西暦1944年6月9日。
大日本帝国陸軍は無法地帯と化していた北満州を平定するため進撃を開始した。
進撃するのは本土からの増援を含めて編成された北満州派遣軍。その内訳は2個師団と3個混成旅団、1個飛行師団という大規模なものだ。当然、それは帝国にとって久しぶりの大規模な軍事行動だった。
「野盗ごときに大げさでは?」との声もあったが、旧張学良派の部隊が幾つかの都市を占拠した上で現地住民を徴用し、数だけなら、かなりの規模の部隊を形成しつつあったことや旧ソ連の脱走兵達の存在が反論を黙らせた。
また帝国にとって裏庭となった地域を不安定化させるのは、帝国の力量を疑われるとの声も、短期決戦を後押ししていた。
そして北満州派遣軍司令官に任じられた牟田口中将は、攻勢部隊である2個師団(それも機械化歩兵師団)を使う前に入念な情報収集に当たっていた。
「野盗に後れを取っては末代までの恥だ」
牟田口はそう言って幕僚を戒め、敵地の情報収集にあたった。
同時に牟田口は情報局、そして陸軍特務機関とともに、敵の切り崩し工作も積極的に行っていた。尤も当人は「まるで戦国時代の感覚だよ」と多少、当惑していたが……。
何はともあれ、北満州派遣軍が出撃する前には、かなりの手応えを牟田口は感じていた。
「北満州を押さえるための手駒は揃ったな」
日本、いや夢幻会としては内陸である北満州を直接統治するつもりは更々ない。そして国力の面からも、そんな余裕もなかった。
このため、ある程度は信用できる子飼いの勢力を用いた間接統治を行うのが会合の方針なのだ。
(圧倒的大軍を揃えて敵をまとめて薙ぎ払って『俺TUEEE』をするのも良いが……後始末のことを考えるとな)
牟田口は内心でそう苦笑しつつ、全軍に出撃を命じる。
そして北満州派遣軍はまず交通の要衝であるハルピンの制圧を目指した。
慌てたのは、旧張学良派の残党軍であった。南満州から追い払われ、北京政府からも見捨てられた彼らからすれば日本軍の北進は死活問題だった。
素早く情報を入手していた者達は素早く逃げ出すか、情報と今後の忠誠引き換えに日本に恭順した。だがそれ以外の者達は文字通り鋼鉄の濁流に呑みこまれた。
一部の者は頑強に抵抗したが、歩兵を支援するための戦車が出てくると手も足も出なかった。何しろ、前線にいた残党軍にまともな対戦車兵器はなく、創意工夫して対抗しようとする人間もいない。
「戦車を出すと、まるで蜘蛛の子を散らすように逃げ出していった」
それが戦車兵たちの感想だった。
しかし残党軍の人間が全て逃げたわけではなかった。一部の残党兵は便衣兵としてゲリラ攻撃を開始したのだ。
だが日本側はすでに南満州で似たような目に合っていたので、驚くには値しなかった。犠牲こそ出たものの、治安維持にあたった混成旅団は物資を餌にして現地住民を味方につけて逆に便衣兵の炙り出しを実行して便衣兵を掃討していった。
「支那人は地元民を味方につけないゲリラ戦など成功しないことが分からんのか……」
抵抗が全く意味をなさず、日本軍がハルピンに迫ってくることを聞いた残党軍は、慌てて切り札であった戦車を持ち出すことになった。
尤も実物を見た日本側は半ば呆れかえったが……。
「何?」
前進していた四式重戦車、そして三式戦車の車長たちは相手を確認して、一瞬であったが目を疑った。
彼らが持ち出したのはソ連から横流しされたドイツ軍のU号戦車F型だった。
本来は中国共産党に送られるはずだったこの車両は、食糧と引き換えに残党軍の手に渡っていたのだ。この戦車は残党軍にとっては虎の子の戦車であったが、日本からすれば的でしかなかった。
外から見ても、明らかに錬度不足及び整備不足と思われるU号戦車2両の機動は遅く、更に街道周辺にある木々や建物をまったく有効に使えていなかった。
「「「「撃て」」」」
停止して照準を定めた四式重戦車、三式戦車あわせて4両から撃ちだされた105mm砲弾、90mm砲弾は2両に降り注いだ。
非力な軽戦車でしかないU号戦車には当然のことながら、全く対抗する術がなかった。大口径の砲弾によってあっさり正面装甲を貫通されて2両とも炎上した。
ちなみにこのU号戦車以外にも車両があったのだが、それらは航空隊と対戦車兵器を保有した歩兵達によってあっさりと撃破され、残党軍は瞬く間に敗走した。
最後の頼みだった防御陣地も、痛い子中隊が操る飛龍(流星)や砲兵連隊による猛攻と四式重戦車と三式戦車の突撃であっさり抜かれてしまい、ハルピンはあっという間に丸裸となった。
「今、降伏すれば命は保証する」
そんな宣伝ビラをばら撒かれた上、陸の戦艦と言われても信じてしまう程の威容を持つ四式重戦車が迫ってくる光景を見た残党軍は内部から崩壊した。
「あんな化け物に勝てるか!」
「これ以上、付き合ってられるか!」
士気は瞬く間に崩壊し、もともと緩かった統制は消えてなくなった。そこには満州決戦で見せた粘り強さなど欠片もなく、満州決戦経験者を驚かせた。
そんな日本側の反応などつゆ知らず、残党軍の兵士はすべての責任を元上官たち(中には顔の形が変わるほど殴られた者もいた)に押し付けて降伏する。そしてハルピン陥落後、日本陸軍は一気に北上する。
「張学良派残党の掃討は完了しつつある。次はソ連軍だな」
インド、北米と各地で問題が多発しているため、日本側としては短期決戦を狙っていた。故に彼らは一切、手を抜かなかった。内通させた裏切り者から得た情報、事前に潜入させた諜報員から得た情報を元に油断せずに進撃する。
ごく稀にソ連軍の脱走兵が操るT−39が現れたこともあったが、日本側の戦車の前に対抗することはできず、無残な躯を野にさらすだけに終わった。
「露助の戦車はブリキ缶だぜ」
敵戦車の砲弾を跳ね返す一方、一撃で敵戦車を討ち果たしていく味方戦車を見た兵士たちは意気軒昂だった。
脱走兵の中には19‐K45mm対戦車砲を持ち込んでいる者もいたが、この対戦車砲から放たれた砲弾は九七式中戦車の装甲も貫けず、空しく弾かれるだけであった。
そしてこのような一方的な戦闘に精神的に耐えられる者などいない。多くの脱走兵は潰走するか、日本軍に捕らわれた。
「……史実の日本陸軍戦車兵が聞いたら泣いて喜ぶな。あとこれだけ勝てば、無能扱いはないはず」
牟田口は報告を聞いて満足げにうなずく。しかし戦車畑の人間達はやや渋い顔だった。
「四式重戦車は乗員への負担から継戦能力に問題があることがはっきりしたな」
「当面は数の問題から三式戦車が主力となるだろう。まぁ九七式改でも、列強とは戦えるが……ドイツの機甲師団相手だと厳しい戦いをすることになる」
「パンターが相手なら十分だろう。彼らも化け物戦車を全軍に配備する余裕はない」
短期戦で、かつ相手が粘らなかったので表面化しなかったが、四式重戦車の問題点が明らかになったことで彼らは苦い顔となった。
勿論、問題点が明らかにならないよりは良い。だがドイツが今後投入するであろ新型戦車の存在を考慮すると、手持ちの戦力ではやや心もとないという状況は不安を掻き立てるものだった。
「疾風や超隼(超烈風の陸軍側呼称)があれば制空権は握れるだろうが、かの国並の支援は難しい」
「何百両も戦車を撃破されて平気な顔をできるのは米帝だけだ。我が国にそんな余裕はないぞ。下手をしたら将官の首が威勢よく飛ぶことになる」
「対戦車兵器の充実、それに攻撃ヘリの開発・配備も急ぐ必要があるか」
今回はヘリ部隊も実験的に投入され、それなりの実績を上げていた。
「まぁ何はともあれ、新兵器の実験としては十分な成果を上げた。後は内地で総括だな」
そして日本側の新兵器実験テストを兼ねた北満州掃討戦は、8月に起こった満州里解放戦をもって完全に終了し、満州全土は一定の安定を取り戻した。日本側は現地の有力者や子飼いの軍閥に自治を任せて南満州に引き上げた。
だが満州が安定する一方、安定化とは程遠い地域が間近にあった。
それは中華民国……かつて『眠れる獅子』と呼ばれ、日清戦争前にはある種の畏怖をもたれていた大国の末裔は、その眼を最後まで
開くことなく四分五裂に引き裂かれ、無惨に瓦解していた。
対日戦争の敗北、盟友であり後ろ盾であったアメリカ合衆国の消滅、そして上海での蛮行は中華民国政府の威信と信用を
完膚なきまでに失墜させた。さらに中華王朝を支える中央政府の軍事力が消滅したことによって、国内の不満分子の胎動を押さえる
ことさえできなくなり……西暦1945年を迎える前には完全な、そして熾烈な内戦状態に突入していたのだ。
近代兵器を用いて同族同士で殺しあう凄惨な戦いが各地で繰り広げられたが、その原因の一つとして挙げられたのが43年から
44年にかけて起こった飢饉だった。
「うちの畑は全滅だ」
「山もダメだ。まともに山菜が育っていない」
各地の農村は立て続けの飢饉によって食糧不足に陥り、農民達は自身の不幸を嘆いて天を仰いだ。
農村からの食糧供給が断たれれば、都市部が影響を受けるのは当然の流れであった。さらに日本は第二次下関条約を盾に中国から
賠償金代わりに大量の食糧を供給させていた。これによって食糧価格は跳ね上がるのは当然の流れであり、それが何を齎すかは火を
見るより明らかだった。
「無能な政府を打倒せよ!」
相次ぐ反政府暴動、そして中央政府の軍事力の低下による各方面軍の離反が結びつけば、あとは内戦一直線だった。
政府は食糧を買い叩いていく日本へ怒りを転化させようとしたが、焼け石に水であり、そればかりか政府が日本に負けたから
こうなったとの論調が高まった。
「日本の傀儡政権を打倒せよ!」
反日が、反政府に変わったためにもはや北京政府には打つべき手はなかった。
彼らは首都周辺と華北こそ支配していたものの、他の地域の支配権を失った。こうして中華王朝末期同様の壮絶な内戦状態に
突入した。
群雄割拠する軍閥、食べるために匪賊となって各地で略奪行為に手を染める元農民。三国志の時代から変わらぬ光景が20世紀の
世界において出現することになる。
提督たちの憂鬱 戦後編3
戦後秩序が決められたサンタモニカ会談から8ヶ月近くが経ち、当初は熱狂していた日本国内も平穏を取り戻しつつあった。
時間の問題に加えて、世界各地で吹き荒れる異常気象が日本人に冷や水を浴びせていたのだ。日本国内でも冷夏によって国内農家は
大きな打撃を受けていた。日本政府が前もって食糧を輸入して備蓄に励んでいたこと、困窮する農家への補償の準備をしていたことも
あって大きな騒ぎにはならなかったものの、日本人を冷静にするには十分だった。
「鳥取地震に続けて、この異常気象……神風とばかりは喜んでいられないな」
「非常時に対する備えは必要だな」
大西洋大津波を『神波』と称していた者達も南北アメリカ、アフリカの被害、そしてこの異常気象によって手を叩いて喜んではいられなかった。
尤も神波を煽っていた者の中には、すぐに日本政府や経団連などが進めていた防災キャンペーンに乗り換える者さえ居た。
「備えあれば憂い無し!」
「国を挙げた防災計画こそ、国家百年の計に適う!」
「アメリカの愚を繰り返さないように手を打たなければならない!」
影に日向に仕向けたとはいえ、一部の評論家やマスコミ、そして政治家の掌返しに嶋田たちも苦笑いを隠せなかった。
だがそれを苦笑いで済ませられない男も存在していた。
「……全く、困ったものだ」
真新しいビジネスビルの一室で、トレンチコートを着た男は表向き飄々とした表情で呟いていた。だがその心の奥底では自身の言動や行動に
責任を持とうとしない者たちへの侮蔑で満ちていた。
男……村中少将がいるのは国際都市であり魔都と言われる大都市『上海』。ここで村中は大陸での諜報戦の指揮に当っていた。
「自分達がどれだけ恵まれているかも理解せず、悪戯に政府に不満をぶつけるしか能が無い連中は始末に終えないな」
海外で活動しているからこそ、村中は日本が如何に恵まれているかをその身で理解していた。
「世界の過半は困窮していることを理解しているのか? どれだけの人間が日本を羨望していることか」
北アメリカ東部の窮状振りは調査団の報告によって明らかになりつつある。その被害は筆舌し難いものであり、人類史上例を見ない物と言えた。
だが被害を受けたのは北米だけではなく、南米、アフリカ、欧州と広範囲に及ぶ。
欧州各国は沿岸部を中心に大きな打撃を受けた上、第二次世界大恐慌やその後の異常気象、泥沼だった東部戦線が彼らの窮状に拍車を掛けていた。
そして困窮したからこそ、彼らは露骨な階級制度を築いて口減らしを行い、北米で旧アメリカ合衆国の遺産の略奪に精を出しているのだ。
中国では中央政府の統制が失われた結果、果てしない戦国時代に突入していた。これにソ連向けの奴隷貿易が加わったため社会の荒廃に拍車が掛かっている。
この荒廃によって喰うに困った者、奴隷として売り飛ばされることを恐れた者は上海や天津などに集まっていた。高層ビルから見渡せば、郊外には
大量のバラックが並んでいるのが見える。
そして難民達の中には日本、或いは福建共和国への密入国を企む人間が少なくないのが問題だった。豊かな日本、或いは日本勢力圏に潜り込もうとする
面々に日本側は頭を悩ませている。
それに加えて朝鮮からの密入国も問題だった。
裏切り者のレッテルを貼られた朝鮮では誕生した軍事政権の下、強権的支配が行われており反対派は容赦のない粛清を受けていた。また日本から支援を
受けているとは言え、飢餓が無くなった訳でもない。故に日本への密航を狙う人間はあとを絶えない。
だが皮肉なことに、そんな中朝よりもマシなのがかつて『世界の敵』と言われたメキシコだった。かの国は南米各国から冷たい視線を向けられた上に
国家主権すら制限され、列強による搾取さえ受けていた。だがそれでも北米安定化のために手心が加えられており、安価な賃金で扱き使われているとは言え、
最低限の暮らしは出来るように雇用も増えていた。
そして北米情勢を安定化させるため、そしてメキシコ人を懐柔することも兼ねて列強の間で新たな国境線を構築する話し合いが進められている。
「中朝よりも、マシな扱いを受ける『世界の敵』……何とも言えないな」
嶋田は会合でそう苦笑した。
片や日本は、列強ほど大きな被害を受けていなかった。それどころか複数の要因によって好景気を維持することに成功していた。まず
ソ連がロシア民族の存亡を掛けて工業化が推進したことによって日本企業は膨大な利益を甘受できた。ドイツとの約束もあって一定の制限が
あるとは言え、中古の工業設備でもソ連には高値で売れた。おかげで日本国内の設備の更新に弾みが付いている。さらにソ連は日本企業に特別な計らいを
しており、それが日本企業に進出を後押ししていた。
「(経済的な)シベリア出兵と言ったところでしょうか。尤もこの場合、シベリアの土に還るのは日本兵ではありませんがね」
某大蔵大臣が苦笑する程の状況だった。
このシベリア開発特需に加え、東南アジア特需、そして大西洋大津波によって引き起こされた輸送船舶の不足を補うために発生した世界的な
新造船需要拡大が日本の景気を下支えしていた。
円の価値の上昇もあって競争は不利になったものの、日本が入り込む隙もあった。また日本も勢力圏拡大で船舶需要が高まっていたことも造船
業界に活況を齎す要因となっている。
さらに世界各国が貧困や食糧不足に喘ぐ傍らで、日本国内においては日本政府の迅速な対応により国民が飢えるような事態は回避されていた。このため国民の間で
不満や社会不安は高まっていない。
要するに日本政府は、いや夢幻会はうまくやっているのだ。にもかかわらず一部のマスコミや政治家が足を引っ張っている……そう感じているからこそ
村中の危機感は否応にも高まっていた。
「だがこうも混乱している状況では、夢幻会を華々しく登場させるのも難しいかも知れん」
さすがの村中も、激変する世界の中で政治的空白を一時的にでも作ることには躊躇した。
加えてつい先日、自分の元を訪れた知人・尾崎との会話が彼に迷いを生じさせていた。
「……帝国の混乱は、列強に付け入る隙を作るだけ、か」
尾崎は夢幻会の情報漏えいについてカマを掛けたのだ。勿論、村中は尾崎に悟られるようなヘマはしなかった。だが尾崎からの情報でイギリスが
賢人機関を独自に立ち上げ、日本を猛追する気配を見せていることを知った村中は、当初の計画を実行するのに躊躇いを覚えるようになった。
村中は賢人政治を高く評価するが故に、他国が賢人政治で日本を追い上げる中で日本の歩みを僅かでも止めるのは拙いのではないかと考えるようになったのだ。
「今は馬鹿共が静かに自滅するように手を打つべきかも知れん」
そう呟くと村中は机の引き出しから黒い冊子を取り出し、ページをめくる。そしてあるページで指を止めた。
「……ふむ、これは使えるな」
村中はそうつぶやくと同志たちに連絡を入れ、哀れな生贄の準備に取り掛かった。
最大の勝ち組と言われる日本帝国が激変する世界情勢に翻弄されている頃、夢幻会によって行われた歴史改変で割を食った地域と言える旧アメリカやメキシコでは
情勢安定化のために日本、ドイツが中心となって新たな取り決めがされようとしていた。
メキシコの隣国・グアテマラの首都『グアテマラシティ』に集まったカリフォルニア共和国、テキサス共和国、日本、ドイツなどの関係国、
そしてオブザーバー扱いのメキシコの代表者は、ある合意に達した。
「峡谷暫定自治区のヒラ川以南をメキシコに返還する」
それはメキシコがかつて奪われた領土が還ってくるという信じがたいニュースであった。
世界の敵扱いされて白眼視されているメキシコ人達はその信じられないニュースに喜んだ。だがそれは当然のことだがメキシコのためではなく、
全てはメキシコ以外の国のためであった。
時は1943年に遡る。
加墨戦争、或いは継続戦争などと言われる戦いで、旧アリゾナ、旧ニューメキシコ周辺は荒廃した。アリゾナは戦場になった上に暴徒化した
難民によって大打撃を受けた。その後、アリゾナは一旦はカリフォルニアの支援で復興を進めていた。しかし元々、アリゾナ、ニューメキシコは
人口密度が希薄であり、社会資本も乏しかった。このため独り立ちは困難であり、逆に周辺にとって不安定要素になるとの判断が下った。
よって一旦、アリゾナ、ニューメキシコは『峡谷暫定自治区』として再編成され、周辺国による復興支援が開始された。
だがその復興支援もつかの間だった。欧州が露骨に有色人種を奴隷化するなどの政策を取って日本の不信を煽り、テキサスが内政問題から
カリフォルニアを敵視し始めたために復興は頓挫寸前となったのだ。
しかし自治区の復興が遅れれば、ますます周辺が不安定となり、アメリカ風邪封じ込めに支障が出かねない。このため周辺国は新たな枠組みを
構築することを当事者抜きで図っていた。そして今回の合意に達した。
『峡谷暫定自治区のヒラ川以南をメキシコに返還する』、『旧アリゾナ州の西北端(グランドキャニオンを除いた区域)をカリフォルニア共和国に
割譲する』、『リオ・グランデ川以東の旧ニューメキシコ州をコロラドとテキサス共和国に割譲する』、『残りのコロラド川、ヒラ川、リオ・グランデ川に
囲まれた区域とグランドキャニオンが新生・峡谷洲共和国として独立する』……この4つが最終的に決定されたのだ。
表向きは、世界の敵扱いされたにも関わらず領土問題で一定の成果を得られたメキシコが得をしたように見えなくともないが、実際には
メキシコは旧アメリカ勢力と隔離されたも同然だった。
カリフォルニアとテキサスは、メキシコ合衆国が北進する理由となった『メキシコ系旧合衆国市民』を迫害から守るためというお題目を
掲げてヒラ川南側に強制移住させた。そしてその厄介者達を土地ごとまとめてメキシコに返すことで、自国内部のメキシコ人を誰にも文句をつけられることなく
排除したのだ。
「メヒ公がいなくなってせいせいしたよ」
それが旧アメリカ諸勢力の本音だった。特にカリフォルニアの白人は「メキシコがアホなことをした所為で、ジャップに頭が上がらなくなった」と
メキシコ人を恨んでいた。よって忌々しいメキシコ系の人間が『殆ど』消えたことはメキシコを暴走させた戦犯たちが処刑されたとのニュースを
聞いた時のように拍手喝采する程、喜ばしい出来事だった。
さらにメキシコが再び血迷って北進してきたときに備えて、新たな防壁『峡谷洲共和国』を樹立できたのだ。それに加え、今回の合意によって
メキシコ人が二度と領土問題で文句を言えないようにした。それでいて、メキシコには表向きは大恩を売りつけた。北米の諸勢力にとっては
一石二鳥どころか三鳥とも言える合意だった。
「これで南は気にしなくて済む。軍を東に向けられるし、国内も安定するだろう」
大統領首席補佐官であるハーストは執務室で安堵した。
カリフォルニア共和国は東から密入国を図る旧東部出身者に悩まされ、ドイツを盟主と仰ぎ、白人至上主義を掲げるテキサスとは対立していた。
それでいて南部にはカリフォルニアの領土に未練たらたらのメキシコまでいたのだ。三正面作戦など冗談ではなかった。
だが今回の一件で少なくとも南の問題は解決。東部でも新たな国境を定めたことで一定の安定を得ることになるのだ。喜ばない訳が無い。
「東部からの難民対策をしっかりしなければな」
アメリカ東部からの難民の大半は滅菌のために殺されるか、封鎖線の内部に叩き出されるか、運が良くても収容所送りだった。幾ら日本からの支援
があると言ってもそれなりに手間になるのは間違いない。その点、ドイツはさらにシビアだった。
ドイツは火炎放射器を装備した装輪装甲車であるSd.Kfz.238生物化学防護装甲車まで持ち込み、滅菌を行っている。
この車両は夢幻会の人間からは「『汚物は消毒だ〜!』を地で行く車両だな」と突っ込まれるような品物だったが、死体の後始末も同時にできるということで
テキサスでは活躍している。
何はともあれ、今後の展開に思いを馳せるハースト。だが、彼の部下は浮かない顔だった。
「しかし、黄色人種である日本人に頭を垂れるという行いに不満を持つ人間は少なくないようです。不安定要素になるのでは?」
その部下も心の底では納得していない様子だった。
この時代の白人にとっては、人種差別はある意味で当たり前だった。その彼らにとって自分達より格下のはずの有色人種の東洋の帝国を、それも自分達が
国際社会に連れ出した後進国を事実上の宗主国とすることに不満が出るのは当然の帰結だった。
「仕方ないだろう。ナチスの軍靴を舐めるわけにもいかんし、裏切り上等のイギリスも頼れん。民主主義を、いやアメリカの精神を守るには必要なことだ」
「……」
同じ白人であるナチスドイツやイギリスは約束破り、裏切りに定評があった。ハーストの言うとおり、例え肌の色が違っても必ず約束(契約・条約)を
守ってくれる日本人のほうが仕事はやり易い。
「確かに不満はあるだろう。だが東アジア開発特需で、我々の自動車工場も活況だ。景気がよくなれば多少の不満は問題なくなる。テキサスのカウボーイ
気取りの田舎者達が我々を敵視するのは国内がうまくいっていないからだろう?」
ナチスドイツの傀儡であるテキサス国家社会主義党は、カリフォルニアを『日本の傀儡国家』、『白人の裏切り者』と罵っている。
しかしそれは、テキサス経済がうまく回っていないためだった。テキサス政府は供給される大量の武器を使って周辺の各州を征圧し、強圧的な支配を
強いているものの、反発も強く統治コストが高い。そのため国内の不和から目をそらすために平和と(かつてと比べるべくも無いが)繁栄を謳歌している
西海岸諸国を敵視しているのだ。
「それに、私もカリフォルニアが何時までも日本の後追いでよいとは思っていない。いつかは追いつき、再び追い越さなければならない。東洋の諺だが、今は『臥薪嘗胆』の時だろう」
そう言ってハーストは部下を納得させると退出させる。そして一人きりになるとハーストは吐き捨てた。
「ふん。愚にも付かないプライドのために餓死しろとでも言うのか? 愚か者共が」
彼にとって白人のプライドなど、一ドルの価値も無いものだった。プライドを利用して金儲けが出来るなら、白人至上主義でも何でも気取ってみせるが、害悪にしかならないならそんなプライドなど屑籠行き……それがハーストという男だった。
「折角、自動車工場が稼動して儲けが出ているのだ。何が何でも日本との関係は良好に保たなければ」
アメリカ風邪という最悪の産物を作り出したアメリカ人は毛嫌いされているが、日本という後見人を得たカリフォルニア人は太平洋で、そして南米でも商売が出来るのだ。そのメリットは何物にも変えがたいものだった。
「さてホーネットはイギリスにレンタルするが、残るエンタープライズ、ワスプ、ワシントンとノースカロライナはどうするか」
金食い虫の戦艦や空母は、今のところカリフォルニア共和国には不要だった。
しかし解体するのも金が掛かるし、されど売り飛ばせる国もない。ドイツあたりは手を挙げるだろうが、日本が良い顔をしないのは判っていた。
(需要があるのはオーストラリアだが……これも難しい、か)
黄色い帝国に怯えるオーストラリアは独自の軍事力整備を目論んでいた。このためカリフォルニアが持て余している戦艦と空母は垂涎の的であった。
つい先日には、密かにレンタルを要請されていた。
だがオーストラリアは白豪主義であり、反日が強い国だった。そんな国が空母を持つとなると後が面倒になる。
最後に考えられたのは、やはりイギリスであった。イギリス海軍の弱体化は著しく、かつて世界の海を制覇した大海軍の面影などなかった。
軍事力の低下、対外的な信用失墜、そしてこれまでの所業の数々(三枚舌外交など)から外交でもかなりの打撃を受けており、落日の帝国と言えた。しかしかの国はパナマ運河防衛の一翼を担っている。
極度の弱体化はカリフォルニア、そしてその後ろ盾である日本にとって損失となる。
「カウボーイ共への牽制にもなるし、配備先をカリブ海に限定できれば了解は得やすいはず。さてどんな形で切り出すか」
机の中にしまっていた日本語の辞書(何故か漫画風の表紙)を取り出して、ページをめくりつつもハーストはどのような形で日本側に提案を行うか思案した。
一方、日本でも今回の合意を受けて多くの人間が安堵していた。
「これで安心してインド問題に目を向けられる」
会合の席で、近衛は一安心したとばかりに胸を撫で下ろした。
「インドと北アメリカの二正面作戦となると厳しいですからね」
辻の言葉に軍人達は一様に頷いた。北米で睨みあいをしながらインドでも戦うなど、無理もいいところだった。
「現状で北米で全面戦争となったら、それこそ人類滅亡を覚悟しなければならないだろう。北米防疫線が崩壊する」
この杉山の意見に、誰もが苦い顔をする。
現在のアメリカ風邪封鎖ラインの最前線は西がミシシッピ川、南がテネシー川となっている(北は勿論、カナダ)。
アメリカは東部から中部にかけて疫病で汚染されていると言っても良い状況であり、ここで下手な武力衝突はリスクが大きいと言える。だが日英独の
利害がぶつかっているのも事実であり予断を許さない状況とも言えた。
「何はともあれ、北米、いえ米墨国境が安定化できれば真珠湾にいる第3艦隊を下げることもできるでしょう」
嶋田の言うように、現在、日本海軍は北米に睨みを利かせるために空母3隻、戦艦2隻(長門型)を基幹とした1個艦隊を真珠湾に展開させていた。定期的に富嶽もメキシコの空を飛んでいる。他にも欧州連合艦隊が大西洋側からメキシコを威圧していた。
無敵艦隊の旗艦であった空母『赤城』、ビック7の一角であった長門型戦艦を含む列強の艦隊が睨みを利かせ、原爆専用の超重爆が自分達の上空を飛んでいるという事実は、メキシコ人に巨大なプレッシャーを与えていた。
それはメキシコが『世界の敵』であったことを明確に告げるものだからだ。だがそれも今回の措置で終ることになる。
「白鳳も来年4月には完成します。戦力化を考えると艦隊配備は来年末となりますが……インド戦への準備は整いつつあります」
アメリカ崩壊後に建造が再開された大鳳型2号艦『白鳳』は本格的なジェット機運用のため設備変更を行いつつも工事は進められていた。
無敵艦隊の旗艦と言われた赤城、そして同型艦の天城は旧式化が問題視されており、代艦の配備は急務だった。
さらにジェット戦闘機『疾風』も生産・配備が進められている。問題点の洗い出しも急ピッチで進んでおり、疾風を満足に運用できる空母の配備は必要だった。
また廉価版である超烈風の開発も順調に進んでおり、早ければ五式、遅くとも六式として配備される予定だった。
だが日本海軍はそれだけで満足するはずがなく、流星改の後継機であり、和製A−4とも言える機体『彗星』の開発を急ピッチで進めていた。
「しかし海軍には現状に不満を唱える人間が少なくないようですが」
「そこは押さえますよ、辻さん。次の軍備を整える必要もありますからね……まぁ原潜を配備するようになったら、国を傾けないために更に削ることになるでしょうが」
当初、海軍は新型機の運用に即さないとして白鳳が就役したら赤城と天城を退役させ、ジェット機の運用に耐えうるように祥鳳型を改装したら飛龍と蒼龍も練習空母となる予定だった。
戦艦は大和型建造と引き換えに大幅減となり、老朽化が著しい扶桑型2隻と金剛型4隻は45年には退役、状況を見つつ伊勢型は48年までに、長門型は大和完成後に退役することになっている。
巡洋艦以下の艦艇でも旧式艦については順次退役を進めており、その縮小具合から「連合艦隊を壊滅させたのは米海軍ではなく、帝国の懐事情であった」と言われるほどだ。
「祥鳳型は戦時量産型なので、機関などの問題もあります。艦載機の運用能力も考慮すれば……そう長くは使えないでしょう」
辻は「自然と減りますよ」と言っていることを理解した嶋田は苦笑いする。数を揃えることを優先した故に祥鳳型は防御力の問題に加え、機関の問題もあったのだ。酷使すればそれだけ寿命は縮まっていくことになる。
ちなみに終戦後に完成した祥鳳型はモスボール化され、東南アジア諸国、あるいはカナダに売却できるまで保存する予定だった。当然、それまでに大規模な戦争が起きた場合は現役に復帰する予定だが。
「まぁ機関や運用能力の問題が分かっているからこそ、空母マフィアは不満なのでしょう。大和を建造するより空母を建造しろと煩かったですから」
「全く……まぁ国防に必要なのは分かりますがね。代艦のことも考えてほしいものです。あのフォレスタル級、いえフォレスタル級+キティーホーク級といえる空母はそうそう短期間に建造できませんよ。護衛艦隊の費用も考えてほしいものです」
「それは理解しています。まぁ軍内部の不満分子はこちらで押さえますよ」
嶋田が首相を続けているのは、そういった不満分子を押さえるためでもあった。
軍部の発言力は対米戦争勝利によって著しく強化されている。下手な政治家が首相になると、最悪の場合は軍部が優位に立ちかねない。辻が首相になると
言う手もあるが、それをすると周辺との摩擦が強くなりすぎるとして見送られていた。よって同じ身内であり、救国の宰相であり、軍政家として評価が高い嶋田が
首相を続け、同じく軍政家であり、中国での戦いを通じて陸軍と良好な関係を持った山本が海軍大臣としてサポートする形になっているのだ。
「何はともあれ、これ以上の面倒ごとは御免被りたいです」
だがそこで情報局の田中がさらに不吉な報告を告げた。
「残念ながら、そうもいかないようです」
「は?」
「カナダ、ケベック州周辺では復興の遅れによって治安が悪化しています。イギリスは梃入れしているようですが、梃子摺っているようです」
「……フランス系住民とイギリス系住民の対立は?」
「それもあります。最悪の場合は枢軸の介入を招く可能性があります」
新たな問題を聞いて、誰もが閉口した。
「一応、イギリスには釘を刺しておきましょう。我々もあそこまでフォローできませんし」
「滅菌作戦に支障が出ても困る。ドイツとフランスにもあまり事を荒立てないように伝えておこう。ただ最悪の場合への備えも必要だろう」
辻と近衛の意見によってその話題はとりあえず打ち切られ、人手不足に話の軸が移った。
「ただ金もそうですが、やはり人手が不足するのは痛いですね」
急速に拡大した勢力圏を防衛するためには、人が足らないというのは事実だった。
各省庁の試算によれば、国土の維持、労働力不足を補うためにも最低でも今の人口の2倍は必要になるのだ。逆に言えば、今は日本人の頭数が到底足らない状況とも言える。
そんな状況で軍がいつまでも人手を取るわけにはいかない。
「1億6000万人以上の人口を得るために生めよ増やせよ、が必要でしょう。まぁそのためには食糧の増産計画、いえ緑の革命が必要不可欠ですが」
辻の意見に誰もが頷いた。緑の革命は戦後において帝国が主導権を握るため、そして日本の人口を増やすために必要な計画だった。この計画は皇族であり、転生者である北白川宮成久王を中心とした一派が進めており、来年には公式に発表できる見込みだ。
ちなみに陸軍大将でもある北白川宮は、次の内閣改造において嶋田のサポート役となるため副総理として入閣することになっている。そして嶋田が総理退任後には北白川宮が次の総理となり、副総理兼外務大臣として吉田茂が抜擢される予定だ。
当然のことながら、近衛や嶋田は新政権のサポート役に回る手筈だった。
((しかし、緑の革命がうまくいけば、ますます日本人陰謀論が囁かれそうだ……))
嶋田や近衛は、一部の国々が日本に向ける疑惑のまなざしに気づいていた。
しかし気づいていたとしても、手心を加える余裕はなかった。英国を除く西欧諸国の多くが今や有力な仮想敵といっても良いのだ。胡坐をかけば今の優位もすぐに揺らぎかねない。
だが日本が他国を引き離せば引き離すほど、日本国内では強硬論が支持を受けることになり、夢幻会による舵取りが難しくなる。
「……2億人近くの人口を持つ『日本人による太平洋帝国』。全く、戦前では冗談にしか聞こえませんね」
嶋田が気分を切り替えるために言い放った台詞に、史実を知る面々が同意した。
「だが今はまず人が足らない。師団の人員も数年内に削減する必要があるかも知れん」
乾いた笑みを浮かべるのは陸軍大臣の永田だった。
陸軍は25個師団体制になっていたが、それでもギリギリな状況だった。電撃戦が得意なドイツに対抗するためとして、陸軍は火力の
増強を図っていた。そして遣米軍は対ドイツを考慮して、陸軍で最も火力を強化している。だがそれはただドイツ陸軍と戦うため
だけではなかった。人員削減によって生じる戦力の低下を、火力の向上で補おうという目論みもあった。
「景気が良い事は良い事なんですが、ね」
その言葉に軍関係者は特に渋い顔をした。
「働けば働くほど、豊かになれる」
このご時勢、日本人の誰もがそう思って、必死に働いていた。何しろ外需だけではなく、新領土開発でも内需が喚起され、仕事は幾らでもあった。
ソ連から流れ込む黄金、旧アメリカから列強と共同で接収した黄金、さらに瞬く間に買い手が付く国債などで景気を喚起する原資は十分だった。
逆にこれだけ民需が活発になっているためか、軍から少しでも人材を引き抜きたいというのが経済界の主張だった。兵士達は優秀な労働者であると
同時に消費者でもあるのだ。経団連からの圧力は強まる一方だった。
「まぁ優秀な人材が民間にも多数居るのが救いでしょう」
辻の言うとおり、この日本では軍需に多くの人を取られていたが、夢幻会が進めていた教育の振興によって得られた多くの高度な人材が日本の産業を支えた。
また品質改善や合理化が進められると同時に青田買いも活発になった。
「ただ大蔵省としては25個師団でも十分に重荷ですが」
「……まだ削れと? 国防に責任が持てんぞ」
杉山は不機嫌な顔になる。嶋田も同様だった。だが辻は大蔵省の立場から主張する。
「空母、戦艦、核兵器に原潜開発。さらにジェット機の配備とただでさえ金食い虫が多いのです。人も物も金も、軍にだけ費やすのは無理ですよ。
今は何とか目を瞑れますが、『恒久的』に現状の定員で25個師団は難しいかと」
「「「……」」」
嶋田はため息をついた。幸せが逃げるような気もしたが、ため息の一つでもつかないとやっていられないというのが彼の本音だった。
「世間では列強最強と誇っていますが、実情はこんなものなんですよね。全く貧乏暇無しと言いますが……」
「最強と言っても、そこまで隔絶している訳ではありませんよ。日本がドイツを超えたあたりで、他の列強が戦災と天災で沈んだ所為で相対的に最強の座に
なっただけとも言えますし」
「……」
実に身も蓋も無かった。さらに天災(大西洋大津波)を引き起こして他国を沈めたのは彼ら自身でもあるので、反駁できない。
(米帝が味方だったら、もっと楽だったのに)
そう思わずには居られない軍人達。そんな軍人達と辻を仲裁するように近衛が割ってはいる。
「まぁ今は我慢の時。多少の痛手も止むを得ないだろう。衛星国が育てば、負担も分散させられる。それまでは……」
これを受けてまずは収まる軍人達。
世間では持て囃されているのに、会合では如何にも景気の悪そうな顔をする軍人達とは対称的に、民間からの報告は活況に満ちている。
「自動車の生産も順調です。東南アジアの開発特需に加え、北米、中国を筆頭に治安の悪い地域向けに輸出する車両の開発も進んでいます」
「家電の開発も進んでおり、来年には新商品が出せる予定です」
倉崎と三菱からの報告に近衛や辻、阿部など文官達は満足げに頷いた。
実際、彼らの報告どおりカリフォルニアから収奪した旧アメリカの技術や技術、そして未来知識によってNC工作機械や家電の開発も急ピッチで進められている。車の大市場で
あったアメリカが消滅した影響は大きいものの、各車メーカーは北米、中国などの治安が悪い地域向けの車の開発を進めていた。
製造業は活況だった。ただし円高によって繊維産業などの軽工業は大きな打撃を受けていた。これらの産業は自国勢力圏であり、忠実な衛星国でもある福建共和国に
進出して生き残りを図っている。また福建以外の国への進出も進んでいた。政府も新たな市場に対する中小企業の進出を後押ししており、多くの中小企業が新たなフロンティア開発に燃えている状態だ。
「……民間は景気がよくて羨ましい限りだ」
杉山が嫌味半分に、そうぼやく。これを聞いた近衛が頭を下げる。
「軍には負担をかけてすまないと思っている。だが今は何とか耐えてほしい……今生きている若者たちと今後生まれてくる者達のためにも」
「「「……」」」
全員を満足させられる力は日本にはない。そのことを誰もが分かっているが……それでも遣り切れない思いをする者が絶えないのが現実というものだった。
北満州掃討戦が開始されるのを知ったソ連は、多数の諜報員を動員してドイツに次ぐ第二の仮想敵である日本軍、とりわけ日本陸軍の現状を探っていた。
極東軍の弱体振りを逆手にとって、不自然さを感じられないように戦車などの兵器を横流しさせたのもそのためだった。
「血を一滴も流さず、日本の新兵器の情報が手に入るのだ。出費としては安いものだろう」
八月革命と言われたクーデターの後、ソ連内務省(元NKVD)の長となったベリヤは、そう言ったものの、上がってくる報告はソ連軍上層部の頬の筋肉を引きつらせるには十分なものであった。
「予想されていたとは言え、日本陸軍はかなり強化されているようだ」
参謀本部ではソ連陸軍元帥ゲオルギー・ジューコフが苦い顔をしていた。
彼の部下たちも諜報員たちからの報告を聞いて「日本陸軍侮りがたし」との印象を強めており、彼らがいかに日本陸軍を脅威とみなしているかが分かる。
日本側が四式重戦車の問題点とした継戦能力なども、ソ連側からすればとるに足らない問題だった。何しろ彼らは満足に動く戦車そのものが不足していたのだ。まぁ足りないのは戦車だけではないが……。
何はともあれ、ソ連軍上層部は共産党政府が進める対日融和政策と、日本資本の進出は歓迎すべきとの結論を下した。
「我が国は陸軍の立て直しでさえ四苦八苦しているのだ。『当面』は日本を敵には回せない」
「「「………」」」
反対意見はない。実際、ソ連は独ソ戦で屋台骨を半ばへし折られている。さらに国際的地位の失墜と異常気象による農業不振で国家として崩壊寸前となっていた。
日本を拝み倒すことで輸入している食糧や民需品だけでは足りず、モスクワの市場にさえ人肉を売る店や密輸品(又は横流し品)の闇市がある有様だった。
ソ連としては国内を再建するために大量の労働力を確保しなければならないのだが、スターリンが強行した反攻作戦で多くの若者を失っており、戦後もドイツへの警戒から陸軍の大幅な軍縮は困難だった。
このためソ連は中国から労働力を輸入しなければならない状況が続いていた。
「国家再建のためには、日本との関係維持が必要不可欠ということですか」
幕僚の一人がつぶやいた言葉に、誰もが渋い顔だった。
ソビエトの怨敵であるロシア皇室が残る日本に、多くの富を吸い上げられている状況が面白いわけがない。しかし彼らの前には条約を破ってソ連に攻め込み、領土を奪ったドイツがいた。
少なくともドイツから領土を奪い返すまでは日本と友好的な関係を続ける必要があった。勿論、状況が好転してソビエト・ロシアが再び復権すれば彼らはこの借りを百倍にして返すつもりだ。
日本人が築いた富も技術も何もかも収奪し、日本が二度と隆盛しないように日本人を一人残らず列島から追放した上で、かの島にはロシア民族を入植させる……そんなことを考える者さえいた。
尤も当人もそれが妄想でしかないことをよく理解していたが……。何はともあれソ連としては不倶戴天の敵であるはずの日本との交易維持を最優先とした。
「可能なら、原子爆弾の製造方法を入手したいが……」
ジューコフはメヒカリの地でその威力を示した超兵器を欲した。かの兵器とその投射手段(ドイツ軍が迎撃できないような物)があればソ連軍が置かれた状況を打開できる可能性が開ける……そう考えていた。
「さすがに、かの兵器は日本の最高機密のため守りが固いようで……時間がかかるかと」
「……今は日本から得た工業用プラントで工業力を強化するしか道はない、か。軍の再建も急ぐ必要がある」
史上最悪の独裁者と言われたスターリンが消えたこと、戦争が終わったことで国内では安堵の空気が流れた。
だがそれもつかの間であり、戦争での膨大な消耗、相次ぐ異常気象と進まぬ復員、そして穀倉地帯であったウクライナをはじめ多くの領土を失った事実はソ連に重くのしかかっていた。
またソ連赤軍は多くの将校をすり潰しており、赤軍は崩壊寸前だった。強制収容所から出所した将校も、その多くがドイツ軍の手によってあの世に転属させられていた。このように質の低下に加えて事実上の敗戦による士気の低下も問題だった。
ジューコフにとって頭の痛い問題は続いていた。共産主義者にあるまじきことだったが、神に祈りたくなるほどだ。
「まだベリヤと手を切るわけにはいかないか」
ソ連に脅威と評価されている日本陸軍であったが、その最前線を預かる者達は北の脅威より、南の混乱、支那の大規模な内戦状態について頭を痛めていた。
三国志もさながら、逆に言うと何千年も変化しない中華の大地での争いに陸軍将校は苦笑していた。
「某エロゲーのように美少女の萌え武将が現れるなら、多少は目の保養にはなるのですが」
北満州から帰還した牟田口は、会議に出席するために訪れた関東軍司令部、正確に言えば司令室でそう嘆息した。自分の机で仕事をしていた関東軍司令官・東条はそれを見て苦笑する。
「ああ、あのゲームのとこか」
「ええ。まぁ幻想なのはわかっていますが……あのゲームのような世界が支那にあったら歴史は大きく変わっていたでしょう」
「まぁ気持ちは判る。あの惨状を見る限りはね」
大陸各地の惨状は日本人の想像を絶していた。
一握りの穀物を巡って、骨肉の争いが起こる。親はわが子を僅かな食べ物と引き換えに売り飛ばし、力なき婦女子は容赦なく食い物にされる。
日本人、特に平成世界の感性を持つ人間達からすれば正視に耐えない状況があちこちで繰り広げられている。
「某巨大掲示板に居たころには、中国は分裂するとあったが……あちらでも分裂するとこうなったのかも知れないな」
「あちらは曲がりなりにも核保有国で、13億人の人口を持っていました。それていて在中の日本人、日本企業も多かった。混乱すれば、こちらの比ではないでしょう」
「だとすれば、我々は幸運だったかも知れないな。何しろ日中が戦う前に、邦人は軒並み安全に脱出できたのだから」
東条の台詞に、牟田口は頷く。
「大西洋大津波で、多くの同胞が東海岸で無念の死を遂げました。手が届く範囲なら、あのような悲劇は避けなければならないでしょう」
「……うむ。そうだな」
東条は重々しくうなずく。
実際、在米日本大使館の人間をはじめ、多くの日本人があの津波で死んでいた。戦後になって多くの日本人が彼らの冥福を祈った。しかし真相を知る者達は後ろめたさを感じていた。
(戦争に勝つためとは言え、人類は多くの優秀な人材を失った。人種、国籍問わず、あれだけの人材が失われたとなると……世界的な損失だったな)
また犠牲者の中には、科学技術や芸術、経済など様々な分野で活躍していくことが分かっている人間も存在していた。日本は青田買いを進めていたが、全ての人間を雇えたわけではない。
戦前の日本は列強の一角として繁栄していたとはいえ、あくまでも極東の島国なのだ。わざわざ出向く者は多くなかった。また日本が引き抜こうとすれば、それを阻止しようとする力も働いていた。そう、ボーイング社の買収が阻止されたように。
結果的にうまく言ったとはいえ、すべてが日本の思い通りに動くわけではなかったのだ。このためかの有名なアインシュタイン博士、テラー博士など取りこぼした者達も多い。
衝号作戦を知る者の中には、そんな彼らを予め別の地域に誘導できないかと考えたがすべて却下されていた。
「帝国を滅ぼすつもりですか?」
一部の人間だけでも脱出させようとする会合メンバーはそう詰問されて諦めた。日本側にも優秀な人材は存在しており、彼らと未来知識、そして電算機を含む潤沢な研究設備を用いて損失をカバーする方向へ舵を切った。
衝号作戦という最高機密を守り通すためにはわずかな穴も許されない。人類最高の頭脳であっても切り捨てる……それが夢幻会の決定だった。
そしてテラー博士など一部の人間は奇跡的に生き残っているとの情報があり、列強は残された旧アメリカの頭脳を巡ってつばぜり合いを陰で繰り広げている。
(我々の都合で地獄を見た人々に、素知らぬ顔で帝国のために働けというのか。それに我々が進める『実験』。我々は本気で神の領域に踏み込もうとしているようだ)
神話で語られるような天変地異を引き起こし、魂の秘密の迫る……遺伝子研究も考慮すると、まさに神の領分を犯す行為であった。
このとき、東条がソ連政府要人の心情を知ったら笑い転げたかもしれない。何しろ神を否定する者達(共産主義者)が苦境において神を頼り、神の存在を信じる者達(日本人)が神の領域を犯そうとしているのだから。
まぁ東条に超能力はないので、最終的な結論は「亡きアメリカ、そして今は亡き多くの偉人達に代わり、何としてもインターネットと2ちゃ○ねるを実用化しなければ」となったが……。
「閣下?」
黙った東条を見て、牟田口は声をかける。牟田口の声を聴いた東条は慌てて意識を現実に向ける。
「大陸に住む臣民達を守りつつ、支那の封鎖を続け弱体化と分裂を煽る。これは至上命題だろう」
最前線に立つ彼としては中国の内部分裂は好ましいものだった。統一された中国など脅威でしかないのだ。だが統一
されていなくても、油断は出来ない。一部の現地人が上海のような暴挙をしないとは限らない。追い詰められた人間は時として常人の想像を絶する
行いに出ることがある。
夢幻会の人間は内地の一部の人間のように中国人を侮っていない。
大陸の住人はモラルや団結力について問題があるが、その粘り強さ、執念深さなどは評価に値するのだ。故にここで手綱を弱めるつもりはなかった。
2人が改めて認識を一致させた時、一つの報告が飛び込む。
「ほう、中国共産党が壊滅したと」
史実では幾多の幸運もあって、中国共産党がこの大地を支配したのだが、この世界ではその可能性は万が一にも存在しなかった。何せ中国
共産党はソビエト連邦と共産主義の失墜によって掌を返した蒋介石によって重慶から叩き出されていた。その上、農村部は中国共産党を名乗る
匪賊によって襲撃されていたことから、中国共産党を助ける者はいなかった。
そしてボロボロになった共産党では左の方々お得意の内ゲバが発生。そしてその混乱を突かれて周辺の軍閥に攻撃されて共産党は壊滅したのだ。
「毛沢東は行方不明。主だった幹部は戦死……」
「これでレッドチャイナが誕生する可能性は0になりましたね」
「ふむ。だがメキシコのように史実では無名の人物が中国を統一する危険がある」
「はい。何が何でもそれは防ぐ必要があります。我が国の安寧のためにも」
隣接する大陸勢力の伸張は、日本にとって大きな脅威となる。
大陸の内側だけで我慢するならまだ良いのだが、彼らが海洋に進出するようなことがあれば利害の対立が発生する。日本が強い内は押さえられる
だろうが日本が衰退すれば間違いなく力で奪いに来る。
「我が国の安全のために、中国人には内側だけを向いていてもらいたいものだ」
だがその中国人をわざわざ外に連れ出そうとする者が、蠢動していたことを彼は知る由もなかった。
あとがき
再改訂版の戦後編3をお送りしました。
四式重戦車と三式戦車はそれなりの戦果をあげましたが、日本陸軍はまだ安心できず次期主力戦車の早期導入を目指して邁進するでしょう。
日本陸軍のライバルであったソ連陸軍が復活できるかは……神のみぞ知るといったところでしょうか。
尤も神を否定するのが共産主義なんですが(笑)。
そして夢幻会は神の領域に迫ります。まぁそんなことばかりやっているから毎回、頭を抱えて七転八倒する羽目になるとも言えるのですが(笑)。
それと今回採用させて頂いた兵器のスペックです。
Sd.Kfz.238生物化学防護装甲車
全長:6.7m
全幅:2.3m
全高:3.2m
重量:12.5t
乗員:6名
エンジン:タトラ103V型12気筒空冷ディーゼルエンジン210馬力
最高速度:時速76km 航続距離:100km
装甲:5.5〜20mm
武装:火炎放射器×1、7.92mm機関銃MG42×1、Sマイン発射器×2