インド洋演習で日本が画期的な新型戦闘機を披露したという情報は、日英だけでなく世界各国に齎され、様々な反応を引き起こしていた。
 日本が発表した疾風の性能(勿論、大まかなものだが)を見聞きした人間の多くは、当初は「幾らなんでも盛り過ぎだろう」と考えた。何しろ発表された疾風の性能は従来の戦闘機を軒並み旧式戦闘機にするものであった。
 それでいて疾風の大きさは大戦時の爆撃機並の大きさもある。つまり爆撃機並の大きさがある機体が、時速1000キロを超えて飛べるというのだ……日本の発表を鵜呑みにするなら。

「ドイツを威嚇するためのブラフだろう」

 あまりに常識離れした性能を聞いた人間(特に一般市民)の中には、そんな感想を抱く者さえいた。
 しかしそれもニュース映像で従来のレシプロ機(英国戦闘機)が全く歯が立たなかった様子が公開されると「少なくとも従来の戦闘機では勝てない新型機らしい」との認識が広がることとなった。
 百聞は一見に如かず。英軍自慢のスピットファイアを赤子の手を捻るかのように扱う映像を見れば、どんな頑迷な人間も己の認識を変更せざるを得なかった。
 ソビエト連邦では「また日本か!」との声があがり、ベリヤは日本国内における情報収集活動の強化を命じた。
 そして疾風のことを過小評価していたドイツ空軍の親玉・ゲーリングは、情報部が集めた疾風についての情報を聞くや否や自分の認識が甘かったことを理解し、大した運動をしてもいないのに大いに汗を流すこととなった。

「なぜだ、なぜ、あの極東の猿共が……日本人はやはり、黄色い猿とは根本的に別物として考えるのが正しいのか? いや、今は模擬戦のことを考えるべきか」

 無い無い尽くしの中、自分が必死に予算と資材を集め、技術者のケツを叩いて作り上げたMe262を凌駕するかも知れない戦闘機を日本人があっさり作ったという事実を前にしてゲーリングは執務室の机で頭を抱えた。

(最高速度などは多少、誇張が入っていると考えても、あの運動性能は……)

 モルヒネ中毒のゲーリングでも、相手の機体が尋常ならざるものであることが映像から分かる。それゆえにゲーリングは悩んだ。
 何しろ、イランではあの新型機を相手に演習をしなければならないのだ。しかもその演習の実施はゲーリングがヒトラーに進言したこと。
 あの演習で無様な敗北を喫することがあれば……ゲーリングといえどもただではすまない。「どうすれば良い?」と自分に問いかけるゲーリングだったが簡単に名案が浮かぶようなら苦労はない。
 そして苦悩するゲーリングは、ヒトラーに呼び出され、更に冷や汗を流すことになる。

「ゲーリング、日本の新型機はかなりの強敵のようだが?」

 総統官邸の主の執務室に響く、主の甲高い声。

「日本の新型機は初期の想定を超えるものであるものでありましょう。ですが、そうそう簡単に負けるつもりはありません」
「ほう?」

 ヒトラーが「虚偽は許さん」とばかりに睨みつける。
 その冷たい視線を受けた肥満体の国家元帥は、脂汗が背中を伝うのを感じた。

「まぁよかろう。次の問題は、あの新型機が軽空母でさえ運用できるということだ……連中はあの高速機を、好きな時に好きな場所に送り出せる。これは我々にとって重大な脅威となる」
「沿岸防衛のために、空軍はMe262の配備に加え、新型機開発を急ぎたいと思います」
「問題は大西洋、いや正確には新大陸のことだ」

 ヒトラーはそう言ってレーダー元帥に目を向ける。

「ジェット機を運用する日本軍空母部隊が、大西洋で暴れた場合、海軍に対抗する手段はあるかね?」

 このヒトラーの言葉に海軍関係者、特にレーダー元帥は顔面蒼白だった。
 彼らが考えていた対空戦闘というのは、あくまでレシプロ機相手のものだった。つまり、精々がハワイ沖やフィリピン沖での戦いと同レベルのものと想定したものなのだ。
 ここで仮にジェット機という規格外のものが導入された場合、彼らの計画は大きく修正を余儀なくされる。何しろ根底が狂うのだ。

「どうだね、元帥?」

 ヒトラーの機嫌が急激に悪くなっていることを悟ったレーダーは、日本軍と太っちょの国家元帥を呪いつつ、口を開く。

「現状では日本海軍どころか、イギリス海軍の空母部隊が暴れるだけで危機的状態になります。インド洋演習の様子から、イギリス王立海軍は弱体化したとはいえ、十分な戦闘力を保有していると判断できます。イギリスと本格的に戦うのであれば、改ビスマルク級に相当する戦艦、それに正規空母がそれぞれ6〜8隻、そしてそれを護衛する艦艇が必要になると考えています。日本とも本格的に戦うのなら、量に加え質の面での向上が必須となります」

 ドイツ海軍がかつて夢見たZ計画。それを完成させても、尚、日本海軍に届くか怪しい……悲しいことであるが、それが独海軍の見解であった。

「同盟国の海軍は?」
「相手は豊富な経験やノウハウを持ち、更に日本語によって統一された命令系統を持つ日本海軍連合艦隊です。それに今は関係が悪化しているとはいえ、イギリス海軍は日本海軍と共同作戦を実施した経験もあります。それに対し、我々は同盟国の海軍と共同作戦をした経験に乏しく、運用面でも劣ると言わざるを得ません。いち早く空母を完成させたイタリア海軍でもジェット艦載機の運用には相当の時間が必要になると思われます」

 ヒトラーが苛々しているのが誰の目にも分かった。しかしそれでもレーダーは止まらない。

「また我が国の場合、空母を完成させたとしても、空母艦載機や搭乗員の問題があります」

 ゲーリングが海軍航空隊の発足に抵抗することは目に見えていた。

「船酔いするような搭乗員が、空母艦載機を操れるわけがないだろう!」

 かつてレーダーは海軍総司令部でそう吐き捨てるほど、海軍航空隊の編成、ようするに海軍が運用するのに適した機体や搭乗員の確保は深刻な問題だった。
 それゆえにヒトラーはある『賭け』をゲーリングに切り出すことを決意する。

「ゲーリング。君は海軍航空隊の編成に未だに反対かね?」
「そ、それは……」
「……よろしい。ならば君の見識の正しさを証明したまえ。イランの演習、いや日本海軍との模擬空戦でだ」

 ここでゲーリングはヒトラーがなにを言わんとしているかに気付く。

「ま、まさか、総統……」
「そうだ。イラン演習の模擬戦でルフトバッフェが勝てばよし。負けた場合は……海軍航空隊を海軍の管轄の下で速やかに編成する。勿論、君にも『全面協力』してもらうぞ」
「そ、総統、それは……」
「何をためらう必要があるのかね? 君が自信をもって送り出したのだろう? 私は君の判断を信頼して、模擬戦を申し込んだのだが」

 ここまで言われて拒否できる余地はゲーリングにはなかった。
 同時にイランで無様に敗北すれば、失脚もありえると彼は考えた。何しろ模擬戦で無様に負けるようなことがあればヒトラーの顔に泥を塗ることになるのだ。

(ぐ、絶対に負けるわけにはいかん。何が何でもだ)

 だがヒトラーはゲーリングだけに無茶振りをするつもりはなかった。

「レーダー元帥、仮に不本意なことにルフトバッフェが敗北した場合、空軍と協力して海軍航空隊を編成するのだ。空母の予算についても一考する」

 これに慌てたのが軍需大臣のシュペーアだった。何しろ空母はとびっきりの金食い虫。それ単独だけでなく、護衛に必要な艦艇の整備も考えなければならないのだ。

「総統?!」

 ドイツが今必要なのは輸送船であり、それを護衛するための艦艇や航空機だった。
そのことを誰よりもよく理解しているシューペアは総統に異議を唱えようとするが、ヒトラーは「分かっている」と言い、シューペアを黙らせた。

「別に正規空母を建造する訳ではない」
「……では?」
「客船または輸送船を空母に改装するのだ。日本海軍では同様の艦があったはずだ」
「現状で、有力な輸送船を空母に転用すると?」
「やむを得ん。仮にイランで無様に負ければ枢軸各国にも動揺が広がるだろう。何かしらの対応が必要になる。急造とは言え、空母を手にすれば多少のカードになる。たとえその内実が実験艦であってもだ」

 さしものヒトラーもビスマルクで痛い経験をしたため、いきなり大鳳を超える空母を作れとは言わなくなっていた。

(しかしこうなると、自由フランス残党が持っている船舶を接収し損ねたのが痛いな……)

 自由フランスは崩壊し、一部の希望者はヴィシーフランスに合流した。だが帰れなかった者は、自由フランスの資産を持ったまま日本に亡命した。
 その数はわずかであり、大した脅威にはならないとヒトラーは思っていたのだが……振り返ってみると取り逃がした得物は実は大きかったのではないかと思うようになった。

(日本はあの連中を巧みに取り込み、利益を稼ぎ出しているという……相変わらず油断も隙もない)

 一瞬だけ苦い顔をした後、ヒトラーはゲーリングに改めて言い放つ。

「という訳だ。ゲーリング、期待しているぞ」

 こうしてドイツはイラン演習に向けて準備を加速させた。



           提督たちの憂鬱外伝 戦後編17



 かつてアメリカ合衆国と呼ばれた国があった地域は日本、イギリス、ドイツと言った列強諸国によって分割統治され、アメリカ風邪によって汚染されたと判断された東部地帯は封鎖されていた。
 滅菌作戦と呼ばれる無差別爆撃が行われ、原始時代に戻りつつある旧アメリカ合衆国東部地域……しかしかつてそこに住んでいた住民は全員が死んだ訳ではなかった。
 旧連邦政府、正確にはシカゴに拠点を置いていた暫定政府が機能していた間に内陸に脱出することができた住民も相当数いたのだ。また列強に東部を封鎖される前に脱出することが出来た者たちは少なからず存在していた。
 しかし命は助かっても、旧東部の住民は生活の術を失った。
 さらに彼らが逃げ出した先に住んでいたかつての同胞は、逃げ込んできた彼らをあまり歓迎しなかった。そして連邦が崩壊した後は、難民を排除する動きが活発化した。

「厄介者」

 それが元同胞から旧東部出身者に突き付けられた評価だった。
 旧東部の住民はその冷たい扱いに抗議したが、元同胞は聞く耳を持たなかった。

「俺たちだって余裕はないんだ!」

 アメリカ合衆国の崩壊は生き残っていた各州にも多大な影響を与えていた。
 何しろ戦争前に産業中枢があったのはほかならぬ旧東部。ここが事実上消滅したことで、経済は大打撃を受けていた。それでいて異常気象による凶作。
 戦前のことを考えると、信じられないような生活レベルの低下が起きている地域が多数生まれた。そんな状況で余計な食い扶持を抱える余力などなかったのだ。
 テキサス共和国では軍務経験がある者はテキサス陸軍が治安維持や防疫任務のために編成した二線級部隊に編入された。軍務未経験者のうち、軍務に耐えられる と判断された人間は軍に、適正なしとされた者で労働に従事できる人間は奴隷と共に過酷な労働に従事することとなった(奴隷よりは余程マシな待遇だったが)。勿論、一部の技能持ちは相応の地位を得ることが出来たが、大半の人間はテキサス出身者の下に置かれた。
 この措置によって多くの悲劇が生まれることもあったが、それでも働ける者たちはまだ幸福だった。働くこともできない人間については劣悪な難民キャンプに放り込まれる事態が頻発した。だが北米の現状を考えると難民キャンプに放り込まれるのもまだマシなほうで、封鎖線が機能してからはテキサスに向かってくる難民はアメリカ風邪のキャリアーと見做されて問答無用で射殺されるのが当たり前となっている。つまり生きていられるだけでも『まだ』マシと言えた。
 かといって衛生状態がよくない難民キャンプに放り込まれた者が「自分が幸せ」と考えることなどない。
 雨をしのぐテントこそあっても、服も食べる物も満足にないキャンプ生活に幸せを感じる者はそう多くない。たとえあの地獄を経験したとしても、地獄から脱出した先で邪険にされ、明日への希望もない生活を送る日々が続けば、どんな人間でも荒んでくる。

「何で、俺たちがこんな目に合うんだ……」

 そんな彼らに対し、生活用品や食糧を提供するテキサス側の人間が旧東部出身者であることが、彼らの心情をより複雑にさせる。

「配給の時間だ。さっさと並べ」

 聞きようによっては傲慢さを感じられる口調で、難民たちを並ばせている東部出身の若い兵士に、様々な視線が注がれる。
 ある人間は羨望を。
 ある人間は嫉妬を。
 ある人間は憎悪を。
 逃げ延びた新天地で必要ではない人間と烙印を押され、苦難の日々を送る人々からすれば、たとえテキサス軍において使い捨ての駒扱いされる部隊の兵士であってもそれは自分たちよりもマシな人間なのだ。
 当然、自分たちもよりマシな待遇を得ようとして、足掻く者も現れる。その足掻きがよい結果を生んだかどうかは分からない。だが噂だけは流れる。
 誰某は、自分の妹をテキサス軍の将兵に差し出してその地位を得た。
 誰某は、旧東部で資産家の老人から強奪した貴金属で地位を買った。
 誰某は、旧連邦の機密情報を売り渡して、テキサス政府から報酬をせしめた。
 流れる噂はどれもろくでもないものばかり。普通なら一笑にするような噂でも、精神的に追い詰められている人間には覿面だった。
 そしてそんな碌でもない噂が流れ、自分に対して冷ややかな目を向ける人間がいることを、旧東部出身のテキサス軍兵士は理解している。それがゆえに兵士たちはますます元同胞に対して隔意を抱くのだ。それがテキサス軍、より正確にはドイツ軍の意図するところとも知らず。

「これで旧東部住民が一致団結して反乱を起こすことはないな」
「西の連中に支援を受けた先住民に後れを取るような、警察に毛が生えた程度の連中だが、まぁこの程度のことはやってもらわないと」

 配給場所からやや離れた場所に止められた車の中で様子を見ていた2人のドイツ陸軍の将校は、安堵するように息を吐いた。

「しかしポーランドでやっていることと同じことを、ここでやる羽目になるとは……」
「仕方ない。ここは大西洋を隔てた新大陸。弾薬や兵員は容易に補充できん。一時よりは好転したが……」
「人員補充の名目で問題児を押し付けられなくなったのは良いことかと」
「……まぁそれは否定できないな」

 テキサス共和国。北米大陸に対するドイツ第三帝国の橋頭堡となっているこの国に配備されるドイツ軍部隊は精鋭ではあるが、数は少ない。
 その表向きの理由は『北米での緊張を高めないため』とされているが、本当の理由は大軍を置いてもドイツの力ではそれを支えきれないことにあった。実際、現状の戦力でも大西洋を越えて補給を行うのは大きな負担だった。
 ちなみに、かつてはドイツ本国でも持て余した問題児を放り込み、旅団規模の特務部隊を編成して反抗勢力の掃討に投入したこともあったが……その結果は『色々』な意味で悲惨なことになったため、ドイツ側も北米に展開する部隊の選抜には気を配っていた。

「まぁ後始末が面倒だったが、あの連中が暴れたおかげで周辺地域をうまく傘下に収めることができたのだからよしとするか」
「我が国の再建には、北米からより多くの富を吸い上げる必要があるからな……まぁそれを考えると、もっと補給が欲しいところだが」

 現在のドイツにとっては欧州以外から富を収奪できる場所として北米は重要である。よって一定の勢力圏を得た後、駐留するドイツ軍への補給は細心の注意をもって行われていた。
 だが現地の将校からすれば、本国が大西洋を隔てた遥か彼方というのは十分に恐ろしいものがあった。増援や補給物資が到着するまでの時間は長くなるし、その増援や補給物資が乗った船の護衛を貧弱で碌な実績もない自国の海軍に頼まなければならない。これまでの戦いで港にこもってばかりだったドイツ海軍水上艦艇を見てきた陸軍将校たちからすれば、「本当に大丈夫か?」と心配するのも当然だった。

「イタリア海軍に護衛を頼んだほうがまだ成功する確率があがるのでは?」
「彼らは地中海の覇者を気取って、積極的に外洋に出るつもりはない。フランス海軍は、カナリア沖海戦と津波の影響で頭数が足らん。まずは造船所の復興だ」
「はぁ……」

 何にせよ、心細い補給線はドイツ軍の行動をより消極的にするに足る物だった。

「……面倒事が起こらないよう、テキサス軍の統制も引き続き、慎重に行う必要があるな」
「テキサスのカウボーイ共は、力もないのに鼻息が荒いのが問題ですな」
「国内の不満を外にそらしたいのだろう。まぁ我々にも原因があるので、あまり強くは言えないがね」

 テキサス共和国の経済情勢はお世辞に言ってもよいものではない。
 テキサス共和国はドイツの威光と自身の軍事力を盾に周辺地域から搾取は続けていたが、宗主国であるドイツにある程度の貢物をしなければならなかったし、昨今の凶作で食糧価格は高騰したまま。加えて強圧的な態度を続けてきたため、衛星国にした北方地域でも摩擦や衝突も多発した。このためにテキサス共和国の内情は苦しいものであった。
 当然、テキサス共和国国民の生活も決して余裕があるものではなかった。いや、むしろ苦しいと言える。
 そしてそんな苦しい状況が続けば、政府への不満が募るのは当然の流れだった。まして西には自由と平和を謳歌するカリフォルニア共和国があるのだ。

「何で自分たちが苦しくて、連中だけが楽をできるんだ」

 そんな声が挙がるのも当然だった。
 当然、政府はそんな声に対し、いかに自分たちが努力して成果を挙げているかを声高に主張した。
 あの大津波や連邦崩壊によって多大な損害を被りながらも、逞しくもここまで復興したことを高らかに主張し、周辺の貧しい地域と比較して、いかにテキサスの国民が恵まれているかを説いたのだ。
 ちなみに経済的な問題については「アメリカ風邪の影響」、「異常気象の所為」などとと主張し、政策による負の影響など認めようとはしなかった。
 同時にカリフォルニア共和国の有力者には旧連邦の有力者が大勢いることを挙げ、「大戦争を起こした挙句に、財産と命欲しさに日本に国土を売り渡して暴利をむさぼる売国奴共」と批判してカリフォルニア共和国への敵意を煽り立てる。

「我々が苦しいのは、旧連邦の売国奴の所為」
「裏切り者と日本を相手に戦うためには、国民の協力が必要不可欠」
「我々が白人世界の防壁である!」

 そして日本がインド洋で画期的な戦闘機を発表してからは、テキサス政府はカリフォルニアと日本の脅威を更に喧伝し、自国民の更なる引き締めに奔走した。同時に彼らは更に高価な玩具(兵器)を宗主国たるドイツにねだっている。

「ですが間違っても最新の兵器は渡せませんな。国旗の件も考えると、あの連中は何をしでかすかわかったものではない」

 かつてテキサス共和国はハーケンクロイツを国旗の端に飾ることで、周辺地域(特に衛星国化した北部地域)に対して自国の優位性を示すと同時にドイツへの忠誠を示そうとしたのだ。
 他国から見て露骨な保護国化に見えるこの政策は、昨今の国際情勢から、さすがのドイツも認められなかった。ただ辛うじて国家社会主義テキサス労働者党(テキサス・ナチス)の党旗として使われることとなった。だがそこに至るまでの狂想曲は……良識ある人間にとってはまさしく黒歴史だった。

「要するに今まで通り、と」
「今のところはな。ロンメル閣下もそれを望まれている」

 そして彼らが乗った車はその場を後にする。
 このとき、彼らは知らなかった。自分たちドイツ人を冷ややかな目で見る者たちがいることを。
 旧東部出身が故に、ユダヤ人が故に、肌の色が白くない故に差別を受け、虐げられている者たちがどれだけ今の世界に憎しみを抱き、絶望を抱いているかを。
 そしてそんな追い詰められた人間が何に縋るかを、ドイツ人たちは考えていなかった。

「思いあがるな、異端者共が」

 狂気を帯びたその呟きは、誰にも聞こえることなく周囲の喧騒に掻き消されていった。





 会合の席で国際情勢、特に北米に関する分析が記された書類を読み終えた辻は軽く肩をすくめ、嶋田は軽く溜息をついた。

「いやはや、何というか」
「問題はあの手の宣伝が、今後、どのような影響を与えるかでしょう」

 嶋田からすれば、今のテキサス首脳部の姿は決して笑い飛ばせるものではなかった。そんな嶋田の態度を見て辻は姿勢を正す。

「テキサスは更に軍事予算を増額する可能性はあるでしょう」
「現状でも、かなり無理をしているはずですが?」
「ええ。全く無茶ですね。あまり無茶をやられると、防疫線維持に支障が出るのでやめてもらいたいところですが……」

 そういうと、辻は再び書類に目を移す。

「吉田さんの報告ではカリフォルニア共和国は、テキサスの姿勢に脅威を覚えているそうで」
「まぁ露骨に敵意を示していますからね。かと言って本格的に北米派遣軍を増強するつもりもないですが」
「露骨に日本軍を増やすと現地の白人勢力を刺激しますからね……それにあまり増強すると、追い詰められたテキサスが何をするか判ったものではありません」

 この辻の台詞に全員が頷いた。
 北米を舞台に第三次世界大戦など、誰もが願い下げだった。

「局地戦で収まる程度の代理戦争、そして経済戦争で物事を進めたいものです。総力戦は到底、割に合いませんから」

 辻は「国家総力戦など害悪でしかない」と嘯き、如何に経済戦に持ち込むかに腐心していた。

(戦場の地獄に若者を送るより、平和な社会で経済活動をしてもらうほうがよほどマシです。購買意欲の高い若者が金を使えば、それは巡り巡って誰かの収入になる。そしてそれが更なる消費を喚起し、経済を活性化させる)

「しかし我々が割に合わないと思っても、相手がそう思っているとは限らない。備えは必要だろう」

 近衛の意見に嶋田と杉山は頷いた。

「分かっています。ただ何も起きないことに越したことはありません。人間は追い詰められると無茶な行動に出ますから、その前に逃げ口を用意しておくことも肝心かと」
「海軍の意見に私も賛成する。何しろ陸軍はテ号作戦のせいで余裕がない。防疫線維持も少なくない負担になっている。現状で余計な衝突は回避するべきだ」

 陸軍は戦前よりも予算も人員も増やされたが、それ以上に守るべき範囲が増えたため、現状でのもめ事は御免だった。

「今のところは西海岸で空母部隊の演習、これが適当でしょう。疾風の実力がはっきりすれば、ドイツもテキサスの軽挙妄動は絶対に止めるでしょうし、場合によっては……イラン演習後にお披露目予定の『天山』を西海岸に展開させれば頭も冷えると思います」

 この嶋田の提案について誰も異議を挟まなかった。

「そして間をおかずトランジスタコンピュータが発表。これで連中は当面の間、より慎重に動かなければならなくなります。頭が回る人間なら、あれが暗号解読に使えることなどすぐに分かりますからね」
「……そして我々は必要な時間を稼げる、と。黄金よりもはるかに貴重な時間を」

 嶋田の言葉に辻は同意するように頷く。今のところ、夢幻会にとって何より欲しいのは時間だった。
 稲荷計画の遂行、次世代の戦争に備えた技術、新兵器、ドクトリンの開発、急速に拡大した勢力圏の整備、そして政府機構、軍の再編。
 どれも大きな問題であり、軽視できないものであった。これらの問題を腰を据えて取り組むためにも、夢幻会には、大日本帝国には時間が必要なのだ。
 だが問題が無いわけではない。インド情勢は依然として悪化を続けていた。悪化するスピードこそ多少は緩やかになったものの、破滅は時間の問題だった。
 そして嶋田は一連の報告の中に印度以外でも『無視しえない』問題があると判断した。

「北米におけるカルト宗教の乱立具合、そして旧東部出身者の待遇。中には当初の想定を超えたものもあります。気をつけなければならないでしょう」
「確かに。あの手の輩は手におえませんからね。鬱憤が溜まった旧アメリカ人が煽られてテロに走られたら堪ったものではありません」

 20世紀後半から21世紀初頭を知る会合の面々の脳裏には、カルト宗教に洗脳された人間によって都市部で行われる大規模テロの光景が頭に浮かんだ。

「何より、ドイツがそれを煽らないとも限りません。それに正規軍同士の大規模戦闘よりも、非正規戦が多発する可能性が高い以上は何かしらの対応が必要でしょう」
「……では西海岸諸国に梃入れを?」
「我々がいちいち部隊を派遣するより、彼ら独自に守らせたほうがよいこともあります。まぁ杉山さんとも話をする必要がありますが……」

 そう言うと嶋田は杉山に視線を送る。

「その手の人間を派遣して教導を行えと?」
「ええ。幸い、人型決戦兵器の育成は順調と聞きますし」

 『人型決戦兵器』という言葉を聞いて、出席者の多くは苦笑する。杉山でさえ、この表現を否定することはしなかった。

「船坂君のことか。まぁこれまでの成績を考えれば、人型決戦兵器と言われても違和感はないな」

 陸軍は史実の特殊部隊を模範とし、これまで積み重ねた経験を活用して様々な環境で戦うことを想定する特殊部隊の編成を進めている。
 当然のことながら、夢幻会は史実有名どころの人間も集めており、陸軍高官は「史実SASやデルタフォースとも互角以上に戦える部隊になる」と自負していた。
 そしてそんな事情を知るが故に、嶋田は軽口を叩く。

「東条さんなら『違和感が仕事をしていない』と表現するかも知れませんね」

 そんな冗談に対し、堅物の杉山でさえ「違いない」と笑った。
 何はともあれ、出席者はこの嶋田に意見に賛意を示す。

「なるほど、それなら色々な課題をクリアできますね」

 辻が感心したようにうなずくのを横目に、嶋田は話を続ける。

「今後、海軍も特殊部隊を編成する予定です」
「日本版SBS、いえSEALsですか」
「今後の世界情勢では、この手の部隊が必要不可欠ですから。それに欧州には色々な危険人物がいますし、対抗馬の整備は必須です」
「ああ。確かにいましたね。オットー・スコルツェニーとか。ああイタリア軍も侮れませんね。少数の勇猛な兵があげた武勲は目覚ましいものですし」
「あの手のチート人材の活躍は、話で読むと心が躍りますが、実際に相手にしなければならないと思うと気が重いですよ。おっと話が脱線しましたので、この辺りで」

 そういうと嶋田は脱線しかかった話を元の筋に戻す。

「スペインで起きた銃撃事件。あの事件も下手人が分からず、一部では日本の陰謀との声さえあります。これはあまり好ましくないかと」

 近衛と辻は真っ先に嶋田の憂慮に同意する。

「ユダヤ人陰謀論ならぬ、日本人陰謀論。これが本気で唱えられると些か拙いですな」
「我々は華僑やアカに非をすべて擦り付ける宣伝を行っていますが、完全に払しょくされた訳ではないということでしょう。特にスペインに対しては色々とやりましたからね」

 スペインを悲惨な目にあわせた筈の辻は、他人事のように言う。
 彼が主導した数々の策謀をスペイン人が知ったら激怒し、最悪の場合は憤死するかも知れない。だが幸いなことにスペイン人は真実を知らないため、怒りのあまり命の危機に陥ることはなかった。

「まぁイギリスはそのスペインの状況さえ利用して大量のスパイを送り込んでいるようですが」

 辻は皮肉を込めた口調で「さすがは世界に冠たる存在だった大英帝国。抜け目のないことで」と嘯いた。
 そんな辻の様子を見て、他の出席者たちは心を一つにした。

(((イギリス人も、お前だけには言われたくはないだろうよ)))

 そんな突っ込みを知ってか知らずか、辻は平然と話を続ける。

「ふむ。スペイン経済が困窮すれば、最終的には欧州諸国、特にドイツは支援せざるを得なくなり……ドイツの足かせにできます。うまくドイツとスペインの間に楔を打ち込めれば、もっと良いのですが」
「まさか、また何かを仕掛ける、と?」
「いえいえ、さすがにそんなことは出来ませんよ。それに我々が二度の世界恐慌で稼ぎまくったせいで、投機的な資金の流れを規制する動きが各国にあります。この状況で更に下手なことをすると本格的に反日感情に火が付きかねません」
「では、何もしない、と?」
「ええ。何もしません。ただしスペインがカナリア諸島に手を出す姿勢を続けるのをドイツが容認するなら……カナリア諸島の軍事拠点化も考慮しなければならない。その程度は言ってやっても構わないかと」
「日独から圧力を受けたスペイン人のストレスは天井知らずになりそうですね」
「スペイン人の負の感情が一部でもドイツに向けば僥倖ですよ。精々、ドイツには欧州の盟主としての役割を果たしてもらわないと」

 ドイツもカナリア諸島に日本軍のミサイル基地ができるようなことがあっては堪らないので、スペインを牽制するだろうと出席者の大半は考えた。しかし杉山は別の問題から懸念を表明する。

「ただカタルーニャ地方では独立派がいまだに燻っていると聞く。彼らが我々が輸出した武器で蜂起するようなことがあれば、ドイツが大人しく黙っているかね?」

 この世界ではスペイン内戦における敗者である左派の面々は、アメリカの間接支配を受けていたメキシコに脱出できなかった。
 このため敗者がスペイン国内に多数潜伏することになり、それがますますスペインの不安定化に拍車をかけていたのだ。

「我々がスペインに武器を流したのはサンタモニカ会談以前のこと、そう言い張るしかないでしょう」
「ドイツが納得すると?」
「させますよ。そもそも彼らは戦前、中華民国国民党にも武器を輸出していたのですから。何か言うならそれは彼らに帰ってきます」
「ふむ……そういえば国民党政府はどうするかね? あそこは重慶に引きこもり状態だが」
「無視しましょう。せいぜい、華北と華南の緩衝地帯の一部として機能すればいいのです」
「蒋介石は文字通り『お山の大将』というわけか」
「精々、言質を取られない範囲で崩壊しないように応援はしますよ。声援だけならただですからね」
「そうだな」

 会合の面々は蒋介石をあまり信用していなかった。
 むしろ、国民党が復活するようなことがあれば、再び自国の権益が脅かされかねないと考えており、現状維持を是とすることで一致した。

「日本人陰謀論については?」

 この嶋田の問いかけに対し、近衛は少し考える素振りをした後に口を開く。

「共産主義者の妄言、というのが適当では? ああ、もっと滑稽で、馬鹿らしい噂を流して信憑性を低下させるのも良いと思う」
「確かに対策になると思いますが……鬱憤を募らせたスペイン国民は共産主義も日本の所為にしかねませんね」

 嶋田が冗談半分で言い放った台詞を聞いた辻は苦笑いしながら口を挟む。

「ははは。嶋田さん、それは洒落になりませんよ。帝政ロシアを崩壊させ、ソビエト連邦を誕生させる遠因を作ったのは、ほかならぬ我々なんですよ?」
「確かに……しかし、それを考えると、日本人陰謀論というのは、あながち的を外していないことになりませんか?」
「「「……」」」

 この日、夢幻会最高幹部の面々は改めて、未来の子孫に様々な警告を残した先人の偉大さを実感した。

「『因果応報』……と」
「「「はぁ〜」」」

 こうして帝都の夜は更けていった。





 あとがき
 お久しぶりです。
 提督たちの憂鬱外伝 戦後編17をお送りしました。
 拙作で4か月近く更新まで間があったにもかかわらず、最後まで読んでいただきありがとうございました。
 戦後編17はイラン演習までの閑話のような話でしたが、次回はイラン演習に入りたいと思います。
 いや、本当に戦後編が完結するまでどれだけかかるのやら……。
 それでは次回の戦後編18でお会いしましょう。