ルーズベルト大統領倒れる……この情報は夢幻会に衝撃を与えた。
何しろ、あの辻でさえ、飲んでいたお茶を吹き出したほどだ。ちなみに、そのお茶は彼の正面に座っていた東条にかかり、彼を再び
悶絶させることになる。
だが出席者は全員が驚くだけでは何の対策にもならないと、頭を切り替えて今後の方針について協議を行った。
「ルーズベルトの容態は? 執務は可能なのか?」
辻の質問に土肥原も首を横に振る。
「ワシントンでは情報が錯綜しており判断はできません。ですが、執務中に倒れて入院したという事実がある以上、三選は無理でしょう」
「健康状態に問題がある以上、三選は果たせない。次期大統領は共和党からの立候補者になる可能性が低くはないか」
この言葉に数名が顔を輝かせる。
「反日民主党でないなら、多少はマシになりますね」
「仮想戦記では、ルーズベルトが選挙で負けたあと、共和党の大統領と講和がデフォだからな」
しかし即座に辻が冷や水を浴びせる。
「別に民主党が一概に反日というわけではないでしょう。共和党だって国益のためなら何だってしますよ。
まぁ反共ということで共和党と組みやすいという一面はありますが、楽観は危険です。連中なら日ソを戦わせて共倒れくらいさせます」
米国は日本をユーラシアのランドパワーに対する盾、それも使い捨てができる盾として使うことができる。
そのことを理解している人間たちは不快そうな顔をすると同時に、米国がそのような選択肢を選択しかねないことを納得した。
ましてこの世界ではナイロンなどを先に開発して、米国企業の利益を著しく損ねていたのだ。日本を潰す理由は幾らでもあった。
「戦後は、経済支援の名目で日本の企業群の乗っ取りを図るでしょうね。あとは経済的に植民地にされた日本の出来上がり。
米国にとって最も利益が挙がる方法ですね。ま、今はロング氏のことを話し合ったほうが良いでしょう」
「ええ。まぁ、あまり良い噂は聞かないですね。やり方が独裁的だとの話もあります」
辻は嶋田の意見に同意するように首を縦に振って話を続ける。
「ええ。我々のような逆行者にとってわかりやすい例えをすると……まぁ60年後の某極東の島国のライオン面の宰相でしょうか?」
この言葉を聞いた出席者たちは改革、改革と叫んで日本の構造を叩き壊した某首相を連想して苦笑した。
「……非常に判りやすい例えですね。かなり具体的なイメージが掴めました。だとすると警戒するべきはマスコミによるキャンペーンですか」
「そうです。はっきり言って一般的なアメリカ人というのは単純な人間が多い。マスコミがキャンペーンを張れば騙されるでしょう。
もし財界と結託して動いてきたら、色々と面倒なことになります」
そう言うと、辻は土肥原の方向を向く。
「と、いうわけで、土肥原局長、米国のマスコミ、これまでノーマークだったゴシップ誌も色々と注意を払ってください。地方のものもです。
あと株価、特に軍需関連については注意をお願いします。何らかの前兆はつかめるはずです」
「判りました」
「では陸軍は大陸のコネクションを通じて、色々と探りを入れてみましょう」
「海軍は青島の中国海軍、比島の米海軍の監視を強化します。それとハワイの諜報員を増やすことにします」
「こちらは国内の政治家と世論の操作に力を入れます。軍のことはお願いします。東条さん、嶋田さん」
夢幻会から未知の存在として注目され、警戒されているヒューイ・ロングは、後日、ルーズベルト大統領が健康上の問題が辞任したことにより
大統領に正式の昇格することになった。しかしアメリカ国内では国民のある程度の支持こそあったが、政財界では不安を表す人間が少なくなかった。
民主党内部でさえ、若さだけが取り柄の客寄せと嘲笑する人間もいたのだ。
そのことがロングを焦らせていった。そしてそれがアメリカを悪夢へ引きずり込むことになる。
アメリカの変化に対応するためには、国内の世論操作を迅速にする必要がある……そう結論づけた辻は、TV放送を前倒しして実施した。
加えて軍は子供達への宣伝工作と称して特撮番組を制作して放送し始める。ちなみに記念すべき一作目は『愛国戦隊・大日本』であった。
軍の全面的な協力と未来の特撮技術を使い込んだこの作品はあっという間にこの時代の少年達の心を掴むことになる。
ちなみにこれを見た嶋田は思わず頭を抱えた。
「………軍人たちが番組のシナリオを書いたってことが判ったら、俺のせいになるんだろうか?」
これを見た同僚達は何を今更とばかりに首を横に振ったと言われている。
同時期にはTV以外でも多くの特撮映画が、未来の特撮技術を使って作られた。劇中のあまりの迫力ぶりに、本場ハリウッドからさえ、日本の
特撮技術は注目されていくことになる。
幾つかの映画のシナリオと特撮シーンで辣腕を振るった近衛文麿は、映画の盛況振りを見て少年のように歓喜したと後に言われている。
後の世の人は、近衛公の人となりから、ある程度品のある喜び方を思い浮かべたが、実際には逆行者たちの斜め上をさらにアクロバットで
飛んでいくものであった。
「ハリウッド映画関係者、テラ涙目!! 悔しかろう、悔しかろう……くっくっく」
夢幻会の席上で露にされた、近衛のあまりのハイテンション振りに他の人間が思わず引いた。
一方で奇人変人たちを散々見てきた諦観の域に達していた嶋田は、やや疲れたような顔をするだけだった。
「……まともな奴が少ないな」
「天才と『あれ』は紙一重といったところでしょう」
「……その境界だけは越えて欲しくはありませんよ。いやもう我々の存在そのものが(常識の)境界を突破しているから、無理な注文か?」
はぁ……と深い深いため息をつくと、嶋田は気分を切り替える。
「海軍の情報収集の結果ですが、青島の中国海軍基地に多数の輸送船が入港したことが確認されました。米海軍も戦艦3隻、空母1隻が
訓練の名目でフィリピンに赴いています」
「陸軍の情報収集では、米国陸軍航空隊が義勇軍として中国大陸に派遣が検討されているとの情報を掴みました」
この言葉を聞い出席者たちは米国が本格的に軍事介入するつもりなのではないかと危惧を抱いた。
確かに米国を中国大陸には引きずり込んだが、本格的に大陸、特に大陸沿岸に進出されるのは日本にとっては面白くない。
仮に上海付近に米軍航空隊が展開すれば、日本のシーレーンはあっさり遮断されかねない。
「株価の動向は?」
「軍需関連が上がってきています。様々な分析を通じても、何らかのアクションがあると思われます」
「まぁそうだろう。かの大統領も焦っているだろうからな」
「近衛さん?」
全員が驚いたように顔を近衛に向けた。
「ふん。この程度、判ってなければ公家なんぞ務まらんよ。あの大統領は、焦っている。自分の地位が実力で手に入れたものではない。
望んだ地位だが、その基盤は危うい。若さゆえに軽く見られる。そして前任者、偉大なルーズベルト前大統領という壁。
それだけの要素があれば人間というのは早急な、そして目に見える成果を求める。単純な米国人とってわかりやすいものを」
「「「………」」」
「彼らは来るぞ。早急な成果が欲しい人間は遠慮や配慮というものがない。まして力が全ての新興国だ。何もないほうが可笑しい」
「近衛公はどこで事が起こるとお思いですか?」
「辻さん、君もある程度はわかっているだろう? 米国がすぐに手を出せて、かつ大陸市場進出の要となる拠点といえば数は多くない」
「そしていざとなれば日本を封じ込められる場所……上海ですか」
その言葉が辻の口から放たれた瞬間、土肥原の部下がやや青い顔をして部屋に入ってきた。そして土肥原が何事かを聞く前に緊急報告を
全員に告げた。
「上海で大規模なテロが発生しました。これによって米国人多数が死傷。米国政府は直ちに報復を行うとのことです」
提督たちの憂鬱 第9話
上海で米国人12名がテロによって残虐な方法で殺傷された、このニュースはアメリカ人を激怒させた。
一発殴られたら、十発どころか、相手が足腰立たなくなるまで殴り返すのが、彼らアメリカ人の流儀であった。故に正面から売られた
喧嘩を前に逃げ腰になるという選択肢はなかった。
「軍の用意はできているんだろうな?」
新たにホワイトハウスの主となったヒューイ・ロングは、軍高官たちを問いただした。
新大統領からの問いかけに、現海軍作戦部長ウィリアム・リーヒははっきりと答えた。
「勿論です。大統領閣下。海軍はアジア艦隊に加え、第1任務部隊から第4戦隊、第9巡洋艦戦隊を上海攻略に回します」
「リーヒ部長、張作霖の部隊は?」
「準備は整っています。海兵隊と共にいつでも上陸できる体制です」
この言葉に、ロングは満足げに頷く。だがそのロングに、ハルが懸念を示した。
「しかし大統領閣下、イギリスを始め列強諸国の同意を得られるかどうかはわかりません。下手をすれば我が国が孤立する危険があります」
「こちらの出兵が上海租界の安全確保のため、正統政府の要請によるものと主張して黙らせろ」
「それでは上海からはでることは出来なくなりますが」
「ハル君、中国では匪賊が多いらしいな」
突然、ロングが話題を変えたことに戸惑いを覚えつつ、ハルは答えた。
「……はい。かの国で経済活動をする際には、注意を払う必要がある存在です……っまさか!!」
ハルはロングが考えていることを察して絶句する。話の流れから他の出席者たちもロングの考えを理解したのか顔をしかめた。
しかし当のロングはそんな批判を全く気にもせずに言い放つ。
「白人層は犠牲にはしないよ、ハル君。幸い、国内では困窮する有色人種が少なくない。金になると判れば動くだろう。
それに共産主義の思想に共鳴しかねない危険分子を一掃するチャンスじゃないか。財界も賛成する。何も問題はない」
「「「………」」」
そして会議が終わり、出席者たちは足早に部屋を後にする。
誰もいなくなった部屋の中で、ひとりになったロングは小声でぼそりと呟いた。
「偽善者どもが……合衆国を、神に選ばれたこの国を救うために何を躊躇う必要があるのだ」
アメリカ合衆国は中国でのテロに断固たる措置を取ると発表した。
それを実践するかのごとく、米国政府は戦艦オクラホマ、アリゾナ、ネバタ、空母サラトガを中心とした艦隊に臨戦態勢を取らせた。
また中華民国北京政府(奉天軍閥)からの要請を受けたとして、正統政府による治安維持の支援の名目で、北京政府軍を満州から上海に
2個師団を進出させること、それを米海軍が護衛することを発表した。
これを聞いた国民党政府は激しく動揺した。米国は絶対の意思をもって中国内戦に介入することを宣言したのだ。そして国民党政府では
米国には逆立ちしたところで敵うわけがなかった。蒋介石は米国でロビー運動を繰り広げる一方で、諸外国に助けを求めた。
諸外国、特に日英独仏は米国の過剰反応を諌め様としたが、リメンバー・シャンハイと叫びたて、列強からの文句を受け付けなかった。
逆に米国は日本に対して領海の通過を認めるように申し入れた。
「認めなければ日本はテロリストと同列扱い。認めれば大陸に米国が独力で橋頭堡確保。どっちに転んでも面倒ですね」
臨時に開かれた夢幻会の会合で、辻は珍しくため息をついた。
謀略が得意の辻であったが、さすがに暴走する猛牛のように突進してくる米国を真正面から止めることなど出来なかった。
彼自身は米国の自作自演ではないかと疑ってはいたが、それを証明するものがない以上はどうしようもない。
「軍、特に海軍の状態は?」
「海軍は、艦船の改装スケジュールの関係でまともに戦うのは難しい状態です」
苦虫を潰したような顔をして、嶋田が苦渋に満ちた声で答えた。
「……恐らく、そういった事情も考慮してやったのでしょう。全く、あの新大統領、かなりのやり手ですよ」
「で、問題はどうするか、です。政府はこの要求を拒否するつもりなのですか?」
この言葉に近衛、辻、阿部などの政府側の人間が首を横に振る。これを見た出席者も止むを得ないという顔をする。
だが近衛たちはやられっ放しになる気は無く、米国への反撃を目論んだ。
「この際、軍事でも完全に米国を大陸に引きずり込みましょう。やるのなら徹底的にしなければ」
「東南アジアの華僑達を米国から離反させられるかもしれないな。市場への進出も期待できる。まぁ簡単ではないだろうが」
「やる価値はありますよ。それに戦乱を利用して中国の工業力を破壊してしまい、完全な農業国家にしてしまいましょう。
できればその状態で満州などの地域と隔離して共産化させられれば美味しいのですが」
「阿部さん、貴方は中国を共産化させる気か?」
驚いたような顔で嶋田が問う。これを聞いた阿部は即座に頷く。
「ええ。共産党があの国を統一すれば、昔からの倫理観や宗教観は破壊されます。それは国を弱体化させてくれるでしょう。
ついでに日本国内で赤化への警戒心も増すでしょう。そうなれば色々な社会制度の充実も可能になります」
内務省で共産主義対策に関する権限を掌握している阿部は、大陸の赤化勢力を口実にして共産主義対策を推進する気であった。
それは単に武力で共産主義を封殺することではなく、社会保障制度そのものを構築していくことで、より住みやすい日本の実現を
目指すものでもあった。
「しかし中国経済が崩壊すれば、貨幣制度改革に参加している人間が割を食うと思うのですが」
「米軍が内陸奥深くに進出するのは、時間が掛かります。それまでに国民党からできるだけ富を搾り取ります。元は取れますよ」
この辻の言葉に、嶋田は呆れた。
「………あれだけ毟り取って、まだ足りないと?」
「国家の維持と発展にはお金が必要なんです。まぁ拝金主義は良くないですが、それでも原資は必要ですよ」
軍事的ピンチを、逆にチャンスに変えようと謀略を練る人間達を見て、嶋田は心の底から思った。
(政治家だけにはならないようにしよう。俺には向いてない)
夢幻会の決定に強硬派の一部の軍人と財閥が激怒して叛旗を翻そうとした。だが辻が培ったMMJの人脈、伏見宮たちのヲの字の同志達
の手によってそういった動きはあっさり葬りさられることになる。
日本によって領海通過が認められると、米軍は上海に侵攻を開始した。
第一次上海事変での戦訓、そして奉天軍の海軍力増強に刺激されて、空海軍力増強を図っていた国民党軍であったが
米艦隊の前には成す術もなかった。ドイツ海軍の支援で創設されたUボートや水雷艇部隊は、大した活躍をする間もなく全滅。
英ソ独から購入した少数の航空機で散発的な攻撃を仕掛ける程度しかできず、最終的には上海に上陸を許してしまう。
これに呼応するように、華北では奉天軍が本格的な攻勢を開始する。華北、そして上海から挟撃されるという事態に蒋介石は陥った。
さらに他の列強からの助けは皆無。最後の頼みとしていたソ連の仲介も失敗。追い詰められた彼は自身の生存のために決戦を決断した。
「上海の米・張作霖連合軍をゼークトラインにおびき寄せて粉砕するしか方法は無い」
本来は日本との戦いに備えて建設した上海西部の要塞線・ゼークトライン。第一次世界大戦の戦訓をベースにしたこの要塞線で
米軍、張作霖軍を食い止めて出血を強いてから米国から譲歩を引き出す、それが蒋介石の目論見であった。
だが米国はここで無茶な真似をして死人を出す真似はしなかった。米国は上海に橋頭堡を築くと、そこを拠点と化して要塞化していった。
そして無茶な攻勢を掛けることは無く、圧倒的物量を背景にした爆撃と砲撃で着々と要塞線を削っていく。この攻撃にはドイツ軍事顧問団も
成す術がなかった。もう片方の戦場である華北戦線でも、米・張連合軍は絶対的な制空権の下で、国民党軍に猛攻を加えていった。
「幾らなんでも贅沢すぎるだろう……」
現地の様子を偵察した九五式陸攻や現地スパイから、現地の状況報告を受けた夢幻会は改めて自分達と相対している国家の強大さを知った。
数字を見ずに景気が良い事ばかり言う連中に流されて、あの国に喧嘩売らなくて良かった……軍の人間の大半はそういって胸を撫で下ろした。
だがこのとき日本が自制していたことのほうが、米国政府を驚かした。
「あの国が自重するとは驚きだな」
ロングはハル長官の報告を聞いて思わず舌打ちした。
「大陸沿岸がこちらの手に落ちれば、多少は危機感が煽られて、さらなる軍拡に転じると思ったのだが」
「どうやら自分たちの身の丈というのを理解しているようです」
「やはり、あの総研といわれる組織が怪しいか」
「はい。あの組織は内閣だけではなく、各省庁の官僚たちに根を張っているようです。さらに総研の背後には彼らのいう明治維新を主導した
政治結社がいるとの情報があります」
「………そこで辣腕を振るう連中なら、ウォールストリートで経営者としてもやっていけそうだな」
有色人種を見下す傾向のある彼としては最大の賛辞を送っていた。まぁ賛辞を送った連中の正体を知ったら卒倒しそうだが。
「引き続き、この組織についての調査を行え。連中が我々の知らないルールを知っているのなら、それを暴かなければならない」
「はい。調査を継続します」
「さて、日本がダシに使えないとなれば、あとはメキシコだな」
そういうと、ロングは手元の書類をめくる。そしてそれを黙読しつつ、担当者に尋ねた。
「メキシコが途中で諦めるというのは考えられないか?」
「所詮は、ラテン系です。こちらの扇動に乗るでしょう」
「同じ気質の日本では失敗したのではないか?」
「日本への挑発が失敗したのは総研、そしてその背後の組織の暗躍のためです。メキシコにはそのような組織はありません。
そのような組織があるのならメキシコは我が国を脅かしうる存在になっていたでしょう」
「だとすると、問題は我が国の国民か。さて、どう煽れば火が付くやら。リメンバーアラモは出来ないからな。
長期化すれば南部の農場主たちが煩い……」
ここでハルが懸念を示す。
「しかし閣下。中国に続いて、南米で派手に動けば列強との軋轢が高まります」
「国際協調を重視して、国民を飢えさせるわけにはいかない」
中国内戦、そしてその介入のおかげで各地の工場は活気を取り戻しつつあった。しかしそれでも尚、米国の生産力が十二分に発揮される
ことはなかった。米国の過剰な生産力に見合う消費を作らなければならなかった。
「正統な口実があれば、文句は言いはしない。メキシコへの工作を急げ。他国に隙を与えるな」
米国が中国や南米で謀略を張り巡らせているのを察知した英国では、次第に米国に対する警戒心が湧き上がりつつあった。
穏健派で知られる時の宰相であるネヴィル・チェンバレンも、この米国の暴走を憂慮して、1938年に解消することになっていた
日英同盟を何らかの形で存続させたほうが良いのではないかと考え始めていた。
勿論、英国内では露骨に同盟維持を目論めば米国との関係を悪化させ、台頭著しいドイツと相対するときに不利となる……そんな意見も
少なくなかった。しかしこのまま手を拱いているのは英国の国益を損なわせる。
日本はそこに付け込むべく、様々なアプローチを開始した。吉田茂など使える外交官を英国に送り込んで日英同盟の延長、または同盟に
準じる条約の締結を模索したのだ。しかしここでも英国は強かであった。
「日英安全保障条約? 日米安保のような軍事同盟ではないのか?」
夢幻会の会合の席で報告を聞いた嶋田は、即座に白洲次郎にたずね返した。
「軍事同盟に近いものです。これはお互いに参戦義務は負いませんが、戦時では相手国に対して友好と中立を維持するものを明記しています」
「日英同盟をさらに骨抜きにしたようなものか……やはり英国は、米国の動きが気になるのか?」
「はい。英国内部では確かに米国への脅威も感じている勢力も存在しています。ですが大陸の権益とブリテン島とカナダの安全を天秤に掛ける
ことはできないようです」
「戦略物資の輸出はどうなる?」
「旧同盟国ということで物資面では融通するとも言っています。ただ支払いは金になるでしょう」
「……つまり東アジアで日本が英国相手に大暴れしないように首輪を掛けて、かつ日米が衝突しても戦火が飛び火しないというわけか」
嶋田は苦虫を噛み潰したような顔で呻いた。だが辻はまぁ当然でしょうね、と肩をすくめる。
「多少、こちらの目論みとは離れていますが、この程度の繋がりがあれば米国も迂闊には手を出せないでしょう。
この条約と連合側への参戦で時間を稼ぎつつ、核兵器とその投射手段の開発を行えば、米国も我が国と正面から戦うことはできないはずです」
「しかしその投射手段はどうします? 山本が主張する滑空爆弾を複数搭載できる大型爆撃機を作れば話は別かもしれませんが」
海軍は前の実戦訓練で、大型機による敵地への単独攻撃はコストが高いと判断して、陸攻の高速化と小型化を推進していた。
しかしそこで山本を中心とした陸上攻撃機の派閥は、敵部隊の射程圏外からアウトレンジ攻撃を行えば良いと主張しはじめた。
特にコテンパンにされた陸攻搭乗員たちは、機体の高速化は兎に角、小型化に反対し、大型化と重武装化、そして搭載兵器の強化を主張して
海軍省に直訴すら行う始末だった。この動きを受けて滑空爆弾(及び滑空魚雷)の開発計画が俄かに持ち上がっていた。
「ふむ。なら、重爆撃機を作ったほうがいいかもしれませんね。原爆専用機のテストにもなります」
「………数が揃えられませんよ。海軍の予算はもう一杯一杯なんですよ。さらに予算が増額されれば話は別ですが」
「ははは、別に数がなくても良いですよ。そういった部隊や兵器があるだけで米軍は、後方の護衛を強化せざるを得なくなります。
そうすれば、米軍が日本へ侵攻する際に、より高いコストを払わせることができます。こちらが支払ったコストより、向こう側がより多くの
コストを払う破目になれば成功と言えます」
予算について煩い辻は、どこまでも費用対効果を追求していた。
「原爆の運搬については、その爆撃機の経験を生かして専用機を作るしかないでしょう。そのあたりは倉崎に任せたいと思っています」
「………技術者が暴走しなければ良いんですが」
倉崎が陸軍と組んで、超高コストの高速偵察機を開発しつつあるとの噂を耳にした嶋田は、幾分に引きつった笑みを浮かべる。
「その兵器で培った技術が後に、大きな収益を上げてくれれば問題ないですよ。先行投資と思ったほうがいいです。
それに軍の予算じゃないと、エンジンのライセンス生産なんて中々できませんし」
陸軍は九七式戦車の開発のために、英国から大馬力の液冷エンジンの生産権を確保していた。
航空機のエンジンについてもツインワスプエンジンをベースにして日本版ダブルワスプエンジンの開発を図り、産業エンジンに必要な過給機
の開発も積極的に推し進めている。これは決して安い買い物ではなかったが、これらを生産した経験が後に役に立つと、辻は判断したのだ。
「まぁ問題は、他国との交流が活発化するに連れて、色々と探りを入れられているところですね」
「やはり怪しまれますか?」
「そりゃそうです。株や為替でぼろ儲け、資源掘り当てるのも一発、戦車のためにすぐにマーリンエンジン使うと判断下したりすれば
やはり怪しまれますよ。まぁ色々な偽情報を流して撹乱したり、世論操作を行って誤魔化しています」
「世論操作もありますが、各国要人に対する色仕掛けによる篭絡というのは、中々に効果があります」
土肥原はニヤリと笑いながら話を続ける。
「21世紀の日本のAVの技は素晴らしいですよ。いやはや、全く。あれを作った人には色々と感謝しなければ」
「下ネタ全開ですか」
「性欲処理は重要ですよ?」
この言葉に嶋田は返す言葉が無い。それを見た伏見宮はさくっと話題を変えた。
「で、問題は今後の他国の出方だ。英国が我々を怪しんでいるくらいなのだから、米ソ独が何もしないとは思えん」
「はい。すでに米独では、我が国への技術流出に神経を尖らせつつあります。ソ連についてですが、かの国は米国にトラクター工場建設の
ために必要な機械の売却を打診している模様です」
「トラクター工場? しかしソ連にそれだけの資金があるのか?」
陸軍出身ゆえに、東条はソ連が財政面でかなりの苦境に立たされていることを知っていた。まぁソ連を苦境に立たせたのは他ならぬ
日本であったのだが……。
「我々がロマノフ王朝の遺産を掻っ攫い、T−34開発の機会を奪ったり、中央アジアをきな臭くしたりと色々とソ連を弱体化させましたが
やはりあの国は超大国になりえる資質があるようです」
この時、ソ連は自国の国民が多数餓死しているにも関わらず、大量の食料を輸出してそれを外貨に換えていた。さらに史実より多くの政治犯を
シベリアなどの地域に送り込み資源の採掘を行っていた。かの国は国民の命をすり潰す形で国力強化を行っていたのだ。
「あの国では、人がまるでゴミのような扱いをされているようだな」
多くの人間は顔を曇らせる。夢幻会も色々と汚いことはしてきたが、ここまで露骨に自国民を使い捨てにするような政策は取れなかった。
まぁ産業によっては人間を使い捨てにするところもあるが、ソ連の場合は桁違いであった。
「しかし、このままだとソ連国民の不満も鬱積されて、最終的には国外への膨張に転じそうですね」
この東条の言葉に辻たちは頷く。
「現在、歴史がある程度変化していますが、あの国の状態、行動原理からすれば膨張は自然な流れでしょう。
ソ連がアクションを起こすとすれば、北欧、東欧、満州、朝鮮半島などが想定できます。時期的、情勢的には北欧が有力でしょう」
「北欧、するとフィンランドを助ける必要がありますね」
辻はニヤリと笑い、倉崎、三菱関係者も追従した。
「ええ。スターリンが悉く失敗すれば、あの男の求心力は低下するでしょう。独ソ戦の結果が思わしく無ければ失脚ということもありえます。
そのためにも色々と、フィンランドに頑張ってもらわないといけません」
「……何を売る気だ?」
「九二式軽戦車、それにカムチャッカに配備する予定だった九四式軽雪上車(スノーモービル)、あと対戦車兵器を幾つか考えています。
航空機は、九三式戦闘機を中心とした複葉機を送りたいと思います。新兵器のテストと、旧式兵器の処分のチャンスです」
「在庫整理は兎に角、九四式まで売るのか? カムチャッカ半島の前線ですら配備数は多くは無いというのに」
「本格的な実戦データを積ませるためです。それに史実であれだけソ連軍に痛打を浴びせた超人集団のフィンランド軍が、日本によるチートで
どこまで奮戦できるか、見てみたくは無いですか?」
「………まぁ否定はできないな。それにソ連軍が弱体化すれば、日本にとって利益にもなる」
「それでは賛成ということで宜しいですね?」
この言葉に、他の出席者たちも一様に頷いた。
「また、たんまりと儲けられそうです。ふふふ……他人の不幸で今日もメシウマ、といったところですね」
「そんなに女学校を増やしたいのか……そういえば、最近の同人誌はスカートの中が絶対領域化しているのが多いが、お前の影響か?」
「そんなことはしませんよ。それはコノミンやフシミンのせいですよ。むしろ個人的にはニーソ物が良いんです」
「………マニアックな」
そんなアホな会話が時折会合で交わされてはいたが、夢幻会自体は第二次世界大戦勃発に向けて真面目に準備を加速させていった。
しかし彼らは第二次世界大戦のフラグイベントたるミュンヘン会談の前になって、さらなる史実との乖離を目の当たりにすることになる。
あとがき
最後まで読んでくださりありがとうございました。提督たちの憂鬱第9話をお送りしました。
やっと、次で第二次世界大戦に入れそうです。長かったです………冬戦争でソ連が史実以上にボコボコにされそうですが(爆)。
投稿掲示板の辺境人さんのネタを使わせていただきました。辺境人さん、ありがとうございました。
あと、遣欧軍の部隊、兵器について色々とアイデアを頂きたいのですが、どうでしょうか?
何かあれば投稿掲示板にお願いします。
それでは提督たちの憂鬱第10話でお会いしましょう。