1945年9月の環太平洋諸国会議開催を間近に控えた大日本帝国政府は、会議を成功裏に終わらせるべく各方面で努力を重ねていた。
 しかし一方で、9月末には陸海軍合同文化祭が開催される。この合同文化祭に作品を展示する軍人、官僚は殺人的なスケジュールをこなすはめになった。

「うぉおおおお!! 輝け、俺の右腕!!」

 精神的にかなり追いつめられていた某陸軍将校はそんな叫びをあげて己のを奮い立たせて、ギリギリ原稿を完成させたなどと言われている。まぁ件の将校はもともとエキセントリックな言動が多かったため、あまり気にされていなかった。しかし彼以外でも、多くの人間が歯を食いしばってよい作品を作ろうとしていた。
 合同文化祭は陸海軍の交流の場であり、軍人がお堅い武官だけではないことを一般人に示す場である。ただ同時に各所に自分の顔を売るチャンスでもあるのだ。出世するには組織内部の人脈も重要であるため、出世欲の強い者ほど文化祭を軽く見る者はいないのだ。また民間からも文化祭に出品できるようになったため、民間からも多くの人間が参加するようになっていた。ただし、この中には政府高官との間にコネクションを持とうと画策する人間、あるいは軍、政府高官(夢幻会関係者)が参加するイベントで情報を収集するため、敢えてサークルとして参加する各国スパイ(特に英ソ)が入り込んでいる。日本の恐るべき実力が明らかになってからはその傾向はより顕著になっていた。
 当然、日本の防諜機関もこの動きをつかんでおり、様々な工作を仕掛けている。合同文化祭という平和な名前とは裏腹に、この祭典は様々な人間の思惑が入り乱れている。
 そして、この祭典を楽しみにしていた人間ほど「え? いや、文化祭でそんな本気を出されても」と困惑した。

「何故こうなった?」

 皇族にして、海軍最長老であり、現在二人しかいない元帥海軍大将の一人、海軍を影から仕切ってきた男・伏見宮は自宅の応接間のソファーでため息を漏らす。
 その老人の向かい側のソファーに座る男……帝国有力華族であり、大日本帝国元首相・近衛文麿も力無く項垂れる。何しろ彼らはこの文化祭を楽しみにしていたのだ。彼らが伏見宮邸に集まっていた理由の一つが、現状に対する愚痴を言い合うためだった。
 顔を伏せていた近衛だったが、彼は何とか気分を切り替えることに成功する。

「……ま、まぁここまで注目を集めている以上は、仕方のないことかと」
「やれやれ」

 そう言って息を吐いた後、伏見宮も近衛と同様に頭を切り替える。そして少しの間をおいて真剣な顔で語り始める。

「イラン演習も、7月の発表は大きな衝撃を与えたようだが……欧州諸国がこのまま引き下がるとも思えん。今頃、必死に頭をひねって我々を怒らせることなく、嫌がらせをする方策を練っているだろう」
「表向きは平和や綺麗ごとを唱えつつ、足を引っ張るのは欧州諸国のお家芸ですからな。まぁドイツは黄色いSSを使って揺さぶりをかけるでしょうな」

 東欧やヨーロッパ・ロシアでは民族浄化の嵐はさらに激しさを増している。金髪の野獣の渾名をつけられたラインハルト・ハイドリヒは各地で抵抗する勢力を徹底的に鎮圧していた。その中で、黄色いSSが活躍しているとのニュースは大々的に報道されている。そして黄色いSSにおいて日系人、朝鮮系が活躍しているとのニュースも日本に入っていた。
 このニュースに接した日本人の多くは黄色いSSで活躍しているとされた人物を「ドイツ人に尻尾を振る裏切者」と思っており、日本国内では蛇蝎のように嫌われている。
 片やドイツは「我々がナチズムを信奉する優れた人物なら、白人でなくても決して冷遇しない証拠」と喧伝し続けている。

「ドイツの宣伝を真に受けた者が、ドイツに同調することは考慮しなければならないでしょう。堀さんも言っていましたが、御目出度い連中の相手をするのは疲れます」

 近衛はそう言いつつ冷たい笑みを浮かべる。

「まぁ日本国内にも賢くない連中はいますから、あまり彼らを見下すようなことは言えませんが」
「やれやれ、だな……君も大分、面倒な輩を相手にしていると聞くが」
「賢くない連中に限って声だけは大きいですから。まぁ彼らを相手にしていて思ったのは……少なくとも自分の頭で判断せず、見た目や風評を真に受ける人間は政治家になるべきではないということでしょうか」

 タカ派とされる嶋田に対し、国民の間では前首相である近衛はハト派、内政専門、荒事に弱い、或いは不運な公家出身の政治家とのイメージが強かった。
 表向き、近衛のこれまでの目立った功績は主に内政。対独戦争では英国に足を引っ張られて停戦を余儀なくされた上に、理不尽な米中の圧力を受けて最終的には任期の途中で首相の座をタカ派の嶋田に明け渡した。このような事象が続けば、そのようなイメージが出来上がるのは当然の流れだった。
 しかし実際には、辻とともに世界大戦に備えた戦備を整えつつも日本経済に悪影響がでないように手を回し、米中の挑発を受けても軍を自重させ、極秘だった衝号作戦の準備と衝号作戦が露見しない様に欺瞞する各種計略に携われるだけの能力を持った人間だった。だが近衛はその能力をひけらかすことはない。

「君が表で本性をさらさないのは、選別のためだったな」
「ええ。外見に惑わされず、能力と志を持つ人間を見極めるにはちょうど良いです。逆に外見だけでこちらを侮るならそれまでの人物ということ……」

 近衛に不用意に喧嘩を売った人物の末路は、彼の冷笑が物語っていた。

「選挙に左右される衆議院議員だと強力な地盤がなければできない戦術だが……貴族院なら問題ないか。まぁ君ならば衆議院から出ても当選するだろうが」

 この言葉に近衛は答えなかったが、彼の自信に満ちた笑みが答えを物語っていた。

「君を侮ってコテンパンにされた人間には強硬派もいたらしいな」
「ええ。全く、あの手の人間を相手にしなければならない嶋田君には同情しますよ。連中は中華と朝鮮、英独を叩けば愛国者を気取れるとでも思っているのでしょう」

 「戯けた寝言は妄想の中だけにしてほしいものです」と近衛は切り捨てる。

「内を固めず、外に打って出るのがいかに危険か、愚かな行為か……前例がいくらでもあるというのに」
「皇軍がその気になれば欧州枢軸など鎧袖一触、そう思っているのですよ。警鐘を鳴らし、欧州枢軸が侮れない敵であると言っても耳を貸さないのですから」
「軍が増長するならわかるが……」
「欲にかられた人間ほど目が曇るということでしょう」

 強硬論者といってもすべてが国のためを思っている訳ではない。
 愛国、保守派を語りつつも、実際には自分とその関係者の利益を重視して戦争を煽りたてる人間も存在していた。

「総研に籍を置きたいなどと私に言ってくる人間もいますから」
「国益よりも、自分たちの利益になるような政策を政府に提言するためだろう? 私益を考えるなとは言わん。だが度が過ぎる欲求は身を滅ぼすことを知らんのか、その連中は……まぁ華族にもその手の人間はいるからな」

 伏見宮は「やれやれ」と呟くと頭を軽く振った。

「臣民に忍耐を強要して、自分は利益を最大化したい。そんなエゴを持った人間に限って綺麗ごとはうまい。左と右の違いはあっても、詐欺師の才能があるというわけか」
「楽をして、他人を蹴落としてでも自分だけは利益を得たい。そんな人間が蔓延るようになれば国が傾きます。いえ、下手をすればこの災害列島である日本で、日本人が生きるのも困難になりかねません。この手の俗物並みか、それ以上に厄介なのが自分の考えに酔っている人間ですかね。暇を持て余した過激なインテリほど面倒な存在はいません」
「ゆえに教育を充実させ、暇なインテリが戯言をいうような余裕がないように高度な人材を吸収できる産業を育成するか……全く、あの男のいうことは正論だが」
「あの性格ですからね……あれさえまともなら、今すぐ首相にでもなれるのですが」

 大蔵省で策謀を張り巡らせる男の姿を思い浮かべ、二人はため息を漏らす。
 このとき、大蔵省に蠢く怪物がくしゃみをしたが、当人たちは知る由もなかった。

「今のところは嶋田君をバックアップして国難にあたるしかないということだろう。何しろ『今』、彼が倒れたら、もっと面倒なことになるからな」
「まぁ火中の栗を拾いたいと思う人間は、夢幻会の中にそうはいないでしょうからね。とりあえずは目の前に迫った環太平洋諸国会議に備えるとしましょう」

 帝国屈指の実力者たちは憂鬱な気分で、再びため息をつく。
 世間一般で思われているような権力者の姿はそこにはなかった。




         提督たちの憂鬱外伝 戦後編26




 環太平洋諸国会議に向けて、日本政府および日本陸海軍は準備を進めていた。
 何しろ空母『白鳳』を中心とした空母部隊と新型攻撃機『天山』によるお迎え、近衛師団や戦車師団を動員した軍事パレード、陛下との謁見など大々的なイベントが目白押しなのだ。仕事には事欠かない。
 内務省の大臣室では阿部内相が万全の警備を期して、電話越しに各所に指示を檄を飛ばしていた。

「ここで何かあれば、帝国の面子は丸潰れだ。軍の情報部とも綿密に連携を取れ。支那人や朝鮮人の反日テロリストなら何をするかわかったものではないからな」

 海上保安庁から大陸の反日派が日本への密入国、そしてこの環太平洋諸国会議開催中でのテロを目論んでいるとの情報が寄せられていた。
 大陸側でならいざ知らず日本本土でテロを行えるとは阿部には到底思えないが、それでも万が一の事態も考慮しなければならない。このため阿部は各所に檄を飛ばしていた。

「あとドイツから来る『お客』の監視も怠るな。あの連中は何をしでかすか分かったものではない」

 受話器を置くと、阿部は深いため息を漏らした。

「……ドイツ人も尻に火が付いたということか? しかし親衛隊の人間まで来るとは」

 環太平洋諸国会議開催の前月になって、ドイツは在日独大使館の人員を増強。またドイツ国防軍、並びに親衛隊の人間が『旅行』の名目で日本に向けて発った。
 イラン演習、大和型戦艦、稲荷計画、トランジスタコンピュータの公表などを考えると、対日情報収集能力の向上のために在日独大使館の人員を増やすのは理解できなくはない。
 だがわざわざ親衛隊の人間を使う意味が阿部には分からない。日本国内にいるユダヤ人を挑発するかのような行為だった。
 日本国内は数こそ多くないが、ユダヤ人も暮らしていた。東遼河の自治都市が建設された暁にはそちらに移動すると思われていたものの、現時点では日本国内にとどまっている。何しろ日本は表だってユダヤ人を排斥することをしない国なのだ。アメリカが滅んだ今、彼らにとって日本こそが「自由の国」だった。
 日本人の中には流浪の民である彼らに同情的な人間がいたが、夢幻会の人間の多くは「能力はあるが、数が増えるととんでもないトラブルメーカーになりかねない連中」と考えており、あまり国内に入れたくない類の民族だった。

「文化や歴史が大きく異なる民族は、別々の国や地域で暮らすのが一番です。遠い友人なら揉め事は起きにくくなります。逆に、下手に身近に暮らすと碌なことがありません。人間関係と同じで、お互いにある程度距離を保って生活しているほうがうまくいくものです。まぁ我が国が受け入れたロシア系のように有形無形の財産を持ち、数もそう多くなくて、我が国に同化する努力をしてくれるなら話は別でしょうが」

 会合の席で辻はそう言い切った。
 一方、住んでいた地域を追われた自分たちを保護してくれる日本政府に対しユダヤ人は好意的であり、ドイツと戦うなら兵士として志願したいという者さえいた。
 こんなユダヤ人が住む地域に親衛隊が来たら、どのようなことが起こるか想像に難くない。

(ドイツ国内の政治的な駆け引きの結果だろうか? 何はともあれ、親衛隊の人間が、ユダヤ人と揉め事なんてあったら厄介ごとでしかない。注意が必要だな)

 親衛隊の人間が日本に来るという情報はイギリス情報部から寄せられたものだ。そうでなければ、裏を取るのにもう少し手間がかかっただろう。
 尤も阿部はイギリス情報部が善意でこの情報を寄越したとはひとかけらも思っていない。

(イギリス人は、我が国に少しでも恩を売ると同時に、ドイツ人を囮にして国内での情報活動にいそしむ気だろう)

 「相変わらず抜け目のないやり方だ」と阿部は舌打ちする。
 内務省ではイギリス人の動向を厳しくチェックしていた。戦前の裏切りは軍だけでなく、内務官僚にも不信感を植え付けている。兵器の情報をアメリカに売ったという事実もあるため、イギリスはドイツに日本の機密情報を売るのではないかとさえ疑っている。
 在日イギリス大使館の活動もあって、イギリス人個人には『多少は信用できる』人間がいると思われてはいたが、イギリス全体への不信感は拭い切れるものではない。

「あまり頼りたくはないが……村中少将との連絡も密にするしかないか」

 阿部は夢幻会の情報を漏えいしたのは村中ではないのかと疑っていた。あくまで疑惑であって、それ以上ではない。しかしながら「賢人政治という政治体制を支持する村中少将は危険人物では?」と阿部は考えていた。

(いくら賢人でも、監視の目がなければ腐敗する可能性が高い。そもそも賢人による独裁? 賢人の定義はどう定めるのだ? 自称賢人による統治などナチやアカどもと大して変わりはないぞ。ナチやスターリンのような存在が日本を統治する時代など考えたくもない)

 阿部は自分が毛嫌いするコミュニストのことを思い出さずにはいられない。
 ご高説を唱えて民衆を扇動し、富と権力を掠め取り、失敗の責任は平然と他人に押し付ける赤い貴族にならんとするインテリなど、一人残らず絞首台送りにしてやりたいとさえ彼は思っている。
 そんな彼にとって共産主義が失墜した今の世界は痛快だった。

(東南アジアでも共産主義者は一掃されつつある。まぁフィリピンの反日ゲリラ、いや反政府ゲリラは目障りだが……体制をひっくり返すには至らない。まぁアメリカが滅んだ所為で自由民主主義が後退したのは事実だが、アカ、そしてナチを封じ込め続ければ問題はないだろう。馬鹿どもを資金的に支援する存在も、心の祖国となる国もない以上、この国に国家転覆を企む公務員や政治家、弁護士が蔓延ることはない。そもそもアカに染まった教師が教鞭をとることなどあってはならないのだ)

 阿部は『前の世界』の学生時代、社会人時代に受けた不快な行為を思い出し、そしてその不快な行為をした人間が正義と考えた思想が、この世界では唾棄すべき思想となったことに愉悦の感情を隠せない。
 阿部のアカ狩りには些か私怨も混じっていることを辻や近衛は知っていたが、私怨だろうが、その熱意が国益につながるのなら黙認するのが彼らのやり方だった。

(赤熊は力を失い、赤い龍は生まれることはなく、支那は分裂した。半島住民を同情したり、助けようとする物好きもいない。大陸出身者の不法滞在者、密入国者も徹底的に摘発している。連中を擁護する人間が日本国内で大きな顔をすることもない。いやはや、実に結構なことだ。まぁあの作戦で人類の1割を死の淵に追いやったのは痛恨の極みであったが、それでも日本にとって脅威となる連中を一掃できたと考えれば……)

 日本の隣に13億以上もの人口を抱える敵性国家、それもアカと中華思想のハイブリット国家が誕生する可能性がほぼ無くなったことは阿部にとって喜ばしいことだった。
 わずかな間、笑みを浮かべた阿部は頭を切り替え、今のことに思考を集中する。

「まぁ『今』は静観だな。確証がない状態で切り捨てるのは拙い。それに……彼が敵に回ると厄介だ」

 彼は村中少将を信頼してはいなかった。
 ただしその能力は買っており、阿部は彼の『手腕』については信用している。

「神出鬼没なのは……まぁ我慢しても、余計なお土産は何とかしてもらいたいものだ。フィルムとかを隠す必要があることはわかるが……」

 阿部は村中と話をしたことがあるが、彼はカモフラージュとばかりに変なお土産の中にフィルムを仕込むことが多々あった。

「全く、夢幻会にかかわる人間には何でこうも変な人間が多いのやら」

 嶋田たちが聞いたら「鏡を見てから物を言え」、「おまゆう」などと言いそうだが、残念ながら彼に突っ込める人間はその場にはいなかった。
 阿部を筆頭に内務省が国内の治安維持に心血を注いでいる頃、日本帝国陸海軍は国内外のテロ防止だけでなく北米情勢、インド情勢への対応、そして将来を見据えての軍縮と再編で大忙しだった。
 軍縮についてだが、海軍は作りすぎた戦時量産艦や老朽艦の退役によるスリム化、陸軍は軍内の不満分子を抑えて戦時中には四〇個師団を誇った師団数を削り、勢力圏防衛のため二五個師団体制に移行しつつあった。また陸海軍はともに航空機以外でも多くの兵器の開発と生産でも可能な限り協力し、調達コストの圧縮に努めた。

「戦闘機開発に必要な予算は高騰する一方になる。だが、今後は艦上戦闘機と局地戦闘機を別々に開発しなければならないこともあるだろう。これに備え設計段階から可能な限り部品の共用化などを行い、調達コストを押し下げていく必要があるだろう」

 海軍航空行政で大きな影響力を持つ嶋田は、部品の共用化等による開発、生産コスト削減と新兵器導入時に発生したトラブルに関する情報を陸海軍が共有し陸海軍が共同で対処する機構を作ることでトラブルの早期開発とトラブル解決に要するコストの更なる削減を主張した。
 烈風改、疾風と相次いで新型機が登場したことによって現場で少なくないミスが起きていたという事実を夢幻会は重視していた。

「現場の人間が扱いきれなければ、どのような高性能な兵器でもその価値を著しく損なう」
「戦時中でも情報の伝達は行っていたが、今後は情報伝達と再発防止策の立案をシステム化し、トラブルの早期開発を目指す」

 日本海軍は対米戦争で圧勝したものの、それに決して満足せず、戦争中に起きたトラブルを洗い出して更なる質の向上を目指していた。

「確かに兵器の質の向上は必要だ。だが兵器だけがよくても、運用が古いままでは意味がない」

 新兵器の開発と並行して、日本海軍はCICの能力強化をより進めた。
 ハワイ沖海戦において日本の防空能力は実証されたが、今後の対艦兵器の発達によって防空網が突破されることは十分に考えられた。よって日本海軍は全ての艦艇のCICにトランジスタコンピュータを持ち込み、情報処理を自動化するだけでなく、各艦艇をデータリンクで繋ぎ、艦隊全体の防空を統合する構想に着手した。

「大和型に搭載する予定の武器管制機能と射撃管制機能を合わせた統合武器システム。これをさらに発展させる」
「電子計算機を介して、一つの艦隊が有機的に繋がり、より高度な連携が可能とする」

 古賀はそう主張した。
 だが古い人間からすればもはやSFの領域であった。猛将と知られる山口中将をして「現実と虚構の境界があいまいになりつつある」と弱気な発言をさせるほどなのだから、予備知識のない人間にとってこれらのシステムがいかにインパクトがあったかが分かる。
 だが夢幻会はこれで満足しておらず、その次を見越していた。

「増やせる船の数が限られる以上、質と運用方法を向上させるしかない」

 古賀はそう断じた。
 新型ジェット機の実用化と配備、新型戦艦の建造、戦略原子力潜水艦開発計画、そして次世代情報システムの実用化……欧州海軍からすれば日本海軍だけ別のゲームをやっているような状況なのだが、守るべき範囲が広いわりに使える駒が少ないと思っている日本海軍は至って真面目だった。
 片や永田陸相と杉山参謀総長は現状では数がそろえられない四式重戦車など一部の兵器の生産の打ち切りを決定すると同時に、史実の戦後の火砲の進化を参考に火砲の整理と更新、既存戦車の強化、次世代戦車の開発、歩兵師団の機械化、航空戦力の拡充(ジェット機への更新、ヘリの配備)等に少しでも多くのリソースを充てようと涙ぐましい努力を続けている。

「ドイツ軍の火力を凌駕するため、それに榴弾砲と加農砲の統合し、師団砲兵と軍団砲兵の兼用を可能とする五式十五糎加農榴弾砲の配備は急がなければならない」
「五式加農榴弾砲を基にした自走砲の開発も進める。当面は防衛戦を中心に据えることを考慮すれば四式が抜けた穴を埋めることもできるだろう」
「機械化歩兵師団の数が足りん。それに書類上は機械化歩兵師団でも、内情は決して満足できるものではない。精強なドイツ陸軍と張り合うには力不足だ」

 世間では無敵皇軍などと言われているが、杉山は慢心することなく部下を叱咤激励して軍備の質の向上に務めた。
 ソフト面での向上も欠かさない。陸軍上層部は新ドクトリンの開発と並行して海軍と同様に情報処理の高度化、デジタル通信技術の導入などを進め、軍の連携をより高度なものとしようとしていた。
 もともと本土防空の責任を負っている陸軍は防空システムの自動化を進めていた。万が一のアメリカ軍の本土爆撃に備え、侵入してくる爆撃機を発見、追跡、要撃を自動化するためのコンピュータシステム『半自動式防空管制組織』を実用化するなど、電子計算機の活用を積極的に行っていた。
 だが兵力において枢軸に劣り、陸戦兵器の質では圧倒できないと考えている陸軍は現状に満足していなかった。彼らはドイツの電撃戦に対抗するために火力の向上と並行して、より迅速な軍の連携を可能にするべく早期警戒機を用いて各部隊が持つ情報を迅速に一元化出来るシステムづくりも急いでいた。

「綿密なる連携は、軍の根幹にして勝敗を決める最たる要因である」

 東条はそう言って、データリンクシステムの開発を強力に後押ししている。まぁ内心では「一連の技術開発が2○hやニ○ニ○動画の開発に繋がる」などとも考えていた。
 この本心を知る嶋田は黄昏た様子で「ニーソのために作られた高オクタンガソリン、動画サイトや掲示板のために開発された情報技術……いや、確かに欲望(特にエロ)は技術を進化させるものだが普通は逆だろ? 欧州と北米の白人たちがこの真実を知ったらどう思うことやら」と呟いたと言われている。
 何はともあれ、夢幻会主導の下、日本陸海軍は己の牙を磨くことに余念がない。また夢幻会は戦後の軍の再編が単なる軍縮ではなく、質の面で大幅に強化するものであることを喧伝していた。
 下手に日本軍が弱体化したと思って馬鹿な真似をする人間が現れたら、無駄なコストが発生することになる。韓国、オランダやスペインのように反日感情が高まっている国もあるという事実が懸念に現実味を持たせるようになっていた。
 幸いインド洋演習とイラン演習で強烈なデビューを飾った疾風、建造予定の大和型戦艦など、素人目に見ても分かりやすい強力な新兵器の存在があったため、宣伝材料には事欠かない。環太平洋会議の前の景気づけもかねて、日本政府は大々的に宣伝した。
 各国に配信するニュース映像は近衛や田中前情報局長がプロデュースのだから、どれだけ力を入れているかが分かる。
 ただし文官にとっては内政の充実も負けず劣らず重要であった。中でも辻は誰もが目をむくような野心を抱いていた。

「今後半世紀で、高度技術を用いた設備、機器、基幹部品の供給を日本企業で独占し、設計から生産に至るまでの要所要所で日本製でなければ成り立たない状態を構築する」

 辻は大蔵省の小会議室で、ごく一部の関係者の前で、己の野望を明らかにした。
 それはあまりに野心あふれる計画であり、普通なら一笑に付されるものだった。しかしこれまで関係省庁と協力し合って日本の産業を育てた辻政信の言葉を、それも「絶対に実現させる」という強い意志を込めた言葉を笑う者はその場にはいなかった。

「日本が滅べば、世界の産業が、工業が成り立たないような状態にする。そのために必要な施策の研究を開始するチームの編成を各省庁とともに進める」
「大臣、日本が世界の工業の根幹を握ることが抑止力となる、と?」
「それもあるが……金融業がやたらと幅を利かすような国にしないためともいうべきだろう。マネーゲームに夢中になり過ぎれば国を危うくする」

 マネーゲームで世界から金をむしり取り、その結果として栄達した男の台詞に誰もが目をむく。

「金融を否定するわけではないが、金融市場がマネーゲームに夢中になり、短期的な利益のみを追求するようになると技術開発や雇用が切り捨てられることになりかねない。企業は新たな技術を開発できなくなり、いや、下手をすれば少しでも古くなったからと言って技術を他国の企業に売りかねない。熟練の技術者さえ容易に解雇するかもしれない。それで短期的には利益が出てもいずれは企業の首を絞め……いずれは日本そのものの首を絞めることになる。社会の不安定化と縮小再生産を繰り返し、その末に閉塞して夢も希望もないような国になった日本など見たくもない」
「そうなる可能性がある、と?」
「ないとは言えない。我々も閉塞した社会で、小さくなっていく一方のパイを切り分けしても『旨み』がない。いや、旨みがあっても一時的。いずれは壊死した社会ごと滅ぶだけになる。あるいは悪しき旧支配者として断頭台に立たされるか……いずれにせよ碌なことにはならない。君たちも国が滅んだ民の扱いはわかっていると思うが?」
「「「……」」」
「我が国が繁栄するためには未来への投資が欠かせない。そのためには国も動かなければならない。諸君、各省庁の予算を削るだけでは『能がない』といわれるぞ?」

 辻は一息置くと、不敵に笑いながら言う。

「これは戦いなのだ。未来を切り開くための、我々文官の戦いだ。世間の石頭共、自称愛国者共に、弾が飛び交うだけの場所だけが国の命運を決める場所ではないことを、稟議書と判子が武器になることを思い知らせてやろうじゃないか」

 夢幻会は未来を見据え、彼らの考えられる限りの様々な手を打ち、大日本帝国をより強大なものにしようとした。
 現在、日本の前に立ちふさがるドイツ第三帝国率いる欧州枢軸諸国、そして夢幻会が知らない未来に打ち勝つためにはまだ力が足りないと思っていたのだ。
 だが『力が足りない』と思っているのは主に夢幻会であり、むしろ『強大な力をもって一人勝ち』と思う人間のほうが多かった。特に外国ではそれが顕著だった。
 『前の世界』の超大国を知るがゆえに、どこかで今の日本の実力を物足りないと無意識に感じてしまう者と、『前の世界』を知らず、『今の日本』しか知らない者の差……それは両者の認識の間に大きなズレを生じさせ、様々な影響を与えることになる。





 西暦1945年8月……この世界では仮初の平和さえ訪れることなく、各地で騒乱が繰り広げられていた。
 まず東欧やヨーロッパ・ロシアではドイツの統治に対する抵抗運動への弾圧が激しさを増していた。
 当然、反発も強かったが親衛隊が鎮圧した。オットー・オーレンドルフ親衛隊中将はユダヤ人や反抗分子を徹底的に狩り出し、親衛隊の手によって6万人近い人間が斃れた。
 ウクライナでは強制収容所の囚人たちがさらに酷使されるようになり、多くの囚人が命を落としていた。だがウクライナ政府やドイツ政府にとって徴用した住民が大勢死んでもノルマが達成できれば何の問題もないとばかりに労働環境を改善することはなかった。
 仮に労働者が足りなければ、ほかの占領地の住民や強制収容所の囚人を充てればよいとしか彼らは考えていなかった。ナチスからすれば劣等人種など人間ではなく、家畜かそれ以下でしかない。ドイツに抵抗する者など言うまでもない。この考えに沿って、障碍者を含め劣等人種とされた人間が次々に強制収容所に送り込まれた。
 占領地の安定化をヒトラーに命じられたラインハルト・ハイドリヒは労働力の確保と抵抗組織の掃討を進めた。ハイドリヒは「治安維持で功績を残した者には名誉市民の地位を与える」と言って密告をこれまで以上に奨励した。また抵抗勢力の排除も梃入れしたシューマ大隊を活用した摘発と並行して、抵抗勢力の手足となる労働者と頭脳となるインテリの分断、少数民族や親独派の現地協力者を使った現地住民の分断という搦め手もこれまで以上に巧妙に、そして積極的に行って進めていった。

「このままでは、本国のレジスタンスが壊滅してしまう!」

 ハイドリヒの政策で打撃を受けた旧自由ポーランド政府関係者はそう絶叫して顔面蒼白になり、権力争いをしているヒムラーが焦りを覚えるほどの手腕でハイドリヒは抵抗勢力の排除をを着々と進めていったが……彼の仕事は占領地の安定化だけではない。
 国家保安本部の長官室で処刑したロシア人とユダヤ人の数が記された報告書を読み終えたハイドリヒはもう一つの大きな仕事を果たすため指示を出す。

「収容所に放り込んだ者の中で『検体』に使えそうなのは、例の施設に送れ。丁重にな」
「『丁重』にですか?」
「当然、『健康』が保てるように、だ。総統閣下が望まれる成果を挙げるためには必要だからな。それにそのほうが囚人共を煽れる」

 ヒトラーは日本に押され気味という今の状況を何とか覆すべく、新技術開発に力を入れた。
 日本に後れを取りがちな原子力や電子計算機関連技術だけでなく、北米大陸でイニシアティブを握るための『アメリカ風邪の特効薬開発』もヒトラーは重視していた。
 このためドイツ政府はこれまで以上に大規模な人体実験を行うため、各地から『検体』になりそうな人間の徴用を開始した。勿論、一連の実験は単にアメリカ風邪の特効薬開発のためだけに行われず、他の目的のためにも行われることが決定している。
 それを考えれば使い物になる『検体』は数が多いほうが良いのは自明の理だった。少なくともナチスにとっては。
 こうして『検体』とされた人間は一時的にせよ、『人間的な生活』を享受することとなる。この『検体』の様子は強制収容所に収容された者に積極的に流され、収容所の中で囚人同士の不和を誘うことに使われることになる。何しろ『検体』とされた人間がどのような末路をたどるのかを知らなければ、『検体』とされた人間だけが特別扱いをされているようにしか見えない。それは猜疑心を呼ぶ絶好の材料となる。
 そしてそんな猜疑心を抱いた囚人たちに、様々な噂を流せば……囚人同士の間で不信感を煽ることができた。

「囚人同士で足を引っ張り合えば、我々の手間も省けるというものだ」

 ドイツ政府は支配地域の様々な場所に強制収容所を作り、そこで多くの囚人に強制労働を強いている。
 ドイツ企業もドイツ政府の政策によって提供される安価な労働力を欲しており、当面は収容施設がなくなることはない。故に囚人が相互不信で連携しなくなるのは良いことだった。少なくとも『今のドイツ』にとっては。
 ただ、このような行為を行うドイツ人がどのように思われるかは言うまでもなく、日本でさえドイツ人=差別主義者、野蛮人とのイメージが定着することとなる。これに危機感を覚える者も多かったが、ヒトラーはそんな人間に対する配慮などする気もなかった。
 それどころかヒトラーは日本に傾いたバランスを打破し、白色人種主導の世界を取り戻すには、まず東方生存圏を構築することが必要不可欠と判断していたため中途半端な政策はむしろ害悪としか捉えられなかった。

「新型ジェット機、Y型戦艦、稲荷計画、コンピュータ……これ以上、日本人に大きな顔をさせてはならん!」

 総統官邸でヒトラーはそう吠えた。
 5月のイラン演習によってドイツの面目は丸潰れとなり、7月の日本の発表によってドイツの矜持は粉々になった。
 世界各国は『総合的』にはドイツの技術力は未だに侮れないが、多くの分野、特に軍事面で日本がドイツに対して大幅に先行していると判断していた。プライドの高いドイツ人にしてみれば極東の猿共に技術力で劣っているという事実は屈辱でしかない。
 このため「真っ当に勝負すれば技術力で日本に負ける訳がない。負ける筈がない」と思う人間ほど、「神に賄賂を贈っている」という眉唾の話に一定の理解を示した。
 ちなみに「神に賄賂を贈る」というオカルトじみた話にヒムラーが興味を示し、日本の神話や伝承などを研究させたことを切っ掛けにドイツにおける日本文化研究が進むことになる。
 何はともあれ、現時点でドイツの面子はズタボロであり、ドイツを統べるヒトラーを焦らせ、苛立たせた。
 そしてこのヒトラーによって指示された新領土政策は、多くの国の中にあるドイツに対する隔意、あるいは敵意をより強固なものとした。

「ドイツに屈服したら、何をされるか判ったものではない」

 ドイツの目と鼻の先にある北欧諸国ではそんな対独不信がより強まった。国民の中には「ドイツ人に尊厳すら奪われて奴隷として死ぬ位なら、戦士として戦って、一人でも多くのドイツ人を道連れにして死のう」と主張する者さえいた。
 危機感をより強く持ったノルウェー、スウェーデン、フィンランドの三ヶ国は安全保障面での協力関係をより強固とし、「北欧を侵略すれば手足を失わせる」と欧州枢軸に思わせる状況を作ることに力を入れた。列強がその気になれば中立などいつでも破られる脆い物であることは明白である以上、自国の安全を守るには列強を躊躇わせるだけの力を手に入れるしかない。非武装中立など自殺志願者の戯言でしかないのだ。

「武器を持たず徒に平和を唱えても、平和は訪れない。平和は我々の力で勝ち取るしかない」

 ノルウェー王国首相グドウィン・クヴィスリングはそう言って高度防衛国家作りをまい進した。彼はフィンランドの産業改革を参考に改革を実施するなど、内政の充実も進めた。外交面でも大日本帝国、北欧諸国の連携を進め、後の北欧条約機構の基礎を作り出していく。
 また北欧諸国は有事における手駒の整備も進めた。陸軍の整備は当然だが、自国にできる範囲で海軍と空軍の強化も推し進めたのだ。空では日本から同盟国価格で貰い受けた電探を活用した早期警戒網の構築、ドイツ空軍と戦える戦闘機の配備、欧州枢軸軍の空襲に備えた対空火器の配備、代替滑走路となる高速道路の整備を進め、海では日本から輸出された小型潜水艦や機雷敷設艦の戦力化を進めた。ちなみに日本側はフィンランドに対して富士型をベースとした大型艦を維持施設と一緒に提供しても良いと打診したのだが……フィンランド政府は富士型をベースとした大型艦の購入とバルト海への配備はドイツを刺激しすぎること、日本の支援があっても負担が大きいので、そのような大型艦よりも他の兵器の整備と運用にリソースを回したいと返答し、日本側からの申し入れを丁重に断っていた。
 彼らは小国なりにその矛と盾の整備を進めているが、ドイツが本気で侵略して来れば自国の陥落は免れないとも判断していた。だが本土を失ったからと言ってあっさり負けを認める気も彼らにはない。万が一の場合は亡命政権の樹立と占領軍に対するゲリラ戦の覚悟もしていたのだ。北欧に安易に手を出すなら侵略者の手足を食いちぎり、失血死させてやると言わんばかりの覚悟を聞いた近衛は「同じ半島なのに、何でここまで差が出るのやら」と嘆息した。
 日本側から見ても、高く評価されるほどの心意気なのだから、この情報(ゲリラ戦)を知ったドイツ国防軍上層部は「これ以上、ゲリラ相手に泥沼の戦いをする地域が増えたら無視しえない悪影響が生じる」と判断し、頭を抱えた。

「制圧したソ連領を維持するだけでも出血が続いており、北米に加え、スペインでもきな臭い動きがあります。日本と全面戦争という事態にならない限り、北欧に手を出すべきではないというのが参謀本部の見解です」

 ヒトラーにあまり反対意見を言わないカイテル元帥も国防軍の突き上げを受けて、北欧諸国に対する融和政策をヒトラーに勧めたという事実が、北欧諸国の政策がいかに効果があるかが分かる。ヒトラーも国防軍の猛反対を押し切って北欧に圧力をかけるという選択肢はなかった。
 ドイツ南東部バイエルン州のベルヒテスガーデン近郊オーバーザルツベルクに置かれたヒトラーの別荘にして総統大本営の一つ『ベルクホーク』。そこの大ホールに置かれた地球儀を眺めながらヒトラーはため息をつく。
 この大ホールには各地からナチスドイツが収奪した絵画も飾られていたが、避暑のためにこの地を訪れたヒトラーを癒すことはできなかった。

「日本寄りとは言え北欧諸国の中立を保証するしかないか。下手なことをすればロシア人が動く可能性もある」

 ヒトラーは地球儀上の南ヨーロッパに視線を向けた直後、自国の足を引っ張る存在を思い浮かべた。

「まったく北欧諸国は小国ながら、ああも勇敢で団結しているというのに。なぜ同じ半島なのにこうも違うのだ」

 ヒトラーの脳裏に浮かんだのはスペインの惨状だった。
 反日暴動こそ何とか収めたものの、今度は反政府機運が燻っていた。
 スペイン政府は独伊から借りた金を返すために、食料や工業製品を独伊に供給していた。同時にスペイン政府は強力な統制経済を敷いて食料などの生活必需品の価格を統制したものの、独伊への借款返済だけでなく内戦と大西洋大津波からの復興事業も行わなければならないスペインにとってはかなりの負担であり、国民の間では閉塞感が漂っていた。そして今や、その閉塞感が政府への怒りとなりつつあったのだ。
 カタルーニャ地方など独立運動が盛んな地域ではスペインからの独立をもくろむ勢力が蠢き、これに共産主義者の残党が合流する始末。更に頭が痛いことにスペインでの分離独立の動きがフランスのラングドック=ルシヨン地域圏にも悪影響を与える可能性もある。
 当然ながらフランス政府はスペイン政府の無能を激しくなじり、欧州枢軸の盟主たるドイツに事態の解決のために協力するように要請していた。
 またフランス政府は「海軍を整備するためには、国内の安定が必要です。そのためにはスペイン問題も解決しなければなりません」と言って、現状では海軍の拡張が満足にできないと釈明しつつ、ドイツの思惑とはやや異なる海軍の整備計画を採択したことを告げた。
 具体的にはフランス海軍は新型戦艦に建造する余力がないことを理由に、植民地への圧力役兼新型戦艦が完成するまでの中継ぎとなる装甲巡洋艦の建造計画を採用したのだ。これらが完成すれば修復中のストラスブール、ルパンシュ級2隻と合わせれば有力な戦艦が3隻と装甲巡洋艦4隻が5、6年程度で揃うことになる。そうなれば反英感情が強い国民感情をある程度満足させると同時にドイツへの義理も十分に果たせると彼らは考えていた。

「あの卑怯者(英海軍)を新型高速戦艦と空母で殴り倒すのはまだ先になるが、この計画でも連中をきりきりと躍らせることはできる。イタリア人と協力しなければならないのは業腹ものだが」
「ダントン級等はもう限界。しかし新型戦艦を建造する余力はまだない。ならば旧アメリカ海軍の技術を利用した新型巡洋艦で少しでも穴を埋める努力をしなければならない」

 フランス海軍の将校は新型戦艦をすぐに建造できないことやイタリア海軍と手を結ぶことに不満を持つが、まずは出来る範囲でフランスの利益を守りつつイギリス海軍に嫌がらせもできる上層部の方針に従っていた。そしてフランス陸軍は自分たちに割り当てられる予算があまり削られずに済むこの計画に大賛成だった。何しろ彼らはアフリカ、中東の植民地の抵抗勢力の鎮圧に忙しいのだ。また本国の治安維持及び本国北部に展開し、英本土に圧力を加えられる戦力を再構築する必要もあった。これで予算を削られたら堪ったものではない。
 だがこのフランスの現実的な対応はフランス陸軍の弱体化を狙うヒトラーを苛立たせるものでもあった。
 そしてムッソリーニ率いるイタリアが日本との交流を図ると同時に、当てつけのようにユダヤ人を受け入れていることもヒトラーを苛立たせる。
 そんなヒトラーの心情を理解しているかのようにフランスは『ユダヤ人に対する政策』についてはドイツに追従し、事あるごとに「信頼のおける同盟国」であることをドイツ側に積極的にアピールしている。おかげでヒトラーも海軍の軍拡を無理強いできない。

「フランコは無能で我が国の足を引っ張るばかり。ペタンとムッソリーニは無能ではないが、油断も隙も無い」

 ヒトラーはそう断じて一しきり欧州枢軸の足並みの悪さを嘆いたあと、現在進行中の謀を進めることを改めて決意する。

「だからこそ、ここで奴らの足を多少なりとも引っ張らなければ、日本中心の巨大勢力圏の構築が進んでしまう」

 そんなヒトラーにベルクホークを訪れていたヒムラーがすかさず追従する。

「総統閣下のおっしゃる通りです。国防軍は危機感がなさすぎます」
「全くだ。頭の固いプロイセン軍人共は、過去の常識にとらわれ過ぎている。日本人が、いや夢幻会という名の組織がいかに恐ろしい存在か理解しておらん」

 ヒトラーからすれば、日本を影から動かしてきた夢幻会は常に白人たちの想像を超える成果をたたき出してきた存在であり、スターリンよりも警戒すべき敵であった。
 ヒトラーは地球儀から視線を外し、右後にいるヒムラーに顔を向ける。

「国民党のほうの準備は?」
「外務省の働きかけもあって順調です。環太平洋諸国会議の開催前には現地で結成を宣言する予定です」
「宜しい。ソ連軍、いや共産主義者の侵攻から中国人民を守るため、ソ連に連れ去られ、強制労働を強いられる同胞を救出するために集まった者たちを支援する……いくら日本でも我々の行動を批判することは出来ん」

 それは人身売買を放置する日本に対する当てつけにもなるとヒトラーは考えていた。
 そもそもヒトラーは「間接的にとはいえ、日本もソ連に送り込んだ奴隷で利益を得ている。日本とドイツの差は直接手を汚しているか、汚していないかの差でしかない」と常々思っていたため、自称『進歩的』日本人が善人面をして批判しても鼻で笑っていた。

(しかし己の手を汚すことなく、利益を掻っ攫うか。その手の手法でも日本は英国の後継者ということか……ふっ、我々も同じように甘い汁を吸ってみたいものだ)

 ソビエト分断の準備を進めているものの、ドイツは現地住民の抵抗に四苦八苦し、日本は現地住民を取り込みつつ、甘い汁を吸い上げている。両国の置かれた立場の差にヒトラーは眉を顰める。
 だがここで考えるべきことではないとすぐに頭を切り替えた。

「蒋介石もあまり信用できる人間ではないが……まぁ仕方あるまい。奴らにはあくまで反共のために力を貸しているとくぎを刺しておかなければな」

 ヒトラーも中国人と朝鮮人は信用していなかった。
 蒋介石についても『戦前、ドイツが多くの支援をしたにも関わらず、アメリカの介入を招いて自滅した愚か者』としか考えていない。

(あの者たちが思いあがって、反日運動を煽るようなら……さっさと切り捨てなければならない。いや、逆に件の手駒を使って、クーデターを起こさせるのもありか?)

 夢幻会主導の世論工作によって日本国民の間では対独強硬論は収まりつつあったが、対中、対韓政策については依然として強硬論が支持されていた。
 「連中がまた戯けたことをやったら、一発殴れ。話し合いはそれからだ」と主張する新聞社があるのだから、どれだけ大陸勢力が嫌われているかが分かる。
 ちなみに国民党は第一次上海事変の主犯だったが、今や華南連邦にも太刀打ちできない内陸の一軍閥にまで零落れていたこともあり、「向こうから手を出さないのなら、敢えてこちらから出向いて落とし前をつけさせる程ではない」とも一般では思われていた。逆に言えば、何かしでかせば徹底的に報復するべきとの考えでもあるのだ。仮に中国の反日テロの背後にドイツが関わっていると思われたら……独日関係は一気に悪化することになる。それだけは避けなければならない。

(あとはオランダだな)

 ヒトラーは地球儀に視線を戻すと、少しだけ愉快そうな顔をする。
 日本の急速な勃興、独立運動の過激化、津波から復興するための原資の調達……様々な状況を顧みて、オランダ政府は植民地を渋々手放したのだが、オランダ国内では植民地・蘭印を事実上失ったことに対する不満の声が大きかった。
 日本が圧倒的優位軍事力を持っていることが明らかになり、最悪の場合は日本軍の圧力で力ずくで植民地から追い出されていたかも知れないことが分かっても、不満が払拭されることはなかったのだ。既得権益を奪われたと思う人間ほど、時の政権と日本を恨んだ。
 ドイツはこの手の人間を利用して、旧蘭印の情報収集を行い始めていた。幸いにもオランダの権益はインドネシアに残っているため、今のオランダでも現地の情報を知ることが出来るのだ。可能ならば、『中立国』・オランダを通じてインドネシアに工作を仕掛けることをドイツは目論んでいた……表ざたになっても日本が激怒しない範囲でだが。
 何はともあれ、各国の思惑が蠢く中、環太平洋諸国会議開催は目の前に迫っていた。







 あとがき
 お久しぶりです。
 提督たちの憂鬱外伝戦後編26をお送りしました。
 閑話のような話を考えていたのですが、色々と詰め込んでいたらと長くなっていましました。
 次回、ようやく会議開催です……いや、本当、完結まであと何話必要なんでしょうね(汗)。




 今回採用させて頂いた兵器のスペックです。

hamさんの作品(設定スレ その28の132)
五式十五糎加農榴弾砲
口径:155mm
砲身長:5,735mm(37口径)
全長:9,300mm
全幅:2,400mm
重量:5,920kg
仰俯角:-5〜+67度
砲架種別:開脚式砲架
左右旋回角
・通常時:56度
・台座上:360度
初速
・榴弾:668m/s
・成形炸薬弾:700m/s
発射速度
・短時間最大:5〜6発/分
・長時間持続:1発/分
射程距離
・標準榴弾(HE):18,000m
・ロケット補助推進弾(RAP):25,200m
運用要員:8名
史実ソ連の「D-20 152mm榴弾砲」を参考に設計。