けた。日本はむしろメキシコが戦争で叩き潰され
ることで、現地で反米機運と共産主義が台頭したほうが、国益に叶うと考えていた。
「メキシコの政情が不安定になれば、米国はその対応のために力を分散させざるを得なくなる」
某高官はそう嘯いたと言われている。
かくして列強の様々な打算と思惑によって、メキシコ政府はあっさり孤立して、米軍によって袋叩きにされることになった。
メキシコ軍が国境に集結した米軍にボコボコにされている頃、ヨーロッパでは遂に第二次世界大戦のフラグイベントであるミュンヘン会談が
開催された。そして日本の予想通り、連合側が譲歩して終わることになる。ミュンヘン会談が終わったあと、日本は第二次世界大戦がほぼ史実通りの
スケジュールで開戦されると判断して、遣欧軍の派遣準備に取り掛かる。
軍が遣欧軍の前準備に入る一方で、外務省など関係省庁は英国政府との折衝に入った。彼らはドイツが万が一、再び暴走したときには日本も英仏と
協力して、国際秩序を維持するためにドイツを叩くつもりであることを告げ、日本が派兵する際には主に補給面での支援を要請した。
表面上、あまり日本にとって利益がなさそうな提案であったが、実際には日本の国益を確保するための提案であった。
そう、国際秩序維持を名目に日本はドイツを潰して彼らの技術を収奪し、二回目の対ドイツ戦争を通じて日英同盟の本格的復活を目論んでいたのだ。
夢幻会はドイツの膨張姿勢が明らかになった今、英国の親米派も日英同盟の本格的復活には、そこまで異論を唱えないだろうと読んでいた。
しかしながら、この日本の動きは列強に探知され、夢幻会にとって予期せぬ反応を生むことになる。
「遣欧軍は必要ないと?」
嶋田は会合の席で、外務省から齎された報告に眉をひそめた。白洲次郎は、英国の反応に関する詳しい説明を続けた。
「はい。英国は日本が遣欧軍を派遣せずとも、いずれドイツは軍拡の重みに耐えかねて自壊すると言っています。
加えて『我が国』はドイツから恨みを買っていますから、悪戯にドイツの敵意を買いたくないと。これにはフランスも同調しています」
「ドイツとの激突が不可避であることは、彼らも理解していると思うが?」
「彼らは直接ドイツと戦うよりも、ドイツを経済的に自壊させるか、ソ連とぶつけ合わせるほうが良いと判断しているようです。
下手に日本軍を欧州に迎え入れる準備をすると、ドイツ国民の反感を買い、世界大戦への導火線になりかねないとも言っています」
「「「………」」」
「また大西洋において、英国は米国との関係を第一と見做しており、下手に米国を刺激して、関係を悪化させたくないとのことです」
提督たちの憂鬱 第10話
夢幻会が練っていた第二次世界大戦の戦略は、彼ら自身が取ってきた行動の結果、瓦解した……因果応報とはこのことだろう。
自分達が最善の行動と思い実施してきた政策が、日本への警戒感、不信感、反感を高めることについて、彼らは若干過小評価していたのだ。
「土壇場でこれは無いだろう、JK……」
しかしいつまでも落ち込んでいるわけにはいかない……そう思い直した人間たちによって、話し合いが再開される。
伏見宮は出席者たちに意見を求める。
「日英同盟を基軸として、米国の圧力をかわすという戦略は半ば瓦解することは確実となった。この先、どうするかだ」
夢幻会としては大戦勃発直後に欧州に遣欧軍を展開させ、英国と共同でドイツを潰しに掛かりたかった。しかしその道は絶たれた。
ここに至り第二次世界大戦のある程度の長期化、そして大戦による大英帝国の消耗と覇権喪失は確実と彼らは判断せざるを得なかった。
「ソ連を使う、いや使わざるを得ないと思います」
「冷戦構造の構築か?」
「はい。ですが史実以上にソ連に膨張してもらったほうが良いでしょう。ソ連が西欧、フランス周辺にまで勢力圏を拡大すれば
最終的に米国と対立するでしょう。それに欧州が赤化すれば、米国にとって有力な市場は東アジアとなります。
ここで反共産の砦となる我が国を潰そうとは思わないでしょう」
「NATOを事前に葬り去るつもりか」
「そのとおりです。使える同盟国が少ないのなら、使い物になる我が国を簡単にはすり潰さないでしょう。
まぁそのためには第二次世界大戦に米国を巻き込み、かの国と共同戦線を張る必要がありますが」
「ふむ、問題は米国が我が国を見捨てた場合。核を作っておいて米国を脅すのが策か」
近衛の言葉に嶋田達はぎょっとした。この反応がよほど面白かったのか近衛は軽く笑って石頭の軍人達に説明する。
「同盟国だからといって無用心になるのは危険ということだよ。同盟国故に警戒せねばならない。我々が核兵器を持ち、米国が我が国を
見捨てるようなことをすれば、お前達も巻き添えにしてやる……その位の気合がなければ」
「あまりやり過ぎると、貿易に支障がでるので加減はしてもらいたいですが」
「判っているよ、辻さん。その当たりのさじ加減は政治家と外交官の仕事だ」
この言葉を聞いた多くの出席者は「だから信用できないんだよ」と心の中で思った。
しかしここで突っ込みを入れると会議が不毛なものになりかねない。それを理解しているが故に、彼らは会議の進行を優先する。
「ソ連の勢力圏を欧州方面で拡大させるとなると、フィンランド支援はやめますか?」
嶋田の問いかけに、辻は首を横に振る。
「いえ、ここは冬戦争でソ連に痛い目に遭ってもらい、ソ連軍の兵器の開発を加速させるのが良いでしょう」
「……独ソ戦で張り合ってもらうために、ですか?」
「それと、ソ連の目を欧州にひきつけるためにも、です。フィンランド軍には頑張ってもらわないと」
こうして、フィンランドへの本格的支援が決定した。しかし供給できる旧式兵器は多くないことがすぐに判明する。
「………売りすぎたみたいですね」
これまで中国やスペインなどに売りさばいたために、軍の倉庫には埃を被っている旧式兵器はあまりなかったのだ。
辻は売却可能な兵器のリストを見ながら、さてさて、何を送るかを考える。
「ああ、そういえば、海軍で旧式砲が残ってなかったでしたっけ?」
「ええ、解体したり、近代改装で外したのが……ってまさか!?」
「そのまさかですよ、嶋田さん」
この言葉に東条が驚く。何しろ満州の防衛力強化のために海軍の旧式砲を使おうとしていたのは、他ならぬ彼なのだ。
色々と手回ししたのに、それをあっさり横から掻っ攫われるわけにはいかない。
「あれは満州に配備する予定で、簡単に回すことができるものでは」
「全部とは言いません。一部でも回していただければいいです。陸軍に回すもの以外で、余る砲を一部でも」
表向きはそういいつつも、目では「さぁ、出せるもん、一切合財吐き出せ」と主張する辻。
「か、海軍の旧式砲を吐き出させるつもりですか」
「在庫処理ですよ。良いじゃないですか、次の大戦で装備は一新するんです。在庫を残しておく必要はないでしょう?
それと航空機や各資材の運搬で、海軍の協力が欲しいのですが」
「……高速輸送船を出せと?」
「いえいえ、手っ取り早いのがあるじゃないですか。いざとなれば戦闘に介入できる艦が」
「空母、いや、まさか……」
「龍驤型航空工作艦。第三次海軍補充計画で建造しているあの船なら、列強もそうそう文句はつけないですよ」
第三次海軍補充計画、本来なら大和型戦艦、翔鶴型空母の建造が行われたこの計画は、この世界では大幅にその姿を変えていた。
この計画では金剛型戦艦の代艦としての伊吹型戦艦2隻と並んで、欧州遠征を目的とした龍驤型航空工作艦が建造されていた。
これは工作空母ユニコーンの日本版と言える艦であり、海に浮かぶ航空工廠と言える能力を持っていた。一応、戦時量産空母の雛形と
して建造されたが、値はそれなりに張るものであった。何しろその気になれば『空母』としても使えるような艦なのだ。
「し、しかしあの船を前線に出すとなれば、相応の護衛も要ります。あの船の価値は史実の工作艦明石に匹敵するのですよ?」
「護衛のための艦艇の派遣も認めさせます。その辺りはこちらでやります」
「……判りました」
嶋田が引き下がったのを見計らい、東条が自身の意見を切り出す。
「陸軍としては、義勇軍をフィンランドに送り込みたいと思っています」
「フィンランドへ?」
「新兵器は開発しましたが、このままでは経験が不足します。小規模で良いので部隊を送り込み、実戦経験を積ませるのが良いかと」
いずれは第一次世界大戦と同様に日本は参戦するが、その前に色々と兵器のテストもしたい……それが陸軍大国たるドイツ、そしてソ連と
相対することになる陸軍の考えであった。
「フィンランドで日本陸軍が侵略者ソ連と戦えば、日本に対する警戒感もある程度は和らぐと思われます」
「規模は?」
「混成旅団を考えています。英国もソ連と直接やり合うのは良しとしないでしょうが、我が国が矢面に立つなら支援はするでしょう」
「……判りました。準備をお願いします。嶋田さんも、陸軍の支援をお願いします」
「(相変わらず目立つ出番がない)……判りました。海軍も準備に取り掛かります」
また支援だけか、と嶋田はため息をついた。
紆余曲折を経つつ、日本は第二次世界大戦に向けての準備、そしてその後の戦後世界で生き残るための準備を加速していった。
日本はあくまで自国がこの先、生き残るための戦略の一環として戦争の準備を進めていたのだが、それを知るはずも無い列強は、日本が
何かしらの意図をもって戦争を開始する、または誘発するつもりなのではないかと勘繰った。
特に、これまで散々に日本の謀略によって痛めつけられてきたソ連では、日本陸軍が寒冷地装備を整えているとの報告を受けて神経を
尖らせるようになった。特にクレムリンの主は、ロシア帝国の後継者たちを擁する日本を殊更に危険視していた。
「帝国主義者と白衛軍の残党がよからぬことを目論んでいるようだな」
そういって暫し黙り込むスターリン。他の出席者たちはスターリンの機嫌が悪いことを察すると、冷や汗を必死に押し隠しつつ次の発言を
待った。ここで何か失言をすれば政治生命どころか、命自体が危ない。
「奴らの目的について何か掴んだか?」
「日本はどうやら欧州、特に北欧諸国との関係を強化することを狙っているようです」
「北欧だと?」
モトロフは冷や汗が背中を流れていくのを感じながら、独裁者の機嫌を損なわないように注意して話を続ける。
「重光公使から伺ったのですが、日本は近年、寒冷地で使える装備の開発を行ってきたそうです。そしてその製品の輸出先に北欧を選んだ、と」
「奴らは、我々の目的を知っているのか?」
北欧諸国への進出を図っていたスターリンにとっては、日本の動きは邪魔なものでしかない。
だが同時に、日本がソ連のフィンランド侵攻を察知しているのではないかとスターリンは勘繰った。スターリンはNKVDのべリヤに目を向ける。
スターリンの意思を汲み取ったべリヤは即座に頷く。
「日本に対する調査を継続しろ。それと極東に新型のKV−1を送り込む」
「米国が煩いのでは?」
「判っている。あくまでも日本に対する威嚇のためと言っておけ。配備も北満州は避ける」
スターリンとしては日本への牽制と日本陸軍の実力を見るために朝鮮や満州で紛争を起こしたかった。しかし米英の権益がある地方で紛争を起こす
と、これらの国々を敵に回してしまい、自分が推進している重工業化政策が破綻しかねないので、それらの選択肢を取ることができなかったのだ。
「満州、特に張作霖の監視も注意を怠るな。あの男は北満州の権益を狙っている。いざとなれば米国務省内の同胞を使え」
ソ連の浸透工作は、米国奥深くに及んでいた。比較的リベラル派が多い国務省などでは、特にこの工作は効果を発揮していた。
一方でFBIのフーバー長官や、陸軍のマッカーサー将軍などが共産主義を毛嫌いしており、米国内でも親ソと反ソで勢力が分かれていた。
張作霖は反共を掲げて、保守派勢力と緊密な関係を構築している。もし彼が米国の反共派の支援で北満州奪還に動けば厄介だった。
「中国共産党への支援も増やす。連中を使って日中・日米分断工作を今以上に推し進めるのだ」
赤い独裁者は、ポーランド、バルト三国、そして北欧を、ソ連の勢力圏に納めるつもりであった。
そのためには極東と東欧で二正面で作戦を行うわけにはいかない。現在のソ連の国力を加味すれば、どちらかに力を注がざるを得ない。
そしてどちらに力を注ぐかを決断する立場にあるスターリンの目は欧州に向けられていた。
ソ連が日中分断、日米分断を画策している頃、中国では米・張作霖連合軍によって蒋介石率いる国民党が危機に立たされていた。
国民党軍はドイツ、そして日本とソ連から輸入した兵器で応戦していたが、敵軍の圧倒的物量にはついぞ敵う事は無かった。
上海は敵軍の敵に落ち、南京や武漢といった華中の中心都市へその戦火は及びつつあった。しかしここで蒋介石は屈服する
つもりはなかった。彼は重慶に首都を移して徹底抗戦の構えを見せた。
「……連中、本気ですかね?」
東条は国民党の悪あがき振りに嘆息した。
「南京は兎に角、華中の中心都市である武漢まで落ちるとなれば、もう降参しても良さそうですが」
米軍は匪賊対策を口実にして、上海の外にも打って出るようになっていた。このために張作霖は米軍から潤沢な支援を受けていた。
一方の国民党軍は空軍は壊滅状態。制空権は無く、補給についてもお寒い限りであった。彼らは督戦隊をつけて、さらに兵士を麻薬漬けに
して戦線を維持していたのだ。ちなみにその麻薬は日本が横流ししている。
「まぁもう少しは頑張ってもらったほうがいいですよ。あの国が下手に統一されると面倒ですから。それにまだ搾り取らないと」
「「「………」」」
辻の腹黒発言に、出席者たちは乾いた笑みを浮かべる。さすがに付き合いが長くなってきたためか、もはや引くことはなくなったようだ。
「連中は重慶周辺を日独ソに租借させて防衛線を確保したいようです」
「租借?」
「ええ。彼らは自力で防衛できないなら、外国勢力を招きいれて、勢力を保つという考えに到ったようです」
「何と、他力本願な」
東条はそういって嘲笑した。日本は清国、ロシア帝国を敵に回したときでさえ、国内に外国勢力を招き入れて国土を切り売りするような
真似はしなかった。
「領土が広い故に、こういうやり方ができるのでしょう。あと、かの国は纏まりが悪いですから」
「個人主義ゆえの弊害、と?」
「まぁ我々が散々に国内を引っ掻き回したせいでもありますが」
そういって辻は苦笑した。何しろ彼は土肥原と組んで、散々に中国国内を撹乱していたのだ。
彼らが苦境に陥った原因のひとつと言えなくともないのだ。
「重慶周辺で租借を行うか、それが問題ですよ。今は。それで、どうします?」
この言葉に出席者たちは即答する。
「勿論、拒否だろう。ここで国民党政府に肩入れする理由は何一つ無い」
しかしここで辻が示したのは、彼らの回答とは真逆なものであった。
「私は租借は兎に角、あの周辺に土地を確保したいと思っています」
「アメリカを敵に回す気か?」
「そんなことではありませんよ。アメリカとしても、あの内陸の重慶まで侵攻するのは骨が折れるでしょう。それに今後、蒋介石が
さらに奥に逃げたら面倒です。我々が交渉の窓口になり、かつそのための拠点があれば、色々と便利と思いません?」
「そして、我が国は重慶周辺の鉱物資源を合法的に入手できると?」
「ええ。まぁ相手の足元を見て、希少資源、出来れば金銀を毟り取れればいうことはないですね」
「ははは、ユダヤの商人より、よっぽど貴方のほうが強欲に見えます」
「これから色々と金が要るんですから、このくらい強欲でないと」
そういって不敵に笑う辻。
「何しろ、軍は容赦なく金を使ってくれますからね。ええ、新兵器の生産でここまで金を取られるとは思わないですよ?
というかあの倉崎が作った新型偵察機・十二試陸上偵察機の価格は何ですか? 幾ら何でも、あの価格はないですよ?」
東条や杉山といった計画に関わったメンバーは、後ろめたいのか顔を逸らす。さすがに気になったのか嶋田は辻に尋ねた。
「……すいません、どのくらい高いんですか?」
「1機当たりの価格が海軍の九五式陸攻の2倍以上します。ちなみに維持コストを加えると、もっと高くなります」
さすがの嶋田も硬直した。そして硬直が解けた後、担当者に尋ねる。
「………東条さん、杉山さん、何を作っているんです? 高性能偵察機とは聞きましたが、ここまで値段が跳ね上がるとは」
「し、仕方ないんだ。マーリンを串型にしたら、高速偵察機ができると思ったんだ」
杉山の言葉を聞いた出席者、特に海軍関係者は顔を引きつらせた。嶋田は顔を引きつらせつつ尋ねる。
「そんな機体を作ってどうするんですか?」
これに高齢ながら、まだまだ現役とばかりに会議に出席していた倉崎重蔵が反論する。
「偵察機は、敵情を持ち帰ってなんぼだ! 速度を確保するためには、多少高コストになるのは仕方ない!!」
「……それで、肝心の速度は?」
「ははは、聞いて驚け!! 水平飛行で七百五十キロだ!!」
これを聞いた嶋田は思わず吹いた。
「……偵察機というより、スピード記録更新のための特殊機の間違いじゃないですか」
「何を言う、実に男らしい、日本らしい機体ではないか。これぞ男の、技術者の浪漫の結晶ではないか!!
この時代で、これだけ速度が速いならば、『お前には速さが足りない』、などと言われることはない!!」
反論を全く意に介さない倉崎を見て、改めて彼は思う。この組織の人間は筋金入りの変態ばかりだ、と。
「……話題を元に戻しましょう」
正直言って、彼は帰って不貞寝したい気分だった。だがここでそんな真似はできない。彼は必死に己を叱咤して話を続けた。
「中国は、我が国が死の商人を演じつつ、最後まで戦乱を煽ると?」
しかしここで近衛がさらに一歩踏み込んだ意見を出す。
「ふん、国民党から最後の一銭まで搾り取りつつ、中国の分割、というのが手ではないか?」
「近衛公は中国を分割するおつもりで?」
「そうだ。英国も、この状況に至っては国民党を支援し続けるという選択肢はあるまい。彼らを切り捨てて四川省や広東省などを
分離独立させるのが良いだろう。我々としては台湾の盾として福建省を分離独立させたいが」
近衛は脳裏に地図を思い浮かべながら話を続ける。
「問題は張作霖がそれで満足するか、ということだな」
「彼に決定権はありませんよ。米英が納得すれば問題は無くなります。米国だって中国を完全に一まとめにする気力は無くなりますよ。
何しろ大陸は広い。あの地を管理するコストを考慮すれば、ある程度の分割は認めるでしょう」
「……ふふふ、辻さん。世の中には実利よりも、虚像のほうを選ぶ人間が多いのですよ。一銭の得にもならないような幻想を、尊いと思い
行動するのが人間なんです。そして幻想に入り浸った馬鹿が権力を握ると、時に制御不能な事象が起こる」
「彼がそうだと?」
「または、彼の取り巻きかも知れません。色々と探りを入れておくのは必要ですよ。大陸は弾薬庫ですから」
この近衛の予言めいた台詞は、第二次世界大戦勃発と前後して起こった事件によって証明されることになる。
あとがき
拙作ですが、最後まで読んでくださり、ありがとうございました。提督たちの憂鬱第10話をお送りしました。
夢幻会が狙っていた戦略は木っ端微塵になりました。上手くやり過ぎて列強の疑心暗鬼を呼んで、逆に孤立するという状態です。
まぁ世の中、そうそう上手くはいかないということで……。
冬戦争、遂にいけませんでした。すいません。でも、一応次で冬戦争、及び第二次世界大戦勃発の細かい描写に入ろうと思います。
あと起こった事件についても(爆)。
色々なアイデア、ありがとうございます。串型マリーン偵察機と、日本版ユニコーン使わせて頂きました。
次回以降も投稿して頂いたアイデアを使用させて頂こうと思うので、今後もよろしくお願いします。