1921年のワシントン会議の決定に基づいて海軍では艦隊の縮小が進められていた。史実なら露骨に不満をもった仕官たちも多かったが
この世界では比較的、不満を示す者は少なかった。史実では艦隊派と言われる面々が静かだったことに加えて、戦艦の代わりに成りえるものが
あることが不満を抑えていた。ひとつは早期に開発された酸素魚雷、そしてもうひとつは、本当なら補助的なものとして捕らえられてきた筈の
航空機だった。
都内にある某料亭では、集まった夢幻会に所属する海軍軍人が集まって祝杯を挙げていた。
「これで、航空機の予算がつきますね」
「ああ。一安心だ」
1922年、ワシントン軍縮会議の決定によって処分が決定された戦艦土佐は標的艦として使われた。その際、一部の将官たちの主張によって
行われた航空魚雷による攻撃で、戦艦土佐はあっさり沈没した。
未来の知識で航空機で戦艦を撃沈できることを知っていた面々は大して驚かなかったが、そういった予備知識をもたない軍人からすればこれは
驚天動地の出来事だった。何しろ標的艦とは言え、莫大な予算をかけて建造していた元戦艦があっさり沈んでしまったのだ。
戦艦を撃沈できるのは戦艦しかない・・・・・・その常識を土佐の沈没はひっくり返しただけではなく、戦艦の存在価値そのものを揺るがした。
巨額の費用をかけて艦隊決戦にしか使えない戦艦を建造するより、対潜作戦にも使える水雷戦隊や航空機を整備したほうがよいという意見すら
ちらほらと出てきる始末だった。陸軍の面前で面目を丸つぶれにされたことも多分に影響していた。
「水雷屋の連中も対潜作戦も考慮してくれるようになった。これで史実よりはマシになりそうだ」
「ふむ……妙高型巡洋艦の建造は?」
「武装を減して防御力や航続距離を向上させることに難色を示している。あいつらの説得にはなかなか骨が折れる」
「日本近海での艦隊決戦なぞ起こる可能性は殆ど無いだろうに……日露戦争の栄光をまだ忘れられないとは」
「魚雷はまだ降ろさないからな。できれば砲を1基減らしたいが……」
「ふん。連装砲を6基12門も積んだらどうなるか判らんのか。それに火力を補うための防御力だろうに」
「なまじ扶桑型と伊勢型の完成度が高いからな。スペック重視の連中は欲張りたいんだろう」
「だが30年代で開戦となれば日本の領海で通商破壊を行うことは否定できない。これに対する備えとしてある程度の重火力は必要だろう」
「だからといって火力重視でダメコン軽視は拙いだろう。うちは重巡クラスの艦をポンポンと補充できないんだぞ」
「どうせ航空機の時代になったら魚雷を降ろしたりして改装すれば良いんだから、史実どおりでもよくね?」
「それに史実どおりにスペックは立派な艦を作っておけば軍縮会議の呼び水になってくれると思うんだが」
「まぁ張りぼてとしては役に立ちそうだな。」
「ちょ、お前ら」
そんなことを話す海軍のお偉いさんの姿を見て嶋田は思った。
(……盛り上がっているな。尤もあんなチート国家と戦争になったらどんな戦略を立てても負けるだろうけど)
はっきり言って蚊帳の外な嶋田は、話の輪に加わることを避けて上手い飯を食べることに専念していた。そんな彼に加藤寛治が話を振る。
「嶋田君」
「あ、はい。何でしょうか?」
「君、今度海軍大学校の教官になるから、国際戦略や政治、海上護衛、航空分野へも力を入れておいてくれ」
「(簡単に言ってくれるな……)ですが航空はまだ発展途上なので危険が多いと思いますが?」
この時期の航空機は墜落事故が多かった。このため飛行機乗りに嫁はやれないという親も少なくない。さらに海軍軍人、それも海軍大学校に
通う人間はエリートと言えるのだ。そんな彼らに死ぬ可能性が少なくないことをさせるのは、些か気が引ける。だが加藤は強く言った。
「将来は海軍大学校に航空科を設置するつもりだ。そのためには多少なりとも航空機のイロハを学ばせておいた方がいい」
「……分りました」
「ああ、陸軍大学との交流も忘れないようにしておいてくれ。史実のような馬鹿な縦割り行政はゴメンだからな」
「はい」
仕事が級数的に増えていく……そう思って、嶋田は思わず心のそこで溜息をついた。
(ふ、不幸だ……ああ、せめて将官になって退役してからの夢の年金生活ができるまでは生きられますように)
そういって心の中で祈る嶋田。しかしこの世界に、彼が祈るべき神はいないのだろう。さらなる追い討ちが彼を襲う。
「ああ、航空分野に行って欲しいから、飛行機の免許とるのも考慮しておいてくれ」
伏見宮の言葉に嶋田は絶句する。そして半ば顔を引きつらせながら尋ねた。
「あのつまり、私に米軍のハルゼーの真似をしろと?」
アメリカ海軍で猛将と賞賛されたハルゼーは、40過ぎで飛行機の免許を取った生粋の航空屋だった。
「勿論」
「勘弁してください。この歳で飛行機の免許を取るのは厳しいです」
加藤も危険すぎるということで、やめたほうが良いと進言した。2人からの反対を聞いて伏見宮は自分の意見を撤回した。ただし全面的に
撤回はしなかったが。
「ふむ……それだと空母の艦長か」
現在、日本海軍は建造中だった高速戦艦の船体を使って空母を建造中だった。本来なら飛龍もどきの正規空母が欲しかったのだが建造経験が
ない大型空母を作るより、建造中の戦艦の船体を流用した方が安上がりだということで、当初計画された空母の建造は却下された。大蔵官僚達が
内地開発と基礎技術研究の予算を分捕るために海軍相手に激闘の末に勝利したと言える。逆に言えば海軍の敗北なのだが。
「まあ海軍大学校の教官を務めきった後だな。将来の、日本海軍の未来は君の双肩にかかっている。頑張ってくれ」
(俺の進む道は航空ですか。もう決定済みですか。まあ前の世界での仕事も航空関連だったから、文句は無いけど……何か釈然としないんですが)
あっさり決められた自分の進路に漠然と不安を感じた嶋田であった。だが彼が不安を感じようが感じまいが、歴史は常に流れていく。ワシントン
軍縮会議が終わった後、逆行者たちは次のビックイベントたる関東大震災に向けて着々と動き出した。
提督たちの憂鬱 第3話
1923年に発生した関東大震災は、史実においては多大な犠牲者を出しただけではなく、日本経済そのものにも多大な悪影響を与えた。
昭和初期の日本経済が深刻な状態であったことの一因にはこの大地震にあった。夢幻会としては史実のような破局を避けるために何としても
この大地震の影響を最小限に抑える必要があった。
彼らは関東大震災での死者をまず減らすために、地震発生日を防災の日として定め、大規模な防災訓練をすることにした。これによって
被害を拡大した火災を多少なりとも抑えることができると考えられていた。また復興計画にはシベリア出兵を最小限に抑えてあまった資金と
第一次世界大戦の特需で稼いだ資金の残余からひねり出した資金が当たられることになっていた。準備は万端と言える。尤も中には現状に不満を
持つ者もいた。
「これだけの資金がほかの分野にあればもうちょっとは楽はできるんだけどな……」
貧乏帝国の予算をやりくりしている夢幻会派の大蔵官僚の一人・辻政信は愚痴をこぼす。第一次世界大戦後に日本の経済の再編を推し進めて
今日の経済成長を実現させた立役者達の中心人物である彼は、予算の神様といつしか呼ばれるようになっている。ただし彼が軍縮を積極的に
進めていることもあり、陸海軍の軍人の一部からはかなり嫌われている。そんな彼は今日も、夢幻会の会合で愚痴をこぼす。
「ああ、金(予算)がほしい。もっと金があればな〜もっと教育にも力が入れられるんだけどな」
実はお嬢様学校を増やそうとしている派閥MMJ(もっともっと女学校を)の一員たる彼としては、歯がゆい限りだった。
「聖應女学院とか、リリアン女学園とか作りたいな。富裕層が増えれば出来るんだが・・・・・・内地開発にもっと予算つけられない?」
「何を言っているんですか、辻さん。そんなことで予算の振り分けを考えないでくださいよ」
他のメンバーがすかさず突っ込むが、彼は全く意に介しない。現在、彼らがいるのは帝都の一角にある4階建てのビルだ。表向きは倉崎重工が
所有する商用ビルとなっているのだが、実際には夢幻会の会合のために作られた建物だった。その中の地下秘密会議室で彼らは会合を開いている。
「男のロマンだと思わないのか?」
「思いません」
「夢のない奴らだ。大人に夢がないと子供がついてこないぞ?」
「そんな夢はくそ食らえです。それにお嬢様学校増やすよりも教育改革のほうが先でしょうに。早めに教育改革をしないと国の力が衰えます。
人こそ国の土台なんですから」
これを聞いた連中がうなずくのを見て、辻は呆れたように肩をすくめる。
「相変わらずお堅い連中だな。全く、多少ウェットに富んでないと紳士になれないぞ」
「そんな変態紳士はお断りです」
「おいおい、紳士=変態というのはある意味でデフォだよ。タキ○ード仮面を見れば判るだろう」
「そんなものをスタンダードにしないでください」
「ち。ではイギリスはどうなんだ? 紳士の国とはあるが、性教育ビデオに無修正ものつかっていた連中だぞ?」
「……それを言いますか。まぁ確かに変態的な一面があることを否定ができないですが」
史実を知る嶋田としては英国の新兵器にはぶっとんだ発想のものが多く、英国=変態の発想も一概には否定できなかった。
英国の新兵器は自国軍兵士への嫌がらせのためにある……それが嶋田の考えであった。
「英国のAVはいったいどんな過激なものだったのやら」
「いい加減に下ネタから離れてください。というかあんた、それだけネタが豊富なのに英国のAVみたことないのかい」
「いや〜教育用のものだけでおなか一杯でした。さすがにエロの本場は違います。ははは」
辻と会話をしていた他の連中もうなずく。どうやらここでは英国=エロという認識がされているらしい。
「オフィシャルの場でそのノリはしないでくださいよ。日英同盟が崩れたらうちの戦略が崩壊しますから」
そう突っ込まずには居られない嶋田であった。
「まぁ英国が変態紳士の国であることは置いておいても「ちょっと」。奨学金などで多くの子供に高等教育の機会を与えるべきだろう。
うまくやれば杉原千畝みたいな掘り出し物をゲットできるかもしれない。政治の分野ではアホな二世議員が多いからな。まともな官僚を
きちんと整えておかないと国が滅ぶ」
文部省の役人の言葉に辻は頷く。加えて山県や伊藤などの元老は特に昭和での腐敗した政党政治、軍人の視界の狭さ、戦略立案能力の低さを
危機的に感じ、大学での国際政治や戦争学に関する授業を増やすことを提案していた。幾ら富を得て、技術が向上してもそれを利用できなければ
宝の持ち腐れになるのだから、彼らの提案は当然だった。
「やはり、教育が問題だな」
「海軍大学校でも、国際戦略や政治学などの単位を増やすそうですが?」
話を振られた嶋田は、即座に頷く。
「大丈夫です。私の在任中には導入できるでしょう。山本(権兵衛)さんの支持も取り付けていますし」
この世界では、シーメンス事件などの海軍の一大スキャンダルは未然に潰されていたために、海軍の長老たる山本権兵衛は健在であった。
彼は比較的リベラルな人物であり、史実では護憲運動にも理解を示していた。このために夢幻会が進める改革に最大限の協力をしていたのだ。
ちなみに原敬も夢幻会の暗躍で暗殺を免れていた。彼も元勲たちと同様に夢幻会と協力して日本の改革に勤しんでいる。すでに普通選挙の実施も
内々に決定していた。ただし女性の選挙権については大学を卒業した女性が増えるまでは延期することも決まっていた。
「そういえば諜報機関はどうなっているんですか?」
「明石さんが中心になって帝国中央情報局、まあ日本版CIAの設立が準備されている。大震災後の第一次五ヵ年計画で設立が公表される予定だ」
「なるほど。その予算は辻さんが確保済みと」
「そうだ。まあ国を守るため、しいては国の将来を守るためだ。莫大な予算がいるのは仕方ないだろう。米国と中国も何やら動きが怪しいからな」
南満州鉄道の共同経営によって米国資本は、満州へ進出を果たした。日本はこの下請けを積極的に引き受けることで金儲けをしている。
表面上、米国は日本に資本を、日本は米国に労働力と軍事力を提供することで共存を果たしているように見える。
しかし実際には、日本人はアメリカ人たちの盾となって、現地の人間の憎悪を引き受ける立場となっていた。
現地人を締め付けつつ、アメリカ資本から貰った給料で贅沢をする日本人は、現地人から見れば白人の手先、アジア人の裏切り者であった。
米国もその状況を巧みに利用し、日中分断を推し進めていた。日本は中国と手を組む気はさらさらないが対立がエスカレートすれば日中戦争に
繋がりかねない。このため米国の動きには注視せざるを得なかった。
「ふん、まぁいずれは米国に中国大陸に深入りしたことを思いっきり後悔させてやる。俺の願いを邪魔する奴らに容赦は不要だからな」
(そんなにお嬢様学校を増やしたいのか、この人は・・・・・・)
嶋田は思わず顔が引きつる。だが他の面々はまったく平然として、辻のいうことをスルーしていた。かなり場慣れしているようだ。
「・・・・・・え〜辻さんは何でそこまでお嬢様学校にこだわるのです?」
「決まっている。そこに『漢』のロマンがあるからだ!!」
「ろ、ロマンですか」
「そのとおり。おしとやかな大和撫子、それこそ日本男児の理想とは思わないか? ロマンを、そして萌えを感じないか?」
「そ、そんなに鼻息を荒くして言わなくても・・・・・・(ダメだこの人)」
「い〜や。これは重要なことだぞ? いいか、戦後みたいに男も女も権利ばっかり主張する世の中になってみろ? どうなるか判るだろう?
子を産むのを嫌がり、自分のことしか考えないようなやつばかりになれば、国は滅ぶ。だからこそ、俺は日本を支えうる女子を作るような
学校に、お嬢様学校にこだわるのだ!」
「な、なるほど」
ちょっと感心した嶋田であった。
「それに我侭な嫁さんの尻に引かれたくないだろう?」
「・・・・・・それが理由ですか。というか、あんたがまだ独身なのは、自分が作った女学校出身者と結婚するためか?!」
「悪いか?」
「年齢を考えれば犯罪では?」
「愛があればいいのだよ」
無意味にきざっぽく決める辻を見て、嶋田はもはや呆れて何もいえなくなった。
(今度、温泉にでも行こう。そこでゆっくり疲れを癒してやる……)
娯楽の少ないこの時代で、温泉は嶋田の数少ない楽しみとなっていた。爺くさいと心の中では思ってはいるのだが本人としては温泉で疲れを
癒したあとに美味い酒と料理を食べないと精神的につらかったのだ。ただし最近はインスタントラーメンが恋しくなっている。
(久々にインスタントラーメンでも食べたいな……)
嶋田はそう思い、ダメ元で提案した。尤も自分が食べたいという理由ではなく、軍人の見地からしてもっともらしい理由をつけて。
「インスタント食品の開発を進めるというのはどうでしょう? あれがあれば、保存も利きますし、携帯食としても役に立つかと」
「なるほど。確かにそれはいいかもしれない」
「そうですね」
軍人達を中心に同意する声があがる。さらに新たな輸出品になりえる可能性から倉崎や三菱もこの動きに追随した。史実ではインスタント食品は
かなりの利益をあげることに成功している。
「包装技術が未熟なのが問題ですが、まあこれは目をつぶるしかないでしょう」
かくしてインスタント食品の開発が進められることになった。
夢幻会のメンバーが色々と漫才(?)をしたり、あれこれ暗躍しているうちに関東大震災が発生する。
勿論、地震の発生を知っていたために日本は万全の体制を整えていた。このために史実で発生した大火災も、わずかな火災程度にとどまり死者も
極僅かにとどめることに成功した。だが帝都東京の主要インフラが壊滅的打撃を受けた事、さらに多くの建物が倒壊してしまった。
そこで日本政府は後藤新平の唱える帝都復興計画に基づいた復興を開始した。尤も、計画全てをこなすには30億円もの巨額の費用が必要だった。
いろいろな方法で資金を工面したが、全額を出すのは難しくある程度は計画は縮小された。だが最終的には帝都大開発と呼ばれる一大工事となる。
計画に沿って広大な幹線道路の整備や道路の舗装、公園などの設置など都市機能の充実を図ると同時に下水道などのインフラ工事も進められた。
「やれやれ、こんな大工事を押しすすめるとは……まったく恐ろしい力だな」
海軍大学校の校長室で嶋田は連日報道される帝都大開発の記事を見て呆れた様に呟いた。下水道だけでも金剛型4隻を建造する予算がいる。
それだけの予算を捻出するのはかなりの政治力がいるのだ。夢幻会は表向きはその存在を秘匿しているが、一連の派手な動きから事情通の人間
には次第にその存在を感づかれつつあった。
「まあ俺も、そんな怪しげな政治集団の一員……って奴なんだろうな。まあ、あの集団は怪しげというより、変わり者の集団なんだが」
尤も誰もその集団がとんでもない変人の集まりだとは判らないだろうな、と密かに嶋田は思う。同時に自分はいたってノーマルだと固く信じていた。
「ああ、さっさと退役して年金生活をゆったりと過ごしたいな……」
海軍大学校での新たなカリキュラムの創設や陸軍との交流などの問題でいろいろと頭を痛めていた嶋田はため息をつく。何しろ陸軍と海軍は
建軍以来のライバル同士。中々その溝は埋まらない。第一次世界大戦でお互いに協力したことである程度は埋められたが、それでも溝は深い。
「やれやれ、本格的な統合軍を作るには、第一次五ヵ年計画が必要か。それにしてもあれはもう革命に近い。大丈夫なのか?」
嶋田の言うとおり、この帝都大開発は夢幻会にとって、日本を発展させるための諸改革の入り口に過ぎなかったのだ。
1925年に第一次五ヵ年計画が実施されることになった。これは大規模な軍縮を進めると同時に、日本の重工業の育成を促進するものだった。
軍縮についてだが、陸軍は東条英機たちのプロジェクトチームの提言に基づいて将校の首を切らないものの、兵士の定員を大幅に削減した。
育成に時間がかかる将校を無理やり辞めさせるのは、いざ戦争というときに軍の指揮系統が弱体化してしまうという理由でやらなかった。
加えて史実では機械化を推し進めるために戦車や航空機の購入に当てていた資金を製造部門の近代化や技術研究につぎ込むことにした。
これらの部門への予算の投下の理由には第一次世界大戦での総力戦の経験から、日本の生産能力が低いことを痛感したこと、日進月歩で技術が
進化する現在、急いで現物を購入しても時代遅れになる可能性があるという提言がなされたせいであった。陸軍が軍縮を進めるように、海軍も
軍縮を進めた。海軍は海軍工廠の技術者や工員を大量に解雇した。勿論ただ解雇するのではなく、再教育後に彼らを民間企業に就職させた。
新興企業である倉崎などは、優秀な技術者を欲していたので、受け入れ先はかなりあった。彼らはそれぞれの新たな職場で日本産業の底力を
向上させる原動力となる。同時に海軍は再教育の際に優秀と判断された人間を海軍に残すようにもした。軍縮でも軍自体を弱体化させられない。
「大軍縮、大軍縮・・・・・・やれやれ、ポストが減って将校の不満が増えますね」
嶋田は久々の会合で思わずぼやいた。散々無駄な戦いとして非難されたシベリア出兵をさっさと切り上げたので、史実ほど軍の士気は下がって
いないものの、やはり軍縮によるポストの減少はモチベーションの低下をもたらしていた。
「その分、情報局にポストを用意するから問題ない」
伏見宮はそういって机にあるお茶を飲む。
「そもそも日本は貧乏だからな。今はとりあえず民需主導の経済を目指さないと史実の二の舞だ。それには経済に余裕がある今しかない」
「確かに、日本が戦前で最も豊かだったのはこの時期ですからね」
「軍需による特需は一時的に景気を回復させるが、再生産には結びつかない。身分不相応な軍備をもっても行き着く先はソ連のように崩壊する
か、大戦争に打ってでるしかなくなる。我々はそのどちらも望んでいない」
加藤もこの意見に頷く。
「立派な軍艦は観艦式で飾っておけばよいのだ。カタログスペックや見た目だけを重視しても困るがね」
日本海軍はダメージコントロールと伸張性を重視した艦艇作りにシフトしようとしていた。搭載する兵装は10年もすれば陳腐化するが船体
そのものは半世紀は使える。設計段階で、改造の余地を残しておけばより長く使えるのだ。貧乏な帝国にとってはそれは望ましい。
「次はこの軍縮とロマノフ王朝の遺産からひねり出した資金での国内改革ですね」
「そうだ。それが成功しなければ日本の未来はない。辻さん頼みますよ」
「判っています」
第一次五ヵ年計画に基づいて日本政府は大軍縮を進めると同時に、政府組織改変と国内開発を主眼にした景気政策を推し進めた。
まず第一次大戦の戦訓により総力戦体制となった際の戦時生産の管理は専用の省庁が必要であると言う事により軍需省が設立された。軍需省は
『平時には雪達磨式に膨らむ軍事予算を効率的に運用する事で増加を防ぐため』の常設の行政機関であり、陸海軍の生産だけでなく開発も
(陸海と共同だが)管理していた。また艦政本部、空技廠などの陸海軍の各開発機関も『出向』と言う形で傘下に収めている。
軍需省は後に海軍と海援隊と関係省庁と結託して、戦時において統制型輸送船を建造するための法整備を推し進めるようになる。
この他にはワシントン会議での成果から諜報活動の重要性も認識され、大日本帝国中央情報局が設立された。初代情報局長は日露戦争やロシア
革命で数々の功績を残した明石が就任した。
これらの軍関連の改変とあわせて、内閣総理大臣の直属機関として総合戦略研究所が創設された。これは軍事、経済、外交の様々な分野の
専門家達によって構成される日本最大のシンクタンクだ。この大規模な研究機関の創設理由は簡単だった。夢幻会と明治の元老は政党政治家
を心の底ではあまり信用していなかったのだ。このため政治家達に政策を提言する組織が必要とされ、作り上げられたのがこの研究所だった。
また商工省、貿易庁、石炭庁を統合して通商産業省が創設された。通産省は産業政策において強い権限を持たされており、他の省庁の領域に
まで踏み込むことができた。勿論、反発も強かったが、夢幻会はその政治力で押し切った。また夢幻会は大蔵省、通産省、軍需省、内務省をほぼ
牛耳ることに成功し、影の政府のような存在となりつつあった。
政府組織の改変と並行して日本の工業の高度化を図るべく様様な政策が実施された。弾丸列車計画、道路整備5ヵ年計画、港湾整備5ヵ年計画
巨大製鉄所、千円自動車計画の実施が決定された。これに先立ち重工業の品質を底上げする為に日本初の統一規格、帝国統一規格令の制定が
議会で可決された。利権の関係で反対意見も強かったが、三菱や倉崎のロビー運動や、彼らが中小財閥に惜しげもなく最新技術を公開したことで
反対意見は次第に小さくなった。また満州で米英相手に商売する際に日本製品の品質の低さに苦言をされたことも制定を後押しした。何しろ中国
では民族資本が台頭しつつある。中国が安定し工業化が進み、中国企業が安価な人件費で作った安い製品を売り込めば、日本製品は苦戦を免れない。
日本はこの時間を稼ぐために、袁世凱亡きあと中国の各地で跋扈する軍閥に大量の武器を売りさばいて、大陸の混乱を助長させていた。
だがそれとて限度がある。
「安かろう、悪かろうでは日本製品はいずれ駆逐されます! 今は利権争いをしている時ではないのです!!」
辻は統一規格制定に反対する議員達や財界人に直接談判して、相手が参ったというまで徹底的に討論した。このせいで、辻がくると聞いただけ
で関係部署や要人は承認に必要な書類と判子を用意するようになる。
このように日本のさらなる重工業化が推し進められると同時に、教育改革、そして農地改革が並行して進められた。教育改革は米国式教育を
参考にして中学校までを義務教育とすると同時に、奨学金制度をより充実させ優秀な人材の発掘と育成に力を注ぐことを柱としている。農地政策に
ついては戦後の農地解放を参考にして推し進めた。勿論、地主達は抵抗したが第一次世界大戦での多数の戦死者、資源が豊富なカムチャッカ半島
の開発に人を取られ小作農自体が減少しており、いつまでも反対一辺倒というわけにはいかなかった。
さらに日本は大量の武器を中国各地に流し続けて金儲けを行い、その金で都市部の開発を推し進めた。このためにセメント、鉄鋼等で大量の需要が
発生していた。これによるさらなる重工業化と都市開発でさらに小作農が減るのは目に見えていた。
最終的に地主達は土地を手放す代わりに政府の支援で企業を立ち上げることに同意するようになる。
また日本政府は第一次五ヵ年計画発動前にアメリカとの通商条約を改定した。具体的には移民の就業時における最低賃金を保障する法律の
制定をアメリカに求めたのだ。史実では安い移民によってアメリカ人の職が奪われ、それが排日機運を高めた。これを未然に防ぐ為だった。
尤もこんなことができたのは日本本土の経済成長によって移民の必要性が低下したことと、満州を自治領化させたことで満州をある程度は安定させる
ことができたためだが。
「第一次五ヵ年計画の議会通過に乾杯!!」
夢幻会の主要幹部は第一次五ヵ年計画が議会の承認を受けたことを祝って、某料亭で祝杯を挙げた。何しろ一連の議会工作にはかなりの労力を
割いていた。このために議会通過の喜びもひときわ大きかった。
「ふ〜これで一安心ですな」
大活躍した辻は酒くさいゲップをしながら言う。
「昭和恐慌は起こさせないので、あとは世界恐慌です。これを使えば、かなりの金儲けになります」
「こちらとしては、少しでも予算を増やして欲しいが?」
加藤の突っ込みに、辻は顔をしかめる。
「……第二次五ヵ年計画のためには予算が必要です。特に基礎技術では、わが国は米英などの欧州列強に遅れをとっているので」
「設備投資や研究に金を回したいと?」
「そうです。勿論、軍が求めている自動小銃などの火力強化と航空機開発には予算を割り振りますよ?」
「航空機だけではない。無線や電探、ソナーの開発など揃えたい装備は山ほどある」
「だからといって軍需に力を入れるだけでは……」
「これらは軍民共同で行えば良い。それに質のよい真空管の開発ができるようになれば民需でも役に立つはずだ」
この意見に辻は押し黙る。この時代、無料で教育を受けれる軍には多くの優秀な人材が集まっている。その力を民間と合わせることが出来れば
かなりの成果が見込める。また民間と軍の協力関係も強化していけるかもしれない。
「TVの開発でも真空管はいるはずだ。それにこの先、コンピュータの開発も進めなければならないだろう?」
「それはそうですが……」
「高性能のソナーを装備した駆逐艦と装備していない駆逐艦では、対潜能力に大きな差がある」
「高性能ソナーをつけてない駆逐艦2隻より、つけた1隻のほうが良いと?」
「史実みたいにボコボコ撃沈されるよりはマシだろう」
史実では日本は散々に商船を潜水艦に撃沈され自国の大動脈であるシーレーンを寸断された。ただ散々に撃沈されたのは商船だけではない。
海軍艦艇も多数撃沈された。その数は空母8隻、戦艦1隻、重巡洋艦4隻、軽巡洋艦11隻、駆逐艦47隻、潜水艦17隻と3個艦隊ほど編成
できるものだ。日本海軍は米軍に漸減作戦を仕掛けるつもりで、逆に漸減されていたのだ。
(技術開発を進めるための公共事業と割り切るか?)
最先端技術の開発には莫大な資金が必要になる。それを考えれば軍との協力は好ましいのではないか……辻はしばらく考え込んだ後に役所に
提案を持ち帰ることを了承した。この話を聞いていた嶋田と南雲はコンピュータ開発が進めば、暗号解読も有利になるなと思った。
「ミッドウェーのような敗戦は避けられるかもしれませんね」
「そうなれば有難いですね」
ミッドウェーでの大敗北を知る者としては、暗号分野が強化されることは好ましいことだった。
「でも我々が使っていたようなパソコンの開発には程遠そうです。我々が生きているうちにインターネットは出来ないでしょうね」
「……確かに。インターネットがないので情報伝達が遅いのがネックですね。あと娯楽も少ないですし」
自分達が生きていた時代がいかに恵まれていたかを彼らは思い知った。
「漫画や小説もいまいち合いませんし。いっそのこと自分達で書いてみるのも面白いかも」
「同人誌を作ると?」
「ええ。何しろストレスが多いので。全く陸海軍の壁は厚いですよ。それに軍人馬鹿も多いですし」
嶋田は陸海軍の交流を士官学校時代から進める政策をしているが、やはり双方の壁は厚い。加えて幼年学校からがちがちの軍人教育をしている
とどうも頭の固い人間が多くなる。嶋田は軍人教育そのものを改革する必要があるのではないかと思っていた。
「これからは陸海軍が合同で動くことが多くなるというのに……」
「いっそのこと陸海軍の大学校共同で運動会でもしてみては? 何組かの組みに一定の数で陸海軍の士官を入れれば」
「なるほど、それはいいかもしれませんね。チームプレイを身に付けるのは、色々とよい経験になりそうです」
「あと文化の学習ですが、陸海軍の競争意識を利用するというのは?」
「より面白い漫画でもかけと?」
「いえ、漫画だけではなく、小説や楽器演奏などもいいのでは?」
「陸海軍合同で運動会や文化祭をやると……それも面白そうだ」
いつも苦労しているのだから、多少は面白いお祭りをやってみるのも良いかも知れない……嶋田はそう思った。
後に合同運動会は、日本軍大運動会と呼ばれる一大イベントとなり、文化学習の名目で始まった合同文化祭は、後の日本の漫画文化の隆盛で
一般人も参加した同人誌即売会となっていく。勿論、後世において嶋田は同人即売会の生みの親として名を残すことになり、漫画の神様と並ぶ
存在として、一部の人間から尊敬されることになる。
あとがき
提督たちの憂鬱第3話をお送りしました。
夢幻会は日本を発展させるために他の周辺国を徹底的に踏み台にしていきます。後世の中韓から判断するとまさしく悪の組織ですね(笑)。
辻さんは……目的のためには手段を選ばない人になっています。ええ敵は容赦なく殲滅する人です。ある意味、史実よりいやな人物です。
海上護衛総隊の創設はなしになしました。まぁ軍縮ムードなので。そのかわりに水雷屋の方々には対潜作戦も重視してもらいます。
同人の父たる嶋田提督はどうなることやら判りません。まだ何か思いつきで何かを提案して後世に名前を残すかも。
まぁとりあえず、後世でコミケの歴史が紹介されるときには、白黒の写真で彼のことが説明されるでしょう(爆)。
それでは駄文にもかかわらず最後まで読んでくださりありがとうございました。
提督たちの憂鬱第4話でお会いしましょう。