旧アメリカ合衆国中西部。
 かつて世界一の国力を誇った大国亡き後、この地域の多くは国家社会主義を奉ずるテキサス社会主義共和国の統治下に組み込まれた。
 連邦崩壊による混乱、アメリカ風邪の脅威、匪賊と化した旧連邦軍将兵から身を守るためにテキサスの統治を甘んじた者が多かったが、彼らを待ち受けていたのは戦前では考えもしなかった収奪であった。
 宗主国であるドイツに貢ぐため、そして勢力圏を拡大・維持する為にテキサス政府は占領地において収奪を繰り返したのだ。そこにはかつての同胞という意識はなどなかった。
 日本では「愚かな真似」と一蹴されているが、彼らは切実だった。
 ナチスドイツは自分が行った無茶な軍拡と戦争で浪費した国富の回復、そして大西洋大津波の被害から復興するための原資の獲得を目論んでいた。テキサスも防疫線維持、対西海岸諸国用の軍備の両立を目論んでいたため、少しでも富を回収したかった。
 この状態でイラン演習でドイツ空軍が完封負けしたことも拍車をかけた。ドイツは中東諸国への支援を増やすために北米からの収奪を進め、テキサスも軍事力の強化をこれまで以上に進めはじめたのだ。

「日本人に魂を売り渡した連中が、日本から武器を供与されて東進してくるのでは?」

 日本からすれば被害妄想と言える考えだったが、テキサス政府の高官たちは本気で日本軍、そしてその尖兵となった西海岸諸国軍の東進を恐れるようになった。
 彼らの恐怖(妄想)を会合の面々が知れば「誰が好き好んで進出するか」と言い返すだろう。ヘリウムを欲した辻などは色々と交渉を持ち掛けるつもりでいたが、あくまでもそれはビジネスの域に過ぎない。相手から一方的に搾取するつもりなど毛頭なかった。

「商取引で何とかなるなら、それで済ませるのが一番ですよ。これ以上、戦争を続ければ人類の存続すら危うくしかねません。まぁ原因はほぼ我々にあるのですが……」

 会合の場でやや後ろめたそうに言う辻を笑う者はいない。
 全人類の10%(約2億人)をわずか3年の間に死に追いやった惨劇を引き起こした面々としては、『無駄』な戦争をするつもりはなかった。
 対立を避けるためにドイツ側、或いは英ソ勢力圏で何が起きても基本的に内政問題として『我関せず』を貫いているのも、日本にとって無駄な対立を避けるためでもあった。ただし『必要』があったらドイツの行いは介入の口実に利用するつもりでいるが……。
 何はともあれ『今のところ』、日本は穏健路線を採用し、戦争の意思がないことを示していた。夢幻会としては国を傾けかねない国家総力戦はこれで終わりにし、あとは経済戦争をする時代にしたかった。
 しかしながら日本政府が非拡大政策を今後も堅持すると心底信じる人間は欧州枢軸どころか、世界のどこを見渡しても存在しなかった。
 日本が平和を望む姿勢を示し、穏健な言動をとっても、日本に野心があると信じて疑わない者は多い。特に日本勢力圏との最前線に立っている者はその傾向が顕著だった。そんな彼らは恐怖から逃れるために軍備に力を入れ、そのツケをより立場の弱い者たちに押し付けていた。
 当然、そんな収奪をされれば抵抗する者も現れたが、アメリカ風邪の脅威、そして最低限供給される医薬品を盾に取られ、現地住民の抵抗する機運は大きく削がれた。
 加えてドイツ側は世界を恐怖のどん底に突き落とした疫病を作り上げた旧アメリカ合衆国を糾弾し、「お前たち新大陸の住民に余力を持たせたら何をしでかすか判らない」と言って収奪を正当化した。

「防疫線が崩壊したら、お前たちは旧東部住民と同じ目(滅菌作戦)に遇うと思え」
「全てはお前たちの自業自得だ」

 かつての祖国の罪を突き付けられ、自分たちがどれだけ世界から蔑視されているかを突き付けられた人々は消沈し、その負の感情を旧東部住民に向けた。
 たとえ肌が白くても、東部出身だけで有色人種以上に徹底的に差別したのだ。財産、或いは技術などをもって逃れてきた人々、テキサス政府が有用と見做された者はマシな扱いだったが、特に手に職を持たない人々、手土産を持たない人々の扱いは目を覆わんばかりのものだった。

「旧アメリカ合衆国の東側は人の負の面を凝縮したかのような世界になっている」

 橋本登美三郎が報道した『難民キャンプの劣悪な環境、ロッキー山脈以東で行われている差別政策によって生まれた惨状』に眉を顰める日本人も多かった。
 しかし日本政府は積極的な介入は控えた。日本政府は「サンタモニカ会談に従い、欧州枢軸諸国に任せる」と言うだけで表向き、具体的なアクションに出ることはなく、太平洋の安定に注力し、環太平洋諸国会議を開催した。
 夢幻会としては外交の復活、そして太平洋の安定を目指した会議であったのだが、カリフォルニア共和国、ワシントン共和国、オレゴン共和国が対等の立場で参加という事実はテキサスの神経を余計に逆なでするものだった。
 テキサスは周辺州を半ば武力で併合する形で強引な統治を敷いている中、西海岸諸州は独立を維持できている……その事実を喧伝されることはテキサスにとって不利益になる。

「何が平和を望む、だ。これだけ挑発しておきながらどの口でそれを言うか」

 テキサス政府の反日感情は天井知らずだった。故に彼らはカリフォルニアとその背後に控える日本を敵と見做すこと、そして貶めることに躊躇い等なかった。
 彼らは「西海岸を実質的に支配する日本は限度を知らない強欲さで更なる領地の拡大を目指している」、「カリフォルニアの白人たちは神を信じない異教徒の黄色いサルによって辱めを受けている」などと日本人が聞けば噴飯物のプロパガンダを垂れ流した。
 そして「黄色いサルを叩きだし、白き清浄なる世界を取り戻すことがテキサスの使命である」と事るごとに強調した。

「裏切者と黄色いサルを貶す程度で国民が団結するなら安いものだ」

 政府高官達はそう嘯いた。そしてその政策は確かに一定の効果を上げた。
 しかしそのプロパガンダは虐げられている層には浸透しない。むしろ彼らは大規模な騒乱が発生し北米全土が混乱すれば、自分たちの世界を取り戻すチャンスが訪れるのではないかとの希望さえ抱くようになった。

「圧制を敷く侵略者と黄色いサルが戦えば、チャンスはある」
「ドイツを追い出したらアメリカ風邪で死ぬ? それがどうした。どうせこのままだと殺される。それなら一矢報いて死んだ方がまだ良い!」
「アメリカの土地をアメリカ人の手に! 旧大陸の住民は旧大陸に!」

 そしてアメリカ風邪を神の試練と定義し、アメリカ風邪を乗り越えたアメリカ人が神に認められた新人類として楽園に行けると説くカルト宗教が組み合わさり……一つの臨界点に達したのだ。
 西暦1945年、9月12日。日本人が環太平洋諸国会議というお祭りに酔う中、独立正義党を名乗る集団がカンザスで暴動を扇動した上、自爆攻撃を敢行した。
 それはテキサス共和国といういびつな国家の内紛劇の幕開けを告げる鐘となった。



          提督たちの憂鬱外伝 戦後編30



 インドでは肺ペストが大流行する気配、テキサス共和国では内紛勃発の気配……東西同時に起きた大乱への予兆は世界に激震を走らせた。
 環太平洋諸国会議の最中であった日本国内でも号外が飛び交う。

「テキサス共和国で内紛の予兆? アメリカ合衆国復活を主張する政治団体が関与か?!」
「テキサス政府は犯行の背後にカリフォルニア共和国の存在を示唆」
「インド・スーラトで疫病が大流行。第二のアメリカ風邪か?!」
「インド西部で内乱の兆し。周辺諸国に緊張が走る」

 朝刊は大々的に東西当時に起きた大事件を報道し、国民も北米、インド情勢の急激な悪化に驚く。
 同時に多くの一般国民はここまで事態を悪化させたドイツ、イギリスの二大国の不甲斐なさに苛立ちを覚える。環太平洋諸国会議と言う国を挙げたお祭りに水を差されたという『事実』がそれを助長する。

「イギリスとドイツは何をしているんだ? とくにイギリス。連中、あれだけ支援してやったのに、この様か。無能にもほどがある」
「インドや北米の東半分は奴らの支配領域だろう。反乱を起こされるどころか、疫病を拡散させかねない事態を引き起こすとは……」
「連中が一流なのは約束破りと騙し討ちだけだな」

 しかし北米とインドに手を出そうという機運は盛り上がらなかった。

「東は北米西海岸、西はビルマ、ここを防壁として守り切れば(とりあえず)日本の安全は確保される」
「日本が武力を以てインド、北アメリカを支配しようとすれば国が傾く」

 世論が強硬路線に傾くのを避けるため、日本政府と夢幻会がそう喧伝していたことがうまく効果を発揮したのだ。
 国内世論は今の日本の繁栄を守るために「この事態への適切な対応」を求める声が大勢を占めた。
 当然ながら政府、軍も今の日本の繁栄をどぶに捨てるつもりは更々ない。彼らは西海岸での演習準備とインド、北米での情報収集を進める一方、『ドイツ相手に引かない』との政府の方針、そして万が一の事態である北米防疫線崩壊、または対独戦争に備え内地に残っている予備戦力を派遣する下準備も進めていた。

「これが役に立つかも知れないとは……」

 参謀本部で黒冊子を読み終えた杉山はそうぼやいた。
 日米戦争の最中、日本陸軍参謀本部はアメリカ合衆国侵攻作戦を検討していた。
 それは何十個師団も送り込むような大規模なものではなく、あくまでロッキー以西を確保する為に最低限必要な部隊を送るものであった。それでも軍需省が目をむき、後方の事務方がめまいを感じる規模の輸送船と物資をつぎ込むような作戦であることには違いなかった。
 戦後、北米でドイツとの戦闘が想定されるようになると、アメリカ本土決戦を想定ていた作戦は対独戦争を想定したものへシフトした。
 杉山本人としては永遠に使われないことを祈っていた品物であったが……残念なことに今回の騒動がその願いを打ち砕くことになった。

「現地には同盟軍も根拠地もある。現地住民も協力的で交通、特に鉄道も十分に使える。あまり大西洋側には英軍も……『友軍』として展開している。アメリカ本土決戦を想定していた当時に比べれば恵まれているだろう」

 杉山は英軍を『友軍』というのを少しためらった。その事実が彼が英国をどう思っているのかを明確に示していた。
 眉をひそめた杉山は煙草を取り出し火をつける。そして煙草を口に銜えて思う存分、ニコチンを吸い込んだ後、煙と共に愚痴も吐き出した。

「しかし何で最悪の場合に備えた保険が必要になるかもしれない状況が次々に発生する? この調子だと保険のために用意させている三式の改修型も必要になるか?」

 そんな杉山を参謀次長である河辺虎四郎中将が宥める。

「さすがのドイツも現状で戦う余裕はないかと。むしろテキサスの不安定化に伴い非正規戦が増えると考えられます」
「非正規戦は私も想定している。だが世界は我々の想像を超えて動くことも多々ある。油断は禁物だ」

 「かつて歴史を甘く見た故に手痛いしっぺ返しを受けた」と思っているが故に、杉山は予測を過信していない。

「念のために三菱に発破をかけるか」

 四式重戦車は戦略環境にそぐわなくなったとして生産を中止したものの、ドイツ陸軍が強力な戦車を作っているという事実は変わらない。
 三式中戦車も十分に強力であったが、如何せん、九七式中戦車の設計がベースになっているため、ドイツの新型戦車に対抗できるか判らないという懸念があった。またソ連は強力な駆逐戦車の開発を進めているとの情報もあり、いずれにせよ九七式戦車の設計から脱却した新型戦車を本格的に量産、配備されるまでのつなぎとして既存の車両の強化が必要と判断された。
 そして強化の対象となったのが数の面で主力となりつつある三式中戦車だった。一部のマニア達が小躍りしつつ、三式中戦車の改修にあたっていることを知っている杉山は「空のマッドが倉崎なら、陸のマッドはこいつらだな」と思うようになっていた。

「本来は試製……だったが、この調子だと本格的な量産車両になるかも知れん」

 杉山は渋い顔のまま煙を吐き出す。

「本格的な緊張が高まるとなれば軍事予算は増額される。新型弾丸の開発と配備も一気に進められるかも知れないが」

 この世界の大日本帝国陸軍は小銃や分隊支援火器に6.5mm弾を採用しているが、汎用機関銃などは7.7mm弾、それも.303ブリティッシュ弾を使用していた。
 これは第二次世界大戦勃発時の欧州派兵を見越しての措置でもあったが、情勢の変化に伴い、既存の.303ブリティッシュ弾に代わる新型弾の開発を求める声が出始めていた。今後勃発するであろう対独戦争に備えるため、そして日本勢力圏の弾丸供給を日本が牛耳るため、既存の.303ブリティッシュ弾に代わる新型弾の開発を行うべし……陸軍の一部の将校はそう主張した。
 しかし一気に更新しようとすると初期投資が莫大なものになってしまうこと、そして対英関係で色々と不都合が生じてしまうことが問題視されていた。

「いや、現状で一挙更新はちょっと」

 内政、外交両面から辻は弾丸の更新には消極的であることも現状での早急な新型弾開発にブレーキをかけていた。
 尤も杉山としては新型弾(新型7.7mm、或いは7.62mm弾)には未練があり、緊張が高まればこの手の計画も通しやすくなるのではないかと考えたが……彼はすぐにその考えを追い出す。

(いや、自分たちが望む軍備を整えるために、緊張を望む……それは本末転倒というものだ。その方向よりもむしろイギリスを噛ませつつ、新型弾の開発と流通を進めるほうが理解を得やすいだろう。印度の問題もある。それもあわせた交渉はあの腹黒男にやらせればいい)

 面倒な交渉になるのは目に見えていたが、杉山としては辻に同情してやるつもりは全くない。
 むしろ「大魔王にはこの程度の負荷が丁度いいだろう」と半ば本気で思っていた。

(あの男には外に敵が、いや巨大な障壁があったほうが良いだろう。本人の為にも、我々の為にも……)

 そこまで考えた後、杉山は頭を切り替え、再び黒冊子に目を向ける。

「ロッキー以東、カリブ海での戦いなど戦前なら世迷い事と言っていられたが、今はそうではない。『星の屑』作戦はいつ発動されてもおかしくない」
「しかし総長、イギリスに余裕があるでしょうか? インド情勢は想定以上に深刻です」

 ビルマ方面軍を展開している陸軍はインド情勢についての情報収集は進めていた。
 そして最新の情報を含め陸軍はインドの混乱ぶりはかなりのものであること、インド総督府、インド国民議会では事態収拾が著しく困難であると認識していた。
 『インド西部の混乱がインド全土、更にはパキスタン、アフガニスタンなど周辺地域へ波及。疫病に掛かった難民が大挙して押し寄せた結果、治安と経済の悪化を招き、更に燻っていた宗教、民族問題に火をつけて南アジアは地獄の窯と化す』……それが現時点で陸軍が想定する最悪のシナリオだった。

「積極的に打って出る余裕はないだろう。だがテキサス軍や独軍をある程度釘付けにしてもらえればいい」

 後ろから殴られるかもしれない……そう思うだけでテキサスと欧州枢軸は全力を出せない。
 日本からすればそれだけで十分だった。

「何はともあれ一番良いのが、テキサス問題が早めに片付き、インドの問題に力を入れられることだ。二正面作戦など考えたくもない。もともと、印度も北米も我々の手に余るものなのだ」

 そう言うと、杉山は再び煙草を口に銜える。

「総長は政府の方針に反対と?」
「純軍事的には、だ。海軍と違って陸軍はアメリカ風邪の猛威が振るいかねない地域でその身を危険にさらして戦うのだ。しかも内陸奥深くで戦うとなれば容易に撤退はできん。しかしドイツのやり方を考えれば……消極的だが、政府の方針に賛同せざるをえん。下手に引き下がれば後々禍根を残す可能性が高い」

 これまでのナチスドイツの外交姿勢から、ドイツの外交的な信用は地に落ちていた。どんなに御目出度い軍人でもドイツの言葉を信用できるかと聞かれれば「否」と答える程だ。

「それに軍は政府から予算をつけてもらう。予算だけもらって政治の都合など知らぬ、政府の都合など知らぬ、では道理が通らん。勿論、政府にも軍の都合を無視されても困るが」
「環太平洋諸国会議で政府が大盤振る舞いを安請け合いしなければいいのですが」
「その点は安心してくれ。あらかじめ釘は刺してある。そしてそれは政府も了解済みだ」

 河辺次長はそれを聞いて安堵の感情を顔に浮かべた。

「それなら安心できます」
「うむ」
「最近の政治家にはやたらと威勢のいいことばかり言う者が多く、それに引きずられたらと思うことが多かったので」

 陸軍内部では先の大戦の最中に、大陸深くへの侵攻を煽ろうとした議会政治家への不信感が燻っていた。
 軍人からすれば彼らの行為は統帥権干犯も同然のものであり、断じて許しがたいものだった。そして戦争終了後に明らかになってきた旧アメリカ暫定政府の文官たちの戦争指導の内容は、多くの軍人に「戦争指導に文官がでしゃばると碌なことにならないのでは?」との思いを抱かせた。
 勿論、これまでの夢幻会の介入から国家総力戦においては各部署、軍民の綿密な連携が必要であるとの認識が広まっていたため、政府を大本営の席から排除しようとの機運までは広がらなかったものの、政府(文官)が軍部(武官)の上位に来ることについては否定的な意見が多数を占めてるようになっている。

「必要なら軍人、あるいは軍務経験者が政権を主導し、軍部と連携して戦えばいい。これまでそれでうまくいってきた。何が問題なのだ?」

 夢幻会派に連なる者でさえ、そう思うのだ。杉山たちが前の世界で当たり前と思っていた『文民統制』がこの世界の日本でどのように思われているかは想像に難くない。

(軍人の暴走ではなく、軍事にど素人の政治家の暴走や介入が問題視される世界……どんなブラックジョークだ。いやはや首相が大本営の『一員』と明記しておいて良かった。もし史実通りだったら更に拙いことになっていただろうし……それにしてもこのままだと文民統制はいつ実現できるのやら)

 杉山は多少苦い感情を覚えつつ、政府と議会を擁護する。

「嶋田首相は海軍軍人だが陸軍の事情も理解している人間だ。議会の実力者である近衛公も軍事に対して理解がある。彼らが中心となって議会の人間も段々良い方向に変わっていくだろう」
「それなら良いのですが……」

 杉山から期待の星扱いされた嶋田は帝国ホテルで開かれた環太平洋諸国会議の席において、相次ぐ凶報に動揺する西海岸諸国、東南アジア諸国と向き合っていた。

「ドイツが何を言おうとも、テキサスの態度こそが、彼らの真の意図を物語っている」
「彼らは軍備に金をつぎ込み、北米防疫線の維持を疎かにするばかりか、内政が失敗したツケをこちらに転嫁しようとしている」
「『独立正義党』と名乗るテロ組織と我々が繋がっていると主張して我々を貶め、孤立させようとしている。このような行為は座視できない!」

 西海岸諸国は声高にテキサスの動きを批判した。
 テキサス共和国は独立正義党を名乗る一派が起こしたテロは鎮圧済みと宣言しているが、北米情勢が安定を取り戻したと思っている者はいなかった。
 テキサス政府は依然として厳戒態勢を敷き続けているだけでなく、緩衝地帯とした峡谷洲共和国との国境付近でテキサス軍の活動が活発化していることから北米情勢は緊迫していると誰もが考えていた。
 緊張を助長するテキサス、そしてその事実上の宗主国たるドイツへの批判が一通り済んだのを見たハーストは立ち上がり、嶋田に向けて訴える。

「我々は人種差別を公然と行う国家社会主義者達と戦う覚悟があります。しかし悲しいことに我々には覚悟はあっても力が足りないのです。世界の3分の1を覆い尽くした国家社会主義をこれ以上広げないために、太平洋を平和の海にするためにも、どうか支援をお願いしたい」

 片や東南アジア諸国もインド風邪(仮称)の脅威を訴え、その封じ込めに力を貸してほしいと訴える。
 アメリカと言う世界有数の列強国が戦災と天災と疫病で崩壊したという前例がある以上、イギリスによる搾取によって困窮し、更に天災と疫病に見舞われたインドが崩壊しないとは限らない。
 そして仮にインドが崩壊して大規模な内乱状態に陥れば、膨大な難民が周囲に発生する。それが東南アジアに流れ込めば彼らは地獄を見ることになる。故に彼らも引き下がらない。

「インドの情勢は刻一刻と悪化していると聞きます! 確かに北米情勢も問題ですが、こちらも軽視できる問題ではありません!!」

 ビルマ代表のバー・モウは日本が東南アジアを軽視することを恐れて必死に食い下がった。彼はこの会議までに覚えた日本語で嶋田に訴える。
 支援を求められた側の嶋田は数秒だけ瞼を閉じた後、冷静な態度と口調で日本の政策を説明し始める。

「我が国は北米、インド双方を重視しています。北米においては幸いなことに桑原提督が率いる空母機動部隊が既に西海岸に展開済みです。我々はテキサスの動きに対応してこの艦隊をパナマに南下させます。また先日、お披露目した新型陸攻・天山を擁する第24航空戦隊を含む陸海軍航空隊が内陸に進出しテキサスを牽制します」

 演習のために北米西海岸に向かい、そのまま前線に送り出されることになった部隊、アラスカ、ハワイから増援として駆けつけつつある部隊、もともと展開していた北米派遣軍を併せれば日本軍の航空戦力はテキサスで事件が起きる前の倍以上の約500機に膨れ上がる。時間を掛ければ更に増やせる。
 ただし戦闘機の数の面での主力は烈風改。その上、烈風や飛燕、双飛燕の数も少なくない(さすがに九六式戦闘機は退役した)。爆撃機では連山改よりも連山の方が多いし、今では旧式機扱いになりつつある一式陸攻・銀河の姿もある。
 嶋田もそのあたりは不安だったので、電子戦機を多数送り込み、戦力不足を運用でカバーしようと考えていた。
 一方、テキサス軍や独軍からすれば電子戦機を抜いても十分に脅威だった。何しろ西海岸には航空機の整備施設が多数存在するため整備には事欠かず、更に日本機は航続距離が長い為、太平洋の島嶼や空母を中継することで航空戦力を素早く北米に送り込める。
 片や欧州側は主に海路での輸送がメインで補充スピードでは日本側に劣る。更に整備能力も西海岸に比べれば劣るため消耗戦になれば圧倒的に不利なのだ。
 日本側もそのことを認識しているが、そこで胡坐をかく者は夢幻会、特に会合メンバーにはいない。むしろ有利だからこそ、油断や敵への侮りを戒めていた。
 兎にも角にも、嶋田の説明を聞いたマッカーサーが口を開く。

「陸軍部隊は?」
「現状では北米派遣軍、そして今回派遣した第9師団で事足りると考えています。事態がこれ以上悪化するなら内地に残している即応部隊を派遣します」
「富嶽は動かないのですか?」
「富嶽の航続距離をもってすれば西海岸から出撃させる必要はありません」

 この時点で富嶽を表立って動かすつもりは夢幻会にはなかった。
 彼らは核をジョーカーと考えており、容易にこれを切る気にはなれなかった。下手に核で圧力をかけるとドイツがどんな反応を示すか判らない上、ここでドイツを引き下がらせた場合、今後、核兵器を容易にカードにする者が日本国内に現れる可能性がある。
 彼らは自分たちが悪しき前例にならないように動くつもりだった。

「勿論、外交面からテキサス、そしてかの国へ強い影響力を持つドイツへの働きかけは続けます。我々はあくまで話し合いによる決着を望んでいます」
「しかしドイツ第三帝国が大人しく引き下がるでしょうか?」

 これまでのドイツの外交姿勢を見てきた者たちは、このマッカーサーの疑問に同調する。

「北米防疫線を人質にしてこちらの一方的な譲歩、或いは資金や物資の拠出を求めるのでは?」
「緊張緩和に同意しないのであればこちらに譲歩の余地はありません。それが成された状態で、欧州枢軸とテキサスがどうしても北米防疫線を維持できないなら、資金や物資の供給は吝かではありません。ただ現状調査、そして物資や資金を供給する以上、それが有効に使われているかを確認するための作業が必要になるでしょう。ええ、調査団を送り込むことは了承してもらわないと」
「調査団、ですか」
「かの国は『同盟国』ではありません。それにこれは人類全体にかかわる問題。故に世界防疫機関に参加する各国との調整も必要でしょう。まぁいずれにせよ、あくまで仮定の話です。いずれにせよ、今はテキサス軍が西方に展開している兵を引かせ、緊張緩和を図るのが優先です。勿論、一方的に撤兵しろとは言いません。こちらもテキサスの動きに応じて兵を引く必要があるでしょう」

 そう言い終えた後、一呼吸おいて嶋田は東南アジア諸国の代表に顔を向ける。

「東南アジアの盾であるビルマ方面軍の準備を完了しています。ただし貴国の危惧も判りますので、インド風邪に備えて医師団を現地に派遣したいと思います。北米諸国と同様に医薬品もそちらに供給する用意を進めます。勿論、インドの混乱が拡大しないことに越したことはありません。イギリスとの協議も進め、インドの混乱が最小限になるように手を打ちましょう」

 丁寧な物の言いだったが、嶋田から底知れぬ圧迫感を感じたモウは「確約は得た」と判断して首を縦に振った。

「我々は平和を望みます。しかし血を流すことを恐れ理不尽な要求に屈するつもりはありません。まして友邦を見捨てることはあり得ません」

 嶋田は淡々とした口調でそう言い切る。
 しかしその場の者たちは一斉に押し黙った。嶋田は別に大声で怒鳴った訳ではない。しかし目の前の極東の独裁者は大声で怒鳴った以上の迫力をその場にいた者たちに与えた。その場にいたマッカーサーも一瞬だが気圧される。

(ふむ、世界を三分する帝国の実務を担うだけのことはあるか……)

 そこでこれまで黙っていたタイ王国の代表たるラーマ王子が口を開く。

「我が国は『友邦』に負担を押し付けるような不義理を働くつもりはありません。東南アジアを守るために我が国も是非協力させて頂きたい」
「それは心強い」

 ラーマ王子に続けとばかりにフィリピン、インドネシアなど比較的余裕がある国の代表者たちが協力を申し出る。
 フィリピンなどは日本から補給を確約してもらえれば1個歩兵師団をビルマに送ると申し出た。対米戦争においてフィリピンはアメリカ軍と共に日本と戦った(正確には日本軍機に一方的に攻撃された)ために半ば敗戦国扱いだった。その上、治安上の問題(反政府ゲリラ、反日ゲリラ)で稲荷計画と言う大魚を取り逃がしている。彼らは多少の無理をしてでも自国をアピールしようと必死だったのだ。
 何はともあれ、この日の環太平洋諸国会議は会議参加国の大半が相応の結果を得られたと判断された頃合いで閉会となった。
 嶋田が退席していく中、ハーストはマッカーサーに小声で話しかける。

「……今回の件、どう思うかね?」
「東西、同時。そしてこのタイミング。些か出来過ぎとも言えなくともないが……」

 この事件が起こる前に日本はカリフォルニア共和国に非正規戦に備えた特殊部隊練成のために多数の特殊部隊隊員を送り込み、同時に西海岸諸国に大量の医薬品を供給した。そして事件が起きた直後には西海岸に『演習のため』に送られた部隊が到着している。西海岸諸国も西海岸演習のために軍の動員を行っていたため、動ける部隊が多数いる状態であり、今回のような不測の事態に対処するための難易度が下がっていると言えなくともない。

「すべてが彼らの掌の上、とは考えにくい」
「私もそう思う。しかし、どこまでが彼らの目論み通りで、どこまでが幸運なのやら」

 この会議には、日本勢力圏の有力者や各国の全権代理が集まっている。この場決定が下れば、それを基に彼らは迅速に動くことができる。この情勢下、足並みをそろえて行動できる。それは実に素晴らしいことだ。同時にそれは夢幻会にとっては『不幸中の幸い』でもある。
 しかし日本にとって幸いな状態。それは他国にとって幸いの一言で片づけられるものでもない。

「いずれにせよ、我らの盟主に運があるということは良いことだ。運のない指揮官はどんなに優秀でも敗北する」

 そんなマッカーサーの言葉に、ハーストは嫌らしい笑みを浮かべる。

「運は確かに重要だ。だが将軍、東洋では『天の時は地の利に如かず、地の利は人の和に如かず』という言葉もある」
「それは?」
「日本で尊敬されている『遥か昔』の中国の学者の言葉だそうだ。運も環境も重要だが、人の和、判りやすく言えば人々の団結がまず重要という教えだ。合衆国は愚かな謀略に手を貸した末に、あのタイミングでの開戦を迎えた。その結果が天に見放されたかのようなタイミングでの大災厄。そして自国製の生物兵器の流出という想定外の出来事で地の利を失い、太平洋での戦いに敗れて人の和を失い、最後には滅んだ。さて、ナチの信奉者たちはどうかな?」




 カンザスでの暴動と自爆テロを皮切りに、枯野に炎が拡がる如くテキサスの支配領域で奴隷の逃亡や反乱、二等市民によるストライキ、デモが続発した。

「俺たちに人間らしい暮らしをさせろ!」
「代表無くして課税なし!」
「旧連邦の罪を俺たちに押し付けるな!」

 これまで受けた抑圧が一気に爆発したように、各地で激しい抗議行動が相次いだ。配給される食糧の中に人肉が含まれているとの噂もそれに拍車をかけた。
 まずテキサス共和国本国から遠く離れるか、日英の勢力圏に比較的近い地域において奴隷として働かされてきた人間たちの逃亡が頻発した。
 奴隷と言っても南部貴族の財産としての奴隷と者と違って、欧州枢軸やテキサス政府の使い潰せる労働力にされた者たちの労働環境は過酷の一言に尽きる。
 しかし統治者たちはその過酷な環境を改善することなどなく、日本に対抗する為として更にノルマを厳しくしていたのだ。当然ながら現場で働いていた人間はそんな環境に耐えられず次々に倒れていった。
 それでも弔ってもらえるなら、まだ救いがあっただろう。しかしテキサス政府はそのようなことさえせず、まるで死んだ家畜のように処分していった。
 奴隷にされた者がその扱いに抗議をすれば、返ってくるのは暴力。それでもなお反抗的な態度を繰り返せばその先は死しかない。当然、そんなことをすれば作業効率は下がるし、死ぬ人間も多くなる。
 だがそれでも統治者たちは気にしなかった。彼らは死んだ人間と同じ数だけの人間を新たに奴隷として現場に押し込んで酷使すればいいと考えていたのだ。
 そんな環境下に置かれた者たちが逃亡を考えないわけがない。

「このままだといずれ死ぬ。逃げても殺される可能性が高い。だが逃げ切れる可能性は0ではない」
「少なくとも英の勢力圏では奴隷制はない」
「どっちでもいいさ。アメリカ風邪から離れられて、少しでも暖かい飯が食べられる可能性があるなら」

 監視は厳しかったが、文字通り命が掛かっているため、奴隷たちは死にもの狂いで逃亡した。
 ある者はロッキー山脈を越えて西に逃げようとし、ある者は北のカナダを目指そうとする者もいる。
 だが逃亡を図っても秩序が崩壊し、勝手気ままに群雄割拠する町、村が点在していたし、西部に残っている国々やカナダはテキサスから逃れてきた逃亡者に冷たく、収容所に叩き込まれれば有情というのが逃亡者への対応を物語っている。
 そしてミシシッピ川の東側にあるイギリスの植民地・ブリティッシュコロンビアへの逃亡を試みる者にはイギリスの国境警備隊が立ち塞がり、警告を無視して侵入を試みようとする輩を片っ端から射殺していた。

「越境は阻止しろ!」

 ブリティッシュコロンビア駐留軍司令官クルード・オーキンレック陸軍大将はそう厳命した。
 英領ブリティッシュコロンビアはテキサス共和国よりは安定しているものの、食糧事情や治安の問題から難民の流入は阻止しなければならない。
 人道云々の問題はあったが、衛生状態や栄養状態が悪いテキサスからの難民が新たな伝染病を持ち込まないとも限らないのだ。インドで新種の肺ペストが流行しつつある以上、これ以上のリスクを背負うことは容認できない。
 かくして英軍は一切の情をかけることはなかった。
 だが皮肉なことに、最も多くの逃亡者を処理したのは生粋の英軍人ではなく、現地で雇用された旧米国人、それも旧連邦軍の将兵だった。
 アメリカ合衆国崩壊によって根無し草となった連邦軍人たちには進駐してきた欧州諸国に降り、現地軍の将兵として雇用される者も少なくなかった。特にイギリス軍は英語で会話が通じることから各地で孤立、或いは匪賊と化した旧連邦軍部隊を積極的に取り込むことができたのだ。
 火事場泥棒のイギリスに仕えることに葛藤した者もいたが、相次ぐ旧連邦の失態、悪行の暴露によって旧連邦軍人たちも完全にかつての祖国に愛想を尽かし、今や忠実な英軍軍人として任務についている。そしてここブリティッシュコロンビアでは東部出身だからといって露骨な差別をされることはない。故に旧東部出身者は回りから下に見られまいと、尚更張り切って任務に当たった。
 故にかつての同胞を撃てという命令も多少の後ろめたさを感じたものの、旧連邦軍将兵は大きな問題もなく任務を遂行することができた。
 ブリティッシュコロンビア住民もそんな駐留軍の行動を支持した。
 かつての同胞という意識はあったものの、今の生活を奪いかねないのならそれは敵でしかない。しかし飢えと病に怯え、かつての同胞と殺し合わなければならない状況を喜ぶ人間もいない。
 彼らは祖国を破滅させた旧連邦政府と暫定政府を罵り、大西洋大津波という大災厄を呪った。神を信じていた者は、このような過酷な試練を課す神を恨み、或いは信仰を棄てた。ブリティッシュコロンビアを構成する地域は保守的で、信心深い人間が多かったが、この状況でこれまで通り神を信じ続けられる者は多くはなかったのだ。
 一方、追い詰められ、もはや神にしか縋れない者たちは、狂信的な信徒となってテキサスに災いを振りまいた。
 アメリカ風邪を神の試練と主張するカルト宗教にのめり込んだ者たちは、一連の混乱に付け込むように『アメリカ風邪を広めるのだ。さすれば世界は浄化され、その後に勇者の魂は真の楽園に導かれるであろう』などと主張して自殺撃な攻撃を行うようになった。
 アメリカ風邪をある意味で神聖な儀式扱いするカルト宗教が表立って動き出したことはテキサス領内にいる者たちに衝撃を与えた。そしていつの間にかテロリストがアメリカ風邪をテキサス領内に持ち込んだとの噂まで流れ、混乱はますます拡大することになる。

「何をしているのだ、テキサス人も、ロンメルも!」

 総統官邸で報告を聞いたヒトラーは部下たちの前で怒鳴り散らした。

「総統閣下、確かに暴動は多発していますが、テキサスの体制を覆す程ではありません。多少時間はかかりますが、鎮圧は可能です」

 国防軍最高司令部総長カイテル元帥の慰めを聞いたヒトラーは更に血圧を高くする。

「問題は他国に知れ渡るまでの規模になったということだ! 誤魔化すにも限度がある!」

 テキサスがやたらと強気なのも、緩衝地帯ギリギリに軍を展開させているのも、すべては自国の窮状を悟られたくなかったからだ。世界各国はある程度テキサスの情勢を察知しているが、実態はより深刻だったとも言える。
 そして深刻であるがゆえに彼らはますます強がり、その強がりを真に受けた者たちが脅威に備える。それがますますテキサスを怯えさせるという悪循環だった。

「なぜここまで叛乱が拡大したのだ?」
「……植民地人は建国の経緯から抑えつけられ、自由を奪われることを殊更に嫌います。今回の反乱はそれが原因かと」
「それだけの理由でこれほどの混乱が起こる、と?」

 行き過ぎた略奪も原因なのだが、それを指摘すればヒトラーの失政を指摘することになりかねない。
 ただでさえ不機嫌な独裁者を更に刺激したい者はこの場にはいなかった。

「幸いなのはインドでも新たな疫病が流行しつつあることだ。これが無ければどうなっていたことか」

 インド西部を中心に疫病は流行する気配を見せていた。
 そしてそれを切っ掛けにしてインド各地の衝突は激しさを増しており、インド帝国の崩壊は時間の問題と思われていた。仮にテキサスが混乱状態でなければヒトラーも何かしらの手を打っただろう。

「しかし日本は二正面作戦も辞さずとの姿勢を示しています」

 リッベントロップ外相の言葉にヒトラーは苦い顔をする。

「判っている。特使の松岡はテキサスを静かにさせろ、しないなら相応の考えがあるとまで言ってきたからな」

 環太平洋諸国会議の後、日本政府は北米情勢の安定化についてドイツ政府と交渉していた。
 彼らはテキサス軍の不穏な動きを停止させ、治安維持のために注力するのであれば展開している兵を引いても構わないと伝えていた。

「我々は平和を望んでいるのです。故にサンタモニカ会談の決定を『こちらから』破るつもりはありません」

 特使として派遣された松岡はヒトラーに「そちらが約束を破るのなら、こちらにも考えがある」と言外に表明した。
 ヒトラーからすれば黄色いサルが軍事力を背景に恫喝をかけてきたようなものだが、現状において彼らに対抗する術がない以上、これまでのように強硬な態度は取れず、「平和の回復に努力する」としか言えなかった。

「カナリス提督、日本軍の様子は?」
「はい。彼らはビルマに3個師団を基幹とした1個方面軍をはりつかせつつ、北米にも戦力を集めています。イランで我々に苦杯をなめさせたハヤテ、そしてテンザンも配備している模様です」
「日本は北米にどこまで戦力を集めている?」
「航空戦力だけなら500機前後。陸軍は2個装甲擲弾兵師団、2個歩兵師団の合計4個師団。パナマに空母2隻、重巡4隻、軽巡5隻を中心とした空母機動部隊が確認されています。西海岸諸国がすぐに動かせるのは航空戦力で200機前後。3個歩兵師団、1個装甲擲弾兵師団、1個機甲師団と推測されます」
「西海岸諸国の動きが速いな」
「もともと演習を名目に動員が進んでいましたので」

 ヒトラーの脳裏に「またしても謀られたか」との考え浮かぶ。
 夢幻会からすれば「被害妄想、乙」と返すところだが、ヒトラーが今確認できる事象をつなぎ合わせると、夢幻会が事前に情報を仕入れ何か手を打っていたかのように思えた。
 そんなヒトラーの思考を遮るかのようにカナリスの報告は続く。

「日本本国では増援部隊の準備が進められています。最低でも二個師団、内1個師団は機甲師団、彼らが言うところの『戦車第1師団』と推測されます」
「最低でか」
「緊張が激化するようなら、更なる増援もあり得るかと」
「……」

 ヒトラーは癇癪を起しそうになるのを堪える。

「現状の戦力で戦えるかね?」

 総統の腰巾着と揶揄されるカイテル元帥でさえ、その質問に正直に答えることは躊躇われた。

「……治安が安定していれば、何とか戦えたかもしれませんが」

 陸軍は3個装甲師団を基幹としたロンメル軍団、第1SS装甲師団、空軍は数こそ少ないが精鋭の第52戦闘航空団、新装備を充実させた第100爆撃航空団などを基幹とした部隊を展開させている。これにイタリアを含む欧州枢軸諸国の3個師団や空軍部隊が加わる。テキサス陸海空軍を含めれば数の上では日英を超える。
 しかし彼らはテキサスの混乱で動きがとりにくくなっている。

「増援は?」
「輸送能力の問題がありますので一度に送れるのは2個師団が限界です。時間も掛かります」

 北米に進駐する際、海を渡って大軍を派遣した経験がない欧州枢軸軍が大きなトラブルに遭わなかったのは、その手の経験が豊富なイギリスがサポートしたからだ。
 しかし今回はイギリスの支援は期待できない。そのため輸送船の手配に苦労し、海を渡ることに不慣れな陸軍国では様々な問題に直面することが予想された。

「それにイギリスのカリブ海艦隊が動いています。最悪の場合、日本海軍がマゼラン海峡経由で大西洋に出てくる可能性もあります。パナマにいる空母翔鶴と瑞鶴は対米戦でも活躍した正規空母です。この2隻が大西洋に出てくればかなりの脅威となります」
「……」

 日英海軍に対抗する立場にある欧州海軍の水上戦力は未だに脆弱だった。
 独海軍は新型の高速Uボートを更新しつつあったが、その数は十分ではないし、Uボートだけでは制海権は握れない。まして相手は対潜護衛には定評のある日本海軍なのだ。さすがのヒトラーもUボートだけで日本海軍を撃滅しろとは言えなかった。日本海軍の対潜戦術がザルだったら、ヒトラーも多少の無茶を命じただろうが……。
 ヒトラーが黙ったのを見たカナリスはここで別の情報を披露した。

「総統、北米で対日関係を悪化させた場合、日ソ関係の改善を後押ししかねません」
「何?」
「つい先日、入手した情報ですが、ソ連内は北米やインド情勢が悪化を利用して日本との関係改善を模索する動きがあるようなのです。そして日本でもこれに呼応する者がいるようです」

 この言葉にヒトラーは「信じられん」という顔をしたが、カナリスは構わず続けた。

「インド、アメリカでの混乱が拡大すればするほど、日本の負担は大きくなります。確かに日本の軍事力は脅威ですが、それを支える国力は有限です。軍事で無理をすればそのしわ寄せは別の分野に及びます」
「そんなことは判っている。だが、そのしわ寄せと言っても、それほどの物ではなかろう」
「彼らは我々とは別の視点から世界を見ています。我々にとっては些細であっても、彼らから見て問題と判断されれば対応は異なります」
「……」

 ヒトラーは癇癪を起しそうになったが、何とか耐えて続きを促す。

「ドイツと協調するのが無理なら、ソ連と協調する……この路線が選択されれば、我々は準備を整える前に第三次世界大戦に臨む可能性があります」

 日英ソを相手に戦うことになれば、幾らドイツでも厳しい。
 まして富嶽、疾風、天山への対抗手段が手に入る前に戦争となれば、ドイツ国内への核攻撃さえ予想できた。
 勿論、そんなことをされればドイツもアメリカ風邪を利用して応戦するだろうが……最終的にはドイツ全土が核の惨禍に晒され、日本軍から供与された兵器を手にしたソ連がドイツ勢力圏に雪崩れ込むという最悪の事態も想定できる。
 そうなれば欧州枢軸の団結など望むべくもない。彼らはドイツが強いからこそ、ドイツに従っているだけであって、ドイツが弱体化すればあっさり裏切るだろう。何しろドイツに付き従っているのは元々は列強と言われた国や、独立してやっていける国ばかりなのだ。
 日本に付き従っている国はその多くが日本に様々なものを依存しているが、彼らはそうではない。利にならないのなら、ドイツを見捨てることに躊躇はない。ましてドイツがこの大戦でやらかしたことを考えれば、日本に与して復讐戦を挑んでくる国がないとは言い切れない。
 ヒトラーの脳裏にイタリアやフランスまでが裏切り、全方位からドイツを攻撃する様が浮かぶ。

(そのようなことになれば……)

 いかにドイツが強大であっても全方位を敵にすれば敗北は避けられない。
 最後には世界の敵のレッテルを張られ、周辺国によってバラバラにされ……ドイツとゲルマン民族は歴史上の存在にされるかもしれない。それも人類を破滅させようとした憎むべき存在としてあの合衆国や中華民国と同列に扱われる、そんな未来をヒトラーは幻視した。

「……良いだろう。今は日本人の都合に付き合ってやろう」

 ヒトラーは苦虫をダース単位でかみつぶしたような顔をしつつ、緊張緩和のためにドイツから譲歩することを決断した。

「だがすべてはソ連を分割するまでだ。ソ連を潰した後、必ず日本人と決着はつける。絶対にだ。千年帝国建国の為に必ず奴らを打ち滅ぼす」

 何はともあれ、欧州の独裁者の命令でテキサスは矛を収め、それを見た日本側も順次、兵を引いていく。こうして北米情勢は多少ながら落ち着きを取り戻していくことになる。
 また北アメリカ、インド同時に起きた二つの事件を受け、日英独の三ヶ国は勢力圏の整備の重要性を改めて認識し、基盤固めに精を出すことになる。
 それは誰もが永遠に続くとは信じられないが、誰もが望んだ一時の平和の始まりも意味していた。







 あとがき

 提督たちの憂鬱外伝戦後編30をお送りしました。
 ドイツはとりあえず引き下がり、緊張緩和へ動きます。
 インドも騒乱状態ですが、彼らは列強として対処していくことになります。
 今回の出来事で一区切りつきましたので、次回戦後編31で戦後編も終わりにしたいと思います。
 他の細かいエピソードは妙高型重巡にまつわるエトセトラのように短編形式で出していきたいと思います(リアルの事情が許せばですが(汗))。
 それでは戦後編の最終回である31話でお会いしましょう。