1942年8月16日に発生して人類史上未曾有の被害を発生させた大西洋大津波、そして大西洋大津波で被災したニューヨーク周辺で拡大したアメリカ風邪。
 この2つは文字通り人類の存亡すら危うくした。この2つの災厄のうち、アメリカ合衆国に引導を渡した『アメリカ風邪』。この疫病の発生地、ニューヨークに列強の合同調査が踏み込んだ。
 日本は調査団を護衛空母『海鷹』、軽巡洋艦『五十鈴』を中心とした船団に乗せて現地に送り込んでいた。
 この日本調査団を含む国際調査団は入念な装備のチェックを実施した後、厳重な警備と防護服で身を守りながら決死の覚悟でニューヨークに乗り込んでいった。何しろ一歩間違えれば自分たちも滅菌措置をされるのだ。緊張するのは当然だ。
 だが調査団の中には明らかにテンションをあげている者も存在した。特にドイツ側は人類文明存続のためというお題目によって如何なる人体実験も許可されるとあって天を突かんばかりの勢いを持つ者もいる。
 日本側の調査団の中にいる夢幻会所属の研究者はそんな人間を見て「どこにも変人は居るんだな」とどこか遠い目で呟いた程だ。
 このように調査の前に変人に遭遇したことでSAN値を減らした研究者がいる一方で、あまりに悲惨な惨状に心を痛める夢幻会の人間もいた。

「これがアメリカ最大の巨大都市『ニューヨーク』の成れの果て、か」

 日本海軍遣米艦隊司令官・草鹿中将は、ニューヨーク沖合いに停泊中の護衛空母『海鷹』の作戦室で現在のニューヨークの写真を見て唸った。 そこには見るも無惨な姿になったニューヨークの姿があったからだ。
 破壊された高層ビル群、流され無惨に横倒しになった自由の女神。そして病魔によって汚染されて人間が死に絶えた街。戦前の繁栄振りを 知る者からすれば信じられない光景がそこにあった。

「しかもこのような光景は東海岸全域に広がっています。かつてアメリカ海軍大西洋艦隊の根拠地があった場所には、多数の艦艇が横たわって います」

 幕僚の言葉に草鹿は渋い顔をする。

「さしずめ、アメリカ海軍の、いやアメリカ合衆国という人工国家の墓標だな。墓を暴くような真似はしたくないのだが……」

 草鹿が何と言おうと、この調査、そして旧アメリカの遺産の接収は決定事項だった。
 死肉を啄む禿たかのように、列強はアメリカ合衆国という国そのものを骨の髄まで貪るつもりだった。そして貪りつくした後は、アメリカと 言う名すら残さず抹消する準備も進められている。彼らはアメリカ大陸という大陸の名前そのものを変えようとしていたのだ。
 『アトランティス』を筆頭に、様々な候補が挙げられており、昭和20年、或いはその翌年までにアメリカ大陸という大陸はこの世から抹消される と考えられていた。

(死人の墓を暴き、さらに死人の名誉さえ奪う。いくら憎むべき敵国だったとは言え、あのアメリカをここまで貶めるか)

 日本人からすれば、ここまで死者に鞭を打ち、死者の名誉を辱める行為は気持ちの良いものではなかった。
 だが夢幻会会合はその行動を是とし、日本政府はその会合の決定に従って動いていた。故に軍人である草鹿には不満を言うことは出来ても、 自身の考えを行動に移すことはできなかった。
 彼に出来るのは、恐らく津波よって死亡したであろう大物SF作家を含めて『天災』と『疫病』で死んだ者達の冥福を個人的に祈ることだけだった。

「はぁ……それで欧州諸国は?」
「情報通り、ニューヨークだけでなく東部各地、特に被災した造船所に積極的に調査団を派遣しています。工作艦なども確認されていることから、間違いなく彼らは回収するつもりかと」
「金だけでは足りないのか」

 草鹿は呆れた表情をし、幕僚たちは苦笑した。

「連合艦隊に対抗できる艦隊を作るためにはなりふり構っていられないのでしょう」

 現在、日本海軍が誇る連合艦隊は世界最強の艦隊となっていた。その気になれば日本以外のすべての国の海軍をなぎ倒せると言われるほどの存在……諸外国が脅威を感じない訳がない。

「地理的な問題、あるいは周辺の艦が盾になったおかげで比較的、原型をとどめた艦は確認されているが……五大湖にあった無傷の船舶とは違うのが分からないのか?」
「それでも魅力的なのでしょう。特にドイツが保有する戦艦は使いにくいビスマルク1隻のみです」

 この台詞に苦笑が広がったが、すぐに話は再開される。

「フランスは……イギリス人の戦艦を引き上げて再就役させましたが、長くは使えないでしょう」

 フランスは人間魚雷で大破・着底していた英海軍の戦艦クイーンエリザベスとヴァリアントを改装し、この2隻を高速戦艦として再就役させていた。
 基準排水量34500トンという艦体に8門の38センチ砲、連装10基の13センチ両用砲を搭載し、さらに最高速力25ノットを誇る有力な 戦艦の一番艦は『復讐』の意味を持つ『ルバンシュ』の名前を、二番艦には『鉄槌』の意味を持つ『マルテル』という名前を与えられていた。 このことから、フランスが如何にイギリスを憎んでいるかがうかがい知れる。尤も無理に無理を重ねたため、10年程度しか持たないのではないかと考えられたが。
 そして欧州枢軸陣営で最大の海軍を誇るイタリア海軍でも、日本海軍にはまだ及ばない。特に空母の運用ノウハウは欧州側にとっては未知のものだった。
 そもそも太平洋を二分した海軍国、『日本』と『アメリカ』が長い間、研鑽を続けて得たものをそうそう体得できるものではない。

「………」
「それにラ・パルマ島調査の主導権もあります」
「ふむ……」

 一方、津波の発生源とされたラ・パルマ島の調査は日本領ということで、日本調査団がまず現地入りしていた。尤も未だに火山が小規模であるが噴火しており十分な調査は難しいというのが実情だった。
 しかしそれでも一刻も早く現地入りしたいというのが被災国の本音だった。

「欧州では、我が国がラ・パルマ島を利用して何良からぬ企みを進めていると噂されているようです」
「そんな馬鹿な」

 草鹿は一笑に付した。実際、この噂を聞いた者達の多くは似たような反応だった。大災害が発生した自国領土を日本が先に調べることを咎められる謂れはないのだ。

「疑心暗鬼に陥っているだけだろう」

 しかし彼らは知らなかった。その噂が正鵠を射ていたことに。

「件の施設は消滅しています」

 ラ・パルマ島に派遣された調査団が乗る船の中では、衝号作戦の真相を知る者たちが安堵していた。

「核爆発、そして流出したマグマや大量の土砂によって施設と機材は完全に消滅していると判断してよいでしょう」
「だが油断は出来ん。情報はどこから流出するかわからん。万が一、真相が露見すれば帝国は終わりだ。可能な限り調査を迅速に行え。欧州の圧力も無視できないからな」
「はい」

 軽空母『大鷹』から警戒のために発艦した九六式戦闘機や九七式艦攻はカナリア諸島周辺で欧州側の水上偵察機や艦船を頻繁に発見していた。それは欧州諸国がこの島に関心を寄せている証拠だった。
 故に隠蔽工作は迅速に、かつ完璧を期さなければならない。

「しかしアメリカに勝つためとはいえ、何とも恐ろしいことをしたものだ……」

 一人の調査員が真っ青な顔でつぶやき、数名が頷く。
 彼らが計画し引き起こした大災害。大西洋大津波と言われる大災害による死者はすでに億の単位を超えている。失われた資産は天文学的な 数値であり正確な算出は到底不可能と言われている。津波の被害で崩壊した国も片手で数えることは出来ない程だ。

「環大西洋諸国の惨劇からすれば、我々はさしずめジ○ンといったところでしょうか」
「神話の真似事ではないか? 津波、その後に発生した疫病、そして異常気象に凶作と飢え。まさに末世。世界の終末。黙示禄を再現したといっても過言ではない」
「破壊だけでなく創造もマネできればよかったのですが」

 この自嘲気味の言葉に苦笑が広がる。だがリーダー格の男が肩を竦める仕草をして呟くように言う。

「まぁ確かに私もこの作戦が人の道を外れていることはわかっている。あの懐かしの二次元世界の住人達と同じ真似をしていることも認めよう。 だがあんな超大国を相手にタイマン勝負で戦うなら、我々は彼らと同じような蛮行でもしなければ勝てないのさ」
「正直、やりすぎとも思いますが?」
「生産力だけが取り得の馬鹿国家なら、対処する方法はあるだろう。だがアメリカはそうではないだろう?」
「………」

 アメリカ人はどんな不利な状況でも決して諦めなかった。
 ハワイ沖海戦では昼間の航空戦に敗れたあと、彼らは起死回生とばかりに突進してきた。補充が出来ないというのに、彼らは艦隊戦に勝機を見つけて全てのチップをつぎ込んだのだ。今では大愚策とされているがミッドウェー島の天候次第では、連合艦隊は 少なからざる打撃を受けていたかも知れないのだ。
 そしてその大胆な決断をし、あれだけ追い詰められた状況でも将兵を統率して艦隊を維持したアメリカ海軍の能力は恐るべきものだった。
 満州決戦ではパットン中将が率いる第1騎兵師団が絶望的状況下でも勇戦し、満州で捕虜にした米軍兵士の中にはしぶとく脱走の機会を伺ったりしたものもいた。民間人にすら日本軍の情報を様々なルートで本国に送ろうとした者さえ居る。

「恐るべきは不屈のヤンキー魂。アメリカンスピリッツ。史実で超大国になったのは伊達ではないということだ」
「「「………」」」
「そんな強敵と正面切って、持てる力をすべて振り絞って戦って日本人の意地と底力を見せつけから散る、という選択肢もあったかも知れないが……そんなものは単なる自己満足だろう」

 負けは負けなのだ。どんなに言い繕うとも敗北には変わりない。

「無条件降伏といっても分割されることなく、国体も護持できた幸運があるとは限らん。ならば我々の敗北を強要する世界をひっくり返すしかない」

 衝号作戦はある意味、既存のゲームルールとゲーム盤をひっくり返す反則技だった。
 日本よりもはるかに多くの駒を用意し、自国に有利なルール(ゲーム環境)を揃えていたアメリカは、この反則技によってあっという間に日本に対するアドバンテージを失った。

(同じゲーム盤で、同じルールで戦うなら勝ち目は無かった、か。所詮、日本はアメリカにはなれないということか)

 悲しい事実だった。だがそれを忘れて、自分の力を過信すれば日本は自滅の道を辿ることになる。

「……まぁ良い。今は調査と情報の隠蔽に全力を注ぐぞ」

 衝号の真相を知る人間は、極僅かであり、決定的な証拠がなければ追求は不可能となる。
 日本国内では証拠となるような物品、衝号作戦に関する文書はすでに全て入念に廃棄処分されていた。あとは現地に ある物だけだった。証人になりそうな人間は口を塞いでいる。たとえ良心の呵責があろうとも、事の真相が露見すれば全てが終ることを 理解していたのだ。誰もが墓の下まで真実をもっていくつもりだった。

(真実を虚実に、そして虚実を真実とし世界を欺き続けるか……大変な仕事だ)

 情報が僅かに漏れた程度なら、大抵は陰謀論で片付けられる。
 何しろ「手に入れたばかりの大西洋上の離れ小島の特性を把握した上で起爆実験もしていない新型爆弾で、日本が津波を引き起こした」など主張しても 誰も信用しない。むしろ日本は津波が発生し、それがどのような被害を齎すかを予め知っていたという情報のほうがよほど信用されるだろう。 何しろ真実の方が偽情報よりも遥かに現実離れしているからだ。

(人を騙すなら嘘と真実を混ぜ合わせた情報を流すに限る……)

 かくして夢幻の世界の住人は、世界を欺き、事の真相を歴史の闇に葬っていった。




              提督たちの憂鬱外伝 戦後編2




 大西洋大津波の被害が明らかになるにつれて欧州列強は、自分達が住んでいる欧州の地が決して安住の地ではないと考えるようになった。
 このためドイツは東方開発に力を入れ、フランスはアフリカの本国化をさらに押し進めた。加えて欧州列強は本国が消滅したポルトガルの植民地の取り込みも活発化していった。
 だがそれらは現地住民のことなど、殆ど考慮しないものだった。欧州の白人にとって現地の有色人種の命など大したものではなかったのだ。

「植民地人をすり潰して再建できるのなら安いものだ」

 それが欧州諸国の偽らざる思いだった。
 故に白人以外の人種は、一部を除いてますます日本の台頭を歓迎した。
 有色人種の国でありながら、新興の列強国であった大日本帝国。かの国は大西洋大津波という災厄に助けられつつも、世界最大の工業大国であり 世界有数の海軍力を保持していた白人の大国・アメリカ合衆国を降し、さらにサンタモニカ会談で欧州諸国を東南アジアから引き上げさせた。
 さらに日本政府は黄金と武力で得た東南アジアを植民地化することなく、独立させることも発表した。それは日本が欧州諸国とは違うということを 宣言するものだった。
 インドネシア独立運動のリーダーだったスカルノは、ジャカルタの独立準備政府の庁舎で日本の正式発表を耳にしていた。

「……日本は我々の独立を認める、か。貴方方の言うとおりでしたな」

 執務室に居ても聞こえてくる歓声の中、スカルノは静かに応接用のソファーに座る男に視線を向けた。

「はい。ですが今すぐというわけでなく、独立準備政府の下、強固な基盤を作ってからと言うことですが」

 目の前に座る男、日本陸軍少佐・藤原岩一の言葉にスカルノは頷く。

「判っています。ですが全ての準備が完了した暁には……」

 その後は言わずとも判る。だがあえてスカルノは言う。

「独立します。それこそが我々の悲願なのです」

 目の前の男が誠実であることは判っていた。そして日本が約束を違わないことも。
 だがそれでも言わずにはいられない。オランダ、いや白人によって虐げられた彼らはそれほどまでに独立を待ち望んでいたのだから。
 そしてそのことを判らない藤原ではない。彼は夢幻会が構想していた戦略に基づいて、戦中から陸軍の特務機関の人間として独立派と接触していた。 故に彼らが如何に自分の国を持ちたいかを理解していたのだ。

「はい。我が国は必ず貴国を独立させます。我々は配下ではなく、よき『友人』を求めているのですから」
「友人ですか……貴方方がその気になれば覇者になれるのでは?」

 スカルノの言葉は誰もが感じていたことだった。
 欧米と互角以上に渡り合える日本であれば、東アジアの覇者になることだって出来る。自分達を組み敷いて統治することもできるのだ。

「『好き好んで恨まれ役になるつもりはない』、それが帝国政府の回答です」

 力で強引に支配すれば利益を吸い上げることも出来るが、現地民の不満や怒りを買うことになる。日本はそんな面倒を買って出るつもりは なかった。ただ独立の際に多大な恩を売り、さらに国家の基盤を整備する際に日本の影響力を色濃く残すことで、後ほど利益を得るつもりで いた。

「見返りを求めず他国に奉仕する国家なんて、気味が悪いだけですよ」

 某秘密結社の幹部会の席で、某大臣はそういい捨てたと言われている。
 勿論、そんな台詞など今のスカルノは知る由も無い。故に笑った。

「ははは。日本としては我々を支配するより、友人としたほうが利益があると?」
「勿論です」

 だが友人と言っても、日本とインドネシアの力関係を見る限り、日本が優位に立つことは間違いない。仮に無理に日本と対等な外交を しようとすれば欧州列強に隙を作ってしまう。

(欧州は有色人種を奴隷同然に扱っている。そして彼らは我々を対等な国家として扱うつもりはないだろう。日本を上手く利用していくしかないか)

 彼はインドネシアの人間であり、インドネシアの利益を最大限に考える必要がある。故に彼は今、インドネシアが最も利益を得るために当面は 日本の風下に立つしかないと判断した。それに日本はインドネシア内のイスラム教徒が聖地に巡礼に赴くために専用の船さえ用意してくれるなど 最大限の便宜を図っている。このため心情的反発も少ない。

「日本とは末永くお付き合いしていきたいと思っています」
「我々もです」

 藤原もスカルノの内心は理解していた。だがそれでも彼は何も言わない。彼はインドネシアの人間なのだ。そして国家に真の友情は存在しない。 ならば利害を一致させて付き合っていくしかないのだ。だがそれでも信用は大事だった。それが無ければ、交渉に多大な悪影響が出るのだから。

(日本の信用、いや評判を落とさないようにしなければならない。内地から来る官僚共が余計な真似をしなければいいが……)

 良かれと思ってやったことも、人によっては余計なお世話ということもある。
 この藤原とスカルノの会話と似たような内容の会話が、東南アジアのあちこちで交わされていた。
 尤も北部を中心に国土を華南連邦によって荒廃させられたベトナムでは、華南連邦への報復に協力を要請する声があったが、日本はこれをきっぱりと 拒否した。

「何より再建が先です」

 ホーチミンが日本の警告を無視した結果がこの惨状と言われると、彼らも反論しようがなかった。加えてホーチミンが『世界の敵』である共産主義者であったことも大きな問題だった。

「我々は共産主義が東南アジアで拡大するのを防ぐため出兵したのです」

 華南連邦大統領・汪兆銘は堂々と、ベトナム出兵を正当化した。さらに民間人を巻き込んだという非難に対しては、ホーチミンによる民間人を巻き込んだゲリラ戦術を槍玉に上げ、「華南連邦に非はない」と主張した。
 日本側が「被害が大きすぎる」と苦言を呈すると、ベトナムの『新たな宗主国』である日本に対して「少しやりすぎた」ことは認めて謝罪し、ベトナム戦の最中に問題があったとされる将兵を厳罰に処すことを伝えた。ただし彼らの譲歩もそれだけだった。

「我々は未来志向の関係を日本帝国との間でもちたいと思っています」

 汪兆銘は華南連邦を訪れた日本の特使・松岡洋石に対して平然とそう言い放ち、農業分野での提携を提案した。松岡はそれに何の感慨も抱かず冷静に分析する。

(蜥蜴の尻尾切りか……だがここは、彼らの言い分を受け入れた方が良いだろう。彼らは帝国には謝罪した。ベトナムへの謝罪を強いることも出来るが、 それまですると華南連邦を刺激しすぎる。それに華南連邦の食糧生産能力は魅力的だ……この辺りで切り上げるべきか)

 松岡は「非常に興味深い提案です」と言った後、表情を引き締めて切り出す。

「ですが今回のようなことが再び起きれば、我が国と貴国との関係に亀裂が入るでしょう。それは避けなければなりません」
「異論はありません。ベトナムで見せたように我が国の軍隊は非常に未熟です。ですので、この軍を精強なものに出来れば今回のような事態は回避できる でしょう。また両国の関係を深化させることが出来れば事前のすり合わせも容易になると思います」
「では、どのような手を?」
「英国から軍事顧問団を招き、軍の強化に努めます。同時に貴国との軍事交流を強化したいと思っています。加えて日本製の兵器の購入も」
「失礼ですが、貴国はイギリスの……」
「我々が最も欲しいのは長江以北の軍閥群を牽制するための砲艦です。我々は華北の住人達の内輪もめに巻き込まれたくないのです。ですがイギリスは 我々の要望に答えられる状況ではありません」

 イギリスの造船所は津波によって打撃を受けて再建中か、戦争と津波で大打撃を受けた王立海軍と商船団の再建に大忙しだった。
 そして華北は汪兆銘の言うとおり内戦の真っ最中であった。北京政府は力を失い、各地で地方軍閥が蠢いていおり、まさに王朝末期の状況だった。加えて 日本との講和条約で大量の食糧を供給させられた後、世界的な凶作が華北にさらに打撃を与えていた。金で食糧が手に入らないとなれば、あとは奪い 合うしかなかった。華南はまだ比較的安定していたが、それゆえに華北住人にとって華南は垂涎の的だった。

「なるほど」
「あとは地上攻撃機です。貴国と中華民国との戦いで、日本陸軍航空隊の活躍は耳にしています。少女を機体に描いた攻撃機が活躍したとか」
「はははは……」

 松岡は乾いた笑みを浮かべた。同時に『痛い子中隊』に対する罵倒を一ダースほど口の中で呟いた。

(あ、あの変態共が!)

 痛い子中隊の活躍は彼も耳にしている。中国戦線では散々に暴れ回り、対中戦争末期では死神と恐れられ、『彼女達』の顔が描かれた機体を見た 瞬間に中華民国軍が総崩れになったという逸話さえある程だ。死神、冥界の使者etc……厨二な方々なら喜ぶような渾名で呼ばれた彼らはこんな ところにも影響を与えていたのだ。

「採用されてから年月が経っている機体ですが、我が国としては北の住人達への抑止力になると思っています」
「……ほ、本国に伝えます」

 この後の交渉の結果、日本企業の華南連邦への進出と日本・華南連邦間の貿易がさらに活発なものとなっていた。それは日本にとって大きな利益となる。
 それは日本にとっても大きな利益となるのだが……日本陸海軍良識派にとって酷い頭痛をもたらす事象が、後に華南の空に現れることになる。

「憎まれっ子ならぬ痛い子、世に憚る……か」

 陸軍近代化に尽力した某元帥陸軍大将は、苦労人の某元帥海軍大将と共に遠い目をしたと言われている。
 何はともあれ日本は東南アジア地域や華南連邦との関係強化を進めた。豪州との交渉こそ、なかなかうまくいかなかったがそれ以外は順調であった。
 そんな中、日本国内では大英帝国の心臓部と言われたインドにも干渉すべきだという声が挙がった。インドを独立させて日本側陣営に組み込むことで、一大経済圏を構築することを主張する者が現れたのだ。
 だが夢幻会は結局のところインドにまで手を伸ばすことはしなかった。

「インド独立については、イギリスとインド人の当事者たちが決めることだ。帝国が果たすべきは東南アジア、そして北米の安定化だ」

 嶋田は公式の席でそう言ってインドはイギリスに任せることを言明した。
 日本政府と夢幻会はシンガポールやマレーシア、ビルマなどをイギリスから得た上に、華南連邦にも食い込んでいる以上、インドにまで深入りするのは負担が大きいと判断していた。またインド市場への参入が認められたこともその判断を後押ししていた。
 そしてこの判断に胸をなでおろしたのは他ならぬ軍だった。

「インド亜大陸は広すぎる。あそこまで深入りするなら現状では兵力が足らん。師団を増やしても、兵がいない」
「シンガポールやビルマに拠点を置ければ、東南アジアやインド洋での活動も多少は楽になる。今はこれで満足するべきだろう」

 それが軍、特に海軍の考えだった。
 場合によってはセイロン島にまで出向き、活動することは考慮されていたが、日本側は基本的にインドについては英国のテリトリーと考えていた。
 イギリスは日本を北米にくぎ付けにすることで、インドを守ろうとしたが、この戦略がある意味で功を奏したと言える。
 だがその成功もイギリスからインドを植民地統治できる力が失われつつあったこと、復興を急ぐイギリスによる搾取と大西洋大津波後に発生した異常気象がインド国内を荒廃させていたことが全てを帳消しにしつつあった。
 この風雲急を告げるインド情勢は夢幻会にとっても頭の痛い問題だった。





「折角、インドについては英国に残したというのに」
「津波、異常気象の被害がそれだけ大きかった……そういうことでしょう。強力なサイクロンがインド洋で発生しているとの報告もあります」
「イギリス海軍はセイロン島に艦隊を派遣して事態の収拾に努めていますが……どこまで持つことやら」

 香ばしい食欲をそそる匂いが漂う部屋にも拘らず、夢幻会の面々は思わず顔をしかめた。

「これなら早めに干渉して、分離独立させるべきだったか」

 近衛が渋い顔で呟く。
 夢幻会の一部はインド周辺の安定のため、6つに分けて分離独立することを内々のうちに助言することを考えていた。
 しかしこの案に対して外務省が難色を示した。

「理想的には、分離独立が望ましいですが……彼らがそれを呑ませるのは困難を極めます」

 外務大臣を筆頭に多くの外務官僚たちは「非現実的だ」と言って首を横に振る。
 外務官僚の中には大使館が増える、つまり自分たちのポストが増えるという理由で賛成する者もいたが、かなりの人間が懸念を示した。

「インドの国民議会から猛反発を受けます。また東南アジア地域以外の地域で分離独立を進めれば各国から不要な警戒を招く恐れがあります」

 外相の重光は、官邸での会談で嶋田にそう言って翻意を迫った。
 そして力に任せて強引に分割すれば巨大な反日国家を生むだけとの判断と北米安定化の重要性が叫ばれたこともあり、日本はインドについては基本的に英国に任せる道をとった。
 ただ日本側も何もしなかった訳ではない。イスラムとヒンドゥーの対立に懸念を示し、周辺地域に飛び火しないような措置をとるようにイギリスに求めたのだ。
 日英交渉が行われている最中、インド側から独立への協力を呼びかける動きはあったが、日本政府は「早期独立ができるように英国に働きかける努力はする」と返しただけであった。

「しかし本格的にインド亜大陸に関与するのは困難かと」

 陸相である永田の言葉は真実だった。急速に拡大した勢力圏の再編と防衛戦略の構築に大わらわの日本としては、英国と共同とはいえインド大陸に積極的に関わりたくはなかった。
 そして三大国の一角であるドイツも、今のところは積極的にインドに関わることを良しとしなかった。

「まずは足元を固める」

 ヒトラーはまずは復興と北米安定化を優先した。このためイギリスと険悪な関係になる恐れがあるインドへの工作は実施しなかった(ただし親独派がいる中東は別だったが)。
 そして日本とドイツ、イギリスは北米安定化のためにメキシコも絡めて西海岸諸国とテキサス共和国の間に緩衝地帯を設ける計画も進めていた。
 勿論、イギリスへの恨みが根強いフランスは、混乱するインド情勢に介入できないことに不満たらたらだったが、これはヒトラーが強引に抑えた。
 こうしてボールはイギリスの手元に残されたのだが、これが途方もない地雷であった。
 43年、44年と続いた天候不順と経済的混乱、そして復興を急ぐ宗主国イギリスによる搾取。これらは経済の混乱、そして食糧価格の高騰をもたらしていた。
 そしてその打撃を最も受けたのが、カースト制度でスードラ、ダリットと呼ばれる人々だった。カースト制度によって押さえ込まれていた彼ら、特にダリットはこの食糧難と経済難の影響を大きく受けた。
 食うに困ったダリットの反乱や犯罪が多発し、それに反発するように強化される押さえつけがさらに事態を悪化させていくという悪循環がインドを覆っていた。
 非常に頭が痛い問題であり、部屋の中は重苦しいムードなのだが……彼らが居る場所が色々と台無しにしていた。

「カレーを食べながら話す話題ですか?」

 カレーを食べながらインドに関する議題をする面々を見て、嶋田は頭痛が酷くなるのを感じた。
 ちなみに彼らがいるのは某カレー店。前に会合が開催されたお好み焼き屋と同様に夢幻会の人間が経営している個人店であり、知る人ぞ知る名店だった。勿論、今日は貸切だ。

「食事は基本ですよ。嶋田さんも美味しいものを食べて明日の英気を養わないと」

 近衛の勧めを聞いて嶋田も気分を切り替える。いや切り換えずにはいられなかったというのが実情だろう。
 ちなみに同席していた山本は最初こそ戸惑っていたが、今ではすっかり順応しており、カレーを食べている。それを見た嶋田はさすがは史実の 偉人と改めて精神の図太さに感嘆した。そしてこのままではカレーが勿体無いと思い、開き直った。

「そ、そうですね。美味い飯は活力の元ですから」

 「豚のほうがいいな」「いやチキンだ」「いやカレーの鉄板は……」と雑談が入る中、芳醇なスパイスの香りを堪能しつつ嶋田はカレーを食べ始める。

「あ、すいません。福神漬けを」
「どうぞ。そういえば卵は?」
「いや、それは遠慮します」
「おや嶋田さんは福神漬け派ですか? らっきょうも良いですよ? 特にここのらっきょうは上手いですよ」
「いや、福神漬けが絶対だ!」
「何だと?! てめえ、表に出ろ!!」

 カレー談義をスルーしつつ、嶋田は食事と書類のチェックを同時進行した。勿論、書類にカレーが散るような無様な真似はしない。

(イギリスは、もはやインドを御すことも出来ないということか……いや日本が躍進したことで、その分、白人の威信が低下した影響もあるか)

 白人が無敵の存在ではなく、有色人種でも努力次第では白人より上位に立てる……その事実は白人による植民地支配に打撃を与えるのに十分だった。
 嶋田は日本が完全勝利したことが大きな影響を与えていると思い、「世の中は儘ならない」と改めて嘆息した。だが彼は嘆息するしか能がない人間ではなかった。

「イギリスがインドを放棄する形で独立を認めた場合、インド、パキスタン、バングラディシュの3つに分離独立することになると思いますが……インドが 不安定化する可能性が高い以上、保険として用意していた『テ号作戦』を発動できるように準備を進める必要があるかと」

 陸海軍、総研、中央情報局は、インドにおいて万が一の事態が発生した時に備えてビルマをインドに対する防壁とし、混乱を食い止める『テ号作戦』を立案していた。
 立案した当人たちは、この作戦が発動されることがないことを祈っていたのだが……現状では発動される可能性が高かった。
 ちなみにこの作戦の概要を知った牟田口は「攻めるんじゃなくて守る作戦をするのか」と、複雑そうな顔をしたと言われている。

「だがイギリスが予想以上に弱体化すればインド洋の制海権も危うくなる。その場合はセイロン島の防衛も担うことになるだろう」

 近衛の視線を受けた嶋田はすぐに答える。

「……準戦時体制を敷き、第2艦隊から第1機動戦隊を派遣します」
「陸軍は?」

 これに永田が答える。

「第5師団と第3飛行師団を。ただし想定を超える大規模な内戦に陥った場合、アッサムなどインド東部を分離して防壁とし、東南アジアへの難民流入を阻止する必要があるかと」

 これを聞いていた杉山は「全く、政治家共は揃って無茶を言う……」と呟き、片頭痛に耐えるかのように頭を押さえたが……誰も気にしなかった。何しろ誰も彼も家で不貞寝したい気分だったからだ。
 尤もそんな現実逃避が許されないことを会合の面々はよく理解していたため、美味いカレーを食しつつ、憂鬱な議論を続けた。そんな中、外務省の白洲、そして情報局長の田中が現れる。

「遅れて申し訳ありません」

 このとき、嶋田は不吉な予感を覚えた。

「……悪い知らせですか?」

 恐る恐る、外れてほしいなという考えが分かる声色で尋ねる嶋田。そんな彼に対して苦笑しつつも田中は非情にもあっさり頷く。

「勘が鋭くなられましたね」
「うれしくないですよ……」

 インド問題で頭を痛めていた面々は「今度は何だ……」とゲンナリした顔をするが、聞かない訳にもいかなかったので田中に話すように促した。

「イランで台頭中の反英派は英国資本、特に石油資源関連の国有化を目論んでいるとのことです。仮に強行された場合、英国も黙っていないでしょう」
「「「……」」」

 誰かが「どいつもこいつも……」と忌々しげにつぶやくが、誰もそれを咎めない。だが白洲はそんな雰囲気に抗うように好材料も示す。

「幸い、巡礼船の件でアラブとは良好な関係を維持しています。多少の仲介は可能です」
「それは確かに良いことだが、イスラム教の総本山である中東地域と深くかかわるのは危険なのでは?」

 永田の懸念に頷く者も多い。
 ただ史実を知らない山本はやや疑問に思ったのか、隣に座る嶋田に尋ねる。

「どういうことだ?」
「中東で主流のイスラム教は宗派が多々あり、宗派間の争いも多い。また戒律も厳しい。我々がその気でなくても、イスラム教に楯突くような真似と受け取られれば大火傷を負いかねない」
「……そこまでか?」
「残念ながら。支那の連中に比べれば遥かに良いが……一度恨まれると面倒だ。下手をすれば十字軍と同じように目の敵にされる」
「……」
「折角のカレーが不味くなりそうだ。全く、安らぎの時間がもっと欲しい」

 半ば哀れみが篭った視線を山本から向けられた嶋田は、遠い目をしながら今後のインド及び中東情勢について考えを巡らせる。

(しかし放置して、欧州枢軸に付け入るスキを与えるのも拙い……カナリア諸島の問題もある)

 カレーを味わいつつ、ああでもないこうでもないと思案する嶋田。そしてあることを思いつく。

「英国とともにセイロン島で観艦式を開くのはどうでしょう?」

 この意見に近衛が真っ先に頷く。

「なるほど。インド洋沿岸諸国に帝国の実力を示すと同時に、欧州側の蠢動を牽制すると」
「はい。そしてこのとき、疾風を大々的に発表します」
「ほう……だとすると欧州は顔面蒼白だな。彼らは本土にさえ配備できていない噴進機を慌てて量産して前線へ配備することになる」

 疾風の性能を熟知している杉山は、世界が疾風の性能を知った時の驚きを想像して相互を崩した。
 日本が決戦兵器の一つとして開発されたジェット戦闘機『疾風』。その性能は既存の戦闘機とは一線を画すものなのだ。疾風に対抗できる戦闘機はどの国も持っていない。

「ええ。枢軸の度肝を抜けると思います」

 杉山は嶋田の台詞を聞くと、声を抑えて笑い出した。

「そのために疾風の存在を可能な限り伏せた上で、フィンランドに烈風改、イギリスに烈風や飛燕を輸出して、連中の目をクギ付けにしたのは君だろうに。 おまけに輸出品の中には枢軸の開発計画を混乱させるような品物まで混ぜていただろう?」
「政治の騙し合いでは、騙しに引っ掛かる方が悪いのですよ」

 辻のように黒い笑みを浮かべる嶋田。真っ黒な笑みを浮かべる友人を見た山本は「お前は遠くに行ったのだな」と遠い目をしたが、嶋田は気にしない。

「連中が急いで開発を進めても、その頃にはこちらはその先をいけます」

 日本ではトランジスタに続いて、ICの開発も急ピッチで進んでいた。それが完成すれば電子計算機の性能はさらに向上する。それは開発速度の さらなる向上を意味していた。

「疾風の公表、そしてトランジスタの民間転用開始。ドイツ人達は技術開発に大わらわとなり、海軍力の拡張は最低限に抑える必要に迫られるでしょう。それは英国への支援にもなる」
「だとすると、欧州海軍は当面、旧米艦艇を使わざるを得なくなる」
「そのほうが都合がよいでしょう、辻さん。我々は情報収集の結果、旧アメリカ艦艇については多くの情報を得ています」
「確かに」

 こうしてインド洋で観艦式が開かれることが決定した。そこで杉山が待ったをかける。

「インド洋に戦力を配備するとしても、大陸封じ込め政策も忘れないでくれ。北満州掃討戦の準備もある」

 この杉山の言に辻は頷く。

「分かっています。大陸封鎖のために必要な予算や資材、人員の調達については怠るつもりはありません」

 日本は南満州を抑えていたが、北満州は半ば放置していた。
 大陸への深入りは避ける方針に基づいた戦略であったのだが、北満州にソ連軍の脱走兵や旧奉天派の敗残兵が逃げ込み、それが野盗化していたのだ。そしてこれを恐れた難民が南満州に流れ込み治安悪化を招いていた。
 東遼寧以外にも権益を持っている日本としては、あまり南満州が混乱するのを好まなかった。また脱走したソ連軍部隊は数こそ少ないものの戦車を保有しているとの情報もあったため、四式戦車のテストを兼ねた掃討戦の実施を決定した。

「……しかしソ連も落ちたものだ」
「仕方ありませんよ、近衛さん。ソ連は独ソ戦末期はまさに国そのものが末期。まして我々が物資を輸出しているとは言え、食糧不足に変わりはないのですから」

 辻の言う通り、ソ連は国の屋台骨そのものが半分へし折られた状態だった。
 これを憂慮した者達がクーデターを起こしてスターリンを排除したのだが……クーデターの際のゴタゴタや事実上の敗戦を受けての国民の士気、モラルの低下、共産主義への幻滅などから一部の兵が逃亡したのだ。
 当然のことながら、軍に残った兵士の不祥事も相次いでいる。横領や横流しは当然で、驚くべきことに将校クラスの中には軍事機密と引き換えに外国(日英)への亡命を希望する者さえいた。

「数多の失政、あまりに無謀な戦争指導による膨大な犠牲者の存在は愛国心を萎えさせ、モラルすら低下させています。まぁそのほうが我々にとって都合がいいですが」
「ソ連は進出してきた日本人を可能な限り租界に隔離して、接触を制限しようとしていますが……情報が拡散するのは時間の問題でしょう」

 辻と田中は『計画通り』と笑みを浮かべる。
 阿漕な商売でソ連から富と資源を吸い上げ、共産主義を徹底的に貶め、国民を分断する……ソ連政府上層部の人間なら「この人でなし!」と叫ぶどころだが、その人でなしな面々の助力がなければ立ち行かないのもソ連の悲しき現状だった。

「ボロボロなのは支那も変わらないでしょう。もはやかの国は統一国家としての体を成していない。海保は密漁者や密入国者の対応で大慌てです。さらに東南アジアでは海賊の活動が活発になり、海軍も頭を痛めています」

 嶋田はそう言うと軍令部総長の古賀、海相の山本は共に溜息をついた。

「……海保の負担も当面は続くでしょう。そして負担を低減させるために、まず東南アジア各国に海保程度の組織を作ってもらわないといけません。ですがこのために人員を派遣する必要があります」
「南雲中将の恨みごとが聞こえてきそうだ」

 古賀のボヤキを聞いて山本が頷く。

「これまでの功績もある。南雲中将の大将昇進の準備も進める必要があるだろう。また彼のような対潜戦術に長けた男は貴重だ。また組織運営能力も高い。海軍省、または軍令部で仕事をしてもらえれば助かる」
「しかし南雲中将には東南アジアの海保育成にもあたってもらいたい。日本の負担を減らすために、東南アジア諸国に海保のような組織を早めに持たせるには彼は適任だろう」
「近衛さん、それは下手をすると降格人事になるのでは?」

 嶋田が慌てて反対するが、近衛はしれっと返す。

「東南アジアに派遣する軍事顧問団長を兼任させれば良い。海軍大将なら肩書きとしても十分だ。それにそれだけの成果があれば海軍大臣か、軍令部総長も務まるのでは?」
(当人を説得する人間の立場にもなれよ……)

 嶋田は「飲み屋で南雲の愚痴を聞いてやる必要があるな」と思った。




 四苦八苦しながら日本は新たに独立する国々への梃入れと並行して、新たな衛星国となったフィリピンに対しても支援を実施した。 その一環としてフィリピン周辺には先の日米戦争で日本海軍が海上封鎖のためにばら撒いた機雷の処理が日本の資金で進められた。
 尤も日本政府はこの機雷の処理を日本海軍ではなく、職にあぶれた旧連邦軍の軍人の救済も兼ねて旧米海軍関係者に行わせた。

「ジャップに負けた後は、ジャップがばら撒いた機雷の処理とは……」

 掃海艇の上で、旧米海軍関係者(軍曹)はぼやいた。しかしそんな彼を元上官が咎めた。

「おい、サボるな。今はこれが俺達の飯の種なんだからな」
「へいへい」
「それに俺達がここで無様な真似をしたら、俺達の評価は地に落ちるぞ」
「……」

 旧アメリカ海軍軍人は、カリフォルニア共和国では冷や飯ぐらいだった。カリフォルニアはその立ち位置から、陸軍の整備に国力を割かなければ ならなかった。故に海軍は縮小傾向だったのだ。
 さらにフィリピン沖、ハワイ沖海戦での完全敗北は、アメリカ海軍の威信を失墜させていた。日本海軍に一矢報いることもできず敗北し、連邦崩壊を 助長させたという意見もあった。

「黄色い猿に、先見性で負けた」

 そんな声も少なくなく、旧海軍関係者の肩身は狭い。旧海軍随一の航空主兵論者であるハルゼー提督は、上層部の無理解によって力を発揮できず 敗者となったという見方のため中傷誹謗こそ少なかったが、ハワイ沖海戦で大敗したパイ提督などは死者にも関わらず無能と罵られていた。

「俺達は必死に戦った。アメリカのために、市民を守るために体当たりだって辞さない覚悟だった。それなのに……」

 そんな旧米海軍関係を最大限擁護していたのは、彼らを散々に打ち負かした日本海軍だった。

「無い無い尽くしの中、最後まで勇戦した彼らこそ真の勇者だ」

 ハワイ沖海戦で防空の指揮を執った草鹿は、米軍の勇戦振りを手放しで賞賛し、嶋田や山本といった海軍の重鎮達もそれに続いた。

「米海軍は戦前の前評判どおりの強敵でした。喪失した艦艇、航空機の数こそ少なく済みましたが、被弾した艦や航空機を見れば、彼らが いかに不利な状況で奮戦したかが判ります」
「米海軍は補給の途絶と士気の低下で戦闘力が低下していたことを考慮しなければならない」

 海軍上層部の人間達はそう公言して、アメリカ海軍を見下す動きを牽制した。
 主力艦の喪失ゼロによる日米戦争の完全勝利は、少なくない人間を傲慢にさせていたのだ。嶋田や一部の人間の中には不謹慎にも旧式戦艦が 何隻か沈んでいればここまでならなかったかも知れないという思いさえあった。
 勿論、それが傲慢で、後知恵であることは判っていたが、そう思わざるを得ないのだ。そんな状況だからこそ、彼らは旧アメリカ海軍を出来るだけ 持ち上げたのだ。
 そして雄敵であった米海軍に勝ち得たのは弛まぬ努力と、後方の支えがあったからであり、今後も努力と後方支援を欠かしてはならないという結論に もっていき、それを声高に喧伝した。

「自信と傲慢は別だよ。自信を持つのは良い事だが、傲慢になって努力を怠り銃後を軽視すれば、日本海軍はいずれ弱者に転落する」

 対米戦争時に連合艦隊司令長官であり、軍神の一人とされた古賀は部下達の前でそう訓示した。
 何分、自国海軍の引き締めという目的もあったが、日本海軍が中心になって行われる旧米海軍への擁護によって、旧米海軍の名誉は少しずつで あるが回復していくことになる。
 このような動きは旧米海軍関係者にとって有難いものだった。しかし全員が日本海軍に感謝する訳でもないし、日本海軍によって親友や肉親を 奪われた者で、さらに戦後の自分達の待遇に不満を持つ者たちは枢軸側に流れていった。

「今更日本人に膝を折れるか」

 外洋海軍建設を目指していたドイツ海軍、日本海軍に倣って機動部隊を編成しようとイタリア、フランス海軍などは旧米海軍将兵の獲得に 必死だった。そして日本につき従うカリフォルニア政府のやり方に反発する者もあわせ、少なくない旧連邦軍関係者が枢軸に流れていった。

「ふむ。これでイタリア海軍も空母機動部隊が編成できると?」

 イタリアの統領ムッソリーニは自身の執務室で海軍の将校達に尋ねた。

「はい。旧米海軍の資料の接収、旧米軍関係者の取り込みは進めています。中断していた空母の整備計画を再開すれば5年以内には 本格的な空母部隊を編成できます」
「5年かね。それもこれだけの予算を必要とすると?」
「空母そのもののノウハウ、それを運用するためのノウハウと吸収しなければならない物が多く、一朝一夕には」

 これでもイタリアは十分に恵まれていた。
 大西洋大津波による影響を殆ど受けていない上、フランスやスペイン海軍のように主力艦の大半を撃沈されてもいない。勿論、地中海での 日本海軍との死闘で手痛い打撃を受けていたが、それでもリットリオ級戦艦2隻、トラヤヌス級戦艦3隻を中心とした大海軍を保有している。
 また空母の建造計画も急ピッチで進めており、順調に計画が推移すれば1950年までに2隻の正規空母をイタリアは手に入れる見込みだった。
 フランス海軍も必死に海軍の再建を図っていたが、国土の復興、そして津波対策によって膨大な出費を強いられている。ここで一気にフランスを 引き離せば、イタリアの地位はドイツに次ぐ欧州ナンバー2となる。

(イタリア王国こそ、ローマの後継者なのだ!)

 ドイツの専横に腹を立てているムッソリーニはここで欧州諸国を見返し、自国の地位を更に向上させるつもりだった。
 さらに彼は外相に命じて日本との接近も図っていた。ドイツと日本は不倶戴天の敵だが、イタリアと日本の関係はよくも無ければ悪くも無い。 イギリスのような裏切りもなく、むしろ地中海で堂々と戦った敵国扱いと言えた。故にまだ接近の余地はある。

「……海軍は日本海軍ともう一度戦って勝てると思うかね?」
「……正直に言いまして、軍縮中とはいえ、かの海軍と真っ向から殴りあうのは極めて不利です。基地航空隊や潜水艦部隊と連携して漸く互角かと」
「迎え撃つのが基本と」
「はい。それも北米ではなく、欧州の地で迎え撃つのが適当でしょう」

 それは日本と戦争になれば北米の植民地は放棄するしかないことを意味していた。
 そしてそれを聞いたムッソリーニは怒ることなく、納得したかのように頷いて、海軍将校達を部屋から退出させた。

「やはり日本との関係を強化して日欧の仲介者となること、これがイタリアの生きる道だろう」

 しかしイタリアが余りに弱ければ、仲介者としても機能しない。故に彼はドイツやフランスにも舐められず、日本にも自国が決して無力な 存在ではないことを示す必要があった。
 核兵器こそ作れないが、それ以外の分野については手を抜くわけにはいかないのだ。

「サンタモニカ会談のような重要な会談に私を招かなかったことを後悔させてやる」

 不機嫌そうにそう呟いた後、彼に二つの妙案が浮かんだ。

「そうだ。嶋田首相はイタリアに駐在武官として赴任していたことがある。そのときのツテを使うのも良いかも知れん。 あと日本との関係を改善するために文化面での交流を行うとしよう。まずは日本の文化を取り込み、市民に親しんでもらおう。 彼らも親日的な国を邪険にはしないだろう」

 彼の決断によって後々、日本とイタリアの関係は改善していくことになる。
 イタリア人は日本文化に親しみを持ち、イタリアの変化から日本人もイタリアの文化や料理に関心を持ち、相互の行き来が活発になっていったのだ。 だがそれは同時に日本のオの字の面々の影響もイタリアに普及することを意味していた。
 後に、イタリアの航空ショーで日本機と同様にアニメ絵の美少女が描かれた多数の『痛い航空機』が空を駆けた際、航空ショーに招かれていた 世界でも名の知れた日本海軍の某元帥が卒倒しかけた。この大戦果(笑)によって、『大日本帝国海軍に最も手痛い打撃を与えることが出来たのは イタリア軍』と言うジョークが囁かれることになる。






 あとがき
戦後編2再改訂版をお送りしました。
この辺りで再改訂前と違いが出てきます。




 それと今回採用させて頂いた兵器です。

ルバンシュ級戦艦

基準排水量=34,500t
全長=206m 全幅=33m
主機出力=オールギヤードタービン4基4軸・110,000HP
最大速力=25kt   航続距離=12kt/8,000海里
武装
42口径38cm砲 連装 4基(前部2基 後部2基)
45口径13cm両用砲    連装 10基(舷側5基づつ)
他小火器多数

舷側装甲-主装甲帯330mm
甲板装甲-装甲甲版127mm
砲塔装甲-前循324mm、天蓋124mm
司令塔-279mm


トラヤヌス級戦艦

基準排水量 29,000トン
垂線長 216m
最大幅 28m
主缶 ヤーロー缶8基
主機 オール・ギアード・タービン4基4軸 130000馬力
速力 33ノット(計画)
武装 M1909 305mm46口径 3連装3基 9門
   M1934 152mm55口径 3連装4基 12門
   M1938 90mm50口径 単装12基 12門
装甲 舷側250mm、20度傾斜
   甲板、最大120mm
   主砲塔280mm
航続距離 14ノット5500海里