イラン帝国−パフラヴィー朝。
かつてはイギリスも成立にかかわったこの王朝は、今やドイツの代理人としてイランを統治していた。
イギリスやソビエトの支配から逃れようとする人々は、イギリスやソ連に対抗する勢力であるドイツと手を組むことを是としたのだ。
アーリア人種を至上とするナチズムを掲げるナチスドイツだったが、彼らは中東戦略上、彼らを盟友として扱っていた。勿論、その内心では彼らを劣等人種と侮っていたが……。
何はともあれ、イラン帝国政府は第二次世界大戦、その後の大西洋大津波とイギリスとソ連の衰退、ドイツとの連携によってイラクと共に英ソの支配から脱することに成功した。だがそれはバラ色の未来を与えるものではなかった。
ナチス・ドイツに媚を売る現政権に対して不満を抱く勢力、それに衰えたとは言え、ソ連という北の脅威は健在。そして国内ではクルド人問題などが燻っていた。当然ながらMI6を含むイギリスの情報機関はイランの親独勢力に対するカウンターとして、反政府勢力とも接触を続けており、情報収集活動や各種政治工作を続けていた。
加えてインド洋では日英が大艦隊を集めてこれ見よがしに演習まで行っていた。故にドイツは欧州枢軸の武威を示し、中東の足場を固める必要があった。
ただしヒトラーにとってイラン演習は、日英に対抗するためだけではない。
「対ソ政策のためにも、中東の安定は必要だ」
側近たちの前でヒトラーはそう断じていた。
欧州の覇者である黒い独裁者は、共産主義の総本山であるソビエト連邦を叩き潰すことを諦めていなかった。
「思想と経済で日本がソ連に毒をもっても、最後に必要なのは力だ。我々は東と南から攻め込み、薄汚いスラブ人どもを今度こそ掃討するのだ」
ヒトラーとしてはまずソビエトを降し、東の安全を確保したのちにイギリスを降し……日本は最後に降すつもりだった。
(あの極東の帝国と雌雄を決するのは当面あとだ。ソ連とイギリスを抑えた後は西海岸とパナマを抑え……最終的に日本本土へ侵攻してやる)
ヒトラーの脳裏には喜望峰やパナマ運河経由で太平洋に回航される欧州海軍の姿があった。
ただ、イエスマンの総統秘書ボルマンなど一部の側近以外は日本との決戦など夢想でしかなく、ヒトラーの頭脳の冷静な部分も「日本本土侵攻」については現実性が薄いこと、日独が再度戦えば核兵器や生物化学兵器による殲滅戦になると囁いていたが……。
いずれにせよ、ヒトラーがこのイランでの演習を重視していることは明らかだった。それを理解するが故にゲーリングはイラン演習での模擬戦で敗北することが、己の失脚につながると考えていたのだ。
「ドイツの底力をアラブ人の前で示すつもりだったのに……」
ゲーリングは豪華な自室でそう呟いて歯噛みする。
「大戦前に我が国を裏切って、日本に移り住んだ技術者共が日本に協力しているせいか?」
日本の新兵器開発には、第一次世界大恐慌後に日本に移住した白人が関わっていることをゲーリングは知っていた。
開戦前は彼らが日本に移っていったのを大して気にしなかったが、今ではそれがとんでもない大失敗だったと思うようになっていた。
ドイツ政府は日本に移った技術者や企業を呼び戻せないかと考えたこともあったが、日本に移住していった人々をナチス政権が「売国奴」等と罵っていたこと、そして移住していった人々のうち、少なくない人間がナチスの教義に批判的であったことが、彼らを呼び戻すことを困難にしていた。
人種差別が表だって非難されるような時代ではないが、人種カースト制のような体制を敷く祖国に帰りたがる人間は更に少なくなった。
「それは幾らなんでも……」
日本から三顧の礼で迎えられたフォンブラウン博士は、ドイツが行っている政策を知ると絶句した上で、ナチスが天下を握っているうちは祖国には戻れないと考えた。呼びかけに応じて祖国への帰還を訴える者も僅かに存在したが……そんな人間に対してフォンブラウンは頭を軽く左右に振って諭すように言った。
「表向きは歓迎するだろう。だが内心では日本人に技術を売り渡した売国奴と蔑み、我々の自由を制限した上で監視するだろう。売国奴が再び国を裏切らないために」
またソ連の強制収容所から救出されたロケット技術者たちの存在もドイツ人技術者に帰国をためらわせた。
シベリア生活でボロボロだったロシア人技術者だったが、彼らは日本で健康を取り戻すと猛烈な勢いでロケット開発にのめりこんだ。彼らはナチスドイツが蔑む劣等人種だったが、その才能はドイツ人に劣るものではなかった(これがナチスの教義に対する疑問を呼び起こす原因の一つでもあった)。そしてそんな彼らと殴り合い寸前の議論を繰り広げることが、ドイツ人たちにとって大きな刺激となっており、その刺激が更に研究を加速させている。
「何より、俺たちの目的地はあそこだ。この極東の島国に来る前、それは確認したはずだ」
フォンブラウンが人差し指で示した先にあったものは窓の外、より正確に言えば夜空に浮かぶ『月』だった。
「それは……」
「そしてそのための最短の道は……ここで研究を進めることだ。北海道で見たロケットの出来を見れば、それは明らかだ」
一呼吸置くと、フォンブラウンは再び口を開く。
「日本軍からは人工衛星の打ち上げ計画を打診されている。遠からず人を宇宙に上げるつもり、とも」
「そこまで……」
「祖国でもない高度な計算機。あれをはるかに超える物も日本人は完成させているらしい。近々、ここでも使えるようになる」
「……」
「祖国に戻っても、与えられるのは不自由さと軽蔑の視線と、ここより劣る開発環境だ。それでも戻ると?」
技術者の答えは一つだった。
そして、そんな反応はロケット技術者だけではなかった。これに加え日本側の妨害工作もあって、ドイツ側の目論みは躓いていた。
ただし日独の技術交流などはトルコなどの第三国経由で行われていた。特に三菱財閥はナチス政権後のことも考慮し、ドイツ財界との結びつきを強めようとしている。
「未来知識で再現できないことはないが、一から再現するよりはドイツから入手したほうが効率が良いものもある」
技術交流について反対する声もあったが、夢幻会はそう結論づけて三菱の行動をバックアップした。
ドイツ側も、日本との窓口として技術交流を支持していた。そしてドイツ財界の中にはナチス政権が崩壊した場合に備えた保険の一つとと捉えて、この交流を支持する者も少なくなかった。ナチスと深い関係を持ち、強制収容所から徴用した労働者に強制労働を強いて富を得ているギュンター・クヴァントも、この動きに関わっていた。
しかし技術交流をしているからと言って日本の技術をすべて手に入れられる訳ではない。故に大きな差をつけられる分野も存在し、そして今回はその大きな差をつけられた分野でドイツ空軍は戦うことになったのだ。まぁ自業自得ではあるが……。
「いや、まだ負けると決まった訳ではない。それにイランに送ったのは我が軍でも選りすぐりの精鋭だ」
ゲーリングはそう言って己を奮い立たせる。
実際、Me262は強力な戦闘機だ。第一世代のジェット戦闘機としては名機と言っても良いだろう。良い意味で歴史に名を残す可能性を秘めた機体だ。
その機体を、ドイツ空軍の精鋭たちが操るのだ。イギリス空軍が相手なら互角以上に戦いうる力を持っている。
しかし今回ばかりは、あまりにも相手が悪かった。
ゲーリングは、この世には自分の想像の埒外にある存在があることを、この演習で思い知ることとなる。
提督たちの憂鬱外伝 戦後編18
西暦1945年5月11日。
インド洋演習から遅れること6日。イランにおいて欧州枢軸軍による大規模な演習、通称『イラン演習』が開始された。
ドイツ陸軍、空軍が中心となったこの演習では、まずドイツ軍ご自慢の装甲師団がその威容をイラン要人や招かれた取材陣の前で披露した。
X号戦車、Y号戦車の威容、この強力な戦車が鹵獲したソ連戦車を演習場で粉砕する光景を見たイラン帝国皇帝以下、イラン政府首脳は嘆息する。
「さすがは世界に冠たるドイツ陸軍ですな」
イラン帝国陸軍の軍人たちは口々にそう褒め称えた。
これに対して、イラン演習の責任者として現地に赴いたドイツ陸軍元帥フリードリヒ・パウルスは通訳を介して聞いたイラン側の反応に満足げにうなずく。
「我が軍の精強さを理解していただけたようで幸いです」
パウルスはそう言って優雅にうなずいた。元々、パウルスは洗練された礼儀作法を持ち、貴族の出身ではないにも関わらず『殿下』とあだ名をもつ人間であったため、その姿勢は自然なものだった。まぁその優雅さと出自、高い能力がゆえにヒトラーに気に入られ、出世できたのだが……。
そんな彼らの上空に、ドイツ空軍ご自慢の戦闘機が複数現れる。
メッサーシュミットBf109G、フォッケウルフ Fw190D、そして烈風と互角に戦えるとされるドルニエDo335。
まるで最新鋭機の見本市のようであり、この鋼鉄の猛禽たちのダンスを見ていたイラン人たちは、ドイツ空軍の実力が決して侮れるものではないことを改めて理解する。
だが日本が保有する切り札『富嶽』に対抗するには、まだ足りないと思う者もいた。『富嶽』と『原子爆弾』の組み合わせは日本と敵対する陣営に所属する者たちにとっては頭痛の種である。加えてイランは海に面している。それはつまり、日本海軍空母機動部隊によって攻撃されることも想定しなければならない。
さらに頭が痛いことに、目と鼻の先には英軍と英国の影響下にあるサウジアラビアまである。日英が手を組んで飽和攻撃をされたら、富嶽の迎撃どころではない。
(首都上空に一度侵入を許せば……あのメヒカリで起きた惨劇が再現される)
メヒカリで何が起きたか、そして現地の住民がどんな目にあったかについてイラン首脳で知らない人間はいない。
自国の首都がたった一発の爆弾で消滅する……それは為政者にとっては悪夢そのものであり、恐怖でもあった。そしてその恐怖はインド洋演習でさらに強まった。空母で運用が可能できる強力な新型戦闘機『疾風』。従来のソレとは一線を画すその戦闘機の存在は、海に面するイランにとっては重大な脅威でもあった。
そして今の日本の首相は強硬派とされる海軍軍人・嶋田繁太郎元帥だった。敵対したアメリカ合衆国、中華民国を冷徹に、徹底的に追い詰め亡国に追いやる姿勢を見れば、欧州枢軸と手を組んだイランが日本と敵対すればどんな姿勢を示すかなど考えるべくもない……それがイラン政府の考えだった。
そんなイラン政府の杞憂を理解しているとばかりに、パウルスは切り札をお披露目する。
「日本がジェット戦闘機を開発したように、我々も同様の機体を開発しました」
その言葉を合図にしたかのように、彼らの上空にレシプロ機が飛来した時とは全く異なる音を響かせながら、主賓が飛来する。
「おお……」
「あれが、我が国のジェット戦闘機、Me262……『シュヴァルベ』です」
Me262『シュヴァルベ』。夢幻会が知る世界においては、第一世代戦闘機の代表格であり、一部の人間には『ドイツ軍脅威のテクノロジーの象徴』のような扱いをされるソレは、先ほどまで空を飛んでいたレシプロ機とは違う力強さを持っていた。
「あれがあれば、富嶽でも容易に撃墜できます」
パウルスはそう断言した。
「最新鋭機なのでまだ十分な数がありませんが……いずれはイラン帝国空軍がこの機体を配備できるようにすると総統閣下は仰られています。精強な同盟軍が中東にあれば、我々も安心できますので」
「おお、それは心強い」
そんなやり取りが地上で行われていることなど露知らず、Me262のパイロットたちはこの新世代の機体の性能に胸を熱くしていた。
「何度、乗ってもこの機体の加速性、高速性は段違いだな」
今回の演習においてMe262を運用する第44戦闘団の司令官として、そしてMe262の搭乗員として参加したアドルフ・ガーランド中将は笑みを浮かべた。
ガーランドはゲーリングとは犬猿の仲でありながら、ゲーリングが主導したMe262開発に協力し、この迎撃機の配備に尽力した。もともと空軍上層部と仲が良くなかったものの、さしものゲーリングも富嶽と原爆という脅威を前にしてはガーランドの助言を無視できなかった。いや、むしろゲーリングは多少耳に痛くとも彼の助言を受け入れた。
「これだけの機体を早期に配備できたのも、熟練の搭乗員を集められたのも、上が危機感を持ってくれたからだな」
第44戦闘団はドイツ空軍から可能な限り優秀な搭乗員をかき集めて編成されたドイツ空軍の切り札たる存在だった。
司令官はアドルフ・ガーランド中将、そしてその配下にはヨハネス・シュタインホフ、ゲルハルト・バルクホルン、ヴァルター・クルピンスキー、ハインツ・ザクセンベルク、ハンス・ヨアヒム・マルセイユといったエースパイロットたちが集められていた。
「白い流星の集団で殺しに来るのかよ」
夢幻会の何人かが、そんな感想を述べたほど豪華なラインアップだった。ただ疾風や旭光などの次世代の軍備があれば十分に対応できると判断する人間も多かった。
また一部の人間(具体的に言うと倉崎翁)は「なら、次世代戦闘機の開発を急がなければ」などと不穏なことをのたまい、各所のマッドを巻き込みつつ、怪しげな笑みを工廠の一角で浮かべる始末だった。
まぁあまり暴走されても困るので、嶋田と杉山などの良識派(自称)はガス抜きと将来の搭乗員確保、それに技術者の育成のために人力飛行機コンテストの開催を考えていた。
「技術の蓄積は必要だ。だが技術者に好き勝手にやられたら堪らん」
疾風についてはうまくいったが、技術者の暴走が常によい結果をもたらすとは限らない……同じ技術畑出身だったが、嶋田は頭痛をこらえて、そう判断していた。
だが同時に嶋田たちはドイツ人の底力を決して侮ってはいなかった。技術者の手綱を握りつつ、更にドイツを突き放す準備も進めている。ドイツ人が内実を知れば「どこまでやる気だ……」と言うこと間違いなかったが、本人たちは「それさえ不足かも?」と思っているのだからどうしようもなかった。
ガーランドはそんな実情を知らなかった。だが彼はドイツ空軍の対応の速さに満足しつつも、それほど迅速に対応しなければならないほどの脅威となった日本軍に対抗しなければならなくなったという事実を前に複雑な気持ちとなった。
特に彼はBOBで日本軍が見せた驚異的な粘り強さ、そして侮りがたい性能を持った日本製戦闘機(九六式戦闘機)を目の当たりにしているだけ、危機意識は強い。
それが故にガーランドは、ゲーリングが勝手にセッティングした模擬戦に不満と不安を抱いていた。
(この機体は鈍重な爆撃機を仕留めるには向いているが……格闘戦には向かない。日本の宣伝が本当なら、厳しい戦いになる)
そしてこの四日後、彼の予感は現実のものとなる。
5月15日。日本海軍遣印艦隊はホルムズ海峡を越えて、半ば欧州枢軸のテリトリーと言っても過言でもないペルシャ湾に展開していた。
敵地の眼前で超大型空母『大鳳』を中心に威風堂々と展開する日本艦隊。まるで観艦式のような光景は、この時点でどの国が海洋の覇者であるかを示していた。
欧州枢軸海軍どころか、イギリス海軍ですら保有できない超大型空母。その威容は見る者、特に日本と友好関係にない者に目に見えないプレッシャーを与えた。
「我が国の海軍に、日本海軍並の艦船があれば、世界を征服できるな」
イラン演習を見に来ていたドイツ海軍少将エーリヒ・バイは参加している日本艦隊の規模を聞くと、そう言ってため息をついた。
勿論、この将校でも自国海軍が日本海軍並の大艦隊をそろえるのが困難であることは分かっている。日本が海軍国で、ドイツが陸軍国である以上、海軍力で大きな水を開けられるのは当然ということも。しかしそれでも、今のドイツ海軍のお寒い現状を考慮すれば例え無い物ねだりでも、そんな言葉を零さずにはいられない。
「……それにしても、空軍の連中は勝てるのか?」
それはイランに派遣されたドイツ軍人が一度は呟いた言葉だった。
インド洋演習で披露された日本海軍の新型戦闘機『疾風』。その性能は日本の発表を信じる限り、『脅威』の一言に尽きた。戦前なら『誇張』と笑い飛ばすこともできたかも知れないが、これまでの経験からそんなことが出来る人間はドイツ軍にはいなかった。
「何とかドイツ空軍の意地を見せてもらいたいが……」
一方、ドイツの情報機関関係者は、疾風の情報を得るべく活発に動き回っていた。
特に模擬戦空域とされたホルムズ島、ララック島周辺空域を監視するために少なくない人員と機材を配置していた。
そして何かしら事故で日本機が墜落した場合は、搭乗員救助を名目に残骸収集を進める準備も進めている程だ。当然、そのことを予測していた日本側は周辺海域に艦艇を派遣して監視を行っていた。
「まるで死肉を狙うハイエナだな」
戦艦『鞍馬』艦長に任命された有賀幸作大佐は艦橋でドイツの動きをそう評した。
「独軍の妨害も考えなければならないのでは?」
「まぁドイツ人は条約破りに定評があるからな。警戒するに越したことはないだろう……何しろ、ちょび髭が名指しする二等民族に負けたら大ごとだからな」
この世界において、日本語訳されたヒトラーの著書『我が闘争』では、日本人の記述についても正確に翻訳されていた。
このため独逸語が読めない日本人でも、ヒトラーが日本人をどう捉えているかを知っていた。特に対独戦に備えて研究を重ねていた日本海軍ではヒトラーという人間がいかに日本人を蔑視しているかを嫌というほど理解していた。
「この模擬戦は世界から注目されている。絶対に落とせない戦であることを肝に銘じてかかれ」
山口は大鳳のブリーフィングルームで模擬戦にでる12名の搭乗員に直々にそう訓示した。
山口本人としては、この12名が負けるとは思っていない。集められたのは全員が教官クラスと言ってもよい。
杉田庄一、進藤三郎、岩本徹三、岩井勉、武藤金義、羽切松雄、磯崎千利、赤松貞明、笹井醇一、太田敏夫、奥村武雄、坂井三郎。全員が冬戦争、BOBまたは日米戦争で大きな戦果を挙げた者たちだ。彼らは古賀軍令部総長と山本海相、近藤GF長官、要するに海軍三長官の命令によって集められた。
万が一でも敗北は許されない上、何か予期しないトラブルが発生した場合に十分対処できる能力が必要と判断した3人は、強引な方法で彼らを集め部隊を編制したのだ。
そして全海軍の期待を背負っていることを12名の搭乗員もよく理解していた。
「お任せください。ドイツ人に目にものみせてくれます」
全体の指揮を任された進藤少佐は敬礼して、そう返した。
他の人間も表情で同意する。彼らからすればドイツ第三帝国という国は有色人種を奴隷のように扱う非道な国なのだ。戦前からナチズムを信奉して有色人種を蔑視し、戦争に勝ったら奴隷制を復活させ、有色人種を抑圧する……そんな国に負けて堪るかというのが共通した思いだった。
山口はこの反応に満足した後、付け足すように言う。
「情報によれば、相手には撃墜数が100を超える、あるいは撃墜された回数が極端に少ない強者ぞろいだ。情報部によればMe262の性能は我が軍の練習機並だそうが……それが独軍の擬態とも考えられる。心して当たれ。万が一でも、無様な真似をすれば……分かっているな?」
過酷な訓練を行うことで有名であり、その結果として『人殺し多門丸』とさえ言われた男の言葉を聞いた搭乗員たちは頷く。
「では、出撃せよ」
この命令を受け、12機の疾風は空母大鳳から次々に発進していった。ほぼ同時刻、同数のMe262もドイツ空軍基地を飛び立つ。
そして12機のMe262と12機の疾風は、5月14日の正午、ララック島近海上空で接触。模擬戦を開始。
史上初のジェット戦闘機同士の対決、そしてドイツ空軍、否、欧州枢軸諸国にとっては悪夢のような演目がペルシャ湾の上空で幕を開けることになった。
「日本軍の宣伝は誇張ではなかった、ということか!」
彼の視線の先にあるのは、疾風の速度と機動性で圧倒されるMe262の群れだった。
「連中はどんな化け物じみたエンジンを使っているんだ? いや、どんな機体構造をしている?!」
疾風のエンジンが推力3200kgを誇る倉崎<誉>軸流圧縮式噴進発動機。これに対しMe262のエンジンは静止推力900kgの軸流ターボジェットエンジン2基。このエンジン出力の差は速度面で大きな差を両者の間につけるのには十分だった。実際に疾風の最大速度は時速1100キロを誇り、片やMe262は870キロ。両者の間には200キロ以上の速度差があり、さらにMe262は双発機であるが故に旋回性能も劣るところがあった。
「同じジェット機だというのに……いや、双発と単発の差もあるのか? どちらにせよ段違いだ」
Me262より機敏に動き回る疾風(さすがに単発のレシプロ機には劣るが)を見て、彼我の差をガーランドは理解する。
ガーランドにとって更に頭が痛いことにMe262は低速からの加速力が低い。一度でも、高度と速度を失えば、疾風の前に鴨になるしかない。勿論、ドイツ側のエースパイロットたちは簡単にそんなポカをするような人間ではなかったが、速度と機動力、そしてドイツ軍に負けず劣らずの集団戦法で翻弄されれば、どうすることもできない。
戦闘機同士の戦いで速度で負けている以上は格闘戦を挑むしかないのだが……そもそもMe262にとっては格闘戦は鬼門だった。そして疾風は機体構造でもより洗礼されており、1対1ではどうあがいても勝ち目がなかった。
僚機からの支援要請を受けて、ガーランドも何とか割り込もうとするが、ガーランドの動きを察知した途端に眼前の疾風は、素早く離脱を図る。
「ちっ!!」
しかし今のMe262では追いかけることも出来ない。追いつくことも出来ないからだ。
これだけでも差があっても、最初の一撃でドイツ側が全滅判定を受けなかったのは、ひとえに幸運と、彼らのこれまで戦場で磨き抜かれた嗅覚のたまものだった。
「アメリカ人がハワイ沖で完敗する訳だ」
ドイツが受け入れた旧アメリカ海軍軍人の中には、ハワイ沖で生き残った搭乗員もいた。
そしてガーランドはそんな彼らから、日本海軍が如何なる相手かというのを散々に聞かされた。空軍上層部の中にはいささか誇張が入っているのではないかと述べる者もいたが、ガーランドはアメリカ人が言っていたことが嘘偽りのない事実であったと今更ながらに痛感させられた。
「アメリカのF4Fが烈風に歯が立たなかったように、この機体では、奴らには勝てない。まだレシプロ機で戦ったほうが勝ち目がある」
ガーランドは性能差に加え、相性が悪すぎた……と判断した。
戦闘が開始されて僅か4分。ドイツ側で撃墜判定が出ていないのはガーランドを含めた2機のみ。翻って、日本側で撃墜判定が出たのは皆無。勝敗は明らかだった。
「……もしも日本軍がこの化け物を量産すれば」
ガーランドは、量産された疾風が押し寄せる光景を一瞬想像すると背中に冷たい汗が流れるのを感じた。
そしてもう一度、我が物顔で飛ぶ疾風を見る。そこには太陽の光を反射させて、空を切り裂くように飛ぶ銀色の異形の航空機があった。
ガーランドがこれまで見たことのない形状と性能を持った機体。如何なる研究によって生み出されたか定かではないが、確かに、『ソレ』は彼の前にあった。
ドイツ空軍の搭乗員に確実な『敗北』と『死』を齎すであろう異形の死神。しかしそれをガーランドは不思議と醜いとは感じなかった。
「……美しい、願わくば私もあのような機体を操ってみたいものだ」
その直後、ガーランドの機体は4機の疾風に包囲され、撃墜判定を受けることとなる。
「5分もしないうちに、全機が撃墜されただと?」
沿岸に設けた天幕で報告を聞いたパウルスは信じがたいとばかりに目を見開き、唖然とした。そしてすぐにドイツ空軍から派遣された将校に詰め寄る。
「これは一体どういうことだ!?」
ドイツ陸軍の精強さをイラン側にアピールできたのに、この模擬戦で台無しにされたパウルスからすれば当然の声だった。
制空権の有無が戦争を左右する。それは先の戦争で明らかになっている。にも関わらず、イラン政府の眼前で行われた模擬戦での醜態……下手をすればイラン側が日本側に靡きかねない。いや靡かないでも、ドイツの力量に対して疑問を持ちかねない。それはドイツの中東戦略に打撃を与えるだろう。
それ以上に、現状のまま仮に日本と衝突するような事態があった場合、ドイツは制空権を握れないのが明らかになったことも、大きな問題だった。どんなに強力な戦車でも制空権がない戦場では標的となる。ドイツ陸軍将兵は東部戦線でソ連軍戦車を良いように吹き飛ばされるのを見ているのだ。あれと同じことが自軍で起こるかもしれないと考えれば、真っ青になるのは当然だった。
「そ、それは」
詰め寄られた空軍士官も、目の前で起きた事態に頭が追いついていなかった。
「に、日本軍が喧伝していた疾風の性能に、こ、誇張が全くなかったということかと」
「……それ程までに、日本の疾風は化け物だと?」
「詳細は、ガーランド中将から聞くしかありませんが、この結果を見る限りは、恐らくその通りかと」
他の空軍士官たちはあまりの結果に頭を抱えた。
(あんな化け物に暴れまわられたら、打つ手がない。あの化け物戦闘機が富嶽の護衛につけばどうすることも出来なくなる。それどころか沿岸を航行する日本艦隊を攻撃することさえ困難になりかねない)
片や日本艦隊では、文字通りのパーフェクト勝利に沸き立っていた。
「とりあえず、上から指示された仕事は果たしたな」
伊吹の露天艦橋で帰還してくる疾風を見ていた栗田はそう言って胸をなでおろした。
彼我の実力差を考慮すれば敗北することはないと判断するところだが、歴史というのは時に思いもよらぬ動きを見せ、創作よりも遥か斜め上をいく展開が起きることがあるということを学んだ転生者たちは内心で不安を抱えていたのだ。
(だが少し時間が掛かった……ふむ、性能で劣るとはいえドイツ人が死にもの狂いで抵抗すると手痛い目にあうということか)
回りが勝利に沸く中、栗田は次の展開を考えていた。
(この模擬戦で触発されたドイツ人は、莫大な予算と人員を投じてでも疾風に対抗しうる新型機を配備するだろう。それに備え可能な限り相手を圧倒できる戦力を用意しておかなければならない。未来が分からなくなった以上、保険は必要だ)
全く浮かれる気配のない栗田。それはこの場にいる多くの夢幻会の人間に共通するところだった。
史実の知識が使えない全く未知の歴史に突入したという事実は、夢幻会の人間たちに少なくない心理的影響を与えていた。
「力を、我らの前に、祖国の前に立ちふさがるであろうあらゆる困難を退け、前に進めるだけの力を」
彼らはそう欲していた。
裏切り者であるはずのイギリスと再び手を組むことを平然と行っていると思われる夢幻会であったが、転生者たち、特に国家戦略に影響を及ぼせる立場にいる者たちは裏切りと孤立を味わったが故に、そしてこの世界の歴史が全く未知のものとなった、つまり史実という『夢』が終わり、残酷な『現』が始まったが故に『力』を追い求めるようになっていた。それが意識してのものか、それとも無意識のものなのかは人によるが……方向性は同じだった。
「何はともあれ、胸を張って帰れるな」
同時に栗田は「これからも、こつこつと実績を積み重ね、上に覚えてもらってGF長官の座を……」などと密かに野望に燃えていたが。
何はともあれ、この日本側完勝のニュースは即座に世界中に報道されることになった。
勿論のことだが、日本側勢力圏では拍手と歓声があがり、誰もが日本海軍航空隊の精強さを賛美した。一部の新聞は国民に冷静さを保つように呼びかけたが、やはりドイツ第三帝国の新鋭機相手に完全勝利を得たという事実は人々を浮つかせるには十分すぎた。
「世界に冠たる皇軍!」
「無敵皇軍!」
ただし、天災続きということで国内の整備を優先するという現政権の方針を覆そうとする者はいなかった。
大西洋大津波や東南海地震などの日本本土で頻発する天災、そして夢幻会主導で行った防災キャンペーンは、対外戦争を求める声を抑制するには十分だった。
「とりあえず、国民が静かなうちに国内の整備を急ごう」
冷静な日本政府関係者は一様に安堵し、次の手を打つべく動き出す。
一方、顔面蒼白になっているのがドイツ第三帝国だった。
「完敗、だと?」
Me262が一矢も報いることができず、敗れたという報告を司令部で聞いたゲーリングは信じがたいとばかりに目を見開き、何度もその真偽を確認させた。だがその情報が真実であると聞くと、肥満体の国家元帥は茫然自失となった。
「馬鹿な、そんな馬鹿な。では奴らは、本当に宣伝通りの化け物を作り上げたというのか?」
虚ろな表情でそうつぶやくゲーリングに、追い打ちがかけられる。
「そうか……総統閣下から……」
そう、ヒトラーからの総統官邸への呼び出しだった。
「何と言い訳すればいいか」
顔面蒼白なまま、重い足取りで司令部から出ていくゲーリング。
それはまるで夢破れた敗残兵のようだった。
あとがき
提督たちの憂鬱外伝戦後編18をお送りしました。
ゲーリングの受難の始まりです。疾風完勝の影響については次回以降で。
ドイツ海軍はこれで空母を手に入れられるでしょう……空母のコンペをするかどうかで悩みますが。
やったとしても、ドイツの懐事情から考えてかなりシビアなものになりそうですけど……。
さて、相変わらず拙作ですが最後まで読んでくださり、ありがとうございました。
戦後編19でお会いしましょう。