インド洋で華々しくデビューした四式艦上戦闘機『疾風』は、帝都東京においても大々的に報道されていた。
爆撃機に相当する大きさを持ったプロペラのない機体が、時速1000km/h以上で空を飛ぶというのは大きなインパクトを国民に与えた。
そしてイギリスが送り込んできた新型スピットファイヤが疾風に追いつくことも出来ず、次々に脱落していく写真を見た国民は、大いに溜飲を下げることになった。
そんな空気を読んだのか、日本製兵器がどれだけ優れているかについて特集を組むマスコミが急増し、日本陸海軍の兵器について話を聞かない日はない有様だった。
これらの新兵器開発と生産を支えた倉崎重工、三菱財閥、ノースロップ・ダグラス社は一躍脚光を浴びることになり、関係者は嬉しい悲鳴を上げることになった。
ただし夢幻会関係者の中には目に見える派手な研究ばかりが持て囃され、地味な基礎研究が疎かになるのではないかとの危惧を抱く者も現れており、彼らはそのような事態を防ぐために東奔西走することになる。
何はともあれ、多くの国民は浮かれ、帝都東京は明るい雰囲気の中にあった。だがそんな空気に負けることなく、次のステージに向け動き出す者たちも既に存在していた。
帝国有数の実力者と言われる近衛公爵。その自宅においては、その家主である近衛と怪物、或は魔王と噂される蔵相・辻政信が密談を繰り広げていた。
「次はイランでドイツ軍の鼻っ面をへし折れば、もう少しは時間を稼げるか」
近衛の意見を聞いた辻は頷く。
「分析結果が正しければ、ドイツ軍の新型戦闘機は史実のMe262と大差がないようです。疾風の敵ではないでしょう」
「ドイツ側は疾風を『Me262を多少超える程度の機体』と思っていたのだろうが……」
「今頃、大騒ぎでしょう。いえ、ガセと言って信じていないかも知れません」
応接間のソファーに座った近衛と辻は、得意満面でMe262をお披露目するであろうドイツ空軍がどれだけ顔を青ざめるかを想像して意地の悪い笑みを浮かべる。
「だが相手の機体はMe262だ。いくら相手が凄腕とはいえ、これだけの性能差があると完全な不意打ちでもできない限り、挽回は不可能」
近衛は航空機については素人ではあったが、それでも疾風とMe262の間には大きな差があることは理解していた。
「だがMe262に完勝すれば、ドイツはその面目を完全に潰される。イラン演習後にはジェット爆撃機である五式爆撃機『天山』、そして超烈風が公開される。圧倒的な差があると判れば暴発したくともできない。むしろ後始末に頭を痛めることになる。それよりも問題は」
「まず一つめはこちらの強硬派が勢いづくこと、でしょう」
「うむ。嶋田元帥が堀大将を中央情報局局長に推すのはこれが理由だからな」
堀は軍人であったが「戦争そのものは明らかに悪であり、凶であり、醜であり災いである」という考えを持っていた。さらに軍人としての能力も高く、兵学校創立以来の秀才と評されている。実際、夢幻会のバックアップの下、長らく海軍の情報機関を統括しつつ、商売敵となることもある陸軍情報部や中央情報局とも良好な関係を築き上げた。諜報の実力はまだイギリスには及ばないが、それでも日本が諜報戦で健闘できた理由の一つに堀の手腕があることは間違いない。
また対独、対伊戦においては連合艦隊司令長官を務め、大西洋と地中海の戦いの指揮を執り、少なからぬ被害と引き換えに欧州枢軸海軍を巧みに封じ込めた。当然ながら、欧州で多くの部下を失った堀は裏切ったイギリスに激怒したが、現状において、それを露骨に表に出すことはない。
よって信条、能力、実績、性格、色々な面で中央情報局の局長に相応しいと近衛は判断していた。
(まぁまともな故に夢幻会では影が薄いんですけどね……)
辻は心の中でかなり失礼なことを呟くものの、そんな内心を表に出すことなく、確認するかのように近衛に尋ねる。
「では賛同される、と?」
近衛は辻の問いに頷いた。
「田中局長が退任する前までに『例の件』の片づけはほぼ終わる。後は予定通り、総研の外郭団体で一元管理だな」
「組織の維持には国民の理解が必要ですので、表向きの活動もさせる必要がありますが」
「分かっている」
大西洋大津波を引き起こした火山噴火やそのあとに起きた破局的な影響、そして失われた文化、技術についての調査を行う機関の創設を近衛と辻、そして軍首脳部は進めている。
この新機関は、表向きはごくまっとうな組織であったが……本当の任務は衝号作戦の露呈を防ぐための組織であった。当然、新機関には夢幻会の息のかかった人間が送りこまれる予定だった。
「まぁすでに証拠は何も残っていないだろうが……念には念を入れる必要がある」
「幸い、我が国でも津波の被害が出ています。内地の防災対策をより強靭にするためとの名目をつければ、強大な調査権限の付与も問題ないでしょう」
「それにイギリスによる機密漏えいと反日暴動も利用できる」
戦時中のイギリスによる機密漏えい、そしてスペインでの反日暴動は、日本人に欧州諸国への怒りと不信、不安を与えるには十分だった。
「多国間の協調が必要とはいえ、信用できない国々に『国土』に関する情報は容易に教えない……我々にとって都合のよいシナリオだ」
「その点、我々はイギリス人とスペイン人に感謝しなければ」
「欧州との関係改善が本格化できるころには……仮に証拠が残っていても風化しているだろう」
スペインでの反日暴動は確かに痛かったが、彼らは転んでもただで起きるつもりはない。
「まぁ自国の反日暴動を口実にされるスペインはたまったものではないだろうが」
「スペインの発言力はアレで一気に落ちましたからね……」
スペインは反日暴動の失態で、その発言力を大きく低下させていた。
「民衆の統制さえ満足にできないのか」とヒトラーに呆れられ、対日融和外交を進めようとしたムッソリーニからは「俺たちの足を引っ張るなよ」と
遠回しに言われ、フランスからは「イギリスが調子に乗るような真似をするな」と釘を刺されるのだから、周辺国がスペインでの事件をどう思っているかが判る。
周辺国すべてから白い眼で見られるフランコは、まさに針の上のむしろと言えた。しかしかといって反日暴動を強く取り締まると、今度は国民から批判され政府への支持を失うという板挟みの状態だった。
「政府への支持を回復するためには、素早い復興か、ガス抜きが必要だが……今のスペイン政府にどちらも行う余力はない。そしてドイツやイタリアもスペインを迅速に復興させる程の支援を行う余裕はない。まぁ一部の借金の棒引き程度はしてくれるだろうが」
「そして一連の混乱で中央政府の威信が低下すればするほど、反政府運動は激しくなり、それがますます国内を疲弊させ、それが巡り巡って中央政府の威信を更に低下させる。見事な悪循環です。まぁ国民を幸せにできない政府など石もて追われるのは当然の流れでしょうが」
「経世済民、か」
「ええ。為政者に求められるのは古来から変わりません。まぁ私はそれが手段ですが」
「相変わらずぶれないな、この男は……」と嘆息しつつ近衛は話を元に戻す。
「今のスペインはイギリス紳士の面目躍如の場、と」
「ええ。彼らが何もしないとは思えませんし。だからこそ、ヒトラーも模擬戦を申し込んできたのでしょう。ドイツには富嶽を迎撃し、日本の新型機と張り合うだけの能力を持つ戦闘機を開発するだけの力があることを示すために」
「日本の新型機に打ち勝ったとなれば、イギリスや北欧への牽制だけでなく、ガス抜きにもなる。尤も疾風が相手ではそれも適わないだろうが」
「しかし暴発はありえません。だとすれば次に来るのは」
「当面の融和外交、そして新型戦闘機開発のための予算投入。しかし引き換えに削減されるものがあるだろう。その影響を受けるのは」
模擬戦でドイツが敗北すれば、ドイツが大混乱に陥るのは間違いないという結論に至っているにも関わらず、2人の表情はどう見ても愉快そうには見えない。
「万が一に備えて、保険はかけておきましょう」
提督たちの憂鬱外伝 戦後編16
「印度洋演習の出来は上々のようだな」
自宅の和室で報告を聞いた伏見宮は軽く頷く。
老いたとはいえ、夢幻会の取りまとめ役を担ってきた男が放つ重圧は凄まじいが、彼の前に座る2人の男はそれに屈することはなかった。
「はい。帝国海軍との実力差を改めて彼らは理解したようです」
「それは帝国海軍自身もだろう? 日英関係の修復に不満がある輩が不平不満を漏らしているのは聞いている。うまく抑えているようだが」
伏見宮は鋭い視線を己の後継者である嶋田繁太郎に向ける。
「これからも気を抜くつもりはありません。現状において、対英関係の再構築は必要ですので」
伏見宮は視線を嶋田の右隣に座る男に移す。男はその視線を平然と受け入れつつ、口を開く。
「私は対英関係の再建については文句は言うつもりはありません。『現状』においてはそれも必要と思っています」
「……まぁ良いだろう。海軍省はうまくまとまっている」
「いえいえ、軍政家としては、まだまだ。それに私がこの席につけたのも政治的妥協の産物ですし」
伏見宮は首を横に振る。
「政治的妥協だけで、海相の職をゆだねることはない。山本大将、君も分かっているだろう?」
この言葉を聞いたもう一人の男、帝国海軍大将にして海軍大臣・山本五十六は頭をかいた。
「いやはや、買い被りだと思いますが」
「大和型戦艦の件で見せた手腕は見事だった。海軍内の野党としては誇るべき成果だ」
「しかしよかったのですか? 大和型戦艦の建造は古賀達の悲願でしたが……」
山本は横に座る嶋田を横目で見るが、嶋田は気にするなと言わんばかりに首を横に振る。
「今考えれば、アレはあまりに手に余る。それに……政治家共が何を言い出すかわかったものではない。知っているだろう? 核万能論が台頭しているのを」
「ああ」
メヒカリを吹き飛ばした核兵器の威力は、日本人の目を幻惑するには十分だった。
「源田は陸海軍を削って富嶽と核を量産しろなどと主張する始末だ」
かつて戦闘機無用論で肩を並べた男の醜態に山本は眉をひそめ、伏見宮は溜息をつく。
「我々が使いたくなくとも、強硬論に傾いた世論によって、あの核戦争対応型の大和を現場に出さざるをえなくなることもある。無暗にあの戦艦を現場に出せば緊張を煽るだけだ。仮に我々にその気がなくとも恐怖に煽られた欧州枢軸が何をするかわかったものではない。運用は自然と難しくなり、置物になる可能性さえある」
嶋田の見解を聞いて伏見宮は同意するように頷く。だがここで山本は疑問を挟む。
「しかし過激な世論は操作することも可能では?」
嶋田は苦い顔をし、伏見宮は唇の右端を軽く吊り上げる。
「防災を利用して冷や水を浴びせたが、このやり方はいつまでも効果がもつ訳ではないし、頻繁に使える手ではない」
「熱しやすく冷めやすいのは、この国の民の特徴だ。そうそう治るものでもなかろう。多少は落ち着いたが、ついこの間まで文屋がどんな記事をまき散らしていたか覚えておろう?」
この言葉には山本も苦笑するしかなかった。
「……それにしても、殿下に秘密裏に招待されたときは何の冗談かと思いましたが」
サンタモニカ会談のため、嶋田が日本を離れている間、山本は極秘裏に伏見宮邸を訪れたのだ。
「あそこで色々とためになる話を聞けました」
顔は笑っていたが、目はあまり笑っていない山本を見て、伏見宮はかつての会話を思い出して苦笑した。
山本は伏見宮と極秘裏に会談を行い、山本は夢幻会が一部の人間が囁くような『世界制覇を目論む組織』ではなく、純粋に日本の独立と国際協調による海洋国家の繁栄を目指す組織であることを告げられた。
そこで山本は世界恐慌以降に夢幻会主導で行われた様々な施策について質問を繰り出したが、伏見宮はあくまで分析の結果としか告げなかった。
「間諜から得られる情報だけでなく、新聞、雑誌、株価や資金、物資の流れ……様々な事象から、事の推移をあそこまで正確に予想できるとは思いませんでした」
1929年の第一次世界恐慌、そして大西洋大津波が原因で発生した第二次世界恐慌での対応から「そこまで正確に予測できるのか?」との疑問は絶えなかった山本だが、絶大な功績を挙げた夢幻会のトップを務めた伏見宮がわざわざ説明してくれたことに疑問を言い出すことはできなかった。
大西洋大津波についても彼は切り出したが、伏見宮は「我々が本当に津波の時期を予期できていたら、別の戦略を採用している」と返した。
そのあとも質疑応答が行われたが、山本は伏見宮の理論を覆すことが出来なかったのだ。彼も伏見宮の説明が筋が通っていることを理性では理解してた。しかしながら彼のギャンブラーとしての勘が「何かある」ことを告げていた。
だが最終的に彼は夢幻会のこれまでの実績から「何か」については言及しないようにした。伏見宮の説明は誠意が籠っていたし、何より彼の同期であり友人であった堀は夢幻会でうまくやっており、彼の口からは夢幻会について否定的な見解はあまり聞かない(何度か「変人が多い」とは聞いたが)。
そして何より、自分を海軍大臣という要職に抜擢し、自身の見識と能力を期待している人間たちを疑いたくないとの思いもあり、山本は引き下がった。ただ感情と理性の折り合いはまだ完全に着いておらず、そのことを伏見宮は見透かしていた。かと言って、伏見宮はそれを問題視はしていなかった。
(まぁもう暫くすれば、いちいち考えなくなるだろう)
伏見宮はそう確信していた。
「まぁ他国からだけではなく、自国の同胞からさえ疑いの目を向けられるということは、我々がうまく立ち回った証拠ということでしょう」
嶋田の台詞に伏見宮は頷く。
「そうだな。多少やり過ぎたかも知れんな」
冗談のように言う伏見宮。それは彼の本音だったが、さすがの山本もそこまでは気づかない。
「いやはや、仰る通りかも知れません。何れにせよ、米英をうまく立て、その腹心として振る舞いつつ国力を整えて、彼らを超えられる時を待つ……そのような遠大な計画を構想していたとは思いもしませんでした」
「鳴かぬなら鳴くまで待とうホトトギス、そういうことだ」
「さしずめ、我々は徳川ですか」
山本と伏見宮との会話がスムーズに進むのを見た嶋田は、両者がつながっていたことを改めて理解する。
嶋田は山本と伏見宮が手を組んでいることは察していたが、極秘裏にとはいえ、伏見宮邸に招かれていた山本を見た時には軽く驚いた。
(全く、先客が山本だったとは。いや山本がいるにも関わらず私を家に招いたということは……顔合わせを図っていたということか)
そう考えた矢先、嶋田は一つの推論が頭に浮かぶ。
「……なるほど、体調が悪いと言って引きこもることがあったのは」
嶋田が何を考えたかを悟った伏見宮は意地の悪い笑みを浮かべる。
「その通り。人目を盗んで動くためだ」
そう言った伏見宮は笑みは、辻並の黒い笑みに変わっていた。
「敵を騙すにはまず味方から。夢幻会は確かに日本政府を動かす立場にあるが、それだけその隙を伺う者も多い。諸外国も目をつけている。今後の舵取りは容易ではない」
「しかしお体の調子はよろしいのですか?」
「実際、体調は良いわけではない。だが何もできない訳ではない。そういうことだ。それに会合の取りまとめ役は嶋田、貴君にやってもらわなければ困る」
「はっ」
恐縮する嶋田を見た山本は、嶋田に向けて頭を下げた。
「すまないな、嶋田。俺も早めに言おうと思っていたんだが」
「いや、俺も早めに気づくべきだった。まったく、手玉に取られるとは……歳かな?」
そんな嶋田を伏見宮は窘める。
「日々精進だ。力不足を感じて悲観する暇があったら自らを磨くことだ。加齢による衰えを言い訳にする暇はなかろう。完全な引退できるのはまだまだ先だぞ?」
嶋田が頭を下げたのを見た伏見宮は、確認するかのように嶋田に尋ねる。
「イギリスはインド独立を文章で認めたが、これで内戦開始時期をどの程度引き延ばせたと思う?」
頭を上げた嶋田は、この問いかけに対して少し間をおいて答える。
「今年中の内戦勃発はないかと。内戦勃発は早くても来年以降になると思われます」
「根拠は?」
「国民議会はイギリスがインド独立を正式に認めた、と高らかに喧伝しています。独立を求めていた現地住民はこれで希望を取り戻すと思われます。更にイギリス政府はインド政府への軍事支援を表明しており、実際、大量の兵器を引き渡す準備を進めています」
「ふっ、精々、独逸相手に使い物にならん旧式兵器の売却程度が関の山だろう。元植民地人から火事場泥棒で色々と毟り取ったようだが、それでも十分ではない。津波による直接の被害も大きいが、あの津波で大西洋航路が安全ではないと判断されたからな」
大西洋大津波で大西洋沿岸地域は甚大な被害を受けたが、沿岸各国にとってそれだけで終わりではなかった。
海図の書き換えが必要になるほどの被害が出たことで、船舶が大西洋を航行するリスクは跳ね上がった。巨大津波のような大災害が再び起こる恐れもあり、サンタモニカ会談によって戦後を迎えたにも関わらず、イギリスの保険会社ロイズは大西洋を危険海域として海上保険の料率を大幅に引き上げていた。
ロイズは『保険の免責』を明確にしようとさえ考えたが、それはイギリス政府、より正確には円卓からの必死の働きかけによって取りやめとなった。
しかしそれでも海運事情が悪化していることには間違いなかった。何しろ世界の海運を支配しているとまで言われたロイズの保険料が高止まりなのだ。イギリス政府が自国企業保護のため保険料を全て肩代わりするのは困難だったし、この保険料高騰の影響はイギリスだけでなく、他の国々にも及ぶ。
「かつて『大西洋には魔物が住んでいる』と信じていたことを彼らは思いだしたのでしょう」
「まぁどちらにせよ、時間稼ぎにはなったか。もう少し早めにインドを諦めてくれていれば、面倒事は少なくて済んだのだが」
「アメリカが文字通り消え、有力な同盟国がいなくなった現状では、大英帝国の繁栄を支えたインドを容易に諦めきれなかったのでしょう」
伏見宮は「未来が見えないとは、かくも不便なことなのだな」と小さくつぶやく。
「……イギリスは今の規模の軍備を維持することも難しくなるだろう。国民への負担から王室への信頼と忠誠もいつまでもつことやら」
「上流階級も厳しいかと。かの国は階級社会。上の者が模範を示さなければ、示しがつかないでしょう」
「上の者が模範を示さなければならないのは、どの国も同じだ。国民、いや下層階級に負担を強いて支配層だけが繁栄する国など長くは続かん。まぁこの国にもそのことを理解しておらん者はいるが……あの連中は甘い汁を簡単に吸えると思っているのか」
伏見宮は皇室の藩屏にも関わらず、義務の履行を嫌う一部の華族を嫌っていた。
「殿下、そのあたりで……」
「そうだな。愚痴を言っても始まらん」
伏見宮は軽く咳払いをすると、話題を元に戻す。
「予定通り、チッタゴンの丘陵地帯を押さえれば、東へ混乱が波及するのは防げる。その間に改革と足場固めは進めなければならない。分かっているな?」
「国内だけでなく、新領土、東南アジアの整備も進んでおります。テ号作戦を発動しても、影響は最少に抑えられます」
日本はソビエトに対して国内の老朽化したプラントやインフラを売りとばし、引き換えに最新式の物を整備していた。
このため日本国内は活況だった。何しろお古の機械が高値で捌けて、引き換えに最新の設備が揃えられるのだ。そして日本製品の需要は拡大しているので取引先にも困らない。辻も商取引が迅速に進むように、税制面で特段の配慮を行っていた。
「金は回ってなんぼですからね」
経済が沸き立つ一方、軍制、政治改革も密かに進んでいた。
当然、夢幻会の面々は多忙な日々を送っていたが、これらの国内の改革と並行して、東南アジアの整備も強力に進めていた。
特に将来を有望視されているインドネシアには熱い視線が注がれており、基盤の整備には力が入っていた。尤も派遣される日本人の中には「現地住民の皇民化こそ、近代化への近道である」と考えて日本の価値観や考え方を一方的に押し付けようとする者もおり、トラブルも皆無ではない。勿論、夢幻会はトラブルを最小限に食い止める努力をしているので今のところは大事には至っていなかった。
ベトナムは日本資本主導で北部の再建が進められる一方で、反華南連邦感情が依然として根強かった。日本政府としてはベトナムと華南連邦が開戦という事態を避けるため、この惨事を招いたのは共産主義者であると喧伝し、反華南機運を反共に変化させようと努力している。
全ての責任を押し付けられた形となったホーチミンは逃亡を続けているが、周辺すべてが敵となったため、その捕縛あるいは殺害は時間の問題と考えられている。
他の地域も様々な問題があったが、致命的なものではなく当面の計画には問題はないと夢幻会は判断していた。ただし長期的には問題が出てくるのではないかとの危惧もある。
「彼らの独立は、勝ち取ったものではない。日本から齎された棚ぼた式の独立、この事実は悪影響を与えるだろう」
会合の席で近衛はため息をついた程だ。
独立派を支援する形で欧州列強を叩き出して独立させる案もあったが、その案だと日本にとって時間が掛かり過ぎるため、日本が自国の武力と金を使ってさっさと独立させる道を選んだのだ。しかし植民地の人間が『独立』を自力で勝ち取ったものではなく、日本と欧州列強との間で『独立』が取り決められたという事実は大きい。
欧州からすれば東南アジア各地の新政府は日本の傀儡(よくて代理人)で、現地住民は日本の金と力で独立国家の真似ごとをさせてもらっているとしか映らない。現地住民も団結して宗主国から独立を勝ち取ったとは言えず、自信を持てない恐れがあった。
しかしそんなリスクがあったとしても夢幻会は今の方針を是としていた。欧州諸国、特にドイツとフランスは植民地の住民を文字通りすり潰して再建を進めていた。彼らが早期に立ち直り、日本を猛追するようなことになれば厳しい立場に追い込まれる。
「欧州に負けないためには、多少のリスクは許容すべき」
そんな意見が夢幻会の考えを端的に示していた。
このように色々と問題を抱えつつも東南アジアの整備が急がれるのとは対称的に、満州や朝鮮の整備は低調なままだった。
日本政府、より正確に言えば夢幻会は満州や朝鮮は、国防の問題から勢力圏に収めているにすぎず、必要最低限以上の投資を行うつもりはなかった。
今ではそんな日本の態度を見た韓国人、特に両班階層では「日本(弟)のくせに生意気な」と感情的反発から反日気運を高め、そんな韓国の内情が日本で報道されてますます日本で反韓機運が高まり、朝鮮への投資がますます忌避されるという負のサイクルに突入しつつあった。
その点を理解しているのか、嶋田は自国勢力圏であるはずの『朝鮮と満州』のことは口に出さなかった。
そこを伏見宮も理解しているのか、その点を指摘することはない。
「うむ。この調子で頼む。帝国がこの混沌とした世界を生き抜くためには変革と我々の足場となる勢力圏が必要だ」
伏見宮はそこで目をつぶり、そして強い決心を瞳に宿して口を開く。
「嶋田が退陣する前に改革は総仕上げとなる。そこで私の寿命も尽きるだろうが……」
「殿下、そのようなことは」
嶋田が諌めるが、伏見宮は首を横に振る。
「自分の寿命は自分が一番よく理解している」
「し、しかしあまり無理をなさるとお体に障ります」
「……やむを得なかったとは言え、皇国の危機の際に部下を仮初の独裁者に祭り上げ、その後始末もすべて押し付けるやり方は私は好かん」
「……」
「それに、私は臆病者なのでね。やれることをやらずに、僅かばかり長生きした後、後悔したままあの世にいくような覚悟はないのだよ」
日本政府はインド洋演習後、イラン演習、そしてその次のインド内戦という演目に向けて着々と準備を進めていたが、ほかの国はそれどころではなかった。
まずインド洋演習で四式艦上戦闘機『疾風』を目の当たりにしたイギリス海軍と空軍は大混乱となった。何しろ漸く富嶽に対応可能になるかも知れないと思った矢先に疾風という従来の戦闘機とは次元が違う戦闘機が現れたのだ。さらに日本海軍の栗田中将はジェット爆撃機の存在を匂わせており、ミーティアでさえ役に立つか怪しくなる有様だった。
「血を吐きながらようやく追いついたと思ったら、実は周回遅れだった……そんなところか」
イギリスの航空技術者たちは燃え尽きたような様相で、そう評した。
このように多くの技術者が真っ白に燃え尽きたが、燃え尽きることさえ許されない男たちはこの事態に頭を抱えつつ、今後の打つべき手を模索した。
特に責任の重いロンドンのダウニング街10番地の住人たちは、恐るべき日本の軍事力を如何に対処するか、そして今後、如何に自国のために利用するかで議論を重ねていた。
「今のところ、疾風に対抗できる戦闘機はなく、対抗できる戦闘機の開発も短期間では不可能。万が一、日本軍を敵とすれば制空権の確保は絶望的でしょう」
首相官邸で開かれた会議の席でBUFの重鎮にして国防大臣であるジョン・フレデリック・チャールズ・フラーは苦い顔でそう評した。
戦前、イギリスにおいて電撃戦の理論を提唱したこの元陸軍軍人は、戦場において制空権を喪失することがいかに恐ろしいことかよく理解していたのだ。
彼を重宝しているモズリーは、フラーの評価に頷く。そしてすぐに、なぜこのような事態になったのかを専門家たちに尋ねる。
「そもそも、なぜ日本と我々の間にここまで差が生じたのだ?」
「日本は世界恐慌を利用して世界中から資金を集めました。その資金を利用して海外の企業や技術を買いあさりました」
「そもそも、日本の零戦に搭載されていたエンジンの原型はアメリカのものでした。それにジェットエンジンも基はドイツの技術です。これらの技術を世界恐慌で手に入れた後、改良を重ねた結果かと」
「では手元に技術と資金があれば、彼ら並の結果が出せた、と?」
「「「………」」」
モズリーの問いかけに答えられる者はいない。
何故なら仮に資金と技術があったとしても、これだけの短期間で、急速に技術を発展させるのは困難だった。何故なら技術開発は試行錯誤の連続なのだ。
そんな考え、いや『技術者にとっての常識』があるが故に、日本があそこまで短期間で技術力を加速できたか、誰も分からなかった。
「ただ、日本の技術力には偏りがあります。三菱、倉崎など日本政府、いえ総研に近い企業は世界の最先端の更にその先を行きますが……他の企業は我が国と同等程度。或は下回るとの情報があります」
総研の背後にいるのが夢幻会であることを知っているモズリーは、「やはり彼らの仕業か」と小さく呟くと、総研を称えた。
「航空主兵を推し進め、対米、対中戦争の指揮を執った嶋田首相、二度の世界恐慌で世界から富を巻き上げた辻蔵相、機甲戦力を整備した杉山元帥……例を挙げればキリがないが、大きな功績のあった人間の多くは総研と何らかの繋がりを持っている。優秀なシンクタンクが如何に有効かが判るな」
これにフラーが追従する。
「我が国もそのような組織の整備は進めるべきでしょう。革新的な考えを持つ者が組織から追い出されることが、如何に国家に不利益をもたらすかは明白ですからな」
その台詞には多分に皮肉が込められていた。何故ならフラーは電撃戦の概念を提唱したが、陸軍保守派と時の軍縮気運によってその概念を無視された上、最終的に陸軍から退く羽目になったからだ。
「そしてその革新的なアイデアを実現させるための政治力も必要だろう」
このモズリーの台詞を聞いた面々の中には「議会不要論をまた声高に主張するのか」と思った者もいた。しかし彼らの予想は外れ、モズリーは話題を元に戻す。
「当面は英日関係の再建に集中しよう。そのためには英日が手を取り合える事業が必要だ」
モズリーはイーデン前首相が推進しているユダヤ人難民の極東への輸送と自治都市の建設に注目していた。
「特にナチスドイツに差別される『哀れなユダヤ人』を安全地帯に逃す計画。あれは我々にとっては都合が良い」
モズリーはユダヤ人に対してそこまで憐みの感情は持ち合わせていない。
むしろ反ユダヤ主義を唱えていただけに、ヒトラーのユダヤ人に対する扱いについては多少は頷けるところもある。だが彼は個人的感情を政治判断に持ち込むような人間でもなかった。
(中東が英独の最前線となった以上、現地住民を敵に回すイスラエル建国は不可能。ならば、パレスチナの住民を満州に移すほうが利益になる。まぁさすがに全員を移すことは出来ないだろうが、それでもユダヤ人の数を減らせば現地の対立を少しは緩和できるだろう)
イギリスにとって強硬なシオニスト達は頭痛の種でもあった。
パレスチナにはナチスドイツの手から逃れたユダヤ人が流れ込んでおり、現地住民との対立を引き起こしてる。ここ最近の異常気象や食糧事情の悪化などでその対立は激化する一方だった。クルド人対アラブ人、パレスチナ人対ユダヤ人、さらに宗派、部族の違いに起因したアラブ人同士の対立等々、様々な火種が燻る中東の情勢は宜しくない。
パレスチナの大地に約束の地『イスラエル』を建国しようとする運動に携わる者たちは、パレスチナ住民と対立を深めてイギリスにとって頭痛の種となっている。
以前、ロスチャイルド家は中東利権のために、ユダヤ人国家建国に協力的な姿勢を見せていたが、シリアに拠点を置くフランスが虎視眈々と介入の機会を伺っていることから、迂闊な手は取れなくなった。
故に彼らが日本との関係改善の道具、そして極東利権の橋頭堡として、ユダヤ人自治都市構想に飛びついたとも言える。
「目下の問題はインド情勢だ。このためにインド洋演習では我が国の威信を示すつもりだったが」
モズリーはそう言って黙り込んだ。何しろ疾風のお披露目によって、イギリス軍の存在感はすっかり薄くなってしまったのだ。
「我々は日本海軍の引き立て役を用意するために、膨大な国費を軍に投じていた訳か……」
政治家たちがそう自嘲するほどなのだから、どれだけイギリス海軍の印象が薄くなっているか判る。
実際、欧州枢軸では艦上ジェット戦闘機である疾風が注目され、日本の威を借るカリフォルニアでは、かつて連邦軍の戦闘機を散々に打ち負かした烈風をはるかに超える戦闘機を日本が開発したと喧伝していた。このため「王立海軍健在なり」を主張しようとしたイギリスの思惑は半ば外れた。
ただそれでも、『日本海軍が相手でなければ』イギリス海軍はまだ無視できない勢力であることは何とか示せた。
正規空母2隻、戦艦1隻、巡戦1隻を基幹とした機動艦隊(それも艦載機は日本製)と戦える艦隊をすぐに用意できるのは日本海軍だけなのだ。欧州枢軸で最強の海軍と言われるイタリア海軍でさえ、使える空母は1隻だけ。ドイツに至っては駆逐艦や輸送船の整備で大わらわという有様だった。
尤も、そのドイツ海軍はパナマ運河防衛のための英カリブ海艦隊が増強(カリフォルニアから高速戦艦1隻がレンタル)されたとあって頭を抱えた。何しろ英本土には空母機動艦隊、そしてパナマ周辺には英カリブ海艦隊が展開しているのだ。万が一、再戦となれば北米と欧州の間のシーレーンが瞬く間に遮断されかねない。かと言ってドイツ海軍にはシーレーン防衛のために回せる艦を持つ余裕はない。
よってシーレーンを守るため、ドイツ海軍は発想を転換させた。そう、敵艦隊を早期に撃滅することで自国の商船を守るという方法を彼らは選択したのだ。
この方針に基づき、ドイツ海軍は旧アメリカ海軍士官の意見と旧アメリカ海軍の最新鋭駆逐艦であるフレッチャー級を参考に新型駆逐艦、Z37級駆逐艦の開発を進めていた。
後に史実秋月型駆逐艦の武装強化版とも言える駆逐艦の登場と、ドイツ海軍が採用した戦略に日本海軍の将官(主に夢幻会派)は複雑な顔をすることになる。
ちなみに護衛艦の整備はドイツだけでなくイタリアでも行われており、彼らは大西洋で船団護衛が行える新型コルベット(アルバトロス級)の開発を推し進めていた。欧州枢軸最大の海軍であるとは言え、イタリア海軍の艦艇は基本的に地中海での運用を考えて設計された艦であるため、大西洋で行動を考慮した艦が必要だったのだ。ただしムッソリーニは大西洋に配備する艦は護衛艦で十分と判断しており、国情を無視した大規模な海軍の拡張をするつもりはなかった。
「現状では北アフリカとの航路が守れれば十分だ。だいたい、日本海軍と外洋で戦って勝てるか」
ムッソリーニは万が一、日本と戦争となれば地中海でイタリアの総力を挙げた決戦を行うつもりだった。
かと言ってムッソリーニは英海軍を軽視した訳ではない。自国がまだ空母の運用を学んでいる最中に、イギリスが日本式の空母運用を習得しつつあることを理解し、衰えたとは言えイギリス海軍は健在であり油断ならない存在であると判断していた。
このようにイギリス人にとっては多少面白くない結果となったが、インド洋での英海軍の軍事的プレゼンスを示せたこと、そしてイギリスが文章でインド独立を確約したことから現地は多少落ち着きつつあった。そしてこの情勢を利用し、英国との取り決めに従って国民議会はインド、パキスタン、バングラディシュの3つに分かれて独立するべく動いていた。
「何はともあれ、まずはインド内戦の影響が周辺地域に及ばないように手を打つのが肝心です。旧式兵器はインドの国民議会に渡し、我が国の負担を減らすようにしていますが、それだけで済むかどうか」
「うむ」
フラーの危惧にモズリーは同意する。
ガンジーは統一インドを主張したが、国民議会はすでに無理と判断し、各勢力と分離独立する形で交渉を重ねている。だがそれすら見通しが甘いと英国政府は考えていた。
何しろ今のインドではイスラムとヒンドゥーの対立だけでなく、カーストの階級間対立、北部のアーリア系と南部のトラヴィダ系の対立、少数民族問題など様々な問題が顕在化しつつあった。これらが大爆発した場合、インドは未曽有の混乱に突き落とされることになる。
しかし最近のインド国内の状況を分析したイギリス政府はインドが未曽有の大混乱になる前に、インドが暴発する可能性があるのではないかと考えるようになった。
「東については日本の目がある以上、何もできないだろうが……パキスタンが相手の場合、何らかの行動に出る可能性がある」
「パキスタンは反英感情が強くなっているため、我々に支援は求めるとは考えにくい。となれば後は日本か、ドイツ。最終的に日本に頼むことになるのでは?」
第一海軍卿であるカニンガムの指摘に対し、モズリーは頷く。
「その可能性はあるだろう。日本がパキスタンと手を組めば、インドは自然とドイツに近づこうとする。日本が静観すればパキスタンはドイツに近づこうとするだろう。そして今は目立たないがインド共産党の残党も活発化しつつある。どちらにせよ、インドを巡って状況は動く」
「しかしドイツが簡単に動くでしょうか?」
「かの国の総統は、極東の帝国を過剰なまでに恐れている。このイラン演習の模擬戦で日本が勝てば、その傾向は強くなるだろう。そうなれば対ソ政策にも変化がある」
円卓もモズリーと同様の結論に至っていた。
「我が国のためにも、日本陸海軍の健闘を祈るとしよう」
あとがき
提督たちの憂鬱外伝戦後編16をお送りしました。
長くなった割りには、日本とイギリスの反応だけで終わってしまいました……次はドイツの事情とイランでの模擬戦となると思います。
次はおっさんの会話だけでなく、戦記ものとして戦闘シーン(模擬戦ですけど)を入れたいと思います。
拙作にもかかわらず最後まで読んでくださり、ありがとうございました。
提督たちの憂鬱外伝戦後編17でお会いしましょう。
ドイツ海軍駆逐艦コンペに多数応募していただき、ありがとうございました。
このたび採用させていただいた兵器です。
Z37級駆逐艦
基準排水量=2,700t
全長=134.2m 全幅=11.6m
主機出力=蒸気タービン2基2軸・52,000HP
最大速力=33kt
航続距離=19kt/6,500浬
武装
12.8 cm FlaK 40(61口径)両用砲 単装4基(配置は史実Z型同様)
MK 103 30mm連装機関砲 6基
533mm5連装魚雷発射管 1基
対潜迫撃砲2基(史実スキッド相当)
爆雷36個
<アルバトロス>級コルベット
排水量:1120トン(基) 全長:88.7m 全幅:10.7m
最高速度:23ノット(電気推進時6ノット) 航続距離:5500海里(巡航15ノット時)
主機:フィアット式ディーゼルエンジン4基(7000hp)、フィアット式電気モーター4基(600hp)
ディーゼル・エレクトリック方式2軸推進
武装:OTTO47口径10cm単装速射砲2門、66.6口径30mm単装機関砲2門、
ブレダ65口径20mm単装機関砲9門、対潜迫撃砲投射器2基