1927年、史実では若槻内閣の大蔵大臣・片岡直温の失言で金融恐慌が発生していたが、この世界では至って平穏であった。
ちなみにソ連によって計画されていた中国でのテロ等は大日本帝国中央情報局の手により大半が未然に潰され大事には到らなかった。
まぁ端的に言えば世は全て事もなしといった状況であった。尤もその分、割を食った人間もいる。
「若槻さんには申し訳ないですね」
恒例の夢幻会の会合で、嶋田は苦笑いしていた。その声にまざって何かを啜る音がするが、あえて彼はそれを無視する。
「片岡を外して作ることも出来たが、別に若槻内閣を作る必要なかったからな」
あっけらかんと言うのは、元老の生き残り西園寺公望だ。すでに伊藤博文も山県有朋もこの世を去った今では数少ない明治の元勲だ。
彼は未来人ではないものの、史実を知るが故に夢幻会に協力している。
「政友会でうまくやっている。わざわざ憲政会に組閣をさせてやる必要はないだろう」
この言葉に、ほかの出席者たちは一様にうなずく。政友会は長期政権として日本の舵取りを担っている。
第一次世界大戦の好景気を利用した産業の再編、関東大震災でのすばやい対応、加えて第一次五ヵ年計画での日本の内地開発の促進で
日本の景気は良い。加えて普通選挙の実施も始まっており、政友会は資本家・市民の双方から高い支持を受けている。
わざわざ少数政党の憲政会を使う理由はなかった。
「確かにそうですね」
嶋田はそういって同意した。そして一呼吸置いて尋ねた。
「政治の生臭い話も結構ですが……インスタントラーメンを今食べる必要は無いでしょう?!」
そう、出席者たちの多くは、このたび新発売されるカップラーメンを啜っていたのだ。
「別にいいじゃないですか。久しぶりに懐かしい味なんですから」
南雲の言葉に、嶋田は渋い顔をする。この会合は試食会じゃあないんだぞ……と。だが西園寺公も気にしていない様子なので強くでれない。
「まぁそれはそうですが……」
ひょっとして自分だけが異常なんだろうか……嶋田は人知れずそんな不安を感じた。尤も彼の不安を他所に話は続く。
「まあ憲政会の政治家たちにも飴は与えてあります。イザというときには役に立つでしょう」
三菱の代表はあっさり言った。これを見ていて嶋田は夢幻会が日本のキング(総理大臣)メーカーになっていることを実感する。
(おいおい一国の総理をまるで、いや、これがこの組織の力か。悪の秘密結社みたいだな……)
かつて彼がいる漫画やアニメ、小説の中で存在した悪の組織は、その大半が国を世界を背後から操り、歴史を作り上げていた。
(正義の味方が現れて、俺たちを打倒するというのが物語のパターンなんだろうなって、会議中にラーメンを食べる組織……嫌な秘密結社だな)
そう思うと苦笑せざるを得ない嶋田であった。そんな彼にラーメンを食べ終わった大角が報告を促した。
「では嶋田君、海軍大学校の状況を」
「はい」
嶋田はそういうと立ち上がって、海軍大学校での状況を説明する。
「教育改革によって、精神主義は大分、なりを潜めたようです。少なくとも石油なくして海軍なしというのは理解していると思われます」
「反発は?」
「何とか抑えました」
「ご苦労。陸軍との協調は?」
「陸海軍の協調を目指す文化祭、運動会ともに成功しています。ですが中には、スポーツより武道を嗜むべしという声もありまして」
「……わかった。あとでリストを渡してくれ。害悪にしかならないのなら軍からたたき出す」
「はい。ほかに外交の研究もさせています。これで国際感覚の無さは是正できると思われます」
「ふむ。これで史実のような失敗はなくなるか……」
史実で日米交渉を暗礁に乗り上げさせたのは日本の南部仏印進駐であった。だが日本軍部は南部仏印進駐が単なる日本対仏印の問題に
留まることなく、枢軸国対反枢軸国の世界政策の問題として全世界に強く響くとの感覚が鈍かった。彼らからすれば南部仏印進駐の主目的は
日華事変の処理にあった。しかしアメリカ政府は、この行動を大東亜共栄圏の思想に基づく東南アジア一帯を支配する第一歩であり、やがて
その勢力は自国の勢力圏でありフィリピンに及ぶと判断したのだ。そして東南アジア一帯が枢軸国の手に落ちることは見過ごせるものではなく
アメリカはそれまでの日米交渉の打切りを通告し、日本資産を凍結し、日本の最大の弱点であった石油、屑鉄といった重要な戦略物資の輸出を
禁止した。そして日米関係は破局に向けて突っ走っていったのだ。
「絶対とは言い切れませんが、その可能性は低くなったと思われます」
一連の報告を聞いた他の夢幻会のメンバーは、今後の事について小声で話し合う。それは嶋田の将来のことも含まれていた。
「わかった。順調のようだな。ご苦労だった」
「あと君は来年から軽巡洋艦『多摩』の艦長への就任することになる。まぁ空母の艦長になる前に経験を積んでおいてくれ」
「暫くは海の上だ。気苦労が絶えないだろうが、頑張ってくれたまえ」
「はい」
嶋田は自分の働きぶりが評価された事に安堵した。夢幻会は確かに未来人たちが日本を改革(?)するために結成された組織であるものの
無能者をいつまでも援助するようなお人よしの組織でもない。無能と見なされればどうなるか判らない。嶋田は何とか将官にまで昇進したかった。
最低、少将であっても、将官として退任すればもらえる恩給は大きい。三菱の海援隊に再就職する際にも有利だ。海援隊は中国や東南アジアの
植民地警備を手がけていたので将官の需要はある。元海軍提督となれば現地の折衝での出番もある。
(我慢、我慢だ。史実だったら、あと2年で海軍少将なんだから)
そう自分に言い聞かせつつ、嶋田は席に着いた。そのあと何件かの案件が報告される。その中にはトランジスタの開発についてのものもあった。
当初は真空管開発が検討されていたが、コンピュータ開発でのアドバンテージを得るためにはトランジスタ開発が必要という結論に至ったのだ。
といっても開発にはかなりの費用がかかるので、とりあえず1932年から開始する予定の第二次五ヵ年計画の中で開発を進めることになった。
「しかしコンピュータですか。真空管のお化けみたいなエニアックの前に、トランジスタのコンピュータができるとは」
「高性能のほうが良いだろう。研究開発の他にも、軍艦に乗せれば弾道計算とかで役に立つ」
伏見宮は淡々と言った。彼の判断基準は日本の役に立つか立たないかの二者択一であり、役に立つ物なら作らない理由は無い。
「まぁそれもそうですが。1940年代にトランジスタのコンピュータ積んだ軍艦がでるとは……どこぞのSFみたいな話ですね」
嶋田の感想を聞いた辻はすかさず突っ込む。
「そもそも我々のような存在そのものが十分SF、いやファンタジーですよ。二足歩行の人型ロボットが戦争で活躍するほうがまだ現実的です。
それに比べれば多少早くコンピュータができても十分許容範囲でしょう。尤も私は軍用よりも民家用のものをさっさと作りたいですが」
コンピュータ関連で特許を独占できれば日本に莫大な富が転がり込む。辻はそれを狙っていた。まぁ全ては彼の野望であるお嬢様学校の量産と
日本を担う淑女の教育のためであるが。尤も彼の野望のせいで予算で不自由している海軍の軍人である嶋田からすれば多少腹立たしいことだ。
彼はすかさずカウンター攻撃を加える。
「………亡命ロシア人子女のために作られた「聖ペテロ女学院」の存在も十分にファンタジーと思いますが」
「何がファンタジーなんです。我々は多数の亡命ロシア人を受け入れているのんですよ。彼らのために学校をつくるのは問題ないでしょう」
「東京近郊の学校には、やたらとロシア系美少女が多いようですが? ああ、モンゴロイド系もコーカソイド系もいましたね」
この言葉に辻は冷や汗を流して視線を外した。
(お前、絶対に権力を私的に使っているだろう………やれやれ、これが無ければなあ)
優秀だけど、どこかおかしい同僚たちを見て、改めて嶋田はため息をついた。
「まぁお嬢様学校のことはここら辺で切り上げましょう。それよりも大陸問題はどうします?」
この嶋田の言葉に多くの人間がしかめ面をした。
1928年、史実では国民党の北伐による北京制圧と満州某重大事件と呼ばれる張作霖暗殺事件が起こった。しかしながらこの世界では
それらのイベントは発生していなかった。
米国の支援を受けた張作霖は依然として華北部を中心に強力な戦力を保持し、国民党相手に一歩も引くことなく北京を維持していたのだ。
これによって張作霖は中華民国の正統政府は自分達であると主張して止まなかった。勿論、国民党の蒋介石はこれに反発したが、米国(+日本)
をバックに持つ張作霖に真っ向から戦うことはできず、華南での足固めに終始していた。
また、第一次世界大戦後、連盟の監視下で満州は合法的に日本の影響下にあった。連盟(列強)の監視もあって治安も安定しておりわざわざ
張作霖を排除するような機運はなかった。さらに米もあまり反日を煽れば連盟の警戒と日本による武力介入を呼ぶ可能性があるとして極端な
日中離反工作はできないでいた。さらに21ヵ条要求などをしていないので反日機運もそこまで高くは無く、むしろ反英機運が高かった。
これらのおかげで満州は安定しており、日米英の投資もあって大きく発展していた。米国はそんな満州を拠点にして中国市場攻略を画策していた。
日本はその米国に力を貸すことで国力の底上げを図った。企業は人件費の安さを前面に押し出してあらゆる業種で仕事を受注し、軍、特に陸軍は
米国企業を馬賊、そして最近出没するようになった共産ゲリラなどから護ると同時に、米財界とのコネクション作りを着々と進めていた。
日本が、いや夢幻会が現状維持を狙う中、米国政府中枢は着々の己の野望を実現するために動き回っていた。
彼らは現状に不満に思う張作霖を取り込み、最終的には親米勢力による中国統一、そして市場開放を狙っていたのだ。
「ふっ。まだまだ修行が足りないですね」
「辻さん、何か手があると?」
「勿論ですよ。成り上がりのアメ公と、頭の中が未だに近代に突入していない支那人を躍らせてやりますよ。くっくっく」
「つ、辻さん……何か悪者っぽいですよ(うわぁ、こいつ絶対Sだよ)」
「悪者っぽいじゃあないですよ。悪者なんですよ。最後の審判で裁かれるべきね。でもそれくらいでないと国の運営なんてやってられない
んですよ。特にこんな発展途上国の場合はね」
提督たちの憂鬱 第4話
西暦1928年は大した問題も起こらず過ぎていった。そしてついに世界史におけるターニングポイントとなる1929年が訪れる。
「ついに1929年、世界恐慌の年か。早かったな」
空母『天城』の艦長に就任した嶋田は、自分の艦の艦橋で、艦載機の発艦訓練を見ながら感慨深げに小声で呟いた。史実では大震災で
破壊されたが、夢幻会がいち早く対策したことで破壊を免れ空母に改装された。ただ史実の赤城のように三段空母のような構造ではない。
むしろ米国のレキシントン級空母のように一段式になっている。ただし格納庫は閉鎖式であった。日本近海での荒い気象を考慮した結果の
ものだった。ただ防御力は強化されていた。
軽質油タンク、給油系統および漏洩ガスに対する安全確保への配慮が徹底され、被弾した際の対処についても訓練に取り入れられた。
ただダメージコントロール専門班の設置によって、乗組員の数が増えて、艦長たる嶋田の負担が増えたのはご愛嬌だ。
「やれやれ………全く出世街道といっても楽じゃあない」
嶋田は今のところ、出世街道を突っ走っていると言って良いだろう。現在の出世街道は戦艦か空母の艦長になるのが最短ルートだった。
航空機の攻撃力が実証されてからは、空母の価値は大幅に向上していたのだ。さらに言えば嶋田は、海軍有数の派閥の一員なのだ。
尤もそれだけ色々と苦労も多い。妬む奴もいれば、媚を売ってくる奴もいて、人間関係で気がめいることが多いのだ。
「まぁアメリカと戦わないのなら、もう少しは我慢しよう」
そうぼやきつつ、嶋田は己の職務に励んだ。同時に嶋田は航空無線を取り入れた集団戦法の研究を進めた。後々に、この集団戦法は日本軍の
航空部隊の基本戦術となっていく。嶋田は新たな戦術を研究すると共に、赤城型空母『赤城』の艦長となった山本五十六と航空機の未来について
話す機会を多々設けた。彼等は飲み屋や寮などで大いに話を盛り上げた。尤も嶋田は海軍有数の名将と呼ばれる事になる山本五十六を前にして
緊張のあまり背中で汗を流していたが。
「そうか、やはり貴様もこれからは飛行機だと思うか」
酒を飲みつつ言った山本の言葉に、しきりに嶋田はうなずく。
「ああ。飛行機なくして、戦争は語れなくなるだろう。戦艦は確かに強い。だが飛行機はこれからさらに強力になるだろう。そうなれば」
「航行中の戦艦を航空機だけで撃沈できると?」
「不可能ではなくなるだろう。それが何年後かは分らないがね(正確にはあと12年後だ)」
歴史を知る嶋田、もとい嶋田の中の人である神崎はそう口の中で呟いた。
「それでもアメリカとの戦争になれば、日本に勝ち目は殆ど無い。あの国は何もかもが桁違いだ」
「確かに」
「俺は日米戦争だけは何としても反対してやる。そのときには力を貸してくれるか?」
「勿論だ。同期だろう俺達は?」
彼の同期の嶋田繁太郎その人はすでに存在しない……彼の前にいるのは魂が違う別人だ。それ故に嶋田、いや神崎は良心に痛みを感じた。
1929年10月24日、後に暗黒の木曜日と呼ばれることになるこの日、米国で株の大暴落が発生した。株価は平均43ポイント下がり9月の
約半分ぐらいになってしまったのである。投資家はパニックに陥り、株の損失を埋めるため様々な地域・分野から資金を引き上げ始めていった。
アメリカ経済への依存を深めていた脆弱な各国経済も多大な打撃を与えた。だがこの恐慌の発生を予め知っていた日本は、むしろこの大暴落を
利用して莫大な資金を稼ぎ出した。それは各省庁の裏金や、皇室財産からも資金をひねり出して仕掛けた夢幻会一世一代の大博打だった。
尤も彼らの行為は、インサイダー取引なんて目じゃないほどのインチキだが、インチキはばれなければ問題ない。
また彼らは1930年1月に起こったロンドン銀相場暴落でも荒稼ぎしていた。未来情報の存在を知る人間から見れば突っ込みどころ満載の
資金調達と言えた。
「ふふふ、ははははは………」
恒例の夢幻会の会合では、世界恐慌で荒稼ぎした金の総額を見た辻が、喜びのあまり何やら高笑いをしていた。だがはっきり言ってどこかの
悪役にしか見えないのは、彼の生まれつきの性だろう。もしくは前世の行いによる補正効果と言う奴かもしれない。
「辻さん、もうそろそろ現実に帰ってきてください。会議を始めますよ」
そんなトリップしている辻を、現実に呼び戻すべく、他の出席者が辻に声をかける。しかしその声は中々彼に届かない。
「ふふふ、これがあれば、補助金を大量に、いや控除制度を、ふふふ夢が広がりまくりんぐ………ぐふぐふ」
よからぬことを考えているのが判る辻の表情、それはまさに悪の秘密結社の幹部と言える物だった。MMJのほかのメンバーもちょっと引いている。
しかし次の瞬間、空気が変わる。
「黒ニーソを穿くように指定にして、あとは」
何人かのMMJ幹部が、どこからかハリセンを取り出して、思いっきり辻を張り倒した。
「何を馬鹿なことを言っているのだ!! 紺の靴下に決まっているだろうが!!」
「何だと、靴下は白に決まっているだろう!」
辻を張り倒したものの、靴下派は仲間割れを始めた。これにMMJの幹部である牟田口が反論を加える。
「何を言っておる! 古きよき袴に決まっているだろう!! それに化学繊維がない状況で、我々の時代と同じニーソができるとでも」
これを聞いた辻は、不気味な笑いを浮かべつつ復活した。
「甘い、甘い、甘すぎますよ。それは里村茜がつくるワッフルよりも甘い考えですぞ。私が何のために第二次五ヵ年計画で石油、化学産業に投資を
行うと思います?」
「き、貴様、まさか………」
「そうです化学繊維を作るためです。ぶっちゃけ、高オクタンのガソリンは二の次です!」
これを聞いた嶋田は思わず持っていた湯のみを落とした。ちなみに中に入っていた緑茶は隣にいた東条の股間にかかる。
「あちちちち!!」
熱い緑茶をもろに急所に受けた東条は転がりまわる。しかし嶋田は隣で起こっている惨劇を気にもかけずすさかず突っ込んだ。
「ちょっと待て! 高オクタンのガソリンはおまけか?!」
「おまけです」
「あまり国防をないがしろにするな! 国防は国の要だぞ!!」
「良いじゃないですか。ちゃんと高オクタンガソリンの精製が出来るようにするんですから。それに満州の油田開発も進めますし。海軍の燃料事情は
きちんと好転させますよ。それに化学繊維開発を進めるのはデュポン社より早く特許を押さえるためですから」
「ぐぐぐぐ………」
一概に否定できない嶋田は唸った。確かに化学繊維、特にナイロンを早めに押さえておけばかなりの利益が上げられる。そしてその特許を
押さえれば、欧米の大企業から特許料を得る事ができる。それは日本の技術革新を支えることになり、最終的に国防にも貢献するだろう。
しかしかといって、軍を余りに軽視する言い方は、さすがの嶋田も聞き捨てなら無い。そんな嶋田を南雲がなだめる。
ちなみに東条は苦しげに転がりまわっている。
「まぁ落ち着きましょう。嶋田さん。とりあえず、高オクタンガソリンは出来そうなんですから」
「南雲さん。今、私は5.15や2.26事件を引き起こした将校たちの気分がわかったような気がしますよ」
「ま、まぁとりあえずは我慢ですよ」
「ふふふふ……それにしても、夢幻会の人間というのはどうして優秀でも、性格がとんでもない人間が多いんでしょうか」
「嶋田さん、三つ目の人間の国では、二つ目の人間のほうが異常なんです。それに、いちいち気にしていたら早死にしますよ」
「そうですか。そうですよね。はははははは………はぁ、もっとまともな同胞がほしい」
その言葉を聴いた南雲は、それは聖杯やドラ○ンボールでも叶わぬ望みですよ、と口の中で密かに呟いた。
そんなやり取りの傍らで東条はズボンを履き替えるべく部屋を後にした。しかしダメージを受けたためか、かなりぎこちない歩きであった。
この状態で誰も気遣おうとしないのが、東条の扱いの酷さを端的に示していた。
「さて、コントはこれまでだ。議題に入るぞ」
尤も、いつまで続くか判らなかったカオスな空間は、伏見宮の言葉によって終わりを告げた。
「陸軍の自動小銃の導入はどうなっている?」
この言葉に、ズボンを履き替えてきた東条が答える。
「宇垣閣下の協力もあり、新型の自動小銃の開発を終了しました。三八式の後継としては申し分はないと思われます。
加えて新型の重機関銃の開発も進んでいます。こちらは弾薬を海軍のリムレス薬莢タイプにしています。部品も統一規格に基づいて作られている
ので生産性は向上しています」
「弾薬の生産量は?」
「陸軍工廠の近代化を図っており、そちらのほうも十分に解決できます」
陸軍は兵士の数を減らした分を、火力の向上で補おうとしていた。このため自動小銃や機関銃などの火器の開発に力を入れていた。
「どちらにせよ、これらの兵器を大々的に量産するのは戦時になってからでしょうが」
「金が無いですからね」
この辻の言葉に思わず軍人達はため息をついた。内地のインフラ整備に予算をとられていたために軍の予算は大きく削られていたのだ。
加えて新設された情報局へ予算をとられているので、さらに予算が少なくなっている。海軍は駆逐艦の建造を減らし、さらに設計を簡素にして
建造予算を節約している状態だった。中国への武器輸出、列強の中国進出の後押しとその下請けで必死に金儲けに勤しんでいるが、日本は
依然としてまだ貧乏だった。
「それより海軍はどうなのです? 史実のように弾薬不足で米軍機の跳梁を許すようでは困りますよ?」
「判っている。こっちも弾薬の生産能力を向上させる予定だ。まぁ本格的に量産に移るのは大戦が勃発してからになりそうだ。
箱物(艦や飛行機など)の生産は第二次五ヵ年計画のあとから……そうだったよな、辻さん?」
「ええ。第二次世界大戦に向けての軍拡は、第二次五ヵ年計画後からです。その頃には粗鋼生産量も列強並みになっているので短期間で
軍拡は可能なはずです」
この言葉に軍人たちは頷いた。第二次五ヵ年計画は、この世界恐慌のドサクサで荒稼ぎした資金をもとに実行されることになっている。
第二次五ヵ年計画では世界恐慌で苦しむ米国から多数の工業機械や特許を買い取って、日本の工業力向上を図る一方で、世界中で余る値下がり
船舶を購入し、解体、これと日本中の船の大更新を組み合わせて、日本を造船大国に早期に引き上げると言う公共事業を行う予定だ。
他にもトランジスタ開発や、化学繊維開発など様々な事業が目白押しであった。制度改革も急ピッチで進む予定だ。
「まぁその前にロンドン軍縮条約だな。こちらは史実どおりと言いたいが、英国と協力して駆逐艦の排水量制限だけは何とか緩和させる」
この伏見宮の言葉に海軍軍人の多くが頷いた。外洋で航行可能な大型駆逐艦の存在は必要だった。
「しかしアメリカがそれを認めるでしょうか? 彼らはワシントン条約で痛い目にあっています」
大角の疑問を聞いて、伏見宮は不敵な笑みを浮かべて答える。
「見返りに日英同盟の対米戦における自動参戦義務を削除する。どうせカナダなどの英連邦諸国の反対で、もうそろそろ限界だろうからな」
日本の外交工作で延命されてきた自動参戦義務だが、第一次世界大戦後は米国を参戦義務の対象国から外すべきとの声が英国で強くなっていた。
伏見宮はどうせ削除せざるを得ないのなら、外交カードとして使うことにしたのだ。
「加藤と協力して関係省庁との協議を進めておく。諸君らには陸海軍中堅の説得を頼む」
「しかし海軍での取りまとめができるでしょうか? 対米戦争での抑止力がなくなるとなれば」
「米国とは満州開発をリンクさせることで友好関係にある。それに支那各地の租界警備も我々がしているのだ。日本が国際的に孤立しない限りは
戦争にはならないだろう。それに日英同盟が曲がりなりにもあれば、日米戦争になっても何らかの支援、仲介をしてくれるだろう。
それより問題はまた軍縮で文句をたれる連中だ。何しろ軍拡なしだと、自分達のポストが増えないからな……」
「ははは。確かに我々軍人としては出世するには、ポストがないとどうしようもないですからね」
「というより、あんまり予算を獲得できないと、省内への影響力が減るぞ?」
「現状維持ができるだけありがたく思えというしかないだろう。というより新規予算は情報収集や分析関連に集中するほうがいいと言うか?」
「第一次世界大戦の戦訓を生かした戦略と主張するか……しかし正面戦力がないと心もとないな」
この言葉に辻が反論する。
「冗談じゃあないですよ。今でさえ軍事予算が重荷なのに、対米7割なんかにしたら国が傾きかねません!」
この言葉に数人の軍人は嫌そうな顔をするが、渋々黙る。
(国力は伸びているのに軍事予算は伸びないか……まぁやっぱり世の中そうそう甘くはないってことか)
嶋田は諦めにも似た感覚を抱いて、この状況を見守っていたが、あまり辻と他の軍官僚たちが険悪になるのも気分が悪いので話題を変える。
「しかし各種改革が終わるころには、日本は真の国家総力戦が遂行できる体制ができますね」
この言葉に伏見宮は大きく頷く。
「そうでなければ意味が無い。これから起こる第二次世界大戦と遠い将来起こりえる日米戦争に備えるためにも」
この伏見宮の言葉に、全員がうなずいた。
世界恐慌によって世界各国で生産縮小、企業の倒産が相次いでいた。その中で日本は巧みな金融政策、経済政策でその打撃を最小限に抑えた。
そんな中で開かれたロンドン軍縮会議で、日本は駆逐艦の排水量制限を緩和させることを提案した。当初、日本の大型駆逐艦に脅威を抱いていた
米国政府は難色を示すが、英国も植民地警備の問題から、駆逐艦の小型化に難色を示したために米国も最終的に折れた。
ただし日英同盟については、対米戦争についての参戦義務が削除された。これによって日英同盟は対米同盟としては空文化した。
米国国務省は、このことを外交での勝利と考えたが、それらが実際には日本のシナリオどおりであった。
「さて、欧米列強が恐慌で弱体化している隙に、どこまで我が国が成長できるかが、今後の鍵となる。諸君らの健闘を期待する」
ロンドン軍縮条約が予定どおり調印されたことを知らされた夢幻会幹部は、関係各所に檄を飛ばす。
軍縮条約で浮いた予算、そして恐慌と銀相場暴落等で荒稼ぎした資金をもとにして、第二次五ヵ年計画が開始された。
満州での油田開発、各種インフラの整備、農業の大規模化や機械化を推し進めていく。しかしながら日本が引き起こした変化は徐々に大きな影響を
各地に与え始めていた。そしてその影響の一端が、因縁の地である中国大陸で現れようとしていた。
あとがき
お久しぶりです。提督たちの憂鬱第4話をお送りしました。
ついに日本がやってきた影響が大陸で出始めます。
それでは提督たちの憂鬱第5話でお会いしましょう。