列強によって半植民地にされていた中国では元々排外運動が活発だったが、日本によって遼河油田が発見されてからは、今まで以上に

権益の回収運動が活発化した。そして1932年、中国上海でその動きは頂点に達した。


「外国勢力を追い出せ!!」

「日帝を追い出し、満州を我が民族の手に!!」


 そう大声で叫びつつ、中国人たちはデモ行進や不買運動、商品の焼き捨てを行う。中には邦人に危害を加え、金品を略出するものさえ

現れる。加えて中国第19軍が上海付近へ進出。租界の日本人達は震え上がった。この中国の様子は、即座に日本も知ることになる。

 
「連中め、満州が日米の投資で発展した途端に手のひらを返し始めたか」

「忌々しい。これまで日米の投資を募っておいて、最後は総取する気だ。全くそんなんだからいつまでたっても信用されんのだ」


 夢幻会幹部たちはこぞって不満をもらす。


「まぁ我々が遼河油田を見つけたからには仕方が無いでしょう。大方、史実通りというのが些か悲しいところですが」

「しかしこれは条約に基づいた正統な権利。それをあんなやり方でひっくり返されたら堪ったもんじゃないですよ。

 こっちは満州事変どころか、21ヵ条要求だってしていないのに」

「それが彼らの気質なんです。仕方ありません。で、やはりここは出兵ということに?」


 辻の言葉に他のメンバーが頷く。大陸への派兵は好ましくは無いが、不干渉というわけにもいかなかった。

ここで臆病風に吹かれたかのように引けば相手に舐められてしまう。武力は適切に行使してこそ意味がある。


「それにしても今回の排外運動、いえ排日運動を仕掛けてきたのは誰なのだ?」

「今回の一件は中国共産党とソ連が仕掛け人と思われます。ですが国民党も租界回収が成功すればそれに便乗するでしょう」

「あの連中め」

「いっそのこと、国民党、いえ蒋介石のスポンサーである浙江財閥をこちらに引き込みますか? 満州権益の一部でもくれてやれば

 喜んで態度を翻しそうですが」


 これに東条が猛烈に反発した。


「無茶言うな。今でさえ譲歩していると文句を言われているんだ。これ以上譲歩したら何を言われることか判ったものじゃあない」

「全く共産主義といい、中華思想といい、厄介だな」


 大角がそういってため息をつく。しかし辻はそれを聞いて不敵に笑った。


「全くです。まぁそれでも利用価値が皆無というわけではありませんよ。逆にこれを利用してやるのも手かと」






 1932年の上海で発生した暴動を受けて日本政府は自国と列国の権益及び邦人保護のために軍の派遣を決定した。

また中国第19軍には上海租界から遠ざかるように要請した。しかしこれは聞き入られず、逆に発砲事件を切っ掛けに武力衝突が発生。

これを受け日本は空母天城、鳳翔、戦艦扶桑を中心にした第3艦隊と3個師団、1個旅団を中心とした上海派遣軍を同地に送り込んだ。

編成は史実+αであったが質の面にはさらに向上していた。特に陸軍はクリスティー戦車である八九式中戦車と九二式軽戦車を保有していた。

特に九二式軽戦車は予算不足に苦しむ陸軍が苦心の末に開発・配備した新型戦車であることから、軍の力の入れようが判る。


「徹底的に連中を叩き潰してやる」


 第3艦隊参謀長となっていた嶋田は久々の活躍の機会にあってそう戦意を燃やした。何しろ冷遇されっぱなしの軍にとって久しぶりの

桧舞台なのだ。ここで戦果を挙げられれば発言力アップを狙える。


「制海権というのがいかに重要か、それを思い知らせてやる」


 第3艦隊に支援された上海派遣軍は二手に分かれた。白川大将率いる本隊(第3師団、第12師団)は上海に攻め込んだ第19軍の一掃を

行い、夢幻会の一員である杉山中将率いる第9師団と第24混成旅団が第19軍の背後に上陸して、第19軍を包囲殲滅する、これが日本軍の

作戦であった。








                提督たちの憂鬱 第5話








 空母天城、鳳翔から飛び立った戦闘機、攻撃機による攻撃から上海事変は幕を開けた。

これに対して中国軍はほとんど対抗する手段を保有しておらず、一方的に叩かれる展開になった。上海派遣軍は制空権を確保した後に

海軍の支援の下、上海租界の保護のために白川大将率いる主力部隊を上海に展開する。

第19軍はこれに抵抗するものの、空海からも猛攻を加えられてはどうしようもなかった。特に海軍は一部の反対を押し切って戦艦による

火力支援も実施。36cm砲3連装4基12門の圧倒的な破壊力を第19軍に叩き付け、絶大な威力を発揮した。


「粉砕、玉砕、大喝采!!」


 普段から色々とために貯めていたのか、夢幻会派の某将校はこの様子を見てそうハッスルほどだった。

この海軍の支援に後押しされた白川率いる主力部隊は、上海上陸後に次々に第19軍部隊を撃破していった。

特に第一次世界大戦の教訓から導入された新型自動小銃『昭五式小銃』はその火力を遺憾なく発揮して、各地で中国軍に大損害を与えた。

九二式軽戦車や八九式中戦車(八九式は量産はされていないために少数)も、歩兵の援護の下で遺憾なくその実力を発揮していた。

特に九二式の中には、歩兵掃討のために主砲である2ポンド対空砲(世界恐慌のドサクサに英から買った)を降ろして重機関銃を搭載した

ものもあったために、様々な場所で活躍していた。敵である中国軍が戦車を撃破する能力は決して秀でているとは言えなかったことも彼らの

活躍を後押ししていた。


「敵の排除は順調のようだな」


 上海派遣軍総司令に任じられた白川は司令部に伝わってくる戦線の様子を聞いて安堵した。


「海軍にとって虎の子である扶桑も、前線に出てくれているおかげで火力には事欠きません」

「このままだと挟撃する必要もないかも知れません」

「それは油断が過ぎる。今回、陛下から上海の邦人保護を頼まれているのだ。万が一にも失敗は許されん。杉山たちの様子は?」

「海軍の支援を受けて七了口に向かっています。予定通り支那軍を挟撃できるかと」


 七了口、それは揚子江の下流域にある低湿地帯であり、名もない僻村である。しかしそこは上陸を実施するには格好の場所であった。

そしてその場所に杉山たちは居た。


「中国軍はいない……まぁほぼ史実どおり。でもどこまで通じることやら」


 七了口に上陸する味方部隊を見ながら、杉山は内心の不安を隠すかのように誰にも聞こえない位の声で呟いた。

本来なら様々な場所を調査するにも関わらず、夢幻会は史実を参考にして一発でこの地を最適の場所として調査したのだ。

おまけに海軍は史実と違って支援を惜しまない。おかげで日本は史実以上に迅速にこの地に上陸できた。

だがそれでも、杉山は不安を拭い切れないでいた。


「どこかで、大きなゆり戻しがなければ良いが………」


 七了口に上陸した第9師団、及び第24混成旅団は大した抵抗も受けずに進撃。そのまま中国軍第19軍の背後を突いた。

頑強に抵抗を続けていた中国軍も、空海からの猛攻に加え、陸では背後を衝かれてはどうしようもなく、雪崩を打って敗走することになる。

かくして日本軍の素早い機動と海上からの豊富な火力支援によって第19軍は短期間のうちに上海から叩き出されてしまった。

この大勝利を受けて参謀本部内では一気に南京まで進撃するべきとの意見が高まるものの、夢幻会が素早く手を回して日中は停戦へ向かった。

だが日本がただ停戦するつもりもなく、今回の一件から中国軍をヒールに仕立て上げて、己の正当性を声高に主張。蒋介石が麻薬組織と関係が深い

ことも利用したネガティブキャンペーンを行って停戦交渉を有利に進めることになる。

 だが素早い日本の対処で上海事変が下火になりつつあった1932年7月、米の後押しを受けていた張作霖は突然、南進を開始。

さらにこれまで押さえられていた地方軍閥が蒋介石に対して叛旗を翻したため、中国は泥沼の内戦に突入していく。


「これは予定外だが、ふふふ、まぁ良いさ。せいぜい帝国のために利用させてもらおう」


 この事態を受けても尚、辻はニヤリとほくそ笑むだけであった。その顔はまさに悪役、The悪役といったものであった。

どうみても、前世の補正が掛かっているようだった。








 上海事変を片付けた日本政府は第二次五ヵ年計画を開始した。費用は莫大な金額であったが、夢幻会が世界中から掻き集めた資金で賄われた。

日本政府はかなりの金額を国内開発に投入する一方で、大不況に喘ぐ各国企業から多数のプラント施設や特許を買い取っていった。加えて化学

繊維など史実ではデュポン社など他社が開発して莫大な利益を挙げた製品、技術の開発を推し進めていった。

 その中でも日本が先手を打ちながら、先見性の無さゆえに列強に遅れをとったレーダー、そのベースとなる八木・宇田アンテナ、マグネトロンの

開発については最も力が注がれた。史実で米の電子技術によって散々苦杯をなめたことが、暴走といってよい程の資金を投入させることになった。

政府はまずレーダー関連特許を掌握し外国への流出を阻止。さらに八木教授を筆頭に関係者を呼び寄せて強力なプロジェクトチームを編成し

未来の知識をベースにして助言を与えつつ開発を推し進めていった。

 未来の知識をベースにしているために、開発そのものは非常に順調に進んだ。だがそれ故に当事者達に疑問を抱かせてもいた。


「まさか、国家挙げての開発になるとは………それにしても、なぜ海軍はここまで適切なアドバイスができる?」


 国によって創設された研究所の一角にある休憩室で、八木はこれまでの経過を思い出して首をひねっていた。

これまでの態度とは打って変った軍の態度、そしてあまりに適切すぎる助言を与える軍の技術者達に多少ながら違和感を感じていたのだ。

これは他の呼び寄せられた技術者も同感の思いであった。あまりに適切すぎる助言、そして与えられる莫大な予算。確かにそれは望ましいものだ。

だが何かしらの不気味さを、彼らは禁じえなかった。


「まるで、未来を知っているようだな……」


 そう八木は呟くが、すぐに馬鹿なと首を横に振る。


「今は一刻も早く研究をものにすることに専念しよう」


 彼はそう呟くと再び仕事に戻っていった。



 八木アンテナをもとにした新型電探の開発が急ピッチで行われるのと並行して、TV開発も急いでいた。これらの特許をうまく取得できれば

莫大な特許料が得られることを知っていた夢幻会としては、レーダー並にこれを重視していた。ただし夢幻会の人間は別に金だけを求めている

わけではなかった。


「一刻もはやくTV放送を実現して、TVアニメを流したいですな」


 何も知らない当時の一般人から見れば、戯言にか聞こえないことを、夢幻会メンバーはいつもの集会で堂々と言っていた。


「そのとおりですね」

「何しろ、この世界の娯楽はいまいちのものが多いですし」

「同じ未来人が書いた同人誌をみるだけだと飽きますしね」

(人が考え付いた陸海軍合同文化祭で、漫画を描くなよ………あれはあくまでも文化的素養を深めるためのものなんだぞ)


 この言動に頭痛を覚えたのか、嶋田はこめかみを押さえる。そして一言言った。


「アニメを放送するより大切なことがあるでしょうに」


 これに複数の人間が反論した。


「何を馬鹿なことをいうのです!」

「そのとおり!! いち早く面白いアニメを作り、かつそれを放送できるネットワークを構築することは日本の国益につながります!」

「アニメが?」


 疑わしそうにいう嶋田に、TVアニメ推進派(?)ともいえるメンバーが反論を続ける。


「文化発信力は、イメージ戦略において重要な意味を持ちます!」

「そうです! 史実の21世紀の世界で、日本アニメが多くの国々の人間に、日本についてよい印象を与えたことをお忘れか!」

「まぁそれはそうですが……この時代でアニメを大々的にしても」


 この嶋田の言葉に、尾崎秀実が反論する。


「アニメや漫画は米英のイメージ戦略に対抗するのに有効な手段ですぞ! 絵を使えば文盲の人間にも強い印象を与えられる!!

 上手に利用すれば共産主義の思想の浸透に対する対抗手段になり得ます!!」

「……尾崎さん、貴方、その共産主義者だったのでは?」

「確かに史実の私はそうでした。ですが、私は違う!! 私は目覚めたんです!!」


 あまりの壊れ具合に、周りの人間は彼が戻ることができないところまで逝っていることに気付いた。

だが辻をはじめとする一部の人間だけは全く動揺していなかった。これを見た嶋田たちは誰が筋金入りの共産主義者である尾崎をこちらに

引き込んだのかを悟る。そして一同は暫く尾崎の二次元の素晴らしさに関する持論を聞くことになった。


「………おっと、申し訳ございません。話が長くなりました。それではこの辺りで。あと、辻さん、予算の確保をお願いします」

「判っています。宣撫工作の一環として予算は工面できます。任せてください」


 この言葉に嶋田も聞き捨てならなかった。


「………辻さん、軍の予算を削って何をしているんです?」

「何だと? 聞いてのとおりだが」

「アニメつくるよりも、重要なことはあるでしょう!」

「別にアニメを今作るわけじゃあありませんよ。高性能のTVや電算機の開発のためにトランジスタ開発を優先しています。何か問題でも?」


 辻は第二次五ヵ年計画によって創設された経済産業省と連携して、トランジスタの生産に必要なシリコンなどを得るために、日本国内だけ

ではなく列強との交渉を進めていた。これらの交渉が実れば必要な資源を揃えることが出来る。

 勿論、辻が動いていたのはシリコン確保のためだけではない。石炭、木材、鉄鉱石、当時不足していた資源を得るために外務省と連携して英仏に

働きかけを強めていた。


「いえ、まぁそれはそうですが……アニメに拘らなくても」

「庶民は娯楽を求めているのですよ?」

「パンとサーカスですか」

「まぁそんなところです。尤も、アニメよりは、まず漫画の普及を考えているんですが」

「……漫画ですか?」

「ああ。この時代には字が読めない人間が海外には多い。そこで絵でアピールできる漫画は重要でしょう」


 後に辻たちの進める政策に基づいて陸海軍合同文化祭で、同人誌の発売が始まることになる。


「なるほど、だから貴方が裏で創設を支援した女学校では『はれ晴れ愉快』とかいう曲にあわせた萌えダンスが大人気なんですか」 

「別に私のせいではないでしょう?」

「あそこまでオリジナルとそっくりの曲と振り付けだったら、誰が入れ知恵したのかわかります。まったく」


 ちなみにこの踊りがもとになり、後に物語や伝説の登場人物、或いは擬人化された動物や魔物を模した格好で踊る仮装舞踏会が開催される

ようになる。そしてそれは軍民交流の名の下に合同文化祭とあわさり、巨大な萌えの祭典になっていく。

それは20世紀後半では世界各国から多数の人間が押し寄せる、日本有数いや世界有数の巨大な国際的祭典となっていくのである。


「こっちは必死に予算をやりくりしているというのに。多少は上海事変の活躍を考慮してくださいよ」

「上海事変のために特別予算を通さなければならなかったんですよ。あまり強欲なことを言わないでください」

「経済成長に伴うインフレで目減りするんです」

「まぁ今しばらくの我慢ですよ。ドイツ相手だったらビスマルク追撃とかで活躍できますし」

「でもビスマルクとテルピッツ、ヘタリア海軍を潰したらそれで終わりますよ。あとは地味な対潜護衛程度しか」

「仕方ないですよ。派手な海戦をするにはチート国家である米国と戦うしかないんですから」


 ぐうの音も出ないとはこのことだった。かくして日本は表向きはプロパガンダのため、実際には一部の趣味人のために二次元世界の

開発に精を出すことになる。




 二次元関連の話題が打ち切られ、次に大陸事情について話題が移った。


「近場の満州の油田の開発は順調で、このままいけば燃料についてはある程度安く手に入れられるでしょう」

「しかしあそこの油田は重質で、航空燃料には使いにくいのでは?」

「米国との共同開発を条件にして接触分解法を手に入れました。96オクタン程度でしょうが我々は史実では手に入れられなかった高オクタンの

 ガソリンを早く手に入れられるでしょう」

「米国との共同開発ですか………調整はできているんですか?」

「まぁ多少煩い輩がまだいますが、いずれは黙らせます。油田開発には莫大な資本が必要ですので、精々搾り取ってやりますよ」


 利用するものは何でも利用し、不要なら切捨てる……この徹底振りに未だに甘い(人間的?)部分が残る嶋田は苦笑した。


「そこまでするか……まったく随分とこの国もあくどくなったな。あれだけ金を巻き上げておきながら」


 1929年に発生した世界大恐慌、このとき日本は皇室財産までつぎ込んだ壮絶なマネーゲームをしかけた。その結果、国家予算をも

凌駕する莫大な資金を巻き上げることに成功した。加えて銀相場暴落でも前もって知っているという利点をいかして莫大な利益を得た。

だが日本や夢幻会が莫大な利益を得ているということは、逆を言えばそれだけ損をしている者も存在することを意味する。

そう、日本が得をしただけ、世界各国の投資家達は史実以上に甚大な損害を被ったのだ。


「アメリカは我が国にとって最大の貿易相手国。恐慌で史実以上に痛めつけた影響は無視できないでしょうに」

「まぁ確かに最近のアメリカ経済の停滞で輸出は低下しています。ですが例の中国内戦の影響で多少は和らぐでしょう」


 米国は上海事変と一連の排外運動を見て、自国の代理人である張作霖への支援を強化していた。これに伴い米国の軍需産業は活性化した。

恐慌でほこりを被っていた工場群は次々に稼動を開始し、湯水のように武器を吐き出していた。


「フーバーも焦っているのでしょう」

「これを受けて米の進出を好まない列強と蒋介石は接近して張作霖に対抗する。大陸は代理戦争の舞台になる」

「内戦は大陸恒例行事ですよ。大したことではありません。」


 にやりと笑う辻。あまりのあくどさに何人かが引く。これを見て辻は仕切りなおすように言った。


「まぁあの未開の地域ももうそろそろアメリカの開発によってまともな生活水準になるでしょうし、消費に期待は出来ます。それにこの

 不景気で米本土で苦境を強いられた企業の進出も増え、取引も増えますよ」


 そういうと辻はニヤリと笑う。


「もともと米国はその巨大な生産力に見合う市場を常に探しています。必ず中国へ手を伸ばすでしょう。

 彼らが、開発が進み中国市場攻略のための橋頭堡である満州へ進出するのはほぼ確実です。また出口の見えない不況で労働者の不満は高まり

 アメリカでは貧富の格差は広がっています。大恐慌によって土地を失った農民や失業者はアメリカ国内の治安を悪化させる要因にもなっています」

「その彼らを満州へ?」

「そのとおりです。ニューディール政策といえども失業者を完全に救済することはまず不可能でした。ましてこの世界では我々の経済政策で、その

 ニューディール政策そのものが史実ほどの効果を発揮できないでしょう」


 日本が仕掛けたマネーゲームで大損害を被った米国の投資家は史実より資金の運用に慎重になっている。よって利益が薄い国内への投資よりも

 確実に大きな利益が得られるであろう満州、そしてヒトラーによって景気回復が行われるであろうドイツへ彼らの資金が流れるのは必定だった。


「国内の資本が外国に流れ続ければ、いくら公共投資で国内経済を潤しても効果は限定的で一時的。いずれは再び失業者が町にあふれるでしょう」

「……つまりアメリカ人を満州へ呼ぶことは容易。しかもアメリカ政府に恩を売れて、ある程度、現地の消費拡大も狙えると。一挙両得か」

「それだけではありませんよ」


 辻は懐から取り出した扇子を広げて口元を隠しつつ再び話し始める。


「まず政治的な問題です。現在、米国は日本と同様に張作霖を後押ししています。彼らにとって満州権益を維持するために満州で日本とイザコザを

 起こすのは好ましくない、つまり日米戦争を遠ざけることができます」

「確かに」

「加えて中国国民党は上海事変の失点もあり、米資本がある満州に余り文句は付けれません。ソ連も重工業化のために米と喧嘩はしたくない。

 これによって満州問題を原因とした戦争が勃発する可能性はある程度減ります」

「……だが、米中同盟の可能性は本当に無いのか? あの国は夷をもって夷を制するのが伝統だから油断できない」

「ソ連は兎に角、国民党の場合は排外運動を停止しないといけません。そうなれば連中の求心力はさらに下がり、益々内戦が激化するだけです。

 張作霖もここで日本を敵に回すことはしないでしょう。何せ国民党打倒の絶好のチャンスですし」

「こちらの思う壺か」

「そのとおり。別に我々が手を汚すことなく、彼らは勝手にぶつかって潰しあって弱体化してれくれるでしょう」



 辻はこのとき言わなかったが、彼は陸軍の一部と手を組んで極東ソ連軍、および中華民国弱体化工作として朝鮮半島で栽培した阿片を大量に

中国やソ連に密輸させていた。これらは確実に人心を蝕んでおり、近い将来において無視できない悪影響を両国に与えることは間違いなかった。

この工作の当事者や、それを知った人間からは日中同盟を結んだほうが良いのではないかという意見も出たが、日中同盟など糞の役にも立たない

として辻は徹底的に無視していた。そればかりか、辻は情報局にも手を回して極東ソ連軍の骨抜き工作を密かに進める予定だった。

勿論、これらのことを知るのはごく一部の人間だけであり夢幻会とはいえその裏工作を知るのはごく一部のみだった。



「おまけに現地で中国人とアメリカ人が対立するようになれば自警用の武器の需要も高まります。中国の軍閥だけではなく満州のアメリカ人にも

 大量の武器を売り込めるでしょう。幸い、九五式拳銃、いえブローニングハイパワーはかなり使い物になるでしょうし、これでさらなる血が

 流れるでしょう。何しろ白人達にとって黄色人種など人間の範疇ではないのですから。そして彼らが武器をもってぶつかれば」


「心理的な米中の離反を誘えるか」

「そう。中国人との衝突が増えれば増えるほど、米中の関係に楔を打ち込めます。さらに共産テロとなれば反ソ感情に繋げられます」

「そして中国での理不尽なテロから善良な列強市民を守るのが、極東の憲兵たる日本軍、そして傭兵たる海援隊となるか」

「そのとおり。上海事変の一件を考慮すれば米国も、自国の中国権益維持のために日本が必要ならば、そうそう我が国を敵視しないでしょう。

 まぁ強大な海軍力をもつ我が国が歯向かえないように何か仕掛けてくることは否定できませんが……それに対抗するのが我らの務めですよ」


 このとき嶋田は不気味に笑う辻の背後に、白いスーツを着、口髭を生やした細身の男を幻視していた。


「ま、まさしく、これは孔明の罠!!」

「嶋田さん、いくらなんでも辻は『はわわ』軍師ではないと思いますが。というか、イメージを汚さないでくださいよ」

「いや、牟田口さん、別に恋○無双のほうじゃないです。むしろジャ○アント・ロボのほうの」

「ああ、あちらの……ということはさしずめ我らは十傑集ですね」

「……ということは夢幻会=B○団ですか? 何か色々とあってそうで嫌なんですが」


 ここで辻が突っ込んだ。


「……我々は別に世界征服などという金の掛かる割には益が少ないことを望んでいるわけではないのですよ?」

「それはそうですけど、やはりこういった謀略を聞くと反射的に(というか話し方が)」


 辻は扇子を閉じて涼しげな笑いを浮かべると、本題に戻った。


「これくらいは当たり前なのですよ。嶋田提督」


 そういうと辻は出席者全員を見渡しつつ言った。


「我が国が真の一等国に上り詰めるには、中国だろうが米国だろうが全てを利用して踏み台にする必要があるんです」

「………」

「我らの行く道を妨げるものは何百万、何千万人、何億人死んだところで構いはしません。我らの行く道を遮るものは全て排除するのです。

 そう、例えどのような方法を用いても」

「…………」


 この台詞に出席していた夢幻会メンバーの半数が絶句し、他のメンバーは同意見とばかりに頷く。


(……やれやれ、一国が隆盛するためにはどれだけの血と鉄が必要になることやら。しかしこうみると辻って日本帝国にとってのビスマルク?

 後世で日本帝国発展の父扱いされるかもしれんな)


 苦笑いしつつも、嶋田は辻の意見に同意した。彼は日本人であり、日本海軍軍人であった。そして大日本帝国の中枢に位置する人間だった。

しかしかといってこのまま海軍の予算を減らされたままでは立つ瀬がない。彼もまた官僚組織のひとりなのだ。予算は欲しい。

だがそれ以上に、現状では不測の事態が発生したときに十分に対応できるか自信がなかった。


(老後の暮らしに不安を残すわけにはいかない!)


 嶋田は、大陸情勢の議題が終わるのを見計らって切り出した。


「辻さんの仰ることも判ります。しかし軍備は整えておかなければいけません」


 この言葉に辻は眉をひそめる。


「ここは軍備を縮小して内需にまわすときなのでは?」

「軍備は一朝一夕では整えられません。いくら我々がチートしても米国並みのことはできません」

「ですが、それを支える工業基盤の整備を疎かにしては本末転倒です」

「ただ艦を増やせというつもりはありませんよ。私が求めるのは戦時に短期間で空母や強襲揚陸母艦に改装可能な船舶の建造の補助です。

 満州情勢や米国との関係を考慮すれば機関車や自動車のようなものを運ぶ輸送船が望ましいと思います」

「ふむ、確かにそれなら経済効果も見込めますね……自動車普及のために米の中古車はある程度は輸入しますからね」

「空母に近い構造ならば、戦時に簡単な改造で水上機などを載せて対潜哨戒も可能でしょう。対独、対米戦双方で有効と言えます」


 ここぞとばかりに嶋田は利点をプッシュする。


「高速タンカー整備もあわせれば、かなりの経済効果が見込まれます。何とか予算を融通して貰えませんか」

「………まぁ良いでしょう」

(((予算来たー!!!)))


 この言葉に内心で踊り狂う海軍軍人たち。条約派が主流とは言え、予算を獲得できた一派が大きな発言力を得ることができるのだ。

それを思えば当然の反応と言えた。尤も、彼らの狂宴もそれも長くは続かなかった。


「ただ交通インフラの整備、コンテナの導入で輸送力は大幅に強化されていますが、国内の発達に伴い資源の輸入も増えている。

 将来の海上交通の安全を確保するためには海上保安庁の創設が必要になるでしょう」

「海上保安庁ですか……」


 史実の海自と海保の仲の悪さを知る南雲はこの提案に顔を曇らせる。他の出席者(主に海軍関係者)もあまり良い顔はしない。


「管轄は運輸省。人員は高等商船学校や警察、内務省から回します。予算もそちらから回します。どうです?」

「予算の承認は海保創設と交換ですか」

「そうです。まぁこれらは第二海軍、いわば海軍が足らない部分を補うものでもあるのです」

「……指揮系統は統一していたほうが良いと思いますが」

「それは頑固爺どもが全て退場してからですね。未だに目的と手段を取り違えた馬鹿が多い。そんな連中に使い潰されては堪りませんよ?」

「………」


 通商路を確保するための手段である艦隊決戦を、いつの間にかそれ自体を目的としてしまった軍人達の存在を指摘された嶋田は黙るしかない。

他の出席者ですら反論することができず、顔を歪めるしかない状況だった。最終的に伏見宮が断を下した。


「良いだろう。海上保安庁創設を認める」

「ありがとうございます」

「ただこちらからも何人か出向させる。良いな?」


 辻は海軍の影響力確保を図る伏見宮と睨み合いを続ける。その雰囲気に他の出席者は冷や汗を流す。暫しの沈黙の後、辻は首を縦に振った。


「……判りました。では、その線で」


 日本の発展のためには、強いてはお嬢様学校の大量創設と大和撫子の大量育成のために必要な投資は怠らない……それが辻という男だった。


「さて、皆様もわかっていると思いますが、いよいよ総力戦を戦い抜くための体制構築を行う正念場が始まります。皆様の活躍を期待しています」









 日本改造が進む中、日本企業(夢幻会派)は欧米に積極的に進出し倒産寸前の会社を次々に買収していき、技術や生産施設を手に入れた。

特にアメリカとドイツ企業を狙って買収を実施した。勿論、人種差別が根強く残っている時代で露骨に日本企業が外国企業を買収すると色々と

恨みを買いかねないのでダミー企業や協力してくれる現地の企業などを通じて実施していた。

 これらの買収劇の中で最も日本が力を入れていたのが、アメリカのボーイング社の買収だった。ボーイングはこの時期経営状況が宜しくなかった。

そのことを良く知っていた夢幻会は、ボーイングに狙いを定めていた。何しろB17やB29といった有名どころの爆撃機を開発した会社なのだ。

ここを買収すれば日本の航空機開発にも弾みがつくのは確実だった。しかしその思惑は思わぬ横槍で頓挫する。そうアメリカ政府が介入したのだ。

確かに米国は世界恐慌で疲弊していた。しかしかといって国防上大きな問題となりかねない技術情報を流出させるわけにはいかない。

日米関係は良好であったが、それでも認められるものと認められないものがあったのだ。しかし日本側は必死の交渉で幾つかの技術の入手に成功。

これによって日本は史実よりも有利に航空機を開発できるようになっていく。だがそれだけでは夢幻会は満足していなかった。


「まぁボーイングの買収は失敗したが、まだまだこっちがある」


 辻は買収失敗の報告を聞いたあと、不敵に笑った。これに他のメンバーが同意する。


「ドイツ企業の買収、あと技術の入手を急がせろ。ナチスが動く前に出来る限り抑えるんだ」


 史実でのドイツ工業界の底力を知る夢幻会は、ドイツ企業に熱い視線を向けていた。彼らは日本の工業水準がいかに低いかを理解していた。

そしてその遅れを取り戻すのが簡単ではないことも。実際、史実の高度経済成長期ですら、工作機械、つまりマザーマシンの性能では欧米列強に

勝てるものではなかった。戦後、米国の支援を受けてでもなお、日本の基礎工業力は欧米には及ばなかったことが、どれだけ両者のレベルが隔絶

していたかを物語っている。


「米国の大量生産技術、ドイツの科学力、これらを何とか手に入れなければならない」


 夢幻会は世界各地で企業買収を重ねて技術とプラントの収奪を行うのと並行して、技術開発を加速させた。合成繊維をデュポンに先駆けて開発し

特許として登録し巨額の富を得た。加えてマグネトロンや八木レーダーの実用化で電探も実用可能な段階にまでこぎつけることに成功する。

TVも高柳教授を支援することで着々と実用化に近づきつつある。

しかしそれを安定して量産するとなると、些か心もとないのが現状だった。勿論、史実よりは遥かにマシな性能で量産できることは間違いない。

かといって米国並みにできるかどうかとなると話は別だった。


「これだけチート行為を繰り返しても、まだ米国には追いつけない……まぁ何とか背中が見えてきただけでもましか?」


 嶋田は日米の歴然たる差に暗然としたが、すぐに思い直す。


(この世界の日本は並程度の工作機械を何とか作れるようになった。追いつくのにあと四半世紀は掛かる……だが産業革命に

 乗り遅れたことを考慮すれば、上出来と言える。我々のチートがあったとは言え、ここまで来たんだ。日本人にはやれる力がある)


「軍制官制改革をして陸海軍の効率的運営を急がないとな。折角予算が増額されたんだ。老後のためにもその分の仕事はしないとな」


 真面目で誠実、そして技術にも精通した軍の(良くも悪くも)高級官僚、それが嶋田だった。彼は自分ができる仕事に取り掛かる。









 各国が世界恐慌で疲弊する中、日本は各国から買い集めた工作機械やプラントで工業力を増進させつつ、資源開発を急ピッチで推し進めた。

一方、日本からかなりの資金を得た英仏は経済ブロックを発動し、史実よりも若干遅れたものの世界経済はブロック経済に移行してく。

しかしそれさえも、日本の、いや夢幻会の規定事項のうちであったことを彼らは知らなかった。


「史実どおりだな」


 大蔵省の一室の窓辺で、辻は不気味な笑みを浮かべつつ机の引き出しから、一枚の書類を取り出した。


「ふふふ、ニーソ、スク水、ブルマ……日本を豊かにして、これらを一刻も早く普及させなければ。ああ、夢が広がる……」


 日本の発展に最も尽くしているであろう、そして最も手を汚しているであろう人物は、そういって愉悦に浸っていた。

後世において『大蔵省の巨人』、『昭和の怪物』などと言われた人物が、実はこんな人物であったと歴史に記され無かったことは

日本にとって幸いなことであったと言える。



















   あとがき


 提督たちの憂鬱第5話をお送りしました。

辺境人さん、八九式、九二式戦車のネタを今回使わせていただきました。ネタ提供ありがとうございました。

尾崎さんは逝ってしまいました……平面の世界へ。近衛さんどうなることやら……。

しかし後世において嶋田はオタクに敬われて、辻は一般人に敬意を表される……どうみても逆だ(爆)。

それでは。