西暦1944年1月10日に開かれたサンタモニカ会談によって世界は日英独の三大国家によって統治されることになった。
尤もイギリスの退潮は著しく、かつて世界帝国であったイギリスは日独という二大国家の緩衝地帯に過ぎないとも言えたが……。
何はともあれこの三大国家が、実質的に世界を動かしていることには間違いなく、この三国家を中核とした3つの勢力圏が構築
されていた。その中でも最も元気だったのは、新興の列強にして大戦を通じて世界最強となった大日本帝国を中心とした勢力圏であった。
「日本人による太平洋帝国」
「世界最強国家、日本」
「有色人種の星」
様々な威勢の良いフレーズが新聞をにぎわせ、国民は自信に満ち溢れていた。
何しろ自分達を圧迫していたアメリカは滅び、中華民国は瓦解寸前。裏切り者のイギリスは許しを請うために東アジアから順次撤退する
ことを表明している。先の大戦からの仇敵であるドイツも日本との関係改善を図っており、貿易も再開されつつあった。
そして不倶戴天の敵であったソビエト連邦はドイツとの戦いに疲れ果てており、停戦の仲介と引き換えにチェコトを日本に割譲した上、
日本との緊張緩和のために極東軍の大幅な削減を行っている状態だ。
もはや日本帝国に外圧を加えることが出来る国は存在しない。ましてもしも不埒な真似をしても、世界最強となった帝国海軍と
陸軍大国である独ソとも殴り合える精強な帝国陸軍が叩き潰す……そう思う臣民達に将来への不安要素などなかった。
「今こそ、日本が先頭に立って世界新秩序を構築するべきだ!」
一部の威勢のいい者達はそう言って気炎を挙げるほどだ。
勿論、そこまで言う人間は少ないが気分が大きくなっているのは否めなかった。さらにこの戦争の勝利に貢献した軍の人気は鰻上り
だった。
「よく帰ったな! 土産話、期待しているぞ!!」
「お前は故郷の誇りだ!!」
「後で見合いを用意してやる。安心しろ、海軍士官となれば引く手数多だ」
帰郷した者達は、多くの同胞から歓迎された。
街を歩いていても頭を下げられ、見た目麗しい将校の中には勝手に写真集を作られる者さえ居る始末だった。
「……やれやれ、大人気だな」
街を黒塗りの公用車で移動していた嶋田は、人気者になった軍人達の様子を見て何とも言えない顔になった。
「仕方ありませんよ。閣下。何しろあの世界最大の工業大国であり海軍大国だったアメリカと、忌々しい支那をまとめて打ち破ったの
ですから」
運転手の言葉に嶋田は口を閉じる。
「2国から受けていた圧迫感はそれだけ強かったということでしょう」
「……」
戦前、米中から受けた圧力は日本人に対して強いストレスを与えていた。そんな中、第二次満州事変やフィリピンでの輸送船沈没事件で下手人
扱いされ、各国から非難された。この濡れ衣には日本人の誰もが怒りを露にしたほどだ。
(反動が来ているということか)
史実世界では極端な平和主義が台頭したが、この世界ではこの強力な成功体験によって戦争上等という機運が高まりかねない……嶋田はそれを危惧した。
(戦争と言うのは極力回避するものだ。そして戦争が起きるというのは政治の失敗を意味するものなのだ。それをどこまで理解してもらえるか。
いや彼らとて今は舞い上がっているだけだ。日本人は熱し易く冷めやすい。いずれ冷静になってくれる。そう信じよう)
勿論信じるだけでなく、色々と手を打つつもりでいたが……
(強硬派とされる私が、こんなことを考えているとは思いもしないだろうな……)
彼の内心はどうであれ、表向き、嶋田は対米強硬派であり、対米戦争を主導した人間だった。
津波と疫病で崩壊寸前になったアメリカに対して油断せず、そして一切の容赦をかけることなく、冷徹に冷静に追い詰め完全勝利を達成し、
さらに自国の警告を聞かず、北米の不安定化を招いたメキシコに世界で最初の核爆弾を投下させた指導者、それが嶋田の評価だった。
夢幻会のことが表に出なければ、彼は間違いなく大日本帝国史上最強の独裁者として名を馳せたことだろう。
「それに人気と言えば、閣下の人気が一番ですよ。何しろ閣下は救国の宰相なんですから」
「……」
「閣下の運転手を勤められたことは孫にまで誇れることですよ」
運転手の言葉は世辞でも何でもなかった。
帝国を勝利に導き、サンタモニカ会談で枢軸の盟主であるドイツ第三帝国総統ヒトラーと渡り合い、帝国の勢力圏を承認させた嶋田の
人気は高い。本人は戦時内閣と考えて、戦後処理が終ったらさっさと首相から降りることを考えていたのだが、それが可能かどうか怪しく
なっている。さらに現役軍人が国難を打破したことで軍の影響力が高まっている。議会は機能しているものの、この先道を誤れば史実の
二の舞になる可能性は否定できない状況だった。
そんな中、嶋田、いや夢幻会にとって頭痛の種なのが次の選挙だった。対米、対中戦争に勝利したということで現在の与党・政友会の
勝利は確実視されている。片や他の野党は劣勢に立たされている状態だった。野党は戦時内閣の役割は終ったと言って嶋田内閣の早期退陣を
求めたが、政友会は戦後処理が終っていない状況で首相が代わるのは好ましくないとして嶋田の続投を主張している。尤も政友会側が
嶋田内閣続投を強く望んだのは戦勝の立役者であり、世界的に名が知れた嶋田が選挙の顔に丁度いいからに他ならなかった。
ちなみに嶋田の非拡大路線に批判的だった与党の某政治家も、嶋田を選挙の顔とするのは何の躊躇いもなかった。
(まぁ確かに面倒ごとは少ないに越したことは無いのだが……いいのか?)
選挙や政争のためなら現役軍人を担ぐことに躊躇いを見せない政治家達に、嶋田は危ういものを感じた。政友会上層部は夢幻会の実態を
把握しているため、軍による独裁がないことを知っている。だがそれ以外は夢幻会の実態は知らないはずなのだ。
(後援者となる企業や団体が軒並み、こちらの影響下に入ったためかも知れないな)
夢幻会、或いは嶋田内閣に反抗しようにも、主だった企業群は夢幻会の下部組織と言っても良い経団連に所属していた。そして経団連は
膨れ上がった利権に目の色を変えており、夢幻会主導の現体制、つまり嶋田内閣の継続を望んでいた。そしてスポンサーに歯向かえる政治家など
そうそうは存在せず、極一部の気概のある人間だけでは大勢は覆せなかった。
それどころか、中途半端に夢幻会の存在を知った者の中には、嶋田に対して露骨に媚を売って夢幻会へ参加したいと打診する者さえ
居るほどだ。
(面倒が減って喜ぶべきか、不甲斐無さに悲しむべきか……)
しかし夢幻会も偉そうなことは言えないのが実情だった。何しろ軍の政治的影響力を増しかねない人事……現役軍人である嶋田を首相の座につける
人事を行ったのは他ならぬ彼ら自身なのだ。
(日本が負けた時に、天皇陛下や国民に累が及ばないように軍部の象徴として全ての責任を負って処刑されるのが私の役目だった。だが
勝利したことで軍人の影響力は大幅に強化されてしまった。この尻拭い、いや後始末は大変だな)
明るい顔で喋る運転手に、嶋田は努めて明るく笑った。
「そうか……それは喜ばしいことだな。私は国民に忍耐を強いているというのに」
異常気象や相次ぐ天災のため日本では未だに経済の統制が続けられていた。
当初は文句が出ることを覚悟していた嶋田だったが、一部の人間が騒いだ程度ですんなり決まり、嶋田内閣への打撃にはならなかった。地震や
天候不順による凶作にも素早く対応していたこともあり、内閣の支持率は全く下がっていなかった。いや逆に日米戦争や天災を強力な指導力で切り抜けた
ことや日本の数少ない友好国フィンランドの事例から、非常時においては文民よりも軍人又は軍務経験者が首相を務めるのが良いではないかという
機運さえ生まれている。
(誰もが、いずれ状況は改善すると思っている。だからこそ耐えているのだろうな)
天災であると思うが故に、誰もが互いに協力しあって難局を乗り越えようとしている。さらに今の政府はこれまで多くの国難を克服して
きた心強い政府だった。故に誰もが必要以上に不安がらず、協力し合って今日を生きている。
(これが日本の強さなのだろうな。我々はこの日本人の長所を活かして、何としてもこの難局を乗り越えなければならない。そして子供達と
これから生まれてくる子供達のために、明るい未来を用意しなければならない。それがこの歴史の流れを作った者の、大人の義務だろう……)
戦争が終ったにも関わらず帝国の苦難はまだ続いている。
彼が安心して引退できる日はまだ遠い。
提督たちの憂鬱外伝 戦後編1
嶋田の悩みを他所に帝国は戦後世界を生きるために、様々な施策を行っていた。
帝国政府は新領土管理のために新たな行政機関を創設し、さらに新領土開発のために膨大な予算と人員、資材の調達を行った。
「やれやれ、地震対策もあるというのに」
辻は大蔵省の大臣室でそうぼやくが、必要なことには変わりない。
「アラスカ開発は急務なので仕方ないのでは?」
「判っていますよ。それでも言わずにはいられない、そういうことですよ」
自身の後継者候補の言葉に辻は苦笑する。
「昭和20年は忙しい年になりそうですよ。何しろアラスカ開発もやって、西海岸の三ヶ国、インドネシア、ベトナムの支援も並行して
実施しなければならない。それに加えて復興対策も必要なんですから」
アラスカは資源の宝庫であり、カナダと陸続きの上、北極海進出のための重要な戦略拠点であり重点的に開発する必要があった。
だが同時に属国となったカリフォルニア、オレゴン、ワシントンの三ヶ国と将来の独立が決定しているインドネシアとベトナムなど東南アジア地域
への梃入れも必要だった。
「しかし東南アジアを独立させるとは剛毅ですね……」
「植民地にしたら、西欧列強の思う壺ですよ。それなら曲がりなりにも独立させたほうが面倒が少なくてすみます」
日本国内では東南アジアの植民地化を主張する勢力も存在したが、東南アジアの解放と大東亜共栄圏樹立というお題目と、東南アジアを植民地として
統治する際に必要なコスト、そして発生するであろう問題を理由にして、嶋田は東南アジアの独立を議会に承認させた。
「帝国が繁栄するためには、帝国と志を共にする友邦が必要である」
それは嶋田の偽らざる本音だったが、大半の人間(海外含む)は「友邦ではなくて属国の間違いだろう」と思っていた。
一昔前、そして敢えて悪い例で表現するなら『ソ連のコミンテルンと繋がった組織によって共産国家となり、ソ連の圧力で国際社会から承認された国が
ソ連と同格の友邦となる』など誰もジョークとしか受け取らないのと同じことだった。
「諸外国は日本は『赤い黄金』と武力で東南アジアを買い叩いた、と言っていますが……」
「赤くても黄金は黄金ですよ。それにオランダやフランスも権益は残せるんです。言いがかりはよして欲しいですよ。まぁソ連が文句を言うなら
話を聞いてやるくらいのことはしますがね。聞いてやるくらいは、ね」
そして『赤い黄金』で独立できた地域では、共産勢力が日本の支援もあって粛清されていた。
特にベトナムでは、日本の制止を振り切って蜂起したことで華南連邦の介入を招いたホーチミンへの怒りは凄まじく、彼の勢力は瞬く間に
壊滅した。彼が政治家として復活できる可能性はゼロであり、ベトナムに共産主義が根付くこともないと思われた。
(逆ドミノ現象……中々に興味深い展開だな)
史実とは真逆の現象に辻は苦笑する。
「まぁ隣の半島国家よりは素直に我々の指導を受け入れそうですから、大分やりやすいのが救いですね」
現在、インドネシアとベトナムには独立準備政府の発足が予定されている。
日本が買い叩いたとは言え、これらの国々は即座に独立できるだけの力は無いのだ。このため日本が相応の負担をして彼らの手助けを行う必要があった。
決して負担は軽くは無いだろうが、これまでの独立派との折衝から、梃子摺るほどではないとも見込まれていた。
一方で、今回の戦争で評判をさらに落とした韓国では、遂に日本の梃入れを受けた軍部が政権を掌握することになった。新政権は日本と
皇帝の支持の下、国家の統制を強化し改革を行うことを決定した。ここまで想定どおりだが、彼らは日本へ追加支援を打診してきた。
かの国の裏切りを知る者からすれば「ご冗談を」で済ませるものだが、あまりに貧富の格差が激しすぎると嫉妬や逆恨みを煽り、最悪の
場合、テロの温床ともなりかねないため、あっさり拒否することも出来ない。
(軽工業と農業生産は梃入れする必要があるか。何しろ、これから帝国は重要な時期だからな。お荷物は少ない方が良い)
辻の脳裏には各国の有力な金融機関の申し出が浮かんでいた。
(まさか東京がニューヨークの代わりに世界(正確には日英勢力圏)の金融中枢になる日が来るとは)
世界有数の金融都市であったニューヨークは消滅。ロンドン市場は戦災と津波の被害でまだ回復しきっていない。加えて英国はドーバー
海峡を挟んで枢軸とにらみ合っている状態で安全性にも欠けた。一方の欧州の雄・ドイツ第三帝国は国家による統制が一際厳しい。まして
ユダヤ系の金融機関が活動できる筈も無かった。
このため比較的余裕があり、今や世界最強国家と称されるまでになった日本帝国が注目されるのは当然の流れであった。ロスチャイルドや
、凋落したとは言え未だに無視できない力を持つロックフェラーは相次いで日本への進出を打診してきている。
(大日本経済帝国にでもなると?)
どちらにせよ、日本が更に飛躍するチャンスでもある。故に不安定要因は取り除きたいというのが辻の本音だった。
(国内外の問題に加え、夢幻会の公的機関化も進めなければならない……やれやれ)
あらゆる方法で捜査を続ける辻だったが、情報漏洩元は中々特定できなかった。おかげで今や政府、各省庁を中心に夢幻会の存在が囁かれる
ようになっている。会合は夢幻会の公的機関化に向けて動いているものの、それすら権力闘争の種になりそうな雰囲気だった。
何せ夢幻会は世界恐慌以後、急速に日本国内での影響力を拡大し続け、この戦争でアメリカと中国を叩き潰したことでその地位を不動のものとしている
……つまり帝国の実権を完全に把握していると言ってよい。その組織を曲がりなりにも公的化するのだ。食指を動かさない人間はいない。
もはや夢幻会は公然の秘密と化している状態だが、一般市民にはまだ知られていない。夢幻会が山本たちと協力して、夢幻会の存在自体の
一般への公表はタブーであるとの雰囲気を作り上げていたからだ。
そして時間を稼いでいる間に辻は邪魔者の排除と漏洩元の捜索を行っていたが、戦後処理のあまりの忙しさによって多少、詰めが
甘くなっていることは否めない。
(田中さん、尾崎さんの話だと、夢幻会に近い人間が情報を漏らしていた可能性が高い。ふむ……足元を見直すべきか)
だがそんな辻の考えは自身の後継者候補の言葉によって遮られる。
「農水省は食糧確保のために予算の増額を求めていますが」
「……判っています。食は国の基本ですからね……夢幻会会合も食糧確保には気をつけていますよ」
冷害に強い新種の作物(特に米)の開発や農家への技術指導など農水省のやることは多い。さらに緑の革命を日本主導で達成しなければ
ならない。大蔵省も忙しいが、彼らも武器を使わない戦いを繰り広げており、関係する役所では連日夜遅くまで明かりがついている状態だ。
省内の関係部署に積み上がる書類の山を想像して、辻は少し嫌そうな顔をし、辻の前に立つ男は心配そうな顔をする。
「……過労死しなければ良いのですが」
「労災は御免ですからね」
「大臣の場合、労災よりも仕事が滞ることのほうが怖いのでは?」
「……ワタシハブカノケンコウヲイツデモキニシテイマスヨ?」
「棒読みですが……」
辻は軽く咳をして「冗談ですよ」と言った後、口調を元に戻す。
「本当ならもっと必要なんでしょうがね。件の調査結果が明らかになればさらに防災が叫ばれるでしょうし」
「……」
今回の大津波、そしてアメリカ風邪の調査のために、列強は合同で旧アメリカ合衆国東海岸の調査を行う事にしていた。と言っても
調査だけが目的ではない。各国はニューヨークに残されているであろうアメリカの遺産、大量の貴金属の接収を狙っていたのだ。
旧五大湖工業地帯などが滅菌作戦で焼かれる一方で、旧ニューヨーク跡に手心を加えられているのはそのためだった。
ちなみに日本はカリフォルニア共和国からロックフェラー研究所に関する情報を受け取っており、その周辺を調査する予定になって
いた。当然だが、日本はロックフェラーが悪役にならないように手を打つことを約束していた。
「尤も周辺の匪賊がなだれ込まないように、ニューヨーク周辺は徹底して滅菌する必要があるでしょうが」
それは僅かであるが、生き残っている人間を殺しつくすことを意味する。
「それは……」
「彼らは凶悪な疫病のキャリアー、伝染媒体。気にする必要はありませんよ。欧州の人間でさえ、文句はつけません」
「……」
辻はそう冷徹に切り捨てる。
「東部はこれで良いでしょうが、問題は南部、それにメキシコ周辺でしょうね。あそこが不安定なままなのは面倒ですし。まぁ
例の案件がうまくいけばメキシコ人も少しは大人しくなるでしょう」
「確かに」
北米の不安定化は懸念材料であった。しかし辻を含めた夢幻会の一部の人間にとっては更に大きな問題があった。
(問題はラ・パルマ島の調査か)
大西洋大津波に関する調査として、津波の発生源であるラ・パルマ島の調査も行われることになっている。
こちらは日本領ということで、日本の調査団が優先して現地に入る予定だった。ただし、ラ・パルマ島は依然として小規模な
噴火を繰り返しており、現状では詳細な調査は不可能と考えられていた。だがそれは都合の良いものだった。時間が経てば経つほど
調査は困難になるのだ。
(物的証拠は可能な限り消し去ったし、万が一に備えて核爆発は破壊工作の所為としている。それに他にも他国が食いつきそうな偽情報も用意した。
これだけすればそうそうバレることはないだろう。それに指揮官は『あの』変人の富永中将。あの男が言うことを一々相手にする人間はいない)
厨二病で有名な富永のエキセントリックな発言は有名だ。能力は優秀ではあるが、その変人振りから彼の戯言をいちいち聞く者はいない。
故に衝号作戦の現場指揮を任されたのだ。しかし万が一ということもある。さらにヨーロッパ各国は、あの大津波の元凶となったラ・パルマ島周辺
への調査を許可するように日本の外務省に要請していた。
今のところ、日本政府はラ・パルマ島が日本領であることを盾にして、日本政府が真っ先に調査を行うとして各国の要請を拒否していたが
被災国がそうそう簡単に引き下がる訳が無い。環大西洋各国は『第二、第三の大西洋大津波が発生すれば今度こそ滅亡しかねない』と考えている。
そんな必死な国々の要請をいつまでも拒否できるとは辻も思っていない。
(カナリア諸島周辺には、欧州枢軸の艦船が出没していると聞く)
日本が立ち入り調査を拒否したからと言って各国が大人しくしているわけがない。
あの大津波の元凶がラ・パルマ島であることが確定してからは、不審船が多数出現していた。
そしてこれまでのナチスドイツの無法振り(例:条約破り)から、夢幻会は調査船団を丸腰で派遣することはしなかった。調査船団には
軽空母『大鷹』と重巡1隻、軽巡1隻、駆逐艦6隻が護衛についており周辺海域を監視していた。勿論、表向きは周辺の異常を早期に察知するため
に小規模とはいえ空母部隊を派遣すると説明していたが。
(何はともあれ、現場の証拠隠滅を完璧を期さなければならない。否定されなければ『虚実』は『真実』となる。逆に言えば、認められなければ
『真実』は『虚実』となるのだから)
辻は黒い笑みを浮かべた後、肩を竦める仕草をする。
「全く仕事が多くて大変です。まぁ……世界一悲惨な状態のアメリカ東部の住人に比べればマシと思うしかないでしょうが」
辻が話していたようにこの世界で一番悲惨なのは間違いなく旧アメリカ合衆国東海岸一帯だった。忌まわしい大西洋大津波によって主要都市は
軒並み消滅。残った都市と行政組織も疫病の蔓延、経済の破綻、そして連邦政府の崩壊によって殆どが消滅していった。
「ああ、何でこんなことに。神よ」
かつてデューイの下でニューヨーク州再建のために働いた職員達は、市外から見える世紀末そのものと言っても過言ではないオールバニの状況に嘆いた。
「デューイ知事が生きていれば……」
そう嘆かざるを得ないほど、彼らは悲惨な境遇だった。
デューイの死後、オールバニも急激に治安が悪化し今や無法地帯だった。旧連邦軍や旧州軍を中心とした匪賊が蔓延り、食糧や医薬品を
奪い合っている。力の無い人間は殺され身包み剥がされるか、彼らに従属するしかない。
かつてデューイと共にオールバニの復興に当った者たちでさえ、その多くが現状に絶望してカナダに逃げ込むべく北に向かった。この職員も
見切りをつけて遂に脱出を決意したのだ。旧州警察や旧州軍に守られながら彼らは北を目指す。
「……すみません。知事。我々の力不足で」
法も秩序も無く、人間は理性をかなぐり捨てて今日を生きる糧を得るために殺しあっている。話し合いも助け合いも何も無い。まさに獣じみた
戦いが繰り広げられる様は世界の終わりを感じさせ、人々の絶望をより深くした。
しかしそれに追い討ちをかける光景が広がる。そう、オールバニの市庁舎を中心とした地域も滅菌作戦の対象として爆撃されることになったのだ。
日の丸をつけた4発の爆撃機が空を覆う様は旧アメリカ人の表情に暗い影を落とした。
「ああ、街が、街が燃えている」
多数の爆撃機から投下される多数のナパーム弾は、そこで辛うじて生活していた人々ごと町を焼き尽くしていく。辛うじて残っていた文明の
残滓とも言える町並みは業火の中、焼け落ちていった。消防さえ機能していないため、それを消し止めることも出来ない。
「これが、これがアメリカの、この国の結末だというのですか、神よ!!」
十字架を握り締め、男は悲痛な叫びを挙げる。
あらゆる物が業火の中に沈んでいった。市庁舎を筆頭に公共施設、市民の仮避難所となっていた商業施設や空家も、各種インフラも何もかもが
灰燼となっていった。
しかし悲劇はこのオールバニだけで終らない。
連邦崩壊後、疫病で汚染された地域で生き残った人々は、武装して集落を築いたが、それらは大抵が暴力やカルト宗教が支配する場所であった。
そんな場所でも腰を落ち着かせることが出来ればまだマシだったろう。だがそんな場所も彼らにとって安寧の場所にはなりえなかった。
アメリカ風邪の拡散や突然変異を恐れる列強は滅菌作戦を名目にして残った都市や生産施設の一掃を進めていた。それ故に都市や
生産施設の傍に作られた集落は真っ先に爆撃に巻き込まれ、焼かれていった。
この世紀末さながらの光景を、連山改の搭乗員達も些か憂鬱そうな目で見ていた。
「この下にも、民間人が居るんですよね……」
滅菌のためと言われているが、事実上の無差別爆撃を実行する男達の顔色は良くない。そんな男達に機長がきっぱりとした口調で言う。
「連中を人間と考えるな。連中は凶悪な病原菌の伝染媒体と考えろ」
「伝染媒体、ですか」
「より正確に言えば汚物だ。日本を、いや世界を汚染しかねない汚物だ。そんな汚物は消毒するに限る。そうでも考えないと身が持たないぞ」
「………」
何はともあれ、彼らは命令に従って爆撃を続けて次々に地上の都市を焼いていった。
そして何とか再建した生活の場所すら奪われた旧アメリカ人は近隣の無事な集落を襲うしかない。このため旧米東部では拳銃どころか
弓矢や斧さえ使った凄惨で、原始的な戦いが頻発した。
「男は殺せ、使えそうな物は奪え!!」
「女は連れて帰るぞ!!」
「子供もだ!」
粗末な小屋やテントが乱立したキャンプのあちこちで炎が上がり、悲鳴が響き渡る。
「旧連邦軍だ!」
「逃げろ!!」
もはや匪賊にまで身を落とした旧軍に容赦の文字はなかった。かつて彼らが守るべき者だった市民を踏みにじり、彼らから自分達が
生きていくための物資を奪いつくしていく。誰もが生きるために必死であり、躊躇は無かった。
「た、頼む。金はある。だから……」
かつて富豪だった老人は路上で貴金属を差し出して、自分と家族の助命を願うが男達は鼻で笑う。
「今の時代、そんな物に価値なんて無いんだよ」
経済の崩壊によって、ドルのような通貨は勿論だが、地域によっては貴金属さえ見向きもされなくなっていた。価値があるのは食糧や薬、それに
武器など使えるものだった。
「あばよ、爺さん」
老人、そして抵抗した息子夫婦は呆気なく殺され、両親や祖父を目の前で撃ち殺され泣き叫ぶ孫娘は、麗しい容姿ゆえに精神が壊れ、絶命する
まで男達の玩具として弄ばれた。もはや「それなんて北○の拳?」という世界がリアルに展開しているのが旧アメリカ東部だった。
奪われるのが嫌なら、もはや逃げるしかなかった。ありもしない救いを求めて北、西、南へ難民達は移動した。かつてこの北アメリカの大地の
先住人たちを追いやった者達の子孫が、追いやった者と同じ立場に転落したと言える光景は歴史の皮肉を感じさせるものだろう。
だが彼らの場合、先住人たちよりも扱いは悪かった。何しろ彼らはアメリカ風邪という疫病のキャリアー扱いなのだ。彼らを受け入れてくれる
土地など北米のどこにも無かった。
しかしそれでも彼らは向かった。文明の残滓を求めて。
難民達から希望の星とされたのは西海岸(カリフォルニア、ワシントン、オレゴン)、そして南部地域であったがそれらの土地も決して
安息の地ではなかった。何しろ彼らも自分達が生き残るのに必死だったのだ。
「東部からの難民を受け入れる余裕など無い」
テキサスやジョージア政府関係者はそう公言し、さらにアメリカ風邪の封じ込めを口実にして難民達を追い返した。暴徒化する難民に対しては
軍が投入され、難民達は追い散らされた。特に旧米軍が使っていたM2重機関銃は難民達にとって死神も同然だった。
西に向かった者の中には、辛うじて封鎖線を突破出来た者もいたが、西に向かう道中で大半が息絶えた。東部風邪(アメリカ風邪)を嫌う地元の住人達は
独自に自警団を作って東部からの難民達を殺すなり、追い返すなりしていたのだ。さらに東部以外の、封鎖線の外側の地域の難民達も東部からの
難民を汚物扱いして嫌っていた。まさに四面楚歌だった。
それでも辛うじてアリゾナにまでたどり着いた者もいたが、その彼らに待ち受けていたのは文明的な生活ではなく、強制収容所での日々だった。
「同胞を何で隔離するんだ!?」
収容所に隔離された難民は口々に叫ぶ。しかし看守から帰ってきた答えは非情だった。
「我々はカリフォルニアの人間だ。他所の国、それも悪質な疫病を持ち込みかねない人間を隔離するのは当然だ」
収容所に務める人間からは、難民への同情の念は殆ど無かった。あるのは厄介ごとを押し付けられたと言わんばかりの態度と表情だった。
「東部の人間が馬鹿なこと(ペストの兵器転用)をやったせいで、こっちは大迷惑だ。おかげでジャップに頭を下げて薬を手に入れなければ
いけなくなった」
黄色い猿に頭を下げなければ、自分達の生存すら危うい。その現実が東部の住民、又は旧連邦への怒りを増幅させていた。
しかし難民達からすれば、不治の病と思っていたこの疫病を治療できる薬があるというのは希望だった。
「薬があるのか? だったらそれを量産すれば」
「ジャップが言うには使いすぎれば薬が効かなくなる変異種が生まれるから、過度な使用は拙いそうだ。北欧に世界各国が協力して研究機関を作った
そうだが……いつ特効薬が完成するかは判らん。まぁ精々、特効薬が早めに完成することを神にでも祈っておくことだ」
個々人の思いはどうであれ、カリフォルニアは日本から融通してもらった抗生物質の存在を喧伝することで民心を安定させ、さらに日本との
経済関係を強化することで自国経済の成長を図った。日本軍が駐留しているという事実が日本企業を安心させているのか、日本企業や投資家は
カリフォルニアへの投資に強い興味を示していた。これを活かさぬハーストではない。
勿論、日本企業の進出に良い顔をしない者もいる。しかしそういった人間達をハーストは精力的に説得して回った。
「環太平洋経済圏に参加することが、我が国が生き残る道なのです!」
ハーストの主張する政策を採用したカリフォルニア共和国は経済的、軍事的に日本に隷属しつつもいち早く安定を手に入れることになる。
勿論、ハーストは単に隷属するだけではなかった。アラスカ、ハワイを立ち退く旧アメリカ人の受け入れと引き換えに追加の支援を引き
出した。同時にイギリスには日本の不興を買わない範囲で自国では維持できない艦船の売却などを進めて外貨や技術の入手に務めた。
そしてカリフォルニア国民を纏め上げるために、事の元凶である旧連邦政府と共産主義に対する敵意を煽った。特に自分達を苦境に追いやり
メキシコを暴発させた『赤い悪魔』の脅威を煽ることで団結を呼びかけたのだ。その際、彼は宗教界の協力も願い、教会はその提案に乗った。
「赤い悪魔共は我々の団結を妨げ仲違いさせ、我々を滅ぼす策謀を張り巡らせる。それを防ぐために団結する必要があるのです」
神父達は連日各地の教会で信者達にそう諭すようになった。だが彼らがこうも迅速に動いたのは、当然だが理由がある。
津波、疫病、対日戦争での事実上の敗北によって教会の立場は揺らいでいた。よって彼らはアメリカの滅亡がペストを兵器転用したり、神を信じぬ赤い
唯物主義者に唆されて戦争を起した連邦への神罰だと喧伝することで自分達の立場を守ろうとしたのだ。生臭いが、彼らにも俗世の立場というものがあった。
何はともあれ、こうして北米西海岸はカリフォルニアを中心に安定し発展していくことになる。無論、カリフォルニアを中心とした西海岸が発展すれば
するほどアメリカの残滓を求める難民は増え、彼らの頭を悩ませることになる。
一方、カリフォルニア共和国に匹敵する旧アメリカ合衆国領内での強国『テキサス共和国』は、自由主義とは真逆の政策を突き進んでいた。
ドイツ第三帝国を見習って創設された国家社会主義テキサス労働者党(実質は傀儡)が強権を持って南部を統治していた。彼らは宗主国に石油や食糧を
貢ぎつつ、宗主国から大量の武器を輸入して支配力を強化していた。
「有色人種に尻尾を振った西部の連中に、目に物見せてやれ!」
カウボーイ気取りの男達はそう言って気炎を挙げた。
それと並行してテキサスや欧州枢軸国の支配地域では有色人種の扱いは日本人を除いて南北戦争以前にほぼ逆戻りとなり、黒人は奴隷階級となった。
彼らは農地、鉱山、或いは工場などに縛り付けられ、財産としてある程度丁重に扱われることと引き換えに自由を失った。多くの人間は嘆き悲しんだが
彼ら以上に悲惨な立場におかれた者たちもまた存在した。
「ふむ。計画は達成できたか」
世界を三分する覇権国家であるドイツ第三帝国の中枢・総統府にヒトラーの上機嫌そうな声が響く。
「すでに確保した人員の移送も開始しています」
「宜しい」
東欧統治の責任者『ラインハルト・ハイドリヒ』から齎された吉報にヒトラーは満足げに頷いた。
ドイツは主に東欧の占領地から強制徴用した労働力でこの大戦で確保した新領土の開発を目論んでいた。ソ連が奴隷を使って国力の
回復を図っている以上、それに負けるわけにはいかない。またこのまま手を拱いていては日本との差は開くだけと判断したドイツ首脳部は占領地の住民を
使って国家再建を図っていたのだ。
史実では強制収容所に収容されたユダヤ人達。しかしこの世界では収容所の代わりに北アメリカやロシアに送られることになった。勿論のことだが、
労働環境はお世辞にもよいとは言えず、どれだけの人間が生きて帰れるか判らなかった。
しかしヒトラーやナチス上層部からすれば、ユダヤ人が百万人死んだとしても、それでドイツの再建が早まるなら問題ないと考えていた。人でなし
と言われそうな考えだが、彼らはまだマシだった。津波や異常気象によって食糧生産能力が低下している状態を考慮すると、使い捨ての労働力としてすり
潰すのはよい口減らしになるとすら思っている者も多い。この世界では弱者や敗者の命はどこまでも軽かった。
「ソビエトは中国や朝鮮から奴隷を輸入して再起を目論んでいる。日本は確保した新領土の開発や独立させる旧植民地の支援を進めている。連中に、特に
日本に遅れをとるわけにはいかん」
ヒトラーの脳裏にはロサンゼルスで行われた軍事パレードの席で行進した日本軍の姿があった。
パンターとも殴り合える三式中戦車、そして新型の四式戦車(間に合わせた試作車両)だけでも大きなインパクトだった。それに加え
ドイツ空軍の切り札であるDo335とも互角に戦えるターボプロップの烈風改とドイツ軍が未だ持ち得ない原子爆弾を運用できる超大型爆撃機『富嶽』。
これらの兵器の存在、そしてその大まかな性能はヒトラーも知っていたが、それらを直に目で見たことで大きな衝撃を受けた。
(兵士の練度も非常に高いと言ってよいだろう。ソ連など比較にならん)
それはヒトラー個人だけの考えではなかった。
欧州での戦いで日本軍によって散々にやられたドイツ空軍、そして冬戦争や中国大陸での戦いを評価したドイツ陸軍も同様だった。ちなみにドイツ海軍は
半ば悟っていた(諦めの境地とも言う)のでそこまで変化は無かった。
ドイツ国防軍上層部も日本と同様に次の戦場は北米と考えており、日本軍と互角に戦える兵器の開発と量産が叫ばれていた。しかしそうかといってソ連と
向き合っている現状を彼らは忘れていない。
日独による分割が決まっているが、ソ連が破れかぶれに再戦を挑んでくる可能性は0ではないのだ。もしもソ連との戦いで甚大な被害を受ければ後が面倒
になる。
そしてそのソ連は中国や朝鮮から輸入した奴隷で必死に国内の開発を進めていた。シベリアでは大量の死人が出ていたが、ソ連は気にする素振りさえなかった。
むしろ掘り出した膨大な金やダイヤで日本から必要な物資を購入していた。また日ソ合弁での工場建設についても交渉が進められている。その全容は掴めないが
その契約内容はドイツ経済界が涎をたらして羨ましがる物になるらしいということは判った。
(我々がソ連と戦い続ける限り、奴らが儲け続けるわけか……そしてソ連の金で開発された極東はそっくり奴らの手に落ちる。全てはソ連の分断のためとは言え
腹立たしいことだ)
ストレスを覚えたヒトラーは一口サイズのチョコを机の中から取り出す。そして包装紙を剥ぎ取ると、口に放り込み甘味で気分転換を図った。
「……ユダヤ系以外の住民、特にスラブ人の扱いだが」
「我々に協力的な者は二等国民、敵対する者は三等国民に分け階級ごとに扱いを分けます。そして目に見張る功績を残した者には名誉ドイツ人としての称号と
地位を与えるのが宜しいかと」
ナチスにとってスラブ民族は矯正不能であり、現状では滅ぼすべき劣等民族でしかない。しかし拡大した占領地をうまく統治するには多少の妥協は必要と
なっていた。また日本の視線もあるため、ヒトラーは露骨な真似は現時点では避けていた。
それでも三等国民は事実上の奴隷階級と言っても過言ではなく、これに指定された人々はユダヤ人よりややマシな程度の扱いを受けた。
財産を没収され、苛酷な労働環境に放り込まれた彼らはその骸を大地に晒すことになる。
「三等国民は危険分子であることを強調して宣伝します。幸い、ポーランド人やスラブ人の悪行は幾らでもあります。ただイギリスとのプロパガンダ合戦
になることが予想されるので、外務省、宣伝省の協力が必要不可欠です」
「分かっている。日本がソ連に対して必要以上に肩入れしないように徹底しなければならん」
特にソ連は周辺国には多くの悪行を働いていた。占領した地域ではその土地の支配階級を根こそぎシベリア送りにして、代わりの人間をソ連から送りつけた。
当然、批判する人間も秘密警察で徹底的に摘発して苛烈な統治を行っていた。ソ連が嫌われる理由は幾らでも存在しているのだ。
故にドイツはソ連の占領政策が如何に悲惨なものであったかを喧伝するつもりだった。ソ連の人間が酷い目に遭うのは『自業自得』なのだということを
明らかにするために。
だがユダヤ人に関してはそんな配慮はない。ヒトラーにとってユダヤ人はナチスに協力的なごく一部の例外を除き、欧州から叩き出すべき存在でしかない。
「ユダヤ人は欧州の地は残さん。だが奴らが見合った働きをするなら……北米の地に自治領を築く程度なら認めてやれ。飴は必要だからな。ソ連のやり方
は効率が悪い。尤もさすがにフランス人のようなことはできないが」
ドイツから本土の北部を返還してもらったフランスだったが、同地方の津波対策や戦災復興に苦労していた。故に彼らはドイツに倣ってアフリカの植民地
から多数の人間を徴用して強制労働を課した。当然、反発もあるが、フランスはその反発を同じ黒人を使って徹底的に使い潰すつもりだった。
フランスに忠誠を誓う黒人たちを前線に立たせ、敵対する者達を追い出すか滅ぼし、最終的にアフリカの地を完全に本土(欧州)化する……それが
フランスの最終目的なのだ。当然、膨大な人間が犠牲になるが……分かっていても躊躇するような余裕はフランスにはなかった。
憎きイギリスを打倒するには相応の国力(地力)が必要だし、何より大西洋大津波のような大災害が再び発生して欧州が生存に適さない大地になった
場合の保険としてアフリカの本国化は必要だと判断されていた。
フランスの行動は大規模な民族浄化と言っても良いのだが、その行いを大きな声で咎める人間は欧州には居ない。欧州の盟主であるナチスの教義からすれば
それは恥ずべき行為ではなかったからだ。
「イギリスも開き直ればよいものを」
「仕方ありません。彼らのパートナーは日本人です。彼らの手前、我々と同じ真似は出来ないでしょう」
けじめをつけたハリファックス政権は速やかに退陣した。その後、外務大臣であったイーデンが首相の座につき、さらに調整機関『円卓』が発足した。
しかしかといって状況が劇的に好転することはなかった。日本から少なからざる支援を受けているが、彼らの現状は厳しいままだった。
特に大英帝国の繁栄を支えていた海軍力の衰退は隠しようが無かった。老朽化が進んだ旧式戦艦は改装工事も儘ならず順次退役せざるを得なかったし、
代艦の建造も出来なかった。既存のKGV級や完成間際の改KGV級では到底穴を埋められない。まして空母の整備や壊滅した陸空軍の再建、さらに津波からの
復興とやらなければならないことは山積みだった。
「まぁ良い。奴らが足踏みするなら、それで良い。まずは欧州を復興させ、日本人がこれ以上版図を広げないように手を打たなければならん。アメリカの遺産の入手も急がねばならん」
「……しかし黄金は兎に角、『例の物』は危険すぎるのでは? テキサス共和国にある物はすぐに使えると思いますが」
「だが必要な物だ。我がドイツが保有する戦艦はビスマルク1隻のみだ。輸送船の建造も急ぐ必要がある今、使えそうな物は何でも使う。仮に使えなくても
我々にとっては貴重なものとなるだろう」
欧州、特にドイツでは巨大な版図を得た日本に対して警戒する動きがあった。彼らからすれば、日本の勢いはかつて欧州全てを蹂躙しようとしたモンゴル帝国を
連想させるものだったのだ。
小規模と言っても、30機近い航空機を運用できる軽空母1隻を含む機動部隊を容易に欧州に差し向けるだけの余力があることを示されたこともヒトラーに海軍増強の必要性を理解させていた。
「日本人が大西洋でも大きな顔をするのを指をくわえて見ている訳にはいかない。件の島の調査でも遅れを取っているからな」
日本がラ・パルマ島の調査を独占するのは、そこで有益な情報を得て何かしらのカードにするつもりではないかとヒトラーは勘繰っていた。
先の第一次世界大戦以来、ドイツに煮え湯を飲まし続けてきたのが日本なのだ。ヒトラーが警戒しない訳がない。そしてこの勘繰りはヒトラーだけではなかった。
日本にこれまで散々に煮え湯を飲まされてきた国の指導者層は日本の動きを注視していた。特に日本によって内戦を煽った上に、大戦ではなけなしの艦隊を壊滅させられたスペインは多くの人間が疑惑の目を日本に向けていた。
だがドイツやスペインなど日本に煮え湯を飲まされた国々が日本を警戒していたように、日本もまたドイツ側に対して不信の目を向けていた。
「人権のじの字もないな……元の時代の活動家が見たら喚き散らすだろうな」
「20世紀なのに、北米南部では古代ローマばりの光景が広がっているんだが。俺は何時の間に某風呂職人のようにタイムスリップしたんだ?」
「何と言うディストピア」
史実と違って暗殺されなかったラインハルト・ハイドリヒが構築した階級制度やフランスの民族浄化を見て夢幻会の面々は眉を顰めた。
一般的な夢幻会の末端構成員からすれば狂気の沙汰のように見えたが……彼らも強く言うことはなかった。今、ドイツの内政に干渉することは日独関係を悪化させるだけであることを彼らは理解していたのだ。
そして上層部は日本や日本勢力圏が実害を受けない限りは、この動きを黙認した。だが同時に日本の識者の間ではドイツに屈服することは日本国民の三等国民化、事実上の奴隷化を意味すると判断する者が増加した。
「ドイツにだけは、絶対に負けることは出来ない」
そんな声が挙がるのに時間はそう掛からなかった。
血を流してまで助けた同盟国にすら裏切られ、世界の大半が敵になり、孤立無援に追いやられた戦前の記憶は簡単には風化していない。
そしてその孤立無援の状態を打破したのは最終的には軍事力だったことが、戦後にもかかわらず軍備を削ろうという声を抑えるのに大きな役割を果たしていた。
この世論の後押しによって大鳳型空母『白鳳』の建造再開、そして老朽化が著しい既存の戦艦に代わる『大和』型戦艦の建造計画といった金がかかる
計画が着々と進められることになる。
あとがき
提督たちの憂鬱外伝 戦後編1再改訂版をお送りしました。
2話以降、再改訂前と話は乖離していくことになる予定です。
とりあえず欧州海軍も中盤以降は多少(?)はマシになると思います……多分(笑)。あと前回よりは戦闘シーンも増やす予定です。
二回の改訂ですが拙作を今後とも宜しくお願いします。