西暦1944年12月7日。
 その日は後世でも有名な地震『東南海地震』が発生する日でもあった。だが幾ら転生者がこの地震が起こると判っていても、戦時でない以上は 帝国政府も露骨に強権を発揮できない。夢幻会の影響力をもってすれば、軍部と議会を動かすこともできるが、ただでさえ色々と諸外国から注目されている中で、わざわざ相手の不審を買うような真似は出来ない。このため打つべき手は限られていた。
 尤も限られていたといっても、夢幻会は被害を少しでも低減させられるような手を打っていた。

「各自治体及び警察、消防への防災マニュアル配布と訓練の徹底。不信に思われない程度に、軍の訓練スケジュールも調整済み。海保も鳥取地震を教訓にすぐに動けるようにした。救難物資も現地に迅速に輸送できる……だがこれだけやっても、どの程度、犠牲を抑え込めることやら」

 首相官邸の執務室で嶋田はやれやれと言わんばかりにため息をつくと首を横に振ると、正面のソファーに座っている辻は書類を捲りつつ口を開く。

「仕方ありません。必要以上に動けば諸外国から『更に』不信に思われます」
「……山本たちも注意を払う必要がありますからね」
「山本さんは持前のカリスマで無視できない勢力を築いていますからね。古賀さんが後押しした12万トン級戦艦、あの大和型戦艦の初期案を阻止した手腕は私も驚かされました。さすがは史実で軍政家として評価されていることはあります。おまけにこの世界ではいろいろと挫折を味わったせいか、人の好き嫌いが激しい点や博打好きな点もある程度是正されている……中々に手ごわい相手です。まぁ手ごわい野党がいるほうが夢幻会も腐敗せずに済みますが」
「それはそれで好ましいですが、短期的には不利益も大きいですよ」
「まぁそれは否定できませんが……より長い目で見れば必ず良い方向に転びます。ここは忍耐のときですよ」
「やれやれ……」

 嶋田は嘆息し、辻は苦笑した。

「全く権力者というのは、意外と面倒ですね。権利以上に責務を果たし、結果を出すことを求められる。全く楽な商売じゃない……」
「楽な商売なんてそうそうありませんよ。尤も権力と言うのは一度手にすると『容易』には手放せないものです。回りが羨む様な若くて美しい婦人を手にすると、その気まぐれや我儘に振り回されても中々手放せないように」
「おや、辻さんにはその経験があると?」
「ご想像にお任せしますよ」
「ではそうします。まぁ権力を美女と例えるのは、なかなかにユニークとは思いますよ」

 そう言った後、嶋田は知恵の輪を取り出した。辻は新たな嶋田の趣味に意外そうな顔をする。

「新しい趣味ですか」
「ええ。これなら持ち歩けるし、頭の体操にもなる。まだボケたくはないですからね」
「それについては賛成です。嶋田さんは総理の後にも、仕事が山積みですから」

 知恵の輪を弄りながら、嶋田は眉をひそめる。

「やれやれ、人使いが荒い。全く老人を大切にしない国は滅びますよ?」
「『立っているなら、親でも使え』が私の信条なので。それに嶋田さんは健康に注意すれば90歳ぐらいまでは生きれるでしょう?」
「……あと四半世紀も働かせると?」
「いえいえ、さすがにそれは。ですが、せめてあと10年は気張って貰いたいですね」
「70歳すぎまで、か。いやはや、気が遠くなりそうだ」

 些か顔色がブルーになったが、嶋田はすぐに気分を切り替える。

「件の省庁再編、思っていたのとは別の方向に向かいそうですね」
「まぁ内務省の肥大化は抑えられたからよしとしましょう」

 日本帝国は巨大化した勢力圏の再編成を急ぐ一方で、官庁再編も水面下で進められていた。
 中でも内務省はあまりにも巨大になりすぎるという事で、その権限の一部を別の部署に移すことになっていた。
 当初は今後の世界情勢から情報局、軍、警察の連携が必要との意見から、最終的に内務省の傘下にあった警保局を『大本営の一員』である内閣総理大臣が管轄する内閣府の下に移す方向で動いていた。
 しかし思ったよりも抵抗が強いため、現状で改革を強行すると禍根を残すと判断した辻と近衛は方針を転換することになった。

「アメリカ風邪などの未知の疫病への対策から、衛生局や社会局の分離の方がより理解を得やすいかと」
「国民の士気を上げ、革命気運をより遠ざけるために、労働行政部門を一省庁に昇格させるのがよいでしょう」

 彼らは周囲をそう説得して方針を転換していった。
 軍や外務省でも、アメリカ風邪対策の問題から衛生局を内務省の下に置き続けるより、一省庁として正式に独立させたほうが「日本がアメリカ風邪などの各種疫病に本気で取り組む姿勢を鮮明にできる」との声があがり、今では衛生局と社会局を内務省から切り離し、厚生省を創設する方向に向かっていた。
 また国民の労働環境の改善及び今後、海外から流入するであろう労働者を管理するために内務省の労働行政部門を元に労働省が創設されることになった。

「防疫や社会衛生に振り分けられる予算は魅力的ですが、昨今の情勢においては何かあったら真っ先にやり玉にあがります。最悪、内務省が吹き飛びます。まぁ麗しい美女でも厄介ごとを持ち込む人間とは関わり合いを持たないに限ると言ったところですかね」
「まぁ目の前に、本当に最悪の事例がありますからね……」

 北米で滅菌作戦を遂行している軍から現地の報告を聞いている嶋田は乾いた笑みを浮かべた。

「おかげで阿部さんは大分、機嫌がよい」
「自分の指揮で赤狩りが続けられますからね。あの人、『アカ』やアカに感化された人間が大っ嫌いですから。まぁ何はともあれ、当面、警察は内務省に管理してもらいましょう」
「それも止む無しでしょう。簡単には権限を手放さないのは目に見えている。全く官僚から権限を取り上げるのは色々と骨が折れる」
「あまりやりすぎれば面倒なことになりそうですからね。夢幻会がその気になれば改革も強行できますが……何分、阿部さんの立場もありますし」

 2人ともお互い高級官僚(海軍、大蔵)であるが故に相手が如何に手強いかを理解していた。

「それに今後、何が起こるか予想がつかない以上、関係各所との関係を必要以上に拗らせるのはまずいですからね」

 衝号作戦以降、史実の気象データは役に立たなくなっていた。
 そして夢幻会が更に恐れていたのは、あの大噴火によって地震などにも大きな変化が見られることだった。地球の反対側の事象とは言え、今後も影響が絶対にないとは限らないのだ。

「これまでの地震は史実どおり。しかし今後も同様かは判らない……全く先の見えない未来ほど恐ろしいものはないとはよく言ったものですよ」
「後ろ歩きで未来に向かって進むのが人の本来の姿ですからね。我々は『手鏡』で前方の情報をある程度知っていたから、ここまでこれましたが」
「その手鏡は、あの巨人を倒すために使って割れてしまった……」
「仕方ありません。あの巨人を倒すためには、相応の代償は必要ですよ」
「等価交換という奴ですか」
「どこぞの錬金術師が言っている通りなのでしょう。何かを得ようとするなら、何かを支払わなければならない。社会の基本ですよ。それに『ただ』ほど高いものはないという言葉もありますよ」
「……やれやれ、どこに行っても世知辛い話ばかりですね」
「世の中、そんなものですよ。それにそんな旨い話があってもそうそう人には話さないでしょう。利益は独占。不幸は押し付けあうのが人なんですから。尤も我々は人のことをあれこれ言えませんよ。何しろ我々は日本に降りかかる不幸を、倍増して世界に押し付けたとも言えるのですから」

 これを聞いた嶋田は同意するように苦笑して呟いた。

「不幸を他国に押し付けて一人勝ちしているおかげで、妬みや憎悪も買っている。ますます他国に弱みは見せられない」

 彼らが天災対策に注意を払うのも、他国に弱みを見せないためだった。日本が弱体化したと見られては、列強には舐められ、影響下の国々は動揺する。そうなれば勢力圏が侵食されかねない。

「間に合わなかった決戦兵器『疾風』をうまく宣伝すれば、枢軸への牽制にもなるでしょう。それに連山改にかわる機体の存在を聞けば……」
「うまくいってもらわなければ困りますよ。どれだけ軍事予算に金を使っているか判っています? まして現状で再戦は絶対に御免ですよ」
「……判っていますよ。こちらも『現状で』再戦なんて御免ですからね」

 疾風のジェットエンジン開発で得た技術を利用した新型高速爆撃機開発計画を陸海軍共同で進めていた。
 しかし相次ぐ新兵器開発と生産は予算の圧迫も招いており、大和型が完成するまでは『見せ金』として保持するつもりだった長門型戦艦も予定より早く退役せざるを得なくなるのではないか、との声が挙がっていた。
 長門型を除けば戦艦と巡洋戦艦と言ってもよい超重巡洋艦あわせて4隻のみ(最盛期の3分の1以下)となる戦艦派は不満だったが、大和型戦艦2隻の建造を勝ち取った以上はそれ以上の贅沢は言えないのが実情だ。
 尤も一方の空母派も戦艦のせいで予算が圧迫されると不満を持っていた。しかし対艦ミサイルなどの新装備が完成し、信頼できるレベルに達するまでは相応の時間が必要であり、その間の空白の期間を埋めるためには大和型の保有も止む無しとの意見だった。さすがの航空主兵論者も飛行機の傘の下、満足な護衛艦を伴って行動する大和を撃沈できるとは言えなかったのだ。史実米海軍のように戦術核に傾倒するつもりは彼らにはない。
 何はともあれ、日本軍全体が「金がない」の一言に尽きた。他国の同業者が聞いたら「贅沢言うな!」と激怒するだろうが、当事者からすれば深刻な問題だった。

「現状では守るべき領域が広すぎて、一方面に張り付けられる戦力が限られてきます。正直、いくら質の面で有利を保っても不安ですね」
「物には限度というものがあるのですよ。史実米帝の真似事は『絶対』に無理ですので、今の予算の中でやり繰りしていただかないと」
「やれやれ、現場から怨嗟の声が聞こえてきそうだ。火葬戦記なら日本やドイツも化物じみた戦艦やら空母やらを量産しているのに」
「まぁこの国でも出来るでしょう。建造費用と維持費用でソ連のように国を傾けるつもりなら」

 当然だが、辻が言う『ソ連』とは『史実のソ連』を指す。何しろこの世界のソ連は史実ソ連の末期よりさらに悲惨であり、市民生活はお世辞にも良いとは言えない。金も資源も日本に吸い取られている最中であり、もはや夢幻会の面々が知るような強大な陸軍を編成する力も無かった。
 そして化物じみた国力で米帝と恐れた史実の超大国も、もはやこの世界では悪評と共に歴史書に乗る存在でしかなかった。

「そう言えばソ連ですが、彼らの返礼はどうします? 必要以上に彼らに実利を与えるのは気が進みませんが」

 嶋田の問いかけを聞いて辻は少しだけ逡巡する。

「……彼らは東トルキスタンを使って支那にちょっかいを出す気のようですから、それを容認しましょう。我々は一銭も失わずにソ連に謝礼を言えます。それに東トルキスタンの住人達に管理してもらったほうが土地が荒れなくて済みます。尤も我々が容認する限度も示しておきますが」
「ついでに大陸の住人には反ソ連感情も持ってもらい抗日よりも反ソになってもらったほうが有難いですね」

 旧アメリカ人には裏切り者・中国人を恨ませ、中国人には旧アメリカ人と漢民族を奴隷にするロシア人、そして同胞を売り渡して利益を貪る奴隷商人を恨ませ、ロシア人にはドイツ人を恨ませる……それが日本にとってはベストだった。

(まぁそこまでうまくはいかないだろうが……やらないよりはマシだろう。不満の捌け口は必要だからな)

 知恵の輪で戯れつつも、人の機微を利用したドス黒い戦略を考える嶋田。それが判ったのか辻は笑った。

「ははは。やれやれ、我々も今やフィクションの世界では正義の味方によって滅ぼされるべき悪の組織ですね。世界の半分を滅ぼし、残った世界に火種をばら撒き、それさえ帝国のために利用する。全くここまで悪辣な組織はそうそうないでしょう」

 嶋田の脳裏に、辻とイギリスの腹黒紳士達の共謀によって混乱の坩堝と化すであろう南アジアのことが過ぎる。

「今更、自虐しても仕方ないでしょう。我々はもはや進むしかないのですから。それに……仮に我々を打ち砕く者がいるとしたら、それはより巨大な悪でしかありません」
「判っていますよ。そして正義の味方など、お伽噺の中でしか存在しないことも。さて、もうそろそろ仕事に戻りましょうか」

 そこで丁度、知恵の輪が外れる。だが嶋田は同時に面倒な仕事の数々を思い出すと爽快感を感じることが出来なかった。

「やれやれ。また腹黒連中との腹の探り合い、か。こんな仕事が趣味になるような人間でもないと、些か憂鬱ですよ」

 知恵の輪に視線を向けつつ嫌味っぽく言う嶋田だったが、辻は気にもせず答えた。

「とりあえず笑っておけばいいと思いますよ。辛気臭い顔をしていると余計不幸になりますから。笑う角には福来るという言葉もあります」
「……『福』なら良いんですがね。私の場合は『腑苦(胃痛の意味で)』のような気がしますよ」
「座布団が持っていかれますよ。まぁ捉え方にも依るでしょう。ようするにポジティブシンキングが重要と言うことです。おっと、逆境に強い嶋田さんには釈迦に説法でしたかね」

 実に意地の悪そうな顔をする辻。しかしさすがに耐性が出来たのか嶋田も揺るがない。
 嶋田は分解した知恵の輪を机に置いた後、言い返す。

「ポジティブなのも時と場合によるでしょう」

 そんなやり取りが国の頂点付近で行われているなど露も知らないまま、多数の国民は12月7日の『東南海大地震』を迎えることになる。



           提督たちの憂鬱外伝 戦後編7



 西暦1944年12月7日に日本の東海地方で大地震が発生したとの情報は瞬く間に世界に駆け巡った。
 大西洋大津波の記憶が生々しい中、地震と津波で日本が大打撃を受けたとの報告を聞いた白人と大陸の住人の中には喝采を挙げた者もいた。事実上一人勝ちをしている日本に対する天罰だ、とさえ言う人間がいるのだから日本が如何に妬まれているかが判る。
 しかし日本が大打撃を受けたからと言って、即座に行動を起こすような国は存在しなかった。

「正確な情報を集めろ」

 総統府においてヒトラーはそう厳命した。
 彼は日本を舐めてかかり、最終的に国家崩壊の憂き目にあったアメリカ合衆国と同じ過ちを繰り返すつもりはなかった。
 イギリスやフランス、イタリア、ソビエト連邦も同様で、日本がどの程度被害を受けたかを調べはじめた。特にイギリスでは日本に恩を売れる機会とも考えられた。
 何しろイギリスは国際的に孤立し、頼みの綱である英日関係も最悪だった。このため少しでも得点を稼ぐ必要があったのだ。
 日本によって散々に痛い目にあわされ続けてきた列強が慎重に動いているのに対し、支那では暴動やデモが起きた。韓国でも小規模ながら租界周辺で暴動が起き、混乱した。

「今こそ、日本鬼子に鉄槌を!」

 日本領に組み込まれて鬱憤を貯めていた東遼寧の住民や租界の住人の中に紛れていた反日派はこぞって抗日運動に出た。
 韓国人の中には『日本が壊滅的な大打撃を受けた』との情報を真に受けて、『今こそ日帝打倒の時』と外国人に言い寄る者さえいた。
 日本が大きな被害を受けたとのニュースを聞いた大陸の住人達は「今が好機」とばかりに動いたのだ。勿論、日本がそんな動きに無抵抗であるわけがなかった。

「これで国内の親中派は壊滅だな。朝鮮人を教育して、近代化させるべきだと思う人間もいなくなる。我々の手間が省けるというものだ」

 トレンチコートがトレードマークになっている村中少将は皮肉な笑みを浮かべつつ、現場で指揮を取った。
 彼らは地震発生後、参謀本部並びに中央情報局から被害状況を知らされていた。東海地方の被害こそ大きいものの、すでに救助活動や民間人の避難は順調に進められること、救援のための部隊(連合艦隊第1艦隊含む)がすでに急行していることも周知されており、部隊の動揺は少ない。
 逆に日本政府中枢は今回の一件を逆手にとって、支那や朝鮮での抗日の実態を明らかにして彼らを徹底的に孤立させるつもりだった。

「各国の報道機関への配信も怠らないように。連中の間抜けな姿を全世界に晒してやれ」
「はい」

 天津で暴動を起した人間達は、動揺しているであろう日本租界に殴り込みを図った。
 だがそんな彼らの前に現れたのは整然と行動する帝国軍と租界警察であった。二式突撃銃を構えた兵士たちは、何の躊躇もなくその引き金を引く。

「この火事場泥棒共め!」

 情け容赦なく降り注ぐ6.5mm弾の前に、大した武器を持たない暴徒は瞬く間に追い散らされていく。
 どこから持ち出したのか、旧米軍が保有していた火器で武装した者達もいたが、訓練された正規軍が出張るとなすすべもなかった。

「畜生、日本人は動揺して反撃して来ないんじゃなかったのかよ!」
「知るか! 今は逃げるぞ! 狭い路地に逃げ切ってしまえばこっちのものだ!!」

 逃げ切ろうとする男たち。だがそんな男たちの頭上にはシコルスキー3式汎用回転翼機の姿があった。

「な、なんだ?!」

 通常は非武装である3式汎用回転翼機であったが、北満州掃討戦と同様に今回もM2クラスの重機関銃や70ミリクラスの空対地ロケット弾を装備していた。
 彼らは頭上から対空兵器を持たぬ男たちを良いように薙ぎ払った。暴徒の中にはロケット弾を撃ち込まれ、木の葉のように吹き飛ばされる者もいる。

「ダメだ、逃げきれない!!」

 慌てて逃げ出す生き残った暴徒。しかしその彼らの正面には日本陸軍と租界警察が展開していた。暴徒たちが次の行動を移す前に、無数の銃弾が暴徒達に撃ち込まれていく。
 悲鳴、そして血しぶきと共に地に伏していく暴徒達。それは今現在、この大地で誰が最も強い存在であるかを示していた。
 装甲車や一式軽戦車まで持ち出して鎮圧する日本軍の姿を見て、邦人たちは安堵し、尚且つ日本の窮状に付け込む支那の住人への怒りを露にする。

「仁義も何もあったもんじゃないな、支那の連中は!」
「あんな連中とは共存なんて出来ないな……情けをかけることさえ害悪になる」

 避難先のビルの一角では反中感情が否応無く高まっていた。

「連中には周辺国と共存する意思はない、そういうことだろう」
「こちらが弱ったと判断した途端、殴り込んでくるのではな……おちおち、大陸の内陸に投資もできない」
「知り合いの会社の話なんだが、商品をだまし取られたらしい」
「慈善事業で活動していた宣教師達が、一方的に虐殺されたという話もあるぞ。身代金目当ての誘拐事件も多いそうだ」

 次から次への暴露される悪行の数々。それを傍で聞いていた人々は、目の前で起こる暴動の影響もあってそれをあっさり信じた。
 勿論、それは日本国内でも同様だった。地震と津波で日本が弱ったと判断した支那人が反日暴動が起したことが伝えられられると、反中感情はますます確固たるものとなった。

「これで親中派は大打撃を受け、独自に動く力はなくなる。華南人と福建人も諸外国の目を気にして下手な行動は取れなくなる」

 貴族院の議場で報告を聞いた近衛はそう呟いた。
 近くに座る男達も一様に小さく頷き、一人の貴族院議員が小声で囁くように言う。

「東遼寧の現地住民を強制収容する法案が提出できます。後は第二次満州事変の真犯人が中華民国であると分かれば、国外追放しても問題ありません」
「密入国を手引きする者も少なくありませんでした。これで煩わしさは消えます」

 日本が中華民国から割譲させた東遼寧では、日本の支配に反発する現地人が少なくなかった。
 日本政府は『日本人としての義務を果たせば権利を保障する』というスタンスだったのだが、大陸出身者は日本人が自分達の故郷で大きな顔をするのが我慢できなかった。
 日本の支配に反発しない人間もいたが、それは形式的にでも日本人になればいろいろと恩恵が受けられると考えているに過ぎず、日本に忠誠を誓った訳ではなかった。何かあれば弓を引く可能性が非常に大きかった。
 台湾のように同化政策を取るという提案もあったが華僑系の工作拠点にされる可能性があることや租界でのテロなどが問題視され、国外退去処分の執行が内々に決定されていた。今の日本に不穏分子を放置する余裕はないのだ。
 勿論、いきなり国外追放を行うといろいろと面倒なので、『破壊活動を防ぐ』という理由に加え、『日本国内で反中感情が高まったため、罪のない中華系市民が襲われるのを防ぐ』というお題目もつけて新領土での中華系住民の強制収容をまず行うのだ。そして第二次満州事変の真相を明らかにして、夢幻会とそれに連なる一派は一気に彼らを追放するつもりだった。
 ただし、それも安全保障上の理由だけでなく、『中華系市民が平穏な生活を送るためには祖国(中華民国)へ帰還するしかない』との理由も掲げ、政府主導の中華系住民の帰還事業として行うつもりだった。勿論、夢幻会としては彼らが保有していた動産、不動産から算出した補償金も渡すつもりだった。
 客観的にみると、かなり中華系住民に配慮した政策であるが、夢幻会はそれを是としていた。

(日本はあくまで人道的でなければならん。ドイツが強権で支配する覇者なら、我が国は徳をもって支配する王者であることを示さなければならん。実情がどうであれ、だ)

 近衛は皮肉気に唇を軽く釣り上げるが、すぐに表情を切り替える。

「問題は朝鮮だ。あの皇帝は暗愚でないから余計に頭が痛いだろう。詫びも兼ねて帝国の名前を返上することを打診しているが……」

 外国人に日帝打倒を主張した人間は政府とは無関係の人間だったため、韓国政府への咎めはなかったが、租界周辺で発生した暴動の影に両班がいたとの情報は問題視されていた。
 件の両班はすでに『謎の事故死』を遂げていたが、日本国内の反韓感情を盛り上げるには十分なインパクトを持っている。

「日本国内では韓国人をすべて追放して、半島を併合して開発したほうがよほど土地を有効活用できるとの意見まであります」
「また強硬派を押さえなくてはならない、か。全く、あの連中は余計なことしかしない」
「無能な味方ほど怖いものはないとはよく言ったものです」

 近衛は頷きつつも、韓国がああなった要因の一つが自分たちにあることも理解していた。

(我々が支援をケチっていたツケか。韓国政府、特に宮廷には碌でもない人間が多すぎる)

 韓国をまともにしようとするなら、日本が徹底的に手を入れるしかない。だがそれをすれば日本は膨大な負担を余儀なくされる。夢幻会はそんな負担を被るのはご免だった。

(馬鹿なことをしたら即座に、徹底的に叩くしかないか。物覚えが悪い、噛み癖のある狂犬を躾けるように。だがこの狂犬には曲がりなりにも知恵があるのが問題か)

 近衛は軽くため息をつくと、話を再開する。

「……いや奴らを侮るな。侮りは油断を招き、連中に付け入る隙を与えることになる。そして決して信用するな。対等な存在と思って信用すればいつかは裏切られる。奴らの頭には対等な関係などない。あるのは上下関係だけだ。今は我らが上位に立っているから下手に出ているが、必ずいつか牙をむく。今回のようにな」
「はい。私達も衆議院議員の二の舞は御免です」
「まぁ鼻息が荒かった連中が多少静かになったのは、僥倖でしたが」

 世間には貴族院を「保守派の牙城」、「反政党の牙城」などと言う人間もいた。だが親中派の衆議院議員が、実は華僑に篭絡された議員が出たという報道から衆議院に対する国民の目が厳しくなったこともあり、衆議院の威勢も幾分小さくなっていた。当然、貴族院に属する議員の溜飲が大いに下がったのは言うまでも無い。
 片や衆議院では篭絡された議員とその所属政党への攻撃が行われると同時に、次の選挙に向けて対中強硬政策を掲げる政党が増えていた。

「あとは諸外国による工作を防ぐための法整備。これも手は抜けん」

 近衛が有志達と押し進めている法案の中には、諸外国による国内への工作を阻止するための物があった。
 そしてそれは単にドイツやフランス、ソ連などの有力な仮想敵国だけでなくイギリス、福建共和国、カリフォルニア共和国、華南連邦、東南アジア諸国などの味方とされる国々からの工作を防止するための法案でもあった。

「アメリカの二の舞になるのは嫌でしょう?」

 近衛はチャイナロビーによって対日強硬路線をとったとされるアメリカの先例を出して、周囲を説得していた。
 加えて大量の移民を受け入れていたアメリカが、最後には無惨に瓦解したことも近衛にとっては有難かった。労働力の不足を補うには移民も必要ではないかという意見もあったのだ。そのような意見を封殺するには移民大国アメリカの末路は恰好の先例だった。

「期間限定の出稼ぎ労働や、秀でた能力を持つ人間については受け入れを考慮しても良い。だが安易な移民の受け入れは絶対に阻止する」

 史実のEUでの移民問題を良く知る人間としては、安易な移民受け入れなど自殺行為でしかなかった。今は苦しいかも知れないが、今は耐え凌ぐべき時期というのが近衛の判断だった。会合もその判断は支持している。「産めよ増やせよ」の推進と共に、子育てのための支援も拡充する予定だった。

「まぁ何はともあれ、今は復興対策を最優先だ」

 1944年以降から起こるであろう大災害に対処するため、日本政府は事前に予算や物資をプールしていた。あとはその予算を執行するための手続きが必要なだけであった。

「復興を進め、この程度の災害では日本には付け入る隙は生まれない……諸外国にそう思わせることが重要だ」

 この後の日本政府の迅速な対応は、日本政府の危機管理能力の高さを示すものとして語られていくことになる。
 当然、日本の弱みに付け込もうとした者達の行動も後の世まで語り継がれることになり、21世紀以降も大陸出身者(特に華北出身者)に対して厳しい視線が向けられる理由となっていく。
 そして帝国の政策決定へ外国(特に大陸)が関与することを嫌悪する傾向は華南連邦や福建共和国による各種の対日工作を大いに阻害し、一部の不逞の輩が望むような野望を阻止していく一助となる。



 東西の境界に位置するトルコ。
 親日国でありながら、枢軸との関係が深いこの国は日英と欧州枢軸が接触するには丁度良い位置にあった。
 イギリス人とドイツ人、そして日本人の男性3人はイスタンブールにあるホテルの喫茶店で茶を飲みながら、ラジオニュースで報じられる暴動の様子を聞いていた。チューリップの形を模した小ぶりのグラス『チャイバルダック』で甘い紅茶を飲み終えた後、男達は口を開いた。

「この程度の情報で引っ掛かって暴動を起すとは……呆れて物も言えん。日本人が侮れないことは判っているだろうに」
「所詮、中国は古臭い歴史と無駄に多い人口しか自慢がなかったということだ」

 イギリス人は呆れたような顔をし、ドイツ人は二度目の醜態をさらした大陸の住人達を嘲笑った。

「おや、良いのですか? そのような言い方は重慶の友人に失礼なのでは?」
「ふん。連中も似たような物だ。あの山奥に引篭もっているが、将兵の士気はガタガタだ。全くあれだけ軍を梃入れしてやったというのに」

 蒋介石に軍事支援をしていたのはドイツだった。ゼークト将軍など有力な将校を派遣して、中国軍の近代化に協力していた。しかし彼らの投資は見事に無駄になった。蒋介石はアメリカの支援を受けた張親子に大敗。今や重慶に引篭もるだけで手一杯だった。市場としての価値は激減していた。
 そして蒋介石を追いやった張学良率いる北京政府も瓦解して、支那は戦国時代に突入していた。残る有力勢力は日英側。ドイツは大陸への足がかりを殆ど失っていた。蒋介石を支援しようとしても、下手な行動を起せば華南連邦にあっさり潰されてしまうのだ。彼らは日英の黙認の下、ほそぼそと商売するのが手一杯だった。

「アジアで我々に対抗できるのは君達だけということかな」

 ドイツ人から最大の賛辞を送られた日本人は、「いえいえ」と首を横に振る。

「日本がいくら急速に発展していると言っても、一国で白人世界全てと対抗するのは難しいでしょう」
「謙遜は日本人の特徴ですが、それも過ぎれば嫌味になりますよ」

 イギリス人の発言に、日本人は苦笑する。何しろ日本帝国はその気になれば列強海軍全てを叩き伏せることが出来る海軍を保有しているのだ。さらに超重爆富嶽と核兵器が組み合わされば、欧州列強と言えども唯では済まない……それが彼らの認識だった。
 ちなみに三式弾道弾、そしてその後も開発が進められている弾道弾の存在が欧州枢軸の軍人達を焦らせていた。何しろ富嶽に対抗できる手段さえ未だに開発途上なのだ。『あの』日本人達がアラスカから直接欧州を叩ける弾道弾を、それも核を搭載した代物を作らない保証は無い。

((海と空から、世界は連中に支配されるのではないか?))

 イギリス人とドイツ人は共通の疑念を抱いていた。
 イギリス人の場合は裏切りの代償を払えば、まだ何とかなるが……露骨な階級制度を導入し敗戦国国民や有色人種、ユダヤ人を酷使し、日本人と張り合っているドイツ人は気が気でない。日本人の威を借りた有色人種たちがこぞって復讐してくる可能性を捨てきれないのだ。
 そんな恐れが影響してか一時期のドイツでは超兵器で武装し、白人世界を植民地にしようとする日本軍と戦う正義のドイツ軍(+親衛隊)が描かれる話が増えることになる。
 勿論、夢幻会会合の面々はそのような話を読むと「ねーよ!」と総突っ込みを入れた。
 彼らは日本の国益から考えて、有色人種を救うための大戦争など御免だったし、ドイツと張り合うために過剰な軍備を好き好んで保有したいとも思っていない。しかし日本の爆発的といっても良いレベルの発展、そしてこの度の戦争で見せ付けた圧倒的な力が過大評価に繋がっていた。21世紀には日本が世界を征服するのではないかと真顔で言って憂慮する人間さえ居るのだから今の日本がどんな目で見られているか判る。
 ドイツの外務大臣であるリッベントロップは日本と直接勢力圏を接するのは危険すぎるとさえ主張していた。

「ソ連を潰してヨーロッパロシアと極東シベリアで分割するにせよ、ソ連中央は各民族を割拠させて独日の緩衝地帯とするべきです」

 彼はそうヒトラーに進言していた。
 一部では弱腰との意見もあったが、日本と勢力圏を接して日本と敵対して戦った国々が悉く滅亡の憂き目にあっていることを考慮すれば彼の意見も嘲笑することは出来ないものだった。「ゲルマン民族万歳」のナチス高官たちでさえ日本と正面決戦で勝てるかと聞かれれば容易に「勝てる」とは言えないのだ。中でも頭が痛いのは海軍関係者だった。
 日本海軍の空母部隊が大西洋に出てこなくとも、高速潜水艦部隊が暴れまわれば大西洋のシーレーンはズタズタにされてしまうことを理解しているレーダー元帥とディーニッツ大将など、帝国との戦いは自殺行為でしかないと考えていた。

「たとえイタリアとフランスが海軍を整備しても、今の対潜装備では歯が立たない」

 折角、膨大な国費を投じて戦艦や空母を建造しても、瞬く間に日本海軍ご自慢の高速潜水艦によって喰われてしまう危険があった。
 しかし既存の護衛艦を量産しても、的が増えるだけで意味が無い。イギリス人の対潜装備を参考(パクリ)にして新たな装備を開発しても、大きな成果は出せないというまさに八方塞な状態だった。これまで商船を狩る側だったドイツ海軍は、守る側となって初めてその困難さを理解できた。

「いっそ、日本から対潜装備を駆逐艦ごと購入できないか?」

 冗談半分(半分は本気)でそんな意見すらある程、彼らは追い詰められていた。
 有名なポルシェ博士は「今日、予算と人材を惜しんで日本との競争に遅れを取れば、明日のドイツは膨大なツケを支払うことになる」と言って憚らない。
 日本から言えば迷惑この上ない過大評価なのだが……その評価が日本に恩恵を与えているのも否定できないのが痛し痒しだった。東南アジアに日本の威光が届くのも、『欧州枢軸と張り合える(又は恐れられる)有色人種の雄』との看板があるからなのだ。

「まぁ何はともあれ、ご愁傷様です。本国は大丈夫ですか?」

 イギリス人の問いに、日本人は頷く。

「ええ。沿岸で大きな被害が出ましたが、初動が早かったので被害は抑えられました。鳥取地震での教訓も十分に活かすことができましたから」

 実際、日本側の対応は迅速だった。
 現地の地方自治体、、警察、消防、そして周辺から派遣された海上保安庁、軍が予め用意されたマニュアルに基づいて適切な行動をとり、被害を抑えることができたのだ。
 特に回転翼機(ヘリコプター)は鳥取地震の際と同様に大きな成果をあげ、今後の防災において重要な機材であることを明らかにした。それゆえに海軍の一部は歯噛みした。

「隼鷹型空母の改装が間に合っていれば……」

 改造空母である隼鷹型は、本格的な強襲揚陸母艦を建造する前に運用データを収集するための実験艦にするため改装工事の真っ最中だった。
 実験艦であり元が空母であるので揚陸能力は高いとは言えないが、この艦のヘリ運用能力があれば、今回の震災においても十分な働きができたはずだった。

「まぁ政府はまだまだ不足だと考えているようなので、今回の震災で発生した問題点を洗い出すつもりのようですが」
「抜かりがありませんね」
「何しろ天災が後を絶えないので。我々もアメリカの二の舞はご免ですから」
「確かに。あの食い詰め者たちの子孫と同じ真似はできないな」
「所詮、連中は成金ということでしょう」

 男たちは、かつて北米大陸に存在した強国を嘲笑する。

「それにしても、素晴らしい即応体制です。全く、本国にも見習って欲しいものだ」

 イギリス人は上から聞いた情報を思い出していた。

「帝国軍と警察は現地に展開。救助活動を開始」
「警戒中の日本海軍第1艦隊が現地に急行。海上保安庁も急行中」
「帝国政府は矢継ぎ早に対応を指示し、日本国内の動揺は最小限に留まる模様。経済、軍事への波及は最小限に留まる可能性大」

 様々なルートで情報が流れたが、その多くが日本帝国政府の危機管理能力の高さを物語るものであった。
 一方、イギリスとイタリア政府は、被災した日本に対してお悔やみの声明を発表すると同時に人道支援を申し込んでいる。ドイツ人とフランス人も付け入る隙がないと判断すると直ちに行動方針を切り換えていた。

「大西洋大津波の教訓から、災害への即応体制の整備が必要不可欠であることは明らか。今後は、その分野を貴国から学びたいと思っています」
「イギリスとの関係を強めるのは、我が国にとっても大きな利益になると思っています。それに不幸な行き違いこそありましたが、友好国と思っていますので」

 実際には、対英不信が未だに強いのだが……日本人は平然とそう告げた。
 世論の動向は確かに警戒しなければならないが、世論を気にしすぎて動けなくなるのは本末転倒だった。
 実情を知っているだけにイギリス人も内心では苦い思いをしたが、それを表には出さない。ドイツ人のほうをチラリと見て頷く。

「『今後』のためにも我々の協力はますます重要になるでしょう。虎の威を借りた跳ね返りを押さえるためにも」

 それはイランを後押しするドイツへの皮肉だった。
 だがドイツ人にその皮肉は効かない。イランを抑え込む力さえ失ったイギリスが悪いとばかりに軽く笑う。

「中東のことを気にするより、まずはご自慢の宝石を心配するほうがよいのでは? 最近、無茶な扱いをして罅割れていると聞きますが?」
「ええ。ですから多少手入れすることになりました。具体的には不純物を取り除くことで、ね」

 それはインド帝国を分離・独立させることを告げるものであった。だがそれだけで事が済むとはドイツ人には思えなかった。

「それだけで済むと?」
「希望があれば、人間は多少のことは我慢しますよ。彼らにとって自分の国を持つことは悲願でした。勿論、我々も彼らが移動しやすいように手を打ちます」
「その作業のためにインド洋にあれだけの艦隊を集める、と?」
「ベンガル地域で被災した地域への救援もあります。大規模な人道支援のためには軍の出動が必要です。あとは中東の跳ね返り対策ですよ。茶々を入れられると困るので」

 お前らがもっと統制してれば問題なかったんだよ、と言外に述べるイギリス人。
 面白くなさそうな顔をしたドイツ人は、日本人に顔を向ける。すると日本人は笑みを浮かべて頷く。

「ええ。あくまでもこれ以上混乱が拡大しないための威圧、です。別に貴国の勢力圏を切り分けるためのものではありません」
「その割には、いろいろと凝った催し物をすると聞きますが?」
「観客を驚かせる見世物を披露するのは、主催者の義務ですから」

 日本人の返答に、ドイツ人は忌々しさを感じつつも、納得したように頷く。

「確かに。催し物では相応の見世物が必要でしょう。ですが、会場の周囲の人間に迷惑となる見世物もどうかと思いますが?」
「いえいえ、そのようなことはありませんよ。それにそんなに心配なら独自に警備員でも送られたらどうですか?」
「………」

 ドイツ人が黙るのを見た日本人は話題を切り替えるように言う。

「何はともあれ、最低、あと3年は現状のままで固定でしょう」

 日本人の意見に反対意見は無かった。イギリス人もドイツ人も国土再建で忙しい今、これ以上、他所で小火騒ぎを起す余裕は無かった。今は民力休養の時期である……これが彼らの共通認識だった。逆に言えば小火騒ぎが起きない程度の工作なら進めても構わない訳であり両者は水面下で激しい駆け引きを繰り広げていた。中東、インド、アフリカなどがその舞台だった。
 イギリス人はもう一度紅茶を飲んだ後、ドイツ人に向けて嫌味を籠めた口調で言う。

「しかし問題は欧州世界の跳ね返り達です。シリアを拠点にして穏やかならぬ企みをしていると聞きますが?」

 フランス人がシリアを拠点に中東のイギリス勢力圏にも食指を伸ばそうとしていること、そしてそれをイギリスが掴んでいることをイギリス人は暗に示していた。これに日本人も続いた。

「カウボーイ達も色々ときな臭いと聞きます。疫病の封じ込めを疎かにするのはどうかと思いますが?」
「判っている。何としても止める。こちらもこれ以上、領土を拡張するつもりはない」
「ミュンヘン会談で同じ台詞を聞いた気もしますがね」

 痛烈な嫌味だった。
 そして彼らの前には、早期にドイツの脅威を見抜いてドイツを潰そうとした国の人間がいた。2人の視線を受けた日本人は真意を掴みにくい曖昧な笑みを浮かべつつ口を開く。

「その台詞が履行されることを期待しています。ただ……」
「ただ?」
「先ほどの台詞でもありましたが……二匹目の泥鰌はいないことをお忘れなく。我々は他所の内情に細かく文句は言いませんが、我々の縄張りに 手を出してくるなら……相応のやり方で対応させて頂きますので」
「上に伝えておこう」

 席を立つドイツ人。

「それでは失礼する」

 ドイツ人を見送った後、イギリス人は日本人に尋ねる。

「欧州枢軸は戦力を増強しているようですが、そちらはどう思っているのです?」
「負けはしないでしょう。電子技術では、こちらには及びません。電子戦では間違いなく勝てると考えています。それにアメリカの特許はこちらが押さえました。おかげでニューヨークの金塊の分配については少々、彼らに譲歩しましたが……将来的には効いて来るでしょう」

 レーダー等の開発でドイツは日英側に対して大きく遅れを取っているのは事実だった。
 さらに日本はアメリカが持っていた特許を軒並み差し押さえている。これを存分に使えば技術大国ドイツを引き離すことも可能だった。

「ただドイツ軍の質は侮れません。兵器の性能で圧倒できても、油断できない相手と軍は判断しています」
「我々としては、電子技術でも提携したいと思っているのですが」
「我々もドイツと相対するためにイギリスとの協調が必要と考えています。ですが国民の間では未だに不信感が強いので色々と苦労しているというのが実情です。この状態で、電子技術の分野で提携するのは不可能です。部品の売却すら難しいでしょう」

 電探、近接信管、電子計算機などは軍事機密だった。戦前ほどの関係があれば提携も不可能ではなかったが、現状では難しかった。戦場での切り札になることが判っているものを『裏切り者』である英国に渡すと言ったら海軍が猛反発するだろう。彼らは多くの戦友を地中海で失ったのだ。さらに英国は旧式とはいえ、日本軍の戦闘機を米国に売り渡したという前歴がある。これではドイツに横流しされる危険があると言われても仕方が無かった。

「とりあえず、カリブ海での限定運用、連絡将校派遣が認められれば、カリフォルニアが保有している高速戦艦1隻をそちらに回します」
「自由な運用はやはりだめですか」
「曲がりなりにも16インチ砲搭載艦ですので欧州方面の均衡に影響が出ます。こちらも必要以上に彼らを追い詰めたくはありません。下手をすると連中、墓所で眠っている幽霊船を強引に引きずり出すでしょう」

 ドイツは防疫線の内側にある旧アメリカの造船所を調査していた。
 ヒトラーは使い物になるなら、再就役させよとの命令を下しており、工作艦も持ち込まれているほどだ。尤も建造中の艦艇の大半は失われており、形が残っていても使い物にならないと日英側は考えていた。しかしヒトラーが無茶な命令を下せばどうなるかは分からない。かの国は独裁国家であり、独裁者の命令は絶対なのだ。

「仮に使い物になるとすれば、戦艦のような頑丈な艦……建造していたアイオワ級とモンタナ級。これらを再利用しようとするかも知れません」
「どれも使えないのでは?」
「ドイツ人が不可能を可能にしないという保証はありませんよ。それに無理をしてアメリカ風邪が欧州に上陸されても迷惑です」
「確かに……」

 日本からすればイギリスにテコ入れしすぎて、ドイツを暴走させては元も子もないのだ。
 周りに人がいないことを再度確認した後、日本人は小声で話す。

「とりあえずインド内のイスラム教徒たちを、パキスタンに輸送しましょう。我々も備蓄を切り崩して必要な物資を捻出します」
「ドイツ人は我々の思惑に気づくでしょうか?」
「当面は気づかないでしょう。それに下手な手出しはしないでしょう。何しろパキスタンの分離はヒンドゥー教徒とイスラム教徒も大歓迎のはずです。その状態で分離独立を妨害するような真似はしないでしょう」

 日本とイギリスは表向き、ヒンドゥー教徒とイスラム教徒の希望通りに、イスラム教徒をパキスタンに移動させる。
 だが同時にパキスタンでは貧困層が増えることになる。それは必ず不満分子となる。だがそれこそが日英の思惑であった。

「イランは?」
「予想通りイギリス資本接収を諦めていません」
「……なるほど。ではすべて予定通りに?」
「ええ。パキスタンでの準備も進めています。しかし我々の予想通りにいけば、あの地域はかなり不穏なことになりますが?」
「遅かれ早かれ、あの地域は混乱の坩堝となるでしょう。なら、我々がある程度制御できるほうがよいと思いませんか?」
「確かに、それはそうですね」

 2人は揃ってニヤリと笑う。

「しかし英日関係の修復が進めば、より両国が綿密な連携が取れると思いませんか?」
「私もそう思います。ですが日英関係を再び良好なものにするためには、長い時間をかける必要があります。当事者たちが引退し裏切りの記憶が風化すれば……」
「長いですね」
「ただしイギリス側の誠意が見える配慮も必要でしょう。そして再び不義理を働かないという証も必要かと」
「これ以上、市場を開放せよと?」
「貴国にも養うべき民が居る以上、無理強いはしません。ですが別の形でも良いので、もう少し対応してもらえると助かります。それと貴国でファシスト勢力が台頭しているというのも懸念材料として挙げられています」
「……本国に伝えましょう」

 急速に火薬庫と化していく南アジア周辺を舞台に、世界を主導する日英独三ヶ国のつばぜり合いが続く。
 このつばぜり合いが最終的に何をもたらすか……それを知る人間はまだいなかった。





 あとがき

提督たちの憂鬱外伝戦後編7をお送りしました。
東南海地震終了で、1944年のイベントは全て終了しました。次のイベントであるインド洋演習の一端に触れました。
疾風のお披露目も近いと言えますが……その前にまだこなすべきイベントがある予定ので、疾風の雄姿はもう少しお待ちください。
それでは提督たちの憂鬱外伝戦後編8でお会いしましょう。


 今回採用せていただいた兵器のスペックです。

シコルスキー3式汎用回転翼機

全長   :19.00m
胴体全長 :12.60m
全高   :4.65m
ロータ直径:16.15m
自重   :2250kg
全備重量 :3600kg
最大速度 :160km/h
航続距離 :700km
発動機  :三菱重工「寿」エンジン(600馬力)
乗員数  :乗員2、兵員10。または救助員2、担架6床
武装   :基本的に非武装。ただし機関銃やロケット弾の搭載は可能