西暦1905年、日本帝国海軍所属の巡洋艦和泉にある治療室で、ある青年が目を覚ました。
「ここは?」
彼は体のあちこちに痛みを感じつつも、状況を認識しようとベットの上で起き上がった。そんな時、彼の横から声が聞こえる。
「目を覚ましたか?」
彼は自分の眠ていたベットの横に立っていた年配の男に曖昧に返事をすると、周囲を確認するように尋ねた。
「ここは?」
この言葉に、彼の目の前にいた男は不可解な顔をしたが、すぐに納得したように答えた。
「ここは巡洋艦和泉の治療室だ。そして君は敵艦の砲撃を受けた時に負傷して運ばれてきたのだ。覚えてないのか?」
「え?」
彼は即座に自分の記憶を必死に辿った。そしてすぐに2つの記憶があることを知る。そして自分が何者なのかを知る。
「ば、馬鹿な……」
「?」
その呟きに怪訝な顔をした男だったが、即座に負傷したために一時的に記憶が混乱しているのだろうと判断した。
「まあ気にすることはない。君もゆっくり養生すればいい。何しろ日本海海戦は我が軍の大勝利で終ったのだからな」
そう労わるように言って男は別のベットに横たわる人間の様子を見るために去っていった。だが労うように云われた本人はそれどころではない。
(日本海海戦? ちょっと待て。という事は今は1905年? そんな馬鹿な、紺○の艦○ではあるまいし)
だが彼の脳が蓄えている記憶は、今が1905年で日露戦争の命運を決める海戦が戦われていた事を示した。そして彼が何者であるかも。
(何で俺が嶋田繁太郎になっているんだ〜!? 俺は会社で仕事をしていたはずだぞ!!)
史実では戦前は艦隊派(強硬派)、大艦巨砲主義者の重鎮、戦中では東條英樹の副官と揶揄され、戦後は戦犯として処罰され、現代の架空戦記
では無能、有害の代名詞と謳われる悪役である嶋田繁太郎……彼に憑依する羽目になった青年・神崎博之は魂の叫びを挙げた。
「何でだ〜〜〜!?」
この声に、周りの人間が何事かと駆け寄ってきたことをここに記しておく。
日本海海戦で完全勝利を得た連合艦隊が内地に帰還すると、負傷した神崎こと嶋田繁太郎は間もなく海軍病院に移された。
当初は、その振る舞いが以前と異なっていたので不信に思われたが、嶋田の記憶から何とか日常生活を維持する事は出来た。日本海海戦後
の変化は戦場を経験したことで周囲を納得させる。まあそれでも不信に思った人間はいたが……その数は少なかった。
「……やれやれ」
海軍病院の病室で、神崎こと嶋田繁太郎は溜息を漏らす。
(何で俺が嶋田なわけ? というよりも○碧の艦○のような展開なら、山本五十六が定番だろうに)
どうやら大半の架空戦記で悪役街道まっしぐらである嶋田に憑依したことが余程気に入らないらしい。
(まあ俺が山本に憑依していたら、違和感ありすぎるだろうからな。怪しまれないという点では嶋田でよかったのかもしれない。それよりも……)
嶋田繁太郎の記憶にあった、現在の日本の状況を思い出して彼は顔を顰めた。
(歴史がこの時点で変わっているな……一体、何が起こっているんだ? それともここは並行世界って奴か?)
彼が現在いる日本は彼が過去に知る日本とは大きく異なっていた。一番身近な例としては嶋田繁太郎の負傷であった。史実では嶋田はこのような
大怪我はしていない。
(さらに幕末あたりから歴史がかなり違うし……)
この世界では史実では暗殺されていた大久保利通や坂本竜馬が健在なのだ。
大久保利通は強力なリーダーシップで史実とは違う憲法を作り上げていた。特に注目すべき事は史実で軍部の暴走を招いた統帥権についてだ。
この世界では国務大臣が天皇を輔弼して軍の編成を行うことになっていた。また陸海軍大臣は基本的に軍務経験者が就くが、その席が空白の
場合は総理大臣が兼任できることになっていた。このように様々な権限が総理に与えられた結果、総理は大本営の一員となった。
これによって統帥部は内閣の存在を無視して戦争を実施することは難しくなった。完全な文民統制とは言い切れないものの史実よりは暴走を
抑止できるようになっていると言える。
坂本竜馬は世界各国を回りその見聞を広めた後、同士と共に三菱財閥を設立した。ただし坂本自身は経営に関わらず、半官半民の傭兵部隊を
作り上げて、その指揮に当たった。この傭兵部隊『海援隊』はフランス外人部隊と似た組織であり、東アジアの植民地警備に度々出動していた。
このように史実では殺されていた人間が、未だに生きて活躍していることに加えて、世界史そのものも大きく変わっていた。
日清戦争は起きていたが史実以上の大勝利を挙げて実に5億円の賠償金を清から分捕ったのだ。さらに台湾の他に海南島も手に入れていた。
史実では三国干渉の原因となった遼東半島は『非武装化及び他国に租借又は譲渡しないこと』を条約で約束させていた。これを破った場合は
1億円の違約金を払うとなっていた。ただしこの世界でも史実と同様に、ロシアの圧力で遼東半島はロシアに渡さざるを得なかったために清は
5億円の賠償金に加えて1億円の違約金を日本に支払うはめになった。これによって清王朝の弱体化に拍車が掛かったのは言うまでも無い。
勿論、清が弱体化すればロシアの南下政策に弾みがつくのは間違いなく、彼らは史実どおり陸地沿いに南下を続けた。満州を支配下に置くと
その手は朝鮮半島にまで伸びてきた。日本としては自国の安全保障を確固たるものにするには、最低限でも朝鮮半島が他国の勢力下に入るのは
避けなければならない。よってこの世界でも日露戦争は勃発していた。しかしここでも史実とは大きく異なる部分が多かった。
史実では日本が梃子摺った戦いとして、旅順要塞攻略戦が挙げられる。高度に要塞化された同基地を制圧するために日本軍は甚大な損害を
被る事になった。元々、日本軍はこの基地を攻略する予定はなかった。だが海軍が旅順のロシア太平洋艦隊の撃滅に失敗し、この基地に艦隊が
立てこもったために、旅順攻略が必要になったのだ。史実では攻略した203高地から日本軍が湾内のロシア太平洋艦隊に砲撃を浴びせてこれを
壊滅させたが、この世界では何と海からの攻撃でこれを壊滅させていた。
「まさか松島級を使うとはね……」
松島級巡洋艦……それは主砲は32.5センチ砲を1門のみというとんでもない船だ。史実においては駄作として扱われ、実際に何の役にも
立たない無駄飯ぐらいのような船であった。だがこの世界ではモニター艦のように扱われ、旅順要塞を要塞砲の射程外から攻撃したのだ。
この砲撃を受けて旅順艦隊は大打撃を被り、あわてて逃げ出そうとしたものの、今度は外で待ち伏せていた連合艦隊にたこ殴りにされて全滅した。
戦争序盤で旅順の太平洋艦隊が全滅したので、日本軍は旅順を攻略せず封鎖に留めたのだ。これにより兵力に余力が出来た事、さらに日清戦争
で史実の数倍の賠償金と鉄鉱石が取れる海南島を分捕った事で、史実で散々に苦しんだ砲弾不足も解消され、史実以上の進撃が可能になった。
日本軍は奉天会戦の後も進撃を続け、ハルピンをも攻略することに成功したのだ。ここは極東におけるロシアの要と言える要地であり、ここを
失う事は極東を失う事を意味した。さらにロシアは日本海海戦で完敗を喫し、その後にはカムチャッカ半島と樺太全土を日本軍に占領された。
この快進撃は陸軍が八甲田(ただし悲劇は起こっていない)から得た教訓で早期に寒冷地装備を充実していたことも影響していた。
海軍の壊滅による制海権の喪失、相次ぐ陸戦での敗退、そして極東の要地の立て続けの陥落、さらに戦争に伴う負担による増加からロシア国内で
革命機運が高まり、ロシア帝国政府は戦争継続を断念した。勿論、日本も史実以上に戦線を拡大した結果、兵力、資金は共に底をついていた。
(まあここで手打ちといったところだろうが……さてさてどうなることやら)
未来を知る嶋田としては、日露戦争で得た権益に拘ったばかりに、日本は大陸に深入りすることを知っていた。だが知っていたとしても、彼が
出来る事など何一つ無い。将来はともかく、今はただの少尉候補生に過ぎないのだ。彼は日本のグランドデザインを描ける立場には無い。
(……というよりも、単なる一会社員だった俺に何をしろと? まあ多少戦史には詳しいし、戦争論とかも読んだ事があるけど)
一会社員に過ぎない自分が何でこんな目にあうんだ……そう心の中で涙するものの、状況は変わらない。
「まあこの世界の歴史は史実よりはマシなんだ。上手くいけば太平洋戦争をせずに済むかもしれない」
米軍と戦う事さえなければ、海軍に留まるのは良いことだ。何しろ自衛隊と違って、当時の軍はエリート街道への道なのだ。まぁ多々の問題も
抱えているが、それでも無職よりはマシだ。
「とりあえずは、当面の飯の種の確保だな」
彼はそう開き直ると、怪我を治すために睡眠をとることにした。
「やれやれ……」
そう呟くと彼は次第に眠りに落ちていった。
提督たちの憂鬱 第1話
日本海海戦の後に開かれたポーツマス講和会議では、日本は史実よりも多くの権益を手に入れることになる。
日本は南満州の権益と樺太全土、カムチャッカ半島の領有権、遼東半島の租借権をロシアから得た。加えて朝鮮半島からも手を引かせた。
賠償金こそ得られなかったが、ロシアは極東でのこれ以上の南下を阻止されてしまい、結果として彼らの目はヨーロッパに向くことになる。
一方、史実以上の大勝利を挙げた日本だったが莫大な戦費によって国家財政は破綻寸前であった。このため日本は国債を買ってくれた米英の
資本に対して南満州市場を開放した。国内では外務大臣・小村寿太郎を中心としたグループがこの政策に反対したものの、大久保や桂、伊藤を
中心とした一派によって押し切られた。
「大分、史実とは違うな……」
このことを新聞で知った嶋田は、歴史の変わりように驚きを覚えると同時に、これで日米戦争をせずに済むのではないかと思った。
「満州開発に米国資本が参加しているとなれば、米国もすべてをぶち壊すようなことはしないだろうし」
日露戦争で日本の国債を買ってくれたアメリカ資本とは、日露戦争で鉄道権益を得た暁には鉄道を米国資本と共同経営するとの約束があった。
史実では桂・ハリマン覚書として、この約束は実在していた。だが史実では日本はこの約束を土壇場で破棄した。これが後に米国の対日不信感の
一因となった。
「どちらにしろ、満州開発には金が掛かりすぎるし、日米英共同開発が良策だろうな」
史実でも満州や朝鮮半島の経営(特に後者)は大赤字だった。はっきり言ってこれらの植民地経営は日本経済の足を引っ張り、日本国内で
必要なインフラを整えるのを邪魔したのだ。だが国内のインフラを犠牲にまでして行った投資は敗戦後に奪われて無駄に終わることになった。
「国内の基盤整備が優先できるなら、それに越したことは無いか」
しかしこのとき、嶋田は日本のあまりの変わりように、違和感を感じ始めていた。
「まるで、日本の上層部に未来を知っている連中がいるみたいだな。経済政策もたくみだし……」
そう思った瞬間、彼は自分以外にこの世界の人間に憑依した人間がいるのではないかと思った。自分がこうして、嶋田繁太郎に憑依した以上は
他の人間に誰か未来の人間が憑依する可能性は低くは無い。だがそれは決して悪いことではないとも彼は思った。
「……だとすれば、安泰だな。未来を知る人間が政府にいれば米国と戦争する気なんて起きないだろうし」
未来を知れば、わざわざ米国に真正面から喧嘩は売らないだろう……それは彼にとって当たり前の判断だった。第二次世界大戦時のアメリカの
工業生産力は世界の約50%を占めており、国内では鉄鉱石、石炭、石油など多数の鉱物資源を採掘できるという反則的な国だ。
一方、日本はすべての鉱物資源を海外から運び込まなければならない。国力差を考えれば、どう足掻いても不利と言える。
また量もさることながら、質においても格段の差がある。その例としてVT信管がある。あの信管は、砲弾の中に小型レーダーが仕組まれている
ようなものなのだ。それを数十万発も品質を維持したまま生産するなど、当時の米国にしか出来ないことだった。
イギリスやドイツでも到底生産することは出来ない。まして信頼性のあるレーダーすら揃えられなかった日本では逆立ちしても無理だろう。
「まあ期待するしかないか……」
未だに一少尉である身に過ぎない嶋田としては、居るかも知れない未来経験者に期待する他なかった。
その後、日本政府は米英資本を満州に積極的に進出させることを引き換えに日本を現地での必要な物資の供給源としてもらうことに成功した。
日本は満州に進出する米英に消費財や護身用の武器を売って儲ける一方、中国に日露戦争で余った武器を低価格で売却するなどして金儲けに
励み、日露戦争での借金を少しでも返済しようと努力した。何しろ日本の費やした戦費は20億円を超えており、その返済は容易なものではない。
日本人は外国から資源を購入するために働き、それを製品に加工するために働き、さらにそれを売って外貨を得るために働いた。
庶民の生活は非常に苦しいと言えた。だが多少なりとも明るいことはあった。何とこの世界では韓国併合を行わなかったのだ。日本政府は
韓国から外交権を剥奪するだけで韓国併合は断固しなかった。伊藤博文が暗殺を免れたこともあり、韓国は半ば独立を維持したままとなる。
日本が得たのは釜山−漢城−義州間の鉄道敷設と主に黄海沿岸の 港湾使用権、周辺の開発権と守備隊駐屯権、そして巨済島・済州島の
租借のみだった。これによって日本は韓国の抱えていた借金を抱えずにすみ、史実のような出費を避けられた。
だが満州の市場を米英に開放して、外資を呼び込む事で輸出先を確保したとしても借金は簡単には減ってくれない。国債の利子も安くは無い。
しかしそんな自転車操業的な経済運営を強いられていた日本に転機が訪れる。そう第一次世界大戦だ。
1914年、第一次世界大戦が勃発した。当時の大隈政権は日英同盟に基づき、ドイツに対して宣戦を布告した。ここまでは史実どおりと
いえたが、日本政府はさらに大胆な決断を下した。それは史実では実現しなかった金剛型巡洋戦艦の欧州への派遣だ。
この当時、金剛型巡洋戦艦は世界最強の巡洋戦艦として有名な存在で、史実では英国が派遣を求めていたほどのものだ。逆に言えば金剛型は
日本にとって虎の子の存在と言えた。そんな虎の子を派遣できるようになったのは、史実と違い海軍力整備が比較的順調だったことが理由として
挙げられる。
史実では薩摩型戦艦や香取型巡洋戦艦は砲塔の配置が不適切な事から、完成した直後から旧式戦艦となったのだが、この世界では薩摩型や
香取型の建造で31サンチ砲を艦の中心線上に配置した先進的な設計案を採用し、ド級戦艦として就航しているので戦力に余裕が生じていた。
さらに史実では建造が遅れていた山城と扶桑が早めに配備されていた事も理由の一つだった。ただし山城と扶桑は史実と大きく異なっていた。
「初期型長門の煙突で3連装砲が4つ? どこの火葬艦ですか?」
これが扶桑型を始めてみた時の嶋田の反応であった。そう、この扶桑型は高コストの36cm砲3連装砲塔を4基も搭載していたのだ。
しかし砲塔を4つにしたことで、史実で脆弱だった防御力の改善に成功していた。また機関も史実より改良され、最大速力が25ノットに
達していた。25ノットといえば遅いように感じるが、この当時の戦艦としては最速の部類に入った。
「まぁ………史実とは違ってまともな戦艦になりそうだな。改装しても、あの倒れそうな艦橋にはならないだろうし」
尤も史実を知る人間からすれば、史実の扶桑型よりかはマシであった。
日本海軍が虎の子の戦艦2隻を派遣する一方で陸軍もまた2個師団の派遣を決定した。陸軍としては中国権益の拡大を目指す以上は、何かしら
列強に対して貸しを作っておく必要があると判断したのだ。また史実では死亡しているはずの児玉源太郎が在命中で、次世代の陸軍のためには
欧州遠征が必要不可欠だと説いていたことも決定打となり、反対派は押し切られた。
かくして日本軍が欧州に派遣されるころ、嶋田は駐在武官としてイタリアの大使館への赴任が決定していた。
「……金剛、比叡の2隻に陸軍2個師団を派遣するとは、豪快というか何というか」
嶋田は新聞を読みながら、特に日本政府の政策を見て半分感心し半分は呆れた。何しろ海軍は兎に角、陸軍は日露戦争で大打撃を受けていた
はずだ(実際に陸軍は半壊状態)。それにも関わらず2個師団を派遣するとなると、陸軍部内からの反発は強かったはずだ。
「だが、良い兆候と言えるな。これで日英同盟に亀裂が入らずに済む」
史実では日本は欧州戦争を利用して金儲けをしつつ、中国で露骨に権益拡大を目指していた。それも同盟国である英国の派兵要請を拒否して。
これでは英国市民の間に不信感が募るのは確実だろう。
「この世界では、日英同盟の信義に基づいて日本は行動している。これなら安心だな」
列強から不信感を抱かれたら、列強との貿易で経済が回っている日本にとって不利益となる。それを理解して日本政府が行動しているとなれば
嶋田としては安心だった。しかし地位が上がるに連れて彼の心の中には不安感も少しずつ芽生えていた。
(嶋田繁太郎は史実では艦隊派だったからな。下手に未来を知る人間がいたら排除されかねない。接触を持つべきか)
日本陸海軍が欧州へ派遣される一方で日本経済は欧州への輸出で大いに沸いた。普段なら輸入する必要のない物まで欧州列強は輸入した。
それだけ軍事生産に力を入れていたのだが、日本としてはありがたかった。日本はひたすら外貨を稼ぐ一方で、国債の償還を急いだ。
第一次世界大戦そのものはほぼ史実どおりの推移を辿ったが、日本陸海軍は欧州戦線で、近代戦というものを嫌というほど思い知らされた。
日本海軍はユトランド沖海戦で独逸海軍を相手に奮戦しドイツ軍の巡洋戦艦3隻を血祭りに挙げたが、引き換えに戦艦比叡が大破した。
加えて遣欧艦隊の第二陣として送り込まれた巡洋戦艦香取が陸軍部隊を乗せた輸送船ごとUボートの雷撃で撃沈されてしまったのだ。
陸軍の前で大恥を掻かされた形となった日本海軍はダメージコントロールと対潜作戦に血眼となることになる。
一方の陸軍は日露戦争以降何かと重要視されるようになった精神論が、近代戦では全く役に立たないことを思い知らされた。大和魂があっても
銃弾や砲弾、さらに毒ガスは防げない。弾が無ければ戦えない。陸軍は日露戦争同様に甚大な人的損害を被りながらそのことを学んだのだ。
だがさらに驚くべきこともあった。それは1917年のロシア革命で殺される筈だったロシア皇族のニコライ2世一家のうち、アナスタシア皇女を
日本陸軍諜報部が救出したのだ。指揮を取ったのは明石元次郎。そう、ロシア帝国を崩壊に導く遠因を作った男が今度はロシア皇族を救出した。
それは余りにも皮肉に満ちていると言えた。救出された彼女は日本で保護されることになる。
歴史が軋みをあげて変動しながらも、日本陸海軍が多くのをことを学んだ第一次世界大戦は1918年をもって終結することになる。
日本政府は戦時中の教訓から工業力の整備が総力戦に必要不可欠という認識をもつようになり、ベルサイユ条約では独逸から賠償金3億円に加え
優秀な工作機械や基礎技術を分捕った。
一方で中国については日本は史実のような抜け駆けをせずに、列強に十分な根回しをした上で旧ドイツ権益を含んだ問題について議論した。
この席で日本は山東省での旧ドイツ権益と引き換えに満州鉄道およびその付属地の租借期間の延長と満州資源の利用を目的とした日中資源条約の
締結を求めた。この条約が結ばれれば30年の間、日本は鉄道の付属地以外でも満州(実際は南部)の資源を得ることができるようになる。
中国は無条件返還を求めたが、日露戦争の結果、満州は日本のテリトリーという意見もあったこと、大戦で日本も血を流したことも英仏を
日本寄りにさせた。また日本政府が満州を新設予定の国際連盟の監視の下で自治領化を行うことを提言して列強に警戒されないようにした
ことも大きかった。かくして日本は国際連盟の容認の下で、満州自治領の存在そのものを戦後体制に組み込んでいくようになる。
同時に日本は欧州大陸で日本人が流した血の対価として東南アジアの英領への進出を容認してもらった。
この取り決めに伴い、ベルサイユ条約締結以降、日本企業によって東南アジアでの資源開発、特にブルネイの石油採掘が活発に行われていく。
海外権益を拡大する一方、日本は金鉱や鉄鉱石、石炭が確認されたカムチャッカ半島の鉱物資源の採掘や樺太のオハ油田開発に力をいれていた。
これらの開発には莫大な資金が必要だが日本の某皇族と結婚し、ロマノフ王朝の遺産を継承したアナスタシア皇女から資金を融通してもらい
開発資金を工面していた。勿論、自前の資本での開発もしていたが、彼女達から得た資金のおかげで日本独自の負担はかなり軽くなった。
日本を疲弊させたシベリア出兵も最小限に留めており、日露戦争での借金を返済できたことも相成って日本経済は大いに飛躍していた。
さらにシベリア出兵の規模を縮小して、早めに切り上げたものの、白衛軍の人間や富裕層の脱出を支援した。樺太やカムチャッカ半島南端の
開発では、脱出してきたロシア人富裕層の投資を募り、開発資金の足しにしていた。
「………うまくやりすぎだな。未来を知らない限りはこうもうまく手は打てないはずだ」
嶋田はこれまでの、百点満点とまではいかないが、高得点を付けられる国家経営を見て、未来を知る何者かが政府中枢にいることを確信した。
嶋田はイタリア駐在武官から、東京の軍令部に転任すると政府、軍内部の人物について調査をはじめた。
彼としては未来を知り国家を操っている人物と接触を持とうとしたのだ。さすがにここまで政府内部に影響力を持つ人間がいるとなると関心を
持たずにはいられない。何しろ、自分は史実では散々な評価を受けた人間なのだ。もしその評価を知る人間がいたら自分を排除するかもしれない
と思うのは当然の心理だ。そして彼は調べていくうちに、何者かの日本への介入が予想以上に大きな事を知った。
「八八艦隊計画の規模縮小と、諜報機関の増強、それに歴史には存在し得ない新興企業、それに統一規格制定への動きか」
史実では海軍の悲願であった八八艦隊計画は、大幅にその規模を縮小していた。海軍は八八艦隊を建造できても維持が出来ないという政府の
主張を素直に受け入れたのだ。本来なら猛反発していた海軍の官僚達も東郷平八郎が縮小に賛同したと知って沈黙せざるを得なかった。
八八艦隊計画で戦艦の建造は高速戦艦4隻(長門型2隻、加賀型2隻)、巡洋戦艦4隻(天城型4隻)に抑えられた。海軍は既存の
高速戦艦4隻(伊勢型2隻、扶桑型2隻)、巡洋戦艦4隻(金剛型4隻)とあわせて戦艦8隻、巡洋戦艦8隻の保有を目指すことになる。
さらに海軍は予算を抑えるために艦艇の部品の共用化を図り、統一規格の導入を政府に進言していた。この動きに陸軍も同調する。この動きに
三菱や新興企業である倉崎重工も同調する。彼らは品質管理の概念を早期から導入していたので、日本の工業力の低さを肌で実感していた。
三菱、倉崎を中心とした企業群はこのままでは日本が列強に追いつけないとして、工業規格制定に向けた運動を盛り上げていく。
勿論、彼らだけなら実現は無理だったかもしれないが、第一次世界大戦を経験した軍人達や、その話を現役軍人から聞いた退役軍人たちは
総力戦に対応できない日本の現状に危機感を持ったため、三菱、倉崎の主張に耳を貸し、運動に力を入れるようになる。
これらの動きは史実を知る嶋田にとっては良い動きであることはわかった。だが余りにも上手く行き過ぎている事が、何者かの干渉をより確信
させることになった。
「干渉が行われているのは、政府、軍上層部か。いや中堅層にも何らかの干渉があると言ってもいいはずだ……さて、どうするか」
一佐官に過ぎない嶋田にとって山本権兵衛、伊藤博文などと接触するのはまず不可能。さらに彼の知識では現在、一軍人である南雲忠一など
太平洋戦争時での将官が史実とどう違うのかが解らない。下手に手を出すと大やけどをする可能性がある。
「……まあ今は調査と並行して勉強をしていたほうがいいな。何かあったら役に立つだろうし」
嶋田は潜水艦や航空機など次世代の主力兵器となる物の研究論文や運用に関する書類を読んで勉強をしていた。仮に自分が将官になった時に
必要となる知識を早めに吸収しておくつもりだった。仮に将官に就けなくて退役したとしても、民間の海運会社や航空会社で働くときには役に
立つだろうとも彼は思っていた。特に海援隊はシーレーンの保護も手がけている。航空機や潜水艦の知識をもった人間なら雇うはずだ。
そんな風に取り敢えずは現実的に生きる道を選んで日々を過ごしていた嶋田に、ある日転機が訪れる。
「軍令部長が私を料亭に招待?」
「ああ。今日の午後8時にくるようにだって」
同僚の言葉に嶋田は耳を疑った。史実で嶋田は軍令部勤務で軍令部長である伏見宮博恭王の信頼を得た。だがこの時点では信頼を得るには
至って無いはずだ。
(ひょっとしたら、向こう側から接触してきたのかもしれないな………)
彼は内心の困惑を隠して、指定された料亭に行くことにした。
「さて、鬼がでるか蛇が出るか……まあ、このことが俺の運命の分岐点になることは間違いないな」
嶋田は勤務が終わると、内心の動揺を押し隠しながら指定の料亭に向かった。